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大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

2025年参議院選(2)―日本人が抱える深き心の傷は癒されるか―

2025-07-24 17:36:11 | 東日本大震災
2025年参議院選(2)―日本人が抱える深き心の傷は癒されるか―

2025年の参議院選の結果の主要な点は、①自公の惨敗、過半数割れ ②「日本人ファースト」
「行き過ぎた外国人受け入れに反対」などを掲げた参政党の大躍進、③「働く現役世代を助ける政
策」に焦点を当てて躍進した国民民主党、④立憲民主党の停滞、と整理することができます。

選挙結果の具体的な獲得議席をみると以下のとおりです。
自民党 39(選挙区 27+ 比例12) 
公明党  8(4+4)
立憲  22(15+7)
国民民主 17(10+7)
参政党 14(7+7)

国民民主党の躍進はある程度予想されていましたが、参政党は前回の1人から14人への、文字通り
大躍進です。

参政党大躍進の理由について、これまでいくつも指摘されてきました。たとえば、地方での地道な活
動の積み重ね、代表の神谷宗幣氏の支持者への上から目線ではなく「みんなで作ろうよ」という「兄
貴」的スタンス、分かり易い言葉で語りかけるコミュニケーション能力、などなどです。

しかし、参政党を支持した一般の有権者に最も「刺さった」のは「日本人ファースト」というメッセ
ージだったことは間違いありません。

そして、国民民主党を支持した人たちには「手取りを増やす」というメッセージが若者から就職氷河
期世代に強く訴えたことが投票結果からわかります。

同党への支持はむしろ、「自国は衰退している」「既存の政党や政治家は、私のような人間を気にかけ
ていない」「忘れられている」「見捨てられている」、という怨念にも似た感情の爆発とも言えます。

このため、今回の選挙において参政党の支持者には、初めて政治に関心を持った人たちが多かったこ
とも指摘されています。

雨宮処凛さんは今回の選挙の過程と結果をみて、「日本人のプライドはこんなにも傷ついていたのか」
と述べています。私も全く同じ感想をもっています。雨宮さんは、次のように書いています。

    物価上昇で生活は苦しくなり、スーパーマーケットの棚から主食の米が消えたりもして、人
    々は不安の渦中にありました。
    一方、コロナ禍で閉じていた国境が開いてからは外国人観光客が増え、日本人には手が出な
    いような高価なものを「安い、安い」と大喜びで買っていく。ホテル代はうなぎ登り。人々
    は、経済大国だったはずの日本が実は急激に貧しく弱くなっている事実を、日々突きつけら
れています。

日本の「埋没」は、隠しようもなくはっきりしています。特に、2010年に、GDPで中国に抜かれて
アメリカに次いで世界第二位であった日本は3位に転落。さらに昨年はドイツにも抜かれ、現在は4位。

日本経済のピークは1994年で、この年、世界のGDP総額の18%を占めていたのに、2022年に
は4%へ一気に転落してしまいました(直近ではおそらく3%台)。

それだけでなく、一人当たり生産性でもGDPでも、1時間当たりの賃金でも、今や韓国を下回ってい
ます。

こうした事情を反映して、日本の通貨「円」の価値は下がり続け、2011年のピークには1ドル75円だっ
たものが、現在は145円から150円という驚くべき円安です。

貨幣の価値は国力の真の実力を表していますから、この間に日本の国力が急降下したことが分かります。

このため、アジア諸国も含めて、海外からの旅行者は、日本は「安い 安い」と押し寄せている無です。

まら、高額のマンションや土地が外国人に買い取られている、などのニュースに接するたびに、日本
人としてもプライドがひどく傷ついてきたのではないでしょうか。

雨宮さんは、続いて
    私はこの約1カ月半で、社会の空気が急激に変わったと感じました。参政党が「日本人ファー
    スト」を掲げ、「外国人」にターゲットを定めた途端、人々は反射的にそれに飛びついたよう
    に見えました。まるで「ああ、やっと俺らのホンモノの敵が見つかった!」とばかりに。ず
    っと抱えてきた不安やモヤモヤの理由を言い当ててもらえた喜びや高揚感すらも、私は参政
    党支持者に感じました。(注2)
とも述べています。

SNSには、外国人観光客のマナーの悪さを問題視するような、真偽不明の動画が常に拡散され、私た
ちの目に入らない日はありません。

6月には、東京都板橋区のマンションの賃料が中国系オーナー企業によって突然2・5倍に引き上げられ、
住民が立ち退きを迫られた件がテレビや新聞などで広く報道されました。

しかも世界に目を向けると、中国の脅威、台湾有事、そしてウクライナにガザでの殺戮など、不安が募
る中、米国からは、高関税を押し付けられ日本経済が窮地に追い込まれています。

る移民取り締まりに抗議するデモに州兵が派遣されたニュースが。交流サイト(SNS)に流れる、「燃
やされる車」や「暴徒化したデモ隊」の動画は、「外国人を野放図に入れたらこんなに大変なことにな
るぞ!」と人々をたきつけました。

慶應義塾大学の烏谷昌幸教授は、参政党の「日本人ファースト」というメッセージが多くの人の共感を
得た背景の一つに、「自尊心を傷つけられた日本人」という点を指摘しています。

    いま、日本という国家は未来について論じても厳しいことばかりです。国の借金は過去最大の
    1300兆円を超え、人口は数十年後には8000万人台にまで減少する……。
    日本に限らず、先進諸国は国力を維持できずに衰退しています。国力が低下していくという現
    象が、その国に生きる国民の精神にどのような影響を及ぼすものであるかは軽視できない問題
    です。
    とりわけ隣国の中国は経済的にも政治的にも揺るぎない大国としての存在感を示すようになり
    ました。なかには、このような現実を受け入れられない人もいると思います。日本人としての
    自尊心を傷つけられたように感じる人もいると思います。
    しかし、こうした状況にもかかわらず、既存の政治家や政党は、国民を元気づけるような国家
    論や、未来の社会像を提示できなかった(注3)。

これまでの政治が、自分たちを元気づける国家論や希望がもてる未来像を提示して来なかったことは確
かです。

そんな状況で長い間ずっと心の底に淀んでいた、何とも言えない不安や不満、そして「傷ついた自尊心」
を癒してくれるメッセージを待ち望んでいたと思われます。

そんな中で、「日本人ファースト」というキャッチフレーズはストレートに心に“刺さった”のでしょう。

6月17日、東京都練馬区の練馬駅前。街頭演説に参加していた会社員の男性(65)は、新型コロナウイ
ルス禍でワクチン接種に疑問を抱く中で参政党に関心を持ったという。
 
コロナ禍では外国人が街からいなくなったが、今や観光地は外国人であふれ、都内でも ホテル代が信じ
られないくらい値上がりしている。日本人の給料は30年間上がらず、旅行にもなかなか行けないのに…。
この男性は現状への不満を示しつつ、「外国人差別をしようっていうんじゃない。日本の政治家なら日本
人のための政治をやってほしい」と付け加えた。

また同じころ大田区で街頭演説を聞いていた会社員女性(33)は「国会の左傾化」が気になっていたとい
う。約1年前に新宿で参政党の街頭演説を聞いて「外国人優遇ばかりだ、という自分の考えと同じことを話
している」と共感した。

訪日外国人の増加によるオーバーツーリズム(観光公害)や在日外国人の近隣トラブルなどの報道に接し、
もやもやした気持ちを抱えていたという。(注4)

外国人観光客のマナーの悪さを問題視するような、真偽不明の動画が常にSNSで拡散され、私たちの目
に入らない日はありません。

6月には東京都板橋区のマンションの賃料が中国系オーナー企業によって突然2・5倍に引き上げられ、住民
が立ち退きを迫られた件がテレビや新聞などで広く報道されました。

ここで、外国人ばかりが優遇されていることの具体的な証拠はありませんし、この手の発言のほとんどはフ
ァクトチェックでは、根拠のない事柄ばかりです。

しかし、問題は、そのようなファクトチェックをいくらしても、一旦、外国人のために自分たちの生活が脅
かされている、と思い込んでいる人たちにとって、事実の確認は意味を持ちません。

いったい日本はどうなるんだろう。人々がそんな不安の渦中にあった時、「日本人ファースト」という言葉が
目に飛び込んできたのです。「その通りだ!」と共感する人が多かったのは、そういったいくつもの条件やタ
イミングが奇跡的に重なったからではないかと考えられます。

一橋大特任教授・楠木建氏は、参政党をポプユリズム政党だとみなしたうえで、同党が議席数を伸ばしたのは、
ポピュリズム選挙の戦略が、うまくはまったからだと思うと述べています。

    ポピュリズムには二つのパターンがあります。「パン」と「サーカス」です。他の政党は有権者の支持
    を得るために消費減税や給付金の支給といった目先の利益(パン)を提供しようとした。一方で、参政
    はサーカスを提供した。それが今の政治状況では目新しかったということです。

つまり参政党は、サーカスのような楽しみ、興奮を与えるエンタメを提供して成功した。「サーカス型ポピュリ
ズムとは何か。要するに、憂さ晴らしです」。

排外主義を利用したポピュリズムは古典的な手法で別に新しくないですが、「日本人ファースト」というソフト
な演目にすることで、憂さ晴らしのエンタメ性を高めた、と結論しています。

ただし楠木氏は、「ただ参政が躍進したからといって、このムーブメントが続くとは思えません。選挙のサーカ
スは、1日限りのイベントですから」と、将来どうなるかは分からない、とも述べています。

既成政党は支持基盤や支援組織のしがらみがある。一方で失うものがない新興の参政は、一発の選挙に全てを懸
けることができて、今回はうまくいった(注5)。


(注1)『毎日新聞』電子版(2025/7/22 05:00、最終更新 7/22 09:47)7.22閲覧
    https://mainichi.jp/articles/20250718/k00/00m/010/277000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhiru&utm_content=20250722
(注2)毎日新聞2025/7/22 05:00(最終更新 7/22 09:47)
    https://mainichi.jp/articles/20250718/k00/00m/010/277000c?utm_source=article&utm _medium=email&utm_campaign=mailhiru&utm_content=20250722
(注3)PRESIDENT Online 2025/07/18 17:00 7.19 閲覧
    https://president.jp/articles/-/98559?cx_referrertype=mail&utm_source=presidentnews&utm_medium=email&utm_campaign=dailymail
(注4)毎日新聞2025/7/3 05:00(最終更新 7/3 12:00)  7.5閲覧
    https://mainichi.jp/articles/20250702/k00/00m/010/119000c
(注5)『毎日新聞』電子版 2025.7.22 7.2閲覧  
    https://mainichi.jp/articles/20250723/k00/00m/010/037000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailyu&utm_content=20250723



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大木昌の雑記帳

2025-03-20 11:24:35 | 東日本大震災


政治 経済 社会 文化 健康と医療などについて,
そのとき時の私の考えをお伝えする雑記帳です。


 明治学院大学名誉教授
☆東南アジア史専攻・文化交渉史・代替医療・
☆基礎心理カウンセラー(日本メンタルヘルス協会研究コース修了)

<主な著書> 
『関係性喪失の時代』『インドネシア社会経済史研究』
『病と癒しの文化史』『稲作の社会史』 
『西側による国家テロ(訳)』『兵士になった女性たち(訳)』
『見えない水の科学ー東洋医学は訴えるー』他 
『稲作の社会史』
『インドネシア社会経済史』
『江戸期における河川舟運と流域生活圏の形成』

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温暖化と気候変動(2)―海水温の上昇と異常気象―

2024-10-08 07:24:44 | 東日本大震災
温暖化と気候変動(2)―海水温の上昇と異常気象―

昨年(2023年)の日本の夏は、これまでに経験したことがない、非常に暑い夏でした。しかし、
どうやら、暑かったのは日本だけではではなかったようです。

Nature asia誌に掲載されたJan Esperらの論文によれば、北半球の非熱帯地域(北緯30~90度
のヨーロッパなどの地域)では、2023年の夏が過去2000年間で最も暑かったという知見が報告
されています。

Jan Esperらは、さまざまな観測データを総合して、北半球の非熱帯地域の過去2000年間の6~
8月のSAT(陸地、海洋、海氷上の表面付近の気温)を分析しました。

その結果、Esperらは、北半球の非熱帯地域の2023年夏の陸地気温が、西暦1850~1900年の計
器観測による平均気温より2.07℃高かったと報告し、彼らは、温暖化を止めるためるには、その
主な原因となっている二酸化炭素(炭酸ガス=Co2)排出量を削減するための行動が緊急に必要
だと主張しています。(注1)

日本では、昨年に続いて今年(2024年)も猛暑が予測されていましたが、予測通り全国的に猛
暑となりました。

気象庁によれば、2024年7月、日本では観測史上最も暑い7月を迎えたことが分かりました。猛
暑は近年、顕著な趨勢になっています。

気象庁のデータによると、近年の日本全国の猛暑日は1970年と比べて、平均で3倍ほど増えてい
ます(注2)。

温暖化、というより地球の「沸騰化」が長的趨勢として進行中であることはすでに前回にもふれ
ましたが、去年、今年の猛暑を体験した私たちには、単に科学的なデータや理論ではなく体感し
た「実感」です。

この「沸騰化」がもたらした世界各地の異常気象について外観して見てみましょう。

気象庁は、2023年に発生した世界の異常気象(注3)によるさまざまな災害(つまり)「気候危
機」の様相を7つのカテゴリーに分け、該当する地域を示しています(図1参照)。

図1 世界の異常気象の分布

出典 (注4) 

1 高温異常: 東アジア東部およびその周辺(日本、韓国。中国を含む)、東南アジア、中国
  東部トルコ、アラビア半島、ヨーロッパ中部~西アフリカ

2 大雨: リビア、ソマリア~カメルーン、リビア

3 多雨: ヨーロッパ中部、北米中部、北米中部~南米中部、オーストラリア北部~南部

4 森林火災: ハワイ

5 サイクロン マダガスカル~マラウィ

6 少雨(干ばつ) スペイン~アルジェリア北部

地図から分かるように、何らかの気象異常気象に見舞われなかったのは、シベリアとスカンジナビ
ア半島くらいでした(注4)。
 
上記7つのカテゴリーは、異常気象の諸側面ですが、それらが単に自然現象として現れているだけ
でなく、人間社会に深刻な影響を与え、緊急の解決が必要となった場合「気候危機」と呼ばれます。

2024年の異常気象についての最終的な報告はまだでていませんが、日本では去年に引き続き、ある
いはさらに厳しい酷暑の夏を経験しました。

酷暑に加えて豪雨の被害も増えています。能登半島では今年1月に地震で大きな被害を受けたこの地
域を豪雨が襲い、多くの人命と家屋が倒壊や浸水の被害を受けています。

世界に目を向けると、カナダと北米各地における大規模森林火災、南部アフリカとソマリアの干ばつ
により食料不足で深刻な飢餓が発生しています。これら森林火災と干ばつも高温と関連しています。

そして、今年10月初頭のアメリカ・フロリダとノースカロライナの激甚なハリケーンにより、10月
4日現在、死者200人以上、行方明600人という大惨事を引き起こしています。

なお、日本ではここ10年ほど、いわゆる「線状降水帯」や「豪雨」が発生し河川の氾濫による災害
が日常化しています。

くわえて、日本の特別な問題として台風があります。その台風の威力とその被害が年々、大きくなっ
てきているように思います。

先に挙げた7つの異常気象と気候危機のうち、多くは「高温」というカテゴリーに係わるものでした。

「高温」は、空気中の二酸化炭素が増えて、それが地球を覆うため太陽から地表に降り注いだ熱が地
表に留まってしまう、いわゆる「温室効果」によって生じます。

このため、温暖化を防ぐには、石油・石炭・天然ガスなどの温室効ガスの排出量を減らし、産業革命
前の気温上昇を2度、できれば1.5度以内に抑える必要があります。

しかし実際には今後5年間で1.5度を超えてしまう可能性があるとの予測もあります(注5)。

ところで、一概に地球の温暖化といっても、それはさまざまな現象として現れます。その一つは、陸
地においては前回紹介した氷床・氷河の減少です。

もう一つは、とりわけ日本に関係のある現象は海水温の上昇です。ほかにも猛暑日や熱中症の増加、
農業に対する高温障害など、いくつもありますが、今回は海水温の上昇に焦点を当てその影響を検討
します。

というのも、日本における近年の自然災害のうち豪雨(台風を含む)が原因となっている事例がしば
しば見られるからです。

海水温の上昇という現象は、地球全体で生じています。1891年から2023年までの変化率は100年あ
たり0.61℃の上昇となっています。こうした海面水温の変動は、陸域における地上気温の変動と概
ね同じ傾向を示しています(注6)。

