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大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

税と社会保障の一体改革(1)-法案衆院通過の背後に-

2012-06-28 07:38:08 | 政治
税と社会保障の一体改革(1)-法案衆院通過の背後に-


 2012年6月26日,衆議院において,税と社会保障の一体改革法案のうち,目玉となる消費税増税法案が賛成363,反対96で可決し,
社会保障制度改革推進方案は賛成378,反対84で可決しました。

 これらの法案は間もなく参議院に送られ,同様に可決することは間違いありません。 

 2012年6月26日という日は,将来,近代日本の政治と経済を振り返ったとき,大きな転換点として記憶される特別な日になるでしょう。

 今回の法案通過については,政治的,経済的背景と,今後の日本の社会に与える影響との両方の側面から考えなければなりません。これらの
問題は非常に大きな,そして多くの要素を含んでいるので,これから何回かに分けて考えてゆきたいと思います。

 まず今回は,法案が衆院を通過することは,民主・自民・公明の三党合意が成立した時点で既定の事実となり,事前に分かっていたことでした。

 しかし,採決にいたるまでの最近の動きにたいして私は,強い違和感というか異様さを感じていました。一つは,野田政権の政治手法の問題
であり,他の一つは,この問題をめぐるマスメディアの報道姿勢です。

 まず,野田政権の政治手法の問題について考えてみましょう。これらの法案が具体的な政治日程にのぼると,政権執行部は党内の説得に乗り
出しました。

 しかし執行部は,消費税増税法案にたいして反対の意向を表明していた小沢一郎グループや鳩山グループの賛同を得ることは不可能であると
見込んでいました。

 そこで,党内の意見集約をあきらめた執行部は,こともあろうに,それまで対立していた自民党と公明党と三党合意に踏み切ったのです。

 最近の報道によれば,去年の8月には,小沢派を切る,という方向が野田首相と谷垣自民党総裁との間で確認されていたようです。

 三党合意とはいえ,実質的には自民党の言い分をほぼ丸飲みした形でした。政権権執行部としては,これまで反対派の説得に努力してきた,
動かない政治を動かし,「決められる政治」を実践するには,やむを得ない方法だったと弁明するに違いありません。

 しかし,政党政治において,党内の意見集約ができないからといって,敵対する野党と,国民の見えない所で秘密の談合取引を行うというのは,
国会を無視する行為であり,政党政治の死を意味します。

 民主党が何とか党内の分裂を避けようと試みたが,結果的に今回の衆院の投票では,消費税増税法案にたいして57人もの反対者を出すという
醜態をさらすことになってしまいました。

 もともと消費税の10%増税を望んでいた自民党(プラス公明党)は,不人気な消費税の増税を民主党の時代に実現させ,さらに民主党を割る
(実質的には小沢一郎グループの排除)という目論見を達したことになります。

 民主党は「名を捨てて身を取る」どころか,「名」も「身」も捨てたことになり,自民党は「名」も「身」も取ったというのが私の感想です。

 次に,マスメディアの報道姿勢について考えてみましょう。6月15日に民主,自民,公明の3党合意が成立した段階で,法案の可決は決定的
になりました。

 その時から,マスメディアは,採決に対して反対票が何票になるか,とりわけ小沢派の「造反」が何人になるか,民主分裂か,離党を覚悟して
いる議員は何人でるか,小沢派による新党立ち上げはあるのか,といった,事の本質そっちのけで,まるで予想屋のように小沢派の動向と政局に
ついて,うんざりするほど報道してきました。

 言葉尻をとらえるわけではありませんが,マスメディアが好んで使ってきた「造反」という言葉は今回の状況を考えると,筋が違うような気がします。

 原点にかえってみれば,税と社会保障の一体改革が必要となったのは,現状では増大する社会保障(年金,医療など社会福祉費)の財源を確保できない
という問題を解決するためでした。

 この問題に対して,2009年の衆議院選挙で自民党は消費税を10%に上げることで解決することをマニフェストに掲げ,民主党は,少なくとも
4年間は増税を行わず,可能な限り支出の削減,予算の組み替えによって財源を確保する,というマニフェストを掲げました。

 この結果,60年以上にわたる自民党政治に終止符が打たれ,政権交代が実現したわけです。

 民主党が,自らの政権の存在理由を捨て,自民党と同じ消費税増税という方向に基本政策を転換するというなら,それこそが党の基本理念,基本政策
にたいする「造反」というべきでしょう。

 この意味では,筋から言えば,小沢氏に「理」があります。もし,消費増税反対を「造反」というなら,「造反有理」,造反には「理」すなわち
正統性があります。

 もし,実際に政権を運営してみたら,経費の削減によっても予算の組み替えによっても,財政赤字の解消と社会保障費の捻出という問題を解決できない,
したがって増税しなければならないと判断したら,政権がとる方法は二つしかありません。

 一つは,党の基本戦略を変更するのだから,選挙で民意を問うことです。しかし,せっかく国民の期待に後押しされて政権交代が実現したことを考えれば,
選挙はできなかったという事情も理解できます。

 二つは,それならば国民に向かって事情を理解してもらうまで徹底的に説明し,党内的にも増税反対者たちを説得する努力を全力を挙げて行うことです。

 しかし,国民にむかっても党内においても,このような努力はまったく不十分でした。

 野田首相は,今まで誰もやりたがらなかった消費増税を実現したことで,歴史的な使命を果たしたかのような,ある種の高揚感をもっているかもしれません。

 しかし,今回の政治決着が今後の日本にとってどのような影響を与えるのかは,今の段階では分かりません。

 今回の税と社会保障の一体改革法案が通過したことの意味,それが将来の日本に与える影響については,これからも注視し,このブログで何回かにわけて
検討してみたいと思います。

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高橋克也の逃亡とポイントカード-オウム信者の心の闇と空洞-

2012-06-23 06:59:49 | 社会
高橋克也の逃亡とポイントカード-オウム信者の心の闇と空洞-


 2012年6月15日,特別手配から17年目にして高橋克也容疑者はJR蒲田駅近くの漫画喫茶で逮捕されました。
 
今回も,渋谷の殺傷事件と同様,監視カメラが絶大な威力を発揮して,容疑者を実際的にも心理的にも追いつめ,ついに逮捕までこぎつけました。
 
 17年の逃亡の最後にしてはあまりにもあっけない幕切れでした。高橋容疑者は,監視カメラの位置や死角を事前に研究するなど,非常に用意周到
に逃亡を準備していたように報道されていたので,余計に拍子抜けした思いでした。
 
 彼の行動をみると,用心深さとはほど遠い,あまりにも不用心な面が随所にありました。たとえば,自分は警察の手配写真とは似ていないので,
絶対にバレないとおもっていたのか,銀行に堂々と金を引き出しに行って行員と言い争ったりしています。
 
 私が驚いたのは,彼が逃走用のメガネを買いに行った際,何とポイントカードを作っていたことでした。
 
 彼は,何のためにポイントカードを作ったのでしょうか? 常識的には,ポイントカードを作るのは,再び同じ店で買物をする際に,割引その他,
何らかのサービスを受けることを期待するからです。
 彼は,再びこの店にメガネを買いに来て割引サービスを受けようとしたのでしょうか? 
 
