不寛容の時代(1)―「文明の衝突」が現実化しつつあるのか?―
2015年1月の「シャルリ・エブド」襲撃事件以来、今年に入ってイスラム過激派によるテロは何件か発生してきました。
この間に欧米社会では、大きな変化がありました。移民(特にアラブ・イスラム系)にたいする排外主義的な機運が盛り上がりました。
フランス政府が呼びかけた抗議の行進には,フランス国内で370万人,欧州をはじめ,世界の約50か国の首脳・閣僚も加わり,パリ
以外の欧米都市を含めると500万人が行進に参加したと報じられました。
「シャルリ・エブド襲撃事件」をきっかけとして,フランスでは反イスラムと反移民を旗印とする極右政党NF(国民戦線」)がテロへの国民
的怒りに乗じて活発になりました。
また,ドイツでも「西欧のイスラム化に反対する愛国的な欧州人」(通称ベギータ)と類似団体が1月の事件の後,各地でイスラム集会を
行いました。
しかも不気味なことに「ベギータ」の動きはスペイン,ノルウェー,スイス,オーストリアでも活発化しました。
反イスラムの動きが活発化した背景には白人系ヨーロッパ人の貧困層の不満があります。
彼らはその原因の一部は移民労働者(特にイスラム圏からの)にあるとみなしています(注1)。
こうした背景もあって、11月13日に発生したパリの同時多発テロは、当のフランスだけでなく欧米各国に1月の事件より大きな衝撃を
与えました。
その理由の一つは、129人(最終的に130人となった)という犠牲者の多さでしたが、それ以上に、今回はIS「イスラム国」という従来
にない組織化された集団による襲撃だったからでした。
1月以来の「イスラム国」勢力の拡大に脅威を感じていた欧米諸国は有志国連合を結成し、空爆を含むISの討伐作戦を展開しています。
前回の記事で紹介した、ナビラ・レスマンさんは日本で、「武力では何も解決できません」「テロはよくないけれど、報復攻撃はもっと悪い」
「先進国は私たちの教育に援助してほしい」と発言しまいたが、日本や世界の反響は非常に小さく、ほとんど無視されました。
また、ナビラさんはアメリカの議会でも演説をしましたが、その時出席した議員は、わずかに5人だけ、という冷淡さでした。
恐らく、彼女と彼女の祖母がアメリカの無人機によって傷つけられ、殺されたからでしょう。
しかし、イスラム過激派によって傷つけられたマララ・ユスフさんは、先進諸国によって英雄視され、女性の教育権を主張して、2015年の
ノーベル平和賞を受賞しました。
このあまりにも露骨な欧米のダブル・スタンダードに、イスラム教徒は、我慢できない怒りを募らせているのですが、日本や欧米の人たち
は、そんなことには全く気が付かないようです。
こうして、一方の欧米国家からは、イスラム教徒=過激派、許すことはできない、という不信と不寛容がますます強くなってゆきます。
反対に、イスラム教徒からは、イスラム教とイスラム教徒に対する偏見と差別にたいして怒りを募らせてゆき、一部の突出した過激派が
「十字軍とその協力者」(日本も含む)にたいする不寛容を強めてきました。
予想されたように、パリの同時多発テロの後、フランス国内には、移民(特にアラブ・イスラム系移民)を排除せよ、というデモが行われ、
ここぞとばかり右翼政党からイスラムと移民排除のプロパガンダが始まりました。
同様の動きはフランスだけでなく、上に書いたように、今年1月の「シェルリ・ウブド」襲撃事件以来、ヨーロッパ全土で広がっていました。
そしてEU全体に、域内でビザなしの自由な移動を認めたシェンゲン協定を見直す機運が高まって、再び国境での入国審査を強化して
移民の流入を防ごうとする動きがでています。
今回のパリでのテロを受けてオランド大統領が争状態!」と叫んだ姿は、「9・11」直後に、ブッシュ大統領が、西部劇のヒーロー気取り
で「かかってこい!」と見栄をきった姿と重なって見えます(赤川次郎氏のコメント 『東京新聞』2015年11月22日)。
そういえば、ブッシュ大統領は、自分たちを「十字軍」に例えたこともありました。
そして、今回のパリでの同時多発テロの犯行声明でも、フランス人や有志国連合を「十字軍ども」という言葉を何度も使われています。
イギリスの『ファイナンシャル・タイムス』(2015年11月17日)は、『パリ攻撃で「文明の衝突」再び 変容する穏健国』」と題するコラムで、
最近のイスラム対非イスラムの対立が激化してきており、それは「文明の衝突」なのか、という刺激的な記事を掲載しています。
それによると、アメリカにおいても反イスラム主義的な発言が増えており、大統領選指名争いの共和党候補の間では当たり前になって
いること、ドナルド・トランプ氏は、米国への入国を認められたシリア難民は皆、強制送還すべきだと語っています。
さらに、こうした反イスラムの動きは、欧米だけでなく、インドではナレンドラ・モディ首相自身も反イスラムの姿勢を鮮明にしています。
また、彼が率いるヒンズー民族主義政党・インド人民党(BJP)のメンバーが反世俗、反イスラムの発言を強めており、そのメンバーは
牛の肉を食べたという理由で、イスラム教徒のリンチをおこなうなど、反イスラムの動きが活発化しています。
