大木昌の雑記帳

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大義なき衆議院解散(1)-消費増税延期は争点隠し?-

2014-11-30 07:22:01 | 政治
大義なき衆議院解散(1)-消費増税延期は争点隠し?-

安倍首相は2014年11月18日,首相官邸での記者会見で,来年10月に予定されていた消費税率10%への引き上げを,
2017年4月まで1年半先送りする考えでいることを表明しました。

この際,景気が悪ければ増税をしなくてもよい,という「景気条項」を来年1月の通常国会で廃止し,再延期はしないことをも述べました。

その上で,増税延期の判断の是非を国民に信を問うという名目で,21日,安倍首相は衆議院の解散を宣言しました。まだ,任期を2年残
しての解散でした。

この解散については,さまざまな推測やコメント,批判がマスメディアで伝えられてきました。

まず,この解散の理由として安倍首相が挙げているのは,消費増税を延期することを決めたことです。

しかし後に述べるように,国民の目を消費税や経済問題に向けさせるのは,安倍首相の,本当の狙いをはぐらかす,争点隠しでもあると思います。

これに対して,「景気条項」があるのだから,何も国民の信を問う必要はない,したがって解散に大義はない,という批判も多く寄せられました。

安倍首相は,税は民主主義の根幹であり,消費増税を延期するのは重要な変更だから,解散して国民の信を問う必要があると説明しています。

この理由付けは,ほとんど子供だましのようなもので,まったく正当性がないことはことは誰の目にも明らかです。

もし,この延期が,民主主義の根幹である税に関する重要な変更であるから国民の信を問う,ということであれば,安倍首相は,それ以上に重要
な変更をしてきました。

たとえば,強行採決までして特定秘密保護法案を通したことは,民主主義の根幹にかかわる,さらに重要な変更になるのだから,こちらの方こそ
国民の信を問う必要があったはずです。

また,集団的自衛権行使容認の閣議決定も,やはり安全保障にかんする重要な変更ですから,当然,衆議院を解散して信を問うべき問題です。

このように考えると,今回の解散には,国会の審議を中断して政治の空白をつくり,700億円の費用をかけて行う大義はありません。

しかし,安倍首相にとっては,こうした批判は織り込み済みで,国会で絶対多数をもっている現状を背景に,理屈にならない理屈でも押し通して
しまうという強権的な姿勢が前面に出ています。

解散の是非とは別に,なぜ今,このタイミングで解散か,という疑問も多く出されてきました。

自民党議員の中でも,テレビ局のインタビューに答えて「増税延期は解散の大義にはならない」という幹部もいました。

自民党の高村正福総裁は11月14日の党役員連絡会で,「万,万が一,選挙をやるとすればアベノミクスでデフレ脱却,これでいいのかどうか
再確認するための念のため選挙』になるのではないか」と述べています。(『朝日新聞』11月15日,朝刊)

「念のため」の選挙に700億円以上の国費をつかうことに何の道義的な後ろめたさ感じていないところが,自民党の傲慢さと倫理的頽廃を端的に
表しています。

ところで,マスメディアでは,今回の解散が,あたかも突然浮上したかのように報じられていますが,少なくとも安倍首相と菅官房長官との間で,
夏から綿密に計画された,練りに練った解散時期だったようです。(『東京新聞』2014年11月20日)

もちろん,内閣改造直後に,閣僚2人が辞任せざるを得なかったことが,時期を多少早めたことはあるでしょう。しかし,大筋では,
今回の解散時期は安倍首相の心の中では計画どおりのタイミングでした。

それは,すでに多くの人が指摘しているように,安倍内閣の支持率が高いうちに解散し,自公で過半数は間違いなくとれるだろうから,政権は
維持できるという読みです。

それでは何も,今,解散しなくても2年後の衆議院選挙まで待ってもよさそうですが,今解散することには,少なくとも四つの利点があると
考えられます。

これら四つの利点を総合的に考えると,今回の解散総選挙が,「安倍首相の,安倍首相による,安倍首相のための解散総選挙」
であることがわかります。

あるコメンテータがテレビの情報番組で言っていたように,今回の解散劇は,「政治で飯を食っている政治家のあざとさ(きたなさ,ずるさ)」
が突出している安倍首相の政治手法です。

以下に,これら四つの利点についてみてゆきましょう。

一つは,もしここで解散しないと,来年の10月からの消費増税,集団的自衛権の法制化,原発の再稼働などこれから先には,
国民にとって不人気な案件が待ち構えており,安倍政権にとって不利になることはあっても有利に働く状況にはありません。

安倍首相には,選挙をすれば多少,議席は減るかもしれないけれど,その打撃も今なら最小限に留まるだろとの読みがあります。

特に重要なのは,今年の12月に消費税率の引き上げを発表すると,来年4月に行われる全国統一地方選挙において不利になります。
したがって,消費税率の引き上げを先延ばしにすることによって,このマイナスを避けることができます。

さらに10%への増税を2017年4月まで延期すると,2016年夏の参院選で,国民に不人気な増税が選挙の争点にならないで済む,という利点
があります。

つまり,来年の統一地方選挙と再来年の参院選挙において,消費増税を争点からはずすことができるという,自民党にとって有利な状況が
うまれるのです。

安倍首相個人の問題で言えば,今回の選挙で与党が過半数をとれば,来年の総裁選で安倍首相が優位に立ち,今後さらに四年間の政権維持が
約束されます。

二つは,今,電撃的に解散すれば野党各党は選挙への対応ができにくいし,野党間の選挙協力体制も短期間では無理だろう,
という読みです。

事実,野党にとって,この2週間と少しで候補者を選出し,選挙態勢を整えるのは大変でしょう。まして,野党間の協力となれば,
なおさら時間がかかります。

三つは,最初から意図していたのか,付随的に生じたのかは分かりませんが,選挙戦術的なメリットです。

つまり,野党も国民も反対できない消費増税の延期を理由に解散・総選挙をおこなうと,争点がぼけてしまい,有権者としては何を根拠に
投票してよいか分からなくなっています。

