大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

検証「岸田首相」(2)―アベノミクスを継承する「成長と分配」―

2021-10-22 15:17:43 | 政治
検証「岸田首相」(2)―アベノミクスを継承する「成長と分配」論―

岸田首相は、総裁選に立候補した時から、安倍・菅政権との違い、そして場合によっては
これを否定して岸田色を出そうとしてきました。

たとえば、当初、モリ・カケ・桜の問題に関して、多くの国民がまだ十分に説明されてい
ないと考えているとしたら再度調べる、とまで踏み込んでいました。

しかし、これは、あっという間に引っ込められてしまいました。もちろん、安倍元首相へ
の忖度と、安倍氏からのしっぺ返しを恐れたからです。

そのほかにも、前回見たように、総裁選で主張していた看板政策、1.令和所得倍増、
2.金融所得課税の強化、3.子育て世帯への住居・教育費支援 4.健康危機管理庁の
創設 5.党改革(役員任期 連続3期まで)などは、高市政調会長が主導して作成され
た選挙公約では全て削除されています。

ここまで変節してしまうと、岸田首相は安倍・菅政権との違いが消えてしまいます。

そこで岸田首相は、成長と分配の好循環を通じて経済を活性化する「新しい資本主義」
という「言葉」を繰り返し発するようになっています。

ここで「言葉」と言ったのは、岸田氏が、「新しい資本主義」という言葉にどれほど深
い意味内容を込めているのか疑問だからです。「言葉」だけの問題かもしれません。

これは、新自由主義(市場原理主義)が、全世界的に貧富の格差を拡大し、社会に分断
を生じさえていることを考えると、岸田首相が分配に注目した「新しい資本主義」とい
う方向性は間違いではありません。

そもそも、日本においては、第一次小泉純一郎内閣の時代に、竹中平蔵氏の下で、民営
化(代表的な事案は郵政民営化)、市場原理主義、個人責任などの新自由主義政策が大
々的に推進されました。

新自由主義の信奉者である竹中氏は、2002年(平成14年)に経済財政政策担当大臣と
して、金融担当大臣も兼任して以来、安倍・菅政権の終わりまで、日本における新自由
主義政策を主導してきました。

その結果、日本社会に貧富の格差が拡大し、本来なら社会の中枢を担う中産階層が没落
し、貧困層、とりわけ非正規労働者と一人親世帯の貧困化が顕著になってきました。

今回の総選挙で自民党も、野党の立憲民主党も、“分厚い”中産階層の復活を謳っている
のは理由がないわけではありません。

「成長と分配」に関して岸田首相は当初、どちらが優先するとも明言していませんでし
たが、選挙戦に突入するこころには、はっきりと「成長なくして分配なし」、つまり成
長こそがカギになると言うようになりました。

安倍前首相は2016年の施政方針演説で「成長と分配の好循環を作り上げてまいります」
と謳っていました(『東京新聞』2021.10.9)。今回、岸田首相は安倍首相とまったく
同じフレーズを繰り返し語っています。

安倍首相の場合の戦略は、周知の「アベノミクス」で、「三本の矢」つまり、①「金融
緩和」②「機動的な財政出動」③「成長戦略」を通して、経済成長を作り出し、その果
実は大企業や富裕層から徐々に下に「滴り落ちる」(トリクルダウン)ことになってい
ました。

しかし、実際には、政府が最大の購入者となって株価を押し上げた以外、国としての経
済成長は達成できず、成長の果実が個人に「滴り落ちる」ことはありませんでした。

つまり、アベノミクスは失敗したのです。

このことを意識して、岸田首相は、昨年9月『岸田ビジョン』(講談社)という本を出版
しました。そこで、「未来永劫『アベノミクス』でいいのか」と疑問を提起しています。

そして、「利益を上げることはもちろん大切ですが、それをどう公平に分配し、持続可能
な発展につなげてゆくかがより大切」「中間層を産み支える政策、社会全体の富の再分配
を促す政策が必要」と説いています(注1)

では今回、岸田首相は、まず分けるべき経済のパイを「成長」させるために、どのような
戦略を立てているのでしょうか?