 しかし,逮捕されれば無期懲役あるいは極刑さえ考えられる容疑で逃亡している客観的な状況と,ポイントカードを作るという行為とは,
あまりにも現実からかけ離れていており,我々の理解を超えています。

 このような行動は,厳しい現実からの現実逃避そのものです。もう少し一般化して言えば,カルト集団に入ること自体,ある種の現実逃避
でもあります。高橋容疑者は,客観的に見て,自分のしていることの意味を理解できていないのです。

 私がポイントカードについてこだわるのは,このような細かな所にこそ,マインドコントロール状態にあるオウム真理教(あるいはカルト集団
といってもよい)の信者が抱える心の闇と空洞が見事に現れているからです。

 どうして,このような行動や思考に陥ってしまったのでしょうか。これを考えるうで,高橋容疑者とオウムとの関わり,さらにはその時代背景
をざっと見ておくことは,事態を理解する上で参考になるかもしれません。

 高橋容疑者は工業専門学校を卒業後,コンピュータ会社にいったんは就職しました。しかし1987年5月にはヨーガ道場(1984年松本
智津夫が開設)に通い始め,オウム真理教の前身「オウム神仙の会」が「オウム真理教」に改称した年には会社を辞め出家してしまいました。

 高橋容疑者がオウム真理教に入った1987年頃というのは,日本経済が右肩上がりの絶好調期で,バブルに向かってまっしぐらに走っていた時代でした。

 忙しく働きすぎて疲労こんぱいし「燃え尽き症候群」と呼ばれた虚脱感と鬱に襲われ,挙げ句に自殺する人もいました。

 しかし,全体として見ればこの当時は決して,不景気と失業が蔓延していた暗い時代ではなく,むしろ日本人は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
といわれた経済的な繁栄を謳歌していた幸せな時代でした。

 オウム真理教の信者のなかには,体調不良や健康への関心から,当時松本智津夫が開いていたヨーガ道場に近づいてゆき,そこから次第にカルト
教団化していったオウム真理教に入信した人はたくさんいました。

 健康問題は経済状況に関係なく,だれにでも起こる不安材料であり,また健康でありたいという希望は誰でももっています。これにたいしてヨーガ
のような東洋医学な健康法は,近代西欧医学とは別の選択肢を与えてくれます。

 松本智津夫(1983年に麻原彰晃と名乗る)の経歴を見ると,視覚障害者として盲学校を卒業し,鍼灸の資格を取り,鍼灸院を開院し,また漢方薬局
を開設する(後に,薬事法違反で逮捕される)など,一貫して東洋医学の道を歩んできました。

 健康問題のほかの入信動機としては,経済の繁栄から取り残された不満,環境問題を引き起こす経済至上主義にたいする疑問などが考えられます。

 さらに,1970年代以降のオカルト・ブームは人びとに超能力や神秘主義への関心を高め,こらに興味をもっていた若者の中にカルト的な集団に
惹きつけられた人たちもいたと思われます。

 また,ある心理学者は,父親不在の家庭で育ち,麻原に疑似「父親」像を求めて見てオウム真理教に入信したのではないか,と彼らの心理的動機
を分析していました。

 動機はなんであれ,一旦オウム真理教という教団に入ってしまうと,そこは世間から隔絶した別世界で,一般社会からみてどれほど異常で現実離れ
しているように見えようとも,教団の中で生活しているうちは,そこで起こっていることこそが真実であると信じ込んでしまいます。

たとえば,オウム教団の行事の一つに「水中クンバカ」がありました。これは,水中に潜ったまま呼吸をしないで,できるだけ長く留まる修行の一つです。

 通常,2~3分潜っているのが限度でしょう。しかし,修行をすれば4分とか5分できるようになるとされ,実際にそのように長期間潜っていた人の
映像がテレビで放映されたこともありました。

 もちろんこれは,事前にボンベから酸素を十分に吸わせておくという細工をしておいたからなのですが,当の本人も見ている人も,これは修行のお陰,
麻原尊師の偉大なパワーだと信じてしまうのです。

 当時,東京大学医学部の教員だった養老猛氏は,自分の教え子がこのような馬鹿げたことを信じて実行していたことを知り,自分の医学教育が何で
あったのか,と愕然としたと語っていました。

 ところで拘留中の高橋容疑者は,逃走中も「修行」を続け,逮捕後も留置所ではオウムの修行スタイルである蓮華座という座り方で過ごし,麻原死刑囚
のことを尊師と呼び,マントラを唱えるなどオウムへの信仰を維持しているようです。

 マインド・コントロールを解くのは難しいといわれますが,高橋容疑者の場合,17年も逃走を続けるためには,ますます強く信仰にすがる必要があった
のでしょう。

 最近の警察の調べによれば,オウム真理教の流れをくむ「アレフ」への入信者は,昨年来増えており(といっても,新規の入信者は年間270人ほどで
すが),その多くが20代と30代の若年層だそうです。

 地下鉄サリン事件など,何度も報道されてきましたが,それでも入信者が増えているのはなぜなのでしょうか? 

 一つは,今の若い人たちは,1990年代から社会的に問題になり始めたオウム真理教の実態についても1995年の地下鉄サリン事件もほとんど知
らない世代であるという事情です。

 さらに,現在の日本は不景気のただ中にあり,雇用不安,賃金の下落,将来と老後について明るい安心できる展望がもてない,などなど日本全体を暗い
世相が社会を覆っているという背景があります。これは,とりわけ若年層にとっては深刻な問題です。

 これらの事情に加えて最近では,昨年の東日本大震災と原発事故があたかもオウムがかつて唱えていた「ハルマゲドン」つまり終末論的な「世界最終戦争」
を思い起こさせ不安に駆り立てたのではないか,という理由が指摘されています。

 今のところ,「アレフ」への入信者の増加が,カルト集団の復活を意味するのか否かはわかりません。そして,その理由としては上に挙げた事情の他に,
もっと多くの複雑な背景もあるでしょう。

 現代の日本社会は,ますます個人が孤立化しているように見えます。その深い孤立感をもっている人にとって,強い精神性で結ばれるカルト集団は,
とても魅力的に映るかも知れません。

 カルト集団の中では,上からの指示に従って行動すれば良く,いちいち自分で考え判断し行動する必要はありません。カルト教団に入った人たちの中には,
自分で判断することが苦痛で,むしろこれを放棄してしまいたいと思っていた人も多かったのではないでしょうか。

 現在の日本には,いわゆる「カルト集団」「カルト教団」とおもわれる団体は多数あります。これらは,他ならぬ日本社会の「ひずみ」や「ゆがみ」が
生み出した,一種の「鬼っ子」です。

