若き天才の魅力―大谷翔平と藤井聡太の場合―
現代の日本人で、天才と呼ぶにふさわしい若者はだれかと問われれば、私は迷うことなく、
アメリカのメジャーリーグで大活躍の天才アスリートの大谷翔平(27才)と、将棋界の
天才棋士、藤井聡太(19才)の二人を挙げます。
このブログでも、この二人についてはそれぞれ別々に数回ずつ取り上げていますが、今回
は、二人を一緒にして、“天才”というものの姿を考えてみたいと思います。
まず大谷翔平ですが、大谷はピッチャーとバッターの二刀流がメジャーリーグでどこまで
通用するかが当初からファンの関心事でした。
昨年は腕の手術もあって十分な活躍ができませんでしたが、今年は術後の不安を吹き飛ば
して、春から投打に大活躍です。
一か月前ほどは、ホームウランを量産していて、多くの日本人は朝起きると、大谷がホー
ムランを打ったかどうかを確認するのが楽しみであり日課となっていました。
そのころは、ホームラン王となり10勝し、103年振りにべーブルースの記録を破るの
ではないか、と言われていました。
これは日本人だけでなく、アメリカの野球ファンの間でも、その期待は大きかったのです。
ただ、ここ2~3週間、ホームランはあまり出ず、ピッチャーとしても良いピッチングを
しているので、味方が援護してくれないため、勝利投手になれない悲運を味わっています。
これはエンジェルスという弱いチームにいることの大きなマイナス面です。しかし、だか
らこそ、一層大谷のチームにおける存在感は大きくなります。
もし優勝を争うようなチームなら、監督はおそらく大谷に二刀流をやらせず、バッターに
専念させるでしょう。
さて、シーズンもいよいよ終わりに近づいて、現在ホームランは45本、9勝という成績
で、大谷が果たして10勝とホームラン王という偉業を達成できるかどうか、微妙な段階
にきています。
しかし私は、いずれも達成できないとしても、今シーズンの大谷の活躍は、すでに十分に
天才の名にふさわしい活躍をしていると思っています。
私が大谷に“天才”の魅力を感じるのはいくつかの理由があります。
まず、本格的な二刀流というのは、私はかつて見たことがありません。ある日本人投手経
験者によれば、一試合で投げたら、4~5日は体が思うように動かないといいます。
大谷は、それを実際にやってしまっているのが、すごい。文句なしに天才です。
驚くのは、身体の負担が一番大きいピッチャーでありながら、塁に出れば全力疾走で盗塁
します。ピッチャー以外なら当たり前ですが、ピッチャーであることを考えたら、第一、
体力を消耗し、投球に差し障るし、悪くすれば怪我をして投手生命を縮めます。
しかし大谷は、そんなことを気にすることなく、いつも塁に出れば盗塁を決行し、23個
決めています。これが彼の魅力の一つです。
それでいて、彼は160キロ近い速球をなげることができるのです。これだけのピッチャー
はメジャーリーグの投手の中でもそう何人もいません。これもやはり“天才”の証です。
私が魅力を感じるのは、彼が短距離選手並みの速さで全力疾走するときのフォームの美しさ
です。
速く走ることはトレーニングである程度は速くなりますが、それも限界があります。まして、
同時に美しい姿で速く走るとなると、これは天性の能力がなければできません。
私が知る限り、これらの点で彼に匹敵するのはイチローくらいです。イチローの走る姿も実
に“絵になる”し、やはり短距離選手並みの速さがありました。
ホームランを量産する大打者でも、ドタドタと走ったら、あまり魅力を感じません。
ある日本人の野球の選手がかつて、守備は練習すればうまくなるけど、バッティングは持って
生まれたセンスがなければ、いくら練習しても限界がある、と言ったことがあります。何とな
く分かる気がします。
大谷は、外人選手にありがちな、パワーでホームランにすることもなく、芯に当てる技で軽々
とホームランを打つことができます。これが天才の技です。
しかも、その姿がやはり、美しいのです。これも、やはり天性の魅力です。
さて、大谷が「動」の天才だとしたら、もう一人の藤井君(まだ少年らしさが残る風貌なので、
こう呼ばせてもらいます)は「静」の天才です。
藤井君は14才の時、史上最年少で4段(つまりプロ棋士)となり、プロデビューを果たした
