大木昌の雑記帳

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高校生棋士藤井聡太七段―コンピュータAIソフトを超えた将棋の天才棋士―

2020-06-30 14:18:05 | 思想・文化
高校生棋士藤井聡太七段
―コンピュータAIソフトを超えた将棋の天才棋士―

2020年6月28日、将棋界の8大タイトルの一つ、「棋聖戦」(第九一期)の挑戦者となった高校生棋士
藤井聡太七段(17才)が、渡辺明三冠(38才)に挑みました。

渡辺明棋聖はすでに三つのタイトルをもっているので渡辺三冠と表現されますが、その強さに敬意を払って
「魔王」とも呼ばれ、現在の将棋界で最強の棋士と評価されています。

今回のタイトル戦は5戦して3勝した方が勝、となりますが、藤井君はすでに1勝していますので、この対
局に勝てば2勝となり、残り3戦のうち1勝すれば勝利、ということになるので、断然有利になります。

この重要な一戦で藤井君は23分考えて、渡辺三冠だけでなく誰も想定もしなかった常識破りの一手を放ち
ました。この一手で藤井君は渡辺三冠の迷よわせ、じりじりと追い詰めて最後は大差で勝利しました。

この一手についてある将棋関係のジャーナリストは、「最強ソフトが6臆手以上読んでようやく最善を判断
する異次元の手」と評しました(注1)。

私は元来、囲碁ファンで将棋は小学校のころ少しやった程度で、全くの素人です。しかし、藤井君のデビュ
ー以来、多くの対局を見て、プロ棋士の解説を聞いているうちに、いつの間にか将棋にも詳しくなりました。

私が藤井君に惹かれるのは、たんに将棋が強いからというだけでなく、人間「藤井聡太」に教えられたり感
心させられたりする魅力と、人間の頭脳の奥深さというか豊かさにいつも驚かされるからでもあります。

藤井君は14歳の時、史上最年少の中学生プロ棋士としてデビューし、初戦で将棋界の大御所中の大御所、
62才年上の加藤一二三九段と対局して勝利し、世間をあっと言わせました。

まさに鮮烈なデビュー戦で、藤井君は早くも伝説的な棋士となりました。この時の「少年棋士」の印象が強
くて、私は彼が高校生になった今でも「藤井君」と呼んでしまいます。

その後あっというまに29連勝し天才ぶりを発揮し、現在まで数々の記録を打ち立てています。

これ以後の彼の活躍に関しては、このブログでも「天才棋士・藤井聡太の衝撃と魅力―天才が経験と知識と
吹き飛ばす―」(2018年2月4日)、また「またまた驚きの天才『少年』棋士―藤井聡太新七段の場合―」
(2918年5月20日)の2回にわたって書いています。

私はインターネットで配信されている対局(藤井君の対局はほとんどが中継されている)を観る際、一手一
手を一応自分なりに予想します。

もちろんその際、プロ棋士による解説も参考にしますが、藤井君は今まで何回も、解説のプロ棋士でさえ予
想できなかったり、着手の意図が理解できない手を繰り出してきて驚かされました。

数え上げればきりがありませんが、一つだけ例を挙げると(将棋を知らない人には分かりにくく申し訳あり
ませんが)、ある対局で、「飛車」という自分の一番強い駒で、相手の一番弱い駒である「歩」を取りまし
たが、その結果この「飛車」は相手に取られてしまいました。

これを将棋では「切り捨てる」と表現します。例えてみれば、大将が敵の足軽と刺し違えるようなものです。

それを解説していたプロ棋士たちは、その意図が全くわからないこの着手にただただ唖然とするばかりでし
た。この対局は、藤井君が勝利しました。

藤井君の師匠の杉本氏は、藤井君はずっと先の「勝」まで読み切っていただろう、とコメントしました。本
当に恐るべき天才です。

当時、この着手は「歴史的な一手」と評されました。ある、大先輩の棋士は、「私には千年考えてもこんな
手は思い付きません」とコメントしていましたが、ほとんどの人はそう感じたでしょう。

ところで、今回は私なりに人間「藤井聡太」と棋士「藤井聡太」の魅力を書いてみます。もちろん、両者は
重なっていて決して区別できるわけではありませんが、強いて分けて考えてみます。