 それらを反社会的であると決めつけて,ただ排除するだけでは問題の解決になりません。最終的には,それらを生み出した日本社会を変えてゆくしか解決
の方法はありませ。

 社会を変えるといっても個人ができることには限界があるし,私自身に特別なアイディアがあるわけでもありません。

私にできることと言えば,社会の「ひずみ」や「ゆがみ」をしっかりと見つめること,身近な人間関係をもう一度見直すこと,教育に携わる者としてできる
ことを考え可能な範囲で実践することくらいしかありません。

 ただ,不安を煽って入信(入会)を勧めたり,お布施のような献金を要求するような集団の誘いだけには絶対に乗らないよう注意をうながすことは
これからも続けて行きたいと思います。

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6歳児の脳死と臓器提供-両親の悲しみと希望-

2012-06-20 06:32:23 | 社会
6歳児の脳死と臓器提供-両親の悲しみと希望-


 日本臓器移植ネットワークは14日、富山大病院に入院していた6歳未満の男児が脳死と判定され、家族の同意で臓器が提供される
ことになったと発表しました。

男児の両親は,その想いと無念さについて次のようなコメントを発表しました(原文のまま)。

      息子は、私たち家族が精いっぱい愛情を注いで育ててきました。
      元気な息子のわんぱくにふり回されながらも、楽しい時間を家族みんなで過ごしてきました。
      本日、息子は私たちのもとから遠くへ飛び立って行きました。
      このことは私たちにとって大変悲しいことではありますが、大きな希望を残してくれました。
      息子が誰かのからだの一部となって、長く生きてくれるのではないかと。
      そして、このようなことを成しとげる息子を誇りに思っています。
      私たちのとった行動が皆様に正しく理解され、息子のことを長く記憶にとどめていただけるなら幸いです。
      そして、どうか皆様、私たち家族が普段通りの生活を送れるよう、そっと見守っていただきたくお願い申し上げます。

    (『毎日新聞』電子版 2012年06月14日 22時11分,最終更新 06月14日 22時31分より)

 

 
このコメントをテレビで聞いた時,私だけでなく多くの日本人は,深い感動を覚えたたのではないでしょうか。

まず,最初の二行では,この男児に注ぐ両親の深い愛情と,子供とともに過ごした楽しく充実した日常の在りようが伝わってきます。

 ここには子供をもつ親の幸福感があふれています。
 
しかし,その幸せも「遠くへ飛び立って行きました」という3行目の一文で,一瞬の間に消え去ってしまった深い悲しみが淡々と
語られています。

 それだけに私たちに,両親の悲しみがじんわりと伝わってきます。

そして,その大きな悲しみの中にも,臓器提供によって,せめても未来につながる一筋の希望の光を見いだそうとする両親のせつない
想いをが伝わってきます。
 
 その光とは,我が子の臓器が他のこの命の一部となって生き続ける,という臓器提供の道だったのです。
 
両親の気持ちは,このような未来の子供たちへ貢献できる我が子を「誇りに思う」という精神の高みに飛翔してゆきます。
 
最後に,このような臓器提供にたいして,理解してくれるよう広く世間に向かって訴えています。これはおそらく,幼児による臓器提供
にたいする世間の目を意識していたからでしょう。
 
両親のコメント全体は静謐な空気に包まれ,精神性の高い詩になっています。そして,感情を抑えた表現は,我が子に対する両親の愛情と,
その対象が失われた悲しみをいっそう際だたせています。
 
このようなコメントが,我が子の死という,親にとってもっとも悲しむべき,まさにその当日に出されたということは驚くべきことです。

もちろん,両親もこの日が来ることをある程度は前もって覚悟はしていたかもしれませんし,いざというときのために臓器提供を決めて
いたのでしょう。

このような事情を考えても,やはりこの言葉が私たちに与える感動はまったく変わることがありません。

我が子を幼くして失うという大きな悲しみは,両親にとって生涯消えることはないでしょう。しかしこのコメントには,この悲しみをかかえつつ,
それを乗り越えて生きて行く決意が現れています。

以前,ホスピスに勤務する医師が,死を覚悟した患者さんは哲学者か詩人になると言っていました。この両親は,我が子の死に直面して
哲学者と詩人になったようです。

ところで,この男児から取り出された心臓は18日に女児に移植され,これを書いている18日午後3時現在,手術は順調に終わりその後の
経過も良好である,とのニュースが流れています。

心臓移植を受けた両親は「“ありがとう”以外,適切な言葉はみつかりません」とのコメントを出しています。この両親の感謝の気持が十分
伝わってきます。

今回の脳死判定から心臓移植にいたるまでの過程では,脳死を死とするのか心停止(心臓死)を死とするのか,という「死」の定義に関しては
社会的にも法的にもなんら議論を呼びませんでした。

この背景には,平成9年7月6日に「臓器の移植に関する法律」(通称「臓器移植法」)が成立し,心停止ではなく,脳死を「死」と認めて
臓器移植が法律的に可能となった,という経緯があります。医学的には心停止した体からの臓器は移植できない,という事情があります。

脳死とは,生命維持装置によって人工的に心臓や肺は動いている(=体は生きている)が、脳機能が停止した状態を言います。見た目には
呼吸もしていて心臓も動いているのに,脳機能が死んでいる状態ですから,親族から見ると死と認めがたい場合もあるでしょう。

日本における一般的な死の概念は心臓停止で,その三徴候は、
1. 心拍動の停止、
2. 自発呼吸の停止、
3. 対光反射の消失・瞳孔散大
です。

当初の「臓器移植法」では15才以下の幼児の臓器移植は認めれていませんでしたが,2010年の改正により,可能になりました。したがって,
今回の臓器移植は法律的には全く問題ありません。

そもそも脳死を死とする法律は,臓器移植を可能とするために作られたものであり,この点に関しては現在でもさまざまな意見があります。

6才の男児の両親がコメントで「私たちのとった行動が皆様に正しく理解され」と述べているのは,このような現状を配慮したからでしょう。

実際,従来は幼児の心臓移植が命を救う唯一の方法となった場合,幼児の臓器提供が認められているアメリカなどへ,数千万円あるいはそれ以上の
途方もない高額な費用を工面して手術を受けに行っていました。

このような現実を考えれば,国内での臓器移植が可能ならその方が当人にとっても家族にとっても大きなメリットとなるでしょう。

私は,脳死を死とすることにも,臓器移植そのものにも,感情面も含めて全面的に賛成しているわけではありませんが,それが命を救う唯一の方法で
あれば,やむを得ない方法として認めてもいいのではないか,という立場です。

ただし,生命倫理の観点から臓器移植は認められるべきではない,という立場があることは認識しておかなければならなりません。

さらに,臓器の提供に関して一切の金銭の授受を認めないという原則は絶対に崩してはならないと思います。そうでないと,臓器売買のような,
命をお金で売買するおぞましい行為が蔓延する可能性があるからです。

いずれにしても,今回の脳死による臓器提供は,当の両親にとっては,悲しみを少しでも希望につなげるぎりぎりの選択だったし,移植を待って
いた女児とその家族にとっては「“ありがとう”以外に適切な言葉がみつかりません」という最良の結果になり,ほっとしています。