翌年には、公式戦29連勝という、前人未到の偉業を達成します。
それから、上位者から次々とタイトルを奪取し、今年は、これまでどうしても勝てなかった天
敵、豊島将之九段から「叡王」のタイトルを奪い、これで「王位」「棋聖」と合わせて19才
1か月で史上最年少の3冠を達成しました。
これまで最年少の3冠はハブ善治九段の22才3か月でしたから、それより3才以上も若い。
そして10月からは、同じく豊島九段とのタイトルがかかる七番勝負に挑戦します。
19才で3冠という成績がどれほどすごいかは、生涯で一度もタイトルを獲得したことがな
い棋士が大部分であることを考えれば分かります。19才で3冠とは天才としか言えません。
私は自信は将棋は全くやりませんが、プロの解説を聞きながら、自分でも次の一手を予測し
ながら観戦するのが大好きです。
現代の将棋のライブ放送では、一手一手、将棋ソフトのAIが最善手を示し、実際に打たれた
手を評価し、また、曲面全体を評価し、どちらがどれだけ優勢かも、数字で評価値を示してく
れます。
AIのすごいところは、一手打った直後に、その手の評価をするのですが、その間、数秒の
間に5億手、あるいは数十億手の試算(演算)を行います。
私が、藤井君の対局を観戦して、“天才”を感じたのは、プロ棋士の解説者も思いつかない手
を打って勝ったシーンを何度も観たからです。
こんな時、解説の棋士も、しばらくは、藤井君の手の意味がその時にはわからなくて、後に
なって初めて理解することができるのです。
さらに驚くべきは、コンピーュタがはじき出した最善手とは違う手を打って、それが勝因と
なることが、これまでも再三ありました。
ある解説者はこんな時、“藤井さんが地球人だったら、こう指すのに、彼は宇宙人だから”と
驚きを込めて言いました。
あるいは“藤井はAIを超えた”とも表現します。これこそがまさに“天才”が放つ魅力です。
本当に、彼の思考は常人の思考を突き抜けています。
彼の深くて鋭い読みは、旧世代の棋士たちの経験知をはるかに超えています。
藤井君は、自分で最新で最高の能力を持ったCPU(中央処理装置)を買ってきて、自分
でパソコンを組み立てたものを使っています。
ある時、藤井君は、コンピュータを使って研究しますが、と聞かれて、“ええ”と言った後の
言葉に心底驚きました。
今は誰もがコンピーュタを使って研究しているけれど、自分はそうした相手にどのように立
ち向かったらいいかを研究するためにコンピュータを利用しています、という趣旨のことを
言ったのです。一歩も二歩も先を行っています。
一体、彼の頭の中はどうなっているのか、とつくづく思います。
ところで、ここまで大谷翔平と藤井君という二人の若き天才にある種の共通点を見出します。
まず、天才だけが見せてくれる超人的な能力で、これは大きな魅力です。しかし彼らは自ら
の才能を誇示するわけでもなく、勝負している時は勝負に没頭することです。
たとえば、大谷はなぜ、敢えて危険な盗塁をするのかを考えてみると、彼は、その場で自分
がすべきこと、できることを全力でやる、それで怪我をしても、それは仕方がない。これが
彼の気持ちなのでしょう。
藤井君も、世間の評価や、自分が有名になることや、お金を稼ぐことには全く関心を示しま
せん。今年の3月に高校の卒後を直前に控えて、彼は退学してしまいます。
また、普通の大人なら、タイトル戦などでは、自分のプライドや世間の評判や収入など、色
んな雑念が頭をよぎると思いますが、藤井君は全く気にしないようです。
純粋に一局一局に没頭して楽しんでいるかのようです。ちなみに、10月からのタイトル戦
(竜王)の賞金は4400万円です。
そして、私が何よりも天才に惹かれるのは、そこに”美”があることです。大谷の投げる姿、打
つ姿、走る姿、すべてに美しさがあります。
藤井君の将棋には、同じ勝つにしても、そこに”華麗さ”があります。
さらに、人間としての魅力もあります。私なら、これだけの才能をもっていたら、得意になっ
て多少は傲慢になってもおかしくないのに、二人とも、飛び抜けた天才なのに控えめで、その
時その時に自分のやるべきことに全力を尽くす、その姿勢に私は魅力を感じます。
コロナ禍で陰鬱な気分になっている今、彼らの存在は、気持ちに明るさをもたらしてくれる二
