大木昌の雑記帳

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不寛容の時代(1)―「文明の衝突」が現実化しつつあるのか?―

2015-11-25 08:28:57 | 国際問題
不寛容の時代(1)―「文明の衝突」が現実化しつつあるのか?―

2015年1月の「シャルリ・エブド」襲撃事件以来、今年に入ってイスラム過激派によるテロは何件か発生してきました。

この間に欧米社会では、大きな変化がありました。移民(特にアラブ・イスラム系)にたいする排外主義的な機運が盛り上がりました。

フランス政府が呼びかけた抗議の行進には,フランス国内で370万人,欧州をはじめ,世界の約50か国の首脳・閣僚も加わり,パリ
以外の欧米都市を含めると500万人が行進に参加したと報じられました。

「シャルリ・エブド襲撃事件」をきっかけとして,フランスでは反イスラムと反移民を旗印とする極右政党NF(国民戦線」)がテロへの国民
的怒りに乗じて活発になりました。

また,ドイツでも「西欧のイスラム化に反対する愛国的な欧州人」(通称ベギータ)と類似団体が1月の事件の後,各地でイスラム集会を
行いました。

しかも不気味なことに「ベギータ」の動きはスペイン,ノルウェー,スイス,オーストリアでも活発化しました。

反イスラムの動きが活発化した背景には白人系ヨーロッパ人の貧困層の不満があります。

彼らはその原因の一部は移民労働者(特にイスラム圏からの)にあるとみなしています(注1)。

こうした背景もあって、11月13日に発生したパリの同時多発テロは、当のフランスだけでなく欧米各国に1月の事件より大きな衝撃を
与えました。

その理由の一つは、129人(最終的に130人となった)という犠牲者の多さでしたが、それ以上に、今回はIS「イスラム国」という従来
にない組織化された集団による襲撃だったからでした。

1月以来の「イスラム国」勢力の拡大に脅威を感じていた欧米諸国は有志国連合を結成し、空爆を含むISの討伐作戦を展開しています。

前回の記事で紹介した、ナビラ・レスマンさんは日本で、「武力では何も解決できません」「テロはよくないけれど、報復攻撃はもっと悪い」
「先進国は私たちの教育に援助してほしい」と発言しまいたが、日本や世界の反響は非常に小さく、ほとんど無視されました。

また、ナビラさんはアメリカの議会でも演説をしましたが、その時出席した議員は、わずかに5人だけ、という冷淡さでした。

恐らく、彼女と彼女の祖母がアメリカの無人機によって傷つけられ、殺されたからでしょう。

しかし、イスラム過激派によって傷つけられたマララ・ユスフさんは、先進諸国によって英雄視され、女性の教育権を主張して、2015年の
ノーベル平和賞を受賞しました。

このあまりにも露骨な欧米のダブル・スタンダードに、イスラム教徒は、我慢できない怒りを募らせているのですが、日本や欧米の人たち
は、そんなことには全く気が付かないようです。

こうして、一方の欧米国家からは、イスラム教徒=過激派、許すことはできない、という不信と不寛容がますます強くなってゆきます。

反対に、イスラム教徒からは、イスラム教とイスラム教徒に対する偏見と差別にたいして怒りを募らせてゆき、一部の突出した過激派が
「十字軍とその協力者」(日本も含む)にたいする不寛容を強めてきました。

予想されたように、パリの同時多発テロの後、フランス国内には、移民(特にアラブ・イスラム系移民)を排除せよ、というデモが行われ、
ここぞとばかり右翼政党からイスラムと移民排除のプロパガンダが始まりました。

同様の動きはフランスだけでなく、上に書いたように、今年1月の「シェルリ・ウブド」襲撃事件以来、ヨーロッパ全土で広がっていました。

そしてEU全体に、域内でビザなしの自由な移動を認めたシェンゲン協定を見直す機運が高まって、再び国境での入国審査を強化して
移民の流入を防ごうとする動きがでています。

今回のパリでのテロを受けてオランド大統領が争状態!」と叫んだ姿は、「9・11」直後に、ブッシュ大統領が、西部劇のヒーロー気取り
で「かかってこい!」と見栄をきった姿と重なって見えます(赤川次郎氏のコメント 『東京新聞』2015年11月22日)。