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食文化の変化(2)-魚から肉へ-

2012-06-17 05:36:12 | 社会
食文化の変化(2)-魚から肉へ-

6月6日の本ブログで「食文化の変化―米からパンへ」について書きましたが,これと対をなしていると思われる現象が同時進行していました。
 
  『東京新聞』(2012年5月26日朝刊)は,日本人の魚離れがはっきりしてきたことを報じています。厚生労働省の調査によれば,2000年には国民1人
当たり1日の魚の消費量は92.0グラムで,肉は78.2グラムでした。

 しかし,2010年には魚が72.5グラム,肉が82.5グラムとなっています。肉の消費量は2000年に比べて5%ほど増え,魚の消費量は27%近く減少し
ているのです。

 これらの数字をみると,肉の消費量は5%増えただけなので,日本人の食生活が肉食化したというより,一方的に魚離れが進んだといった方が事実に近い
でしょう。

 日本人の食事に変化が起こり,魚と肉の消費量が逆転したのは2006年のことでした。

  1世帯当たりのパンの購入額が米を上回ったのは2011年でしたから,魚から肉への変化は,米からパンへの変化よりも5年ほど早く進行していたこと
になります。

 もっとも,パンだけでなくうどんやパスタ,ラーメンなど小麦製品を含めれば,米の比重はさらに小さくなるでしょう。

  このような変化は,ある年を境に数字としてはっきり出てきますが,魚から肉への変化そのものは,数字に現れるずっと前から徐々に進んでいたと考える
べきでしょう。

 それにしても,魚離れはなぜおこったのでしょうか,あるいは魚はなぜ嫌われるようになったのでしょうか。

 水産庁は,魚には骨があり食べにくい,肉に比べて魚は割高である,肉は冷凍保存できるが魚は冷凍保存しにくいなどの理由を挙げ,骨なしの魚に加工する
といった方策を検討しているようです。

 確かに,新鮮な魚の値段は肉に比べて割高です。魚は痛みやすいので,買ってからできるだけ早く自宅に戻り,冷蔵庫に入れなければなりません。

  しかも,魚は鮮度が命なので,冷凍したにしても味が落ちてしまい長期保存には適しません。そして,魚の骨は食べる際にはやっかいなのも事実です。

 こうした理由の他にも魚が敬遠される理由はいくつかあります。まず,魚を焼くことを考えると,排煙のファンを回しても,いくらかは部屋に臭いがこもります。

 これは,とりわけ空気の流通が良くない,気密性が高いマンションなどでは嫌われるのではないでしょうか。

 つぎに,魚の生臭さを嫌う人も多いようです。食べる時,食べた後に口に残る臭いですが,残りのゴミもずっと臭います。この点でも,マンションのような
気密性が高い住居では魚が嫌われる原因でしょう。このように考えると,魚離れには,居住条件も関係していることがわかります。

 もう一つ,意外と見落とされがちですが,私は重要な要因と考える理由があります。骨のある魚を食べるためには,箸で魚の身と骨をていねいに,細かく
分けなければなりません。しかし,箸を正しく器用に使いこなせないと,この作業はなかなか大変です。

 最近の若者は頭や骨の着いた魚の食べ方が下手ですが,これは何よりも箸をうまく使えないことが原因です。

 魚が割高になったのは,漁業を継ぐ人が年々少なくなってきていること,日本近海では水揚げがすくなくなっていること,遠くへ漁に出かけるため燃料費などの
コストが高くなっていること,などの要因が関係しています。

 魚の消費量が減ったことは,もちろん単独で生じたわけではありません。これを,お米への消費支出がパンのそれを下回ったという現象と考え合わせると,
近年の日本人の食文化で何が起こっていたのかがもっとはっきりします。

  つまり,お米のご飯と魚のおかずという,日本の伝統的な食事の基本的な形が,過去10年間ほどの間に,着実に崩れてきていたのです。

 この変化には味覚の変化もともなっています。たとえば,パンと肉を組み合わせたハンバーガーを考えてみましょう。
 
 「米からパンへ」のブログ記事でも書きましたが,ハンバーガー会社は,時々安売りをして,ハンバーガーのパンと肉の味覚を日本人の舌に覚えさせようとしてきました。

 味覚というのは,一旦獲得してしまうと,長期間持続しますから,近年のハンバーガー・ショップの繁盛ぶりをみると,その戦略はかなり成功しているといえるでしょう。

 ご飯とおかず,という組み合わせの日本食では,おかずの部分は伝統的にご飯に合う品が選ばれてきました。

 ご飯は澱粉質なので,噛んでいるうちに口の中で甘味を感じるようになります。このため,おかずにはある程度の塩辛いものが合います。そこで,日本の食文化には,
影の主役ともいえる,醤油という万能のソースが大活躍することになるのです。

 おかずの代表格の魚(これを拡大解釈して魚介類も含めて)は,さしみであれ,煮魚であれ,醤油が欠かせません。魚の塩焼にしても,ほんの少し隠し味程度の醤油
があった方が風味が増します。
 
 煮物に至っては,魚でも野菜でも,肉であっても砂糖も使いますが,同時に醤油は欠かせません。醤油とならんで味噌も,みそ汁のような形で使われます。

 ついでに言えば,醤油も味噌も大豆の発酵食品であるという点では共通しています。
 
  主なおかずではありませんが,昆布などの佃煮(つくだに)類,のり,塩から,納豆など,みんなご飯に合わせて考えられてきた食品です。
 
 こうして考えると,日本の食文化は,ご飯(米),魚,野菜,醤油(味噌)がベースとなっていることが分かります。

  醤油は,野菜,肉などほとんどの食品に合う万能のソースで,日本の食文化の影の主役として,日本食の味を下で支えているのです。これについては,私はオーストラリアで
驚く経験をしました。
  
  私がキャンベラにいた時,たまたま日本人旅行団体のガイドを頼まれたことがありました。このような場合,オーストラリアでは昼食にバーベキューを出すのが一般的です。
  
  その日もバーベキューで,メインはラム(子羊)の肉でした。年配の方が多かったせいもあり,日本人旅行者はその時すでに,脂っこい食事にうんざりしているようでした。
 
  私は,バーベキュー場につく前に,スーパーで醤油(キッコーマン)を1ビン買っておきました。そして,肉がほどよく焼けると,すかさず醤油をふりかけました。
  
  すると,今まで,肉はもう見るのも嫌と言っていた日本人が,まるで見違えるようにパクパクと食べ始めたのです。この光景を見て,日本人の味覚はやはり醤油がベース
になっているんだな,とつくづく感じました。
  
  長い間海外にいて,日本人が恋しくなる食べ物は,醤油を使った料理のようです。現在では世界の多くの国で,醤油を買うことができるし,オーストラリアでも欧米でも,
大豆の発酵食品の醤油と肉の相性の良さに気が付き,ステーキを焼く際に,醤油を使う人が増えました。