もちろん、上記の数字は地球全体の状況で、実際には地域によって差があることは言うまでもあり
ません。

それでも、海水温の上昇によって生じている異変はいくつかの兆候によって見られます。例えば、
モルディブでは海水温の上昇のため、73%のサンゴが死んでしまい、「白化」しています。

サンゴは海洋面積の0.3%しか占めていないのに、25%の海洋生物に恩恵を与えているから、
サンゴの減少は生態系に大きな影響を与えます(注7)。

日本では、沖縄周辺でも、主に海水温の上昇によりサンゴの「白化」が生じています。琉球大学の
研究チームの調査では浅瀬のサンゴで90%以上の白化が観測されています。ここまでひどい状態に
なっているのはデーがある中で記録にないと発表しています(注8)。

サンゴの生育温度は25度~28度とされており、30度を超す海水温が続くと死滅してしまいます。

ところが、他方で、東京湾内では、これまではところどころにしかなかったサンゴが5~6年前から
急速に広がりサンゴ礁を広げていることが確認されました。ダイバーによれば、まるで南国の海のよ
うだという。これも明らかな温暖化による海水温の上昇の影響です(注9)。

昨年の日本近海の月平均海面水温(海域1から海域10の全海域を平均)は、すべての月で平年(1991
年~2020年の平均値)より高くなりました。特に9月は平年差+1.6℃となり、10海域のうち6海域(①
~⑥)で昭和57年(1982年)以降での第1位となりました(下図)(注10)。

この海水温の上昇は温暖化によってもたらという全体

図2の図に実際の海水温を入れた図が図4となります。これらの図から、日本近海の海水温は長期的
に上昇傾向あること、そして昨年9月には27度から30度という極めて高温だったことがわかります。

               
図2 日本周辺海域の海水温         図3 日本近海の海水温の長期的上昇 

出典 (注10)

図4 日本近海の海水温(2023年3月15日) 

出典 気象庁 https://www.data.jma.go.jp/kaiyou/data/db/kaikyo/daily/sst_HQ.html

海水温の上昇は、海中の生態系に大きな変化をもたらしますが、陸上の気候へも大きな影響を与えます。

海水温が27度になると水蒸気の蒸発が始まります。こうして、まずは洋上では水分をたっぷり含んだ雲が
形成され、やがて移動して雨となって海や陸に降り注ぎます。

水分量が多ければ多いほど多量の雨を降らせます。最近の日本においてしばしば発生している線状降水帯、
ゲリラ雷雨、記録的短時間大雨、集中豪雨は河川の氾濫や土砂崩れによって、人の命を奪い人家の流失さ
せ、農作物へダメージを与えるなど、甚大な災害をもたらします。

図4からも分かるように、2023年9月(2024年もほぼ同じ)の日本近海は27度~30度という高温の海
水に囲まれていました。

つまり、日本全体が水蒸気の塊に囲まれており、いつ豪雨に見舞われても不思議ではない状態にあったの
です。

海水温の上昇はたんに大雨を降らせる竹でなく。台風の発生と発達にも関係します。

海水からの水蒸気の蒸発は上昇気流と低気圧を発生させます。その低気圧が赤道に近く海水温が高い海域
で発生し限度を超えた熱帯低気圧になると台風と呼ばれ、その一部が日本付近に到達すると、しばしば大
きな災害を引き起こします。

最後に、日本近海や周辺の海水温が長期的に上昇傾向にあることによって、大気中の水運量が増え、大雨
や豪雨に見舞われる可能性が大きくなっています。

たとえば、100年前の日本における1㎡当たり成層圏までの水分量は一升瓶39本(約70リットル)で
したが、現在はそれより2本分(4リットル弱)増えています。

このように見ると、あまり増えていないように思えますが、これはあくまでも1㎡あたりの量で、たとえば
世田谷区の面積に換算すると増加分だけで1億2400万本(2.3億リットル)となります(注11)。

つまり、一見小さな変化にみえても、地域を広げてみると大きな変化をもたらすのです。

そのように考えると、変化の最初のきっかけとなる温暖化、その主原因となる炭酸ガスの排出をできる限り
減らすことがいかに重要かが分かります。


(注1)nature asia (2024年5月15日 )
https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/14913
(注2)Greenpeace (2024年09月09日 Greenpeace.org/japan/news/heatwave-in-japan/#heading
(注3)異常気象の詳しい説明は、Jbress.ismedia (2024.10.3) 
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/83516?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_
content=top#google_vignette を参照。
(注4)気象庁 ホームページ 世界の異常気象 2023
https://www.data.jma.go.jp/cpd/monitor/annual/annual_2023.html
(注5)『国際農研』(2023年5月23日) https://www.jircas.go.jp/ja/program/proc/blog/20230523
(注6)気象庁 令和6年2月15日気象庁発表 https://www.data.jma.go.jp/kaiyou/data/shindan/a_1/glb_warm/glb_warm.html
(注7)『地球クライシス気候危機転換へのみちしるべ。激変する海』BS朝日 (2024年9月29日)
(注8) World Diving(2024年最新版)https://www.owd.jp/weblog/diving-joho/okinawa- sango-hakuka/
(注9)『朝日新聞』電子版(2024年9月28日 16時00分 https://www.asahi.com/articles/ASS9T11P0S9TUTIL02GM.html
(注10)『気象庁』https://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/hakusho/2024/index1.html
(注11)(注7)を参照。



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2024年アメリカ大統領選 ―トランプのクリスチャン・ナショナリズムとバイデンの誤算―

2024-07-23 07:34:38 | 東日本大震災
      2024年アメリカ大統領選
  ―トランプのクリスチャン・ナショナリズムとバイデンの誤算―

2024年7月18日、中西部ウィスコンシン州ミルウォーキーで開かれた共和党大会最終日に、11月の次期
大統領候としてドナルド・トランプ前大統領(78)が指名され、彼はそれを受諾するというセレモニーが
行われました。

今回の党大会は、最初から一種、異様な熱気というか雰囲気が漂っていることが、映像をとおしても感じ
られました。

というのも、これに先立つ7月13日、米東部ペンシルベニア州バトラーで演説中のトランプ前大統領を
ライフル銃で狙撃され、それ以後公衆のまえで演説をする初めての機会だったからです。

そのトランプがどんな口調で何を言うのか、聴衆は固唾を飲んで待ち構えていました。そしてトランプが
登場すると、聴衆はUSA USAの大合唱だった。

そして、トランプの指名受諾演説は、意外にも静かな口調で、つぎのように切り出しました。

   私は今夜、年齢、性別、民主党、共和党、無党派、黒人、白人、アジア系、ヒスパニックを問わず、
   すべての国民に忠誠と友情の手を差し伸べる。
   ・・・・
   私たちの社会の不和と分断は癒され早く治さなければならない。アメリカ人として、私たちはひと
   つ の運命と共通の宿命によって結ばれている。共に立ち上がるかバラバラなるかだ。
   私はアメリカ全体の大統領となるために立候補している。アメリカの半分のためではない。なぜな
   ら、アメリカの半分が勝ってもそれは勝利ではないからだ。
     だから今夜私は信念と献身と誇りを持って合衆国大統領候補の指名を受諾します。

と述べ、不和と分断を修復し、アメリカが一体となるべきだ、と団結と結束を訴えました。

そして、銃撃事件に関しては、
    土曜日に私の集会で起きた暗殺未遂の後の、あふれるような愛と支援について米国民に 私の感
    謝を示すことから今晩を始めさせてほしい。
    皆さんが既に知っているように、暗殺者の弾丸はあと4分の1インチ*で私の命を奪うと ころだ
    った。(* 1インチは約3センチ)

    ヒュンという音が聞こえ、右耳に何かが非常に強く当たったのを感じた。いったい何だ?と自分
    に問うた。それは弾丸でしかあり得ない。右手を耳にやると、手が血で覆われていた。
    すぐに身を伏せた。勇敢なシークレットサービスが私を守るために覆いかぶさった。

そして、このように言葉を継いだ。

    そこら中に血が流れていたが、ある意味で私は非常に安全だと感じていた。神がそばにいたか
    らだ。銃撃の前に私が頭を動かさなかったら、私はここにいなかった。
    私がこのアリーナで皆さんの前に立っているのは、全能の神の恵みのおかげだ。そのような凶悪
    な攻撃にもかかわらず、我々は今晩、より断固として団結している。

この部分でトランプは、自らを神格化させています。それは、トランプの熱烈な支持者の多くが、キリス
ト教の福音派(聖書に書かれたイエスの言葉を一字一句そのまま信じる信仰生活をする人たち)であり、
こうした言葉が、福音派の人びと訴える力をもっていることを十分意識していたからです。

事実問題として、耳(実施には耳たぶ)を弾丸が貫いたということは、数ミリ内側に寄れば脳に命中し、
命が失われたかもしれないのです。

いつもと違う静かな語り口調に聴衆はくぎ付けとなり、会場は「宗教的な雰囲気に包まれた」(ニューヨ
ーク・タイムズ)という。

この時、聴衆の中には、銃弾によって傷ついたトランプと同じ右耳にガーゼを当てている人もいました。
そして、中には泣いている人もいました。

「神の御加護によって命を救われた」トランプは、もはや普通の大統領候補ではなく、神に使わされた特
別な存在に神格化されたのです。極端に言えば、信心深い福音派の人にとってトランプは「神」になった
のです。

間もなくネット上にはトランプの背後にイエス・キリストが立ち、両手をトランプの肩に置いている画像
がアップされ、それが瞬く間に拡散されました。

こうした雰囲気のなかで、「アメリカをもう一度偉大な国に」(Make Amerika Great Again)、そして「アメ
リカ・ファースト」というフレーズは多くの共和党支持者の心に訴えたことでしょう。

今回の共和党大会では、トランプの「クリスチャン・ナショナリズム」的な色彩が強く出ました。

この後のスピーチは、またいつものトランプ節に戻り、大統領になったら初日に二つのことをする、と宣
言しました。一つは石油の増産(電気自動車の推進を否定)で、ふたつは国境問題(違法移民の徹底的な
排除)です。

そのほかでは、世界が「第三次世界大戦の瀬戸際に立たされている」としたうえで、ロシアによるウクラ
イナ侵攻やパレスチナ自治区のガザでの戦闘などを「一つ残らず終わらせる」とも述べました。

ただトランプは、誰もが想定したバイデンに対する批判は控えめで、演説中「史上最悪の大統領」と呼ん
だ一回だけでした。

襲撃に続く、党大会でのスピーチで、共和党内部の結束は固まり、党員のトランプ支持が強まったことは
間違いありません。

しかし、そのことと、それまでトランプ支持ではなかった有権者が新たにトランプ支持に動いたのかは分
かりません。

南山大学の花木亨教授は、「既存の支持者たちを安心させたかも知れないが、新たな支持者の獲得へとつ
ながるものではなかっただろう」と述べています(『東京新聞』2024年7月20日)。

しかし、いくつかの世論調査では襲撃後、トランプの支持率はバイデンのそれを上回っていた。たとえば
マサチューセッツ州のエマーソン大学が7月18日に発表した世論調査では、3月の調査と比較して、大統領
選の7つの激戦州(ミシガン、ウィスコンシン、ペンシルベニア、ネバダ、アリゾナ、ジョージア、ノース
カロライナ)のうちミシガン州を除く6州でトランプが1~2ポイント支持率を伸ばした。一方、バイデンの
支持率は全7州で1~4ポイント減少した(注2)。

そして、全米における両氏の支持率はトランプ氏が44%とバイデン氏(38%)を6ポイント上回った。

またReal Clear Polling が18日に発表した支持率を見ると、全米でトランプが47.7%、バイデンが44.7%
でした、そして、激戦州7週すべてで、トランプの支持率が増加していた。

これらの数字から見ると、やはりトランプに追い風が吹いていると考える方が自然です。

それでは、民主党陣営のバイデンはどうでしょうか?

ことさらバイデンの高齢を揶揄しなくても、これまでトランプとのテレビ討論会で、言葉に詰まったり、
国連の場でゼレンスキーとプーチンの名を間違えたり、さらに自ら指名したハリス副大統領をトランプと
言い間違えたりと、かなり致命的な失態を犯してしまっています。

加えて、飛行機に乗る際に重い足取りで一歩一歩タラップを上って行ったかと思うと、途中でつまずいて
しまったり、というように、いかにも老化が進んで、果たして今後4年間、アメリカ大統領という激務を
こなせるのか不安をいだかせる場面が、繰り返し映像で映し出されています。

こうした事態に危機感をいだく、民主党内ではバイデンが大統領選に出馬することを辞退するよう説得に
かかっていました。

7月11日と13日には民主党上下両院のトップが直接面談し、撤退を進言しました。また、同時にペロシ元
下院議長も何度か電話で世論調査を元に撤退するよう説得してきたようです。

そして、最後にオバマ元大統領が「勝利への道は大きく狭まっている」と、事実上、立候補しても勝つ見
込みがないことを言い渡しています。

バイデンはこれまでも身内の共和党議員から撤退を進言されてきましたが、あくまでも立候補してトラン
プと戦うと撤退を拒否してきました。

その背景には、バイデン・ファミリー、とりわけジル夫人の強い後押しがあったようです。

しかし、18日の「アクシオス」によれば、バイデンは「カマラで勝てると思うか」と周囲に語っており、
ひょっとすると今週末に撤退を決断するのではないか、との観測も出ています。

そしてその観測どおり、バイデン大統領は7月21日(日本時間22日午前3時前)に、ついに大統領選挙か
ら撤退すること、代わりにカマラ・ハリス副大統領を推薦すると発表しました。

ところで、バイデンがここまで大統領選へこだわった背景にはいくつかの誤算があったように思います。

第一は、トランプは幾つもの裁判を抱えており、立候補できるかどうかも不確かだし、たとえ立候補で
きても裁判で敗訴すれば支持は減るだろうという読みです。

たとえば今年の5月に不倫の口止め料をめぐって業務記録を改ざんした罪に問われた裁判で有罪の評決
が下されました。しかし、それでも事態はあまり変わりませんでした。

第二は、「シオニスト」を公言するバイデンは、ガザでイスラエルが行っている大量虐殺にたいして武
器と経済援助を続けており、これに対して多くの若者やリベラルな人びとの反バイデンに追いやってし
まったことです。

反バイデンといってもトランプへ投票するとは思いませんが、こうした人たちが投票に行かないだけで
もバイデンにとって大きな痛手になることを真剣に考えていないようです。

第三は、民主党には自分より強力な候補者はいない、自分にはこれまでの実績があり、まだまだトラン
プに対抗できるだけのという強い思い込みです。

前回、バイデンが大統領で勝った2020年、自分は次の世代への橋渡し(ブリッジ)になる、と言ったは
ずです。

副大統領にカマラ・ハリスを任命したのも、次の民主党政権を彼女に託すつもりだったと思われます。

私は、これでいよいよ女性の大統領が誕生する日も近い、と期待していました。

しかし、バイデンは大統領に就任すると、もう一期続けたいとの欲望が強くなったのではないだろうか?

