大木昌の雑記帳

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菅内閣誕生(2)―理念なき政治と安倍政権の継承の中身は?―

2020-09-24 22:57:45 | 政治
菅内閣誕生(2)―理念なき政治と安倍政権の継承の中身は?―

一体、この国の国民はどうなっているのだろうか? 私には到底理解不能です。

安倍首相が辞任を発表する直前の8月22~23日に共同通信が行った世論調査では、
安倍内閣の支持率は36%まで落ちていました。

ところが辞任表明の直後の29日~30日の調査では56.9%に跳ね上がりました。

同じ29~30日の調査で、次期首相にふさわしい人のトップは石破茂氏で34.3
%、菅義偉氏は14.3%でした。

ところが、有力派閥がこぞって菅氏を推すようになり、菅氏の勝利が確実になった9
月8~9日の調査では、菅氏が50.2%でトップになりました。

まず、安倍首相の支持率からみると、わずか1週間で20%以上も跳ね上がったので
す。少なくとも、病気のため辞任という行為以外、安倍首相に何かプラスの要因があ
るとは思えません。

この1週間に国民の心に何が起こったのでしょうか?何を信じたらいいのでしょうか?

菅氏に対する評価にしても、自民党の有力派閥がこぞって支持したという点以外、一
気に36%も支持が上がる、という理由は見つかりません。

安倍氏に関しては、病気による辞任に、きっと本人には無念の思いがあるのではない
か、という同情が集まった可能性はありあす。

しかし、菅氏に関しては、国民の多くが突如として日本の顔としてふさわしい、と評
価が上げた理由は私には分かりません。

姜尚中氏は、菅政権は、自民党内にも国民の間にもただよっていた「長いものには巻
かれろ」という雰囲気と、安倍政権にたいするノスタルジー(郷愁)のなかで誕生し
た、と述べています(注1)。

前半部分は分かりますが、国民が安倍政権へのノスタルジーを感じたという点は、私
にはちょっと疑問です。

総裁選に際しての岸田文雄、石破茂、菅義偉の三氏による討論でも、「森・加計・さ
くら・問題」にかんして、岸田・石破両氏は、国民が疑問に思っている以上は再調査
すべき、という姿勢をみせていたのに、菅氏は、もう決着済みだから再調査の必要は
ない、と突っぱねていました。

安倍首相が政権末期にこれらの問題で追及され、国民の支持率がそのために低かった
のに、菅氏が、その再調査を拒否すれば評価はさがることはあっても上がるとは、不
思議というほかはありません。

また、三氏の立候補の所見発表演説でも、岸田氏は、所得格差が広がっており、社会
に分断が生じているとの認識から、キャッチフレーズは「分断から協調へ」という、
それなりに社会の大枠をとらえ、将来像を示しています。

また、石破氏は、「平成で民主主義が大きく変質を遂げた」と指摘したうえで、戦前
に軍部が国民に正確な情報を伝えないまま、第二次世界大戦に突き進んだ悲劇に触れ
「正しい情報が有権者に与えられなければ民主主義は機能しない」との認識から、キ
ャッチフレーズを「納得と共感の政治」を主張しました。これも、歴史認識を踏まえ
た政治に対するまっとうな姿勢です。

これにたいして菅氏は、優位に立っている自信なのか、首相としての価値観を含んだ
理念については語らず、安倍政権の継承のほかは、自民党の綱領に盛り込まれた「自
助・共助・公助」に「絆」を付け加えたフレーズを示しただけでした。

つまり、まず、自分の力で問題を解決すべく努力し、それが無理なら他の人の協力で
乗り越え、それでもだめなら、ようやく「公」(国や自治体)が助ける、という姿勢
を前面に出しました。

石破氏も岸田氏も、社会全体と歴史認識を含んだ理念を語っているのに対して、菅氏
はそうした他理念ではなく、国民に対して、「こうせよ」と上から命令している感じ
がします。

菅氏の「売り」は7年8カ月、安倍政権を支えてきた実績と、秋田の貧しい農村で生
まれ、高校卒業後、単身上京し、町工場で働き、自分の力で大学を出た、という生い
立ち話です。

菅氏が以前『週刊文春WOMAN』(2019年夏号)に、「私の田舎はものすごく貧しい
ところでした(略)。高校卒業後、たいていは農業を継ぐんですが、豪雪地帯ですか
ら、結局冬には出稼ぎに行くんです」と語っています。

貧しい田舎、出稼ぎ、といった言葉からは、かつての青少年の苦労が滲むようですが、
実際はかなり違っていました。

菅氏のある同級生によれば、「中学校は一学年に150人くらいいたのですが、高校
に進学したのは三十人ほど。当時、進学するにはある程度、家が裕福でなければなら
なかった」という状態でした。

さらに菅氏の二人の姉は大学に進学しています。女性が大学に進学するのは珍しかっ
た時代でしたが、「義偉の二人に姉はともに大学に進学し、高校の教師になっていま
す。母親も結婚前は尋常小学校の教員で、叔父や叔母も教員という家系。普通の農家
とは違いますね」(菅家を知る人物)

裕福な暮らしの背景には父親のイチゴの栽培事業がありました。70年代には父親が
開発した冬場にできるイチゴ事業が大当たりして菅家は一気に裕福になりました。現
代でいう「カリスマ農家」でした。