今回の岸田政権の選挙公約の大項目の2に、「金融緩和」「機動的な財政出動」「成長戦
略」を総動員し、経済を立て直し、「成長」軌道に乗せる、とあります。

これは、紛れもなくアベノミクスの「三本の矢」と全く同じ、まるで「コピペ」です。

おそらく、岸田氏としても、何か安倍元首相との違いを見せたかったのですが、その具体
的なアイディアが出てこなかったのでしょう。

安倍政権以降、経済成長は止まったままで、昨年からのコロナ禍で、非正規の労働者や
子どもを抱えた一人親世帯の母親は、十分な社会的補償や救済もないまま休職させられた
り解雇されたりしています。

岸田首相は、なぜ、「アベノミクス」によって成長も分配もうまくゆかなかったのか、な
ぜ「好循環」が起こらなかったかを真剣に検証しないまま、標語のように「三本の矢」を
並べています。

もし、岸田朱書すが、アベノミクスを踏襲して「成長」を達成できなければ「分配」も起
こらないことになります。岸田首相には、同じ「3本の矢」でも、自分がやれば成長を達成
できる、という自信があるのでしょうか?

分配の方法に関して、自民党の公約は次のように書いています。

「労働分配率の向上」に向けて、賃上げに積極的な企業への税制支援を行う▽下請け取引
に対する監督体制を強化
    
「全世代の安心感」を創出する
 「待機機児童の減少」「病児保育の拡充」「児童手当の強化」を目指す▽ベビーシッター
 や家政士を利用しやすい経済支援を行う▽看護師、介護職員、幼稚園教諭、保育士をはじ
 め、賃金の原資が公的に決まる方々の所得向上に向け、公的価格のあり方を抜本的に見直
 す

前段の、労働分配率の向上に関しては、安倍政権時代にも、首相が自ら企業に賃上げを要請
するなど、「官製春闘」と揶揄されたパフォーマンスが行われましたが、現実にはほとんど
効果はありませんでした。

しかも、賃上げができるのは、大企業だけで、その税制の特典を受けられるのも大企業だけ
です。

全企業数の99.7%を占める中小企業の大部分は、存立さえもが危ぶまれる状態ですから、賃
上げの余裕はありませんし、税制面
の特典は受けられません。

後段の「全世代の安心感」に関して、これらの人たちの賃上げや待遇改善は当然ですが、彼
らにどれほどの経済支援が国から与えられるのか疑問です。

もっと深刻で大切な問題は、安倍政権下で積極的に推進された非正規雇用の採用のため、今
では全労働者の40%(2200万人ほど)が非正規雇用となっています。

非正規の人びとは、定期昇給も、失業保険も、厚生年金も、退職金もなく、企業は解雇自由、
という不安定でかつ低賃金の状態に置かれています。

もし、岸田首相が本気で“分厚い中間層”の創出を言うなら、これらの非正規労働者を、まず
は正規労働者と同等の待遇する法整備をすべきでしょう。それなくして、「分厚い中間層」
は決して生まれません。

さらに、もし分配の問題をいうなら、富裕層の金融利益に対する課税強化、所得税の累進性
強化などを真剣に考えるべきでしょう。これらこそが分配の財源なのです。

そして、巨額の利益産んでいる大企業が、法人税を払っていない、という現実も是正する必
要があります。

たとえばソフトバンクは2018年度に1兆390億円の純利益を上げていますが、法人税は、
なんと「ゼロ円」です(注2)

同様に、2015年の3月期に2兆円の利益を上げたトヨタは2009年から13年の5年間、一度
も法人税を払っていません(注3)

これらの企業は合法的に会計処理を行っており、違法ではありません。これらの2社だけで
なく、大企業は多くの法律家や会計士を雇って、合法的な租税回避を行っているのです。

利益を労働者に分配せずに、課税対象外の社内留保金として貯めておく方法もその一つです。
今では、その額日本全体で480兆円をはるかに超える額に達しています。

終わりに、岸田氏が今年6月に結成した「新たな資本主義を創る議員連盟」には、安倍、麻
生両氏が最高顧問に就任し、安倍氏の盟友である甘利幹事長も名を連ねていることを見ても、
これが安倍政権の継承連盟であるこが分かります。

以上を考えると、岸田政権は、やはり「第三次安倍・菅政権」の感が強くあります。

(注1)私は、この本を直接読んでいません。ここでの記述は『東京新聞』(2021年10月9日からの引用です。
(注2)Gendai・ismedia (2019年9月30日) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67498
(注3)MAG2NEWS (2015.16) https://www.mag2.com/p/news/21051