悪く解釈すれば、自分への挑戦者にはならないように副大統領のハリスを処遇するように変わったのでは
ないか、とも考えられます。

もし、本気でハリスを育てようという気があったら、彼女をもっと日の当たるポジションにつけるべきな
のに、わざわざ不人気な移民問題を担当する仕事に就かせたのではないか、との疑念が消えません。

実際、ハリスはこの4年近く、あまり目立たない、そして評価が高くないまま今日まで来ています。

日に日に強まる撤退への圧力にもかかわらず、バイデンは2日前までは、週明けからの選挙活動を楽しみ
にしていると語っていましたが、日本時間22日の午前3時ころ、ついに選挙戦からの撤退と、代わりの候
補としてカマラ・ハリスを強く推薦する、と発表しました。

バイデンに撤退を決断させた大きな理由は、これこそ本当に予期しない「誤算」でしたが、13日のトラン
プ襲撃事件の後、トランプは神格化され共和党大会では圧倒的な勢いが示されたのに、バイデンは討論会
の失敗、肉体の衰え、おまけにコロナに感染、という悪条件が重なり、トランプとの選挙戦に勝つ自信が
無くなったことでしょう。

それでは、バイデンが誰を候補者に立てるのか、という問題ですが、現在バイデンが推薦するハリスのほ
かに2人、有力な候補者がいるようです。

私の個人的な意見では、時間的な猶予を考えれば、カマラ・ハリスを置いて他にいません。

しかもハリスは黒人・アジア系で女性で、黒人やヒスパニック系、アジア系のアメリカ人の票を獲得する
可能性があり、さらに争点として共和党が強く反対している妊娠中絶を認めることを訴えれば、多くの女
性票を取り込むことが期待できます。

現在は、ハリスとトランプの支持率の差はわずか2%ですが、11月の投票まで、どうなるか分かりません。
その前に8月に民主党大会で誰を民主党の候補にするかが目下最大の問題です。


(注1) スピーチの動画はさまざまなサイトでみることができますが、たとえば『日経新聞 電子版』
    (2024年2024年7月19日 14:57 (2024年7月19日 20:02更新) https://www.nikkei.com/article/DGXZ
    QOGN192K20Z10C24A7000000/ を参照。
(注2) 「ビジネス短信」(Jetro)2024年07月19日https://www.jetro.go.jp/biznews/2024/07/e2d433ccddb34e97.html
(注3) BSTBS 『報道 1930』(2024年7月19日)

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広島G7サミット(3)―岸田首相の誤算と外交的失敗―

2023-06-08 07:28:12 | 東日本大震災
広島G7サミット(3)―岸田首相の誤算と外交的失敗―

2023年5月19日から21日まで広島で開催されたG7サミットに関して主要な
メディアは、おおむね議長の役割を担った岸田首相を評価していました。自民党内
では、大成功とたたえ、さっそく総選挙に打って出るべきだ、との意見が出るほど
のはしゃぎぶりです。

しかし私はまったく逆に、岸田外交は広島G7では誤算と外交的な失敗だったので
はないかとの印象をもっていました。

そんなな中で、小倉健一氏(イトモス研究所所長)の「『中国だけが笑っている』
G7の外交的敗北で主体性ゼロの日本はどこまでも堕ちていく」と題するレポート
は、非常に説得力があり(注1)、筆者も同感です。

その理由を、以下、(1)「核なき世界」という理念はどの程度世界にアピールで
きたか、(2)軍縮への呼びかけはG7の総意となったか、(3)影の主役であっ
た中国封じ込めは成功したか、(4)グローバルサウスの抱き込みに成功したか、
の4点から検証してみましょう。

まず、(1)の「核なき世界」のアピールですが、これは前回も指摘したように、
核軍縮に特化した「広島ビジョン」では、ロシアの核保有だけを厳しく攻撃する一
方で、G7の米英仏の核保有は抑止力として必要であることを認めさせられたこと、
「首脳宣言」においても核軍縮にはごくわずかふれているだけで、真剣な討論はな
かったこと、原爆資料館本館視察は米英仏に押し切られて秘密にされたことなどか
ら、結局、岸田首相の意気込みとは逆に、客観的にみれば岸田首相は米英仏の圧力
に押され、外交的には失敗でした。
 
日本はアメリカの核の傘の下にいながら「核なき世界」を唱えるという根本的な矛
盾を抱えており、いかに岸田首相が意気込んでも、そこには自ずと限界があります。

(2)の軍縮への呼びかけですが、これは、ウクライナとロシアとの戦争に関連し
て、これからもウクライナへのゆるぎなき武器支援を一致団結しておこなってゆく
ことが、「首脳宣言」に盛り込まれています。

G7のうち英仏独のヨーロッパ諸国にとって、陸続きのウクライナでの戦争は、自
分たちにも類が及ぶ可能性があり、彼らがウクライナへの支援を強化し、ロシアに
対して強硬な姿勢を打ち出したことは、ある意味自然かもしれません。

だからこそ、フランスは政府専用機を用意してゼレンスキー大統領を日本に運び、
サミット会議で、ウクライナ問題を主要な課題としようとしたのです。

しかし、ウクライナから遠く離れた日本が、G7の他の国に完全に同調してしまっ
たのは、今後の日本外交の選択肢を狭めることになってしまいました。

これに対してG7にも中ロにもつかないことを外交の基礎としている「グローバル
サウス」の多くは、ウクライナ支援にもロシアへの経済制裁には反対の立場です。

ブラジルのルラ大統領は、「ウクライナ問題はロシアと敵対するG7の枠組みではな
く国連で議論すべきだ、とG7を批判しました(注2)。

さらに彼は「我々は戦争について話し合うためにここに来たのではない」とも、G
7の姿勢を批判しています(3)。

日本が、はっきりと反ロシア、ウクライナ支持に踏み切ったことで、今後、G7以
外の国々や「グローバルサウス」の国々への説得力を失うことになりました。

(3)日本「中国封じ込め」戦略は成功したか。これは残念ながら、不発におわり
ました。

英・仏・独、イタリアおよびEUにとって、目下の最重要の問題がウクライナでの
戦争の終結であるとすれば、日米にとってはむしろ、中国との経済的・政治的・軍
事的脅威をいかに抑え込むか、が最大の関心事でした。

もちろん、アメリカもウクライナへの最大の軍事支援国でウクライナ問題を重要案
件ですが、長期的には中国とどのように対峙し封じ込めるかも、それに劣らず重要
な関心事のはずです。

日本にとって中国は、アメリカ以上に経済的にも軍事的にも最も強固なライバルで
あり、岸田首相は、アメリカと一体となって中国を封じ込めるメッセージを発した
いところでした。

このためG7サミット後に、日・米・豪・インドの四カ国による中国封じ込めの枠
組み、クアッド会議がオーストラリアで大々的に行われる予定でした。

クアッドは、米国とオーストラリア、日本という中国に強い懸念を持つ3カ国に、さ
らにインドを加えて、中国の封じ込めが共通の利益となるという枠組みです。

しかし、米国の債務上限問題があり、バイデン大統領は急遽帰国する必要が生じたた
め、オーストラリアでの首脳会談は中止となってしまいました。これは、日本にとっ
て特に力を入れていた事項だったので、不運であったかもしれません。

このため、広島に集結していた四カ国の代表がG7の日程の中で日・米・豪で50分
間のごく短期間で行われただけでした。

その結果をまとめた「日米豪印首脳会合共同声明」では、「東シナ海・南シナ海へ
の進出を強める中国を念頭に、インド太平洋における力や威圧による一方的な現状
の試みに深刻な懸念を表明し、強く反対」すると謳われています。

また、「首脳声明」では上の文言に「法の支配に基づく『自由で開かれたインド太
平洋』の重要性」が加えられています(注4)。

しかし、両声明にはなんら新しいことはなく、従来の主張を繰り返しただけでした。
日本にとって誤算だったのは、クアッドメンバーの共同声明に「中国」という文言
を入れることができなかったことです。

インドは、中国を心の中では封じ込めたいとしているものの、中国とは国境を接し
ていて、軍事的緊張を高めたくないという思惑をもっています。他の日米豪は、こ
のインドに中国封じ込めの輪に加わってほしいと願い、あの手この手を用いて籠絡
(ろうらく)しようとしているのが現状なのです(注5)。

しかし、これまでのところ、成功した兆候はりません。いずれにしても、岸田首相
の中国封じ込めの意図は空振りに終わったのです。ただ、この空振りよりも、日本
の外交戦略にとってもっと深刻なダメージがありました。

それは、G7におけるアメリカの影響力の低下がはっきりしたことでした。

田中 均氏(日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問/元外務審議官・政策・マーケ
ットラボ)は、「G7サミットを象徴するバイデン大統領の“影の薄さ”  日本の
『ポスト広島』外交課題」と題する論考で、つぎのように述べています(注6)。

    かつて(米国 筆者注)は圧倒的な軍事力と経済力を背景に一国主義と言
    われるほど自己主張を通す傾向があったが、今回のサミットでは協調姿勢
    に終始し、対中国政策では欧州主導のデリスキング(過度な依存の回避)
    が打ち出された。
    また気候変動やエネルギー問題だけでなく経済安全保障でも、インド、ブ
    ラジルなどのグローバルサウス諸国との関係づくりや連携強化が図られる
    など、広島G7サミットは国際関係の構造変化を如実に映し出した。

実際、「首脳声明」をみると、日本が期待していた中国への厳しい態度は影を潜め、
以下のような、妥協的な文言に終始しています。

    中国と率直に関わり、建設的かつ安定的な関係を構築する用意がある。
    中国に危害を加える意図はない。デカップリング(経済切り離し)をせず、
    内向きになることもない。重要なサプライチェーン(供給網)における過
    度な依存を減らす。
    世界経済をゆがめる中国に対処する。違法な技術移転やデータ開示などの
    悪質な慣行に対抗する(『東京新聞』2023年5月22日)。

上記の文章の特に前段に見られるように、アメリカを含む日本以外のG7国は、一
応中国への警戒心を表明しながらも、中国との対決姿勢よりも、安定的関係を構築
してゆこうとしています。

ヨーロッパ諸国は中国から遠く、中国の脅威はあまり感じておらず、むしろ経済的
利益を得ようとする意図を露骨に表明しています。

特にフランスのエマニュエル・マクロン大統領は、中国との関係改善に意欲的で、
4月の訪中時に欧米メディアが行ったインタビューに対して、以下のような発言を
し、波紋を呼びました(注7)。

    欧州は台湾問題に関して米中対立に巻き込まれてはならず、戦略的自律性を
    維持しなければならない。
    われわれ欧州は台湾問題に関し、米国に追随したり中国の過剰反応に巻き込
    まれたりしてはならない。われわれの危機でないものに関わることは欧州に
    対して仕掛けられたワナであり、それにはまることがあってはならない。
    欧州は戦略的自律性を高めなければならない。

岸田首相にとって誤算だったのは、アメリカだけは日本と歩調を合わせて中国との対
決姿勢を示してくれるものと思い込んでいたのに、その期待が無残にも裏切られたこ
とでした。

ウクライナの戦争に関しては、「我々は、中国に対し、ロシアが軍事的侵略を停止し、
即時に、完全に、かつ無条件に軍隊をウクライナから撤退させるよう圧力をかけるこ
とを求める。我々は、中国に対し、ウクライナとの直接対話を通じることも含め、領
土一体性及び国連憲章の原則及び目的に基づく包括的、公正かつ永続的な平和を支持
するよう促す」と、中国頼みのラブレターにも似たメッセージとなっています。

ロシアと仲が良いものの、そこまで肩入れせず、ウクライナとも良好な関係を続ける
中国に何とか仲裁に入ってもらえないものかという、すがるような思いが込められて
いるようだ。

冒頭に触れた小倉氏は、最後に、
    世界が中国に土下座せんばかりの声明を日本がまとめるというのは、外交的
    敗北以外の何物でもない。ウクライナ戦争が始まって、日本は西側諸国に追
    随するだけの外交となった。追随するだけなのだから失敗もないが、日本の
    プレゼンスは、各国へする莫大な援助額と反比例するように落ちていく」と、
岸田外交に手厳しい(同上)。

実際、最近の中国は日本を「アメリカの戦略的従属国」と呼んで憚りません(注8)。
総じて言えば、今回の広島サミットでの岸田首相は誤算と外交的失敗に尽きると言え
るでしょう。

それでも自民党内では今回のG7サミットは大成功で、国民的評価が高いうちに総選
挙に打って出るべきだ、という声が上がるほどのはしゃぎぶりです。

日本の将来が危ぶまれます。


(注1)DIAMOND Online(2023年6月3日 5:07) https://diamond.jp/articles/- /323926?utm_source=wknd_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20230603
(注2)Yahoo News (2023年5月22日)  https://news.yahoo.co.jp/articles/5b9d22c1f9a337a6ed721e1da7b1dadaab24680d
(3)『朝日新聞』電子版 (2023年5月23日 5時00分)https://www.asahi.com/articles/DA3S15643027.html
(4)『NHK NEWS WEB』2023年5月21日 0時40分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230521/k10014073731000.html;(注1)の 記事。
(注5)(注1)と同じ。
(注6)DIAMOND Online (2023.6.2 5:15) https://diamond.jp/articles/-/323795 
(注7)(注1)と同じ。
(注8)BUSINESS INSIDER (Mar. 24, 2021, 06:25)
https://www.businessinsider.jp/post-231832



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ウクライナ戦争のもう一つの真実―国連と戦争―

2023-01-22 10:22:06 | 東日本大震災
ウクライナ戦争のもう一つの真実(1)―国連と戦争―

ロシアによるウクライナ侵攻から、来月で1年が過ぎようとしています。この間の“戦況”
については主として西側、特にアメリカとイギリス、から流される映像やニュースが世界
でも日本でも連日流されていいます。

そして、私たちの関心も、今日の戦況はどうだったか、といった側面ばかりに向かってし
まいます。

しかし、この戦争がどのように決着するかについて、誰も確定的なことは言えません。

ただ、報道で伝えられる日々の“戦況”をみれば、欧米から供与された近代兵器が、ほぼ絶
え間なくウクライナに供与されているのに対して、ロシアの武器弾薬は今までのストック
がなくなれそれで戦闘能力を失うわけで、ロシアの不利は明らかです。

もっとも、この“戦況”も、本当に事実を伝えているのかどうかは分かりません。というの
も、戦時における情報は基本的に“情報戦”の一部で、しかもその情報源はウクライナ自身、
あるいはアメリカかイギリスです。そこでは自分たちの戦果は大きく、損害は小さく報じ
るのが常だからです。

そして、ウクライナからすれば、世界の同情を買うようにロシアによる軍事攻撃の被害は、
大々的に報じます。

それにしても、ロシアの一方的な侵攻は決して許されるべきではないし、まして発電所の
破壊や民間人を標的にしたミサイルによる攻撃は、もっての外です。

この点で、ロシアには弁明の余地はありません。一方のウクライナには祖国を守るという
戦う正当性があります。

それでは、プーチンは絶対悪で、ウクライナを支援する、アメリカを盟主とするNATO
は絶対善である、と言っていれば、この問題はそれで全てを語ったことになるのでしょう
か?

そして、日本がNATOと一緒になってウクライナ支援を実行し、ロシアの制裁に加わっ
ていればいいのか、という問題になります。

私には、問題はそれほど単純明快ではないと思えます。今後の戦争の推移や結果について
考える前に、何点か整理しておく必要があります。

まず、ウクライナ戦争(正確には「ロシアのウクライナ侵攻」)を非難するNATOや日
本を含むその他の国がその主な根拠として挙げているのは次の2点です。いずれも国連憲
章と国連における決議に依拠しています。

一つは、「力による国境の変更は認められない」というものです。日本政府もこの点を繰
り返し述べています。

それでは、トランプ米大統領が2019年3月25日、イスラエルが占領しているシリアのゴラ
ン高原に対するイスラエルの主権を承認する文書に署名をしています。これは、4月9日の
イスラエルの総選挙を前に、ネタニヤフ首相を援護する意図から出たものであろう、と考
えられています。

周知のように、ゴラン高原は、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領しました。こ
れに対して国連安保理決議242は、「最近の紛争で占領された領土からのイスラエル軍の
撤退」、「地域のすべての国の主権、領土的一体性、政治的独立を認めること、彼らが武
力の威嚇と行使から自由で、安全で承認された国境内で平和裏に暮らす権利を持つことを
認めること」を呼び掛けました。

いずれにしても、安保理決議242が1967年以降のすべての和平交渉の基礎になっていた。
 
トランプは、「イスラエルの安全保障のため」ということで、国連決議と上記の経緯を全
く無視してゴラン高原へのイスラエルの主権を承認したのですから、これは驚愕させられ
る事態でした。

このようなことを米国は法的にできる権限があるのか、安保理決議に違反しないでこのよ
うなことができるのか疑問である上、力による国境変更の是認が今後の国際秩序に与える
衝撃、危険がとても危惧されます。

何よりも、米国は自ら賛同した安保理決議242、イスラエルによるゴラン高原併合非難決
議など多くの決議に違反して反故にし、また力による国境の変更を認めたことを意味しま
す。

これにより米国は無法者として立ちあらわれることになります。というのも、力による国
境の変更を認めないというのが戦後世界の大原則であるから、アメリカはその大原則をひ
っくり反したことになります。

当時から、もしイスラエルのよる国境変更が認められるなら、全世界的に大きな問題を引
き起こすだろう、と言われていました(注1)。

実際、アメリカやNATOがロシアのクリミア併合を非難する論拠も失われてしまい、逆
に、クリミアだけでなくその他のウクライナの、いわゆる“ロシア領”への編入も正当性を持
つことになります。

イスラエルやアメリカがやっていることは、正義でたとえ国際ルールを無視しても批判はし
ない、というのはどう考えても認められません。

これにより、ロシアのクリミア併合を非難する論拠も失われてしまいます。さらに、当時か
ら、もしイスラエルのよる国境変更が認められるなら、全世界的に大きな問題を引き起こす
だろう、と言われていました(注2)。