 日本食の象徴とも言える寿司は,米と生の魚介類の組み合わせで,食べる際には醤油は絶対に必要です。また,もう一つの代表的 日本食の天ぷらにしても,やはり天つゆ
には醤油は欠かせません。
 
 視覚的に表現すると,日本の食文化は,米(ご飯)という殿様の下に,魚を筆頭にさまざまな家来が醤油や味噌をともなって付き従っている,という構図で表すことができます。
 
 お米の消費量が減った上に,おかずの代表格の魚の消費量が減っているという事実は,日本人の日常の食文化に大きな異変が生じていることを示しています。
 
 ご飯に代わってパンが,魚に代わって肉が主役となり,醤油に代わってマヨネーズやさまざまな洋風ソース,あるいは塩・コショウが調味料の主役になりつつあります。
 
 以上の変化は,良い悪いという類の問題ではありません。しかし食文化はその社会の文化の根っこに当たりますから,ここが変化してきているということは,将来,大げさに
言えば日本文化に何らかの変質をもたらす可能性は十分あります。

  私たちは,このことだけは覚悟して,しっかりと胸に刻んでおかなければなりません。

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スポーツとナショナリズム

2012-06-14 21:22:52 | 思想・文化
スポーツとナショナリズム


 今年はオリンピッックが開催される年なので,スポーツがマスメディアに取り上げられることが多いでしょう。

 出場をかけた予選では,ファンは会場で熱心に,しかし比較的冷静に見守り,テレビで観戦している人たちも静かに見ていました。

 しかし,予選そのものが団体戦でかつ国際試合となると,様相は一変します。最近では男子,女子のバレーボールが特に注目を
集めました。試合を放送する側も,人気タレントを動員して試合を盛り上げます。

バレーボールの予選が日本で行われたこともあって,会場では一つ一つのプレーに歓声が涌き,絶え間なく「ニッポン」コールが
起こりました。

 また,オリンピックではありませんが,6月に入って3試合も立て続けに行われた,サッカーのワールドカップのアジア最終予選は,
オリンピックの選抜試合や予選よりも注目を集めたかも知れません。

 このことは,これら3戦のテレビ視聴率が非常に高かったことからもわかります。とりわけ第二戦のヨルダン戦では,関東地区に
限って言えば,最高視聴率が37パーセントにも達しました。

 ヨルダン戦で,日本は6点も入れるという,サッッカーの試合としては異例とも言える高得点を挙げたこともあって,試合の勝ちが
はっきりして次々と得点を挙げるたびに視聴率は上がってゆきました。
 
 37パーセントという高視聴率はこのような状況の経過を背景としていたのです。試合中はサポーターのボルテ-ジは高く「ニッポン」
コールは止むことがありません。

 周囲の人に聞いてみると,普段はサッカーにあまり興味がない人でも,今回のアジア最終予選では,にわかファンとなって試合を観戦
したようです。

 一応,サッカー・ファンを自称する私も,家でテレビを見ながら,ゴールが決まった時などは,思わず大声で叫んでしまいます。
 日本人の多くが,このときばかりは,まるでナショナリストになったかのように変身します。

 もっとも,スポーツがナショナリズムを掻き立てることは,今に始まったことではありません。よく知られているように,1936年
の第6回ベルリンオリンピック大会は,ナチはナショナリズムを高揚させようと,さまざまな企画を綿密に計画し実行しました。

 国の為政者は,スポーツがナショナリズムを掻き立てることをよく知っています。実際,為政者が国際的なスポーツを「国威発揚」
の手段として利用する可能性は常にあるし,実際,そのように利用されてきた面があったことは確かです。

 国家の意図とは別に,普段はそれほどのナショナリストではないと思っている人たち,むしろナショナリズムは危険だと思っている
ひとたちも,スポーツの国際試合などでは,無意識のうちに「ガンバレ ニッポン!」を叫んでしまいます。

 どうやらスポーツに関して私たちは無意識のうちに手放しでナショナリストになってしまうようです。

 ここで「ナショナリズム」という言葉には,日本語の「国家主義」という意味と「愛国心」という意味とが含まれます。

 どちらも,政治的な「国家」を想定した言葉です。
 
 戦前の日本では政府も軍部も,あらゆる手段を使って国家主義や愛国主義を植え付けて国民を戦争に駆り立てました。

 しかし,今日のスポーツの試合での「ニッポン」コールは,広い意味のナショナリズムの発露であるといえますが,そこには政治的な
意味合いはありません。あえて言えば,我が「故郷」ニッポンというニュアンスに近いように思えます。
 
 したがって,この場合のナショナリズムは,たとえば,尖閣列島付近に中国船が現れる,といったニュースに対して,「中国はけしからん,
日本としてはもっと強く出るべきだ」といった政治的な価値判断が強く入り込んだナショナリズムとは異なります。

 
 ところで,6月12日にオーストラリアで行われた日本VSオーストラリア戦では,どう考えても日本のファウルはあり得ないという状況で,
審判はファウルを取り,オーストラリアはペナルティー・キックを得て1点を取りました。

 また,1対1の同点で,タイムアップ直前に日本はゴールを狙える位置で相手のファウルでフリーキックの権利を得ました。

試合を観戦していた日本人のほとんどは,本田のフリーキックに期待をし胸をときめかしたことでしょう。まさに,最後の見せ場がやってきたのです。

 フリーキックの名手,本田がボールを置いて,まさに蹴ろうとした瞬間,審判は試合終了の笛を吹いたのです。

 おそらく,この光景を見た人は,我が目を疑ったことでしょう。というのも,このように,ボールをセットし終えて,これから蹴ろうという動作に
入った状況では,ラストプレーとして蹴るところまではやらせるのが常識だからです。

 このときすでにアディショナル・タイムは過ぎていたので文句は言えないのですが,それなら,ボールをセットする前に笛を吹くべきだったのでは
ないか,などと,素人ながら割り切れ無さや憤懣を感じました。
 
 アウェーでの試合にはこうした予期しないことが起こりえるし,ザッケローニ監督も言っていたように,オーストラリア・チームは意図的に
「ずるがしこい」プレーを仕掛けました。

 それでも,日本が本当に強いチームになるためには,こうしたハンディを乗りこえて勝たなくてはなりません。

 そうしたことは頭では分かっていても,どうしても日本チームをひいき目に観てしまいます。
 
 今年はオリンピック年。テレビや新聞・雑誌は,出場した選手の結果について毎日報道し,テレビでは「ニッポン」コールを頻繁に聞くことになる
でしょう。

 うっかりすると,私たちは気が付かないうちに立派な愛国主義者になっているかも知れません。
そんな危惧をいだきながらも,私は今年のオリンピックが物凄く楽しみにしています。
 
 なんと言ってもスポーツは,他では味わえない感動を私たちに与えてくれる,すばらしい文化だからです。

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マイナリ氏の再審決定-検察は犯人を作るのではなく真実を明らかに-