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

検証「岸田首相」(1)―就任から選挙までの相次ぐ後退と変節―

2021-10-18 11:34:19 | 東日本大震災
検証「岸田首相」(1)―就任から選挙までの相次ぐ後退と変節―

自民党の総裁選を経て10月4日、岸田文雄氏(以下敬称略)が首相に就任し、さっそく
閣僚を任命して、ここに岸田内閣が発足しました。

本来な、岸田政権の本質的な問題について検討すべきですが、なにしろ発足後すぐに衆議
院を解散し、総選挙を強行するので、取り敢えずはここまでの経緯と選挙に向けての岸田
首相とその政権の姿勢について書きます。

その10日後の10月14日、岸田首相は、憲法7条を根拠に衆議院を解散し、衆議院の
任期満了となる21日を一週間前倒しして、17日告示、31日投開票日で衆議院総選挙を
行うことを決定しました。

これは、いわゆる「7条解散」と言われる解散で、参考までに解散に関する7条のうち解
散に関する部分を、示しておきます。
   天皇は内閣の助言と承認により、国民のために左の国事行為に関する行為を行う。 
   三 衆議院を解散すること
これだけです。ここで、問題となるのは、これまで自民党政権は、これを「首相の専権事項」
つまり首相は自由に解散できると勝手に拡大解釈してきましたが、これにはこれまでも憲法
学者から、憲法の精神を歪める、憲法違反の疑いさえある、との意見が出されてきました(
『東京新聞』2017年9月24日)。

なぜなら、何が「国民のため」なのか、が規定されていないため、実際には、これまで自民
党は、自分たちにとって有利になるような状況で合理的な理由も説明もなく衆議院を解散し、
総選挙を行ってきました。今回は、特にそれが極端な形で強行されました。

ここで解散について、少し長く書きましたが、これは今回の岸田首相の政治姿勢を考える上
で参考になるからです。

まず、首相就任後10日後に解散というのは戦後最短で、これまでの最短記録は第一次鳩山
内閣(1954年)です。ここには、彼の強引さといういか独断専行的な面が出ています。

国会の場での本格的な議論も行わず、具体的な政策の実績も全くないないまま、国民は、い
わば文字で書かれた メニューだけを見せられて、投票しなければならない、という状況に
追い込まれています。

では、なぜ、岸田首相は、解散に踏み切ったのでしょうか。一つには、これまで総裁選期間
に、メディアは連日、立候補者の見解や票読みなどの予想を伝えてきましたので、自民党へ
の関心が高く、野党がその陰で埋没してしまった感があります。

この勢いをそのまま維持して、選挙に臨めば政権にとって有利であるとの読みがあったと思
います。

二つは、国民の間で非常に不人気な菅前首相のイメージを一刻も早く払しょくして、新生自
民党の印象が強いうちに選挙をやってしまおう、という意図が感じられます。

三つは、以下にくわしく述べるように、岸田氏自身の方針が、当初よりずいぶん変わってし
まっているので、そこを追求される国会、特に1問1答の予算員会を開くことを避けるため
にも、早々と解散総選挙に打って出ようとする目的もあったでしょう。

これと関連して、岸田新内閣には、国会を開かないまま選挙に突入したい事情があります。
新内閣の閣僚20人のうち13人は閣僚経験がありません。もし、一週間でも国会を開くと、こ
れらの新閣僚が答弁でボロを出してしまうことを避ける意図もあったかも知れませ。

いずれにしても、組閣後10日で解散総選挙を強行した岸田氏の姿勢には、“「聞く力」こそ
が武器だ”、と言ってきたのに、聞かれることを避けようとしているとしか思えません。

以上、長々と総裁選から今までの岸田氏の動きを書いてきましたが、それは、岸田文雄とい
う政治家は、外見や物言いや物腰は、安倍前首相とはちがって穏やかな印象を与えますが、
実際にやっていることは、かなり強権的、かつ“ずるさ”もある政治家であることを確認して
おきたかったからです。

これとは全く別に、永田町の官僚の間では「激怒はしないけど静かにキレてる感じがする。
本当に怖い親分って、こんな感じなのかね」。穏やかさを売りにしているように見えるが、
実は強面の一面もあるようだ。まったく同感です(注1)。

また、早大時代から40年以上の友人の岩屋毅(早大政経学部卒。衆議院議員)は岸田氏を、
「昔から自己主張する人ではなく、人の話をよく聞く。ガツガツしたところはない紳士。
新しい宏池会のプリンスという育てられ方をされ、謙虚で誠実な人柄でそつなくこなして
きた感じです」と述べています。ここには「人の話をよく聞く」という評価もありました
(注2)。