今回のウクライナ戦争に関してロシアが安保理で反対しているので国連は正しく機能してい
ない、だからロシアを常任理事国から追放すべきだ、という主張をする人たちがいます。

これに関して、付言しておくと、アメリカもこれまで自分たちの意向に沿わない案件には
拒否権を繰り返してきたことを忘れてはなりません。国連でのイスラエルの非難決議やゴ
ラン高原の返還に関する決議は安保理常任理事会でことごとくアメリカの拒否権によって
否決され今日に至っています。

ロシアによるウクライナ侵攻と国連との関係でしばしば取り上げられるもう一つの問題は、
国連憲章における「先制攻撃の禁止」の問題です。

ロシアによるウクライナ侵攻は、明らかに国連憲章の上でも国際法においても禁止されて
いる「先制攻撃」になります。

日本政府の公式の見解は、平成29年の衆議院における、野党の質問に対する答弁書に示
されています(注3)。

平成二十七年五月二十七日の衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員
会における御指摘の安倍内閣総理大臣及び岸田外務大臣(当時)の答弁は、
    国際連合憲章(昭和三十一年条約第二十六号)上、自 衛権の発動が認められる
    のは、武力攻撃が発生した場合であることから、何ら武力攻撃が発生していない
    にもかかわらず、いわゆる「先制攻撃」や「予防攻撃」を行うことは、国際法上
    認められないことを述べたものであり、これらの答弁において示された政府の見
    解に変更はない。
                    内閣総理大臣 安倍晋三

それでは、アメリカ合衆国が主体となり、2003年3月20日からイギリス、オーストラリアと、
工兵部隊を派遣したポーランド等が加わる有志連合による先制攻撃について考えてみよう。

この攻撃は、イラクが大量破壊兵器を保持しており、その武装解除義務が進展していないこ
とを口実としてイラクへ侵攻したことで始まった軍事介入です。

この戦争は、まず、イラクが大量破壊兵器を保持している、というアメリカの一方的、根拠
のない、かつ虚偽の言いがかりによって始められた戦争です。

イラク攻撃を正当化するために当時のコリン・パウエル国務長官は国連安全保障理事会で、
イラクが大量破壊兵器を保持していることを訴えました。

この演説はブッシュ大統領(当時)の意向に沿ったものでしたが、彼は最初から懐疑的で、
後年、国連での演説をとても後悔していました(注4)。

それでも彼はテレビカメラの前で、これがその製造に使われた機械の一部である、と見せ
ましたが、それはどこにでもある塩ビ管のようなちゃちなものでした。

CIAの必死の探索にも関わらず大量破壊兵器はついに見つかりませんでした。この事実
は当然、ブッシュ大統領に報告していたはずですが、彼は無視して先制攻撃に踏み切りま
した。

ここで確認しておきたいのは、イラク側から何の攻撃もしていなかったにもかかわらずア
メリカは先制攻撃を行ったことです。

そして、国連の安全保障理事会でも結局攻撃の正当性と合法性が認められず、国連軍とし
てではなく「有志連合」という形をとらざるを得なかったことです。

今回のロシアも国連による正当性は認められない軍事侵攻ですが、アメリカの軍事侵攻に
関しては国連の場での非難決議も、制裁も全く問題にされませんでした。

つまり、軍事力の強大なアメリカの行うことには国際社会は黙ってしまう、という現実が
あります。

このように考えると、日本を含めてアメリカに追随した国々は、ロシアを非難する資格が
あるのだろうか、と疑問を感じてしまいます。

ちなみに、日本はイラク戦争に関して当時も現在も、アメリカの不当性を非難することな
く認めています。本当に、これでいいのでしょうか?


(注1)『「力」による国境変更を認めたトランプの愚』岡崎研究所(2019年4月12日)2023年1月17日閲覧。
   Wedge Online https://wedge.ismedia.jp/articles/-/15833
(2)『朝日新聞』電子版(2018年6月2日)https://www.asahi.com/articles/ASL622F4CL62UHBI00B.html
   『日本経済新聞』電子版(2018年6月2日)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31301890S8A600C1000000/
(注3)衆議院における答弁書 (平成二十九年十二月十五日)https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b195088.htm
(注4)CNN 2021.10.21 Thu posted at 20:30 JST  https://www.cnn.co.jp/usa/35178335.html


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検証「岸田首相」(1)―就任から選挙までの相次ぐ後退と変節―

2021-10-18 11:34:19 | 東日本大震災
検証「岸田首相」(1)―就任から選挙までの相次ぐ後退と変節―

自民党の総裁選を経て10月4日、岸田文雄氏(以下敬称略)が首相に就任し、さっそく
閣僚を任命して、ここに岸田内閣が発足しました。

本来な、岸田政権の本質的な問題について検討すべきですが、なにしろ発足後すぐに衆議
院を解散し、総選挙を強行するので、取り敢えずはここまでの経緯と選挙に向けての岸田
首相とその政権の姿勢について書きます。

その10日後の10月14日、岸田首相は、憲法7条を根拠に衆議院を解散し、衆議院の
任期満了となる21日を一週間前倒しして、17日告示、31日投開票日で衆議院総選挙を
行うことを決定しました。

これは、いわゆる「7条解散」と言われる解散で、参考までに解散に関する7条のうち解
散に関する部分を、示しておきます。
   天皇は内閣の助言と承認により、国民のために左の国事行為に関する行為を行う。 
   三 衆議院を解散すること
これだけです。ここで、問題となるのは、これまで自民党政権は、これを「首相の専権事項」
つまり首相は自由に解散できると勝手に拡大解釈してきましたが、これにはこれまでも憲法
学者から、憲法の精神を歪める、憲法違反の疑いさえある、との意見が出されてきました(
『東京新聞』2017年9月24日)。

なぜなら、何が「国民のため」なのか、が規定されていないため、実際には、これまで自民
党は、自分たちにとって有利になるような状況で合理的な理由も説明もなく衆議院を解散し、
総選挙を行ってきました。今回は、特にそれが極端な形で強行されました。

ここで解散について、少し長く書きましたが、これは今回の岸田首相の政治姿勢を考える上
で参考になるからです。

まず、首相就任後10日後に解散というのは戦後最短で、これまでの最短記録は第一次鳩山
内閣(1954年)です。ここには、彼の強引さといういか独断専行的な面が出ています。

国会の場での本格的な議論も行わず、具体的な政策の実績も全くないないまま、国民は、い
わば文字で書かれた メニューだけを見せられて、投票しなければならない、という状況に
追い込まれています。

では、なぜ、岸田首相は、解散に踏み切ったのでしょうか。一つには、これまで総裁選期間
に、メディアは連日、立候補者の見解や票読みなどの予想を伝えてきましたので、自民党へ
の関心が高く、野党がその陰で埋没してしまった感があります。

この勢いをそのまま維持して、選挙に臨めば政権にとって有利であるとの読みがあったと思
います。

二つは、国民の間で非常に不人気な菅前首相のイメージを一刻も早く払しょくして、新生自
民党の印象が強いうちに選挙をやってしまおう、という意図が感じられます。

三つは、以下にくわしく述べるように、岸田氏自身の方針が、当初よりずいぶん変わってし
まっているので、そこを追求される国会、特に1問1答の予算員会を開くことを避けるため
にも、早々と解散総選挙に打って出ようとする目的もあったでしょう。

これと関連して、岸田新内閣には、国会を開かないまま選挙に突入したい事情があります。
新内閣の閣僚20人のうち13人は閣僚経験がありません。もし、一週間でも国会を開くと、こ
れらの新閣僚が答弁でボロを出してしまうことを避ける意図もあったかも知れませ。

いずれにしても、組閣後10日で解散総選挙を強行した岸田氏の姿勢には、“「聞く力」こそ
が武器だ”、と言ってきたのに、聞かれることを避けようとしているとしか思えません。

以上、長々と総裁選から今までの岸田氏の動きを書いてきましたが、それは、岸田文雄とい
う政治家は、外見や物言いや物腰は、安倍前首相とはちがって穏やかな印象を与えますが、
実際にやっていることは、かなり強権的、かつ“ずるさ”もある政治家であることを確認して
おきたかったからです。

これとは全く別に、永田町の官僚の間では「激怒はしないけど静かにキレてる感じがする。
本当に怖い親分って、こんな感じなのかね」。穏やかさを売りにしているように見えるが、
実は強面の一面もあるようだ。まったく同感です(注1)。

また、早大時代から40年以上の友人の岩屋毅(早大政経学部卒。衆議院議員)は岸田氏を、
「昔から自己主張する人ではなく、人の話をよく聞く。ガツガツしたところはない紳士。
新しい宏池会のプリンスという育てられ方をされ、謙虚で誠実な人柄でそつなくこなして
きた感じです」と述べています。ここには「人の話をよく聞く」という評価もありました
(注2)。

現在の官僚の「強面」評の一方で、昔から「謙虚で誠実」「人の話をよく聞く」という点
は、協調性や柔軟性と同時に、人の意見に左右されやすい性格をも合わせもっていること
も示唆しています。

このことは、総裁選から所信表明演説、14日に行った記者会見、そして選挙向けの自民党
の公約までの間に、彼の方針がどれほど変わっていしまったかを見れば一目瞭然です。

 総裁選での主張                自民党の公約
 1.令和所得倍増                 記載ナシ
 2.金融所得課税の強化              記載ナシ
 3.子育て世帯への住居・教育費支援        記載ナシ
 4.健康危機管理庁の創設             記載ナシ
 5.党改革(役員任期 連続3期まで)        記載ナシ

ここで、私たちが考えなければならないのは、岸田氏が昨年9月に、総裁選に敗れ、「もう
岸田は終わった」とさえ言われながらも、それから1年間、熟慮を重ね、練りに練った政治
方針と課題が総裁選で主張したことでした。

しかしその後、彼の主張は後退に後退を重ね、上に見るように、最終的には跡形もなく消え
てしまっています。こんなに、簡単に主張を後退させてしまったということは、もともと本
気で追及するほどの覚悟がなかったのか、それほど深く考えていなかったのか、いずれに
しても、彼に対する信頼性は大きく失われました。

とりわけ、彼が総裁選に立候補する決意を表明した際、党の役員任期を1年とし、連続3期ま
でとする、という、いわば時の自民党幹事長二階幹事長の追い落とし宣言ともいえる発言が
大きな反響を呼びました。

岸田氏は「生まれ変わった自民党を国民に示す」と豪語しましたが、党の役員(とりわけ人
事とお金を握る幹事長)に関して全く触れなくなったのでは、本当に自民党は生まれ変わる
ことができるとは思えません。

金融所得課税の強化に関しては、この発言にたいして経済界から反対の声があがり、早くも
株価下落の材料となって投資家からは「岸田ショック」とまでいわれました。

岸田首相は、自民党の応援団・スポンサーである経済界の反対を説得する強い意志がなかった
のか、選択肢の一つとして挙げただけ、とこの看板を下ろしてしまいました。

子育て世帯への住居・教育費支援については、もともとそれほど重要視していたとは思われま
せん。この問題は、すでに野党がアベノミクスの検証を通じて、提起していたテーマだったの
です。金子勝氏(立教大学特任教授)は「パクリでしょ。選挙前に争点を消すための野党への
抱き付き戦略だ」と辛らつな批判を寄せています(『東京新聞』2021年10月9日)。

以上の経緯を念頭に置いて、目前に迫った総選挙で岸田首相(政権)は何を訴えようとしてい
るのか、最近発表された選挙公約と、参考までに2017年に安倍首相のもとで行われた総選挙の
選挙公約(いずれも大項目だけ)とを、示しておきます。これらを比較すると、岸田氏がなぜ、
方針を次つぎと変えていったかがわかります。

 岸田政権の選挙公約(2021年)(注3)
 1感染症から命と暮らしを守る。2新しい資本主義(*)3「農林水産業」を守る 4日本
 列島の隅々まで経済を活発に 5経済安全保障を強化する 6毅然とした日本外交の展開、
 「国防力」の強化 7「教育」による人材強化で健康な国で豊かな地域社会 8日本国憲法
  の改正を目指す
 *この中には、「金融緩和」「機動的な財政出動」「成長戦略」を総動員し、経済を立て直
 し、「成長」軌道に乗せる と書かれており、これらはアベノミクスの3点セットであること
 が分る。

 安倍政権の選挙公約(2017年)(注4)
 1北朝鮮の脅威から国民を守る 2アベノミクスの加速で景気回復・デフレ脱却 3生産性の
 向上で国民の所得を増やす 4保育・教育の無償化 5地方創生 6憲法改正

岸田首相が、上記のような選挙戦略(目標の設定とパンフレット作製)の作成責任者として安倍
元首相の代理のような立場の高市早苗政調会長を任命したこと、そして、実際に高市氏の強力な
リーダーシップの下で選挙戦略が作成されたことを考えると、これまで述べてきた岸田首相の変
節の背景が良く理解できます。

つまり、高市氏を通じて安倍元首相が岸田氏に要請したのか、あるいは岸田氏が安倍元首相の意
向を忖度してこのような公約を設定したのか、定かではありません。

しかし、いずれにしても岸田首相が安倍氏の影響の下で政治運営をしてゆかざる得ない状況にに
あることは分かります。

のこの意味で私は、岸田内閣は“第三次安倍内閣”という印象を強く受けました。

今回は、選挙直前ということもあり、選挙公約までの経緯とその内容をごくかいつまんで書きま
したが、次回からは、岸田首相および岸田政権の長期的なビジョンについて考えてみたいと思い
ます。

(注1)『デイリー新潮』デジタル版(2021.9.15) https://www.dailyshincho.jp/article/2021/09151115/?all=1
(注2)(『東洋経済ONLINE』(2021年9月30日)。https://toyokeizai.net/articles/-/459371
(注3)『読売新聞』デジタル版(2021/10/13 05:00) https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20211012-OYT1T50237/ 
(注4)『自民党』https://jimin.jp-east- 2.storage.api.nifcloud.com/pdf/manifest/20171010_manifest.pdf

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伝統医療を見直そう(2)―心の病にも有効な東洋医学―

2021-03-09 19:21:57 | 東日本大震災
伝統医療を見直そう(2)―心の病にも有効な東洋医学―

前回は伝統医療、特に鍼灸を中心とした東洋医学の有効性を説明しました。

今回は2021年2月17日に放送された『東洋医学のホントのチカラ』で紹介された、
東洋医学、鍼灸、太極拳、瞑想のうち、私自身が経験した鍼灸と瞑想について考えて
みたいと思います。

とりわけ、現在、コロナ禍で人と人とが直接会わない状況の中で、人びとは孤独と孤
立に悩み、中にはウツ状態におちいったり、極端なばあいには自殺に追い込まれてゆ
く人も増えています。

そこで、東洋医学のホントのチカラとは少しずれるかも知れませんが、コロナ禍にお
ける心の問題について考えてみたいと思います。                   
                     
東洋医学と心の病の問題から少し離れて、心の問題が深刻化して自殺という究極の形
をたどる状況を見ておきましょう。

警察庁と厚労省の発表によると、2020年の自殺者は2万917人でリーマンショック
直後の2009年以来11年ぶりの750人の増加でした。人口10万人当たりの自殺者数
でみると前年から0.8人増の16.6人でした。

気になるのは、全体のうち男性は1万3943人(前年比135人減)と11年連続減となっ
たのに対し、女性は6976人(885人増)と2年ぶりに増加したことです。

厚労省が1~11月の統計をもとに分析したところ、年代別では40代が3225人(71人
増)と最も多く、中高年層の割合が高かった。増減率では20代(2287人)が17
%増(329人増)と最も高かった。19歳以下の未成年は14%増(同86人増)の707人
でした。

小中高生の自殺者は68人増の440人で同様の統計のある1980年以降で最多でした。
内訳は小学生13人人、中学生120人、高校生307人。通年ベースで最も多かった86
年(401人)を上回り、高校生についても過去最多でした。

月別では、4~5月の緊急事態宣言中を含む上半期(1~6月)は毎月、前年同月を
下回わりましたが、下半期(7~12月)は全ての月で前年を上回っていました。
理由は不明ですが、年間で最も多かった10月は660人増の2199人でした。

厚労省自殺対策推進室の担当者は「コロナ禍による生活環境の変化に加え、著名人
の自殺報道による影響など、幅広い要因が考えられる」としたうえで「(月ベース
で増加に転じた)下半期の傾向を見ると、経済問題が要因とみられる自殺が目立っ
ており、相談窓口を拡充して必要な支援につなげられるよう取り組みたい」と話し
ています(注1)。