こうなると,かなり多くの有権者は棄権する可能性があります。その結果,組織票をもつ自民党と公明党にとって非常に有利になります。

ここまで計算していたとすれば,テレビのあるコメンテータが言っていいたように,「政治で飯を食っている政治家のあざとさ」
ということになります。

四つは,今,選挙をやれば自公で過半数は取れるとうい計算のもとに,安倍政権は今後4年間,国民の信任を得たこと
になります。

今後4年間に集団的自衛権の拡充,集団的安全保障への参加,さらには憲法改正まで視野に入れた安全保障体制の確立,
そして,その前提となる憲法改正(というより憲法改悪)などの政策課題を実現する展望が開けるということです。

安倍首相は,アベノミクスの是非を問うというようなこともしきりに言っていますが,彼のこれまでの言動から判断すると,
本心では,経済はむしろ国民の目を引くための手段で,本心は政治・軍事の面で,戦前の日本への回帰することへの願望の方が重要だと
思われます。

原発の維持と推進は,財界からの資金援助を含む支持を得るという意味があります。しかも,原発を稼働させることによって精製される
プルトニウムは核兵器の材料となるので,その潜在的能力を保持するという隠れた軍事的意味もあります。

今回の選挙については,まず,これまでの2年間に安倍政権がおこなってきた政策・政治の評価が最重要の争点になるべきです。

これらについては,次回に検討したいと思います。

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【いぬゐ郷だより10】


11月29日には,里山の田んぼにバイオマス・トイレを作るために,雨の中,竹切り作業をしました。
里山で竹を切る作業


里山の秋の風景


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日本人の生活意識(3)-他人のためか自分のためか―

2014-11-25 05:16:23 | 社会
日本人の生活意識(3)―他人のためか自分のためか―

人は社会の中で生活しているので,日常生活において常に対人関係にさらされています。その際,私たちは他の人や
社会に対してどのような気持で接しているかが問題となります。

「意識調査」はこの点に関して,複数の質問を設けています。その一つは,「たいていの人は,他人のために役にたとうとしている
と思うか」,あるいは「自分のことだけに気をくばっていると思うか」というものです。

上記の質問に対する全体の答えは,「他人のため」と「自分のことだけ」がほぼ同じ,45対42でした。つまり半数弱の人が,
「他人のために役に立ちたいと」と答えています。

この比率は世代を超えてほぼ同じでした。しかし,1978年の全体状況と比べると大きな違いがあります。この時「他人のため」
はわずか18%で,「自分のことだけ」は74%でした。

これ以後,「自分のことだけ」の割合は一貫して減り続け,逆に「他人のため」は増えてゆきました。

これらの数字を見ても分かるように,日本人が本質的にいつの時代も「他人のために役に立ちたい」と思っているわけではなく,
少しずつこのような空気が醸成されてきたと考えるべきでしょう。

そのプロセスをみると,1978年以降5年ごとに「他人のために」が増え続けましたが,2008年調査から2013年調査時点にかけて
特に大幅に増えました。

この背景には,1995年の阪神・淡路大震災,2011年3月の東日本大震災以来,多くの人がボランティアとして被災地に行ったり,
そうでなくても,
そのような人々のことをメディアで見て「他人のため」に改めて目覚めたという可能性は十分あります。

ボランティアに関する質問は,2008年が最初で,この時,「現在している」「過去にした」「そのうちする」は合計61%の人が,
ボランティア(他人のため)を肯定的に考えていました。

2013年の調査では,この割合は69%で,2008年よりは上昇していていま。両年の間には東日本大震災がありました。

震災をきっかけとしてボランティアへ肯定的な姿勢の上昇に影響がしていることは間違いないでしょう。

こうした意識の変化は,若者の間で確実に浸透しているようです。

上田紀行氏(東工大教授)が2006年に20歳前後の大学生200人に,次の質問をしました。

     あなたが就職して派遣された東南アジアの工場は有毒な廃液を流していて,下流で住民が病気になり死者も出ている。
     あなたは工場長にかけあったが,
     事実を隠蔽することを求められた。あなたはどうするか?

その答えに上田氏は驚きます。①「自分の名前を出して内部告発する」が3人,②「匿名で情報をリークする」が15人,
③「何もしない」が180人いたそうです。

その結果に上田氏は,「君たち,自分の工場のおかげで人が死んでいるんだよ」と問うても,大多数の学生たちは隣同士で
顔を見合わせて「何もするわけないよな」とうなずきあっていたという。

ところが,同じ質問を東日本大震災の3か月後の2011年6月にやはり200人の学生を対象にしたところ,結果は,①は30人
,②が100人,③が70人でした。

さらに1年後(2012年)に同じ質問をしたところ,結果は①が50人,②が120人,③が30人でした。(注1)