菅氏の父親は、義偉氏が高校一年生の時から四期にわたって雄勝町議を務めるなど、
地元の名士でした。

母校の湯沢高校のHPには、2013年7月8日に講演した時の発言が紹介されています
が、そこには「湯沢高校卒業後に東京の町工場に集団就職した」と記されています。
自分一人で出て行ったのに集団就職はまずいのではないか、という小学生からの同級
生に対して、それは敢て訂正しない、と答えたという(注2)。

つまり、実際には相応に裕福な家庭だったにもかかわらず集団就職などの言葉を使っ
て、苦労人を演じていましたが、あくまでも自分の意志で東京暮らしを選んだという
のが実際です。苦労人としての自分を印象づけたかったのかもしれません。

このようなイメージから、菅氏は地方の出身だから、地方の声を聞き地方に寄り添っ
てくれるのではないか、との期待する人もいます。

では、その地方の人たちはどう思っているのだろうか。福島の自民支持者でもある畜
産農家のご主人は、総裁選で菅氏の勝利をみて、「地方の声なんて届かない。政治な
んてそんなもんだ」と苦笑すると、彼の妻も「次の総選挙まで一年。そう思ってあき
らめているようなところもあるよね」と、つぶやいていた。

また、菅氏はこれまで官房長官時代から福島の問題で自ら踏み込んだ発言をしたこと
はほとんどなく、避難者の生活実態に目を向けず、これまで家賃補助や住宅の無償提
供といった支援の打ち切りを進めてきました。

福島から横浜市に避難した「原発事故被害者団体連絡会」幹事の村田弘氏は「安倍政
権を継承する菅さんが総裁に就いたところで、希望や期待は持てない」、「冷淡な印
象しかない」と語っています(『東京新聞』2020年9月15日)。

首相指名された後の記者会見で語った菅氏の発言は期待外れでした。

菅氏は、最優先課題は「新型コロナウイルス対策と、その上で社会経済活動(実態は
経済活動)をとの両立を目ざすと言い、経済については「Go To キャンペーン」や、
持続化給付金、雇用調整助成金、無利子無担保融資の経済対策、携帯電話料金の値下
げなど、具体的な方策を語っています。

しかしコロナ対策については、具体的な方策も、方向性さえも触れていません。私は、
菅氏の関心は、やはり経済優生で、コロナ対策は付け足しに過ぎないとの印象を持ち
ました。

菅氏は、理念を語ることを嫌うそうです。これまでは、安倍首相の広報官として首相
の考えを説明したり、ある場合には批判を抑え込んだり問題を隠蔽したり、と黒子役
でした。

しかし、首相になったからには、携帯電話料金の値下げなどチマチマしたことを言わ
ず、日本をどのような国にしたいのか、そして自分の国家観なり政治理念を明確に指
し示す必要がありますが、それには全く触れませんでした。これには大いに失望しま
した。

ところで菅首相のもう一つの看板は、安倍政権の継承ですが、よく言われるように、
何を継承し、何を継承しないのかを明らかにはしていません。

菅氏の行政改革の方向について「行政の縦割り、既得権益、悪しき前例主義を打ち破
って、規制改革を全力で進める」と述べています。

携帯電話料金の値下げも、大手三社による寡占状態を打破することも、規制緩和の一
環に位置付けられています。

規制緩和による自由競争の推進、という考え方は小泉首相時代の新自由主義への回帰
です。これは、経済は企業や個人の自由な活動に、価格も市場にまかせ、そのために
障害となる規制をできるだけ排除する、その代わり、そうした活動の結果は自己責任
である、という市場原理主義の思想です。

ところが、携帯電話の料金を下げろ、と国家が市場価格に介入するというのは、この
原理に反しています。

そもそも安倍政権時代から、いわゆるアベノミクスは、政府が日銀を使い、530兆
円の国債を買い、また日銀は、株式で構成される金融商品、株価指数連動型上場投資
信託(ETF)を毎年6兆円のペースで買い増すことにより間接的に株式を保有して
います。日銀が間接的に保有する株式(時価ベース)は、3月末時点、東証1部だけ
で28・4兆円に達して医います。

これではまだ足りないのか、「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が投入
した金額は、19年3月末の時点で東証1部上場企業の株式の形で総額で37・8兆
円にも上ります(注3)。

要約するとアベノミクスは、巨額の貨幣を市場に流して円安に導き、大量の株式を公
的資金で買い上げて株価を上げて、見かけの経済の好調を演出してきました。

安倍政権時代は、日本の経済は、新自由主義とは反対の、実態は「国家資本主義」に
なっていたのです。菅政権もこれを引き継ぐことを表明しています。

菅氏は、一方で新自由主義的な発想で規制緩和を叫びながら、大枠では「国家資本主
義」を維持するという、原理的に矛盾した経済運営を目指しています。

この原理的な矛盾を、菅政権はどのように考えているのでしょうか?あるいは、全く、
矛盾していること自体に気が付いていないのでしょうか?