人に感謝です。
現代の日本人で、天才と呼ぶにふさわしい若者はだれかと問われれば、私は迷うことなく、
アメリカのメジャーリーグで大活躍の天才アスリートの大谷翔平(27才)と、将棋界の
天才棋士、藤井聡太(19才)の二人を挙げます。
このブログでも、この二人についてはそれぞれ別々に数回ずつ取り上げていますが、今回
は、二人を一緒にして、“天才”というものの姿を考えてみたいと思います。
まず大谷翔平ですが、大谷はピッチャーとバッターの二刀流がメジャーリーグでどこまで
通用するかが当初からファンの関心事でした。
昨年は腕の手術もあって十分な活躍ができませんでしたが、今年は術後の不安を吹き飛ば
して、春から投打に大活躍です。
一か月前ほどは、ホームウランを量産していて、多くの日本人は朝起きると、大谷がホー
ムランを打ったかどうかを確認するのが楽しみであり日課となっていました。
そのころは、ホームラン王となり10勝し、103年振りにべーブルースの記録を破るの
ではないか、と言われていました。
これは日本人だけでなく、アメリカの野球ファンの間でも、その期待は大きかったのです。
ただ、ここ2~3週間、ホームランはあまり出ず、ピッチャーとしても良いピッチングを
しているので、味方が援護してくれないため、勝利投手になれない悲運を味わっています。
これはエンジェルスという弱いチームにいることの大きなマイナス面です。しかし、だか
らこそ、一層大谷のチームにおける存在感は大きくなります。
もし優勝を争うようなチームなら、監督はおそらく大谷に二刀流をやらせず、バッターに
専念させるでしょう。
さて、シーズンもいよいよ終わりに近づいて、現在ホームランは45本、9勝という成績
で、大谷が果たして10勝とホームラン王という偉業を達成できるかどうか、微妙な段階
にきています。
しかし私は、いずれも達成できないとしても、今シーズンの大谷の活躍は、すでに十分に
天才の名にふさわしい活躍をしていると思っています。
私が大谷に“天才”の魅力を感じるのはいくつかの理由があります。
まず、本格的な二刀流というのは、私はかつて見たことがありません。ある日本人投手経
験者によれば、一試合で投げたら、4~5日は体が思うように動かないといいます。
大谷は、それを実際にやってしまっているのが、すごい。文句なしに天才です。
驚くのは、身体の負担が一番大きいピッチャーでありながら、塁に出れば全力疾走で盗塁
します。ピッチャー以外なら当たり前ですが、ピッチャーであることを考えたら、第一、
体力を消耗し、投球に差し障るし、悪くすれば怪我をして投手生命を縮めます。
しかし大谷は、そんなことを気にすることなく、いつも塁に出れば盗塁を決行し、23個
決めています。これが彼の魅力の一つです。
それでいて、彼は160キロ近い速球をなげることができるのです。これだけのピッチャー
はメジャーリーグの投手の中でもそう何人もいません。これもやはり“天才”の証です。
私が魅力を感じるのは、彼が短距離選手並みの速さで全力疾走するときのフォームの美しさ
です。
速く走ることはトレーニングである程度は速くなりますが、それも限界があります。まして、
同時に美しい姿で速く走るとなると、これは天性の能力がなければできません。
私が知る限り、これらの点で彼に匹敵するのはイチローくらいです。イチローの走る姿も実
に“絵になる”し、やはり短距離選手並みの速さがありました。
ホームランを量産する大打者でも、ドタドタと走ったら、あまり魅力を感じません。
ある日本人の野球の選手がかつて、守備は練習すればうまくなるけど、バッティングは持って
生まれたセンスがなければ、いくら練習しても限界がある、と言ったことがあります。何とな
く分かる気がします。
大谷は、外人選手にありがちな、パワーでホームランにすることもなく、芯に当てる技で軽々
とホームランを打つことができます。これが天才の技です。
しかも、その姿がやはり、美しいのです。これも、やはり天性の魅力です。
さて、大谷が「動」の天才だとしたら、もう一人の藤井君(まだ少年らしさが残る風貌なので、
こう呼ばせてもらいます)は「静」の天才です。
藤井君は14才の時、史上最年少で4段(つまりプロ棋士)となり、プロデビューを果たした