以上の3つの時点における答えから,これらの学生に関する限り「社会正義と「他人のために」は明らかに東日本大震災の
影響で高まったといえます。

「他人のために」という意識は東日本大震災で津波による被災地へ多くの若者がボランティア活動に参加したことからもうかがえます。

また「社会正義」に関しては,福島第一原発の爆発事故により多数の住民が家を離れざるを得ない現状が続いている現実をみて,
企業利益よりも社会正義の方が重要であるという意識を高めたのだと思います。

震災の年の2011年8月,私がゼミの学生にボランティアを呼び掛けたところ,ほとんどのゼミ生が参加を希望したため,宮城県の
被災地に1週間ほどボランティアに行きました。

この経験は彼らに「他人のために」という意識を高めたことは間違いありません。

また,私が勤めていた明治学院大学は,もともと「Do for Others=他人のために」を大学の理念として掲げていることもあり,
東日本大震災後,多くの学生が被災地へボランティアに行っています。

上田氏は,2014年にはまだ同じアンケートを行っていないので,現在どのような状況にあるのかは分かりません。できたら,
あと数年は継続的に同じ質問を続けて欲しいと思います。

というのも,私が少しかかわっている三陸地域の町の人は,日が経つにつれて人々の関心が薄れ,震災が風化していることに
危機感を抱いているからです。

若い世代の社会正義への意識が高まり,「他人のために」という意識の目覚めは,本当に頼もしい限りです。この意識を是非
持ち続けて欲しいと思います。

少し心配があるとすると,実質賃金が15か月も下落しつつあり,格差が拡大しつつある現代日本において,貧困化した人々が,
「他人のために」という余裕を失うことです。


(注1)上田氏の調査に関する記事は『東京新聞』2014年11月8日,15日)を参照。





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日本人の生活意識(2)―あなたは豊かになれると思いますか?―

2014-11-20 05:23:37 | 社会
日本人の生活意識(2)―あなたは豊かになれると思いますか?―

前回は,「2013年日本人の国民性調査」の結果から,現在の日本人の生活意識の中で,「果たして日本人は
幸せを感じているか」という点に焦点を当てて検討しました。

今回は,同じ調査結果から,「幸せ」とは非常に密接な関係にはあるけれど,少し異なる,「豊かさ」についてみてみます。

まず,「国が繁栄しても,一部の人がもうけるばかりで,国民ひとりひとりの生活はよくならない」か,あるいは「国が繁栄
すれば国民一人一人の生活もよくなる」か,との質問に対して「よくならない」は31%,「よくなる」が67%でした。

この質問が最初に問われた1978年には37%対57%でしたから,大筋では変わっていないことがわかります。

日本経済は,1991年のバブル崩壊に続いて2008年のリーマンショック以後,「失われた20年」といわれる不景気に見舞われ
ています。

この間に,一部の富裕層や大企業は富を増やしたかもしれませんが,多くの国民の実質賃金は一貫して低下しており,格差の
拡大が深刻化しつつあります。

それでも,3分の2の国民は,国が繁栄すれば自分も豊かになる,と考えていることがわかります。

それでは,果たして,国は繁栄していると考えているでしょうか?これにたいする直接的な質問項目はありませんが,
「最近の経済面での不安はあるか」という質問でこれを知ることができます。

その答えを見ると,「全く感じない」はわずか8%で,「非常に強く感じる」(10%),「かなり感じる」(24%),
「少しは感じる」(57%),計91%は何らかの経済不安を感じているようです。

そして,どの年代でも男性より女性の方が経済不安を強く感じています。恐らく,働く女性なら自分の労働環境や
賃金をみて,また主婦なら日々の生活の中で実感しているからでしょう。

このような不安を反映して,「人々の生活は豊かになると思いますか,貧しくなると思いますか」という質問に,
「豊になる」は23%,「貧しくなる」は40%,

「変わらない」が32%で,「豊かになる」と感じている人は,全体の4分の1以下で,少数派であることがわかります。

ただし,この項目に関しては,20歳代とそれ以外の年代層との間に大きな違いがあります。すなわち,20歳代では,
「豊かになる」が41%もあるのに,他の世代ではこの比率は20数パーセント(60歳代では14%)です。

若者が「豊かになる」ことに期待を抱いているのは救いではありますが,反面,世の中の中心を占める壮年・中高年が
そのように感じていないのは,現実の厳しさを示しているとも言えます。

年を追ってみると,日本の経済がまだ豊かさを感じていた1978年には,「豊かになる」と答えた人が44%もいました
から,2013年には,そのように感じている人は,かつての半分に落ち込んでしまったことになります。

なおこの調査は,地域別の分類をも行っています。他の質問項目では地域差はあまりなく,「豊かになる」と思っている
人は,どこの地域でも20%ほどです。

しかし,「貧しくなる」に関しては大きなちがいがあります。突出しているのは,北海道で56%,次が東北地方で50%,
つまりこの両地域では半分以上の人が将来,自分たちの生活は「貧しくなる」と感じているのです。

東北地方に関しては,この理由はあるていど分かります。一つは,2011年3月11日の大震災,津波,福島第一原発の爆発事故
により,津波で破壊された太平洋沿岸部はいうまでもなく,放射能の直接的,間接的風評被害も含めて放射能の影響がこの
地域全般に暗い影を落としています。

次に,広大な米の単作地帯を抱え,米が経済の大きな部分を占める東北地方の農業は,予想されるTPPの導入によって
安いコメが大量に輸入されると,将来は立ち行かなくなるのではないか,という不安があると思われます。