まず、人間「藤井聡太」の魅力ですが、彼はどれほど大勝負であっても、決して動揺したりおじけることな
く常に冷静さを保っていることができます。

この年の少年(今は青年ですが)が、どうしてこれほど落ち着き払っていることができるのか、この年頃の
自分を考えると、信じられません。これは生まれつきなのか家庭での育ちのせいなのかは分かりません。私
には、常人ではない「宇宙人」のように映ります。

また、公式戦ではない「将棋祭り」のような一種の将棋ファン向けの対局でも、決して手を抜かず真剣に全
力で向かいます。

この姿勢は、彼の謙虚さと誠実さも表わしています。これだけ強く世間でもてはやされれば、多少は得意に
なってしまっても不思議ではありません。しかし、たとえ対局で勝ってもおごることなく常に控えめで謙虚
さを保っています。

対局が始まる時と終わりには必ず座ったまま礼をしますが、いつも相手より深く長く頭を下げています。こ
こにも藤井君の誠実さと謙虚さが現れています。

次に、棋士としての藤井君の魅力についてみてみましょう。

将棋には、「定跡」という決まった一連の着手があります。それは江戸時代以来、多くの棋士が考え抜いて到
達した、「最善」と考えられる着手で、いわば将棋における「定理」あるいは「法則」に近いものです。囲碁
では、これを「定石」と呼びます。

この「定跡」というのは、絶対的な最善手と言う意味ではなく、経験的に有利になる確率が高い、あるいはマ
イナスが少ない有力手、というほどの意味です。

この意味では、定跡は長い歴史を経て磨き抜かれた経験知のかたまりで、いわば将棋界の共有財産です。

しかし、言うまでもないことですが、この「定跡」は周囲の状況によって、有利・不利の程度は異なります。

もし絶対的に有利になる着手であれば、だれもが定跡を採用するでしょう。しかし、相手も定跡を採用すれば、
「絶対有利」対「絶対有利」との闘いとなり、これはあり得ません。

それでも定跡に従っていれば、決定的な悪手になることはないという程度のことは言えます。したがって、プ
ロはまず定跡を考え、それに続いて他の手を考えます。

将棋や碁を離れても私たちは物事の選択に迷った時、「~することが定跡(定石)だ」という表現を使います。

江戸時代からの代表的な対局は棋譜として残っています。プロの棋士になる過程の修行時代、棋士はこれらの
棋譜と定跡をマスターしてきます。

プロ棋士の頭には過去の棋譜と定跡が頭に入っていますから、それらの経験知に頼っていたのでは、他の棋士
と同じで、抜きんでた成績をおさめることはできません。

全ての棋士が頂点を目指して死に物狂いで努力していますから、その中で他を圧する強い棋士になるためには、
定跡という経験知を超えた斬新な構想を考え出さなければなりません。

このような、定跡以外の手は、「新手」とよばれますが、現代では誰かが新手を指せば、多くの棋士が一斉に
その意味や可否、可能性を直ちに検討を始めます。

おまけに現代では、コンピュータのAI(人工知能)を使って、それぞれの着手の評価をプラスまたはマイナス
を点数で示してくれます。

このAIソフトには過去の対局の膨大なデータがあり、そこから着手の評価が行われます。

しかし、コンピュータには限界もあります。というのも、確かにコンピュータ・ソフトは無限に近いデータを
蓄えることができますが、そこからどのような結論を導くかは、人間が作ったプログラムによって行われます。

したがって、ここにはプログラムを作った人の主観や好みや、意図など人間的な要素が入り込みます。

自分でパーツを買ってきたパソコンを組み立ててしまうほどコンピュータが好きな藤井君も当然、AIを組み込
んだ将棋ソフトを利用しています。

ある時、テレビで、将棋のAIソフトを活用していますかとの質問に、“自分もコンピュータの将棋ソフトを利用
していますが、それは、将棋ソフトを活用している人たちにどうしたら勝てるかを研究するためです”、という
趣旨の答えをしています。

つまり、コンピュータのAIソフトを超えた将棋を考えるために、これを使っているというのです。

これを聞いたとき正直私は、藤井君というのはとんでもない天才が出現した、と心底驚きました。

最後にあと二つだけ藤井将棋の魅力を挙げておきます。一つは、どんなに不利な場面でも、その
状況の中での最善手を徹底的に探すことです。これは私たちの人生の中でも十分、参考になる姿
勢で教えられます。