現在の官僚の「強面」評の一方で、昔から「謙虚で誠実」「人の話をよく聞く」という点
は、協調性や柔軟性と同時に、人の意見に左右されやすい性格をも合わせもっていること
も示唆しています。

このことは、総裁選から所信表明演説、14日に行った記者会見、そして選挙向けの自民党
の公約までの間に、彼の方針がどれほど変わっていしまったかを見れば一目瞭然です。

 総裁選での主張                自民党の公約
 1.令和所得倍増                 記載ナシ
 2.金融所得課税の強化              記載ナシ
 3.子育て世帯への住居・教育費支援        記載ナシ
 4.健康危機管理庁の創設             記載ナシ
 5.党改革(役員任期 連続3期まで)        記載ナシ

ここで、私たちが考えなければならないのは、岸田氏が昨年9月に、総裁選に敗れ、「もう
岸田は終わった」とさえ言われながらも、それから1年間、熟慮を重ね、練りに練った政治
方針と課題が総裁選で主張したことでした。

しかしその後、彼の主張は後退に後退を重ね、上に見るように、最終的には跡形もなく消え
てしまっています。こんなに、簡単に主張を後退させてしまったということは、もともと本
気で追及するほどの覚悟がなかったのか、それほど深く考えていなかったのか、いずれに
しても、彼に対する信頼性は大きく失われました。

とりわけ、彼が総裁選に立候補する決意を表明した際、党の役員任期を1年とし、連続3期ま
でとする、という、いわば時の自民党幹事長二階幹事長の追い落とし宣言ともいえる発言が
大きな反響を呼びました。

岸田氏は「生まれ変わった自民党を国民に示す」と豪語しましたが、党の役員(とりわけ人
事とお金を握る幹事長)に関して全く触れなくなったのでは、本当に自民党は生まれ変わる
ことができるとは思えません。

金融所得課税の強化に関しては、この発言にたいして経済界から反対の声があがり、早くも
株価下落の材料となって投資家からは「岸田ショック」とまでいわれました。

岸田首相は、自民党の応援団・スポンサーである経済界の反対を説得する強い意志がなかった
のか、選択肢の一つとして挙げただけ、とこの看板を下ろしてしまいました。

子育て世帯への住居・教育費支援については、もともとそれほど重要視していたとは思われま
せん。この問題は、すでに野党がアベノミクスの検証を通じて、提起していたテーマだったの
です。金子勝氏(立教大学特任教授)は「パクリでしょ。選挙前に争点を消すための野党への
抱き付き戦略だ」と辛らつな批判を寄せています(『東京新聞』2021年10月9日)。

以上の経緯を念頭に置いて、目前に迫った総選挙で岸田首相(政権)は何を訴えようとしてい
るのか、最近発表された選挙公約と、参考までに2017年に安倍首相のもとで行われた総選挙の
選挙公約(いずれも大項目だけ)とを、示しておきます。これらを比較すると、岸田氏がなぜ、
方針を次つぎと変えていったかがわかります。

 岸田政権の選挙公約(2021年)(注3)
 1感染症から命と暮らしを守る。2新しい資本主義(*)3「農林水産業」を守る 4日本
 列島の隅々まで経済を活発に 5経済安全保障を強化する 6毅然とした日本外交の展開、
 「国防力」の強化 7「教育」による人材強化で健康な国で豊かな地域社会 8日本国憲法
  の改正を目指す
 *この中には、「金融緩和」「機動的な財政出動」「成長戦略」を総動員し、経済を立て直
 し、「成長」軌道に乗せる と書かれており、これらはアベノミクスの3点セットであること
 が分る。

 安倍政権の選挙公約(2017年)(注4)
 1北朝鮮の脅威から国民を守る 2アベノミクスの加速で景気回復・デフレ脱却 3生産性の
 向上で国民の所得を増やす 4保育・教育の無償化 5地方創生 6憲法改正

岸田首相が、上記のような選挙戦略(目標の設定とパンフレット作製)の作成責任者として安倍
元首相の代理のような立場の高市早苗政調会長を任命したこと、そして、実際に高市氏の強力な
リーダーシップの下で選挙戦略が作成されたことを考えると、これまで述べてきた岸田首相の変
節の背景が良く理解できます。