しかし,北海道については,なぜ,「貧しくなる」と感じる比率が最も高いのかについての理由は分かりません。

強いて挙げれば,人口の減少が止まらないことが考えられます。

北海道の人口減少率0.54%(2013年)は全国平均0.19%より高いものの,青森県や秋田県のように1%を超えてはいません。

ところで,「豊かさ」の判断は現時点の状態だけでなく,将来にたいする安心感も問題になります。

残念ながら,2013年度のついては,「定年・老後」に関する質問は行われませんでしたが,「将来に備える」か,

現在を「楽しむか」という質問にたいする答えから,間接的にわかります。

それによると,全体の約3分の2に相当する64%は「将来に備える」べきだと考え,現在を「楽しむ」派は
3分の1の32%でした。

当然のことですが,この比率は年齢とともに大きく変化します。すなわち,20歳代では,「将来に備える」と
「楽しむ」は,それぞれ48%と同じでした。

しかし,これより上の年齢層では徐々に「将来に備える」割合が増え,60歳代にはこの割合が76%にまで急上昇し,
70歳代では76%にも達します。

恐らく,定年を既に迎えているか,間近に定年を控えている人たちは,老後の生活不安を抱えて,「将来に備える」ことに
強い関心があるのだろうと思います。

なにしろ,以前とちがって,平均寿命が男性でも80歳に,女性は86歳にまで延びているので,年金生活に入ったら
貯蓄なしには生活ができなくなることを実感しているのでしょう。

しかし,ここでもう一度,「豊かさ」について考えてみたいと思います。通常,広い意味での「豊かさ」は経済的な面
だけでなく,精神的な面も含めますが,ここではそれは視点が広がりすぎてしまうので,経済面だけに絞ることにします。


「豊かな社会」,あるいは自分が「豊である」と感じるのは,将来の生活に不安がないという状態でなければなりません。

しかし日本の現状は,必死で働いている間は何とか生活できるが,退職すると途端に年金だけでは生活できない事態に
直面します。

このため,ある年齢に達すると,将来に備えて貯金しはじめ,実際に年金生活に入ってもできる限り節約して将来に
備えるようになります。

私の知人のオーストラリア人夫婦は,年金受給が始まるのをずっと楽しみにしていて,実際,年金が始まると,
二人でキャンピングカーを買って,広い大陸を何か月もかかって旅行していました。

日本では,定年になって年金生活を楽しみにするという人は,ごく一部ではないでしょうか。しかし,
オーストラリアでは,何も特別な事例ではありません。

また,知人のオランダ人夫婦のご主人の方は心臓病を抱えているため,生活保護で生活しています。彼らは法律で特別に
安い家賃で小奇麗な家に住むことができ,

車を所有し,友人付き合いも普通にこなし,定期的にコンサートなども楽しんでいます。

現役の時代に,普通に働けば,老後は国家社会が生活を保障するというのが,豊かな社会だと思います。

また,不幸にして病を得てしまった時には,社会が生活を支える,というのも豊かな社会にとって,絶対に必要な条件です。

定年後の再就職を思い煩い,実際に老後の生活に苦労しなければならない,また健康を損ねるとたちまち経済的困難に
直面してしまう現状を考えると,

日本はまだまだ貧しい状態にあることを痛感します。

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日本人の生活意識(1)-幸せを感じていますか?-

2014-11-15 05:45:12 | 社会
日本人の生活意識(1)-幸せを感じていますか?-

政府は1953年(昭和28年)以来,文部科学省(旧文部省))所管の「統計数理研究所」が5年に1度「国民性調査」
を行っています。

今回は2013年の調査で,20歳以上85歳未満を対象に6400人を無作為抽出し、面接方式で3170人から回答を得ています。(注1)

ただし,この調査結果は,統計的な数字を示してはくれますが,それぞれの数字の意味や背景については何も解説がありません。

なお,項目によっては,過去の結果も示されていますが,以下の説明では,特にことわらない限り2013年の調査結果を示しています。

以上を念頭に置いて,今回は,調査結果のうち,日本人が個人として今の生活をどのように感じているかを,「日本人は幸福を
感じているのか?」,生活の中で「何が一番大切か」に焦点を当て,それに関連した若干の項目にも触れてみたいと思います。

まず,「幸福か」という問いに対する答えに,「とても不幸」を―(マイナス)5点,「普通」を0点,「とても幸せ」を
+5点とし,全体を11段階に分けます。

結果をみると,全体(全ての年齢層と男女)としての数字は,―1以下(程度の差はあれ「不幸」)が16%,「普通」が
24%,「幸せ」との答えは60%に達しています。

この数字だけを見ると,日本人の3分の2は「幸せ」だと感じていることになります。

しかし,「病気 いらいら」という項目で,「いらいら」にかかったことがありますか,という質問に対する答えをみると,
上の数字をそのまま信じることはできません。

ここで,いらいらに「かかった」という表現は適切とはいえませんが,おそらく,病と一緒の項目に入っていたからでしょう。

要は,病気のように「いらいらを状態になっていますか」,あるいは「いらいらを頻繁に感じていますか」という質問のようです。

男女,そして全ての年齢層を含めての総合評価では,50%が「あり」で,49%が「なし」ですから,日本人は平均して
「いらいら」を感じている人といない人がほぼ半々であることになります。

しかし,この平均値は70歳代男性の28%と70歳代女性の39%によって,かなり低い値に押し下げられています。

とりわけ注目すべきは,女性の「いらいら」度が非常に高いことです。すなわち,20歳代女性は77%,30歳代女性は76%,
40歳代女性は69%が「いらいらあり」となっています。