二つは、短時間のうちに20手、30手先まで展開を読んでしまう頭の回転の良さと速さです。
これは他の棋士が真似しようにもできない、言葉の真の意味で天から授けられた「天賦の才」、
英語でいう”gift”なのでしょう。

7月1日2にはもう一つのタイトル戦「王位戦」が、最年長タイトル保持者の木村一喜王位との
七番勝負の第一局が始まります。

そして7月9日には、渡辺三冠との「棋聖戦」第三局が行われ、これに勝てば史上最年少のタイ
トル保持者となります。

どちらも目を離せない、将棋ファンにとって、とりわけ藤井ファンにとってはワクワクする対局
です。とにかく、すばらしい将棋を見せてくれることを期待します。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
早朝の森は冷気と新鮮さに満ちています
 

(注1)Yahoo ニュース 2020年6月29日 
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20200629-00185551/

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日本は本当にコロナ制圧に成功したのか?―ファクターXは何か―

2020-06-22 12:57:32 | 健康・医療
日本は本当にコロナ制圧に成功したのか?
   ―「ファクターX」は何か―

安倍首相は5月25日、緊急事態宣言解除の記者会見の冒頭、「わずか1か月半で流行をほぼ
収束させることが出来た。日本モデルの力を示した」と内外に向かって豪語しました。

首相は、ロックダウンなど罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することなく、「お願い」
ベースで自粛を呼び掛けただけなのに、わずか1か月半で今回の流行をほぼ収束させることが
できた、これこそ“日本モデル”と言いたかったのでしょう。

しかし、この発言には多くの批判が寄せられています。実際、政府は具体的にどんな政策を行
い、それがどのような効果をもたらしたのかは全く検証されていません。

はっきりさせておく必要がありますが、そもそも安倍政権がロックダウンを導入しなかったの
は、たんに法律的にできなかったからで、何らかの具体的な展望のもとで政策的に導入しなか
ったわけではないのです。

コロナウイルスを抑える上で最重要のPCR検査「能力」は1日2万2000件に達したと言
いましたが、制度的・人員的な問題から実際にはその数分の一程度しか実施されていません。

それにもかかわらず、主要メディアの中には、あたかも“日本モデル”なるものに実質的な中身が
あり実際に有効であったかのような報道さえ見受けられます。

その、最大の根拠となっているので、新型コロナウイルスによる死者の絶対数が、欧米諸国と比
べて圧倒的にすくないことです。

確かに、5月15日の段階でみると、日本の死者は713人であったのに対して、アメリカ、
8万7568人、イギリス、3万4078人、イタリア、3万1610人、スペイン、2万74
59人、とケタが違います。

これだけを見ると、日本はすごい、と自慢したくなる気持ちも分からなくありません。では、な
ぜ、と問われると、なかなか決定的な答えは見つかりません。

私が見聞きした“説”は、実にさまざまです。たとえば、強制されなくても自主的に自粛した日本人
の優れた国民性、手洗いを頻繁に行う衛生観念と習慣、マスクを付ける習慣などを挙げます。

そのほか日本人の多くがBCG接種を受けてきたこと、国民皆保険制度があること、医療体制の
充実、医療水準の高さ、などなど、医学的にも疫学的にも実証されていない“説”もたくさん出さ
れてきました。

どんな素人の“説”でも、私は、あながち否定することはできないと思います。しかし、山中伸弥
教授が、日本人の死亡者数が少ない要因を、「ファクターX」と名づけて、それを医学と科学の
目で探ろうとしていることからも分かるように、今のところ、専門家の間でさえ解明されていな
いのが実情です。

私は日本を特別視すること自体が、かなり的外れだと思っています。

菅谷憲夫氏(慶應義塾大学医学部客員教授,WHO重症インフルエンザガイドライン委員)が、
『日本医事新報』に寄稿した「日本の新型コロナ対策は成功したと言えるのか─日本の死亡者数は
アジアで2番目に多い」と題する論文で、巷に流れている「日本は成功した」とする言説に疑問を
菅谷氏は人口10万人当たり新型コロナウイルスによる死者数を示しています.

