大木昌の雑記帳

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本田圭佑のプロ意識(2)―ACミラン移籍の舞台裏―

2015-01-28 05:45:40 | 思想・文化
本田圭佑のプロ意識(2)―ACミラン移籍の舞台裏―

本田のACミランへの移籍話は何度も浮かんでは消え,日本のスポーツジャーナリズムは,
「エアー移籍」(架空の移籍)とからかっていました。

ところが,前回も書いたように,2013年12月に本田のACミランへの移籍が正式に決まりました。
この間に何があったのでしょうか。

本田の移籍がスムーズにゆかなかった一つの理由は,所属のCSKAモスクワとACミランとの条件(恐らく金銭面での)
が合わなかったという事情です。

もう一つは,本田が走るスピードが遅くスタミナがないと評価されていたからだと思われます。それでは,
なぜミランはその本田を獲得に踏み切ったのでしょうか。

時間を2013年1月に戻して本田の行動を,前回紹介したNHKのインタビューをとおして見ましょう。

2013年1月の短いオフ,彼は沖縄県の石垣島でキャンプを張っていました。その時彼は個人的に,ケニアから,大阪マラソンの
優勝者と2013年の世界陸上1000メートル銀メダリストとなった,世界のトップランナー二人を石垣島に呼びました。

10日間のキャンプ中,本田は速く走ること,スタミナをつけることに集中します。

ケニアのランナーからは,呼吸の仕方や腕の振り方などを学びます。そして,「もうだめだ,とは絶対言うな」と叩き込まれます。

そして,キャンプの終盤ともなると,ケニアのランナーたちと対等に走れるようになっていました。これ以後も本田は,
課題克服のため,必死に走り続けました。

この成果は,同年6月のコンフェデレーションズ・カップでの彼の動きに現れました。

この時本田は,この大会で良いところを見せれば,世界のトップ・クラブに注目されるはずだ,だから自分にとっては
ビッグ・チャンスだと語っていました。

試合は,ブラジル戦,イタリア戦とも負けて,日本には全くいいところがなかったように見えました。
本田自身失意に打ちのめされたかのように,試合後のインタビューで,今は何も考えられない,と早々に立ち去ってしまいました。

しかしこの時,実は本田の運命を変える重大な決定がなされようとしていたのです。

イタリア戦で最後まで走り続け,シュートを打ち続け,イタリアを苦しみ続けた本田をみてACミランの代理人は
さっそくACミランの最高経営責任者ガリアーニ氏に電話で報告します。

「実際に試合を見て,彼がかなり走る選手であることを目の当たりにしました。」,と。

彼はまた,本田について「とても質の高い選手で何よりも強い体力をもっていました」と語っています。

代理人は,これまでの,足が遅く体力がないという本田に対する評価を覆し正反対の評価をしたのです。

こうして,この年の夏からミランは本格的に本田の獲得に乗り出しました。一部のスポーツ紙では7月には
移籍するのではないか,といわれていました。

しかしCSKAモスクワとの交渉で条件的な)が合わず,結局,本田とCSKAモスクワとの契約が切れる12月を待って
正式に移籍がきまったのです。

自分の課題となっている壁を見つけ,それをひたすら練習によって克服しようとするところに本田のプロ意識を見る思いです。

彼は「壁があったら殴って壊す 道がなければ自分でつくる」,と語っています。移籍の経緯をみると,
まさにそれを実行したことがわかります。

さて,ACミランに移籍してからの本田はどうだったのでしょうか?

シーズンの最後に移籍し,他の選手とのコミュニケーションも取れず,チーム全体の方針や特徴なども分からない中での
試合出場はかなり困難だったようです。

しかも,1日体を動かさないと取り戻すのに3~4日かかると言う本田が,移籍当初はミランの経営陣や関係者との食事や
メディアへの対応のため,ほとんど練習ができませんでした。

彼のデビュー戦で,格下のチームとの試合で後半の19分だけ出場しましたが,良いとこを見せることができず,
チームも負けてしまいます。

その後も試合にはでるものの,ゴールはおろかアシストさえできませんでした。

期待が大きかっただけに,地元メディアは本田に厳しい目を向けます。たとえば,“本田はおもちゃの兵隊だ。無駄で使いものならない”
といった言葉を投げつけます。

しかし,2014年の3月,それまでの監督はチーム低迷を理由に解雇され,セードルフが新監督として就任します。

この交代をきっかけに,彼は見違えるような活躍をするようになります。

内外の目を引き付けた,ある1シーンがあります。それは,4月25日の試合に本田は怪我をおして出場したときです。

ミランがゴールに比較的近いところでフリーキックを与えられました。これまでなら文句なしに,ミランのトップ選手である
カカが蹴る場面でした。

しかし,本田は自分が蹴るといって譲らず,ボールを持って離しませんでした。

この時は本田が折れてカカにキックを任せますが,ここにも本田の強気の姿勢が出ています。

ちなみに,同じような場面は後の試合にも訪れました。その時本田は最後まで譲らす,彼のフリーキックは見ごとに
ゴールをとらえたのです。まさに「有言実行」という本田の真骨頂です。