そういえば、ブッシュ大統領は、自分たちを「十字軍」に例えたこともありました。

そして、今回のパリでの同時多発テロの犯行声明でも、フランス人や有志国連合を「十字軍ども」という言葉を何度も使われています。

イギリスの『ファイナンシャル・タイムス』(2015年11月17日)は、『パリ攻撃で「文明の衝突」再び 変容する穏健国』」と題するコラムで、
最近のイスラム対非イスラムの対立が激化してきており、それは「文明の衝突」なのか、という刺激的な記事を掲載しています。

それによると、アメリカにおいても反イスラム主義的な発言が増えており、大統領選指名争いの共和党候補の間では当たり前になって
いること、ドナルド・トランプ氏は、米国への入国を認められたシリア難民は皆、強制送還すべきだと語っています。

さらに、こうした反イスラムの動きは、欧米だけでなく、インドではナレンドラ・モディ首相自身も反イスラムの姿勢を鮮明にしています。

また、彼が率いるヒンズー民族主義政党・インド人民党(BJP)のメンバーが反世俗、反イスラムの発言を強めており、そのメンバーは
牛の肉を食べたという理由で、イスラム教徒のリンチをおこなうなど、反イスラムの動きが活発化しています。

こうした一連の動きは、かつて世界中で話題となった、サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」を思い起こさせます(注2)。

これは米ソの対立がもたらす冷戦に代わって「西欧対非西欧(とくにイスラム)」が世界の主要な対立軸になる、という考え方です。

西欧の政治指導者はこれまで、一応、「文明の衝突」という考え方を拒否してきました。というのも、多数のイスラム教徒を受け入れて
きたヨーロッパ諸国では、国内で深刻な衝突が起こることなく共存してきたからです。

今や欧米社会は,政治・経済・社会・文化の全ての面で異なる要素を受け入れる寛容性を失いつつあると,いうことになると思います。

しかし、こうした状況をもって安易に「文明の衝突」というのは、適切ではありません。

なぜなら、対立の実態を詳しく見ると、そこには宗教や文明の違いに名を借りた、他の利害関係が存在することがほとんどだからです。

さらに、西欧世界とイスラム世界、またヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間には対立もあったけれど共存してきた長い歴史もあるから
です。

ただし、近年、かつては多文化主義を標榜していた国も、次第に不寛容を失いつつあるように見えます。

これは、それだけ状況が厳しく余裕をうしなっていることと関係があると思われます。

次回は、多文化主義がどうなっているのかを、さまざまな立場から検討したいと思います。

(注1)この事件に関しては、本ブログ2015年5月8日「ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か―」で既に書いてあります。
(注2)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO94104430X11C15A1000000/. この『ファイナンシャル・タイムス』の記事は、日経デジタル 20115年11月18日に翻訳され、掲載されています。
(注3)http://www.asiapress.org/apn/archives/2015/11/15013254.php
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刈り取った稲を、「はざ架け」して干します。



収穫した稲穂を、江戸時代から使われた「せんばごき」を借りて、手作業で脱穀しました。とても、大変な作業です。

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パリ同時多発テロ―検証:「9・11」と報復の連鎖の帰結を教訓として―

2015-11-19 07:10:54 | 国際問題
パリ同時多発テロ―検証:「9・11」と報復の連鎖の帰結を教訓として―

2015年13日夜(日本時間14日早朝)、パリ市内で同時多発的に銃撃と自爆事件が起こり、129人が犠牲となりました。

事件の後「イスラム国=IS」は、今回の事件は、フランスが9月以来、シリアのIS領内への爆撃を開始したことにたいする報復である、
と犯行声明を出しました。

フランスのオランド大統領は、今回のテロはISによって、シリアで計画され、ベルギーで組織され、フランスのパリで8人の実行された、
と発表しました。

大統領は、「ISを打倒する」「これは戦争だ」と宣言し、国内のイスラム過激派の徹底的な尋問や拘束をはじめる一方、他方で15日に
は、フランス空軍は戦闘機10機を含む12機でシリア東部にある「イスラム国」の拠点を空爆し、弾薬庫や訓練施設に大型爆弾20発を
投下しました。

もちろん、この際、民間人の生命にかんしては考慮していないようです。

私は、今回のテロが、一般市民をターゲットにしている点で、絶対に許すことのできない「犯罪」であり、ISのテロは言語道断だと思います。

そして、129人もの市民が犠牲になれば、怒りの激情に駆られて、武力による報復を行うことも心情としては理解できます。

パリの事件直後の15日、トルコで開催されたG20では、イスラム過激派によるテロ対策として国際社会は一致してテロ対策を考えるべき
であるとの認識で一致し共同声明を出しました。