アジア諸国では、インド(0.20)、中国(0.32)、パキスタン(0.40)、シンガポー
ル(0.38)、バングラデッシュ(0.21)、インドネシア(0.44)、日本(0.56)、
フィリピン(0.77、)、韓国(0.71)、タイ(0.88)、台湾(0.71)です。

これに対して欧米諸国は、アメリカ(26.61)、イギリス(50・46)、スペイン(58.
75)、イタリア(58.20)、フランス(42.27)、ドイツ(9.47)、ベルギー
(78.96)、オランダ(33.61)、スイス(22.15)
菅谷[2020.5.30]より作成 2020年5月15~16日現在(注1)

これらの数字ら明らかなように、10万人当たりの死者数でみるとアジア諸国全体で欧米の10
分の1から100分の1で、比較を絶して低くなっています。

しかし、見て欲しいのは、日本の死者数率(0.56)人はアジア諸国のなかではフィリピンの
(0.77)人に次いで多くなっています。しかも、上記のアジアの国の中には、死者がゼロのベ
トナムは入っていません。

つまり、日本はアジアでは優等生どころか、むしろ劣等生なのです。

ここで、これまで日本が特別に死者数の比率が少ないと言われてきた幾つかの根拠に大きな疑問符
が付きます。

たとえば、日本人は手を洗う衛生観念が発達しているから、とかマスクを付ける習慣があるから、
といった理由を考えてみましょう。

私は中国と台湾を除いて現地に行ったことがありますが、たとえばタイで地元の人が日本人よりも
頻繁に手を洗っているとは考えられないし、ましてマスクをしている姿は見たことがありません。
インドでもパキスタンでも全く同様です。

これらの国が、医療体制や医療水準をみても、日本より低いとは言いませんが、少なくとも日本よ
りずっと優れているとも言えません。

それでもタイの10万人当たりの死者数は0.08人と日本の7分の1、ベトナムでも同様に手洗い、
マスク姿は見たことがありませんが、死者はゼロです。

あるいは、これらの国の国民は日本人より自主的に自粛を守り、ソーシャルディスタンスをきっちり
守っている、という証拠もありません。

都市封鎖(ロックダウン)、あるいは外出規制についていえば、アジアの多くの国で適用されてきま
したが、それが原因で死者数が少なかったことを説明することはできません。

たとえばベトナムの場合、4月1日から23日までロックダウンが適用されましたが、その前と後に
は現在にいたるまで適用されていません。それでも今日まで死者がゼロに留まっています。

一方、フィリピンではドゥテルテ大統領が、外出規制を守らなかった人を警察官は射殺しても良いと
の指示を出し、実際に射殺された人もいます。それほど、厳しく外出規制をしても、フィリピンの人
口当たりの死者数はアジア諸国の中でも最悪です。

アジア諸国内での違いを含みながらも、対照的になのは欧米諸国です、時には警察力を用いてまで長
期間、ロックダウンを続けてきても、やはり人口あたりの死者数はアジア諸国とはケタはずれに多く
なっています。

そもそも、公権力による法的な外出規制がコロナウイルスの抑制効果にたいして、先に言及した菅谷
教授は疑問をもっています。

ロックダウン期間中に人々が免疫を獲得したわけではなく,またSARS-CoV-2が完全に消失するとは
考えられず、単に厳しい外出制限により人と人の接触が減ったので,患者数が一時的に減少したに過
ぎない。

つまりロックダウンの有無は死者の数とはあまり関係ないということです。

以上のようにみると、日本だけが突出してコロナ制圧に成功したという根拠はほとんど消えたと言えま
す。私は、クルーズ船での感染防止対策とPCR検査を最初からもっと大々的に行っていれば、死者はさ
らに少なかったのではないかとさえ思っています。

要点はむしろ、アジア諸国と欧米諸国との違い、という点にあります。

いずれにしても、日本をはじめアジア諸国の人口当たり死亡者が少ないことに関して菅谷氏は、原因は
不明であるが可能性として考えられるのが,①人種の差,②年齢構成の違い,すなわちアジア諸国では
若年層が多い,③BCG接種の影響,④欧米諸国では,高い感染力を持ち病毒性の強い,アジアとは別の
SARS-CoV-2流行株が出現した─等が考えられる、としています(注1)。