ところで,2013年度シーズンオフから本田は日本に帰国せず、欧州に滞在してフィジィカル系のトレーニングをやり直し、
肉体改造に取り組んでいました。

その成果は2014年のシーズンに確実に出始めます。つまり6月までの12試合に6得点,というすばらしい結果を残したのです。

「練習での態度は、まさにプロそのもの」という監督の信頼を得て、早々に結果を出したことで、クラブ内外からの賛辞を集めました。

上記のガリアーニ氏は「今年のホンダは強さばかりではなく、品格がある」と手放しの喜びようでした。(注1)

またセードルフ監督は,
  
  本田には粘りがあります。試合中90分絶対に集中力が落ちません。これはすばらしい
  ことです。ほかの選手にも要求したいことです。彼の姿勢をみて私でさえも刺激を受け,
  他の選手にも良い影響を与えられればと考えています,
と絶賛しています。

本田は,同僚のカカやバロッテッリという世界の超一流選手に対して,
  
  自分にはカカやバロッテッリのような身体能力は残念ながら僕にはないですから。彼
  らのような豪快なゴールを今後も決められるか分からないですけれど。ただ彼らにな
  いものをもっているという自負があるんで,それを最大限に生かせば,世界一に到達で
  きるんだっていうことを,今までやってきた自分を信じて,その信念を貫いていきたい
と語っています。


この自負や信念の背後にはもう一つ,彼独自の才能や天才という存在に対する考えがあります。
  
  天才なんかこの世の中にほぼいないと思います。ただ,才能の差は若干なりともあると
  いうのも認めます。ただ,若干でしょ,ということを僕は言いたいんです。
  ライオンと格闘するわけです,馬と競争するわけです。相手が別の生き物だからとか,
  あいつだからっていう考えは馬やライオンにすればいいんですよ。そんな,天地がひっ
  くり返るほどの差はないでしょって。だから僕よりも才能のある選手に僕は今までも
  勝ってきたし。なぜならそんな差はなかった。その差は大きいとみるか越えられるとみ
  るかは自分次第。それをみんな自分の限界を決めてしまって,挑戦することをやめてし
  まう。だから夢がかなわないなんていうことになる。

ライオンと格闘し,馬と競争するなら話は別だが,同じ人間なら,才能の差は“若干でしょ”と言っているのです。

ここには彼が実体験をとおして感じた強烈な自信が込められています。(注2)

NHKとのインタビューの最後に,「プロフェショナルとは?」と問われて本田は,その質問は準備してなかったので,
ちょっと考えさせて下さいと言い,しばらく考えた後,
  
  プロフェショナルとは,自分にとってのプロフェショナルとは,自分のしている仕事に
  対して真摯であること,すなわち一生懸命であること,真面目であること
と,答えています。

意外にも平凡な答えに聞こえます。興味深いことに,この言葉は偶然にも,本田の入団の記者会見に立ち会った二人のイタリア人
ジャーナリストが語った,本田に対する,“真摯な姿勢”,“真面目な姿勢”という評価と同じでした。

本田は時として,非常に初歩的なミスをします。彼が本当にサッカーの才能があるかどうかは分かりませんが,
一人の人間として興味深い人物であることは確かです。

(注1)
   http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20141202/soc1412020830001-n1.htm
(注2)本題の,サッカーに関する語録は多くのウェブサイトでみられる。たとえば,
    http://wisdom.xn--lckknw6bc11b.jp/post.html (2015年1月20日参照)はよくまとめてあります。

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本田圭佑のプロ意識(1)―夢を諦めない男―

2015-01-21 05:23:08 | 思想・文化
本田圭佑のプロ意識(1)―夢を諦めない男―

前回のカズ,葛西,イチローはそれぞれ別の立場でプロ意識をもっていますが,今回はもう一人,気になっているアスリート,
サッカー選手の本田圭佑を取り上げてみたいと思います。

本田圭佑,1986年生まれ。大阪府摂津市出身。現在27歳。2008年に結婚。男の子が一人。

家族や親族には多くのアスリートがいる,アスリート一家という環境に生まれ育ちました。

本田圭佑を語る時,必ず引用されるのが,彼の小学校の卒業文集です。その一部を引用します。

  ぼくは大人になったら,世界一のサッカー選手になりたいというよりなる。
  世界一になるには,世界一練習しないとダメだ。
         (中略)
  Wカップで有名になって,僕は外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。
  そしてレギュラーになって10番で活躍します。
  一年間の給料は40億円はほしいです。
         (中略)
  セリエAで活躍しているぼくは,日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。

この年齢の男の子が夢を語る場合には,「~したいです」あるいは「~なりたいです」というふうに,漠然とした夢として表現します。

しかし本田は,「なりたいというよりなる」,「セリエAに入団します」,
「活躍します」など,夢のような話を,断定的に言い切っています。ここに本田の強い意志を感じます。