ここで「テロ対策」には、空爆のような武力による制圧が含まれます。

当面は、テロ組織の制圧に力を入れることは必要かもしれませんが、フランスは武力による報復が、果たしてテロの根絶をもたらすのかを
冷静に考える必要があります。

テロに武力的な報復を加える報復の連鎖が何をもたらすかを、2001年「9・11」同時多発テロとそれに対するアメリカの報復攻撃の結果を
検証してみましょう。

「9・11」の後、ブッシュ大統領は、直ちに「テロとの戦い」を宣言し、事件の首謀者がアルカイダのウサマ・ビン・ラーディンであるとし、翌月
には、彼が潜んでいると見なしたアフガニスタンとパキスタンへの爆撃を開始しました。

最終的に、ウサマ・ビン・ラーディンの居場所を突き止めた現地のスパイが、その家の敷地に発信器を投げ入れ、その電波を受けた無人の
攻撃機がロケット弾を撃ち込んで2011年5月彼を殺害しました。

アメリカは、あらゆる近代兵器を投入し、多数の現地人スパイを動員して、ウサマ・ビン・ラディンという、たった一人の人物を殺害するのに
10年もかかったのです。

また、ビン・ラディンを追いかけている間も、彼を殺した後も、アメリカはアルカイダおよび、ビン・ラディンかくまっていると思われるタリバ―ン
勢力の一掃をも目指してアフガニスタンおよびパキスタンで爆撃をし続け、現在に至っています。

しかし、この間に、多数の一般市民が「誤爆」によって殺されています。それでも、アフガニスタンの平和は一向に達成の見込みが立ってい
ません。

今年の11月に来日したパキスタンの少女(ナビラ・レスマン 11歳)さんは、2012年にイスラム過激派をアメリカの無人機から発射された
ロケット弾により自身も怪我を負い、目の前で祖母を殺されました。

国連の調査によれば、アメリカの無人機による爆撃で、パキスタンだけでこれまで市民や子どもが少なくても400人は亡くなったとされています。

そのナビラさんはシンポジウムで、「武力では何も解決できません」「テロはよくないけれど、報復攻撃はもっと悪い」「先進国は私たちの教育に
援助してほしい」と訴えました。

以上が、9・11以降、アメリカの9・11同時多発テロに対する報復攻撃がもたらした帰結です。

結局、「9.11」とそれに対するアメリカの報復の連鎖が何も解決をもたらさなかったことが分かります。

ここで、「9・11」が起きた直後の衝撃を、アラブ・イスラム世界がどのように反応したかをみてみましょう。

この時の状況を、『東京新聞』(2015年11月16日)は「9・11からパリ・テロへ」と題する社説で次のように書いています。
    9・11テロのあった日、アラブ・イスラム世界の一大中心都市エジプトのカイロはどうだったか。電話で中産階級の知識人に聞くとこう
    でした。<街路は喜びに満ちている。アメリカに一撃をくれてやったということだ。アメリカはイスラエルを助けパレスチナ人を苦しめて
    いる。鬱憤が晴れたということさ>。
    アメリカの悲鳴と怒り、欧米社会のテロ非難とは裏腹にアラブ・イスラム世界の網の目のような無数の街路は暗い歓喜に満たされて
    いたのです。

実は、私も同じような声を聞きました。9・11の1週間後、私はオーストラリアにいました。

私が乗ったタクシーの運転手(中東からの移民)に、9・11のことを聞いたところ、彼はとてもうれしそうに「あれは、アメリカにとって良い教育
(good teaching)となるだろう」、と答えました。

テロを受けた側からみると、テロは憎むべき残虐行為ですが、アラブ世界からするとテロは「聖戦」なのです。

恐らく今回のパリの同時多発テロに対して感想を問われれば、多くのイスラム教徒は、多数の民間人を殺傷したことは良くない、大部分のイス
ラム教徒は平和な生活を望んでいる、と答えるでしょう。

事実、パリ在住のアラブ系住民へのインタビューでそのように答えていました。

しかし、もう一つの感情として、自分たちを差別し無視し続けている西欧世界に対する鬱屈した感情があることも確かです。

たとえば、アメリカがアフガニスタンやイラクで数十万人の民間人を殺しているのに、それは非難されなくていいのか、という疑念は恐らく大部
分のイスラム教徒の心の奥底にあると思われます。