これにたいして,男性の「いらいら病」にかかっている割合は,20歳代で55%,30歳代は57%,40歳代が54%と,
過半数を超えてはいますが,その割合は女性ほどではありません。

これらの数字から見ると,20歳代から40歳代の,いわゆる子育て世代の女性がもっとも「いらいら」を感じている,
つまりストレスを感じていることが分かります。

結婚している女性が家事と育児と,かなりの割合で仕事(パートも含めた)の負担を同時に担わされているからだと
思われます。

これに対して男性は,確かに,ほぼ半数が「いらいら」を日常的に感じていますが,おそらく,そのほとんどが会社
などでの仕事のストレスが原因であり,家事・育児によるストレスがない分,いらいらは同年代の女性より少ない
のでしょう。

安倍政権は女性の活用を戦略目標に掲げていますが,女性の負担が大きい現状では,さらなる女性の活用は,
「いらいら病」をさらに蔓延させることになりかねません。

現在のところ,女性活用は言葉だけで,この点にたいする十分な配慮が具体的に示されているとは思いません。

実際には,想定される労働力不足を補うために,あわてて女性活用を言いだした,非常にご都合主義的なスローガンである
と言わざるを得ません。

日本人の幸せ感と関連していると思われる項目をみると,「一番大切なもの」にたいして,全体の評価は「家族」
がもっとも多く44%でした。

まだ戦後復興の途上にあった1958年(昭和33年)の調査では,この割合は12%でしたから,全般的には家族重視の傾向は
近年になるにしたがって強まったことは明らかです。

しかし,ここにも男女に差があります。すなわち,家族が一番大切と答えた割合が最も大きかったのは30歳代の女性で
60%でした。一方,同じ30歳代でも男性は46%でした。

この違いは,実際に家事・育児を担当している小さい子供を抱えた女性と,家庭よりも仕事に重きを置いている男性との
意識の差からくるものでしょう。

もう一つだけ,幸せ感と関連のある質問項目を見てみましょう。それは,「楽しみは(男と女の)どちらが多いか」
というものです。

全体の平均は,「男が多い」割合は33%,「女が多い」が46%でしたから,やや女性の方が「楽しみが多い」と
思っている人が優勢です。しかし,
世代別,男女別で見るとこの比率は大きく変わります。

20歳代の男性からみて「男が多い」は47%,「女が多い」は21%という割合でしたが,20歳代女性からみると,
「男が多い」は11%,「女が多い」は約8割の78%となっています。

つまり,この年代の女性は,圧倒的に自分たち女の方が楽しみが多いと感じています。若い女性は,何かと世間で
もてはやされることが多いからかもしれません。

ところが400歳代になると,再び変わります。この年代の男性からみて「男が多い」は39%,「女が多い」が30%
という結果でしたが,同年代の女性からみて,「男が多い」と感じているのは24%,「女が多い」は53%です。

つまり,40歳代の男性は,社会的に地位も経済力もついていきて,自分たちの方が「楽しみが多い」と感じています。

しかし女性の場合,自分たち女の方が「楽しみが多い」と感じている割合は過半数を超えています。

ただし,その割合は20歳代の女性よりかなり低くなっています。これは,現実の日常生活において,40歳代の女性の
方が負担が大きいからでしょう。

男女の「楽しみ」にたいする認識の差は60歳代になると,もっと極端になります。この年代の男性からみて「男が多い」48%,
「女が多い」は23%でした。

しかし女性から見ると,「男が多い」はわずか19%,「女が多い」は60%で,「男が多い」の3倍に達しています。

この年代になると,定年を迎え社会の第一線から退いている男性もかなり多いと思われます。今までできなかった趣味
を楽しむ時間のゆとりができるという意味で,「男が多い」と感じているのでしょう。

他方,女性は子育ても終わり,それまで様々な活動をとおして築いてきた友達仲間と楽しむことができるので,
上のような結果になったのだと思われます。

60歳代の女性は,会社や組織を離れた男性は友だちも少なく,「男はつまらないだろうな」と思っているようです。

ところで,「楽しみ」に関する質問項目が最初に取り上げられた1963年(昭和38年)の数字を見ると,全体の平均では
「男が多い」は約7割の69%,「女が多い」は12%しかありませんでした。

しかも,1963年のこの数字は,200歳代~60歳代までのどの世代も,男女を問わずほとんど同じでした。

この質問に関して1979年から1997年までの数字はありませんが,1998年の数字をみると,男性の方が「楽しみが多い」
割合は40%に,それ以降は30%台に減少しています。

どうやら,高度成長期からバブル期,バブル崩壊を経て,男性は次第に厳しい状況に追い込まれていった反面,
女性は確実に自分たちの「楽しみ」の領域を広げていったようです。

次回は,日本人が社会や国とのかかわりの中で何を考えているかを,今回と同じ調査結果から見てみたいと思います。


(注1)この調査の統計的集計は,http://survey.ism.ac.jp/ks/table/index.htm で見る ことができる。
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田畑の仕事は一段落の状態なので,私がいつも走っているサイクリング・ロードの秋の風景をお見せします。(写真のどこかをクリックすると拡大されます)


まっすぐに延びるサイクリングロードの両側にはススキが覆いかぶさっています。心地よい秋風の中を疾走します。



いつも,一応の目的地としている,佐倉市のオランダ風車の回りは一面コスモスが咲き乱れていました。

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遠いまなざし(2)―30億年のはるかなる生命記憶―

2014-11-10 07:00:32 | 自然・環境
遠いまなざし(2)―30億年のはるかなる生命記憶―

前回は,三木氏の個人手的な体験から,ふとしたことがきっかけで少年期の記憶がよみがえってきたこと,
そして,日本人のルーツが,音に対する脳の理解の仕方ではポリネシア型に属し,血液型分布では西アジア・東ヨーロッパ
人型に属することを立証していった経緯を書きました。