本田は,実際に2013年12月にロシアのCSKAモスクワから,小学校の卒業文集にあるように,セリエAに移籍し,
背番号もエースナンバーである10番をもらいます。

しかし,本田は必ずしも順調に現在にたどり着いたわけではありません。中学生の時,ガンバ大阪のユースチームへの昇格内定
が得られず,高校は石川県の星稜高校に進みます。

星稜高校時代,チームは全国大会でもベストフォーに進出し,本田もサッカー界で少しずつ頭角を現します。

高校卒業後は名古屋グランパスに入団しますが,2001年,21歳の時オランダの2部リーグのVVVフェンローに移籍しました。

VVVでは最初のうちあまり活躍できず,“役立たずの日本人”と批判されました。しかし,2008年のオリンピック後に目覚ましい働きをし,
“ゴール・ハンター”と呼ばれるようになりました。

そして2010年,ロシアのCSKAモスクワに移籍した後も好調は続き,主力選手として活躍しました。

この年は,同じく日本を代表するサッカー選手の香川真司がドイツ,ブンデスリーグ1部リーグの
ブルシア・ドルトムントに移籍した年です。

そして香川は2012年にはイングランド・プレミアリーグの名門チーム,マンチェスター・ユナイテッドに移籍し,
そこでの活躍が日本のみならず世界の注目を浴びました。

このころ本田は,いつの日かCSKAモスクワからヨーロッパの名門チームへの移籍を目指して試合と練習に打ち込んでいました。

それが,評価されて2013年12月,ついにACミランへの移籍が決まった時,サッカー界のビッグニュースとなりました。

このころからの彼の心境を,NHKの「プロフェショナル―独占密着 知られざる本田圭佑 “世界一”へさらなる前進
 500日の記録―」という特別番組で2回にわたって語っています。(注1)

インタビューの冒頭で,「奇跡」はあると思いますか,という問いに対して,やや考えた後,

  ”あるんかなと思う一方,奇跡はないと僕は言い切りたい。という意味は,奇跡を起こすのはあくまでも自分の行動だと思うんで,
  偶然ではない。いかにも奇跡というものが偶然に起こったように語るけど,それは必然だったと考えるべきだと思うんですね”,
と答えています。

ここには,あくまでも自分の道は自分で開いて行く,という強い意志が感じられます。

それだけ自分にプレッシャーをかけているとも言えます。

ACミランへの移籍が決まった時,彼はエースナンバーの10要求したそうですが,これこそ究極の,自分へのプレッシャーです。

歴史と栄光に輝く名門中の名門,ACミランは当時,グループの下位に低迷し,ファンは本田の加入に大きな期待を寄せていました。

もし期待を裏切るようなら,ファンからもメディアからも激しいバッシングを受けることは本田も分かっています。
  ”がっかりされることは分かってるんですよ。僕のクオリティはそのレベルだから,まだ”。

本田は,自らACミランのエースナンバーを要求したけれど,自分の実力がまだそのレベルに達していない,
“凡人”であるとも冷静に分析しています。

  凡人がね,メッシやクリスティアーノと張り合おうと思ったら,毎日,鬱ですよ。いかに暗闇にいるか。かなり変人やと思いますよ。

こうして,自分にプレッシャーをかけるのは,”ちょっとでも良くなりたいから”だ,と言います。

  批判されたり重圧を背負いたくなければ行動しないのが一番なんですね。でもそういうのは好きじゃないし,
  やはりハラハラドキドキしていたいし,それが悔しい時があろうと,常に挑戦者でありたい”。

ここでも彼は自ら困難な状況に追い込んでゆく,精神的なタフさが現れています。

本田のミラン移籍話は何回も浮上しては消え,そのたびに彼はがっかりした,という。しかいがっかりしている暇はない,
と自らを鼓舞してひたすら練習に励みます。

  僕の場合,困難に向き合っている時間が長いのか,それを楽しめないようじゃ人生やっていけないと思うんですよね。 

こうした全ての期待と重圧を自らすすんで引き受けてゆく本田の姿には,鬼気迫る迫力があります。

しかも,“だけどそんな体験ができるのはオレしかいないでしょ”,と,普通の選手ならホラとして嫌われそうなことを
平然といいます。

そこには彼の根本的な人生観が反映しています。“自分の夢をそんなに簡単に諦められるか,って話でしょ”。

本田は,夢を追い続けるけれども,それは自身で高い壁を作ることを意味しています。そのあたりのことを次のように表現しています。

練習や試合では,弱い自分が毎日出るが,その弱い自分を一つ一つ打ち負かしてゆく。こうして信念が少しずつ太くなってゆく,
と述べています。

彼は,精神的にタフな人間だと思われていますが,自分の内なる弱さをも十分自覚しています。

しかし,その弱さを打ち負かすことで少しずつ信念が確固たるものになり精神的に強くなってゆく,という生き方を選択します。

それは,次のようにも表現します。“自分はミスを犯すが,ミスを犯すことを恐れない。年齢を重ねると安定を求めるが,
自分は若手のようなミスを犯している。それを一つ一つクリアしてゆく”,と。