フランスをはじめアメリカ、イギリスは「IS憎し」の感情からイラク・シリア領内のIS支配への空爆を繰り返していますが、ここでも確実に一般市
民の犠牲者がでるでしょう。

報復爆撃で殺された人たちの家族や友人・知人はフランスに対する憎悪を募らせることでしょう。ここでまた、復讐に参加する若者が生みださ
れるという悪循環が繰り返され、テロの問題を解決することはできません。

他方、フランスは国内に500万人近いアラブ系住民を抱えています。たとえシリア・イラクのISの拠点を全て破壊したとしても、フランスだけで
なく、ベルギーその他のヨーロッパ諸国、中東・アフリカのイスラム教徒たちから恨みをかうことになれば、今回のようなテロが再び起こる可能
性は十分にあります。

もし、本気でテロを根絶しようとするなら、アラブ・イスラム系住民やイスラム教にたいする偏見を止め(注1)、彼らの貧困問題に真剣に取り組
み、職業や教育においもフランス人と同様の配慮をすべきでしょう。

フランスがアラブ系住民の移民を受け入れてきたのは、かつて中東やフリリカで植民地支配を行ったという経緯があるからです。

したがって、こうした異文化社会の住民との平和的な共存に努力することは、フランスの責任でもあります。

ある西欧の旅行者が中東を訪れたとき、現地の人から「自分たちが一番つらいのは無視されていることです」と言われたそうですが、この言葉
が、いまだに私の心に突き刺さっています。
 
西欧社会も多くの日本人も、果たしてイスラム教やアラブ世界にたいしてどれほど関心をもち、正しく理解し、尊敬を払っているでしょうか?

私たちが、いかにアラブ・イスラム系の人たちを無視しているかは、たとえば、パリのテロ事件の前日、12日にベイルートでの自爆テロで、死者
43人、負傷者200人以上出した自爆テロが起きました。これも、ISが犯行声明を出した点は、パリのテロと同じです。

しかし、パリの場合、西欧諸国も日本もこぞって哀悼の意を捧げ、G20では特別声明まで出したのに、ベイルートの事件は、ほとんど無視され
ています。

これらの国にとって、白人が死ねば大事件なのに、それ以外の人々については非常に冷淡です。

西欧社会も日本人も、それが当たり前のようになってしまっていることが問題です。

「無視されることが一番つらい」という言葉の背後には、こうした西欧社会の人種差別、宗教的偏見にたいするアラブ・イスラム系の人々の根強い
不信感と怒りがあるのです。

これは決して他人事ではなく、私自身の自戒も込めて、日本人も反省すべき問題だとおもいます。

(注1)たとえば2015年1月7日の『シャルリー・エブド』誌のムハンマドの風刺画は、イスラム教徒にとっては明らかにイスラムを揶揄するものだと受け
    取られたのです。この事件に関しては、本ブログの2015年5月8日の記事「ムハンマドの風刺画展―言論の自由か冒涜か」で詳しく書いています。

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遺伝子組換え企業・モンサント(4)―英チャールズ皇太子の深い疑念と批判―

2015-11-13 22:57:03 | 食と農
遺伝子組換え企業・モンサント(4)―英チャールズ皇太子の深い疑念と批判―

日本では意外と知られていないことですが、イギリスのチャールズ皇太子は、自然保護主義者であり有機農業の実践者でもあります。

皇太子がイギリスの『デイリー・テレグラム』に投稿した「災厄の火種」(原題は Seeds of Disaster)と題する記事を、『エコロジスト』誌
は、「その論説の奥行きの深さに感動し」、同誌編『遺伝子組換え企業の脅威―モンサント・ファイル 増補版』(緑風出版、2012)の巻
頭論文として掲載しました。

チャールズ皇太子が有機農業を始めたのは、人間の野心に対して自然の限界があることを認め、農業は自然と調和して進められる
べきだ、と考えたからでした。

10年以上にわたる経験から、有機農業システムは経済的に可能であり、環境的・社会的利益をもたらしていること、そして最も重要
なことは、有機農業が消費者に食品の選択肢を増やすことを確信したという。

ところが、大規模農業における遺伝子組換え技術の発展は、人々の食べ物について基本的な選択肢を奪っており、食べ物や環境の
未来にたいして重大な問題を提起している、と危惧しています。