日本人のルーツをさらに遡ると,人類の,そしてさらには生物の歴史にまでたどり着きます。つまり,彼の「遠いまなざし」
は生命史の記憶にまでその射程を延ばします。それを端的に,次のように表現しています。

いいかえれば(記憶とは),人間の意識とは次元を異にした,それは「生命」の深層の出来事なのである。
   アメーバの裾野になるまでひろがる   生物の山並みを舞台に,悠久の歳月をかけた進化の流れのなかで,先祖代々営まれ,
   子々孫々受け継がれてきた,そのようなものでなければならない。
   人々はこれを「生命記憶」とよぶ。

この「遠いまなざし」こそが,三木氏に,始原の生命から現在にいたる進化の過程を解剖学的に実証して見せた原動力となったのです。

タイトルだけ見ると,本書は,体内にいる胎児の話なのかとの印象を受けます。しかし,その奥には,30億年以上もの昔,
海の中で誕生していらいの生命史の中で,人間が自然の中で刻んできた命のリズムを,胎児の成長と重ね合わせて,
解剖学的に明らかにする,という壮大な展望が描かれています。

それを実証するために,三木氏は中絶された胎児を病院から貰い受け,受胎後の日数ごとに標本としてならべ,胎児の顔を
顕微鏡でみながらスケッチしてゆきます。

この作業をとおして,その変化を記録し,人類がたどってきた生命史を読み解こうとします。

それでは,人間の胎児の変化を通して,なぜ生命の歴史がたどれるのでしょうか。それは,「個体発生は系統発生を繰り
返す」という生物発生学の原理によって説明されます。

これは,個体(ここでは一人の人間)が産まれる時,海の中に出現した単細胞の原始的生物から,その後にたどってきた
すべての進化の過程をたどってくる,という原理です。

したがって,一つの卵が受精したその瞬間から,母親の胎内でヒトにたどり着くまでの進化の過程を繰り返すのです。

植物と動物との進化過程は省きますが,今から約4億8000年前の古生代シルリア期に,海の中に最初の脊椎動物が現れます。
そして,初期の脊椎動物は「魚」です。

地球史をみると,地球は陸地が優勢になる「陸盛期」と海が優勢になる「海盛期」とを周期的に繰り返します。

脊椎動物が現れた古生代には二つの大きな造山運動が起こり,今までの海が陸地化したり,陸地に囲まれた巨大な淡水湖
が出現しました。

この過程で,今までと同じように海中での生息ができた脊椎動物(魚)たちもいましたが,陸地に囲まれた淡水湖に適応
した魚もいました。

またある者は,水の世界と陸の世界を往復しながら、鰓と肺とを両方もつ両生類(たとえばカエル)が誕生します。

この古生代の生物の物語を「脊椎動物の上陸」と呼びならわしています。

この「上陸」は生物にとって,まさに命がけの行動でした。ただ,これは一気に成し遂げられたわけではありません。

この間,1億年という長い時間をかけて行きつ戻りつしながら,ある者は死に絶え,あるものはかろうじて上陸に成功する
という苦難に満ちた進化の過程を経たのです。

何とか上陸できた脊椎動物の両生類から,やがて決然と水から離れて陸上生物となり爬虫類や生類への進化した生き物たち
がいます。その代表が恐竜です。

そして,いよいよ,恐竜におびえつつ人間の祖先となる原初の哺乳類が誕生することになります。

しかし,肺呼吸をする哺乳類となっても,クジラやイルカのように再び海に戻ってしまった生き物たちもいます。

さて,ここまでが,人間にたどりつくまでの壮大なドラマですが,この30億年余にわたる進化を人間はどのように繰り
返してきたのでしょうか。

ここで,三木氏は受胎した胎児の観察に踏み込むことになります。


人間の胎児が母親の体内で経てくる変化を,顔の描写を通して示したものが,下の4枚の図です。


    


まず4つ並んだ顔の上段左が,受胎後32日目の胎児の顔と手です。この32日目とういのは意味があります。というのも,
この時初めて母体は妊娠を知り,中絶をした場合の胎児を貰い受けることができるようになるからです。

これは生物が「魚」の段階にあった時期で,胎児は羊水という「海」のなかで生きています。

その頭部を見ると,目は魚のように顔の両側についており,鰓弓,鰓孔など魚の呼吸器器官をもっていますし,手はヒレ
あるいは水かきの形です。

これが生物史では4億年前の古生代デボン紀に相当します。

続いて上段右が,受胎後34日目の胎児の顔と手です。この段階で,目はまた横についていいますが,鼻孔が出現し,
左右の前脳胞は大脳半球への道を歩み始めています。

しかし,まだ「魚」の痕跡である鰓孔があります。手には,本のわずかへこみができて指への変化が現れます。

これは,生物史では2億年ほど前の魚類から両性類への進化の段階に相当します。

次に下段左が36日目の胎児の顔と手です。大脳半球はさらに発達し,目は以前より真ん中に寄り,鼻孔もさらに中心により,
鼻隆起の横に移動しています。

手は5本の指が形成されつつあります。

口の裂け目も次第に輪郭を整えてきますが,その上部は深い亀裂が見られ,兎口の形状を保っています。そして,
魚の痕跡である鰓孔は徐々に耳孔に変化しつつあります。

これは,ほぼ爬虫類と鳥類の段階に相当し,今から1億5000万年前のことです。

そして,下段右は38日目。目はまだ真ん中には来ていませんが,その動きは見て取れます。二つに割れた
大脳半球は一つになり,口はわずかに上部への切れ込み(兎口)を残していますが,目・鼻・口の配置は
5,000万年前に誕生した哺乳類のものになっています。