テレビでは、ある一人親の母親が雇止めにあったり、パートの出勤日数が減って、
収入が減少してコロナで死ぬか飢えで死ぬか、どちらかだ、と悲壮な実態を語って
いました。

女性の場合、とくにパート労働が多く、政府の公式数字によると女性の失業者は
72万人ですが、野村総研による調査・推計では90万人でした。そして、広義
の失業は162万人にのぼるという(注2)

女性に限らず男性でも非正規で働いている人たちもおり、あるいは正規労働者で
も残業が減って収入が減ったり、勤め先企業の倒産で収入の減少に直面した人は
多い。

もう一つ私が気になるのは、20代と19才以下の自殺者の増加率が群を抜いて
高いことです。

若者の自殺が増加したのは、深刻な事態だと思います。親の所得が減少し、自分
の生活にも大きな負担がのしかかっている場合です。たとえば、授業料と生活費
とアルバイトで賄っていたけれどルバイトが無くなり、大学を辞めるかどうする
のか悩んでいる大学生も多くいるようです。

また、将来の生活に希望や明るい展望を持てなくなっている若者も珍しくないの
かもしれません。

私がさらに驚いたのは、文科省によると小中学生の昨年の自殺者は前年より140人
増の479人で統計開始以来最多となったことです。

この理由はいくつか考えられますが、一つは、昨年、コロナ禍で夫婦間や親子間
での家庭内暴力が増えたことが問題になりましたが、これは今後の子どもたちや
日本社会に大きな影響を与えると思います。

ところで、男女や年齢を問わず、コロナ禍の下にある現在の日本には、経済的不
安に加えて、いつ終わりが来るとも分からないコロナへの不安や、会いたい人と
安心して会えないストレス、そして、これらがないまぜになった、漠然とした緊
張がただよっています。

こうした、緊張状態は、本人も気が付かないうちに、じわじわと心と体を蝕んで
行く可能性があります。それは、ある時、心の病として発病することがあります。

冒頭に紹介したテレビ番組に登場した、小さな子供が一人いる女性はパニック障
害に悩まされていました。小さな娘さんは映画を見たがっているのに、彼女は暗
い映画館ではパニックを起こすかも知れないという恐怖で、映画に連れて行って
あげられませんでした。

彼女は最初、精神科の医師のもとでパニック症の治療を受けたのですが、その精
神科の医師は鍼灸治療を勧めました。

彼女を治療した鍼灸師によると、パニック症やうつ病などの人に共通した症状は、
めまい、息が詰まる、不安で緊張して筋肉が凝るなどで、それらの症状を改善す
るのは鍼治療が得意とするところなのだそうです。

この鍼灸師は、自律神経を調整し、ストレスを軽減するツボ、不安感を軽減する
ツボに鍼を打ちます。

イギリスでの調査によると、パニック症のように心の病にたいして、通常の治療
(多分、薬を中心とした治療)と、通常の治療プラス鍼治療を行ったグループと、
10週間経過をみると、不安の強さを示す値が、鍼治療を加えた方がずっと低く
なっていたことが分かりました。

この女性は週に1度鍼治療を受け、6週間後にパニック症の強さを計る検査を受
けたところ、その値はずっと改善していました。

彼女に鍼治療を勧めた精神科の医師は結果を見て、鍼治療が劇的に効いたことは
間違いない、通常の治療と鍼治療との併用はかなり効果がある、と語っています。

かつて彼女を悩ませていためまいは無くなり、発作が起きても寝れば大丈夫、す
ぐ収まると思えるようになったと語っています。

そして2か月後、この女性は、それまで娘さんに頼まれても連れて行ってあげら
れなかった、映画に一緒に行けるまでになっていました。

テレビで紹介されたのは、1例だけなので、これで鍼治療が心の病にも全て効く
ということはできませんが、イギリスでの調査結果と合わせて考えると、やはり
鍼治療がパニック症の改善に効果があることは、まず間違いありません。

私はこの映像を見て、鍼治療には西洋医学で処方される薬とは違う方法で自律神
経の乱れを調整することができる、という利点があるとの印象と持ちました。

なお、この番組では鍼灸以外に、太極拳、ヨーガ、瞑想なども紹介していました
が、それらに共通しているのは、深くてゆっくりとした呼吸が、神経のたかぶり
(交感神経優位)を抑え、気持ちをゆったりさせストレスを軽減(副交感神経優
位)することです。

ここ1年間、いつ収束するとも分からないコロナ禍の下で、日本社会は、将来に
漠然とした不安やウツ的気分に覆われている感じがします。

私たちは、人との接触を極力避ける生活を強いられてきています。こうした状況
では孤立や孤独から、自殺する人が増えることは十分予想されます。

最近の自殺者の増加をみて菅政権は、今年の2月、坂本哲志地方創生担当相に、
孤独・孤立担当の兼務を命じ内閣官房に担当室を設置し、関係省庁連絡会議も設
けました。

坂本氏は自殺防止や高齢者の見守り、子どもの貧困など各省庁で行われていた支
援策を横断的に調整して対応を打ち出す方針を示しています。しかし、この問題
は、地方創生相という畑違いの担当大臣が「兼務」という形でかかわって十分機
能するのか疑問です。

イギリスは2018年に世界で初の孤独・孤立・自殺防止の担当相を設けました。
イギリスでは2017年時点で国民の13%超が孤独を感じ、経済損失は4・7
兆円にのぼったと試算されていたからです。

そこで、医師が相談者に孤独への「社会的処方」を施すシステム整備などに取り
組んでいます(『東京新聞』2021年3月8日)。

心の問題の背後には経済的な貧困などの社会的は背景と、個人的な問題があり、
その解決は簡単ではありません。しかし、従来型の西洋医学だけに頼らず、鍼灸
を含めて東洋医学的な健康プログラムを、公的保険を利用できる形で、もっと充
実させる必要があると思います。

(注1)『日本経済新聞』デジタル(2021年3月8日)
  https//www.nikkei.com/article/DGXZQODG05BX30V00C21A1000000/ 『東京新聞』(2021年1月22日)
(注2)『東京新聞』デジタル(2021年1月16日) https://www.tokyo-np.co.jp/article/80177
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河津桜はもう葉桜になりつつありました。                                   他方で、ハクモクレン今が満開です
     

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東日本大震災4周年によせて―私の「3・11」―

2015-03-15 06:18:06 | 東日本大震災
東日本大震災4周年によせて―私の「3・11」―

2015年3月11日,東日本大震災は満4年を迎えました。毎年,この日がくると,当時のさまざまな記憶がよみがえってきます。

自然の底力,原発の危険性,エネルギー多消費社会となった私たちの生活のあり方などをもう一度見直す上で,
東日本大震災は私たちに計り知れないほど大きな影響を与えました。

この意味で,「3・11」を振り返ることは大切なことだと思います。

そこで,これまで3回にわたって書いてきた「子ども世界」を一旦中断し(あと2回予定しています),
「3・11」にまつわる私の個人的な体験と,その時感じたことを書いてみることにしました。

実は,2011年4月から8月にかけて私は,別のブログで「大木昌の思うこと」というタイトルで,大震災関連の記事を,
12回以上にわたって書いてきました。(注1)

また,私自身のブログ「大木昌の雑記帳」を2012年3月に立ち上げたのも,この大震災をどう受け止めたらいいかを,
自分なりに考えたかったことも一つのきっかけでした。(注2)。

まず,4年前のあの大地震当日と直後に私が直接経験したこと,感じたことから書いてみます。

地震の直後,鉄道は全て止まり,当日,私は東京の葛西で帰宅難民となりました。

辺りの地面が文字通り波打っていました。道路を通るバスやトラックも前後左右に揺れながらノロノロと走っていました。
電柱が大きく揺れるため,
電線は激しく揺れてブンブンという不気味なうなり音を上げていました。

東京ヘリポートがある西の方を見ると,黒煙がもくもくと空に昇ってゆくのが見えました。以前,
阪神淡路大震災の際に見た映像を思い出しました。

翌日,電車が動き,家に戻ると,2階にある私の書斎は足の踏み場もないほど,倒れた本棚と本,テレビセット,
その他ありとあらゆるものが床一面に散乱していました。

まだ余震は続いていましたが,何とか日常生活を取り戻したころ,突然,福島に住むかつての教え子からメールがきました。

彼女は,原発の爆発事故が起きると,放射能汚染から逃れるため弟と妹を連れて脱出し,郡山駅に着いたところだという。
そしてしばらく私の家でお世話になりたい,という緊急の要請でした。文面には,緊迫感がただよっていました。

私は直ちに,“遠慮しないで来ていいよ”,と返信しました。ただし彼女は結局,東京に住む兄のところに避難したようです。

帰宅難民になったこと,書斎がめちゃくちゃになったこと,教え子からの緊迫したメールなど,当時,
私自身も被災者であると感じましたし。

その後,津波による被災状況や死亡者・行方不明者数,放射線拡散のニュースが続々と入ってくるようになりました。
だれもが感じたように,その光景は,とうてい現実とは思えませんでした。

そして,私の身の回りでも地震による生活への影響が次々と出始めました。

まず,福島原発から電気の供給を受けていた首都圏では計画停電が実施され,地区ごとに時間単位で停電となりました。

震災のため,輸送がうまくゆかず,スーパーの棚からはお米や食料一般があっという間に消えてしまいました。

私は遠く離れた兄弟,友人,知人に頼んでお米を送ってもらったり,灯油ランプを買い込んだりしました。

車のガソリンの入手にも苦労しました。

一方,大学では入学式を行うかどうかの議論が行われ,結局,行われないことにしました。

一言でいうと,当時は何もかもが異常な,今まで経験したことのない非日常の日々でした。ただ,不思議なことに,
海地方より西に住んでいる人と電話で話すと,こちらが拍子抜けするほど,震災のよる緊迫感がありませんでした。

あの時,日本は東日本と西日本とに分かれてしまったのではないかと感じたほどです。

こうして,私にとって,2011年3月―4月は,あわただしく,緊張のなかで,この大震災をどのように受け止めたらいいか分からず,
ただおろおろしているうちに過ぎてゆきました。

以上,震災直後の混乱が一段落し,一般の車が何とか津波の被災地に入れるようになった5月の末に,
宮城県の亘理郡を山元町から海外沿いに北上して南三陸町までたどり着きました。

そこから女川町を越えて東松島まで行く予定でしたが,川にかかっていて橋が流されていて車では行けませんでした。
そこで一旦内陸に入り,再び塩竈から東松島方面に行きました。

当時,津波に襲われた被災地は,本当に目を覆うばかりの惨状でした。かつてはにぎやかだった街の家が荒野と化していました。
流された家の廃材,家具,金属片などが,まるで吹き溜まりのゴミのように小山をなしていました。

また,流されたおびただしい数の車(というより車の残骸)があちこちに集められていました。

この被災地訪問をきっかけとして,私は5回ほど,主に宮城県と福島の被災地を訪れることになります。

そのうち一度は,学生を15人ほど連れて,大学時代の後輩の家に泊まり込んで,1週間ほど,家からの泥の掻き出しや,
仮設住宅に住む人の話を聞くボランティア活動もしました。

これ以後,何回か被災地を訪れましたが,かつては散乱していた瓦礫が少しずつ片づけられてゆくのが分かりました。
しかし,そこに人の気配はなく,そのことが一層,被害の大きさ・深刻さを感じさせました。

被災地を訪れる度に,私はできるだけ地元の人や復興活動をしている人と話してきました。そこで感じたことはたくさんありますが,
ここでは,印象に残ったそのごく一部を書いておきます。

まず,あくまでも地元に残って畜産と農業を中心に自分たちの力で生活の再建をしようとがんばっている「若者」(男性)何人
かと話して痛感したことがあります。

彼らはほぼ40歳くらいですが,それでも地域では「若者」に属します。しかし,その中で,誰一人,結婚していないのです。
彼らの不安は,結婚できないと跡継ぎができないので,経済的にも希望がもてないし長期的にコミュニティが維持できなくなることでした。

マスメディアでも,被災地の人口流出につい報道しますが,中でも,結婚適齢期の男女,とりわけ女性の流出が,
地域の活性化にとって致命的な状況を作り出しています。

地方衰退の原因の一つがが人口減少(少子高齢化)にあり,将来“消滅”の危機にさらされている市町村の現状は,
日本全体の現象ですが,被災地の場合,それが極端な形で出ています。

また,防潮堤に関しても考えさせられました。政府は,三陸地域から仙台平野にかけての海岸に,津波から町を守るための高い防朝堤を,
数百キロにわたって建設する計画を進めています。

しかし,地元の人と話していると,これに反対の意見がかなりありました。高い塀に囲まれてしまっては海が見えず,
沿岸で暮らす意味がない,というのです。

沿岸の人々は,毎日海の様子を眺めながら暮らしてきました。海が見えるからこそ,今日は漁に出るか出ないか,
どんな作業をするかを判断していました。

しかし,眼前に高い塀を作ってしまったら,それができなくなってしまいます。

津波に関していえば,何が何でも津波を正面で受け止めてねじ伏せるような発想よりも,もっと安全な避難路を整備し,
避難システムの改善に力を入れるべきだという意見も多くありました。

実際,紀伊半島のある自治体では,比較的低い場所に大きな非難用の横穴を開け,人々が入ったら入り口を鉄の扉を閉め,
海水の侵入を防ぐ施設を作りました。

政府は「国土強靭化」の名目で,巨額の建設コストをかけて高い防潮堤の建設に力を入れていますが,
自然の力を過小評価しています。私には,土木事業をたくさん作って,お金をバラまくことが目的ではないか,
とさえ思えます。

もっと知恵を出して,本当に有効な津波対策を考えるべきです。

震災の後,多くの個人や音楽関係のグループなどが被災者を元気づけるとの名目で,コンサートを開きました。
そうしたミュージシャンはしばしば,“かえって自分たちが励まされ元気をもらった”と語っています。

しかし,地元で活動しているある人は私に,意外な話をしてくれました。“実は,コンサートにいってあげないと,
彼らががっかりするので,わざわざ仕事を休んで行ってる人もいるんです”。

こうしたミュージシャンの善意は疑いませんが,本当に地元の人が望んでいるかどうか,ちょっと考えてみる必要はありそうです。

以前,“もうコンサートにはこないで”という投書が地元住民から新聞に寄せられたことがあります。
これからは,自分自身も含めて,善意のの押しつけでなく,自己満足でなく,地元からの希望にそって,
このような活動を行う必要があると感じました。

最後に,昨年の秋,私も加わらせてもらった,小さな話し合いの場で私が感動した,若い事業家の言葉を紹介します。
「もう自分たちを被災者と呼ぶのを止めよう」。

彼の会社は流され,行政はほとんど手を差し伸べてくれない,そんな中で彼が言った言葉が,その場にいた他の参加者
(ほとんどが何らかの被害を受けている)を大いに勇気づけたと感じました。

以上は,主に私の個人的な体験や見聞に基づいて,震災4周年の3月11日に思ったことですが,
これとは別に,震災復興に関する政府の対応に関して2点だけ書いておきます。

一つは,原発事故に対する政府の姿勢です。安倍首相は震災の追悼式で,復興に全力を挙げるとは言っていますが,
現在,福島で起こっている深刻な汚染水の流出問題などには一切触れませんでした。

安倍首相の言動は,震災4年というより,国民の気持ちを,オリンピックまで5年という方向に導こうとしているかのようです。

オリンピック招致の際,原発からの汚染水は「コントロールされている」(under control)と豪語した安倍首相には。
汚染水問題は触れたくない厄介事なのでしょう。

次に,除染で集められた汚染土及び除染廃棄物が13日から大熊町と双葉町にある中間貯蔵施設予定地の「仮置き場」
への搬入が始まりました。

しかし地元住民は,将来「最終処分場」を引き受ける自治体がないことを承知の上で政府がこうした政策を実施していることに,
疑念をもち反発しています。

しかも,現在まで,地権者の承諾が得られないため,「中間貯蔵施設」の用地を確保できているのはごくわずかしかありません。
汚染水と汚染土の問題はどこまでも未解決のままついて回ります。

少しずつ減っているとはいえ,4年経っても放射線の影響や家屋の喪失のため,仮設住宅や他県で非難生活をしている人は,
まだ23万人もいるのです。まだ震災の影響は終わっていません。

私たちは,自然の力の大きさ,それに対する科学技術の限界,一旦事故が起きてしまえば,収拾不可能なほど大きな影響を
長期間にわたった与え続ける可能性があります。

原発を稼働することの危険性を,もう一度本気で考えて胸に刻む必要があることを痛感します。

こうした,本当に大切な問題に目をつむり,憲法改正,軍事国家化,株価の高騰,労働者派遣法による雇用形態お多様化という名の,
非正規雇用拡大に傾斜する現政府のあり方に,危機を感じているのは私だけではないでしょう。