なお新技術とは、前回も紹介したように、植物、バクテリア、ウィルス、動物や魚からとった遺伝子を別の種(植物)に組み込むことです。

チャールズ皇太子は、「私たちは、生命を組み立てているブロックを用いて実験したり商品化する権利があるのだろうか」「このような
遺伝子組換え技術によって人類は神にしか扱えない領域に踏み込むことになる」と、宗教的、倫理的観点からも批判しています。

さらに、人類は遺伝子組換え植物が自然界に放出されることによる人間の健康や広範囲に及ぶ環境への長期的影響を、私たちは分
かっていないことも重大な問題として指摘しています。

たとえば、狂牛病のように生物への人為的な介入によって、まったく予期しない病気が発生する可能性は常にあります。

病気の問題を別にしても、遺伝子組換え作物についてはまだまだ問題が山積みです。

たとえば、過去に起きた農業災害を考えてみると、一種類の作物に過剰に依存していることから生じているし、実際、遺伝子組換え
作物は、大豆なら一種類の組換え品種大豆だけを残してあとは栽培しないような状況を作りやすい。

チャールズ皇太子は、今後10年以内に、世界中の主要産物である大豆、ナタネ、麦、米の生産において、そのような事態がくるだ
ろう、と説明しています。

だから、消費者の力で阻止しない限り、実質的には数種類の遺伝子組換え品種だけになることは、ほぼ間違いない、と危惧してい
ます。そうなると、消費者にとって、食べ物の選択肢が制限されて今います。

チャールズ皇太子が有機農業を重視する一つの理由は、それが消費者に選択の幅を広げるからです。

さらに、正しく栽培すれば、有機農業により現在2~3倍も生産量を上げることができ、有機農業は生産性が低いとは言えないと主
張します。

環境の面では、動物や魚の遺伝子をも組み込んだ奇形の植物種子や花粉が自然界に放たれてしまった場合、その汚染問題をどの
ように解決するのか、また誰がその費用を負担するのかもまったく目途が立っていません。

最後に、チャールズ皇太子は、「いったい私たちは遺伝子組み換え技術を使う必要があるのだろうか?」「私たちが本当になすべき
ことなのかどうか問い直さずに、技術的に可能かどうかだけを立証するためだけにあらゆる努力をするというところに・・・危険がある
」と、非常に重要な指摘をしています。

つまり、現在の遺伝子組換え作物の開発は、それが技術的に可能かどうかを重要視し、それが本当に必用かどうかを真剣に問うこ
とはありません。

この点については後の再びふれますが、その前に、チャールズ皇太子が問題にしている点を書いておきます。

それは、遺伝子組換え食品の分別表示が不可能であるとか不用だとかいう議論を受け入れることができない、という問題です。

現在、アメリカではたった一つの州を除いて遺伝子組換え食品であるかどうかを分別表示することは法律で禁じています。

モンサントはアメリカ政府と一体になって、同じことを、彼らの種子を使用したり、遺伝子組換え食品を買う国に求めます。TPPが妥結
した時、当然、日本にも求めてきます。

しかし、遺伝子組換え食品とそうでない食品とをはっきりと区分して、その選択を消費者に任せるべきだ、というのがチャールズ皇太
子の主張です。

遺伝子組換え技術とその作物栽培に対するこうした危惧や批判を「気分のエコ」として、もっと客観的、科学的な評価をすべきであると
いう主張もあります。

その一人、松永和紀氏の見解を見てみましょう(注1)。

松永氏は、遺伝子組換えのトウモロコシの事例を挙げています。この組換えトウモロコシは、通常のトウモロコシではアワノメイガという
虫の幼虫が芯まで入り、大きな被害を受けていますが、組換えトウモロコシでは、虫が食べると死んでしまう遺伝子(虫害耐性遺伝子)
を組み込んであるので、食害を受けないことを紹介しています。

しかも、遺伝子組換え作物に対する批判として、健康上の問題がしばしば指摘されますが、これにたいして松永氏は次のように反論します。

つまり、組み込まれた遺伝子は虫を殺す蛋白質を作りますが、これはヒトや哺乳類の場合消化液で分解されてしまうので、結局は無害で
あると考えられる、というものです。

確かに、虫にとって毒物である物質をつくる遺伝子は蛋白質でできており、また、食用になる部分にも、その遺伝子が作った蛋白質は含ま
れますが、一般的にはヒトの消化液は蛋白質を分解できるとされています。