この部分は,自分はまだまだ若手のように挑戦的でありたい,という気持ちと同時に,ミスというものは,
それを克服していくことによって自分を成長させてくれるものでもある,という彼独特の哲学をも示しています。

以上書いたように,本田圭佑は,自分の夢をどこまでも追い求め,自分にプレッシャーをかけ,そしてそれをバネに
成長してゆこうとするアスリートです。

これは多くのアスリートが思っていることであり,また実行していることでしょう。しかし,本田が他のアスリートと異なるのは,
そのようなことを公言し,そして実現していることです。

うまくゆけば喝さいを浴び,うまくゆかなければ単なる「ホラ吹き」と馬鹿にされます。

それを承知で彼は敢てリスクを犯します。その背景には自信と誇り,そして“世界一練習しなければ”という卒業文集の通りの練習です。

一言でいえば,これらが全て,彼のプロ意識なのです。

次回は,ACミランに移る際の裏事情と,それを遠して本田圭佑のプロ意識に迫ってみたいと思います。


(注1)2014年6月2日,9日放映。

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アスリートのプロ意識―三浦知良・葛西紀明・イチロー―

2015-01-14 05:47:50 | 思想・文化
アスリートのプロ意識(1)―三浦知良・葛西紀明・イチロー―

2015年1月2日の夜,「レジェンド(伝説)を生きる」というNHKのラジオ番組で,「キング・カズ」(カズ)こと
三浦知良(47歳)と,「レジェンド葛西」(葛西紀明 42歳)の対談を偶然聞きました。

カズは日本で最年長のプロ・サッカー選手であり,葛西は最高齢の日本を代表するスキー(ジャンプ)の選手です。

NHKがこの二人を取り上げたのは,アスリートとしては引退してもおかしくない年齢に達しながらも,
この二人が共に現役でがんばっているからだと思われます。

年齢にこだわらず前向きに生きている二人に,現役を続けるその心境を語ってもらい,聞いている人に元気を与えて
ほしいという意図でこの対談を企画したのでしょう。

NHKの意図は良く理解できますが,二人の話を聞いていると,二人の間には違いも感じました。

葛西選手は昨年のソチ・オリンピックで個人で銀メダルをとり,団体でも日本チームに銅メダルをもたらした
原動力となりました。

つまり葛西選手は日本のジャンプ界をけん引する現役バリバリのトップ・アスリートです。

これに対してカズは,現在横浜FCというJ2(二部リーグ)に属していて,昨年は1年間に2試合,
わずか4分の出場機会しか与えられませんでした。

このように見ると,この二人が,年齢が高いにも関わらず現役でがんばっているという共通性はあるものの,
それぞれの立ち位置が違うため話す内容もかなりの違いがありました。

葛西選手は4年後のオリンピック出場への意欲を語り,さらに,これからの日本のジャンプ界はどのように
進むべきかといった広い視野からの展望を語っていました。

私も,葛西選手に次のオリンピックにも是非出場してほしいと願っていますし,彼はそれだけの実力も
気力も十分持っていると思います。

何より,年齢だから,といった観念を吹き飛ばしてくれる葛西選手を尊敬しています。

葛西選手が,いわば山の頂点に立ち,スポットライトを浴びながら自らの将来と日本のジャンプ界
についての抱負や展望を語るのは,実績から言っても当然です。

これにたいしてカズは,プロのサッカー選手ならもちろん,J1でプレーしたいと語っていました。

しかし現実は,そのJ2においてさえ,ほとんど出場できなかったのが現実です。

それでも,いつかはJ1でプレーし,さらに日本代表チームのメンバーとしてワールドカップにも出たい
という意欲を語っていました。

葛西選手との対比で言えば,カズの姿は「山のふもとから山頂を見つめつつ,それに向かって日々努力
している」というふうに例えられます。

二人の対談で私がもっとも感動したのは,次のようなカズの本音でした。

J2の試合に出れなかった選手たちは,試合のあった翌日にアマチュアのサッカー・チームや他の
J2のチーム,時にはJ1のチームと練習試合をすることになっているそうです。

そんな練習試合でもカズはベストを尽くし,サッカーができることに喜びを感じて全力でプレーをする,
と語っていました。

だから,練習試合で90分の試合時間のうち,たとえば60分で交代させられた時,監督の指示には
従いますが,やり場のない悔しさと怒りを感じるそうです。

選手交代は自分の努力でなんとかなるものではないし悔しい。しかし,”一生懸命練習したかどうかは
プロの場合関係ない。結果が全てだから”。

そんなときカズは,交代後すぐに別のグランドに直行し,とにかく悔しさと怒りが収まるまで走ります。
そうして気を静めずにはいられない心境になのだ,と正直に語っています。。

昨年の1年は,“ほとんど試合に出ることができなかったけれど,自分のできることを一つ一つ積み重ねる
ことができた,これはとても大きな成果だった”,と振り返り評価しています。

かつて,日本のJリーグ設立の立役者で,長い間“キング・カズ”と呼ばれたほどの実績も名誉もある
超一流の選手が語る,このような謙虚さと,真摯な姿勢に本当のプロ意識を感じました。