つまり、高市氏を通じて安倍元首相が岸田氏に要請したのか、あるいは岸田氏が安倍元首相の意
向を忖度してこのような公約を設定したのか、定かではありません。

しかし、いずれにしても岸田首相が安倍氏の影響の下で政治運営をしてゆかざる得ない状況にに
あることは分かります。

のこの意味で私は、岸田内閣は“第三次安倍内閣”という印象を強く受けました。

今回は、選挙直前ということもあり、選挙公約までの経緯とその内容をごくかいつまんで書きま
したが、次回からは、岸田首相および岸田政権の長期的なビジョンについて考えてみたいと思い
ます。

(注1)『デイリー新潮』デジタル版(2021.9.15) https://www.dailyshincho.jp/article/2021/09151115/?all=1
(注2)(『東洋経済ONLINE』(2021年9月30日)。https://toyokeizai.net/articles/-/459371
(注3)『読売新聞』デジタル版(2021/10/13 05:00) https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20211012-OYT1T50237/ 
(注4)『自民党』https://jimin.jp-east- 2.storage.api.nifcloud.com/pdf/manifest/20171010_manifest.pdf

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢化する日本の森林―今こそ森林の再評価を―

2021-10-12 11:35:48 | 自然・環境
高齢化する日本の森林―今こそ森林の再評価を―

日本は、長期にわたって、少子高齢化の問題に直面していますが、実は、日本の森林も高齢化
の問題を抱えています。「少子」については後で触れます。

日本の内陸部は山地で、そこは豊かな森林に覆われている。これが、日本人の大部分が森林に
たいして抱いているイメージではないでしょうか?

確かに遠目には、山は緑に包まれて健全な森林が育っているように見えます。しかし、一歩山
や森林の中に入っていみいと、少し違った印象をもつかも知れません。

一口に森林といっても、人が植林して育てた人工林(主としてスギとヒノキ)と、自然のまま
の多種多様な樹木によって構成された、自然林に分かれます。

人工林であれ自然林であれ、森林は、幾つも重要な機能を果たしています。一つは、植物の炭
酸同化作用によって、一方で酸素を大気に供給し、他方で炭酸ガス中の炭素を取り込んで、自
らの木部を形成します。(Co2 →C=炭素 o=酸素)

前者の機能として、アマゾンが「地球の肺」と言われるのは、その大森林帯が酸素を供給して
くれるからです。

他方、大気中の温暖化をもたらす炭酸ガスを吸収してくれるので、気候変動(温暖化)を和ら
げる効果があります。

二つは、土壌の保全です。これは、山地などの傾斜地に健全な森林があれば、その根が土壌を
しっかりと固定し、多量の雨が降っても山の崩壊を防いでくれます(土壌保全機能)。これは、
流れ出した土砂が人家を押しつぶしたり、人命を奪うこともあります。最近の事例では、広島、
岡山、熱海での水害で経験しています。

三つは、森林が作り出す腐植土は降った雨水を一時吸収し、徐々に下の方に流してくれるの、
洪水防止の役割を果たしてくれます。

四つは、降った雨をある期間地中に留めておく、つまり森林は目に見えない貯水池を形成して
いると言えます(水源涵養機能)。

五つは、こうした自然環境の保全の他に、もちろん、木材を供給し、森林浴やハイキングなど
レクリエーションの場を提供し、安らぎを与えてくれる、などの機能を果たしています。

それでは、日本の森林はどうなっているのでしょうか?

現在、日本の国土面積(3,779万ヘクタール)の約7割を森林面積(2,505万ヘクタール)が占
めており、そのうち、人工林面積は1,020万ヘクタールで、森林面積全体の約4割です。

残りの森林は、人の手が入りにくい高山であったり急傾斜で林業が成立しない場所が占めてい
ます。

問題は、全国の人工林の過半が50歳を超え、高齢化が目立ってきたことです。その主な理由は、
国内の林業は安価な輸入木材に押されて産業競争力が低下し、伐採や再造林が進まない負の連
鎖に陥っていることです。

このため、多くの林業家や森林の所有者は、林業に将来性を見いだせず、次第に意欲を失って
います。

手入れされていない放置林は台風などの災害に弱く、二酸化炭素(CO2)の吸収源(温暖化防
止機能の低下)としても認められない。森林の荒廃に歯止めをかけなければ、地域の安全確保
(土壌保全や洪水防止機能の低下)や脱炭素の壁となる恐れがあります。