こうした一連の動きは、かつて世界中で話題となった、サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」を思い起こさせます(注2)。
これは米ソの対立がもたらす冷戦に代わって「西欧対非西欧(とくにイスラム)」が世界の主要な対立軸になる、という考え方です。
西欧の政治指導者はこれまで、一応、「文明の衝突」という考え方を拒否してきました。というのも、多数のイスラム教徒を受け入れて
きたヨーロッパ諸国では、国内で深刻な衝突が起こることなく共存してきたからです。
今や欧米社会は,政治・経済・社会・文化の全ての面で異なる要素を受け入れる寛容性を失いつつあると,いうことになると思います。
しかし、こうした状況をもって安易に「文明の衝突」というのは、適切ではありません。
なぜなら、対立の実態を詳しく見ると、そこには宗教や文明の違いに名を借りた、他の利害関係が存在することがほとんどだからです。
さらに、西欧世界とイスラム世界、またヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間には対立もあったけれど共存してきた長い歴史もあるから
です。
ただし、近年、かつては多文化主義を標榜していた国も、次第に不寛容を失いつつあるように見えます。
これは、それだけ状況が厳しく余裕をうしなっていることと関係があると思われます。
次回は、多文化主義がどうなっているのかを、さまざまな立場から検討したいと思います。
(注1)この事件に関しては、本ブログ2015年5月8日「ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か―」で既に書いてあります。
(注2)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO94104430X11C15A1000000/. この『ファイナンシャル・タイムス』の記事は、日経デジタル 20115年11月18日に翻訳され、掲載されています。
(注3)http://www.asiapress.org/apn/archives/2015/11/15013254.php
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刈り取った稲を、「はざ架け」して干します。
収穫した稲穂を、江戸時代から使われた「せんばごき」を借りて、手作業で脱穀しました。とても、大変な作業です。
2015年1月の「シャルリ・エブド」襲撃事件以来、今年に入ってイスラム過激派によるテロは何件か発生してきました。
この間に欧米社会では、大きな変化がありました。移民(特にアラブ・イスラム系)にたいする排外主義的な機運が盛り上がりました。
フランス政府が呼びかけた抗議の行進には,フランス国内で370万人,欧州をはじめ,世界の約50か国の首脳・閣僚も加わり,パリ
以外の欧米都市を含めると500万人が行進に参加したと報じられました。
「シャルリ・エブド襲撃事件」をきっかけとして,フランスでは反イスラムと反移民を旗印とする極右政党NF(国民戦線」)がテロへの国民
的怒りに乗じて活発になりました。
また,ドイツでも「西欧のイスラム化に反対する愛国的な欧州人」(通称ベギータ)と類似団体が1月の事件の後,各地でイスラム集会を
行いました。
しかも不気味なことに「ベギータ」の動きはスペイン,ノルウェー,スイス,オーストリアでも活発化しました。
反イスラムの動きが活発化した背景には白人系ヨーロッパ人の貧困層の不満があります。
彼らはその原因の一部は移民労働者(特にイスラム圏からの)にあるとみなしています(注1)。
こうした背景もあって、11月13日に発生したパリの同時多発テロは、当のフランスだけでなく欧米各国に1月の事件より大きな衝撃を
与えました。
その理由の一つは、129人(最終的に130人となった)という犠牲者の多さでしたが、それ以上に、今回はIS「イスラム国」という従来
にない組織化された集団による襲撃だったからでした。
1月以来の「イスラム国」勢力の拡大に脅威を感じていた欧米諸国は有志国連合を結成し、空爆を含むISの討伐作戦を展開しています。
前回の記事で紹介した、ナビラ・レスマンさんは日本で、「武力では何も解決できません」「テロはよくないけれど、報復攻撃はもっと悪い」
「先進国は私たちの教育に援助してほしい」と発言しまいたが、日本や世界の反響は非常に小さく、ほとんど無視されました。
また、ナビラさんはアメリカの議会でも演説をしましたが、その時出席した議員は、わずかに5人だけ、という冷淡さでした。
恐らく、彼女と彼女の祖母がアメリカの無人機によって傷つけられ、殺されたからでしょう。
しかし、イスラム過激派によって傷つけられたマララ・ユスフさんは、先進諸国によって英雄視され、女性の教育権を主張して、2015年の
ノーベル平和賞を受賞しました。
このあまりにも露骨な欧米のダブル・スタンダードに、イスラム教徒は、我慢できない怒りを募らせているのですが、日本や欧米の人たち