カズの話を聞いていて,いつかテレビのイチロー特集で彼が語っていた話を思いだしました。(注1)

イチロー42歳。アメリカのベースボール界の現役選手としてはもう限界と言われ続けてきました。

イチローはニューヨーク・ヤンキースに移籍して以来,代打か代走,あるいは守備固め要員として使われる
ことが多くなりました。

球場につくとまず,自分がスターティング・メンバーに入っているかどうか確認するそうです。

全く出場機会がない試合もかなりありました。

こんな不安定な状況の中で,さすがのイチローも落ち込む時もありますが,それでも日々のトレーニング
は欠かさずコツコツと行います。

試合の正確な勝ち負けは忘れましたが,ある試合ので9回の裏,スコアは1対9で,もうとっくに決着は
ついていました。

ヤンキースの監督は,現役の選手を休ませるために,代打を送ることを考えていました。このような場面では,
テストも兼ねて新人の選手を代打に送るのが普通です。

その日,イチローはそれまで全く出番がありませんでしたが,ひょっとして自分に代打の指名がくるかも
しれないと考え,その時に備えて,控室で一生懸命,素振りを繰り返してしていたのです。

そして,監督はイチローを代打に指名しました。この時,確かイチローはヒットを打ったと記憶しています。
もちろん,試合の勝敗には何の影響もないヒットです。

その時の心境をイチローは,
   このような場面で代打に指名されるのは,普通に考えれば屈辱ですよね。だけど僕は,このような
場面での1打席打でも   ベストのバッティングをしようとします
という趣旨の発言をしたと記憶しています。

イチローは,これまで日本だけでなく,アメリカに渡ってからベースボール史上数々の記録を塗り替えてきた,
カズと同様,超一流の選手です。

そのイチローでさえ,まるで新人のようなひたむきさと謙虚さを失っていません。

このような姿勢は,2001年、メジャーリーグで日本人選手史上初となる首位打者になりイチローが小泉内閣
から「国民栄誉賞」の授与を打診されたときにも示されました。

  国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら
現役を引退した時にいただきたい
と受賞を固辞しました。

また2004年、メジャーリーグで最多安打記録を更新した時も「国民栄誉賞」の授与を打診されましたが,
この時も固辞しました。

私がこの二人を人間としてもプロとしても尊敬しているのは,通常は引退を考える年齢に達しているのに
頑張っている,という点だけではありません。

そうではなくて,むしろ私は,カズの場合には練習試合でも全力でプレーし,イチローの場合なら,試合の結果
には何の影響もない打席でも,最善のバッティングをしようとする,本当のプロ意識,プロ精神に胸を打たれます。

カズは昨年暮れに,横浜FCと2015年度の契約をしました。イチローはまだ行く先がきまっておらず,
今年も野球ができるのか,どこでできるのか分からない状況です。

二人が今後どのような道をたどるのか分かりませんが,これまでの彼らの言動は既に十分,私たちに感動
を与えてくれました。

そして,いつの日かカズがユニフォームを脱ぎ,イチローがバットを置いたとき,この二人こそ「国民栄誉賞」
を受賞するに値する人間だと思います。

その時まで,たとえ1分間だけの出場でも,練習試合でも,1打席だけのバッティングでも,プロとしての誇り
と強い意識を見せて欲しいと願ってやみません。

次回は,もう一人,私が気になるアスリート,本田圭佑を取り上げたいと思います。

(注1)イチローについてはこのブログで2013年8月27日,9月1日,9月5の3回にわたって
「イチローの本当のすごさ」という記事で詳しく書いています。

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21世紀の選択(2)―日本は「脱亜入米」でいいのか?―

2015-01-07 05:40:43 | 社会
21世紀の選択(2)―日本は「脱亜入米」でいいのか?―

前回は,2014年に日本人が選択したことのうち,国内問題の「アベノミクス」について書きました。

今回は,もう少し視野を広げて,日本という国が世界の中で,どのような立ち位置を占め,何を国の根幹に据えてゆくべきかを
考えてみたいと思います。

ソウル大学国際大学院教授のパク・チョヒル氏は,「新しい『脱亜入欧』という幻想」という記事で,日本は
新たな「脱亜入欧」の道を歩んでいる,と指摘しています。(『東京新聞』2014年11月30日)

パク氏によれば,21世紀に入り,中国の浮上という新たな現象に直面した日本には,新たな「脱亜入欧」とも呼ぶべき
アジアからの心理的隔離が現れている,と指摘しています。

韓国からみると日本は,アジアとは一線を引いたまま米国に代表される国際社会との関係を深めようとする動き
として映っているようです。

「脱亜入欧」という言葉そのものは,明治期に福沢諭吉によって,日本が進むべき道として唱えられた言葉ですが,
それはそのまま日本政府の立場でもありました。

つまり,日本はもはや「遅れた」アジアの一員から脱して,「進んだ」西欧の一員となるべきだ,という考え方です。

当時,アジア諸国は西欧列強によって次々と植民地化されており,日本政府は自らを守るためにも,あらゆる分野で
近代化・西欧化を急がなければならないと考えていました。

国を挙げての努力の結果,日本の「脱亜入欧」戦略は成功し,日本はアジアで唯一近代化に成功した国としてスタートしました。

当時の日本の国策は「富国強兵」でした。経済力を高め,軍事力を強化し,自らを西欧列強から守るだけでなく,
機会があれば日本も遅ればせながら,西欧のように植民地獲得競争に加わろうとしていたのです。