いずれにしても、菅氏は7年8カ月におよぶ安倍政権の功罪を検証する必要がありま
す。それなくして、軽々しく「安倍政権の継承」などとは言うべきではないでしょう。



(注1)『朝日新聞』デジタル 2020年9月22日 16時30分
     https://www.asahi.com/articles/ASN9L4JH2N9JUPQJ00K.html?ref=mor_mail_topix2
(注2)以上は、『週刊文春』20209月17日号:「菅義偉『美談の裏側』集団就職はフェイクだった」22-25ページ);『東京新聞』2020年9月13日「本音のコラム」より。
(注3)『赤旗』電子版(2019年7月12日(金)  https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-07-12/2019071203_01_1.html;『日刊ゲンダイ』(2020年9月9日)「金子勝の天下の逆襲」
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お彼岸の頃になると、忘れずに一斉に咲くヒガンバナ                           木立の間に朝日が斜めに差し込む早朝の林
   

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菅内閣誕生(1)―練りに練った執念の首相の座―

2020-09-17 08:32:16 | 政治
菅内閣誕生(1)―練りに練った執念の首相の座―

2020年9月14日自由民主党は菅義偉氏(71)を総裁に選び、16日の臨時国会で
第九九代首相に指名され、菅内閣が発足しました。

この新内閣はまだ誕生したばかりなので、その評価は現時点では何とも言えません。以下
に、現時点での私の個人的な感想を書いておきます。

菅氏はこれまで、総裁選に出馬すること(首相の座を狙っていること)をずっと否定して
きました。

ところが、安倍首相の突然の辞任したため、急遽、次期の総理総裁を決める必要が生じま
した。この時になって、菅氏は総裁選に出馬することを発表しました。

この時の出馬会見で菅氏は、「熟慮に熟慮を重ねて判断」し、安倍政権を支えてきた一人
として「やむを得ず出馬に至った」ことを強調しました。

しかし、『週刊朝日』(9月18日号)の「菅義偉 “首相”のギラつく野心」と題した記
事や、『週刊ポスト』(25日号)の「菅義偉『姑息な新宰相』“アベ官邸乗っ取りの全
内幕」などの記事によれば、出馬会見での言葉はにわかに信じられません。

というのも、そこには「菅氏は自民党の二階俊博幹事長と水面下で手を握り、早い段階か
ら次期総裁のイスを虎視眈々と狙っていた思惑が垣間見えるからだ」という(『日刊ゲン
ダイ』2020年9月9日号)。

これについて、『東京新聞』(2020年9月15日)が詳細に報じています。それによると、
今回の首相選出の3か月前、まだ安倍首相(当時)の健康上の問題はまったく話題にもな
っていなかった、今年の6月17日、国会が閉幕したその夜、菅氏、二階幹事長両氏と森
山裕国対委員長、林幹雄幹事長代理は膝を突き合わせた。そして以下のような会話が交わ
されたという。

二階氏はすでに菅氏の野心を見抜いており、「次はあんたしかしない」、というと菅氏は
「首相が四選出馬しないなら目指したい」と本音を明かし、二階氏らは支援を誓った。

菅総理総裁への決意表明と二階氏による菅首相選出へのレールが敷かれ、菅首相誕生が規
定路線として決まった瞬間でした。

ただこの時点では、四氏の念頭にあったのは、任期満了にともなう来年秋の総裁選でした。
ところが、安倍首相は8月28日、突如、病気を理由に辞任を発表します。

退陣発表に先立って、安倍首相は官邸で麻生氏と会い、「緊急再登板」(つまり首相に再
登板)を打診したが、麻生氏は固辞しました。続いて、安倍首相は「次は菅さんだね」と
伝えました。これは事実上の後継指名でした。

さて、6月の二階氏を含む4人の会談と結論(菅首相の実現)について安倍首相が知って
いたのかどうかは分かりません。私は知らなかったと思います。

この際、安倍首相が菅氏を指名した最大の眼目は「石破氏つぶし」でした。政権幹部は、
それまで政権中枢から排除されてきた「石破氏が天下をとれば、(安倍)首相への報復が
必定だ」と漏らしています

8月28日の、安倍首相辞任発表の翌日、29日には二階氏、森山氏、林氏の三氏は菅氏
の求めに応じて集まり、その場で菅氏が「総裁選に出るのでよろしくお願いします」と伝
えました。菅首相誕生への最終確認でした。

6月からの「腹合わせ」で二階氏のシナリオ通り(二階派幹部)、自民党7派閥のうち
5派閥が、勝ち馬に飛び乗るように我先に菅氏支持に回わりました。

では「石破の追い落とし」は、どのように行われたのでしょうか?一つは、総裁選挙は地
方党員も含めたフルスペックの方法ではなく、両院総会で国会議員と各県3票の地方票に
よる投票、とすることでした。

というのも、議員プラス地方党員全員の総裁選を行えば、地方に人気がある石破茂氏が勝
つ可能性があったからです。これを避けるために二階氏は緊急事態を理由に、そして幹事
長の立場を利用して後者に導きました。この時点で石破氏の目は全くなりなりました。

石破追い落としのもう一つは、総裁選の際に、菅氏を支持する派閥から20票ほどがもう
一人の候補者、岸田文雄氏に流され、石破茂氏を何としても最下位の3位に落とし、来年
の総裁選への立候補の芽を摘んでおこうとする反石破勢力によって実行されたことが分か
っています(『東京新聞』2020年9月15日)。

さて、私は総裁選・首相選出の裏話、それ自身にはあまり興味はありませんが、安倍首相
の思惑とは別に、二階―菅ラインで密かに菅首相へのシナリオが書かれ、実行されたこと
は、今後の菅内閣の運営を見てゆく際に、心に留めておく必要があります。

私個人として、官房長官としての菅氏について、ある種、本能的な恐怖と不気味さ、そし
て暗さを感じてきました。

菅氏は、官房長官としての記者会見の際、あまり正面を向かず、分厚なノートのようなも
のに目を落としながら、ほとんど無表情で抑揚のない話し方をします。こうした雰囲気か
ら私は、菅氏とロシアのプーチン大統領と同様の印象をもっています。