2019年の台風15号で大停電が発生した千葉県。電線や電柱をなぎ倒したのは、人の手が入らな
いままの放置林でした。

森林は、適当な時期に間引き(間伐)を行って、地面に日の光が届くように管理しないと、日
が当たりにくくなり、木々は細くなり、草の根づかない地盤はもろくなります。

人工林の多くは第2次世界大戦後、国土復興のために植えられた森林です。近年は森林の管理
に携わる森林労働者が減少、森林労働者の賃金の上昇でコストが上昇しています。

20年以上も前の話ですが、ある林業家に山を案内してもらったことがあります。彼は、個人
の林業家としては珍しく、持山の管理をする職人を雇っていました。

この林業家と山を歩いていると、彼は道の傍らに藤のツルが巻き付いているスギの木があった
のを指さして、“昔は職人が、こうしたツルが巻き付いた木をみたら、飛んで行って切ったのに、
いまでは見て見ぬふりをして通り過ぎてしまう”と嘆いていました。

森林の管理はとても過酷な労働で、とりわけ夏の下草刈は重労働です。また冬には雪の重さで
曲がった若木を元に戻したり、あるいは、節を作らないための枝打ちなど、1年中作業が続き
ます。

このため森林の整備が行き届かず、一部は荒廃するに任せたままになっています。こうした放
置林も含めて、本来なら伐採して出荷できる森林は増えるばかりで、毎年伐採しても追いつか
ないくらい対象箇所が多くなっています。

こうなると、とうてい新たな植林どころではありません。新たな植林(造林)が進まないこと
は、人間社会でいえば、“少子化”ということになります。

国内の森林の高齢化がもたらす結果を、数字でみてみましょう。

林野庁の調べでは伐採後の造林が計画どおりに進んでいない「造林未済地」は、2017年度に約
1万1400ヘクタールと3年前より3割増えました。

また、50歳を超える森林は500万ヘクタールを超え、人工林全体の半分以上を占めるに至って
います(図1)。

森林の老いがもたらす問題は防災に限だけではありません。林野庁は日本の森林が吸収するC
O2は2014年度の5200万トンが直近のピークで、19年度は約2割少ない4300万トンまで減った
と推計されてます。CO2を取り込む量は樹齢40年を過ぎて成長が落ち着くと頭打ちになると考
えられています。

政府は4月、30年度に温暖化ガスを13年度比で46%削減する目標を表明し、これは国際公約に
なっています。

森林によるCO2吸収量は目標の5%分にあたる年約3800万トンと想定していますが、今のペー
スで森林が老いていくと吸収源の役割を果たせなくなり、脱炭素の足かせになりかねません。

しかし、林業の再生は一筋縄ではいきません。伐採や植林は数十年単位の事業。防災や脱炭素
といった社会的有用性の前に、現実にはビジネスとしての厳しさが立ちはだかります。

日本不動産研究所(東京・港)によると、20年にスギの丸太の売り上げから経費を引いた金額
(立木価格)は1立方メートル2900円。2万円を超えていたピークの1980年ごろの1割程度にす
ぎません(注1)。

世界的に木材価格が高騰したウッドショックの下でも、川上の立木価格は低迷したままです
(図2)。ある大手林業家は「とても採算が合わない。林業は衰退の一方だろう」と吐露し
ています。

他方、2020年の建築木材の総需要量に占める国産の割合は半分弱にとどまっています(注2)。
その最大の要因は、国産材の価格が輸入材に比べて高いからで、それには日本固有の事情があ
ります。

木材の輸出国として知られるカナダや米国は平地が多いのに対して、山がちな日本は林道整備
や搬出に手間がかかる不利があります。

コストを下げて競争力を高めるために林地を集約しようにも「(山地で)境界線が不明なこと
が妨げになっている」(東京工業大学の米田雅子特任教授)。相続を繰り返して所有者が分か
らなくなっているケースもあります。

近畿大学の松本光朗教授は「木材利用を促進し、成果を川上の林業に還元する政策が求められ
る」と指摘しています。

機械化による生産性の向上、複雑な所有権の整理など取り組むべき課題は多くあるが、防災な
ど幅広い観点から官民の知恵や資金を集める必要があります。

たとえば、新規事業を支援する会社「ドリームインキュベータ」は環境省や林野庁、経済産業
省などに掛け合い「森林資源のエコシステム」を構想しています。

この構想は、林業の川上にあたる森林の所有者の段階で集約を実現しつつ、木材や住宅のメー
カー、ゼネコンと安定供給の流れを確立。国産材を使った建築物の価値を高め、川下の消費者
の需要を呼び覚ます回転を描いています。