2012-06-09 23:34:47 | 社会
マイナリ氏の再審決定-検察は犯人を作るのではなく真実を明らかに-

ネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏は,1997年の東京電力女性社員殺害事件の容疑者として逮捕され,一審で無罪,二審で
無期懲役刑の有罪,2003年には最高裁で無期懲役が確定しました。

マイナリ氏は一貫して無罪を主張し再審を求めていました。そして,東京高裁は2012年6月7日,再審開始と刑の執行停止を決定しました。

これにたいして高検は,再審開始と刑の執行停止の双方に対して異議申し立てをしたが,東京高裁の裁判長は高検の申し立てを即日退けました。
こうして,マイナリ氏の釈放が決定したのです。

 「針の穴からラクダを通すよりも難しい」と皮肉られてきた再審の扉が開かれた瞬間でした。

 高裁の判断には,被害女性の体内に残っていた精液のDNA鑑定で,それがマイナリ氏とは異なる「第三者」のもの判明したこと,さらに室内に
あった体毛のDNAと体内に残されていた精液のDNAとが一致したこと,の新証拠が決め手になりました。
 
 この判断について,最新のDNA鑑定技術が大いに貢献しました。日本で初めてDNA鑑定が捜査に用いられたのは1989年でしたが,当時は
まだ精度が低く,30人に一人くらいは間違った判定結果がでてしまいました。

 しかし,2006年に導入された新たな鑑定方法では,別人が現れる確率は4兆7000億分の1とされており,誤認の可能性は限りなくゼロに近く
なります。

 このような事情はあったにしても,弁護側はなぜもっと早くDNA鑑定を行わなかったのか。実は,今回の鑑定に用いられた精液の存在は,弁護側
も公判段階で把握していました。

 弁護側は,精液は「有罪証拠にはならないことは明らかであると考え,DNA型鑑定は全く考えなかった」という(『毎日新聞』2012年6月7日)。

 つまり,弁護側はまったく楽観視していたのです。この点では,弁護側に問題があったといえます。

 そして,マイナリ氏は有罪の決定的な物証もないまま,状況証拠だけで検察の主張どおり二審では有罪にされてしまったのです。

 さて,マイナリ氏の逮捕から再審決定にいたる経過をみてゆくと,どうしても腑に落ちない点があります。

 検察は,被害女性の体内から採取した精液の血液型鑑定をしなかったが,それは,当時の技術では困難だった,と捜査に当たった人物が取材に対して
説明してる(『毎日新聞』2012年6月10日)。

 実は昨年の11月に東京高検は裁判長から精液のDNA鑑定を強く求められ,それを行わない場合は「命令」も辞さないという強い姿勢に,しぶしぶ
応じたという経過があります。

 つまり検察側は,DNA鑑定をすれば,マイナリ氏の有罪根拠が否定されることを恐れていたのではないでしょうか。

 ところで,検察は被害者の女性の胸から検出されたという捜査段階の血液型鑑定の結果が,マイナリ氏の血液型と異なるO型であることを,再審請求審
で始めて開示された。

 しかし,被害女性が不特定多数の異性と関係があった被害者女性の日常から考えて「重要証拠ではない」と位置づけられたという(『毎日新聞』2012年6月10日)。

 元捜査1課長だった平田氏は今年3月の取材で,次のような事情を語っています。

 事件発生の1997年の初期捜査段階で,「東南アジア風の男と被害者らしき女性が殺害現場の部屋に通じる階段を上がるのを見た」という目撃証言と,
部屋のトイレに残されたマイナリ氏の精液が凍った避妊具という状況証拠から,捜査本部の視線はマイナリ氏に絞られていた,と。つまり,この段階で
マイナリ氏を”犯人”と決めつけていたのです(『毎日新聞』2012年6月10日)。

 
 もちろん,捜査が一定の方向性をもつことは避けられませんが,最近の検察のやり方には,一旦,誰かを”犯人”と決めつけると,真理を明らかにする
というより,自分たちの見立てを立証し,面子を保つために,かなり強引な捜査を行うことがしばしばあります。
 
 ところで,血液型の違いだけでもマイナリ氏を起訴することには無理があるのに,検察はなぜ強引に起訴したのでしょうか。
以下は,私の個人的な見解ですが,気になる点を考えてみます。まず,次の2点を確認しておく必要があります。

 1点目は,マイナリ氏がネパール国籍である,
 2点目は,マイナリ氏は入国管理法違反(いわゆる不法滞在)であった,
という事実です。

 私が直感的に思ったのは,もしマイナリ氏がアメリカ国籍であったり,ロシア国籍,あるいは中国国籍であったら,検察はこのような強引な起訴に踏み
切ったのだろうか,という疑問です。おそらく,もし起訴するにしても相当慎重に行ったでしょう。

 考え過ぎかも知れませんが,不法滞在のネパール人ならば,相手国政府や日本在住の同国人コミュニティからの圧力も小さいということを見込んで,
彼を犯人に仕立てたのではないかとさえ思えます。

 しかも,不法滞在者にたいする国民の厳しい目を考えれば,彼が不法滞在であるということは検察当局にとっては好都合だったかもしれません。

 もし,今回のマイナリ氏の逮捕・起訴に,無意識にでも,こうした検察側の人種的偏見が少しでも入っていたとしたら,司法の根幹を揺るがす重大な問題です。
 
 以上のように勘ぐりたくなるのは,最近の検察のやり方を見ていると,非常に強引なだけでなく,虚偽の調書を作成したり,証拠を改ざんしたり,隠したり,
という事例が多々あるからです。

 このような例は,厚生労働省の村木厚子氏の件,小沢一郎氏に関係した調書の偽造など,表に出ただけでもいくつもあります。

 検察は,犯人を作り上げるのが仕事なのではなく,真相を明らかにすることが仕事である,という当然の原点を取り戻して欲しいと思います。

 そうしないと,ただでさえ地に落ちた検察への国民の信頼を失い,同時に日本の司法界全体の信用を失うことになってしまいます

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食文化の変化(1)-米からパンへ

2012-06-06 06:20:10 | 社会
食文化の変化(1)-米からパンへ-
 

最近の家計調査によれば,2011年の世帯当たり(一人暮らしを除く)の1年間の米の購入額は27,780円,パンは28,368円で,調査が始まって
以来初めて,米の購入がパンの購入額を下回りました。

 もちろん,これを単純に米の「消費」がパンの「消費」を下回った(同じことですが,パンの消費が米の消費を上回った)と言うことはできません。
 
 というのも,これはあくまで家庭における「購入額」ですから,たとえば外食をしたり,おにぎりを買ったりした場合には,家計で米を買う額は少
なくなるからです。

 さらに,パンではなくてもラーメン,パスタ,うどんなど,小麦粉を使う食品の消費が増えれば,米の消費・購入額も減ります。

 このような事情を差し引いても,これまでは米の購入額の方が多かったわけですから,やはり日本人の食生活が米食からパン食へ変化してきたことは
確かです。

 米からパンへという変化は,その背後に日本人の日常生活におけるさまざまな変化を反映していると思われます。

 まず,家庭での食事でパン食が増えた事情を具体的に考えてみましょう。この変化がもっともはっきりと現れたのは,朝食ではないでしょうか。

 伝統的な日本人の朝食は「ご飯,みそ汁,魚の干物」をベースに,納豆,のり,お新香などが好みによって加えられました。それが,パン,牛乳,
ハム,サラダ,チーズなど,「洋食系」の朝食に変化した家庭が多くなったことが考えられます。