さらに、最近、偶然ラジオで物理学者(名前は失念)が語っていた仮説も興味深い。彼は、アジアでは
米を主食とし繊維質を多く摂っていて肥満が少ない(6%)が、欧米人は食物繊維の摂取が少なく肥満
が多い(30%)点に着目します。このため欧米人に肥満からくる心疾患、脳血管系疾患、糖尿病など
の基礎疾患をもつ人が多くなり、新型コロナ肺炎に感染した場合の死亡率を高めているのではないか、
という推論です。これも一考に値します。

また、日本の特殊事情に関して、京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授らは、新型コロナの
うち、「K型」と「G型」という2つの型があるとし、日本人ではまったく無自覚のうちに、1月中旬に中
国発の弱毒性『K型』が流行のピークに達したと考えます。

中国からの厳密な入国制限が3月中旬までもたついたことが幸いし、中国人観光客184万人を入国させ、
国内に『K型』の感染が拡大して集団免疫を獲得したとされます。

一方、欧米は2月初頭から中国との直行便や中国に滞在した外国人の入国をストップしたので、国内に弱
毒性の『K型』が蔓延しなかった。その後、上海で変異した感染力や毒性の強い『G型』が中国との行き
来が多いイタリアなどを介して、欧米で広がったとされます(注2)。

いずれにしても、現段階では何が決定的な「ファクターX」であるのかは依然として究明すべき課題です。
アジアと欧米との違いについては、要因が判明し次第報告します。


(注1)『日本医事新報』 No.5014 (2020年05月30日発行)(最終更新日: 2020-05-20) https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14724
(注2)『NEWSポスト セブン』5/21(木) 16:05配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/24f74208d7c271723fe24bcd5163f1122588b07c?page=2



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本田圭佑の新たな挑戦―ポスト・コロナを展望する新事業の設立―

2020-06-15 21:51:19 | 社会
 本田圭佑の新たな挑戦
―ポスト・コロナを展望する新事業の設立―

私は、以前から本田圭佑にたいして、サッカー選手・アスリートであると同時に一人の人間
として興味をもっていました。

このブログでも、2018年7月1日に掲載した、「人間『本田圭佑』が面白い」というタイト
ルの記事で、彼が現役のサッカー選手でいながらに、次世代のサッカー選手を育てるために
世界中にサッカー・スクールを設立・運営していることを手始めに、さまざまな社会的活動
をしていることを紹介しました。

現在、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに本拠地を定めていますが、SNSを通じて、新型コ
ロナへの警戒のメッセージを日本へ向けて発信し続けています。

また、今年の5月、最近、例の黒川氏の定年延長に関連して政府が提出しようとした「検察
庁法改正」にたいして、多くの芸能人、ミュージシャン、演劇人、などがツイッターなどを
通じて、この法案に反対の意志を表明しました。

反対の意志を表明した人たちにたいして、「潰す」「干されるぞ」「黙ってれば良いのに」
といった攻撃的投稿が多々寄せられました。

世間の注目を浴びた、きゃりーぱみゅぱみゅさんに対しては、政治評論家の加藤清隆氏から
「歌手やってて、知らないかも知れないけど」と、上から目線で職業差別的発言が飛ばされ
ています。これも十分相手を黙らせる効果があるものです(注1)。

この時、本田圭佑は、26日に更新したツイッターで、有名人に対して政治的発言を呼びか
けていました。そして同日に更新したツイターでは「素人が何で経済や政治について語っち
ゃダメなん?ダメなのは批判とただの誹謗中傷の違いを理解してない人の意見」と政治発言
に対する批判に対して物申していました。

さらに、ツイッターで、「誹謗中傷はやるなって言ってもなくならないし、なのでやっても
いいからちゃんと強い人を狙うこと」とクギを指します。

そして、不満があり誹謗中傷をしたいなら、そのはけ口を自分のツイッターに投稿して、と
も書いています。本田は、アスリートの中では社会的な発言を積極的に行います。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回は、本田圭佑の新たな挑戦、それも、ポス
ト・コロナを見据えた事業への挑戦について紹介したいと思います。

日本経済新聞(電子版 2020年6月15日)によれば、プロサッカー選手の本田圭佑、高岡
浩三氏、溝口勇児氏が6月、国内スタートアップに投資するファンド「WEIN挑戦者ファンド」
を立ち上げます。