しかし、狂牛病などで知られているように、プリオンと呼ばれる蛋白質は、煮ても焼いても体内で分解することはありません。そして、恐ろし
い病気を発生させているのです。

現段階では、ある健康障害と遺伝子組換え作物との因果関係は証明されていなくても、遺伝子組換えによる奇形の植物がどのような突然
変異を起こすか分かっていません。

松永氏は、ネズミの実験では3世代まで遺伝子組み換えの餌で育てたけれど、なんら異常は現れなかった、だから組み込まれた遺伝子が
遺伝的に将来の生物に影響を与えることはない、としています。

しかし、ネズミで大丈夫だから人間にも大丈夫だということにはなりません。

次に、遺伝子組換えの作物は、作物を食い荒らす虫を殺してくれますが、他方、それらの虫をエサにしていた鳥類なども生息できなくなり、
こうして、長期的には生態系を変えてしまう可能性があります。

しかも、組み込まれた遺伝子に耐性をもつ虫が現れることも十分あります。これは長い時間がたたなければ分からないことです。

また、除草剤耐性遺伝子を組み込んだ作物の場合、ラウンドアップとセットになっているので、前の記事で書いたように、ラウンドアップ
そのものがもたらす健康上の問題があります。

さらに松永氏は、このタイプの遺伝子組換え作物の場合、雑草対策として土を耕す必要がないため、土壌の流出・浸食が減った事例を
挙げています。

というのも、耕すことによって肥沃な土が表面に出て風で飛ばされたり水に流されて失われるからだ、というのです。

しかし、インドの事例では、ラウンドアップの使用により雑草もなくなり、混植作物もなくなるので、土壌保全ではなく土壌浸食を造り出し
ています。

松永氏の議論は、農業を効率的に行うためには遺伝子組換えという科学技術を積極的に活用すべきである、という立場です。

ここでもう一度、チャールズ皇太子の根本的な疑問に戻ってみましょう。

チャールズ皇太子は「このような遺伝子組換え技術によって人類は神にしか扱えない領域に踏み込むことになる」と、宗教的・倫理的
な疑問を提起しています。

私は、科学技術がどれほどの利益をもたそうが、それはあくまでも宗教的とは言わないまでの、少なくとも倫理的な配慮は必要だと思
います。

これは、核分裂が巨大なエネルギーをもたらすことと、それをもとに原爆を造り出すことが倫理的に許されない、という議論と同じです。




(注1)松永和紀『食の安全と環境:「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社 「地球と人間の環境を考える11、2010」

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遺伝子組換え企業・モンサント(3)―生物特許と生物多様性侵害という問題―

2015-11-07 09:27:06 | 食と農
遺伝子組換え企業・モンサント(3)―生物特許と生物多様性侵害という問題―

遺伝子組換え(GM)技術が、モンサントが主張するように、無害で荒れ地をたちまち豊かな耕地に換え、しかも殺虫剤も要らない「夢の技術」
であり、それによって世界の食糧不足と飢餓の問題を救うことができるのだとしたら、それは歓迎すべきことです。

しかし、前回みたように、モンサントのGM作物は除草剤ラウンドアップという、それ自身がすでに有害な化学物質とセットになっています。

このため、ラウンドアップとGM作物の毒性が二重に人体に健康被害をもたらします。

それにもかかわらず、GM作物の栽培面積は、その商業栽培が始まった1996から現在まで激増しています。

すなわち、1996年のGM作物の栽培面積には170万ヘクタールであったものが、2013年現在、27カ国におよび、面積は1.75億ヘクタ
ール、103倍に拡大したのです。

ちなみに、日本の全耕地面積は約460万ヘクタールですから、その38倍にも達しています。

栽培面積の大部分はアメリカで、7010万ヘクタール(全体の40%)、次いでブラジル、アルゼンチン、カナダ、アジアではインドと中国が
GM作物の商業栽培を行っています。

この記事の第一回目でも書いたように、日本も、大豆、ジャガイモ、トウモロコシ、ナタネのGM作物の商業栽培は認められていますが、
現在のところ、おそらく消費者から不人気を想定して、実際に栽培している生産者はいません。(注1)

ところで、モンサントのGM作物栽培が、これほど急激に広まった背景には生命に対する特許制度と裁判、政治的介入、御用学者によ
る科学をねじまげるさまざまな手法があります。