 この背景にはさらに,朝から魚を食べることを嫌う傾向があるのかも知れません。あるいは,家の中で魚を焼くと匂いが部屋に立ちこめるので,
それを嫌っているのかもしれません。
 
 それでは昼食はどうでしょうか。外で働く人たちの多くは家庭で作ったお米のお弁当ではなく,外食ですましていると思われます。専業主婦の場合,
昼食を家で食べることが多く,その場合は米食の可能性が高いかもしれません。

 しかし,共稼ぎの家庭が増えると,昼食も外で食べることになり,その場合,お米のお弁当を持参しない限り,家庭での米の消費,したがって購入額は
少なくなります。

 また,昼食時にハンバーガーなどのファストフードの店にゆくと,子供を連れたお母さんたちがたくさん見られます。子供の時に,ハンバーガーの
ような味覚に慣れてしまうと,大人になってもそのような食事に自然と向かってしまいます。

 日本にあるアメリカのハンバーガー・ショップでは,時々,大幅な根引きをすること(たとえば1個100円とか150円)があります。

 ニュース番組で,サラリーマンが昼食時に激安のハンバーガーを買って「非常に助かります」と言っていました。

 この発言は,お父さんたちの昼食代がいかに少ないかの表れでもあり,食文化の問題とは別に,ちょっとさわびしい話ではあります。
 
 中・高生や大学生など若い世代にいたっては,ハンバーガーのようなファストフードはすでに日常食となっています。
 
 ところで,アメリカの有名なハンバーガー会社の役員がかつて,「日本の子供たちに,我が社のハンバーガーの味を覚えさせてしまえば,後々ずっと,
我が社の顧客になる」と言っていました。

 確かに,子供の時に舌や脳に染みついた味覚は非常に強く後々まで,極端に言えば一生,その人の味覚として残ります。このことは,いわゆる
「お袋の味」を考えてみればわかります。

 時々行われる大安売りは,このような戦略のもとに行われているのです。昼時に,小さい子供を連れてハンバーガー・ショップにいるお母さんたちは,
母子ともに,このような戦略にピッタリとはまってしまっているのです。

 さて,さまざまな要因があるにせよ,米の購入額がパンのそれを下回ったというのは事実のようです。これはどんな影響をもたらすでしょうか。

 まず,戦後の日本は食糧確保のため,政府は米価を維持しつつ米の買い上げを通じて米作を奨励してきました。しかし1960年末には米が余り初め,
政府は1970年に,いわゆる米の「減反政策」を導入し,米の生産調整を行うようになりました。

米作面積を割り当て,田んぼで米を作らず,他の作物に転作すれば政府が転作奨励金と言う形で補償金を出すようになったのです。

 これ以後,米作面積は一貫して減り続けてきました。そして,1994年には減反政策は廃止され,農家は自由に米を作れるようになりました。

 しかし,日本人の米離れが止まらず,今度は米の価格が下落し,米作農家にとっては米作がますます割に合わない農業となってしまったのです。

 将来性のない米作に見切りを付けた農家,跡継ぎがいなくなった農家が耕作を放棄するようになったのです。こうして,耕作放棄された田んぼが
日本全国で広がってきています。

 今回の発表で,米の購入額がパンのそれより少なくなっているのは,こうした趨勢を反映しています。他方,一定の枠内ではありますが,国産米より
ずっと安い米の輸入が少しずつ認められるようになり,日本の米作はますます追いつめられてきています。

 大規模な水田で機械化を進め,米作を企業化すれば輸入米に十分対抗できる,と主張する人もいるし,実際,それを実践している人たちもいます。
しかし,それも全体からみれば,ごく一部です。

 一旦耕作を放棄してしまうと,水田の土壌の生態系は壊れてしまい,もう一度元の米作耕地に戻すことは,非常に困難です。

 日本人にとって食糧の根幹をなす米の生産が国内で減少し,その分を輸入米で補ってゆく,というのはやはり心配です。

 世界的な規模で食糧不足がますます深刻化しつつある現在,好きな時に好きなだけ安い米を買うことができる保証はありません。

 私たちは,冷害で米の収穫が減った時などは日本でもパニックになった経験がありました。

 次に,米の購入額の減少という問題を食文化という観点から考えてみましょう。日本の伝統的な食文化は「ご飯とおかず」という組み合わせで
成り立ってきました。その「おかず」の方は,魚と野菜が中心で,ごく一部を肉で補うという形です。

 しかし,ご飯の代わりにパンが登場するとどうなるでしょうか。日本の食文化の代表格である,繊細な会席料理とパンというのはどう考えても
あり得ません。

 懐石料理は別にしても,庶民の日常の食事で,パンと魚(焼き魚,煮魚,さしみ),みそ汁,という組み合わせも考えられません。

 やはりパンには,卵・肉(ハムヤソーセージを含む),チーズ,野菜,牛乳などが合います。

 こうして,気が付いてみると日本人の食文化は,米から小麦粉,牛乳,肉へと徐々にその主役が変わってきています。

 日本人の食事は,肉食化というより「小麦化」したというべきでしょう。

 何といっても,平均的な肉の消費量は,まだまだ欧米のそれとは比較にならないほど少ないのです。

 味覚・食文化は,ある社会の文化全体にとって中心的な地位を占めており,ここが変わるというのは,その文化が根っこのところで変わることを
意味しています。

 同時に,今日の日本はカロリーベースで食糧自給率が39パーセントに落ち込み,命の根幹を外部からの輸入に頼っています。

 私たちは,もっと国産米を積極的に食べ,米の生産農家をサポートしてゆく必要があるのではないでしょか。

 食糧自給率が減少してゆく,その一方で,耕作を放棄した水田が全国で広がっているという矛盾をかかえています。

 田んぼは水をたたえたお盆のようなものであり,このブログの「不耕起栽培」のシリーズでも書いてきたように,水田は生物の多様性や自然環境
にも大切な役割を果たします。
 
 私自身はかつて8年ほど,かなり本格的な農業(畑の)をした経験はありますが,米は作ったことはありません。いつか,その機会が巡ってくる
ことを期待して,少しずつ勉強はしています。そして,何かの形で農業,とりわけ稲作に関われればと思っています。
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机上の論と現実政治-大飯原発再稼働をめぐって-

2012-06-03 07:30:55 | 原発・エネルギー問題
机上の論と現実政治-大飯原発再稼働をめぐって-


 ここ1ヶ月以上にわたって,福井県の大飯原発(3,4号機)の再稼働を巡って,政府・関電と関西広域連合(大阪府,滋賀県,京都府)
との間で激しい議論が戦わされてきました。