2017年5月に、それまで政府の加計学園問題に関して批判していた文部事務次官(文部官
僚完了のトップ)が新宿歌舞伎町の出会い系バーに通っていたことを話したとき、唇の端
のほうで、かすかに薄笑いを浮かべているように私には見えました。

ついでに言えば、前川氏はそこで決していかがわしい行動をしていたわけではありません。

この時の一瞬の映像に私は、芯から菅氏の不気味さを感じ、背筋が寒くなる思いをしまし
た。そしてこの時の菅氏の表情は今でも脳裏に焼き付いており、不気味さの感覚は今でも
ずっと続いています。

この出会い系バーに通っていた、という情報事態は読売新聞の記事(2017年5月22日の
朝刊)を引用する形を取っていますが、それでは読売新聞はどこから情報をえたのか、な
ぜ、前川氏の行動を監視していたのでしょうか?

私は直感的に、ここには誰かが指示をして前川氏をマークしていたのではないか、と思い
ましたが、この点についてメディアはフォローしていません。

歌舞伎町の関係者は、この出会い系バーには、それまでにも警察にマークされていたよう
だ、と語っています(注1)。

それでは、なぜ警察はこのバーをマークしていたのでしょうか、誰の指示で警察は監視活
動をしていたのでしょうか?

真実は闇の中で、本当のことは分かりません。しかし、最近菅氏の総裁選に関連して幾つ
かの記事を読んで、なぜ、菅氏から受ける印象が暗いイメージをもつにか何となく腑に落
ちました。『日刊ゲンダイ』2020年9月9日号)は次のように書いています。

    危機管理という名のもとに菅が重用した「官邸ポリス」と呼ばれる警察官僚、警
    察権力との関係にも底知れぬ闇を感じざるを得ない。    
そして、政治ジャーナリストの伊藤博敏が『日刊ゲンダイ』に書いた「政権の闇」と題す
るコラム記事を引用して、
    「菅」を支えるのが公安警備畑の警察官僚だとすれば、ただでさえ華のない菅政
    権が、地味で暗いものになるのは避けられまい。

もう一つ、ジャーナリストの北丸雄二氏が『東京新聞』2020年9月4日に書いた「第5次
アベ内閣」と題するコラムで、この内閣(もちろん菅氏も含まれます)は
    内閣情報調査室で反対勢力の情報を握り、内閣人事局で官僚人事を握り、内閣法
    制局でほしいままの法解釈を手中にする無敵の第五次アベ内閣が継続するらしい
と書いています。

菅氏は霞が関の人事権を掌握し、政権の意に沿わない官僚は「移動してもらう」(左遷す
る)ことを明言しており、ある省庁幹部は「首根っこをつかまれ、官邸に意見を言いにく
い空気が続く」とことを危ぶんでいます(『東京新聞』2020年9月15日)

前出の前川氏は、安倍政権の権力を支え、内政を仕切っていたのは実質菅氏だったから、
このような体質は、菅内閣ではさらに強化されると警戒しています(『日刊ゲンダイ』
2020年9月9日号);(注2)

私は、もし菅政権が、官僚を左遷の恐怖で支配し、自由な議論を抑え込むことになれば、
日本にとって非常に大きな損失だと思います。

なぜなら、恐怖による支配下では官僚のモチベーションも下がり、優れたアイディアで
も出てきにくくなります。官僚は、ただ官邸の指示通り、無難に仕事をするだけになり
ます。しかし、本来は、自由闊達な議論こそが国を良くする源泉です。

先日、官庁にインターンで働いている東大生が、その省庁の優秀な官僚がどんどん辞め
ている、と語っていました。

さらに、菅官房長時代の菅氏の記者会見で記者の質問に対する答え方がとても気になっ
ていました。

映画監督の想田和弘さんは菅氏の答え方について、「コミュニケーションを一切遮断し
ている」と批判してきた。中でも繰り返された「ご指摘はあたらない」「まったく問題
ない」という説明を問題視します。

どんな質問をしても木で鼻をくくったような回答が返ってくるだけだと追及ができなく
なり、あたかも『無敵』に見える。だが、実は対話の土俵に乗るのを拒むもので、記者
の背後にいる国民とも対話する気がないという姿勢の表れだ」と話す。会見の主催は内
閣記者会で、「記者は質問を工夫し、追及しなければ」と注文を付ける(注3)。

これは菅氏が質問への答え、説明することを事実上拒否している姿勢で問題だと指摘す
る一方、質問する記者も工夫すべき、と注文を付けています。

私もまったく同感です。

たとえば、12日に開かれた記者クラブ主催の公開討論会で、森友、加計学園や首相主
催の「桜を見る会」について聞かれ、森友問題の公文書改ざんについて菅氏は「財務省
で調査し、検察でも捜査した。結果は出ている」、だから追加の調査はしない、と答え
ています。

財務省の調査が本当に適切であったか、検察の捜査が公正であったか、という問題もあ
る。この点に関して石破氏は、検察がどうのこうでではなく、70パーセント以上の人
が納得していないのだから、それを説明するのが政治の責務だ、としごくまっとうな反
論をしていました。

加計学園問題にしても「法令にのっとって、オープンなプロセスで検討が進められたこ
とが明らかになっている」、だから第三者による再調査は必要ない、とこれまでの回答
を繰り返しました(『東京新聞』2020年9月13日)。

そして、世論が納得しているか認識を聞かれたのにたいして、「世論というより、やは
り政府」と答えています。つまり、世論がどうあれ、政府の意志決定が優先すると、言
っているのです。この姿勢にも私は大いに疑問と不安を感じます。