パク氏は,新しい『脱亜入欧』路線は「幻想」だと述べています。

その根拠の一つは,19世紀とちがい,近年の中国と韓国は経済的豊かさと社会的活気があるのに,
日本は「失われた20年」と呼ばれる経済的停滞に陥っていることです。

パク氏は,安倍首相の,強い日本を取り戻そうとする執心は,こうした現実を踏えた上で,中国や韓国を潜在的脅威
として認識し始めているからでなないか,と指摘しています。

次に,日韓中の三国は,人口においてもGDPにおいても世界の五分の一を占めており,この地域が21世紀における
世界経済の中心地であり,成長の要であることを示唆している,と述べています。

パク氏が指摘する,日本の経済的停滞はその通りですが,中国,韓国経済が「経済的豊かさと社会的活気がある」
という認識には多少,誇張があります。

というのも中国も韓国も,GDPこそ増えていますが,国内に大きな格差を抱えており,この格差がそれぞれの社会内部で
深刻な不安定要因となっているからです。

この問題とは別に,明治時代の日本とアジア諸国の経済的・軍事的力の差に比べれば,現在その差は,
はるかに小さくなっていることは確かです。
 
現在,経済的には,中国のGDPは2010年にはすでに日本を抜いて世界第二位となっており,軍事的にも中国は近年急速に
近代化と規模の拡大を続けています。

さらに,明治期に日本が「脱亜入欧」を唱えたとき,日本人には,アジアは遅れているから西欧に近づこう,
という認識がありました。

反面,日本の指導者たちには中国や韓国を「遅れた国」として低くみていたと思われます。しかし,現代ではこのような認識は
現実的ではありません。

ところで,パク氏が最近の日本の戦略を「新しい脱亜入欧」という言葉で表現した意図は理解できますが,
この言葉は誤解を生じやすいので,少し補足と修正をしておきたいと思います。

まず,日本が名実ともに「脱亜入欧」を唱えた19世紀の明治期は,日本とヨーロッパ諸国との間には科学技術や
経済力・軍事力などの面で大きな差がありました。

このような状況下で,ヨーロッパに「追いつけ追い越せ」という気概を込めて「脱亜入欧」という言葉には現実味がありました。

しかし,現在は,日本とヨーロッパとの間には文化の違いはありますが,科学技術や近代化の程度に差はありません。

もう一つ,19世紀「入欧」の「欧」は文字通りヨーロッパ世界を指していましたが,戦後,アメリカが世界をけん引する
大勢力になると,「欧米」(ヨーロッパとアメリカ)という言葉が使われるようになりました。

しかし,アメリカとヨーロッパとは必ずしも一括りにできません。たとえば,アメリカが主導したイラク戦争やアフガン攻撃
において,ドイツやその他のヨーロッパ諸国は参戦を拒否したり,積極的に賛同はしませんでした。

アメリカの盟友,イギリスのブレア首相はこれらの戦争に賛同して攻撃に加わりましが,イギリス国内においてさえ,
「ブッシュのプードル」,つまり「アメリカの言いなりになる飼い犬」と笑い者にされ批判されたのです。

日本は,第二次世界大戦での敗戦を契機に日本はアメリカの占領下に置かれ,戦中の「鬼畜米英」から手のひらを反すように,
親米路線をとるようになりました。

しかも,日本は敗戦から現在までアメリカの影響下から脱することができません。この状況は「脱亜入欧」というより,
「脱亜入米」といった方が適切かもしれません。

歴代の自民党政権は,アメリカの要請にいかに応えるかを中心に運営されてきました。安倍政権は,さらに一歩進めて,
日本がいかにアメリカと一体化し,アメリカに喜んでもらえるかにエネルギーを注いでいるようです。

「集団的自衛権」の行使は,アメリカの戦争に日本が先兵となって参加するできるため,
「特定秘密保護法」も米軍との共同の軍事行動にかかわる秘密を守ることが大きな目的の一つでした。

経済的には,TPPへの参加によって,農畜産物や自動車だけでなく,金融や保険といった,アメリカが優位に立っている分野で
日本は大幅に譲歩を迫られるでしょう。

「脱亜入欧」と「脱亜入米」とは言葉は似ていますが,両者の間には歴史的な背景と,意味するところには大きな違いがあります。

ヨーロッパには「福祉国家」の理念と伝統がありますが,アメリカには「福祉国家」の理念はなくヨーロッパ世界とは大きく異なります。

アメリカは軍事力を背景に政治・外交を展開し,経済的には徹底した市場原理主義で,マネーゲームで富の蓄積を図り,
国内的には自己責任の名のもとに貧富の格差を限りなく大きくする国家です。