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以下の写真は2011年5月29日と30日に私が撮影したものです。南三陸町の写真を除いては,主に亘理郡の写真です。


中浜小学校。この小学校で生徒が体育館の最上部にあった狭い空間に逃れて助かったという。


中浜小学校前の墓地で,津波で倒され散乱した墓石。


駅舎とホームは流され,ホームを渡る高架橋部分だけが残った坂本駅。


山元自動学校では,教習後に送迎バスで帰宅した人が津波に飲まれ多数亡くなった。


夥しい数の車の残骸があちこちに集められていた。


流されて陸に乗り上げた漁船。


足元が波で表れて倒壊した堤防(南三陸町)堅牢な堤防も,足元が洗われてしまうとあっけなく倒壊する。







(注1)ブログ「大木昌と秀子のワクワクライフ」http://ameblo.jp/wakuwakulife317/entry-10856243091.html
 と途中からは http://blog.goo.ne.jp/wakuwakulife317 に連載。

(注2)このブログ「大木昌の雑記帳」に左側に,記事のカテゴリーが示されています。その中で,「東日本大震災」および「原発・エネルギー問題」の項目に集められています。

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再び”「絆」あるいは「祈ること」-復興は遅いが風化は速い」

2014-03-14 05:16:54 | 東日本大震災
再び“「絆」あるいは「祈ること」”-「復興は遅いが風化は速い」-

今年も3年目の東日本大震災,「3・11」がやってきました。想い起すと,このブログを立ち上げた最初の記事は,2年
前の3月23日のもので,その時のタイトルは,“東日本大震災 「絆」あるいは「祈ること」”というものでした。

少し長くなりますが,その時の記事の一部を,引用しておきます。

     原子力発電所の近くに住んでいて,津波と原発事故による放射能汚染のため,故郷に帰ることができなくな
     ったある住民はテレビのインタビューで,次のように訴えていました。原発は本当に憎いが,この3月11
     日だけは,静かな鎮魂と祈りの日にして欲しい,と。これも少数意見かもしれませんが,やはり尊重すべき
     心情です。
     もしかすると,「3・11」を静かな「鎮魂と祈りの日」にしたいという気持こそが被災した人たちの本当
     の願いなのかもしれない,と私は思いました。
     もしそうだとしたら,やはりここにも「外部者」の思いと当事者のそれとの感情の行き違いがあるようです。
     これは,自分自身,自戒の念を込めて心に留めておきたいと思います。

「絆」あるいは「祈ること」という言葉には,大地震と原発事故,そしてそれらにのことをと「忘れない」という意味合いを含んで
いました。

現時点で,死者1万5884人,行方不明2633人,震災関連死2993人,避難者26万7419人です。


震災の日の前後には,東京や東北でさまざまな追悼イベントが行われました。3月11日には何人かのミュージシャンや芸能人が被災地
を訪れ,復興コンサートなどのイベントを行いました。

彼らは一様に,「笑顔と元気を届ける」「この時だけでも元気になってくれれば」と語っていました。

また,東京では3月9日には東京日比谷の野外音楽堂で「反原発」を掲げる団体が主催する集会が開かれ,3万人を超す人々が国会周辺
でデモを行いました。

このデモの中心となったのは,毎週金曜日に首相官邸前で脱原発・反原発を訴えるデモを呼びかけてきた首都圏反原発連合など3団体で
した。

この国会周辺のデモを呼びかけた人も,参加してきた人も,やはり震災の被災者たちのことを「忘れない」という思いを抱き続けてきた
人たちです。

テレビやマスメディアで見るかぎり,外部の人の追悼イベントに比べて被災地の人たちが行った震災3年目の追悼行事は概して静かで,
むしろ「祈り」と「癒し」の空気が伝わってきます。

被災者の一人はテレビ局のインタビューに答えて,現状を,「復興は遅いけれど,風化は速い」と,ぽつりと言いました。

復興が遅いことに声を荒立てて怒りをあらわにするわけでもなく,世間から忘れ去られ震災の記憶が風化してゆくことを恨むわけでも
なく,淡々と心の内を語る彼の物静かな口調が一層,胸を打ちます。

震災の被災者の中でも,津波で身内を失い,友人・知人を失い,家も町も失い,そして故郷を失った人たちにとって,一生,震災の記憶
が風化することはないでしょう。

また,身近な人とを失った被災者にとって,亡くなった人たちと「つながる」唯一の方法は「祈る」ことです。祈ることでつながってい
る限り,震災は過去のことではなく,現在もそして将来もずっと風化することなく続きます。

ある地域では,地元の人たちが手をつないで,じっと死者への祈りを捧げていました。また,別の場所では,多くの人の命が失われた
海岸で,人々が静かに,思い思いの感情をこめて,静かに,ある人は泣きながら「ふるさと」を合唱していました。


仙台に拠点を置く『河北新報』2014年3月12日は,「東日本大震災3年 祈る東北、遠い平穏」というタイトルで「3・11」追悼の様子
を次のように伝えています。
  
   悲しみはまだ癒えない。でも、前を向かないと生きていけない。東日本大震災から3年の11日、東北の被災地は犠牲
   者の鎮魂と、復興への祈りに包まれた。
   大津波の爪痕が残る沿岸の浜で、仮設住宅で、雑踏の中で。人々は手を合わせ、あの日無念のうちに命を落とした家族
   や親戚、友人、知人のことを思った。
   全国の死者は1万5884人、行方不明者は2633人(警察庁調べ)。
   震災後に亡くなった関連死を含めると犠牲者は約2万1500人に上る。全国で26万7419人、東北6県では21万
   8258人がいまも仮設住宅などで避難生活を送る。
   福島第1原発事故の放射能汚染などで、福島からは4万7995人が県外へ避難したままだ。
   心の平穏、暮らしの平穏を、取り戻せない人がまだたくさんいる。生きていく力を得ようと、人々はいとしい人の在りし
   日に思いをはせ、祈りをささげた。
   自らの再建と復興を願って。

津波は多くの人の「命」が失われたため,遠く離れた地域に住む人々も,祈りを通して被災地の人たちと「つながる」ことができます。

たとえば3月11日午後2時46分には,原爆で多くの犠牲者を出した広島と長崎,そして震災で多数の死者を出した神戸でも黙祷と
祈りを捧げる静かな行事が行われました。

外見的にも,家が流され,がれきの山と原野のような荒涼とした風景は私たち外部の人間にとっても,震災の痛ましさが直接伝わって
きます。

しかし,同じ,東日本大震災の被災者といっても,福島第一原発近くに住んでいた人々に関してはまったく事情が異なります。

放射能に被爆していても,津波による直接的な死とは異なり,目に見えあるわけではなく,直ちに亡くなるわけではありません。

また,津波で破壊された町と異なり,外見上は町や家はそのまま残っているので,一見,何の被害も受けなかったような印象を与え
ます。

現実には,「帰還困難区域」の住民は自分の家に帰ることができず,故郷を離れて仮設住宅や県内外へ新たな生活の場を求めて移住
しています。

津波によって住む家を失った人たちも,原発事故で避難せざるを得なかった人たちも,避難生活が長期化するにつれて,移住先
で新たな環境になじめなかったり,ストレスで体調を悪化させ,中には亡くなる人も出てきました。

このような死を,震災による直接的な死と区別して「震災関連死」と呼んでいます。

政府によって認定された「震災関連死」の数は,震災後3年たった今でも増え続けています。たとえば昨年4月1日から今年1月末
までに,岩手県45人,宮城県17人に対して福島県は277人と群を抜いて高い数字になっています。

『東京新聞』は「震災関連死」の中で,特に原発事故に伴う避難で体調を崩して亡くなった事例などを「原発関連死」と定義し,
該当者数を取材したところ,福島県内の「震災関連死」1671人(3月7日現在)のうち,少なくとも6割1048人)は「原発関連死」
だったことが分かりました。

「原発関連死」は昨年と比べて259人も増えています(『東京新聞』2014年3月10日朝刊)

現在のところ,放射能による直接的な死亡は確認されていませんが,今後,幼児の甲状腺癌をはじめ,大人も含めてさまざまな癌
の発生が予想されます。

原発に関しては,これまでもデモやマスメディアを通じて政府や東電の原発政策を批判することはありましたが,個々の「原発関
連死」に対しては,私たちはなかなか「絆」も結びにくいのが実態です。

「原発関連死」について,犠牲者の方,そのご遺族の方と「つながる」ことができるとすれば,私自身には,ただひたすら彼らを
想い,祈ることしか
できないかも知れません。

「原発関連死」ではありませんが,放射能の汚染のため故郷を離れざるを得なかった人たちもたくさんいます。

こうした人たちの中では,もう一度故郷に戻って生活を再建することをあきらめた人が増えています。彼らは被爆の影響に怯えながら,
全国各地に生活の場を移しています。この人たちと「つながる」ことも現実にはかなり難しいことです。

放射能の汚染は受けたけれど,なんとか生活が可能な地域もあります。このような地域の人たちに対して何かできることがあるとしたら,
小さいことですが,放射能検査で安全が確認されていれば,「風評被害」に惑わされることなく,それら地域の農産物や海産物をできる
かぎり買うことです。

そして,できる限り節電に努め,原発は必要,という議論を「原発は必要ない」という現実に変えてゆく努力は是非,必要です。

コンサートなどで「元気を与える」ことも有意義だとは思いますが,被災地が元気になるためには,それぞれの地域の産業の復活も大
事です。

それにより,地元の人たちは経済的にも助かるし,仕事を通じて他の地域の人たちと「つながっている」といいう実感をもつことがで
きます。

それにしても,オリンピック招致のプレゼンテーションで,「東京は福島から250キロ離れているから安全です」と語った人がいま
した。

また,安倍首相は,フクシマの放射能は3.3平方キロメートの湾内に閉じこめられ「コントロールされている」(under control)と述べ
ました。

安倍首相のこの言葉が事実でないことは,すでにブログの2013年9月16日の記事「汚染水問題(続)」でくわしく書きました。

このプレゼンテーションで語った政治家もオリンピック関係者も原発事故はもう決着済みでオリンピックには何の影響もないことを強調
していました。

こうした発言が,今でも放射能の影響に怯えている人たち,そのために避難している人たちをどれほど傷つけているでしょうか。

それどころか,政府は被災者の気持を無視するかのように,福島の事故の原因究明を放棄したまま原発再稼働に動いています。

先に,「復興は遅いけれど,風化は速い」という被災者の言葉を引用しました。防潮堤や道路などの工事は結構進んでいるのに,
生活の場である「復興公営住宅」の建設はまだ3%くらいしか進んでいないのです。どうも優先順位がちがうような気がします。

日本は「人間」ことよりも経済が優先する社会になりつつあるのでしょうか?少なくとも政府の姿勢をみているとそんな気がします。

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【「いぬゐ郷だより」3】
3月8日,佐倉の耕作放棄されていた田んぼで,今年の稲作のために,[苗代」作りをしました。


長い間放置され葦と雑草だらけの田んぼの土を15センチほど堀り,「苗代」作りを開始します。(写真をクリックすると,大きな画面になります)



土の乾燥を防ぐために出来上がった「苗代」を,そこに生えていた葦で被います。あとは種蒔きを待つばかりです。(写真をクリックすると,大きな画面になります)

いぬゐ郷HP http://www.inoui-go.com/index.html
いぬゐ郷Facebook https://www.facebook.com/Inoui.go

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東日本大震災と「文明の災禍」(3)-巨大システムの罠-

2012-07-20 06:35:00 | 東日本大震災
東日本大震災と「文明の災禍」(3)-巨大システムの罠-
 

 内山氏が考える「文明の災禍」には巨大システムの崩壊も含まれます。彼はそれを,「東日本の大災害をへて,私は次のように感じた。
それは,危機とはシステムの崩壊によって起こる現象だということだった」と表現します。


 しかも現代文明においては,一つのシステムが巨大化しただけでなく,システムとシステムが相互に関連し合っており,一つのシステム
が崩壊すると,思わぬところに波及して,大きな危機を引き起こすのです。

 たとえば,福島でひとつの原発システムが崩壊したとき,それは東京電力の電力システムの崩壊を作り出しました。

 震災が発生してから翌日まで送電システムが崩壊し,電力不足から首都圏の電車はほぼ全面的に運行不能となりました。

 これは人の移動と物流システムをも麻痺させてしまいました。

 交通システムだけでなく,情報・通信システムも崩壊の危機に直面しました。あらゆる情報がコンピュータで処理される現代社会で,
停電は情報システムに致命的な打撃を与えます。

 携帯電話は,電気で作動している中継アンテナも機能しなくなってしまうので,携帯電話が使えなくなってしまいます。

 携帯電話もまもなくバッテリーが空になってしまうので,停電が続けば,やがて使用不能になってしまいます。

 さらに,現代の工場生産は電気に支えられているので,発・送電システムの部分的な崩壊だけでも生産システムに大きな影響を与えます。

 実際,昨年の大震災の際には東京電力管内で計画停電が適用されただけでも,生産機能がかなり麻痺しました。

 加えて,東北地方では,地震と津波によって送電が止まり,生産の全面停止に追い込まれた工場もたくさんありました。

 これらの工場は,国内向けだけでなく輸出用の,自動車や家電などの部品を作っていたので,その影響は日本だけでなく世界の生産
システムにも大きな影響を与えました。

 つまり,福島の地震と原発事故によって,情報・通信,交通,物流,生産のあらゆる分野が影響を受けました。

 これは,現代の生産システムが地球規模の強大な生産システムのネットワークに組み込まれているため,システムの一部の崩壊や機能不全でも,
それは直ちに巨大システム全体に多大な影響を与えるようになっているからです。

 このようなシステムの巨大化は,生産や物流などの経済面だけではありません。

 原発事故が起こった際の,福島の原発現場,東電本社,原子力委員会,経済産業省の原子力保安院,政府の各部門,官邸,首相の間でコミュニ
ケーションがうまくいっていなかったことが明らかになりました。

 たとえば,前回書いた,海水注入問題にしても,東電は首相が注入の中止を指示したと言い,首相はそんな指示は出していないと主張しています。
 実際には,現場の所長が本社の指示を無視して,個人の判断で注入を続けていたことを自ら公表しました。

 あのような混乱状態の仲で,しかもそれぞれが巨大なシステムなので,短時間のうちに全体の意思統一を図ることは非常に難しいことがわかります。

 しかも,そこに専門家の横暴と傲慢が入り込み,実際に注入を続けていたことを隠していたために,政府も国会もこの問題で,最初の2ヶ月間
もの貴重な時間を空費してしまったのです。

 私たちの生活について考えてみましょう。私たちは,すっぽりと巨大化したシステムの中に飲み込まれているのですが,それが崩壊してしまった
とき,自分で修復することはできません。

 昔の地震や津波も,地域の生活システムや労働システムを破壊し,その地域の人たちを危機に立たせたに違いありません。

 ただ,その時代のシステムは人間と等身大だったので,システム崩壊が起こっても,人々は自分たちの手で,少しずつシステムを再建していくこと
ができました。

 しかし,今日の巨大システムの崩壊ではそれができません。電気がなくなってしまうと,自分の手で電気を作り,電話やインターネットを再生させる
ことができないのです。

 システムは巨大化すればするほど生活は便利になり,物事は効率的に処理されことは確かです。たとえばスカイプを使えば海外の知人とも,テレビ
電話のようにお互いの顔を見ながら無料で通話ができます。

 また友人と待ち合わせをする時,あらかじめ厳格に時間と場所を決めておかなくても,携帯電話を利用すれば,移動しながら楽に会うことができます。

 私たちが携帯電話で遠く離れた人と通話することができる背後では,巨大なシステムが動いているはずなのに,それを認識することなく便利さだけを
利用しています。

 しかし,それが突然機能しなくなると,今更ながらのように困惑してしまうのです。たとえば昨年の3月11日,大震災が発生した直後に携帯電話が通じ
なくなったとき,多くの人がパニックにおちいりました。

 あるいは平常時でも,私の周辺の学生は,家に携帯電話を忘れてしまったときなど,名実共にパニックなってしまいます。便利さに慣れてしまうと,
まるで中毒患者のように私たちは携帯電話のような「文明の利器」の依存症になってしまうのです。

 問題が,携帯電話システムの崩壊ならまだ被害はそれほど深刻ではありません。しかし,原発システムの爆発という形での崩壊となると,もはや他人は
いうまでもなく自分自身の身を守ろうことさえ困難になってしまいます。