「スタートアップ」とは、短期間で、イノベーションや新たなビジネスモデルの構築、新たな
市場の開拓を目指す動き、または概念です。ただし、法人(会社)そのものを指すものではな
く、「起業」や「新規事業の立ち上げ」という解釈が一般的です。

スタートアップの目的と条件は、イノベーションと社会貢献が条件で、短期間に結論を出す戦
略を最初からもっていることです。

このファンドは、以下に述べる趣旨に合う企業に資金を提供しますが、ファンド自体も事業を
手がけるということなので、やがて部分的に企業化もしてゆくものと思われます。

「WEIN挑戦者ファンド」の理念・目的は、健康や社会の持続可能性など「ウェルビーイング
(幸福)」を目指す企業を育成すること、としています。

興味深いのは、本田圭佑と組んだ他の二人との組み合わせです。

このファンドの立ち上げに参加した3人のうち高岡氏はネスレ日本前社長で、溝口勇児氏は、
健康管理アプリの「FiNCテクノロジーズ」(東京・千代田)創業者の溝口勇児氏です。

まず3氏を含む個人投資家から20億円を集めます。投資は「孤独や退屈、不安といった21世紀
の課題に挑む技術を持った、国内スタートアップ」を対象とします(溝口氏)。

具体的には健康や教育、SDGs(持続可能な開発)、地域振興やSNSなどのコミュニティー関
連企業に投資することになっています。

これらの領域の関連企業は世の中にいくらでもありますが、このファンドは、単に儲かりそう
な新たな新規事業に投資するといった発想ではありません。

その根底に、幸福を脅かす「孤独や退屈、不安といった21世紀の課題」を解決するという理
念に基づいている点が一般の投資ファンドとは大きく異なります。

現在、世界は新型コロナウイルスによって、健康とウェルビーイング(幸せ)が根底から脅か
されていることを考えると、このファンドはポスト・コロナを見据えた事業であるといえます。

この挑戦がこれからどのように展開してゆくのかに興味がありますが、それと同時に、どのよ
うにして、これらの異分野の人が結びついていったのかも非常に興味がありあす。

現役選手でありながら米俳優ウィル・スミス氏との投資ファンドを設立するなど活動を広げて
きた本田氏と、3月末に退任するまで巧みなマーケティング戦略でネスレ日本を率いた高岡氏と
いう異色の組み合わせで既成概念にとらわれないファンドを目指しています。

3人が組む触媒となったのは溝口氏です。彼は、12年に創業したFiNCでは、人工知能(AI)を
活用した健康管理アプリを軸に従業員200人規模のヘルスケアスタートアップに成長した勢い
のある企業でした。しかし、彼の事業領域の拡大や積極投資を続ける溝口氏の経営に社内に反
対が多くなり、2019年末、CEOを降りることとなりました。

彼がCEO引退の発表前に友人の本田にそれを報告すると、本田から「次の挑戦は一緒にやろ
う」と声をかけられファンドの構想を練っていったという。

溝口氏と本田が合流し、そこに呼応したのが高岡氏でした。実は溝口氏との付き合いは古く約
7年に及ぶ。知人経営者の紹介で知り合うと、高岡氏が開く起業家との勉強会で人脈作りを支
援してきました。

溝口氏は高田氏のことを「イノベーションとは何かを高岡さんから学んだ。最も尊敬する経営
者」と語っています。その高岡氏は、イノベーションとは「顧客が気づかない問題を解決する」
ことだと説きます。

こうして溝口氏は二人の仲間を得て、「貧しい家庭で育ったのに、仲間に囲まれ素晴らしい環
境にいる。自分にとって挑戦を続けることは義務」、と自身の原点をこう語ります。

19年末、溝口氏がブラジル渡航前の本田圭佑に、起業家をどう見極めるのか聞くと、「重圧を
エネルギーにでき、この人に賭けたいと思わせる人」と返ってきました。

溝口氏も本田も、お互いに“賭けたいと思う人”として認め合っていたことをうかがわせるエピ
ソードです。

こうして、実力のある3人が理想とする事業を一緒に行うために手を組むことになったのです
が、このような展開はめったに起こることではありません。羨ましい限りです。

この記事を書いた日経新聞の企業報道部の山田遼太郎高岡氏は、「3氏の新ファンドは日本発の
イノベーションを生み出せるか。その挑戦は一度、挫折を経験した起業家が日本をやり直しのき
く国かどうか問う物語の始まりでもある」と結んでいます。