ここまでの胎児の顔をみると,これが本当に人間の姿か,と驚きます。

ところで,この受胎32日目から38日目までの1週間で胎児が経験してきたことは,生物史的には,魚類
から哺乳類への進化,1億年にわたる「脊椎動物の上陸」の壮大なドラマなのです。

1億年という長い時間の中で,生物が命をかけてたどってきた道を,ヒトは母体の羊水の中で,わずか1週間で
経験するのです。

非常に象徴的なことですが,この苦難に満ちた危険な脊椎動物上陸の1億年は,人間の母親が受胎32日から38日の
1週間に経験する「つわり」の時期と符合するのです。

この時,胎児も魚から哺乳類へと激烈な変化を経験し,母子ともに生存をかけた闘いをしているのだと考えるのは,
想像が過ぎるでしょうか?

そして,下の図が受胎後40日目。ようやく胎児はヒトの顔になります。



以上が,「個体発生は系統発生を繰り返す」という生物進化の実態ですが。それを1枚の図にしたものが下の
生物進化の系統図です。


        

この系統図は,受胎32日目に,生物進化の過程では上陸を開始し,38日目に上陸が終わったこと(鰓から肺へ),
受胎から出生,そして成長の過程と生物進化の過程との対応関係を示しています。

ちなみに,両性類のアオウミガメの場合,受胎12日に上陸を開始し,16日目には上陸が終わります。

ところで,完全に陸上生物となった人間は,本当に生命の生みの親である「海」から離れたのでしょうか?

そうではありません。胎児は「羊水」という母親体内にある塩分を含んだ「もうひとつの海」の中で命をつなぎ,
やはり塩分を含んだ血液が命を支えています。

緊急時に血液の代わりに体内に注入されるリンゲル溶液の塩分濃度は古代の海水のそれと同じだといわれています。
「血潮」という言葉は,これを見事に表現しています。

そして,人は「塩」無しには生きてゆけません。「塩」こそが「海」を象徴する命の源なのです。

三木氏の『胎児の世界』は,今の私たちが,生物が30億年余の長い,苦難の道を経てたどり着いた存在である
ことを,「生命記憶として」「遠いまなざし」で見させてくれます。

そして,ともすると命を軽視する現代社会に生きる私たちに,命にたいする深い尊厳と畏敬の念を強く呼び起こし,
命の大切さを訴えています。

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遠いまなざし(1)―日本人のルーツに関わる記憶と回想―

2014-11-04 04:59:17 | 自然・環境
遠いまなざし(1)―日本人のルーツに関わる記憶と回想―

最近,身内に赤ちゃんが産まれたこときっかけで,昔読んだ,三木茂夫著『胎児の世界』(中公新書,初版 
1983,2009年,第27版)を読み返してみました。

の三木茂夫(1925-1987)氏は,九州帝国大学航空工学科を経て、東京大学医学部へ進んだ,医師・医学者としてはやや異色
の経歴をもっています。

その後の経歴も異色で,東大助手の後、東京医科歯科大学助教授を経て,東京芸術大学教授として教鞭をとりました。

三木氏の専門は,解剖学,発生学,形態学などの医学分野ですが,著書には詩人ゲーテ,ドイツの哲学者ルートヴィッヒ・
クラーゲス(1872-1956),作家の夢野久作などが頻繁に引用されています。

また,三木氏は仏教や道教の陰陽五行説にも深い関心をもっており,純粋に自然科学的な医学とはかなり違います。

これは30年以上も前に出版された本ですが,現在まで27版も再販されるほどの,今や古典と言えるロングセラー本です。

今回,この本を改めて読み返してみて,とても衝撃的だったのは,「はじめに」の冒頭,第一行目の次の文章でした。
   
  過去に向かう「遠いまなざし」というのがある。人間だけに見られる表情である。

三木氏がこれを感じたのは,何十年かぶりで母校を訪ね,その校庭に立ったその時,目に映る一木一草に無数の想いがこもった,
と書いています。

なぜそのように感じたのかを,「いまのここ」に「かつてのかなた」が二重に映し出されたのであろう,と説明尾しています。

映画などで使われる手法で,現在の状況に過去が重ね合わされる回想シーンを想像すると分かり易いでしょう。

「遠いまなざし」は,確かにあります。私たち誰もが経験する,子供時代を過ごした場所を訪れたとき,ふいによみがえってくる,
ずっと昔の記憶を無意識のうちにたどっている,あの時の「まなざし」です。

私事で恐縮ですが,私の母は93歳で亡くなりましが,90歳を過ぎて,まだ付き添っていれば外出できた時のことです。

お正月に街の中を歩いていた時,「獅子舞」の一団と出会いました。母は,その獅子舞の方に顔を向けているのですが,
どうもその目は,獅子舞の動きを追っている風ではありませんでした。

目の焦点は,宙に浮いて,どこか遠い場所,遠い過去をさすらっているようでした。その時私は,母は恐らく,獅子舞を見て,
楽しかった幼い日々の記憶をたぐり寄せ,回想していたのだと思いました。