菅氏が、全て過去の問題は決着済みだから、再調査する必要はないという態度を今後も
取り続けるとしたら、そして、今までのように「木で鼻をくくったような」回答しかし
ないとすれば、国民の菅政権に対する信用は失われてしまうでしょう。

(注1)NEWSポストセブン( 2019年4月7日 7時0分 )
https://news.livedoor.com/article/detail/16278770/
(注2)『サンデー毎日』デジタル版 2020年9月10日 05時00分(最終更新 9月10日 11時57分)
  https://mainichi.jp/sunday/articles/20200907/org/00m/010/003000d
(注3)『朝日新聞』(デジタル)2020年9月15日 20時36分
https://www.asahi.com/articles/ASN9H6JVDN9HUTIL00S.html?ref=hiru_mail_topix2_6

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検証「コロナの時代を生きる」(5)―“貧しき者は ますます貧しく過酷な状況に”―

2020-09-09 09:11:57 | 健康・医療
検証「コロナの時代を生きる」(5)
―“貧しき者は ますます貧しく過酷な状況に”―


「富める者はますます富み、貧しき者はその持て物をも奪われるべし」(新約聖書マタイ伝13章12節)
という冷徹で苛酷な現実が、コロナ禍の日本で進行しています。

今年の始めから世界に広まった新型コロナウイルスは、それまで社会の奥底に隠されていた深刻な問題
をあぶり出しました。

中でも、地球規模でも日本国内にも存在する貧富の格差と差別は深刻です。
ウイルス禍は、ある意味“平等な”側面を持っている、と言われることがあります。その根拠は、豊かな
人も貧しい人も平等に感染するから、というものです。しかし、現実は違います。

ニューヨークでは、貧しい黒人やそのたヒスパニック系マイノリティーなどが集中する地区の感染者の
方が、豊かな白人が住む居住区よりも、感染率も死者数もはるかに多いことが分かっています。

というのも、貧しい人たちは、コロナ禍のただ中でも、ゴミ収集人、街の清掃人や宅配の配達人など、
“エッセンシャル・ワーカー”(社会を維持してゆくうえで必要不可欠な働き手)、として、たとえロッ
クダウン(都市封鎖)の状況下で感染の危険をおかしてでも働きに出なければならないからです。

日本ではどうでしょうか。日本ではアメリカのように人種的、経済的事情によって居住区が分かれる
ということはありませんが、それでも別の形で、コロナ禍は貧富と格差という社会の傷口を一挙に広
げました。

今年の6月頃、テレビで、軽井沢で貸別荘を斡旋している不動産会社の職員の話を伝えていました。
彼によれば、当時すでに8月いっぱいまで、貸別荘は予約で満室だそうです。

このように自分の別荘や貸別荘で避暑とコロナを避ける一石二鳥の生活を送ることを、メディアでは
「コロナ疎開」と呼んでいましたが、これできるのは富裕層だけです。

では日本の貧しい人、弱い立場の人たちはどのような現実に直面しているのでしょうか?以下に示す
例は現在、日本のどこにでも起こっている現実の一端です。

千葉県に住む40代の女性は8月28日、仕事から帰宅してテレビをつけた。画面には、辞意を表明する
安倍首相の姿が映っていました。彼は誇らしげに「400万人を超える雇用をつくり出し……」と実績
を強調していましたが、この女性は、空しさがこみ上げた、といいます。

彼女は葬儀場で食事を提供する会社で14年間、非正社員として働いていました。繁忙期は休日返上で
職場に貢献してきたつもりでしたが、新型コロナウイルス禍で会社が休業すると、非正社員に休業手
当は出ませんでした。結局、7月で解雇。いわゆる「雇止め」です。

安定した次の仕事は見つからず、やむを得ず、個人請負の配送の仕事に就きましたが、「雇用保険も
なく、労働者として守られていない。不安だけど生活のためには仕方ない」と諦めでいます(注1)。

3年毎に行われる国民生活基礎調査(18年度版)によれば、非正規就業者は全体で約38%ですが、
男性21%なのに対して女性は55%強と、半数以上に達しています。明らかに女性は差別されてい
ます。

まだ現時点でも正式の統計は出ていませんが、おおざっぱにいって、現在は全就業者の4割近くが非
正規ではないかと思われます。

「労働問題弁護士ナビ」によると、「コロナ解雇」といえる「雇止め」は、今年4月末で3774人
でしたが、5月21日時点で葉1万6723人と、1か月で1万人以上増えています(注2)。

おそらく、6月末から7月末にかけての東京都、大阪府、愛知県、福岡県など大都市圏における爆発
的な感染者の増加以降、「雇止め」はさらに急速に増えていると思われます。

厚労省が9月8日に発表した、コロナ禍に関連する解雇や雇止めが、見込みも含めて5万2508人で、
4日時点で、先週より3,041人増え、うち、パートやアルバイトなどの非正規が77%を占めていた。
これも、ハローワークなどの事業所からの報告を基に集計したもので、実際はもっと多いと思われま
す(『東京新聞』2020年9月9日)

それは、日本経済全体が、これまでになく大きく落ち込んでいるからです。

新型コロナウイルス禍が直撃した2020年4~6月期に実質国内総生産(GDP)が前期比年率27.8%減と
いう、戦後最悪の衝撃的な落ち込みが明らかになりました。

それもそのはずで、昨年10~12月、1月~3月、4月~6月の3連続四半期(9カ月)で54兆
円のGDPが消えてしまったのです。日本の一般会計予算が100兆円であることを考えれば、いか
に大きな落ち込みかがわかります。