 原発事故のような巨大システムの崩壊に直面すると,私たちは何もできずに,ただただ遠くに逃げるか,放射背物質を浴びる恐怖を感じつつ留まるより
ほか対応する術がありません。

 現代文明が生活のあらゆる領域で巨大システムによって取り込んでしまっているので,私たちはこのシステムから逃れることは事実上不可能です。

 しかもやっかいなことに,この巨大システムの中にいると,私たちはその全体像を,知性によっても身体感覚によっても認識することはできなくなって
いるのです。

 そして,今回の原発事故のようなシステムの崩壊が生じたとき始めて,私たちは巨大システムの一旦をかいま見ることになるのですが,残念ながらそれは
ほとんどの場合,不孝な事故や災禍として私たちに襲いかかってきたときなのです。

 これこそが,巨大システムの罠なのです。東日本大震災は,このことをいやというほど教えてくれました。

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東日本大震災と「文明の災禍」(2)-専門家の横暴と傲慢-

2012-07-13 05:47:16 | 東日本大震災
東日本大震災と「文明の災禍」(2)-専門家の横暴と傲慢-


 前回の記事で,原発事故による災禍は「文明の災禍」であること,そして,「文明の災禍」の場合,「魂の諒解」が不可能であり,そのため

救いがない,という内山氏の論考を紹介しました。

 今回は,それでは,なぜ「文明の災禍」が起こってしまうのかという問題を,専門家の横暴と傲慢という観点から考えてみたいと思います。

 その前に,今回の原発の爆発事故は,東電が主張するように「想定外」の津波により,非常用電源が流出してしまったことが主な原因かどうか,
という点について確認しておきます。

 まず,これまでの東電(そしてある程度は政府も)の説明には三つの問題があります。

 第一の問題は,昨年の地震は本当に「想定外」であったのかという点です。そもそも自然界に起こることについて,人間が想定することなど
不可能です。

 地球の誕生以来,想像を絶する天変地変はずっと続いてきたことで,今回の東日本を襲った大地震にしても,地球の「日常活動」にすぎないのです。

 だからこそ,原発のような危険な装置を動かす場合には,安全を100%確保することは不可能ですが,その時点で可能な限りの対策を講じておく必要
があるのです。

 第二の問題は,東電が地震や津波に十分に備えていなかったことです。 地震で原発が停止し,同時に原発を動かす電源が喪失すると,原発の炉を冷やす
ための冷却水を注入できなくなり,いわゆるメルトダウンが起こる危険性があります。

 このような場合に備えて,ディーゼルで発電する非常用の電源装置が必ず用意されているのですが,福島第一発電所の場合,原発の建屋内にあり,
津波によって流されてしまいました。

 しかし,もし津波に備えるのなら,非常用電源装置はもっと高台に設置すべきでしょう。これは,誰にでも分かることです。東電は,そもそも,そんな
大きな津波は来ない,と決めつけていたとしか考えられません。

 第三の問題は(これは意図的な事実の隠蔽といった方が良いのかも知れませんが),今回の原発の爆発事故は津波により原発の機能,とりわけ非常用
電源の流出が原因であるという説明です。

 東電は,今回の原発事故の原因を,あくまでも津波であるとの結論にもってゆこうとしているのですが,ここにこそ重大な問題が隠されています。

 実際には,津波が来る前に,地震そのものによって既に原発のシステムに重大な破断などの損傷が起こっていた可能性があるのに,この点を意図的に
ひた隠しにしてきています。

 もし,地震によって大きな損傷が起こったとすると,東電が運用している柏崎原発の地下にも活断層が走っており,たとえ津波がこなくても今回と同様の
事故が起きる可能性があります。

 つまり,福島の原発事故の原因として地震そのものを挙げてしまうと,柏崎原発も危険ということになり,もっといえば,地震帯の上に乗っている日本
列島のどこの原発も危険な状態にある,ということになってしまいます。

  東電は,この点を何とか隠したかったのではないかと思われます。

 以上の問題は,言われてみれば素人でも分かる単純なことなのですが,私たちは今まで,原発の運転操作は専門家の領域で,素人が立ち入ることはできない
と,と思いこまされてきました。

 専門家と称する人たちは,「ウチ(内)」と「ソト(外)」の世界に分け,ウチの人はソトの人の介入を許さないという姿勢を頑強に守ろうとします。

 こうして,ウチの住人は安住の地を得るのです。原子力発電の専門家は,原子力委員会を中心に,「原子力村」をつくり,政治の専門家集団は政治家
という「村」を作ります。

 しかし,ここに専門家の傲慢と横暴が発生するのです。内山氏は,原発の爆発事故が起こった後,海水の注水に関する混乱の中に,これがはっきり現れている
と指摘しています。もう一度,経過をおさらいしておきましょう。

 3月12日に,真水の注水ができなくなった福島第一原子力発電所では,午後7時44分から海水の注水がおこなわれた。しかし,その直後に,首相官邸でこの
注水を危惧する声があって,議論が行われているとの情報が東電に入った。

 東電本社と現場の所長がテレビ会談をした結果,海水注水が停止された(と報道された)。

 その直後官邸からは注入するようにとの指示があり,午後8時20分に注入は再開された。この間の50分余りの海水注入停止が事故の拡大をもたらしたかどうか,
政府の危機管理に問題はなかったかどうか議論になり,国会でも政府は追求された。

 以上の経過の中で,官邸は海水注水について停止を求めた事実はない,と言っており,これはおそらくその通りだと思われる。

 むしろ東電本社が,海水注水によって炉が使い物にならなくなってしまうことを恐れて,停止させた可能性の方が十分考えられます。

 ここで驚くべき事実が2ヶ月後に現場の所長から明らかにされます。つまり彼は,本社の意向を無視して,海水の注水を停止することなく続けていたと
いうのです。

 当時,国会では野党の自民党が菅首相にたいして,海水注水を止めさせた責任は首相にあり,この50分間に注水を続けていれば,このような大事故に
ならなかったかも知れない,と国会で追及していました。

 後に所長自らが海水注水は続いていたことを公表して,この追及はうやむやになってしまいました。しかし震災直後の,災害対策をとってゆく非常に
貴重な2ヶ月間が,このような無意味な議論のために空費されてしまったのです。

 ここで何が問題かといえば,このような国会での混乱を知りながら,当の所長はその事実を2ヶ月間も隠し通していたということです。
 
 もし,所長が海水の注水停止に反対なら,テレビ会議で,その理由を説明すべきだったのです。

 そして,本社の指示に反して現場の専門家の判断として海水注入を続けたのなら,彼は直ちに本社と政府に,このことを報告すべきだったのです。
そして,東電本社も当然このことは知っていたはずなのですが,2ヶ月間も隠蔽していたのです。

 この所長は,テレビや雑誌などで,この難局に現場に踏みとどまって立ち向かう英雄のように扱っていました。
 
 しかし考えてみれば,2ヶ月間も国会論議を空費させたのは,社会に対するきわめて重大な裏切り行為です。

 おそらく,この所長には,現場のことは現場の専門家が一番よく知っているのだ,という強い思いこみがあったのでしょう。

 内山氏は,「それは専門家の横暴である。専門家がもっている暴力性だと言ってもよい」と厳しく批判しています。

 専門家としての強い思いこみは,時として傲慢さにつながります。前回の記事で書いたように,震災の翌日に菅首相がヘリで現地に行く際,
原子力委員会委員長の斑目氏は菅首相に「総理,原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」と言ったことを紹介しましたが,これも,
専門家の傲慢さの表れです。

 おそらく,近代の高度な技術が現れる前は,専門家と素人とはもっと相互交流できたのに,今日では素人が介入できない領域がますます拡大しています。

 内山氏は専門家について鋭い指摘をします。

 とすると専門家とはなんであろうか。それは優れた専門領域の知識をもっている人のことだと思っている人たちがいたとしたら,その人々はよほどおめでたい
人間たちである。

 そうではなくて専門家とは,専門領域でしかものを考えられない人のことである(『文明の災禍』176ページ)。

 現代はは専門性と専門家が尊ばれる時代ですが,専門家は,広い社会全体を見渡して妥当性や合理性を判断できなければ,いわゆる「専門バカ」に
なってしまいます。

 問題が個人的な事柄なら被害は少ないのですが,原発事故のように,その影響が途方もなく大きくなる可能性がある場合には,専門家だけに問題の解決
を任せてしまうのは非常に危険であることが,今回の原発事故で明らかになりました。

 私たち「素人」も,専門家の言うことを鵜呑みにしてはいけない,という原則を心に刻んでおく必要があると思います。

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東日本大震災と「文明の災禍」(1)-原発事故と「魂の諒解」-

2012-07-10 05:45:36 | 東日本大震災
東日本大震災と「文明の災禍」(1)原発事故と「魂の諒解」-
 

 2011年3月11日に発生した巨大地震と,それによって引き起こされた津波,そして原発の爆発に関する解説が,それぞれの分野の専門家から
洪水のようにマスメディアを通じて流されてきました。

 しかし,これらの解説の多くは技術的な観点からのものが多く,今回の震災が現在およびこれからの日本にとって,どのような「意味」をもつかを,
文明論や思想の問題として哲学的な観点から論じた例は意外に少なかったように思います。

 そこで今回は,震災の意味と今後の展望について哲学者によって書かれた著作を取り挙げ,それを参考にしつつ,震災の「意味」について考えて
みたいと思います。

 ここで取り挙げるのは,内山節『文明の災禍』(新潮新書,2011年9月)です。多くの哲学者が,ヨーロッパの代表的な哲学思想の解説が中心であった
のにたいして,内山氏は一貫して,日本の地域社会にこだわり,そこにみられる日本の文化や日本人の精神構造に深く立ち入った著作を発表してきました。

 内山氏は今回の震災がもたらした災禍を,まず,大きな枠組みとして「自然の災禍」と「文明の災禍」とに分けます。

 「自然の災禍」は文字どおり,地震そのものによる家屋の倒壊,道路の寸断,津波による大量死,町や田畑の流出など,いわゆる自然災害です。

 これにたいして「文明の災禍」は,福島第一原子力発電所」の原発の爆発事故がもたらし,今後ももたらすであろう,現代文明が深くかかわった災禍です。

 同じ災禍でも,自然の災禍と文明の災禍とでは,その意味や,影響に根本的な違いがある,というのが内山氏の主張です。

 「自然の災禍」について内山氏は,いかにその人的・物的損失が大きくても,そこに住んでいた人たちがいるかぎり,そしてある程度の時間とお金をかけ
れば,かなりの程度復興は可能だろうと述べています。

 なぜなら,人類はこれまで多くの自然災害を経験し,そこから立ち直ってきたからです。

 今回の大震災に関して,内山氏はその具体的な例として,気仙沼市でカキ養殖を営む畠山さんを紹介しています。

 畠山さんの母親は津波にのまれ,仲間を失い,海辺の集落も消え,彼の養殖施設も崩壊してしまました。しかし,津波からまだ何日もたたない頃に,
彼は「それでも海を信じ,海とともに生きる」というメッセージを発しています。

 内山氏によれば,どう考えても折り合いがつくような事態ではないのに,このようなメッセージを出せるというのは,“どこかで折り合いがついたのだ。
そうでなければ。「これからも海を信じて生きる」というメッセージが発せられるはずはない。”

 “とすると,どこで折り合いがついたのか。おそらく,魂の次元でだ” と結論します。ここで「魂」とは,「生命そのものということである」と補足
説明されています。

 魂の次元で折り合いをつけるというのは,事態を知性ではなく,身体で丸ごと受け容れることです。内山氏はこれを「諒解」という言葉で表現します。

 もっと一般的な表現をすれば,理屈ではなく,「腑に落ちる」という形での納得をすることです。

 被災者のうちどれほどの人が「魂の折り合いをつけ」,事態を「諒解」したのかは分かりませんが,「自然の災禍」からの復興の「出発点は魂の折り合い
であり,諒解なのである」ということになります。

 これにたいして,内山氏が「文明の災禍」と呼ぶ原発事故からの復興計画に関しては,どうにもならない虚しさを感じてしまうという。
 
 とうのも「それは魂の諒解を伴わない復興計画から浸み出てくる虚しさだからである」。

 上に紹介した畠山さんが「それでも海を信じて生きる」との決意をメッセージとして発したと同じように,もし「それでも原発を信じて被爆地で生きる」
と主張する人がいたら,人は何と無謀な人間かと批判するでしょう。

 文明の災禍である原発事故によってまき散らされた放射能とそれが発する放射線の影響は,世代を超えた被害として受け継がれる可能性があるし,被爆
した人たちに数十年後に死をもたらすかもしれません。

 このような事態にたいして,どのような諒解がもたらされればよいのでしょうか?この問いに対して内山氏は,知性で答えようとする限り明確な答えは
出てこないだろう,と述べています。

 それでは,魂の次元でこの問題は諒解することができるのか,といえばそれもできない。

 とするなら,「文明の災禍」の中でも,原発という人間がつくりだした人工物の事故は,魂の諒解という世界まで破壊してしまった,ということになります。

 したがって私たちは,「そこには救済なき世界があるのだということを見つめるしかなくなった」という殺伐たる現実の中に放り込まれてしまったのです。

 おそらく,内山氏がこの本で言いたかった「文明の災禍」とは「魂の諒解という世界まで破壊してしまった」という点ではないかと思われます。「魂の諒解」
が不可能なら,必然的に「救済」もあり得ない,ということになります。

 内山氏は,今回の原発事故も含めて,現代社会がかかえる「文明の災禍」の可能性についてさらに広い観点からも論じていますが,それは後日書くことにして,
今回はこの「魂の諒解」についてもう少し考えてみたいと思います。

 ここで,原発事故により,永年住み慣れた土地を離れざるを得なくなった地域の住民の立場から「魂の諒解」について考えてみたいと思います。

 3月11日の大震災によって原発事故が起こるまで,周辺の住民は,自分たちの住む地域に原発があることについて,一定の「諒解」をしていたとおもわれます。

 その諒解の根拠は,原発は絶対に安全だ,という東京電力と政府の繰り返しの説得でした。

 それでは,東電にしても政府にしても,「絶対に安全」と言い切った根拠はどこにあったのでしょうか?

