(続)森友問題―外国人記者が見た日本の本当の闇―
森友問題の背後には、政治と官僚との間に、癒着、というより主従関係が定着してしまっていることが
明らかになりました。
官僚の出世街道をトップでひた走ってきた佐川前財務省理財局局長はエリート中のエリートのです。
その佐川氏でさえも、公文書偽造という絶対にやってはいけない行為に関わらざるを得ない状況に追い
込まれ、国会でも不自然で苦しい弁明を強いられてきました。
この姿をみて、エリートといっても所詮は、時の権力の使い走りに過ぎないんだな、と哀れを感じたの
は、私一人ではないでしょう。
官庁の中でも財務省は特別に重要な官庁であるとの誇りをもっていた財務省のトップですら、屈辱的な
答弁の姿を国民の前にさらす役割に甘んじている状態です。
そもそも官庁というのは、政治や政権が変わろうとも国の行政が国民の利益のために間違いなく維持さ
れるように働くことが使命で、官僚はそのことに誇りをもっていたはずです。
しかし今や、それは遠い過去の話になろうとしています。
これまでの、公文書改ざんに関して「森友 9つの疑念」という記事で整理されているので、そちらを
読んでいただくとして(注1)、森友問題を在日外国人記者はどうみているかを見ておこう。
一つは、『毎日新聞』が何人かの在日外国人特派員のコメントをまとめて紹介しています(注2)。
まず、イギリス『タイムズ』紙の東京支局長ロイド・パリー氏は、『「改ざん」は英語ではfalsifyなど
と訳される。これはたんなる書き換え(alter)ではない。 改ざん以外の言葉では語れない」と指摘します。
イギリス『フィナンシャル・タイムズ』(FT)紙の東京支局長、ロビン・ハーディングさんも「公文書
をあれほど大きく変えるのは『改ざん』以外の言葉では語れない」と言っています。
明治学院大教授でニューズウィーク誌日本語版などに寄稿してきたマイケル・プロンコさんは「官僚の改
ざんと聞いて、ショッキングなほど悪い印象を受けた。普段は真面目な人が、実は盗みを働いていたよう
な、裁判で偽証したような重さがある」と驚きのコメントをしています。
いずれにしても、世界の常識では、「改ざん」以外の表現はありえないのに、政府も財務省も、問題を小
さく見せるために必死で「書き換え」と繰り返しているところに、後ろめたさがはっきり表れている。
FTのハーディングさんは、かつて日本は政官がつながっている特殊な国との評価があったが「1990年代
からのルール改正などでじわじわと環境は良くなり、日本特殊論はなくなりつつあった。それなのに、公
文書改ざんを財務省がやったとなると、やっぱりまだ日本と付き合うのは難しい、独特のルールがあると
思わざるを得ないと思う」と述べています。
つまり、日本とはまだまだ通常のお付き合いができない特殊な国だ、との認識です。
前出のプロンコさんも「他の省庁でなく財務省が改ざんしたという衝撃が大きい。効率や管理、規律の高
さ、良きロボットのような正確さが日本政府のイメージだったが、その中心とも言える財務省があれほど
恥ずかしいことをしたとなると、『あれ、大丈夫?』となる。この先、信用できるのかと」。
やはり、日本という国は、その中枢の部分で改ざんという犯罪的なことをやって、本当に信用できるのか
な、と疑問を表明しています。
つぎに、タイムズ紙のパリー氏の的を射たコメントを紹介しよう。彼によれば、今回の問題は首相の妻が
土地取引に関与したかどうかという「小さな問題」なのに、ただそんな「比較的小さな問題」のために財
務官僚がこれほど必死に改ざんに手を染めたとなれば、昨年発覚した南スーダン派遣の自衛隊の日報隠蔽
(いんぺい)問題に見られるように、安全保障問題などでより深刻な情報を隠すだけでなく、都合のいい
ように変える可能性がゼロとは言えないだろう」と懸念を表明しています。
日本の政治全体が海外の信用を失いつつありことを、首相も官邸も官僚も、本当に真剣に考え直す必要が
あります。
二つ目の記事は、レジス・アルノー『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員の単独
記事です(注3)
アルノー氏は、まず日本のこの問題について欧米のメディアはほとんど関心を指名していないことを挙げ
ています(昨年、取り上げた記事は『ニューヨークタイムズ』は2本、『ワシントンポスト』は1本だけ
だった)。
アルノー氏によれば、海外でこの事件に無関心な理由の一つは、日本の政治家のほとんどが50歳以上の男
性で、英語が話せないうえ、外国の要人ともつながりが薄いため、国際的なレーダーにひっかかることが
ほとんどない、という事情がある。
「政治家たちのもめごとの多くが個人的なものであり、知的なものではない。外から見ると、日本の国会
はまるで老人ホームのようだ。そこにいる老人たちが時折けんかをするところも似ている」と辛らつです。
こうした中、数少ない報道が日本についてのぶざまなイメージを与えている政府は、対外的には、
日本では「法の支配」が貫徹していると説明し、これを誇ってきたが、森友スキャンダルは日本
の官僚が文書を改ざんする根性を持っているというだけでなく、(これまでのところ)処罰から
も逃れられる、ということを示しているのだ。
平たく言えば、日本という国では「法の支配」が実現していない、民主主義の基本がいまだに根を下ろし
ていない国、と海外では受け取られている、ということです。
最後にアルノー氏は、スキャンダルそのものよりも悪い、本当の闇は以下の点だ、と述べています。それ
は、こういった行為が処罰されなければ、もはや政府を信頼することなどできなくなるからです。
もしフランスで官僚が森友問題と同じ手口で公文書を改ざんしたとしたら、公務員から解雇され、
刑務所に送られるだろう。処罰は迅速かつ容赦ないものとなることは間違いない。
と、フランスの上級外交官は話したそうです。
また、
改ざんにかかわった官僚の自殺、といった由々しき事態が起これば、その時点で国を率いている
政権が崩壊することは避けられない。しかし、どちらも日本ではこれまでに起こっていない。麻
生太郎財務相と安倍首相は、このまま権力を維持すると明言している。(中略)
しかし、スキャンダルそのものより悪いのは、政府と官僚がスキャンダルを隠蔽しようとしたこ
とだ。だがその隠蔽よりさらに悪いのは、隠蔽に対する国民の反応だ。ほかの国々から見ると、
森友問題によって日本社会がどれほど政治に無関心になったかが示されたことになる。
アルノー氏は政府の府政に対する国民の反応に関して日本と韓国を比較しています。
韓国では朴大統領の不正に対する抗議として100万人をこす一般市民が、マイナス14度という厳寒の
なかで座り込みのデモを行い、ついに大統領を辞任に追い込みました。
そして裁判所も、朴元大統領を厳正に裁く姿勢を貫いています。
アルノー氏の指摘を待つまでもなく、もし、今回、公文書の改ざんに直接かかわった官僚、彼らに指示し
たり改ざんに圧力をかけた政治家や官僚が罰せられないとしたら、日本の統治機構は崩壊してしまったと、
言わざるを得ないでしょう。
そして、安倍政権が、数の力で何とか事態を抑え込んだとしすれば、安倍政権だけでなく日本という社会
全体が国際的な信用を失うことになります。
財務省だけでなく、安倍政権の働き方改革にそうように、残業時間1日45時間などと言う数字を平気で
出した厚生労働省、防衛省の日報隠しにしても、今や、行政全体が溶けだしてしまったような印象を持ち
ます。
本当に、日本は大丈夫なのでしょうか?
(注1)『朝日新聞 デジタル』(2018年3月18日05時00分)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13408211.html?rm=150
(注2)毎日新聞2018年3月19日 東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20180319/dde/012/040/006000c?fm=mnm
(注3)『東洋経済 ONINE』レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員(2018年03月23日)http://toyokeizai.net/articles/-/213722?
森友問題の背後には、政治と官僚との間に、癒着、というより主従関係が定着してしまっていることが
明らかになりました。
官僚の出世街道をトップでひた走ってきた佐川前財務省理財局局長はエリート中のエリートのです。
その佐川氏でさえも、公文書偽造という絶対にやってはいけない行為に関わらざるを得ない状況に追い
込まれ、国会でも不自然で苦しい弁明を強いられてきました。
この姿をみて、エリートといっても所詮は、時の権力の使い走りに過ぎないんだな、と哀れを感じたの
は、私一人ではないでしょう。
官庁の中でも財務省は特別に重要な官庁であるとの誇りをもっていた財務省のトップですら、屈辱的な
答弁の姿を国民の前にさらす役割に甘んじている状態です。
そもそも官庁というのは、政治や政権が変わろうとも国の行政が国民の利益のために間違いなく維持さ
れるように働くことが使命で、官僚はそのことに誇りをもっていたはずです。
しかし今や、それは遠い過去の話になろうとしています。
これまでの、公文書改ざんに関して「森友 9つの疑念」という記事で整理されているので、そちらを
読んでいただくとして(注1)、森友問題を在日外国人記者はどうみているかを見ておこう。
一つは、『毎日新聞』が何人かの在日外国人特派員のコメントをまとめて紹介しています(注2)。
まず、イギリス『タイムズ』紙の東京支局長ロイド・パリー氏は、『「改ざん」は英語ではfalsifyなど
と訳される。これはたんなる書き換え(alter)ではない。 改ざん以外の言葉では語れない」と指摘します。
イギリス『フィナンシャル・タイムズ』(FT)紙の東京支局長、ロビン・ハーディングさんも「公文書
をあれほど大きく変えるのは『改ざん』以外の言葉では語れない」と言っています。
明治学院大教授でニューズウィーク誌日本語版などに寄稿してきたマイケル・プロンコさんは「官僚の改
ざんと聞いて、ショッキングなほど悪い印象を受けた。普段は真面目な人が、実は盗みを働いていたよう
な、裁判で偽証したような重さがある」と驚きのコメントをしています。
いずれにしても、世界の常識では、「改ざん」以外の表現はありえないのに、政府も財務省も、問題を小
さく見せるために必死で「書き換え」と繰り返しているところに、後ろめたさがはっきり表れている。
FTのハーディングさんは、かつて日本は政官がつながっている特殊な国との評価があったが「1990年代
からのルール改正などでじわじわと環境は良くなり、日本特殊論はなくなりつつあった。それなのに、公
文書改ざんを財務省がやったとなると、やっぱりまだ日本と付き合うのは難しい、独特のルールがあると
思わざるを得ないと思う」と述べています。
つまり、日本とはまだまだ通常のお付き合いができない特殊な国だ、との認識です。
前出のプロンコさんも「他の省庁でなく財務省が改ざんしたという衝撃が大きい。効率や管理、規律の高
さ、良きロボットのような正確さが日本政府のイメージだったが、その中心とも言える財務省があれほど
恥ずかしいことをしたとなると、『あれ、大丈夫?』となる。この先、信用できるのかと」。
やはり、日本という国は、その中枢の部分で改ざんという犯罪的なことをやって、本当に信用できるのか
な、と疑問を表明しています。
つぎに、タイムズ紙のパリー氏の的を射たコメントを紹介しよう。彼によれば、今回の問題は首相の妻が
土地取引に関与したかどうかという「小さな問題」なのに、ただそんな「比較的小さな問題」のために財
務官僚がこれほど必死に改ざんに手を染めたとなれば、昨年発覚した南スーダン派遣の自衛隊の日報隠蔽
(いんぺい)問題に見られるように、安全保障問題などでより深刻な情報を隠すだけでなく、都合のいい
ように変える可能性がゼロとは言えないだろう」と懸念を表明しています。
日本の政治全体が海外の信用を失いつつありことを、首相も官邸も官僚も、本当に真剣に考え直す必要が
あります。
二つ目の記事は、レジス・アルノー『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員の単独
記事です(注3)