 そして,5月30日の関西広域連合の責任者は「暫定的な安全判断であることを前提に、限定的なものとして判断をされるよう強く求める」
という声明を公表し,事実上,再稼働の容認を宣言しました。そして,原発をかかえる福井県知事も再稼働を容認しました。これで,再稼働に
向けて,形式的には障害はなくなったわけです。
 
 ここに至るまでの,政府と関西広域連合とのやりとりは,現在の政治の実態を知る上で非常に興味深いので,すこし日時を追ってみてみよう。 

 4月初め,橋下大阪市市長は,政府が原発の安全性を確保しないまま再稼働させることに絶対反対の意向を示していました。政府も安全性の
確保に最大限努力することを約束してきました。

  しかし,事態は5月に入り,少しずつ変化してきました。まず,政府は夏の電力需要がピークに達すると,関電関内では電力の供給が間に合
わず,節電だけでなく計画停電が必要になるかも知れないとの警告を発するようになりました。

 関電側は早くから今年の夏が一昨年のような猛暑なら電力供給は追いつかない,との見通しを発表していましたから,政府の見解はこれを受けた
ものです。

 関西広域連合側は,政府は安全性の問題を電力の需給の問題にすり替えていると,非難しており,あくまでも安全性の確保が再稼働の大前提である
との態度を崩していませんでした。

 ところが,19日の政府と関西広域連合との話し合いの際に橋下氏は,臨時に1ヶ月,2ヶ月,3ヶ月という期間限定の稼働もあり得る,との
主旨の発言をします。

  これにたいして藤村官房召還は21日,そのようなことを念頭にはおいていない,と直ちに否定しました。

 さらに,枝野経済産業相は29日,臨時の稼働は「安全でないかもしれないが(電力が)足りないときだけ動かす、というふうに受け止められ
かねないやり方」であるとして,橋下氏の提案を拒否し,続けて「(再稼働の)大前提は、安全であることと、安全について一定の理解を頂けること」
であると反論します。


 こうしたやりとりの後,冒頭で書いたように,橋下氏は,負けです,再稼働の容認です,と発表するに至ったのです。ただし,この容認には,夏の
ピーク時が過ぎたら安全性の確保の問題を再度政府に要求するとの条件を付しています。つまり,今回の容認は期間も安全性についても,限定的・
暫定的であることを条件としています。

 そして,5月31日に橋下氏は,「机上の論だけではいかないのが現実の政治だ。エネルギー供給体制の変革も進んでおり、この夏を乗り切るための
一時的な稼働はご理解いただくしかない」と述べました。

 ところで,こうしたやりとりの背後に,何があったのでしょうか。それと,橋下氏に「机上の論だけではいかない」と言わせた背景に何があったので
しょうか?これには,表には出てこないさまざまな事情と動きがあったようです。

 まず,政府が臨時の稼働を認めなかったのには次のような事情があったのです。つまり政府としては,安全性が確保されたから再稼働させるのだ,
という原則を貫きたかったのです。

 もし,関西広域連合が言うような形での臨時の稼働を認めると,安全性の問題は棚上げして,とりあえず電力が足りないから臨時に動かしたという形
にはしたくなかった,というのが政府の本音でしょう。政府は最初から再稼働に踏み切ることを決めていたにちがいありません。

 それより気になるのは橋下氏の「机上の論だけではいかないのが現実の政治」という発言です。

 「机上の論」とは,あくまでも原発の安全性が確保されなければ再稼働すべきではないという原則論です。かつて橋下氏は,安全性が確保されないまま
再稼働するなら民主党政権を打倒するしかないとまで言い切っています(後に,これは言い過ぎだったと訂正したが)。

 橋下氏の姿勢が,まるで手のひらを返したように変わりました。一体,この背後には何があったのでしょうか。

 大阪市の特別顧問である古賀茂明が朝のテレビ番組で語ったところによると,関電は関西の財界に対して,もし原発を再稼働させないと,この年の夏には
計画停電を実施しなければならないと猛烈に訴えたようです。

 こうした圧力のもとで,関西の財界・企業は驚き,原発を稼働させなければ,海外へ脱出するという企業さえあったとのことです。
 
 関西の経済界は,橋下大阪市長や滋賀県知事や京都府知事に再稼働を認めるようかなり強く訴えたようです。その結果,ついに関西広域連合は大飯原発の
再稼働を容認するに至ったというわけです。これが,橋下氏が言う,「現実の政治」というものなのでしょう。

 つぎに,「机上の論」という表現について考えてみましょう。この言葉の意味するところは,上に書いたように,「原則論」です。普通は「机上の空論」
というふうに慣用的に使われますが,さすがに橋下氏は「空論」とは言えなかったのでしょう。

 こうした橋下氏および関西広域連合の知事の容認姿勢にたいして,あくまでも安全性を第一に考えるという原則論を貫くべきで,
再稼働を容認したのはけしからんという批判の声もあがりました。
 
 関電は供給能力を過小評価し,関電管内の住民の節電量も過小評価している可能性があり,関電は「おおかみ少年」だと考えることもできます。実際,
たとえ原発を再稼働しなくても,電力は間にあると主張する人もいます。
 
 しかし,もし万が一,瞬間でも停電が起こったら,稼働しているコンピュータや生産ラインが止まり,経済に多大な損害を与えることは避けられません。

 私は原則にこだわる方ですが,もし自分が関西広域連合や原発をかかえる福井県知事,あるいは原発所在地の町長など責任を負う立場の人間だったらどの
ように判断するかは迷います。
 
 関西広域連合の首長さんたちは,現実的にどれほどの大停電の危険性があり,また,計画停電の必要性があるかを,関電が発表するデータだけに頼って
いるわけではなく,集められる限りのデータを集めたはずです。

 その上で,行政の長としては,90パーセントは大丈夫だと思っても,残りの10パーセント,あるいは数パーセントでも危険性があると判断したら,
やはり一か八かでやってみようとは決断できなかったものと思われます。

 あるいは,行政の側が,再稼働を迫る企業にたいして逆に説得するだけの確信がなかったのかもしれません。

 実際の社会では,原則と現実とが一致しないことの方が普通です。このようなとき,原則論だけを通すことも,原則を忘れて現実への対応だけになって
しまっても,問題は残ります。
 
 これは何も,原発の是非,再稼働の是非だけでなく,私たちは日常生活で,大なり小なり原則と現実への妥協という選択を迫られています。
 
 確かに現実の重みは軽視できませんが,ぎりぎりまで原則を貫く努力をして,それでだめなら最小限の譲歩や妥協をするという方法しかないような気がします。

 関電管内に限っていえば,橋下氏や関西広域連合の首長に,夏の電力需要のピークが過ぎたら,もう一度原則論に立ち返って,原発の安全性,さらには原発
そのものの是非を議論して欲しいと思います。

 そして,もちろんこれは他人事ではなく,私たち日本国民全体が真剣に考える問題でもあります。

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