このようなアメリカと日本が一体なるのは,どう考えても日本のとるべき道ではありません。軍事・外交面でも経済面でも,
アメリカと日本とはあまりにも力に差がありすぎます。

日本はアメリカと一体となったつもりでも,軍事・外交面ではアメリカに従属し,経済面ではアメリカの利益に奉仕する損な役回り
を演じさせられるだけでしょう。

日本は敗戦と占領の呪縛から解き放され,アメリカとは従属ではなく対等な友人としてつきあうべきです。

この意味で,「脱亜入米」ではなく「脱米入亜」する時期に来ているのではないでしょうか。というのも,パク氏がいうように
「脱亜入欧」(私の言葉では「脱亜入米」)はやはり幻想にすぎないと思うからです。

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21世紀の選択(1)―「奪い合う社会」から「分かち合う社会へ」―

2015-01-01 07:28:45 | 社会
21世紀の選択(1)―「奪い合う社会」から「分かち合う社会へ」―

明けましておめでとうございます。2015年が始まりました。

近年の日本にはさまざまな問題がありました。最大の転換は安倍政権が「戦争ができる軍事国家」へ舵をきったこと,
次いで格差拡大をもたらす「アベノミクス」が実施されたこと,の2点につきます。

安倍政権は今年中に,昨年閣議決定された「集団的自衛権」が実際に行使できるよう,法的整備を進めようとしています。
これについては,
次回に触れたいと思います。

今回は,「奪い合う社会」から「分かち合う社会」へという観点から「アベノミクス」を見直してみたいと思います。

「アベノミクス」については,このブログでも何回か取り上げましたが,要点を次の3つに絞って考えてみたいと思います。

第一に,市場に大量の貨幣を供給し,国内的にはデフレからの脱却(人為的なインフレ)を起こし,国際的には円安により,
輸出の拡大をもたらすことを意図しています。

第二に,大企業の国際競争力を強化するためという名目で労働者の実質賃金を抑え,他方で法人税を下げる,という
大企業優先政策が採られています。

第三に,安倍政権が福祉や年金などの社会保障予算を削り,国民の負担を増やそうとしています。

以上の三点のうち第一点についていえば,現実には期待したデフレからの脱却も輸出の拡大も起こりませんでした。

そして,実体経済に資金需要がないのに大量の貨幣を発行しても,そのお金は経済を活性化させ,国民を豊かにする
有効な投資に向かうことなく,日金の金庫の中で眠っているか,株などへの金融商品に向けられました。

金融商品への投資はマネーゲーム,ギャンブルであり,誰かが得すれば誰かが損をする典型的な「奪い合う」行為です。
たとえ株式市場が活況を呈したところで,実体経済から離れ,大部分の国民にとって,ほとんど関係のないことです。

しかもこのゲームでは,豊富な資産・資金力をもち,恵まれた教育を受け,有能なアドバイザーや有益な情報を得や
すい富裕層が圧倒的に有利です(ピケティ 『21世紀の資本論』)。

第二の問題は,具体的には残業代のカット,非正規雇用の割合の増加という形で表れています。他方で,法人税率は
2015年度から段階的に引き下げることになっています。

大企業を中心に300兆円以上の社内留保金を貯めていますが,これらの企業がボーナスなどの一時金を増やす
ことはあっても,雇用者の基本給を上げてはいません。

第三の問題は,年金・福祉予算のカットと負担増は,低所得者と老人世帯をますます厳しい状況に追いやることです。

全体としてみると,アベノミクスにより大企業と富裕層はますます富を増やす一方で,その他の人は相対的に貧困化します。

こうして社会内部に貧富の格差が拡大します。

これは,資本主義という経済制度が本質的に抱えている構造的な問題でもあります。

というのも,資本主義では効率と利益の拡大を目指して人々が競争し,勝者は富と力を得るが敗者は貧困化する
ことを当然のこととしているからです。

資本主義経済では,競争=「奪い合う」ことが社会原理となっています。しかし,この競争は,圧倒的に大企業と
富裕層に有利に仕組まれています。

もちろん,これまでも資本主義のこうした負の側面を是正するために,「福祉国家」を目指す北欧諸国のように,
積極的に富の社会的再配分を行おうとする例もあります。

これには,税を累進制にして豊かな人たちに税(社会的負担)を課し,貧しい人への医療や生活保護教育補助,
種々の免税措置を講ずるなど,種々の再配分の方法があります。

こうした考えは,社会全体で「分かち合う」精神といってもいいでしょう。しかし,安倍政権は,やはり「奪い合う」
原理を推し進め,そしてその勝者と手を組む道を歩んでいます。

たとえば,第二次安倍政権が発足した翌月の2013年1月,直ちに生活保護のうち生活費にあたる「生活扶助費」を
2013年度から3年間かけて6.5%引き下げることを決めました。