翌年には、公式戦29連勝という、前人未到の偉業を達成します。
それから、上位者から次々とタイトルを奪取し、今年は、これまでどうしても勝てなかった天
敵、豊島将之九段から「叡王」のタイトルを奪い、これで「王位」「棋聖」と合わせて19才
1か月で史上最年少の3冠を達成しました。
これまで最年少の3冠はハブ善治九段の22才3か月でしたから、それより3才以上も若い。
そして10月からは、同じく豊島九段とのタイトルがかかる七番勝負に挑戦します。
19才で3冠という成績がどれほどすごいかは、生涯で一度もタイトルを獲得したことがな
い棋士が大部分であることを考えれば分かります。19才で3冠とは天才としか言えません。
私は自信は将棋は全くやりませんが、プロの解説を聞きながら、自分でも次の一手を予測し
ながら観戦するのが大好きです。
現代の将棋のライブ放送では、一手一手、将棋ソフトのAIが最善手を示し、実際に打たれた
手を評価し、また、曲面全体を評価し、どちらがどれだけ優勢かも、数字で評価値を示してく
れます。
AIのすごいところは、一手打った直後に、その手の評価をするのですが、その間、数秒の
間に5億手、あるいは数十億手の試算(演算)を行います。
私が、藤井君の対局を観戦して、“天才”を感じたのは、プロ棋士の解説者も思いつかない手
を打って勝ったシーンを何度も観たからです。
こんな時、解説の棋士も、しばらくは、藤井君の手の意味がその時にはわからなくて、後に
なって初めて理解することができるのです。
さらに驚くべきは、コンピーュタがはじき出した最善手とは違う手を打って、それが勝因と
なることが、これまでも再三ありました。
ある解説者はこんな時、“藤井さんが地球人だったら、こう指すのに、彼は宇宙人だから”と
驚きを込めて言いました。
あるいは“藤井はAIを超えた”とも表現します。これこそがまさに“天才”が放つ魅力です。
本当に、彼の思考は常人の思考を突き抜けています。
彼の深くて鋭い読みは、旧世代の棋士たちの経験知をはるかに超えています。
藤井君は、自分で最新で最高の能力を持ったCPU(中央処理装置)を買ってきて、自分
でパソコンを組み立てたものを使っています。
ある時、藤井君は、コンピュータを使って研究しますが、と聞かれて、“ええ”と言った後の
言葉に心底驚きました。
今は誰もがコンピーュタを使って研究しているけれど、自分はそうした相手にどのように立
ち向かったらいいかを研究するためにコンピュータを利用しています、という趣旨のことを
言ったのです。一歩も二歩も先を行っています。
一体、彼の頭の中はどうなっているのか、とつくづく思います。
ところで、ここまで大谷翔平と藤井君という二人の若き天才にある種の共通点を見出します。
まず、天才だけが見せてくれる超人的な能力で、これは大きな魅力です。しかし彼らは自ら
の才能を誇示するわけでもなく、勝負している時は勝負に没頭することです。
たとえば、大谷はなぜ、敢えて危険な盗塁をするのかを考えてみると、彼は、その場で自分
がすべきこと、できることを全力でやる、それで怪我をしても、それは仕方がない。これが
彼の気持ちなのでしょう。
藤井君も、世間の評価や、自分が有名になることや、お金を稼ぐことには全く関心を示しま
せん。今年の3月に高校の卒後を直前に控えて、彼は退学してしまいます。
また、普通の大人なら、タイトル戦などでは、自分のプライドや世間の評判や収入など、色
んな雑念が頭をよぎると思いますが、藤井君は全く気にしないようです。
純粋に一局一局に没頭して楽しんでいるかのようです。ちなみに、10月からのタイトル戦
(竜王)の賞金は4400万円です。
そして、私が何よりも天才に惹かれるのは、そこに”美”があることです。大谷の投げる姿、打
つ姿、走る姿、すべてに美しさがあります。
藤井君の将棋には、同じ勝つにしても、そこに”華麗さ”があります。
さらに、人間としての魅力もあります。私なら、これだけの才能をもっていたら、得意になっ
て多少は傲慢になってもおかしくないのに、二人とも、飛び抜けた天才なのに控えめで、その
時その時に自分のやるべきことに全力を尽くす、その姿勢に私は魅力を感じます。
コロナ禍で陰鬱な気分になっている今、彼らの存在は、気持ちに明るさをもたらしてくれる二
人に感謝です。