もうからないから木を切らない、切らないから放置が広がる悪循環から抜け出し、森林の若返
りをめざす必要があります(注3)。

「国破れて山河あり」という場合の「山」は荒れ果てた山、禿山ではなく、豊かな緑の衣をま
とった山でなければなりません。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

図1 人工林の高齢化                                             図2スギ価格の低迷
 

(注1)より転載                                                    (注1)より転載  



(注1)『日経新聞』電子版 「チャートは語る」(2021年11月10日 2:00)
     https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA273230X20C21A9000000/?n_cid=NMAIL007_20211010_A&unlock=1
(注2)『森林・林業学習館』(no date)
     https://www.shinrin-ringyou.com/data/mokuzai_kyoukyu.php
(注3)日経新聞 デジタル版(021年9月24日 10:00)https://www.nikkei.com/article/DGXZQODF21BLY0R20C21A9000000/?unlock=1




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ感染者急減の謎―残るリバウンドと後遺症の脅威―

2021-10-05 11:23:58 | 健康・医療
コロナ感染者急減の謎―残るリバウンドと後遺症の脅威―

日本における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のまん延は、2021年8月20日の新規感染者
は全国で2万5851人をピークに達しました。この背景には、感染力が極めて強いウイルスの変異株、
デルタ株の流行がありました。

しかし、このピークを境に新規感染者は急速に減少しました。緊急事態宣言とまん延防止等重点措
置が廃止された9月30日には、1574人と、ピーク時の6%、15分の1以下に激減し、もはや収
束したかのような数字になっています。

ちなみに10月3日には968人と、ピーク時の3.7%、27分の1です。とりわけ、東京都をはじ
とする首都圏と大阪圏の減少が顕著でした。

感染者の、この急激な減少の原因については専門家からさまざまな要因が指摘されています。

たとえば、新型コロナ対策分科会の尾身会長は、9月28日の記者会見で、決定的な原因は分から
ないことを認めた上で、仮説と断ったうえで、5つの要因を挙げています。

①危機感。8月のピーク時に医療が逼迫し、治療が受けられずに自宅で亡くなる例が次々と報道さ
れた。このため人びとが危機感を高め、感染対策に協力してくれた。

②夜の街。政府は夜の繁華街の人出の五割削減を要望したが、二。三割にとどまった。それでも大
きな効果があった。

③ワクチン。 ワクチン接種率の向上が、実行再生産数(1人が何人に移すかを示す数値)

④クラスター。高齢者が守られた。これまで、若者に感染が広がり高齢世代に移り、その割合は4
割であった。しかし、第五波は10%から前後に減少した。ワクチンに加えて、感染が若い世代に
とどまって、院内の感染防止策が徹底されて高齢者が守られた。

⑤気候。 これは証明が難しいとしつ、尾身氏は、気温が下がり、空調を 使わず窓を開放して換
気喚起が良くなったことが関係していたかも知れない。

ワクチンの効果について補足しておくと、全国のワクチン接種者(2回完了)の割合が50%に達
した9月9日には、ピーク時の2万5851人から1万377人に半減しています。

とりわけ医療従事者のワクチン接種が進んで、病院でのクラスターの発生防止に大きな貢献をした
ことも感染防止に効果があったと言えます。

緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が長期間にわたって発令してきたことは、あまり効果はなかっ
たような印象をもっています。

これらの措置は、人流を減らすことを目的としていて、過去1年の大半が適用期間となっていました
が、それでも第五波はやってきました。

ちなみに、飲食店での営業時間の短縮や酒類の提供が厳しく制限していた時期でも、店をずっと開け、
酒類の提供を続けていた店もかなり多くあったようです。

これには、一方で“緊急事態宣言”を出し、不要不急の外出を止めるよう要請しつつ、オリンピック・パ
ラリンピックを9月初めまで強行した政府に対する不信感も心理的には大きかったと思います。

また、尾身氏は挙げていませんが、日本人のマスク使用や手洗いを忠実に守っていたことは、予想以上
の効果があったと思います。

欧米やイスラエルなどのワクチン先発国では、12才以上の接種率が七割とか八割になると、行動制限
が外れ、人びとはマスクをしなくなり、そのため多くの国で再感染の波が発生しています。