私は、このファンドが、どこまで「孤独や退屈、不安といった21世紀の課題に挑む技術を持った、
国内スタートアップ」を育て、社会に幸福をもたらす事業展開をすることができるのか、非常に
期待しています。

なぜなら、これこがポスト・コロナの目指す一つの方向だからです。

次回から、もう少しマクロの視点から、日本と世界におけるポスト・コロナ時代がどんな風景と
なるのかを展望してみたいと思います。


(注1)『論座』(デジタル版)2020年05月18日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020051600003.html?page=2
(注2)日本経済新聞 電子版 2020/6/15 2:00
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60262800R10C20A6XY0000/?n_cid=NMAIL007_20200615_A 


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「雑」について―雑草と薬草に関する雑学―

2020-06-07 09:13:36 | 健康・医療
「雑」について-雑草と薬草に関する雑学―

世の中には、動植物や物事に「雑」を付けて、ひとつの大きな性格付けをすることがあります。

たとえば、動植物では雑草、雑木、雑魚、物事では雑念、雑事、雑食、雑学、雑誌、雑記、雑然
など、挙げればきりがありません。実際、このブログのタイトルも「雑記帳」となっています。

それでは、“雑”とは何でしょうか? これを考える時、“雑”の反対の概念は何かを明らかにすれば
分かり易いでしょう。

辞書的には、“純”あるいは“整”で、混ざりもののない純粋の“純”、あるいはばらばらではない整理
されている“整”ということになります。

いずれも、辞書的には特に否定的な言葉としては扱われていませんが、実際には、“雑”には、一
段劣って、価値が低い物や事柄、という意味合いを含んで使われます。

たとえば、「雑木」といえば、元々“望まれた木ではない”さまざまな木を一くくりにした言葉です。
つまり、スギやヒノキのように、人間の役にたつ、あるいは商品として売れるような価値のある
「有用木」以外が“雑木”という枠組みの中に入れられています。

しかし私は、純でないものごと、整然としていないものごとも、やはり社会にとって必要なのでは
ないかと考えています。

というのも、新しいこと、素晴らしいことは、”雑”の中から生まれてくる可能性があると考えてい
るからです。

それでは改めて、「雑草」とは何でしょうか?これも、雑木と同様、人間にとって価値のない草、
有用ではない草、ということになります。

では、人間にとって価値のある草とは何か、といえば、一つは、その美しさが観賞用として価値があ
り、商品としても価値がある草で、もう一つは、有用性という意味では、食用として、あるいは薬草
としても利用価値が高い草ということになります。

いずれにしても、私たちは、人間にとっての有用性を基準として価値のない草を勝手に「雑草」と
してあつかっています。考えてみればこれは、自然界にあるものに、人間の価値観で序列をつける
傲慢な態度と言わなければなりませ。

さらに、雑草という言葉には、人工栽培の対象にならず、野山に自然の状態で生えている草、とい
う意味もあります。

ところが、現在では一般には薬草として利用されず、たんなる「雑草」として見向きもされません
が、かつても、現在でも一部の人たちには薬草として利用されていた草もたくさんあります。

私は薬草に関心があるので、今回は、「雑草」と薬草の関係について考えてみたいと思います。

雑草と薬草について考える時、私には常に思い出されるエピソードがあります。

それは、紀元前5世紀、ブッダ(釈迦)が生存したマガダ国で活躍したジーヴァカ(耆婆)の話で
す。

耆婆は当時第一の名医といわれた師匠について医術を学びました。そして、もう学ぶ事がなくなっ
た最後の段階で師匠から、ここから1ヨージャナ(約7200メートル)四方)の区域を探して、
自然の植物の中で薬草にならないものがあったら、それを持ってこい、と言われました。

耆婆は薬草にならない草があるかどうか探しに出かけました。

ところが耆波は自然の植物の中には薬草にならないものはないことを知って、何も持ってこなかっ
た。これを見た師匠は、もうお前は全ての医術をマスターした。よって何も教えることはない。医
術で立派に生計を立てることができる、と言われました。