は、そんなことには全く気が付かないようです。
こうして、一方の欧米国家からは、イスラム教徒=過激派、許すことはできない、という不信と不寛容がますます強くなってゆきます。
反対に、イスラム教徒からは、イスラム教とイスラム教徒に対する偏見と差別にたいして怒りを募らせてゆき、一部の突出した過激派が
「十字軍とその協力者」(日本も含む)にたいする不寛容を強めてきました。
予想されたように、パリの同時多発テロの後、フランス国内には、移民(特にアラブ・イスラム系移民)を排除せよ、というデモが行われ、
ここぞとばかり右翼政党からイスラムと移民排除のプロパガンダが始まりました。
同様の動きはフランスだけでなく、上に書いたように、今年1月の「シェルリ・ウブド」襲撃事件以来、ヨーロッパ全土で広がっていました。
そしてEU全体に、域内でビザなしの自由な移動を認めたシェンゲン協定を見直す機運が高まって、再び国境での入国審査を強化して
移民の流入を防ごうとする動きがでています。
今回のパリでのテロを受けてオランド大統領が争状態!」と叫んだ姿は、「9・11」直後に、ブッシュ大統領が、西部劇のヒーロー気取り
で「かかってこい!」と見栄をきった姿と重なって見えます(赤川次郎氏のコメント 『東京新聞』2015年11月22日)。
そういえば、ブッシュ大統領は、自分たちを「十字軍」に例えたこともありました。
そして、今回のパリでの同時多発テロの犯行声明でも、フランス人や有志国連合を「十字軍ども」という言葉を何度も使われています。
イギリスの『ファイナンシャル・タイムス』(2015年11月17日)は、『パリ攻撃で「文明の衝突」再び 変容する穏健国』」と題するコラムで、
最近のイスラム対非イスラムの対立が激化してきており、それは「文明の衝突」なのか、という刺激的な記事を掲載しています。
それによると、アメリカにおいても反イスラム主義的な発言が増えており、大統領選指名争いの共和党候補の間では当たり前になって
いること、ドナルド・トランプ氏は、米国への入国を認められたシリア難民は皆、強制送還すべきだと語っています。
さらに、こうした反イスラムの動きは、欧米だけでなく、インドではナレンドラ・モディ首相自身も反イスラムの姿勢を鮮明にしています。
また、彼が率いるヒンズー民族主義政党・インド人民党(BJP)のメンバーが反世俗、反イスラムの発言を強めており、そのメンバーは
牛の肉を食べたという理由で、イスラム教徒のリンチをおこなうなど、反イスラムの動きが活発化しています。
こうした一連の動きは、かつて世界中で話題となった、サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」を思い起こさせます(注2)。
これは米ソの対立がもたらす冷戦に代わって「西欧対非西欧(とくにイスラム)」が世界の主要な対立軸になる、という考え方です。
西欧の政治指導者はこれまで、一応、「文明の衝突」という考え方を拒否してきました。というのも、多数のイスラム教徒を受け入れて
きたヨーロッパ諸国では、国内で深刻な衝突が起こることなく共存してきたからです。
今や欧米社会は,政治・経済・社会・文化の全ての面で異なる要素を受け入れる寛容性を失いつつあると,いうことになると思います。
しかし、こうした状況をもって安易に「文明の衝突」というのは、適切ではありません。
なぜなら、対立の実態を詳しく見ると、そこには宗教や文明の違いに名を借りた、他の利害関係が存在することがほとんどだからです。
さらに、西欧世界とイスラム世界、またヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間には対立もあったけれど共存してきた長い歴史もあるから
です。
ただし、近年、かつては多文化主義を標榜していた国も、次第に不寛容を失いつつあるように見えます。
これは、それだけ状況が厳しく余裕をうしなっていることと関係があると思われます。
次回は、多文化主義がどうなっているのかを、さまざまな立場から検討したいと思います。
(注1)この事件に関しては、本ブログ2015年5月8日「ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か―」で既に書いてあります。
(注2)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO94104430X11C15A1000000/. この『ファイナンシャル・タイムス』の記事は、日経デジタル 20115年11月18日に翻訳され、掲載されています。
(注3)http://www.asiapress.org/apn/archives/2015/11/15013254.php
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刈り取った稲を、「はざ架け」して干します。
収穫した稲穂を、江戸時代から使われた「せんばごき」を借りて、手作業で脱穀しました。とても、大変な作業です。