 原子力の安全については,内閣府原子力安全委員会が専門家の立場からチェックすることになっています。震災発生時,この委員会の最高責任者は委員長の
斑目春樹氏です。

 さて,大地震から一夜明けた3月12日午前6時過ぎ,菅直人首相はヘリで官邸を飛び立ち福島第一原子力発電所の視察に向かいました。

 その機内で斑目氏は菅首相に「総理,原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」と伝えました。視察を終え官邸に戻った首相は周囲に「原発は爆発しない」
と語ったそうです。

 それでは,「原発は大丈夫なんです」と言った斑目委員長は,その後,自らの発言にどのような釈明したのでしょうか。

 取材にたいして斑目氏は「自分の不明を恥じる」と言ったうえで,「その備えがたりなかった」と釈明しました(以上は『毎日新聞』2011年4月4日,
「検証 大震災」より)。

 これらの言葉には,自分の発言や行為にたいする斑目氏の責任感というものが,まったく感じられません。驚くべき事に,斑目氏は現在でも,原子力安全委員会
の委員長のポストに就いています。

 つまり,国の原子力安全・保安院も,官邸も,そして何より住民も,最終的には専門家集団である原子力安全委員会のお墨付きによって,原発行政を行い,
そのもとで東電も原発を稼働するという仕組みになっているのです。

 避難地区に指定され故郷を離れ得ざるを得なかった人たちは,原発の危険性を多少は感じつつも,原発は安全だという説明を信じて,そして,地域への金銭的な
援助や就業機会が増えるなど経済的な利益も考えて,原発を受け容れたと思われます。

 しかし,実際に爆発事故が起こってしまった現在,避難を余儀なくされた人たちは,「原発は安全」という説明に裏切られ,経済的な利益も全く意味をなさない
ことになってしまいました。

 これでは,「魂の諒解」という形で折り合いをつけることはとうていできないでしょう。

 まして,原発から離れているために何の経済的利益を受けることなく,

 しかし放射能の被害だけは受けて,避難されられた人たち,あるいは農産物や畜産物が売れなくなってしまった福島の生産者たちにしてみれば,魂の諒解など
問題外です。

 原発が内包している「文明の災禍」は,何も福島だけの問題ではありません。今回の原発事故の影響だけを考えても,東日本に住む多くの人は日常的に放射能の
危険をいつも感じています。

 そして,50基以上の原発がある日本では,どこでも「文明の災禍」に見舞われる可能性があるのです。

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放射能-「正しく恐れる」というけれど

2012-04-13 21:02:28 | 東日本大震災
       放射能―「正しく恐れる」というけれど―

福島原発事故(事件)の影響は,1年経った今でも一向に解決の方向に向っていません。それどころか,セシウムのように30年以上もの長期間,
放射線を出し続ける放射能の影響はますます深刻化しています。

基準値を超える放射能に汚染された農作物や魚介類の出荷停止は生産者の経済を直撃し,そして当然ながら日本各地の消費者もそれらを
食べられなくなっています。

また,高濃度の放射能を浴びた原発に近い市町村では,自分たちの家に帰れず,行政的にあるいは自発的に避難生活を強いられています。

これらの目にみえる被害のほかに,いつ,どのような形で現れるかも知れない放射能の健康被害にたいする心配は,東日本全域に重苦しく
のしかかっています。さらに,飲料や食品の

放射能汚染は日本全国の問題で,「今の基準値で本当に大丈夫か?」という心配が絶えません。

そこで厚生労働省は,2012年4月1日から,放射性セシウムの新たな基準値を設定しました。これについては新聞,テレビなどで繰り返し
報道されていますが,念のため以下に示しておきます。

               日本         EU   アメリカ 
          旧基準値   新基準値     
飲料水        200     10    1000  1200 
牛乳,乳製品    200     50    1000  1200
乳幼用食品       ――   50  
一般食品       500    100    1250  1200

セシウム134と137の合計    単位 ベクレル/キログラム
日本の基準値については厚生労働省のホームページ
http://www.mhlw.go.jp/shinsai_jouhou/dl/leaflet_120329.pdf を参照。

上の表について少し補足しておきます。日本は年間の摂取許容量の上限を1ミリシーベルトとし,食品の50%にセシウムが含まれていると
仮定しています。

これにたいしてEUは日本と同じ上限1ミリシーベルトで,食品の10%にセシウムが,そしてアメリカは上限5ミリシーベルトで,食物の
30%にセシウムが含まれていると仮定しています。

ここで,上限の1ミリシーベルトというのは,国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に,一応安全な年間被爆量の上限として提唱した数値
です。

表に示された新基準のベクレル数値は,年間1ミリシーベルトという基準値から逆算し,それ以上にならないように押さえられた数値です。

年間摂取量の上限は日本とアメリカ(5ミリシーベルト)とは異なり,さらに食品中にセシウが含まれる割合も日本とEUおよびアメリカ
とでは大きく異なるので,これらの数値をそのまま比較することはできませんが,表からも分かるように,日本の新基準値は,EUの欧米
諸国と比べてかなり低く設定されているといえます。

日本では,とりわけ乳幼児をかかえる母親の間では,「食物の残留放射性物質ゼロ」を求める声が強くあります。放射性物質は少ないに
こしたことはありません。

しかし,現実的に放射性物質ゼロの食品だけを食べることは難しいかもしれません。

また,過剰に恐れて放射性物質ゼロの食物にこだわっていたら,東日本で採れた農産物や海産物は食べることができなくなってしまうかも
しれません。

現実的な対応としては,市場に出ている食品は新基準値以下の安全な食品でであると考え,それを念頭においた上で,できる限り線量の少
ない食品を消費するしかありません。

ちなみに,日本人のCTやレントゲン写真など医療関連の平均放射線被曝量は,2.3ミリシーベルト,これに自然界に存在する自然放射線
を加えると年間被爆量の平均は3.8ミリシーベルト
となっています。

放射線被爆が人体に与える影響について,年間の被爆量が100ミリシーベルトを超えると明らかな影響が現れ,100ミリシーベルトでがんの
発生率が0.5%(1000人に対して5人)上昇することが分かっています。

しかし,100ミリシーベルト以下の被爆とがんの発生との関係は証明されていません。

昨年の福島第一原発事故の後,政府は「直ちに影響はない」という言葉を繰り返しましたが,この場合の「直ちに」という表現について国民
から多くの疑念が寄せられました。

この「直ちに」とは,100ミリシーベルト以下ならそれほど問題ない,という専門家の意見を反映していたようです。
(『毎日新聞』2011年5月4日,「正しく知って行動しよう」の記事を参照)。

上に示した放射線被曝とがんの発生率の上昇(0.5%)はたしかに無視できません。しかし,がんの発生についていえば,注意しなければなら
ないことは放射線以外にもたくさんあります。
 
国立ガンセンター調べのデータによると,喫煙者のがん発生率は非喫煙者の1.6倍,つまり60%も上昇します。大量飲酒(週エタノール換算
で300~400グラム)はときどき飲む人に比べて1.4倍(40%増),男性の肥満は約30%増,運動不足は15~19%増です。

100ミリシーベルトの被爆がもたらすがんの発生率上昇に匹敵するのは「野菜不足」で,その増加分は0.6%です。

もし,がんの発生を本当に恐れるなら,放射線被爆だけを気にするのではなく,同様に,たばこ,酒の飲み過ぎ,運動不足,野菜不足など,
日常生活のあり方にも注意しなければなりま
せん。日常生活のあり方は,放射能と異なり,自分でコントロールできるのですから。

ところで,放射線被曝の健康被害にたいする対応は,国によって大きなちがいがあるようです。

2012年2月8日の『毎日新聞』(朝刊)に掲載された,ヨーロッパ,特にイギリスの事例は「正しく恐れる」ことに関して考えさせられます。

1986年のチェルノブイリの原発事故は,ヨーロッパの広い範囲に高濃度の放射能をまき散らしました。2000キロ離れたイギリス西部にまでも
放射能は降り注ぎ,土壌を汚染しました。

しかし,ヨーロッパ諸国は土壌の除染も改良も一切行っていません。当然のことながら,地中に染み込んだ放射性物質はやがて植物やそれを
食べる動物に取り込まれます。

これは,牧畜が盛んなヨーロッパでは,深刻な問題のはずです。

イギリス政府(そしてその他のEU諸国政府)の見解は,放射線物質が地中深く染み込んだ土壌を全面的に交換するのは現実的に困難なうえ,
コストが大きい割に効果が少ないというものです。

このような現実主義は日本と大いに異なります。EU諸国の立場は,放射能が時間の経過とともに弱まるのを待つというものです。

食品の放射線についていえば,イギリス政府当局は現在,羊肉の放射線量が1000ベクレル以下なら出荷を認めています。当局の説明によれば,
ICRPが提唱する年間被爆量1ミリシーベルトを基準とすると,1000ベクレルの羊の肉を年間25キログラム食べても,内部被爆量は最大
0.35ミリシーベルトで,1ミリシーベルトを大幅に下回るというものです。

しかも,イギリス政府は,今年の夏には放射線線量の全面規制解除を打ち出す予定です。
 
このように考えると,日本の10, 50, 100ベクレルという上限は,EUの10分の1から50分の1位の厳しい数値です。

上限が低ければ低いほど,安全性が高まることは間違いありませんが,そのために膨大な肉や野菜,海産物などを出荷することができず,
廃棄処分になることも避けられません。
 
これは直ちに地域経済を破壊してしまい,復興は遠のいてしまいます。日本政府は,こうした犠牲を払ってでも安全性を高めるという決断
をしたことになります。

原則的に言えば,政府が出荷を禁止したからには,国の予算で(つまり私たちの税金で)廃棄分を補償する必要があります。

日本はひょっとして放射能を過剰に恐れているのだろうか,それともEU諸国が無神経なのだろうか。どちらが「正しく恐れているのか」
なかなか簡単には判断できません。

一ついえることは,チェルノブイリ原発事故から25年経過し,その間にもEU諸国では1000ミリシーベルトを食品の放射線の上限とする
基準値が適用されてきましたが,現在まで,EU諸国でがんの発生が顕著に増加したという報告はありません。

日本は,原子爆弾の唯一の被爆国として,放射能については厳格な規制をすべきだと思います。しかし,広大な山地や森林,田畑の土壌を
交換する土壌の除染は,どれほどの費用がかかり,そもそも表土を数メートル,あるいは数十センチでもはがしてどこかに持ってゆくと
いうことが可能かどうかも分かりません。

賛否は別にして,EUの現実的な対応は,一つの考え方として参考になるとは思います。いずれ,この問題も国民が決着をつけなくては
なりません。

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東日本大震災と「絆」あるいは「祈ること」

2012-03-23 12:42:39 | 東日本大震災
            東日本大震災と「絆」あるいは「祈ること」 

2011年3月11日という日は,日本人にとって忘れられない日となるに違いない。三陸を中心に東日本を文字どおり震撼させた「東日本大地震」は
巨大津波を引き起こし,一瞬のうちにおびただしい数の人命を奪い建物を破壊した。

他方,地震の激しい揺れと津波によって福島第一原子力発電所で爆発事故(あるいは人災という面が強いので「爆発事件」というべきかもしれない)
が発生し,放射線の被爆を避けるために多くの住民が住み慣れた土地を離れなければならなくなった。

地震,津波,原発事故(事件)という三つが重なった今回の大震災は,戦後最大の「国難」の一つであることは間違いない。

マスメディアには,「絆」あるいは「つながろう日本」といった言葉があふれている。これらの言葉は,日本という社会,日本人全体が被災地の人
たちと心を一つにして,この難局を乗りこえようというメッセージである。ここで,これらのスローガンは,「がんばろう東北」と同様,被災地の

人たち(「内」)から発せられた言葉ではなく,いわば「外」の社会が「外」の人たちに向けて発せられた言葉であることを確認しておこう。

「絆」も「つながろう日本」というスローガンも,今こそ大切であることはまちがいないし,私も大賛成だ。しかし,はっきりとした根拠や理屈が

あるわけではないのだが,これらのスローガンに,どこか素直に受け止めることができない「何か」を感じてしまう。

今回は,その「何か」について考えてみたいと思います。

まず,今回の震災は,日本のすべての地域で同じように深刻に受け取られてきたのだろうかという疑問です。今回の震災は「東日本大震災」と言う
言葉に表現されているように,やはり「東日本」の出来事だったのではないだろか,という疑問がどうしてもぬぐいきれません。

関東圏以東では大きな揺れが人や建物を襲い,多くの人が恐怖を感じました。私自身,立っているのも困難なほど道路が波打ち,電線がうなりを
あげて揺れ,周囲の大型のバスやトラックなども左右に激しく揺れる光景を目撃し,挙げ句の果てに帰宅難民になったので,大地震の恐怖は身体に
深く刻み込まれている。

東京電力圏内では「計画停電」が実施され,そこでは短期間ではありましたが電気のない生活を強いられました。加えて,私の住んでいる地域でも
原発事故の影響で,放射線の線量を監視する日々が続いている。

関東をキー局とするテレビやラジオでは東日本大震災が,日本全体の問題である-もちろん客観的にはそうであるが-ことを無条件に前提として
ずっと報道していますが,その他の地方局では,この震災がどのように扱われてきたのでしょうか。

西日本では地震による家屋の倒壊や死者がでたわけでもありません。震災のしばらく後に私は中部,関西,四国,九州の知人と電話で話しました
が,やはり私自身が感じていた大震災の衝撃とは微妙な「温度差」を感じました。しかし,これはごく自然な反応でもあります。

考えてみると,1995年1月17日の阪神・淡路大地震の際に私自身は,燃え上がる神戸の町並みをテレビで見ながら,どこか映画の一シーン

を見ているようで,「他人事」のように感じ現実感がありませんでした。

まして,「1・17」という数字が,当時にあっても今もそれほど胸に刻まれることもありません。正直に言ってしまえば,自分の中でも距離の

遠さが,「3・11」と「1・17」との受け取りかたに差をもたらしたことを認めざるをえません。

いささか暴論ではありますが,今回の東日本大震災は,日本を一つに結びつける面と同時に,日本を東日本と西日本と二分してしまった面もある
と思われます。

次に「絆」について考えてみよう。これは,「つながる」と同じ意味で人と人とがさまざまな形で結ばれる,つながることを意味します。

実際,寄付金やボランティア活動をとおして,また,被災地を訪れて現実を見ることによって,少しでも被災者との絆を結ぼうと行動した人は
たくさんいます。

また被災地の人たちを元気づけるコンサートを開催したり,各地で被災地の援助のためにチャリティー・コンサートを開いたミュージシャンも
たくさんいます。

自分たちができることをつうじて被災者との「絆」を築き「つながる」ことで元気づけることができることは,やはりすばらしいことで,
これらミュージシャンの善意には何の疑いもありませんし,コンサートで慰めや元気をもらった人もたくさんいたことでしょう。

たとえば昨年12月に宮城県亘理町を訪れた八代亜紀さんのミニコンサートとトークの様子をテレビで見ていると,被災者の皆さんが彼女の歌に
涙を流して聞き入っていました。

八代さんは,震災後に被災地を訪ね,体育館の冷たい床の上で生活している避難所の様子を見て,すぐに故郷の八代(畳表の産地でもある)に
3000枚の畳を発注し,被災地に送っています。彼女が心の底から「絆」を結び「つながろう」としていたことを,会場の人は肌で感じ心を打
たれたのでしょう。

しかし,ミュージシャンの善意と被災者の方々の受け取り方には,時として行き違いが生じます。たとえば,ある新聞の片隅に「もうコンサート
にきてほしくない」という被災者からの控えめの投書が載っていました。

この投稿者はコンサートに,ミュージシャンの善意のほかに,何かしっくりしない違和感を抱いたようです。これは少数意見かもしれませんが,
心に留めておくべき大切な気持だと思います。

同じような行き違いが,震災1周年の2012年3月11日にも起きました。この日には各地で一周年チャリテイ-・コンサートや反原発イベント
が行われました。

これらのイベントの関係者も,やはり善意と正義感に駆られて行動を起こしたに違いありません。

このような情景を見ながら原子力発電所の近くに住んでいて,津波と原発事故による放射能汚染のため,故郷に帰ることができなくなったある
住民はテレビのインタビューで,次のように訴えていました。原発は本当に憎いが,この3月11日だけは,静かな鎮魂と祈りの日にして欲しい,と。

これも少数意見かもしれませんが,やはり尊重すべき心情です。

もしかすると,「3・11」を静かな「鎮魂と祈りの日」にしたいという気持こそが被災した人たちの本当の願いなのかもしれない,と私は思い
ました。

もしそうだとしたら,やはりここにも「外部者」の思いと当事者のそれとの感情の行き違いがあるようです。これは,自分自身,自戒の念を込めて
心に留めておきたいと思います。

私はかつて『関係性喪失の時代-壊れてゆく日本と世界-』(2005年)という本を出版しました。

それは,現代の社会的病理の根底には人と人(社会),人と自然との間の「関係性」が失われていることが大きな問題として横たわっているのでは
ないか,という問題意識から書かれたものでした。

今回の震災を契機に発信された「絆」と「つながろう日本」というメッセージは,奇しくも私の思いと一致しています。

しかし,「絆」や「つながる」ということが,言うのは簡単ですが,実際にそれらを実行することはそれほど簡単ではありません。

というのも,「絆」とはあるていど持続的な関係性を必要とするからです。

寄付金を送り現地を訪れ,ボランティアに行くことも「絆」を結ぶきっかけにはなりますが,その気持をずっと持ち続けることは意外と難しいのです。

しかも,被災地から物理的に距離が離れている場合,私たちは直接的な利害関係がそれだけ薄くなるので,被災者の方々との絆を結び続けることが
難しくなります。

しかし,距離が遠かろうが近かろうが,人と人との絆を結ぶのは,被災者に「寄り添う気持」ではないでしょうか。これには,他人への共感する
精神的姿勢と想像力が必要です。

この大震災から学ぶべきことがあるとしたら,どんなに難しくても,他人に寄り添う気持の上に,共感する姿勢と想像力を働かせて,強い「絆」を
結ぶよう努力する必要がある,ということだと思います。

そうすれば,今は,寄付やボランティアやコンサートなどの直接的な行動ができなくても,いつか,被災した人たちが立ち直るために何かの形で貢献

できることが出てくると思うのです。その時まで,私は被災者を想い,静かに祈っていたいと思います。

今回は大震災と「絆」という観点から書きましたが,他人との「絆」の問題は,災害がなくても,私たちが生きてゆく上で,日々の生活のなかで
とても大切な問題ではないでしょうか。

(なお,震災に関してはすでに別のブログ「大木昌と大木秀子のワクワクライフ」http://blog.goo.ne.jp/wakuwakulife317 の中のカテゴリー「大木昌が震災について思うこと」で,かなり長文の記事を12回書いてありますので,関心のある方はそちらも読んでください)

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