2014年度の実績を見ると,都市部の夫婦と子ども一人世帯で,2年前と比べて月6千円減りました。また子ども
一人に母子世帯で,月2千円の減額でした。

このため,国全体では生活扶助費だけで700憶円ほどの減額となりました。(『東京新聞』2014年11月29日)

2014年7月に改正された「生活保護法」では,申請に対して資産などを記した申請書の提出を義務付けました。

さらにこの法改正で,親族に扶養能力がある場合には生活保護を拒否したり,扶養を断る親族に説明を求める
ことも可能となりました。

親族に気兼ねして申請を断念する人が増える可能性があり,政府はこれを期待しています。

医療の分野では,平成26年4月1日以降に70歳になる高齢者の医療負担は現行の1割から2割に引き上げられます。

追い打ちをかけるように政府は,生活保護のうち家賃にあたる「住宅扶助」などを2015年度に「適性化」(減額)
を図ることにしています。

今回は見送られましたが,安倍政権は配偶者控除も廃止の方向で検討しています。これは,パート主婦からも税金を
取ろうとしているのです。

ところで。「奪い合う社会」の何が問題で,なぜ「分かち合う社会」を目指さなければならないかを考えてみましょう。
これには多くの問題がありますが,2点だけ挙げておきます。

まず,競争といっても,金融や土地などの資産や教育環境などに大きな差があり,各人が公平なスタートラインに立って
の競争ではありません。

たとえば,資産ゼロ世帯の割合は,1994年が8.8%でしたが,2014年には30.4%にまで上昇しているのです(注1)

深刻なのは,直近の調査(2012年)によれば,日本の「子どもの貧困率」(注2)が,これまで最高の16.3%,
実に6人に1人,1人親(大部分は母子家庭)の場合,子ども貧困率は54.6%,
つまり半分以上に達している現実です。

これは,教育・学習面にも大きな与えています。下の図表でみると親の収入と子ども学力の関係は,恐ろしいほど
対応しています。






貧困家庭と年収1000万円以上の過程の子どもとの学力の差は,算数Aで約20点,国語Aでも16点もの
差があるのです。(注3)

貧困家庭のこどもは学力でも経済力でも大学などの高等教育を受ける機会を奪われ,それが職業や収入にも
影響を与えます。

このまま学力と経済力の格差が拡大すると,この子どもたちの子どもも同様の結果になる「貧困の連鎖」を生む可能性が
大いにあります。

他方で,富裕層には相続税を逃れる方法,海外への財産移転,その他の税逃れ方法がたくさんあり,この点は非常に不公平です
(『東京新聞』2014年9月27日,2014年12月31日)。

次に,全体の賃金が一貫して減少していることに加えて格差が拡大していることは,経済的にも社会的にも活性化を奪います。

経済的にみると,政府は社会保障をできるだけ削ろうとしていますが,むしろ,再配分によって貧しい世帯にできる限り手当
を厚くすべきです。

なぜなら,このような世帯では増えた所得のうち実際に消費に回す割合(限界消費性向)が非常に高いからです。

しかし,同じ1万円の所得増でも,富裕層にとってはほとんど意味がなく消費は増えません。現在の政府は,消費を増やそうと
していますが,多くの人は増やしたくても増やせないのが実情です。

少子化が日本の活力を奪っている現状を改善しなければならないのに,政府は企業の競争力を高めるために,賃金が低く
雇用が不安定な非正規雇用の増加を進めています。

社会的には,将来を担う若者世代の約4割が非正規雇用という現実のなかで,彼らは自分自身の将来に希望をもてないのに,
結婚して子供を生み育てようとするだろか。

社会福祉・社会保障の理念は,「支え合う」ことです。日本がこれから希望の持てる社会に変わってゆくためには,是非とも富と
所得の再配分を行う必要があります。

そのためには,ピケティが主張するように政府は,高額所得者への税の累進制を高め,企業への優遇措置を見直すなど,
できる限り富の社会的再配分を図るべきです。

政府は,社会保障の財源がないことを言いますが,一方で「国土強靭化法」により10年で200兆円もの公共(土木)事業を
行うことにしています。

政府は年金と社会保障費の増大が財政を圧迫するとの理由でこれらを削減していますが,年間10兆円の土木事業がどれほど
有効に働くかを真剣に考えるべきです。

いままで公共事業によって自民党の票田は確保されたかもしれませんが,経済が良くなり,一般の国民が豊かになったためしは
ありません。それより,この土木事業予算からできるだけ多くを社会保障に回す方が社会経済的には有効です。

「支え合う社会」の実現には,経済的な再配分だけでなく,むしろそのような価値観を国民が共有することの方が大切かも
知れません。

そうすれば,自ずと経済的な問題にも反映されるはずですから。

今こそ「奪い合う社会」から「支え合う社会」へ発想を転換することが,21世紀への正しい選択だと思います。



(注1)『東京新聞』2014年12月21日,朝刊8-9面は,さまざまな角度から格差問 題を図表とともに解説しています。
(注2)平均的な年収の半分以下の世帯の18歳以下の子供の割合で,日本の場合122万円が「貧困ライン」です。
(注3)(注2)と同じ。

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