こうして耆波は、この国のすぐれた外科医となりブッダの侍医として活躍しました。

このエピソードには、細部において若干異なるものもあるが、全体としては、耆婆が、この自然界
にある植物で薬にならないものはないことを悟ったということは、彼が医術の奥儀を極めたことを
意味する、という点にある。

『ブッダの医学』の著者、杉田氏はこのエピソードについて「宇宙と人間は一体であるという思想
からすべての自然の植物は薬草になり得るという合理的な理論を耆婆がもっていたことが推察され
る」とコメントしています(注1)。

私は、上記のエピソードは、古代インド人の世界観・自然観と医術とのかかわりを示唆しているよ
うに思えます。

つまりこれは、自然界の全ての植物は人間の医療に必要なものを与えてくれている。ただ、多くの
人はそれに気が付かないだけなのだ、というメッセージなのです。

さて、ひるがえって、現代の日本に住む私たちは、どれほど“雑草”の中の薬草について知っている
でしょうか?

今回は誰も知っている“雑草”をいくつか取り上げます。なお、説明のうち、最初の部分は、著者が
経験的に利用してきた効能や用法を書いた、一条ふみ『草と野菜の常備薬』(1998 自然食通信社)
より引用しました。

その後に[ ]内に示した効能と説明は、もうすこし学術的、体系的な著作、伊澤一夫『薬草カ
ラー大辞典:日本の薬用植物のすべて』(主婦の友社 1998)からの引用です。後者には826種が
掲載されており、900ページ、写真入りで私見の限り、日本の薬草に関して最も網羅的な本です。
この本をみると、まさにインドのブッダの侍医となった耆波が見抜いたように、薬草にならない
草はない、という感じがします。

以上を念頭に置いて、ここでは四種類の、私自身が近くの森でみつけた、ごくありふれた”雑草”、
実は薬草を取り上げます。

ドクダミ                                              ツユクサ
 

もっとも普通に見ることができるドクダミです。ドクダミは薬が使えない時代に頼り     ツユクサは名前のとおり、梅雨のころから本格的な夏にかけて繁殖します。             にされた薬草です。採ったドクダミを風通しの良い場所で陰干しします。          使い方は大きく育って花が咲く前に太めの茎から選んで根っこごと三日くらい陰干し
十分に煎じ、ドクダミ茶として飲みます。名前のとおり、ドクダミは体の毒を出す、     にして、生乾きの時に煎じてお茶にして飲みます。効能対象は、腎臓病です。
と考えられてきました。このため、特定の病気に対して、というより、むしろ万病      [解熱・下痢止め]
を防ぎ健康を維持するために常日的に頃飲むお茶として用いられてきました。 
[利尿・便通・高血圧予防]

フキ                                         カントウタンポポ
                                              
フキをよく食べると中風にならないといわれています。また、フキの葉をすりつぶして     良く知られた薬草です。効能は、胃をものすごく丈夫にするほか強壮剤
絞った汁を飲んだり、乾燥させて煎じたものを飲むと、咳や痰、気管支喘息などを抑え     でもあります。根っこは肝臓にも効果がある。タンポポの根をよく乾燥
てくれる。フキの根は解熱作用もある。                          させて鉛筆を削るように少し削ってお茶にしてのみます。これは浮腫や
[咳止め]                                         婦人病、さらには母乳の出をよくします。切り傷とは腫物には花の下のの                                           所を折って出てくる白い液をつける。
                                            [健胃・催乳・B型肝炎・咳止め・去痰・強壮・切り傷]

薬草による病への手当は、民間療法、と言われ、それは近代医学より遅れた、信頼でき
ない療法である、との認識があります。確かに、現代医学が生んだ抗生物質を始め、多
くの化学製剤は病の治療に大きな役割を果たしつつあります。

しかし、抗生物質には耐性ができてしまった菌の問題があり、さらに慢性化した疾患に
は必ずしも有効でない場合もあります。

薬草は、近代製薬のように劇的な効果はないかもしれませんが、副作用は極めて少なく、
なによりも、長い時間をかけて日本人が試してきて安全と、ある程度の効果が確認され
たものです。

そして、薬草というのは、先人が残してくれた、貴重な財産であり、文化でもあります。
それを、失うことは、あまりにも大きな損失です。




(注1)(注1)杉田暉道『ブッダの医学』(1987年 平河出版社):92~93ページ。







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