コロナショックの落ち込みは、リ―マンショック(1年で43.5兆円)、東日本大震災(9が月で
14.2兆円)と比べても、はるかに大きいのです(注3)。

人を雇う企業側は、非正規就業者を、いつでも解雇できる都合のよい働き手、と考える傾向がありま
す。景気が悪くなれば、経費削減のためにこうした人たちを真っ先に解雇しようとします。

しかも、現在ではコロナ不況を大義名分として、報告されている以上の「雇止め」が発生している可
能性があります。

「雇止め」以外でも、正規社員は自宅でのテレワークが認められているのに、非正規就業者には出社
を強制するなどの事例が報告されています。

それでは、このようなコロナと経済の後退の中で、とりわけ追い詰められている状況を母子家庭にお
ける実態から見てみましょう。

母子家庭は全国におよそ123万世帯で、ここ5年ほどほぼ横ばいです。このうち相対的貧困率(平
均世帯年収の半分以下)は50.8%、つまり半分強です。

子どもいる世帯に限って言えば、平均年収は707万円ですが、母子世帯では200万円以下が60
%弱です。300万円以下が80%です。

もちろん、母子家庭には、国からも生活や養育に対する公的扶助が与えられ、離別した父親からも養
育費が入る(しかしこれは必ずしも保障されない)ので、実際は、もう少し多いのかも知れません。

いずれにしても、シングルマザーは、残業も出張も頼みにくいし、子どもの健康状態によっては急に
仕事を休むかもしれないなど、マイナス点が多くあるので、企業はシングルマザーを正規労働者とし
て雇いたがりません。

そこで、シングルマザーはやむなくパートや非正規就業者になるしかないのです。しかしパート、ア
ルバイトの収入は極端に低く、平均年収は133万円しかありません(注4)。

こうした状況で、母子家庭はどのような生活を強いられているのでしょうか?

NPO法人「しんぐるまざーず・ふぉーらむ」が今年7月に行った「新型コロナによる母子家庭の食
生活美変化」にアンケート調査(1800人が回答)によれば、

1回の食事量が減った(14.8%)、1日の食事回数が減った(18.2%)、お菓子やおやつを食事の代
わりにすることが増えた(20.1%)、 炭水化物だけの食事が増えた(49.9%)、インスタント食品が
増えた(54.0%)、という結果でした。

説明は要らないと思いますが、これらの数字を見ただけで、胸が痛くなるほど残酷な状況です。

恐らく、食事といっても半数近くの世帯では、せいぜいお米+α、カップ麺、菓子パンなどの炭水化
物やインスタント食品が中心なのでしょう。

それでさえ、1日の食事の回数を減らさざるを得ない家庭が18%もいるのです。

こうした家庭の子どもの将来を考えるととても心配になります。

アンケートの自由記述では、「こどもたちには2食で我慢してもらい、私は1食が当たり前。3か月
で体重が激減」(二人の子どもを持つ30代)という切実な事情を書いています。

コロナは食事だけでなく子どもの教育にも母子家庭に深刻なダメージを与えています。

「子どもが学校にゆけなくなった。タブレット、パソコンがないため会話に入れずいじめに近い感じ。
子どもを守れていない自分が嫌で死にたい」(3人の子どもを持つ30代)、といったように、実態
は想像を超える過酷さです(『東京新聞』2020年9月7日)

こうした家庭で育った子どもたちが健全な身体や精神を培うことは非常に難しいでしょう。彼らは高
等教育を受けることは難しく、就職にも不利で、収入の低い職しか得られない可能背があります。そ
こでまた、貧困が生み出される、「貧困の連鎖」が生じます。

これが本当に、憲法で「健康で文化的な生活」を保障している、“豊かな”日本の実情でしょうか?弱
者に優しい国こそが、真の文化国家だと思います。

「Go To トラベル」も「Go To イート」も、貧困にあえいでいる母子家庭にとっては無縁の話です。

それでも「Go To トラベル」事業に1兆3500億円、「Go To イート」に767億円の予算が組まれ
ています。その本の一部でも貧困層に給付すべきではないでしょうか?

政府は、貧困層の問題にはあまり関心がないようですが、このような世帯の子どもたちも健康で文化的
な生活を送る権利があり、彼らこそがこれからの日本を背負ってゆく世代なのです。

子どもへの投資は、国にとって非常に価値のある投資なのです。

そして、コロナ禍の先が見えない現在、経済の縮小は不可避で、一部の富裕層は株などへの金融投資で
潤うかもしれませんが、大多数の国民は所得の減少に直面してゆきます。

雇用者数を季節による変動を差し引いて集計すると、今年6月までの3カ月で145万人減っています。ま
た企業活動の停滞で、非正規従業員の雇い止めなどが広がったからです。

1人当たりの現金給与総額も、残業代の減少などを受けて6月に前年同月比1.7%減と低迷しています。20
年の春季労使交渉の賃上げ率は前年より縮み、今夏のボーナスも鉄鋼や鉄道などを中心に減った企業が
多くあります。

4~6月期の雇用者報酬の減少は金額にすると2.6兆円程度。仮に1年間回復しなければ10兆円規模の減額
となり、計12兆円あまりの定額給付金の効果が薄れると家計はいよいよ厳しくなります。つまり、本当
に家計が苦しくなるのは、これからなのです。