これに対して日本では、マスクの使用に抵抗がないので、かなり多くの人がマスクを付けています。今
日では、新型コロナの感染は主としてエアロゾル、ほとんど空気感染に近い、と考えられているので、
マスクの使用は特に感染防止効果があります。

これ以外にも多くの要因が複合的に作用して、第五波は収まりつつある、としか言いようがありません。

今回のコロナウイルスの正体、科学的な性質や生態などについては、この間にかなり解明されてきまし
たが、まだまだ未知の部分もあります。

たとえば、同じくコロナウイルスの一種である、サーズ(SARS=重症急性呼吸器症候群)が2002年に突
然勃発し、WHOは11月16日に世界的大流行(パンデミック)宣言を発しました。

ところが、翌2003年7月初頭には然と消えてしまったのです。この原因は、今もって分かっていません。
サーズは致死率が14~15%と極めて高く、特にアジア地域で感染が広がりました。当時はワクチンな
どありませんでしたので、忽然と消えた原因は今もって分からないままです。

今回の新型コロナウイルスの激減についても同様のことが言えます。それだからこそ、危惧を感じる問題
があります。

一つは、リバウンドの可能性です。新規感染者の数は、非常に少なくなったものの、その原因がわからな
いので、多くの専門家は、この冬に第六波の再拡大(リバウンド)が起こるのではないか、と警戒を緩め
ていません。

もう一つは、最近、徐々に社会問題化しつつある後遺症の問題です。当初、若者がワクチン接種にあまり
積極的ではなかった背景に、感染しても重症化しないし死ぬことはない、という事情があったからです。

確かに、10代や20代で亡くなった人はほとんどいません。しかし、たとえ軽症でも感染すると、さま
ざまな症状に苦しんだうえ、症状が治まっても、長期に後遺症が残るケースが増えてきました。

図1 後遺症の種類と頻度                                          後遺症の発症割合とその持続期間                                    
 

『東京新聞』(2021年10月3日)            『COVID-19 有識者会議』(2021.5.28 6:28pm) https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/6466
                                                 

図1に見られるように後遺症はさまざまです。中でも、疲労感・倦怠感は5人に1人が経験し、以下、
息苦しさ、睡眠障害、思考力・集中力の低下、脱毛、と続きます。図1を作成した慶応大学の福永興
壱教授が代表を務める厚労省の研究班の結果です。

図2は、発症からの日数と、急性期を有する患者の割合の関係を表しています。図2からも分かるよ
うに、多くの後遺症が発症後2か月で48%、4か月たっても27%の患者に何らかの後遺症が認め
られました。

全体で76%の患者にコロナ後遺症が認められており、年齢別にみると、20歳代で75%、30歳代で83%
であることを考えると、若年者であっても後遺症を有する割合が少ないわけではないことが分ります。

また、症例数は少ないけれど、20歳代では嗅覚障害(50%)、味覚障害(47%)の頻度が高かったの
に対し、30歳以降では咳嗽(33~80%)、呼吸困難(25~60%)、倦怠感(27%~60%)の頻度が高
い傾向がありました。

また、遅発性の合併症として、全体の24%の患者に脱毛を認められました。COVID-19発症から脱毛出
現までの平均期間は58.6日(SD 37.2日)、脱毛の平均持続期間は76.4日(SD 40.5日)であった。脱毛
の性状(円形脱毛症か男性型脱毛症化など)やその程度に関しては明らかになっていません(注1)。

現在、後遺症を専門に扱う病院や窓口はありません。ごく一部の病院に「後遺症外来」が設けられて
いるものの、残念ながら確定した治療法はありません。

たとえ、2か月でも後遺症に苦しめられると、仕事を続けることができなくて、退職を余儀なくされた
人も少なくありません。

今回の新型コロナウイルスの厄介な問題は、たとえ軽症で、症状から回復しても後遺症が発症するこ
とがある、という点です。

最近、治療薬が開発されて、それは多いに期待がもてます。しかし、治療薬によってその時の症状が
は消えても、後遺症がどうなるかは、まだ未知数です。

コロナの感染者が減っても、これからは後遺症との闘いが社会的に深刻な問題となる可能性があります。

個人としてできることは、とにかく感染しないように気を付ける事しかありません。


(注1)『COVID-19 有識者会議』(2021.5.28 6:28pm)
https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/6466



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする