大木昌の雑記帳

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進む日本人の「草食化」-夫婦間のセックスレスについて-

2013-02-27 14:10:21 | 社会
進む日本人の「草食化」-夫婦間のセックスレスについて-


このブログの2012年9月21日と26日の2回にわたって,“「草食系男子」から「絶食系男子」へ”,
と題して青少年(高校生と大学生)の性行動について考えました。

そこでは,青少年の性行動を長期にわたって調査している日本性教育協会の調査結果を基に説明しました。以下に,その主な統計を再掲載します。

高校生・大学生のセックス体験率の変化(1974-2005-2011年)

     1974年 2005年  2011年
高校生
  男子 10.2%  27%   15%
  女子 5.5%   30%   24%

大学生
  男子 23%   61%   54%
  女子 11%   61%   47%

これらの数値から,高校生でも大学生でも,1974年から2005年にかけては,男子より女子の方がセックス体験率の増加がずっと大きかった事が分かります。

しかし,この増加率の伸びは,2005年以降は逆に減少傾向に転じました。

それでも,大学生の半数近くはセックスの体験者ですから,1970年代と比べると,はるかに高い数字ではあります。ただし,その中身をみると,
男子の場合,少し変化があるようです。

2006年に「草食系男子」という言葉がマスコミに登場しました。

「草食系男子」とは,“恋愛やセックスに「縁」がないわけではないが,「肉」欲に淡々とした,据え膳食わない男性”,と定義されました。

草食男子は一般に女性に対して優しさや,気遣いをもっていて,そこそこモテるので,軽い感じでセックスしたり,元カノと,
それほどこだわらずにセックスをすることも不思議ではないのです。

ただ,その場合でも必ずしも強い性欲から発するというより,挨拶のような軽い感じのセックスのようです。

興味深いのは,2011年当時,18才から34才の未婚男性の52%は交際相手がいなかったこと,うち74%は恋愛に関心がなかったり,
恋愛にお金を使うのは馬鹿げている,むしろ家でパソコンやテレビでくつろいでいた方がよいと考えていることなどです。

このような人の多くは自分は草食系男子であると考えています。つまり,最近流行の表現をすれば「オトメン」ということになります。

以上は,青少年の性行動に関する調査結果と状況ですが,結婚後のカップルにどのような現象がおきているのでしょうか。(注)

日本性科学学会が1994年にセックスレスについて「特殊な事情が認められないにもかかわらずカップルの合意した性交あるいはセクシャル・コンタクト(ペッティング,オーラルセックス,裸での同衾など)が1ヶ月以上なく,その後も長期にわたることが予想される場合」,と定義しました。

日本家族計画協会が2012年9月に行った「男女の生活と意識に関する調査」によれば,この定義によるセックス離れは確実に進んでいるようです。

日本人一般でセックスに「関心がない」と「嫌悪している」の合計は,男性の18%,女性は半数近い46%でした。

この傾向は年齢が若くなるほど強くなり,16~19才の男性の30%,女性の60%が消極派でした。この世代全体の47%がセックスに無関心だったり,
嫌悪感を抱いたりしているという結果がでました。

次に,2012年における婚姻関係にある男女でのセックスレスの状況をみると,全体では41%で,2002年の31.9%, 2006年の34.6%,
2008年の36.5%,2010年の40.8%と,年を追うごとに高まっていることが分かります。

1ヶ月間のセックス回数でみると「5回以上」はわずか8%にすぎませんでした。

特に働き盛りの35才から39才の夫婦では47%,40才以上となると50%近くがセックスレスでした。

その理由のトップ3は,「仕事で疲れている」(男性28%,女性19%),「出産後なんとなく」(男性18%,女性21%),
「面倒くさい」(男性12%,女性24%)でした。いずれも,倦怠感ただよう夫婦関係を想像させます。

上の調査とは別に,日本家族計画協会が日本のコンドームメーカーの依頼で,2012年11~12月に,20~69才の男女6961人を対象に,
インターネットを通じて実施した調査によれば,既婚者の男性の82%,女性の67%が過去1年間にマスターベーションをした経験があると答えています。

ところが,週1回以上でみると,男性の65%,女性36%がマスターベーションを行っていました。婚姻カップルのセックスレス化が進む一方で,
マスターベーションにより性的満足を得る切ない男女の姿が浮かびます。

さらに女性にセックスの満足感を尋ねたところ,42%は「たまに,まったく感じない」と答え,「かんじているふりをした」は65%と多く,
既婚,未婚,年齢による差はありませんでした。

その理由は「相手に悪い」(54%),「早く終わらせたい」(29%)などで,女性の冷めた心情が伝わってきます。

しかし,それでは満足するための工夫をしているかといえば,「何もしていない」男性は49%,女性では54%と半数を超えていました。
この傾向は,セックスレスの人に顕著で,68%が何もしていない,と答えています。

上記二つの調査に係わった,家族計画センター所長の北村邦夫氏は「日本人にセックスが必要なのか,真剣に考える次期にきている」と述べています。

北村氏の患者さんの中には,結婚を機にセックスレスになった夫婦も多いそうです。「未婚期間が長くなり,性的満足感は結婚前に充足している。
結婚すると男女の緊張関係がなくなる上,仕事が忙しく,面倒くさいと思う人が多い」と分析しています。

以上のような現象の背景にはさまざまな要因が考えられます。未婚期間に性的満足を充足しているため,結婚すると男女の緊張関係がなくなる,
という北村氏の指摘は的を射ていると思われます。

最近では,いわゆる「できちゃった婚」が増えていることからも分かるように,結婚前に性関係をもつことは,かなり一般的になっていると考えられます。

このため,結婚後には夫婦間のセックスに新鮮な感覚を失ってしまうことは十分考えられます。

さらに,若者に顕著にみられるように,「草食化」どころか,「草すらはまない」傾向や,脱セックス化が長期的な傾向として進行しており,
そのような若者が結婚後も,セックスレスになっているのだと考えられます。

海外の事情と比べると,日本人夫婦のセックス事情は世界の最低水準にあるようです。

これには,やはり日本特有の事情があるに違いありません。日本人の,とりわけ男性の「結婚観」にも原因の一端があると思います。

つまり,日本人の男性にとって結婚とは,男と女の結びつきというより,子孫を残すため,身の回りの世話をしてくれる母親的役割を果たしてくれる女性が欲しいから,という便宜的な理由が主な動機になっているのではないでしょうか。

これは,嫁は「家」を継ぐべき子どもを生む存在,という古くからの封建的結婚観を反映していると共に,
男性が母親依存から抜けられない精神状況をも反映していると思われます。

夫婦間のセックスが貧弱化している反面,いわゆる性風俗産業は,その形態も数も,世界でも冠たるものがあります。

これは,矛盾しているように見えて,実は未だに根強く残る封建的な結婚観と表裏一体の状況を示しています。

封建的な結婚観の以外にも,残業が多く,上関係が厳しい日本社会独特の職場環境からくるストレスや,食生活のありかたなど,
多様な要因が夫婦間の性生活に関係していることは疑いありません。

しかし,現段階では,多数の要因がどのように関連して今日の日本における夫婦間のセックスレスを生み出しているかの全体像をを描くことはできません。

ただ一つ言えることは,セックスが子どもを作るためだけでも,快楽のためだけでもなく,夫婦間の大切なコミュニケーションの手段でもある,ということです。


(注)
以下の記述は,『毎日新聞』(2013年2月13日,朝刊)
平成22年度厚生労働科学研究班、「第5回男女の生活と意識に関する調査」
http://nk.jiho.jp/servlet/nk/release/pdf/1226502324050 (2013年2月27日参照)に基づいています。

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“アベノミクス”で日本経済は回復するのか?(3)-土木事業と成長戦略-

2013-02-22 22:27:34 | 経済
“アベノミクス”で日本経済は回復するのか?(3)-土木事業と成長戦略-


前回は「三本の矢」のうち「第一の矢」である「大胆な金融緩和」について書きましたが,今回は「第二の矢」の「機動的な財政政策」と,
「第三の矢」の「成長戦略」について考えてみたいと思います。

まず,「第二の矢」は「機動的な財政政策」ですが,平たく言えば「大規模な公共事業」のことです。

安倍首相は所信表明で,補正予算によって「復興・防災対策」「成長による富の創出」「暮らしの安心」,「地域活性化」を図ると述べています。

現在,国会において2012年度の補正予算委についての論議が行われている最中なので,金額,内容とも確実なことは言えません。

しかし,政府案は,たとえ野党が参議院で否決しても衆議院で可決しているので,このまま実現するでしょう。

政府案によれば,補正予算は10兆円ほどになるようです。政府は,これと2013年度の本予算約92兆円を使って,
「機動的な財政政策」を行おうとしています。

金額の問題はともかく,「機動的な財政政策」,つまり「大規模な公共事業」でデフレを解消し,
経済回復を図るという発想そのものを問題にしてみたいと思います。

これは,民間の需要が少ないときには政府が公共事業を発注して有効需要を作り,景気回復の起爆剤にしようという,
経済学の入門書に出てくる古典的な戦略です。

この背後には,“乗数効果”という考え方があります。理想的な経過をたどった場合の効果を示すと次のようになります。

まず,国や自治体が,道路,橋,港湾,空港,ダム,鉄道,上下水道,防波堤などの公共工事を発注すると,受注した建設業者にお金が入ります。

次に建設会社は資材や部品をメーカーに注文します。ここで建設会社,資材や部品メーカーの収益が増えるので,従業員の雇用と給料が増えます。

さらに従業員は食費や衣料,家電製品,旅行などへの消費を増やし,それぞれの分野のメーカーや小売業の会社が利益を得て,
経済全体が活性化します。

こうした経済の波及効果が全体として国民粗総生産(GDP)をどれだけ押し上げたかを示す数値が「乗数効果」とよばれるものです。

たとえば,この乗数が10%なら,100兆円の投資をすればGDPが10兆円増加することになります。

以上は,公共事業を増やして,景気が回復する最善のシナリオです。

高度経済成長期やバブル期には,次々とお金が回り,乗数効果も大きかったのですが,現在では余り期待できないと考えられています。

というのも,公共事業というのは,名前の通り「公共」の事業であり,道路や橋のような社会経済基盤(インフラ)の整備です。

高度経済成長期には,たとえば道路ができることによる経済効果は大きかったのですが,現在では基本的なインフラは既にかなり整備されているので,
公共事業による経済効果は少なくなっています。

さらに,局地的には雇用も増えるかも知れませんが,全国的には土木工事も機械化が進み,かつてのように雇用が増えることもありません。

企業は,利益が見込めれば従業員の賃金を上げることが期待されますが,実態はそうではないようです。

すでに,岩手県,宮城県,福島県,仙台市では,資材価格の高騰に加えて,人手不足から労働者の人件費が上昇し,
多くの建設会社はその賃金を出せないため,入札の40~50%は不調に終わっています。(『毎日新聞』2013年2月20朝刊)

受注した建設会社,利益を労働者に分配するよりも,内部留保金に回してしまう傾向がからです。

これは建設会社だけでなく,日本の多くの企業が行ってきたことです。

自民党政権がずっと続けてきた公共事業へ支出にもかかわらず,「失われた20年」と言われる不況が続いたのも,この内部留保が主要因のひとつでした。

こうなると,最善のシナリオが示す,お金が循環するという条件が崩れてしまいます。

さらに,たとえ労働者の賃金が多少上がっても,現状ではすぐに消費が伸びる保障はありません。

まず,多くの日本人は老後の生活に不安を抱いており,出来る限り蓄えておこうとする傾向が強いからです。

次に,日本のように成熟期に入っている社会では,家電製品や車などはおおむね揃っていて,どうしても欲しい物は少なくなっているからです。
これは,1970年代から80年代とは大きく違うところです。

実際には,繰り返して書いているように,勤労者の平均賃金は長期低落傾向にあります。

むしろ,新たなインフラを造れば,将来の維持や管理が必要になり,将来,国や自治体に巨額の負債が残ります。

1990年代前半の国債残高は200兆円でしたが,2012年度末で700兆円に膨らみましたが,GDPは20年前と同じ500兆円のままです。

つまり,500兆円の国債を積み増しても,GDPの伸びはゼロだったのです。

自民党は,「国土強靱化法」に基づき,今後10年間で200兆円の公共事業を行うことを決めています。

政権を取ってから,「今までとは違う」と言い続けていますが,何がどう違うのか,説得力のある説明していません。
私には,やっぱり自民党は変わっていないとしか考えられません。

つまり,選挙の票田を確保するために公共事業をでお金をばらまく,というこれまでやっていることと本質的に何も変わっていません。

BNPバリバ証券のチーフエコノミストの川野龍太郎氏によれば,「経済効果は一時的で,政府は民間のように合理的なお金遣いもできない。
将来の借金返済まで考えれば乗数効果はマイナスだ」と述べています。(『東京新聞』2013年2月11日)

安倍氏の経済政策のアドバイザーは,経済担当の内閣官房参与,浜田宏一,エール大学名誉教授(76才)ですが,彼は現在の日本の実情を無視して,
恐ろしく時代遅れの考えを安倍首相に提言し,安倍氏はそれを参考にしているようです。

考えられるシナリオは,莫大な借金(国債)と物価の上昇,福祉予算のカット(すでに始まっています),賃金の長期低落です。

次に「第三の矢」である,成長戦略について考えてみましょう。

「第一の矢」と「第二の矢」は,政府の意志で決定し,実行に移すことができる政策です。そして,過去20年にもわたって実施してきましたが,
うまくゆかなかった政策です。

これに対して成長戦略は,民間企業の戦略や国民の消費が主役になり,政府は間接的にしか影響力を発揮できません。

たとえば,安倍首相は経団連に,賃金を上げるよう申し入れをしましたが,企業側はほとんど応じていません。

安倍首相の所信表明にみられるように,今の政府に総合的な成長への戦略を描くチエはありません。

一応,所信表明では iPS細胞を使った医療を成長産業として位置づけてはいますが,これが国の成長を支える大きな産業になるとは思いません。

安倍首相は,かつての高度成長とバブル期と現在とは,日本経済をめぐる環境が全く違うことに気が付かないようです。

かつては日本製品は世界で競争力を持っていましたが,今や日本で出来ることのほとんどは韓国,中国をはじめ多くの新興国でも,
より安い人件費を利用してより安い価格で生産が可能となりました。その分,日本製品は競争力を失っているのです。

私は,安倍政権下で実施される大胆な金融緩和と「機動的な財政政策」(大規模な公共事業)が,実体経済の成長なきインフレ(物価高)と,
子孫に押し付ける巨額の借金(国債)をもたらす結果に終わるのではないかと危惧しています。

この間に,株の取引で利益を得る人もいるかも知れませんが,大部分の国は株で利益を得るほどの資産をもっていないので,実際には無縁の話です。

むしろ,貨幣価値の下落によって,現在多くの日本人が老後のために蓄えている預貯金が,確実に減少してしまうことだけは確かです。

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“アベノミクス”で日本経済は再生するのか?(2)-金融緩和と円安は何をもたらすのか-

2013-02-18 23:01:34 | 経済
“アベノミクス”で日本経済は再生するのか?(2)-金融緩和と円安は何をもたらすのか-


前回は,“アベノミクス”の経済政策を全般的に見ましたが,今回は,「三本の矢」をもう少しくわしく検討したいと思います。

今回はまず,安倍首相の標的は,「第一の矢」である大胆な金融緩和政策です。

これは,2パーセントの物価上昇が達成されるまで貨幣の供給を増やすこと,言い換えれば,2パーセントのインフレ・ターゲットを
設定します。

そのために,「無期限・無制限の金融緩和」を打ち出すという。これは,世の中に出回るお金を増やすために「いつやめるか」という
期限と,「いくらまで買うのか」の上限なしで,政府が国債(借金の利子付き証文)を発行することを意味します。

国債の大部分は日本の金融機関や保険会社などが買い,一部を個人や外国の投資家が買います。

そして,日銀は必要に応じてそれらの国債を買ってお金を市中に供給することができます。

また,現在では特別な場合を除いて法律で禁じられていますが,政府は日銀がもっと弾力的に直接引き受けられるよう,日銀法を改訂しようと
しています。

日銀が国債を買う場合でも,市中から買う場合でも,必要なお金は輪転機を回して紙幣を無制限に刷ることによって調達します。

これにより,政府は「第二の矢」である大規模な公共事業を行う資金を,無制限に調達できることになります。

政府は,民間にお金が大量に流れれば,デフレから脱却することが期待しています。それは,どういうことでしょうか?

まず,国内的にどんなことが起こるか考えてみましょう。

実際に,国民経済において物とサービスにたいする実際の需要があり,それをまかなうだけの貨幣が十分でない場合には,
実需に見合う紙幣を刷ることには問題ありません。

しかし,国民の間にそれだけの需要も購買力も無いのに(実体経済に何の変化もないのに),ただ貨幣を増やすと,
当然のことですが,貨幣の価値が下がり,物価が上がることになります。

実体経済に何の変化もないのに流通している貨幣を倍にすれば,単純に考えれば,貨幣価値は半分になり,物価は倍になる理屈です。

ただ,政府は,公共事業を大規模に増やして実需を人為的に作り出せば,それが「呼び水」となり,巡りめぐって経済を活性化させる,
と主張しています。

この問題点については「第二の矢」について説明する際に,もう一度検討します。

いずれにしても,貨幣量が大量に市中に出回れば,物価が上昇することは間違いないでしょう。

そうすれば企業の収益も増加し,税収も増えるというわけです。

政府が,市中に大量のお金を流すことのもう一つの狙いは,それによって,企業がお金を銀行から借りて,
設備投資をしたり,新たな事業を起こしやすくするということです。

金融緩和でお金が大量に出回れば,銀行などの貸し出し金利は当然下がり,企業は金融機関からお金を借りやすくなります。

しかし,これまで企業が新たな設備投資をして事業を拡大してこなかったのは,資金不足と借入金利が高かったことが原因ではなく,
むしろ,資金は内部保留金という形で企業にダブついているのが実情です。

企業にとっての問題は,投資して新製品を世に送っても売れる見込みはなく,収益が見込めるような投資先が無いから投資しないのです。

では,なぜ売れないかといえば,国民の間に購買力がないからです。

前にも書きましたが,国民の平均所得は過去,十数年間ずっと下がり続けているのです。

これには,「失われた20年」と言われる長期の不況に加え,小泉政権時代の法改正(改悪!)によって,
非正規雇用が大幅に増加したことが大きな原因となっています。

国債を大量に発行することによって発生する重大な問題が二つあります。

一つは,国債が大量に出回ることによって,国債価格が下落し,今までどおりの金利では国債を買う銀行や個人,あるいは外国の投資家は
いなくなります。

このため,国債を発行する条件として,政府はいままでより高い金利を保障しなければなりません。

国債の金利が上がれば,国債の償還と利払いのために国家予算がそのために使われるため,財政を圧迫します。

現在日本の国債残高は,年間GDPの二倍の1000兆円で,世界でも断然高い異常な水準に達しています。

これからさらに借金を増やすのは,将来の子ども達にさらに大きな負債を押しつけることになります。

「呼び水」として国債の発行によって,政府が真剣に日本経済の基盤を強化する政策を実行するならいいのですが,
どうやらそれは期待できないようです。

元経済産業省官僚の古賀茂明氏は次のように説明しています。

    自民党内部に,「アベノミクス」は参議院選に勝利するためのものと位置づけているフシがあるからだ。
    夏までに農協,医師会,建設業界といった既得権益グループにバラマキを行い,組織票を固めようという動きが垣間見える。
    これでは規制緩和は進まず,とてもではないが,既得権益と闘う成長戦略は実行に移せない。(注1)
  
こうして,大量の国債発行の結果は,現役世代にとっては物価を上昇させ,将来の子供たちに対しては負債を先送りする結果にな
る可能性が大です。

他方,物価の上昇よりも早いテンポで賃金が上がることは現実的には考えられないので,大部分の国民の生活は苦しくなるでしょう。


次に金融緩和がもたらす対外関係への影響を見てみましょう。

金融緩和政策では,大量の貨幣が刷られて市中に出回るので,円の価値を下げ,円安をもたらす要因となります。

日本の安倍政権の姿勢だけが原因ではありませんが,実際に円は昨年の11月ころまで80円前後から,
2013年2月の10日ころには90円台にまで,13%ほど下落しました。

円安になると,日本製品が相対的に安くなるので,自動車などの輸出製品は競争力が増し,
さらに円での受け取り額が増えるという為替差益も加わるので,輸出企業は大きな利益を得ます。

たとえばトヨタ自動車は,1円安くなると数十億円の為替利益を得るといいます。

さらに,輸出企業を中心とした企業業績の好転を期待して,ここ2ヶ月ほど,とりわけ輸出関連企業の株価が上昇していいます。

ただし,今のところ,日本の輸出が増えたという実績はありません。現在は,あくまでも株価と為替差益の上昇という,
金融面での利益だけが強調されて報道されています。

それでは,円安の影響は一般の国民にどんな影響を与えるのでしょうか。

最近の株高で利益を得ている人もいることはたしかですが,株で儲けるほどの資産をもっている人は,個人としてはごくわずかでしかありません。

また,大きな利益を得た企業も,今のところ賃金を上げる予定はないようです。

円安の影響がもっとも端的に表れるのは,輸入価格の上昇です。

2012年末に発表された国債収支統計によれば,経常収支の黒字は前年に比べて50.8%減の4兆7036億円となり,
統計データを比較できる1985年以降で最小の黒字でした。

さらに昨年の12月だけに限って言えば2641億円の貿易赤字で,1985年1月以降初めて2ヶ月連続赤字におちいりました。

しかもこの記事の(1)で書いたように,2013年の1月の10日間だけで1兆700億円の貿易赤字となってしまったのです。

これは,原発を止めているために,石油や天然ガスの輸入が増えたことが主要因です。

このため,北海道などの寒冷地では,冬の暖房に欠かせない灯油価格が上昇しています。

また,全国的にガソリン価格が上昇しています。

おそらく,円安の本当の問題が私たちの生活に大きな影響を与えるのはこれからでしょう。

それは石油や天然ガスだけでなく,あらゆる天然資源,そして何よりも食糧もかなり大きな部分を輸入に頼っているからです。


(注1)http://wpb.shueisha.co.jp/2013/01/17/16561/

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“アベノミクス”で日本経済は再生するのか?(1)-誰が利益を得るのか?

2013-02-15 05:50:45 | 経済
“アベノミクス”で日本経済は再生するのか?(1)-誰が利益を得るのか-

前回の記事「安倍晋三首相の所信演説-語られたことと語られなかったこと-」で,安部晋三首相の所信表明において,
「語ったことと語らなかったこと」について検討しました。

安倍首相の所信表明を要約すると,大胆な金融政策,機動的な財政政策,そして民間投資を喚起する成長戦略,
という「三本の矢」で経済再生を推し進める,というものでした。

「三本の矢」をまとめてマスコミでは“アベノミクス”と表現しています。

これは,以前アメリカのレーガン大統領が実施した経済政策を「レーガノミクス」(文字通りの意味は「レーガン経済学」)
と呼んだことに由来する,いわばマスコミ用語です。

しかしそこに,「安倍経済学」「安倍経済政策」と言えるほどの内容があるとは思えません。

まず,前回の内容の確認も含めて,安倍政権が描く経済再生戦略を要約しておきます。

現状の認識は,国内において需要が少ないため物価は下落し,企業収益が上がらず,従って賃金も上がらない。

賃金が上がらないから,国民の消費(需要)が伸びない。つまりデフレ状態にある。

そこで,政府が消費者として率先して大規模に公共投資(土木事業)をとおしてお金を使えば企業にお金が回る。

企業の収益が増えれば,やがて,働いている人たちの収入も増えて,消費が伸びるから物価も上がる。

これがさらに,企業の売上と利益を伸ばして,経済全体が上向きになる。

これに必要な資金は国債(借金)によってまかない,国債は日銀に引き受けさせる。

一方,輸出依存度が高い日本経済を圧迫しているのは,円高が大きな要因であるから,円高を是正するために,
円を大量に発行し(円の価値を下げ),円安に導く。

これにより,国内経済が活性化すると同時に,低迷する経済も改善に向かう。

以上が,安倍政権が描く,長期にわたるデフレからの脱却シナリオで,インフレ誘導政策です。

安倍首相のシナリオを単純化すると,日本経済の悪循環を,まずは国債の大量発行による公共投資を出発点として,
企業から労働者へとお金がまわり日本経済は再生する,というものです。

しかし,ここにはいくつもの「もし~ならば」という仮定の条件があります。

まず,“アベノミクス”の出発点である,大規模な公共事業が,果たして日本の企業利益全般を本当に押し上げるのか,という点です。

国債の発行によって公共事業を行えば,すくなくとも市中に出回るお金は増え,公共事業にかかわる企業の利益は上がるでしょう。

しかし,過去「失われた20年」で,いくら公共事業を拡大しても日本経済が回復しなかったのです。

これは,利益を得たのは主に建設・土木会社,およびそれらに資材を提供した関連企業だけだったからです。

さらに,もし公共事業によって雇用が増え,労働者の賃金が上昇するという現象が,日本全体で短期間のうちに生じれば,
やがて消費も増え,日本経済は回復に向かうでしょう。

多くの人が指摘しているように,企業は,先行きの不透明感から,賃金の上昇を見合わせるため,
賃金の上昇までには少なくとも2~3年はかかるでしょう。


というのも,利益を得た企業は,それを労働者に配分しないで,企業の内部保留金としてため込んでしまったのです。

実際,日本における名目賃金は,過去20年間,一貫して下がり続けているのです。

公共事業は一時のカンフル剤としては有効な場合もありますが,日本経済全体を押し上げる力にはなり得ません。

次に,円安による貿易への影響をみてみましょう。

円の為替相場は,安倍政権発足以前の1ドル=79円台から,現在では94円まで急落しました。

これのため,輸出企業の収益見込みは大幅に増大しました。ここで気を付けなければならないのは,これは企業の生産性が向上したとか,
新製品の売れ行きが好調になったからではない,という点です。

そうではなくて,輸出代金は米ドルで輸出企業に保有されていますが,これを日本円に戻す際に,
円安ならば円での受取額が20%増える計算になるからです。
 
たとえば1ドルの輸出代金があったとして,以前ならば日本円に戻すと79円しか受け取れなかったのに,
94円も受け取れるようになっただけなのです。

実際,現在,為替利益の増大が見込める自動車メーカーをはじめ主要な輸出企業は,賃金を上げる予定はないと言っています。

円安は企業にも国民一般にも大きなマイナス面をもっています。

一見すると,円安は日本製品の輸出品が相対的に安くなり(現行の為替レートで以前と比べて15~19%),国際競争力が増すような印象を与えます。

たしかに,一部の輸出企業にとっては,有利かも知れませんが,日本全体でみるとそうとばかりは言っていられません。

というのも,天然資源に恵まれない日本は,工業製品の原料とエネルギーの大部分を輸入に頼っているからです。

円安の影響を輸入面から見ると,全ての輸入価格が上昇することを意味します。

たとえば,私たちの生活に直結する石油(ガソリン)価格は最近急上昇しています。

また,現代の日本の農業は,ハウス栽培が大きな比重を占めていますが,ハウス内の温度を上げるために,大量の石油を消費します。

その上,トラクターやコンバインなど大型の農機具は石油で動いています。石油価格の上昇は,農産物価格を押し上げ,家計を圧迫します。

トラックによる物の輸送にもガソリンは不可欠ですし,これは商品価格を上げます。

また,原発の稼働停止により火力発電用の石油と天然ガスの輸入が増えたため,円安の影響で発電コストが上がっています。

これが電気代の値上げとなって工業部門での生産コストを押し上げ,家庭の電気代の負担を上昇させています。

石油はエネルギー源としてだけでなく,繊維やプラスチック,ビニールなどおびただしい種類の石油製品の原料でもある,
ということも忘れてはなりません。

以上,天然資源とエネルギーの大部分を輸入している日本にとって,極端な円安は日本の生産活動に対して大きなマイナス面をもっています。

こうした事情は,貿易収支にはっきりと現れています。

2012年の貿易収支(輸出額から輸入額を引いた額)は年間で6.9兆円でしたが,2013年1月1~10日のわずか10日間で,
なんと1兆709億円の赤字になっているのです。

1月は,暖房のため多量の石油・天然ガスを輸入した,と言う事情を考慮しても,この額を年間に換算すると,恐ろしい数字になります。

今までは,円高のお陰でエネルギーや原材料価格が比較的安く抑えられていた,という面があるのです。

次回は,「三本の矢」の一つ一つをみてゆくことにします。

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安倍晋三首相の所信演説-語られたことと語られなかったこと-

2013-02-10 19:58:35 | 政治
安倍晋三首相の所信演説-語られたことと語られなかったこと-


2013年1月28日,安倍首相は国会において所信表明を行いました。

所信表明は,新内閣の発足にさいして,首相が国民に向けて示す自らの基本方針です。

今回の所信表明の特徴は,重要で問題となりそうなことはできるだけ隠し,とにかく「安全運転」に徹したことでした。

所信表明は,1 はじめに, 2経済再生,3 震災復興, 4,外交・安全保障,5,終わりに,という5部構成になっています。

まず,「はじめに」で,日本の現状に関する全般的な認識が述べられます。首相は,今の日本が危機的状況にあることが強調されています。

これは,自らの内閣を「危機突破内閣」と自ら表現していることと一致しています。

危機の第一は,デフレと円高の泥沼から抜け出せないため,莫大な国民の所得と産業の競争力が失われている経済危機です。

第二は,東日本大震災により,32万人近くの人がふるさとに帰れない,東日本大震災からの復興の危機です。

第三は,我が国固有の領土・領海・領空や主権にたいする挑発が続く外交・安全保障の危機です。

第四に,子どもたちの間にひろがるいじめ,日本の歴史や伝統への誇りを失い学力の低下が危惧される,教育の危機です。

以上の4点のうち,分量的にも安倍首相がもっとも力を入れたのは第一の「経済の危機」で,
これを「わが国にとって最大かつ喫緊の課題」と位置づけています。

自民党は,昨年の衆議院総選挙で圧勝したもっとも決定的な理由は,景気の回復を強調したことである,とみなしているからです。

安倍首相は,日本が経済危機に直面している根本的な原因を,長引くデフレと円高であると考えています。

その解決策として,「大胆な金融政策」,「機動的な財政政策」,民間投資を喚起する「成長戦略」の,
「三本の矢」で経済再生を推し進めるとしています。

これらひとつひとつについては,その問題点も含めて,次回に詳しく検討したいと思いますが,今回は,ごく概略だけを示しておきます。

まず第一の矢である「大胆な金融政策」です。大胆な金融政策とは,2パーセントの物価上昇が達成されるまで貨幣の供給を増やすことです。
別の表現をすれば2パーセントのインフレ・ターゲットを設定します。

そのために,政府はさまざまな事業を起こし(実際には公共事業を行うため),そこで財源が必要になったら国債を発行し,
それを無制限に日銀が買い取るということです。

具体的には,日銀は輪転機を回して大量のお金を刷ることです。これにより,民間にお金が流れ,デフレから脱却することが期待されています。

紙幣の大量増刷は,いわば劇薬ですから,一歩間違えば修復不能の危機を増大させる危険性があります。

第二の矢は「機動的な財政政策」です。所信表明では,まずは補正予算で「復興・防災対策」「成長による富の創出」「暮らしの安心」,
「地域活性化」を目指すとしています。

これらのうち,最初の「復興・防災」という名の公共事業の大判振る舞いこそが中心であることはいうまでもありません。

あとの二つは,いわば理念のようなもので,具体策はありません。

第三の矢の「成長戦略」ですが,これについてはiPS細胞を中心とした,新しい薬や治療法を開発することが,
唯一触れられているだけで,実際にはまだ,具体策はない,というのが現実です。

自民党は,野党だった3年半の間,民主党の政策には成長戦略がないこと,福祉などへのバラマキだと常に批判し続けてきました。

それでは,この3年半の間に,しっかりとした成長戦略を立てたのかといえば,未だに何もありません。

また,民主党のバラマキを批判しながら,大規模な公共事業という名のバラマキを行うなど,
過去60年にわたって自民党がやってきたことの繰り返しです。

結局,経済政策と言っても,お金を大量に刷って,公共事業を大規模に行うこと以外には新しい戦略がないのです。

所信表明の第3点「震災復興」ですが,これについては,ある少女とその家族の物語を引用しているだけで,
特に新たな政策や理念が語られているわけではありません。

おそらく,「震災復興」を大義名分とし,どさくさ紛れに民主党に飲ませた「国土強靱化法」を根拠とした,
10年間で200兆円の大規模な公共事業を実施するという,自民・公明の戦略があるのでしょう。

第4点の外交・安全保障こそが,本来,安倍氏がもっとも主張したいテーマであるはずです。

この分野にたいする安倍氏の基本認識は,日本の安全保障にとって最重要課題は日米同盟の強化である,というものです。

この文脈で,普天間飛行場の移設をはじめとする沖縄の負担の軽減に全力で取り組むとしています。

具体的には,沖縄に対する経済援助と交換に基地の存続を受け容れてくれよう求めるということです。

しかし,これは沖縄返還以来,自民党が一貫して行ってきたやり方で,簡単に沖縄の人たちが,
お金と交換に基地の存続を受け容れることはなさそうです。米兵による性犯罪や騒音など,あまりにも被害が多すぎるからです。

対外関係では東南アジア重視(アセアンとの関係強化)を謳っています。実際,首相自ら就任早々,
ベトナム,タイ,インドネシアを訪問していることからも,その意欲は伺えます。

この背景には,アセアン諸国が著しい経済成長を遂げつつあるという実態ありますが,それ以外に,中国との関係悪化を考えて,
輸出市場としても生産拠点としてもこの地域との関係が重要視されているという事情があるのでしょう。

問題となっている尖閣列島や竹島なのどの領土問題には直接触れず,国民の生命・財産と領土・領海・領空は,
断固として守り抜いていくと宣言しています。

他には,アルジェリアでのテロ事件などの教訓からテロやサイバー攻撃,大規模災害,重大事故への危機管理を強化することが述べられています。

しかし,海外に展開している日本企業や在外日本人をどのように守るのかは,具体策はなく理念としても語られていません。

最後に,拉致問題の解決に触れています。これは第一次安倍内閣からの懸案事項で,安倍氏もかつて係わっていましたが,
その後,目に見える進展はありません。

さて,以上が所信表明で語られたことですが,私たちが強い関心をもっているけれども語られなかった重要な問題が幾つもあります。

まず,首相が就任前に強調していた憲法改正問題,自衛隊の国軍化など,いわゆる「安倍カラー」は封印されています。

国の経済財政問題では,膨れ続ける国債の発行による国の借金,財政赤字をどうするのか,という問題にはまったく触れられていません。

一方で,大胆な公共事業によって景気回復の目論む首相としては,この問題に触れることはできないのでしょう。
しかし,国債の利払いは確実に教育や福祉など他の部門への予算を圧迫します。

つぎに,国民の生活に大きな影響を与える問題として,あれほど議論となった消費税値上げの問題,
税と社会保障の一体化の問題にも触れていません。これでは増税だけが決まり,老後まで安心できる展望は持てません。

その陰で,福祉予算の減額だけが既に先行して決定されています。

金融・財政政策を中心とした経済施策が,本当に経済の安定や成長をもたらすことができるのかどうかという問題は,
次回,検討してみたいと思います。

さらに見過ごせないのは,エネルギー,特に原発をどうするのか,というこれこそ「最大かつ喫緊の課題」の一つです。

事実上,原発の存続および新設や輸出さえ視野に入れている自民党としては,国民の反発を恐れてこの問題には触れられなかったのでしょう。

また,TPP問題にかんしても,他の場所で,「例外無き自由化」が前提なら参加しないと明言しています。

しかし,3月にアメリカに行った際に,これへの参加を押しつけられたとき,果たして抵抗できるかどうか分かりません。

これら語られなかった問題こそ,私たちの日々の生活に大きな影響を与える重要な課題なのです。

これらに言及がなかったという意味で,私は今回の所信表明には非常に失望しました。

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スポーツ界の“体罰”という名の暴力(2)-誰のため,何のための“体罰”か?-

2013-02-07 06:13:38 | 社会
スポーツ界の“体罰”という名の暴力(2)-誰のため,何のための“体罰”か?-


前回の「スポーツ界の“体罰”と暴力(1)では,高校の運動部における監督と,女子柔道選手に対する監督・コーチの“体罰”が,
実は暴力に過ぎないことを書きました。

今回は,高校の運動部に代表される教育現場と,柔道界の暴力問題を便宜的に分けて考えてみたいと思います。

その前に,“体罰”を行う監督・コーチに共通した心理について補足しておきます。

スポーツ指導で暴力が行われるのは,チームや選手を強くしてやろうという情熱だけが原因ではありません。

むしろ,指導者の思うように選手の技術が向上しなかったり,チームが成績を上げられなかったことに対する,
指導者の苛立ちや不満を選手にぶつけている場合が多いのです。

しかも,桑田氏がいっているように,相手からの反撃がない,絶対服従という構図の中での“体罰”という暴力は,卑怯です。

もし,本気でチームと選手のことを考えて“体罰”を加えていると考えているとしたら,それはどんでもない勘違いです。

前回も書いたように,人は暴力や恐怖によって成長することはないのです。

以下にまず,今回問題となった桜宮高校や豊川工業高校を例に,学校内の運動部における“体罰”が日常化している背景を考えてみたいと思います。

高校の運動部において体罰が黙認ないしは半ば肯定さえされている背景には,学校,監督,選手,そして選手の親,
そしてやや間接的ではありますが教育委員会の五者の思惑が関係しています。

まず,学校ですが,上記の高校のうち桜宮高校はスポーツ科を設けているほどスポーツに力を入れており,
豊川工業高校はマラソンの強豪校としての名声をもっています。

高校側としては,スポーツを“売り”にして知名度や評判を高め,生徒募集などで他の高校との競争において有利な地位を保持しようと考えます。

実際,スポーツの強豪校はマスコミに取り上げられることも多く,優秀なスポーツ選手が集まる傾向があります。

そのような高校としては,スポーツで優秀な成績を上げる必要があり,そこで指導者による多少の“体罰”があっても,
それは熱意の現れであると考えてしまいがいがちです。

事件が問題になったあとに両校の幹部が行った会見では,一応謝罪会見ということになっていますが,
同時に“監督は指導熱心だった”と,監督を擁護するニュアンスのコメントを付け加えていました。

学校側の幹部は,スポーツ指導において“体罰”は避けられないどころか,必要でさえあると考えているではないでしょうか。

では当の監督はどのように考えていたのでしょうか。

高校のスポーツだけではありませんが,監督となるような人の多くは,自分自身も“体罰”を受けた経験があるので,
“体罰”は当然だと思う傾向もあります。

それにしても,20発とか40発もビンタをする,というのは尋常ではありません。明らかに指導という範疇をはるかに超えています。

1984年のロスアンジェルス・オリンピックで,日本代表を率い,野球で金メダルの獲得に貢献した松永怜一氏は,
監督をしていた高校が甲子園出場をかけた予選で敗れたとき,生徒が泣いて悔しがったそうです。

それを見て松永氏は,何とかして選手を甲子園に連れて行ってやろうと決意します。

そこで彼は法政大学元監督でチームを発の東京六大学リーグで優勝に導いた藤田信夫氏に教えを請いました。

その時の藤田氏は松永氏に「お前は自分が甲子園に出たいばかりだろう。プレーをするのは選手。選手に手を差し伸べるのが監督の仕事だ」
と言ったそうです(『毎日新聞』,2013年1月27日)。

藤田氏が言いたかったことは,表向き生徒のことを考えているようでも,本当は監督自身が甲子園に出場したいだけなのだ,ということです。

言い換えると,“熱血”監督には,優勝チームの監督,全国大会出場へ導いた名監督という栄誉を欲しいという動機があるでは,
ということを示唆しています。

それでは,“体罰”を受けていた生徒はどのように考えていたのでしょうか。

自殺した桜宮高校バスケット部の生徒が書き残しているように,それは死ぬほど辛かったのです。

他の生徒たちの声は聞かれませんが,辛い,理不尽だと思いつつも,スポーツ選手としての自分の将来のことを考えて我慢していたのではないでしょうか。

桜宮高校の運動部に所属する子どもを持つある親が,部活動の停止や監督の交代の可能性について説明していた高校側にたいして,
「そんなことをして,子どもたちの人生が変わってしまったらどう責任をとるんだ」と食ってかかっている姿がテレビで映っていました。

スポーツで優秀な成績を示して将来の成功につなげたいと思っている親も多く,このような親の姿勢も,
強くなるためには“体罰”をやむを得ないという風潮を支えているのではないでしょうか。

このように考えると高校における“体罰”は,高校,教育委員会,監督,生徒,親,全体が支えていたことが分かります。


次に,女子柔道界における体罰という名の暴力について考えてみましょう。

柔道関係のライターとしてずっと柔道界をみてきた木村秀和氏よれば,柔道界においては小学生から大学,社会人にいたるまで暴力的体質があります。

それにしても,今回の強化選手による抗議の背景には,女子柔道選手に対する監督・コーチの暴力・暴言が常軌を逸していたと思われます。

選手達は監督から,棒や素手,竹刀などでの暴行に加え,「死ね」などの暴言も受けていたことが明らかになりました。

さらに,コーチのひとりは,重量級の女子選手の髪の毛をわしずかみにして,「おまえなんか柔道やってなかったら,ただのブタだ」
といって小突きまわした,と関係者が『スポーツ報知』に語っています(『日刊ゲンダイ』2013年2月1日)。

15人の選手はJOCへの告発文の中で,また2月4日代理人の弁護士を通じて,もはや耐え難い暴力と屈辱的な言動によって
「私たちは心身ともに深く傷ついた」ため「失望と怒り」から告発したと述べています。

また,これらの選手たちは園田監督ひとりが辞任しても,全柔連の組織のあり方が根本的に変わらなければ意味がないとも言っています。

それでは,批判の対象となっている指導部を監督する全日柔道連盟(全柔連)やJOC(日本オリンンピック委員会)は,どのように対応したのでしょうか。

まず,最初に告発文が送られたJOCは,これは全柔連の問題だから,といって対応を逃げてしまいました。

全柔連は監督とコーチ6人を文書による戒告処分としましたが,同時に園田監督をはじめ指導部の続投を発表したのです。

つまり,JOCも全柔連も,社会的に大きな問題となったので形式的な処分はしたが,本心では指導者による暴力を否定はしていなかったのです。

1月31日に辞任の記者会見で,「食事会を開いたりして,リラックスしながら選手から話を聞いていたつもりだった。
一方的な信頼関係だったと深く反省している」と述べています。

しかし,自らの言動を考えれば,選手との間に本当の信頼関係があったかどうかは,分かるはずです。

もし分からなかったとしたら,この監督はよほど想像力が欠如し,人の気持ちが分からない人物だとうことになります。

園田監督は2008年の北京オリンピックの後に監督として着任し,昨年のロンドン・オリンピックが4年間の指導の成果が試される場でした。

しかし,このオリンピックで女子柔道は期待を大きく裏切る惨敗を喫してしまいました。

このことがはっきり示しているように,暴力を用いた「厳しい」指導は好成績をもたらさなかったのです。

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スポーツ界の“体罰”という名の暴力(1)-“体罰”で成績は上がらない-

2013-02-03 07:04:07 | 社会
スポーツ界の“体罰”という暴力(1)-“体罰”で成績は上がらない-


大阪の桜宮高校のバスケット部監督による“体罰”が原因と思われる高校生の自殺が大きな話題となったと思ったら,
今度は,高校駅伝の強豪,愛知県豊川工業高校の陸上部の監督による“体罰”が問題になりました。

そして,1月31日には京都の網野高校レスリング部でも体罰が行われていることが明るみに出ました。

このような状況を考えると,多くの高校(恐らく中学,大学でも)の運動部でも“体罰”が行われていたと思われます。

さらに,女子柔道界における”体罰”という暴力の問題が明るみにでたことは,社会的に大きな反響を起こしました。

それは,女子柔道のナショナルチームの選手15人は,強化合宿中に,園田隆二監督をはじめとする指導部による暴力,
「死ね」といった暴言やパワーハラスメントに抗議し,日本オリンピック委員会(JOC)へ告発した,というものです。

本来,柔道選手にたいする指導者の問題ですから全日本柔道連盟(全柔連)に告発文書を提出すべきなのに,
JOCへ提出したという点に,この問題の根深さがあります。

つまり,JOCへ告発した柔道選手達は,連盟の体質を知っているので,連盟に提出しても問題の解決につながらないと判断したためでした。

実際,園田監督の暴力行為については,昨年のロンドン・オリンピック直後の9月に選手から全柔連に出されていましたが,
全柔連は内々に済ませ,隠蔽してしまったのです。

指導者を告発すれば,自分たちがオリンピックの代表からはずされるかもしれないという危険を冒しても,
告発せざるをえなかったのです。それほど事態は深刻なのです。

ナショナル・チームに入るほどの選手なら,それまで相当きつい練習に耐えてきたはずです。

その選手が,自らの選手生命を賭けてまで,抗議に及んだのは,それりの覚悟と事態の悪質さがあったからです。

あるコメンテーターが,いざとなると女性の方が男性よりも ”腹が据わっている”と言っていましたが,これは,なかなか的を射たコメントです。

桜宮高校の場合も,豊川工業高校の場合も,そして柔道界でも,指導者による暴力が,一部の学校やスポーツ界で日常化していたことが分かります。

のちに,社会人の女子レスリングの指導でも“体罰”問題も浮上しました。

現在,マスコミで問題になっている事例は,実際に起こっていることの,ほんの一部にすぎないでしょう。

ただし,そこには,アマチュアスポーツという共通性はあるものの,高校という教育現場での暴力と,女子柔道でおこったような,
教育現場以外の場所で,主として社会人アスリートの選手指導とでは暴力の意味が異なります。

まず,アマチュア・スポーツである教育現場と社会人に共通する問題点から考えてみましょう。

日本には,スポーツにおいて“体罰”まで加えて“指導”するのは指導者が,“熱血”的であるとか,
“熱心”だからであること考える風潮があります。

しかし,本当の一流の選手は,暴力や恐怖によっては決して育たないのです。

プロ野球であれプロ・サッカーであれ,プロスポーツ界をみれば分かるように,一流の選手やチームを育てるのに暴力は用いていません。

ワールドカップで優勝した女子サッカー,「なでしこジャパン」にしても,監督による“体罰”と恐怖でチームを強化した,
と言う話は聞いたことがありません。

もし,暴力と恐怖でチームが強くなり選手の技量が上がるなら,成績が直接に収入につながるプロの世界でも,
暴力的“指導”が行われても不思議ではありません。しかし,そんなプロのチームはありません。

今回問題になった監督は,暴力を用いることに,何の問題も感じていなかったどころか,
「愛のムチ」という美名のもとに,むしろ必要でさえあると考えていようです。

私自身もかつて運動部に所属していました。当時は先輩に,練習の態度が悪いとか,ひどい場合には,
理由も分からず殴られたり棒で叩かれたりした経験があります。

しかし,それによって私の技術が向上したとか,より積極的に練習をするようになったわけではありません。

そのいやな経験は何十年経った今でも心の傷として残っています。

これは,かつての日本の軍隊で行われた,”新兵いじめ”という暴力行為を思い起こさせました。

暴力や恐怖は,人間の尊厳や自尊心を傷つけます。たとえそれによって,チームが強くなったり個人の技術が向上したとしても,
それは一時的なものです。

今まで登場した,超一流のアスリートで,体罰という暴力で指導されたから技量が上達した例はありません。

これは,スポーツだけではありません。私は,30年以上も大学で教育に携わってきましたが,学生は叱ったり強制したりすることでは成長しません。

そうではなくて,褒めることで本人の自信がわき,積極性が生まれ,長い目で見てその方がはるかに成長することは確信をもって言えます。

私は,スポーツ指導における暴力を“体罰”という言葉で表現するのは本質的に間違っていると思います。

“体罰”と言う言葉からは,何か悪いことをしたために,教育的,指導的見地から体に加える“罰”というニュアンスが伝わってきます。

しかし,今回問題となった高校の運動部員にせよ,社会人の柔道選手にせよ,何も悪いことをしているわけではありません。

この問題は,“いじめ”の問題と似たところがあります。

“いじめ”とは,あからさまな暴力であるのに,あたかも子ども同士がじゃれ合っているかのように,
事態を軽く扱おうとする社会的な風潮があります。

しかし実態は,子どもたちを“死に追いやる”ほどの苦痛を与える,身体的また言葉による暴力なのです。

大津の中学生の“いじめ”による自殺事件に関して,第三者調査委員会の報告書も,“いじめ”と自殺との明確な因果関係を認めています。

スポーツにおいて,“体罰”という暴力を用いて成績を向上させようとする風潮が一般化しているのは,世界でも日本だけです。

この点を含めて次回は,なぜ,日本のスポーツ界では暴力が当たり前になっているのかを考えてみたいと思います。

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