三木氏によれば「記憶」と「回想」とはよく混同されますが,本来別ものだそうです。

記憶とは,過去の体験が,知らない間にいつしか体に入り込んでしまい,日ごろ意識しないまま,私たちの脳裏にしまい
込まれている体験です。

それが,何かの拍子に,ふっと出てきたりして,私たちは過去のあれこれを回想することになります。

解剖学的な変化については次回に譲り,今回は「遠いまなざし」について,三木氏に従ってもう少し具体的にみてみましょう。

それは,日本人のルーツに関わる,「遠いまなざし」です。

三木氏は,ふとしたことから,個人の幼児体験よりずっとずっと古い,日本人がやってきた遠い遠い過去の記憶に思いを
馳せることになります。

一つは,三木氏の小さなお子さんにお土産を買おうとデパートに立ち寄ったときのことです。三木氏は人の波に押されて偶然,
果物売り場に運ばれてしまいました。

その時,当時として珍しかった椰子(ヤシ)の実を見つけました。それを見たとき「えもいわれぬ懐かしさのようなものが
こみ上げてきて」その一つを買って帰ります。

家に帰り,椰子の殻に穴を開け,ストローで中の液体を吸ってみました。その時の印象は,「なんだ,こりゃあ」。
それは,拍子抜けというべきか,全く他人の味ではなかったと直観的に感じたそうです。

むしろ,懐かしい味とでもいった,そんな味でしたが,次の瞬間,「いったい,おれの祖先は・・・・・ポリネシアか」。

これはもう,ほとんどはらわたから出た叫びで,そこには理屈も何もありませんでした。

三木氏の疑問は,後に意外なところから解明されることになります。それは,音をどのように聞くか,についての自然
科学的実験がヒントでした。

日本人は,自然の音を左の言語脳で聞くらしいということが確かめられました。たとえば,風の音や小川の流れる音など,
日本人は自然の風物を“語りかける友”として眺めてきたからだろうと,三木氏は想像します。

しかし,欧米人は,たとえば虫の音を一種の“雑音”として右の音楽脳で受け止めるのと対照的です。

三木氏が驚いたのは,他の民族について調べたところ,近くの韓国や中国の人たちは,日本人とは異なり,完全にヨーロッパ・
アメリカ型であることが分かったそうです。

そこで,世界中の民族を片っ端から調べたら,日本人と同じ脳の型がやっと出てきました。それがなんと,ハワイ,サモア,
トンガ,ニュージーランド(マオリ族)などなど,まさにポリネシアの諸民族だったというわけです。

先ほどの,椰子の実が「えも言われぬ懐かしさ」の感情を呼び起こし,その果汁が「懐かしい味」として感じられたのは,
日本人の祖先がたどってきた太古の記憶が,
ふとよみがえってきたからだと,三木氏は納得したのです。

もうひとつ興味深い事例として,三木氏が正倉院の宝物展を見に行った時のエピソードが語られます。

よく知られているように,正倉院の宝物には西域(中央アジア)から運ばれた文物が多く収蔵されています。

この展示物を見に来た人たちの目は,ガラスのケースの中に注がれているのですが,その方向は,ケースを通り越して,
どこか遠くを彷徨(さまよ)うといった風に感じられたそうです。

三木氏自身も,それらの宝物は,西域の地から胡人の手によって遠路はるばるもたらされた異境のものという感覚が
まるでなく,形も色合い・デザイン全てが身内のものだと感じたという。

この謎を解くために,三木氏は,今度は世界の民族の血液型(A,B,AB,O型)の分布を調べます。それにより,
日本人はどうやら,単純に「アジア人型」でも「ヨーロッパ人型」でもなく,「西アジア=東ヨーロッパ人型」
の仲間であることが分かりました。

つまり三木氏が言いたいのは,私たち日本人には「ポリネシア」の血と「西アジア=東ヨーロッパ」の血が流れており,
それらの太古の記憶が,味覚,感性,聴覚,生理的嗜好などがDNAの中に深く刻まれているということです。

これら二つのDNAは,次の二つの歌曲に象徴的に表れていると言います。

   月の砂漠をはるばると旅のラクダが行きました・・・・
   名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ・・・・

これら二つの歌曲のメロディは,それぞれ対照的なメロディです。つまり,前者は短調で哀愁に満ちている,いわば
“陰”のメロディであるのに対して,後者は長調で“陽”です。

さらに前者は,皓々(こうこう)たる月の光を浴びた砂漠であり,後者は夕日まばゆい大海原です。

また,前者は“陸”で後者は“海”,月光の“冷”と日光の“暖”とのはっきりとした対比がみられます。

前者は行き過ぎてゆくラクダという動物であり,後者は流れ寄る一個の椰子という植物です。

ラクダは「絹の道」を通って文物を運び,椰子の実は柳田国男が言うところの「海上の道」をたどって日本に
流れつきました。

こうした対照的な違いがありながらも,私たち日本人は,“月の砂漠”の歌も,“椰子の実”の歌も,
ある種の感慨をもって歌い,聞きます。

それは,日本人が「西アジア=東ヨーロッパ型」のDNAとポリネシア人のDNA双方をもっているからだ
ということになります。

私たちは,ずっと昔のことが何かをきっかけに,ふとよみがえってきて懐かしさを感じることがあります。

それこそが,三木氏の言う,「遠いまなざし」,「生命記憶」なのです。

この「遠いまなざし」がどこから来るのかを解剖学的に解明してゆくのですが,次回はそれを,人類(ヒト)
がたどった30億年のはるかなる生命記憶として紹介したいと思います。

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