アルノー氏は、まず日本のこの問題について欧米のメディアはほとんど関心を指名していないことを挙げ
ています(昨年、取り上げた記事は『ニューヨークタイムズ』は2本、『ワシントンポスト』は1本だけ
だった)。
アルノー氏によれば、海外でこの事件に無関心な理由の一つは、日本の政治家のほとんどが50歳以上の男
性で、英語が話せないうえ、外国の要人ともつながりが薄いため、国際的なレーダーにひっかかることが
ほとんどない、という事情がある。
「政治家たちのもめごとの多くが個人的なものであり、知的なものではない。外から見ると、日本の国会
はまるで老人ホームのようだ。そこにいる老人たちが時折けんかをするところも似ている」と辛らつです。
こうした中、数少ない報道が日本についてのぶざまなイメージを与えている政府は、対外的には、
日本では「法の支配」が貫徹していると説明し、これを誇ってきたが、森友スキャンダルは日本
の官僚が文書を改ざんする根性を持っているというだけでなく、(これまでのところ)処罰から
も逃れられる、ということを示しているのだ。
平たく言えば、日本という国では「法の支配」が実現していない、民主主義の基本がいまだに根を下ろし
ていない国、と海外では受け取られている、ということです。
最後にアルノー氏は、スキャンダルそのものよりも悪い、本当の闇は以下の点だ、と述べています。それ
は、こういった行為が処罰されなければ、もはや政府を信頼することなどできなくなるからです。
もしフランスで官僚が森友問題と同じ手口で公文書を改ざんしたとしたら、公務員から解雇され、
刑務所に送られるだろう。処罰は迅速かつ容赦ないものとなることは間違いない。
と、フランスの上級外交官は話したそうです。
また、
改ざんにかかわった官僚の自殺、といった由々しき事態が起これば、その時点で国を率いている
政権が崩壊することは避けられない。しかし、どちらも日本ではこれまでに起こっていない。麻
生太郎財務相と安倍首相は、このまま権力を維持すると明言している。(中略)
しかし、スキャンダルそのものより悪いのは、政府と官僚がスキャンダルを隠蔽しようとしたこ
とだ。だがその隠蔽よりさらに悪いのは、隠蔽に対する国民の反応だ。ほかの国々から見ると、
森友問題によって日本社会がどれほど政治に無関心になったかが示されたことになる。
アルノー氏は政府の府政に対する国民の反応に関して日本と韓国を比較しています。
韓国では朴大統領の不正に対する抗議として100万人をこす一般市民が、マイナス14度という厳寒の
なかで座り込みのデモを行い、ついに大統領を辞任に追い込みました。
そして裁判所も、朴元大統領を厳正に裁く姿勢を貫いています。
アルノー氏の指摘を待つまでもなく、もし、今回、公文書の改ざんに直接かかわった官僚、彼らに指示し
たり改ざんに圧力をかけた政治家や官僚が罰せられないとしたら、日本の統治機構は崩壊してしまったと、
言わざるを得ないでしょう。
そして、安倍政権が、数の力で何とか事態を抑え込んだとしすれば、安倍政権だけでなく日本という社会
全体が国際的な信用を失うことになります。
財務省だけでなく、安倍政権の働き方改革にそうように、残業時間1日45時間などと言う数字を平気で
出した厚生労働省、防衛省の日報隠しにしても、今や、行政全体が溶けだしてしまったような印象を持ち
ます。
本当に、日本は大丈夫なのでしょうか?
(注1)『朝日新聞 デジタル』(2018年3月18日05時00分)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13408211.html?rm=150
(注2)毎日新聞2018年3月19日 東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20180319/dde/012/040/006000c?fm=mnm
(注3)『東洋経済 ONINE』レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員(2018年03月23日)http://toyokeizai.net/articles/-/213722?