ニッセイ基礎研究所の斎藤太郎氏は「20年度の家計の可処分所得は給付金が押し上げ、21年度は反動で
落ち込む。雇用所得環境の悪化が消費の回復を遅らせる可能性が高い」と分析しています。分配が減り、
成長の妨げになる悪循環が忍び寄ってきます(注5)。

これを食い止められるかどうかは、政府と国民が真剣に貧困と格差・差別の解消に取り組むか否かなか
にかかっています。

「富める者はますます富み、貧しき者はその持て物をも奪われるべし」(新約聖書マタイ伝13章12節)
という古来の警句を、私はもう一度胸に刻んでおきます。


(注1)『朝日新聞』デジタル(2020年9月8日 5時00分)
https://www.asahi.com/articles/ASN976WVKN94ULFA02Y.html?ref=mor_mail_topix1
(注2)https://roudou-pro.com/columns/11/
(注3)『日経新聞』(2020年8月19日)
    https://www.nikkei.com/article/DGKKZO62781930Y0A810C2EE8000/
(注4)「しんぐるまざーず・ふぉーらむ」https://www.single-mama.com/status/
(注5)『日本経済新聞』デジタル版(2020/8/20 23:00)    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62867620Q0A820C2EE8000/?n_cid=NMAIL007_20200821_A
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最近ではこのような古典的なアサガオは珍しくなりました。                   これは最近のはやり出したアサガオなのでしょうか
 


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社会現象となった“藤井聡太”(2)―AIを超えた芸術の域―

2020-09-01 15:16:07 | 思想・文化
社会現象となった“藤井聡太”(2)―AIを超えた芸術の域―

前回は、藤井聡太棋聖が木村一基王位からタイトルを奪い、藤井二冠となったことが、テレビ、
新聞などで大きく取り上げられた背景について書きました。

今回は、藤井聡太の才能について、将棋の内容にも少し触れながら考えてみたいと思います。

藤井聡太の二冠獲得に関して、さまざまな人がコメントを寄せていますが、個人的には加藤一
二三九段のコメントが、最も的を射たもおだと思います。

    人工知能(AI)の研究がいかに隆盛を誇ろうとも、藤井聡太二冠には、人間の探求
    心と求道心の先にある芸術的な一手により、盤上での感動を追求し、将棋界を沸かせ
    ていただけることを期待します(『東京新聞』2020年8月21日)。

加藤一二三九段(80)は、14才の藤井少年のプロ・デビュー戦で闘い、敗れた将棋界のレ
ジェンドです。

加藤九段は少年の時に“神童”と呼ばれたそうですが、藤井聡太も、やはり“神童”に近いと言える
かもしれません。

藤井少年の“神童”ぶりは、子どもの時から周囲の人を驚かせています。

小学生のころ「“どうして5分で分かることを45分もかけて教えるんだろう。授業がつまらない”
と言って驚かされたこともありました」と母親が懐述しています(注1)。すごい話です。

最近のAbema TV で対局を見ると、両者の優劣が、50:50とか、49:51とか、あるいは
終盤には95:5のように示されます。

また、どちらかが指した一手に対する相手の応手をコンピュータが、良い方から幾つかの選択肢
を示してくれます。時には、30億回、とか、私が見た最高は70億回も計算します。

同様に、実際に指した手の評価もものすごい速さで計算して数字で示してくれます。

藤井聡太の場合、コンピュータは彼が指した手をその時は最善手として評価せず、しばらく計算し
直して、やっぱり最善手だった、と評価を変えたことがあります。

藤井聡太の能力ならぬ「脳力」を、脳科学者の茂木健一郎氏は「9倍速解析脳」と命名しています
(注2)。

藤井二冠の読みの速さと深さは、ずば抜けています。二、三の実戦例を示しましょう。

藤井聡太が渡辺明棋聖(当時)からタイトルを奪取した5番勝負の何局目かで、藤井の王は、王手、
王手と連続16回も追い詰められ、単独で盤上を逃げ回りました。

一歩踏み外したらたちまち谷底に転落する状況で、コンピュータの表示では圧倒的に渡辺有利をは
じき出していました。

ところが、渡辺棋聖は結局、藤井聡太の王を詰ますことはできず、逆に、受ける手段がなくなって
いたため詰まされてしまいました。

後から分かったことですが、藤井聡太は、自分の王が30手先(交互に指して)に安全な場所にた
どり着き、自分が勝つことを読み切っていたそうです。恐るべき才能です。

もう一つ、これも渡辺棋聖との何番目かの対局だったと思いますが、藤井聡太は“ミス”をしてしまい、
しばらくタオルで顔を覆ってうなだれていました。

この対局も藤井聡太が勝ったのですが、後に、師匠の杉本八段の解説を聞いて、私は心底驚きました。

藤井聡太の“ミス”により、渡辺棋聖の方に勝つチャンスがうまれたのです。ただし杉本八段によれば、
渡辺棋聖が勝つためには、“森の中の細くて分かりにくい道を間違わずに進んだ場合に限り、たどり
着くことができる、難解な指し回しができれば、”という条件付きだったのです。(表現は多少違っ
ているかも知れませんが、趣旨は同じです)

結局、渡辺棋聖はその“森の中の細くて分かりにくい道を”を発見できず、逆転負けしてしまいました。

真剣勝負の対局中に、相手の勝ち筋を発見してしまい、それに気づいて半ば負けを覚悟してうなだれ
るとは尋常の読みの能力ではありません。

通常の棋士は、自分の勝ち筋を読むこと、あるいは負け筋を読むことはあっても、難解な相手の勝ち
筋まで読み切ることは考えられません。

最後にもう一つ例を示しましょう。木村王位(当時)とのイトル戦7番勝負のある一局で、藤井聡太
の最強の駒である飛車が、相手の銀によって取られる形になりました。もちろん、逃げることはでき
るのでプロの棋士なら、躊躇なく逃げます。AIも逃げる手を最善手としていました。

しかし藤井聡太は、最強の飛車と銀とを交換してしまったのです。これは、例えて言えば、自分のも
っている1万円と相手の千円とを交換するようなものです。こんなことは、まず棋士は考えません。

この時、藤井聡太には、このような、一見不利な交換でも、後々、交換した銀で勝ちに導くことがで
きるとの読みがあったと思われます。少なくとも絶対に不利ではないとの読みがあったはずです。

この手によって、相手の木村王位は迷いを生じ、この時も藤井聡太の勝ちになりました。

AIは過去の対局を全て記憶し、ある場面では何が最善手を計算します。それは、おそらく99%まで
は確率駅には合理的で正しいのでしょう。

しかし、この場合の“最善手”とは、あくまでも計算上のことで、実戦の場では、さまざまな人間的な迷
いや勘違いが起こります。藤井聡太も時にはミスをおかします。ただ、彼の場合ミスが通常の棋士に比
べて圧倒的に少ないのです。

かつてテレビのインタビューで、“藤井さんもコンピュータ(AI)を使うんですか”と聞かれ、一般的
な研究の他に、AI将棋への対策を研究するために使います、という趣旨の発言をしています。

多くの棋士がコンピュータのAIを活用して力をつけようと必死の努力を始めている中で、藤井聡太は
その先の道を走っているのです。

藤井聡太は棋士個人としても、すばらしい成績を残していますが、将棋界全体にとっても大変大きな貢献
をしています。

2017年4月、時の名人位の棋士が初めて将棋ソフトに敗北し、棋士の多くが「存在意義がなくなるのでは」
と不安を漏らしていました。

当時はまた、将棋界は屋台骨が揺らぐ「緊急事態」にありありました。トップ棋士の不正疑惑の処理をめぐ
り、日本将棋連盟に批判が向けられ理事5人が辞任や解任となり、棋士たちがバラバラになっていました。

そんな時、藤井聡太というスターがすい星のように登場し、空気を一変させました。将棋を知らない人まで
も、あどけない「藤井君」の活躍に目を細めたのです。

各地の将棋教室は満員になり、「内輪もめややめようと棋士が一つにまとまった。まさに救世主が現れた感
覚だった」(当時将棋連盟の専務理事 脇謙二氏の弁)。(『東京新聞』2020年8月22日)。

藤井聡太が初タイトル(棋聖位)を取った今年の7月、ある同業の棋士は、「彼(藤井聡太)は、将棋界に
神様がくれた『ギフト』かもしれない」とまで称賛しています(『東京新聞』2020年7月17日)。これは
言い得て妙です。

最近の日本では、テレワークとかリモート会議とかオンライン授業などの普及が盛んで、コンピュータとAI
を使えない人間は人にあらず、といった風潮があります。

現実はそうかもしれませんが、私はこのような風潮にどこか違和感を抱いていました。しかし、藤井聡太の将
棋を観戦し、加藤一二三九段や他の棋士のコメントを読むと、人間的な要素は、まだまだ健在であることに、
ふと安心感を持ちます。

時に、AIも瞬には読み切れないような深淵な手を放つ。「積んでいるエンジンが違う」という敗戦棋士の嘆
息が、藤井聡太の規格外ぶりを表わしている(『東京新聞』2020年8月21日)。

若干18才の藤井王位は、機械では計り知れない人間の奥深さを体現しています。

『東京新聞』(2020年8月21日)の社説は、今回のタイトル奪取も含めて藤井将棋について次のように総括
しています。
    AIが人類の知能を超えてしまう状況の到来も懸念される現代、その活躍は将棋という枠を超え、A
    I時代にもなお人間が主役であり得る希望を示すと言えようか。

藤井聡太は新記録や冠数にはおどろくほど関心がないと、師匠の杉本八段は言います。ただ、「強くなるとい
う目標はどこまで行っても変わらない。強くなりさえすれば、結果は付いてくる、と真っ直ぐに信じている」と
考えているようです。(『東京新聞』2020年8月24日)

最後に、私がもっとも好きな藤井聡太の言葉を書いておきます。史上最年少(17才)で初タイトル(棋聖位)
を獲得した時のコメントです。今や、将棋はAIとの共存の時代に入ったと指摘し、その時代に人間が将棋を指
すことについて聞かれ、
 盤上の物語というのは普遍のもの。その価値を自分も伝えられたら
答えています(『東京新聞』2020年7月17日)。

AIであれ人間であれ、将棋には普遍の「物語」がある、と言い切っています。本当に、これが17才の“少年”
がいう言葉なのでしょうか!!今まで、棋士の口からこのような言葉を聞いたことはありません。

ふと、藤井聡太は、ただの人間ではなく本当は“宇宙人”なのではないか、と思うことさえあります。

これからは、多くの棋士が「打倒藤井」を目指して闘いを挑んでくるでしょう。私にとっては、まだ当分の間、
ワクワクを味わえそうです。


(注1)『デイリー新潮』(2016年9月15日号掲載)
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/09201030/?all=1
(注2)『日刊スポーツ』(2020年6月7日21時35分) 
 https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202006060000640.html



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