今回は、生命特許という問題を中心に書いておきます。

モンサントは一方で、GM作物は、在来種と厳密に同じ性質をもつものだから、試験は必要ない、と主張しています。

これには少し説明が必要です。モンサントは、遺伝子組換えが人体に悪影響を及ぼすのではないか、という世間の懸念を取り除くため
に、たとえ遺伝子組換えをしても、それは生物としては普通の作物と全く同じなのだから、その影響を試験する必要はない、と主張して
いるのです。

これは、アメリカにおいて、農産物に「遺伝子組換え」であることの表示を(一つの州を除いて)法律で禁止しているときに使う論法です。

ところが、他方で、これとは全く逆に、GM作物は独自の創造物であり、特許に値するとの主張をし、特許を申請しました。

これは、非常に奇妙な論理です。つまり、遺伝子組換え大豆は、通常の大豆と全く同じであると同時に、独自の創造物である、という
完全に矛盾する主張をしていることになります。

しかも、その誰が見てもあり得ない矛盾が、アメリカでは認知され合法とされているのです。TPPが妥結すると日本にも同様の要請を
してくると思われます。

アメリカの特許法(1951年)では、特許は産業にかかわる機械と手続きのみを対象とするもので、いかなる場合にも生物(したがって
植物も)対象とするものではない、とされていました。

この原則は、1970年代にはしっかり守られていました。しかし、1980年、事態は一変します。この年アメリカの最高裁判所が、遺伝子
組換えが施された微生物への特許を認めたのです。

その論旨は、「人間が手を加えたものは、それがどのようなものであっても特許の対象となる」というものです。

この時は、遺伝子組換えにより石油を分解するバクテリアが特許の対象でしたが、その後、植物(1988年)、人間の胎芽!(2000年)
も特許が認められました。

現在、アメリカの特許局は年間七万件の特許を承認していますが、その20%は植物関連です。

1980年の判決以来、モンサントも猛然と植物関連の特許(必ずしも遺伝子組換えだけではない)を目指して研究開発を始めます。そし
てモンサントは、2005年までに647件の植物関連の特許を獲得しています。

アメリカは、生命体を、機械と同じような生産物と見なし、新たな「商品」として売り出すことを法律的に認めているのです。

これは、植物に昆虫などの動物の遺伝子を組み込む、という人間がしてはいけない手法を用いていることは生命倫理にたいする重大
な侵害です。

モンサントは、「1ドルたりとも利益を逃すな」をモットーとしていますが、利益になることなら何でもする、という企業体質をもっています。

ところで、モンサントが推進している遺伝子組換え作物には、まだまだ多くの問題があります。

ランドアップという除草剤それ自身が毒性のつよいものであることは既に述べましたが、この除草剤が撒かれることによって、ランドア
ップ耐性の遺伝子組換え植物以外の植物は「雑草」として死滅させられていまいます。

インド農業では、女性たちは150種類の植物を、野菜、飼料、健康管理のために使っています。西ベンガルでは、米作地から採取され
た124の「雑草」種が農民にとって経済的な重要性をもっています。

メキシコのある地方では、農民は435種類の野生の植物や動物を利用しており、このうち229種類は食用です。

人間が「雑草」と見なしている植物は、それを餌や繁殖場としている昆虫や小動物に「いのち」の場をも提供しています。

しかしランドアップは、それらの虫の生命活動の場を奪ってしまいます。

除草剤は、目に見える植物だけでなく、土壌中の小さな昆虫、虫、細菌や菌類などの微生物をも殺してしまいます。

土地というのは、地上と地中における生命と、材料となる無機質体(鉱物やミネラルなど)が何億年という歳月をかけて作り出してきた
生態系をなしています。

ラウンドアップは、特定の植物だけのために土地を利用するために、人間の手ではできない貴重な生態系を壊してしまいます。

モンサントの遺伝子組換え作物の戦略は、たんに特定に奇形植物を作るだけでなく、除草剤とセットとなることによって、必要な生産物
だけを作る工場と見なす考え方で、生物多様性を否定することになります。

もうひとつ、これと関連して、将来深刻な問題が発生する可能性があります。それは、ラウンドアップを毎年使っていると、「雑草」の中に、
いずれ必ずラウンドアップに耐性をもち、除草剤を撒いても死なない植物が出てくることです。

そのような植物が広まれば、もはや遺伝子組かえ作物を栽培することのメリットそのものが大きく損なわれてしまいます。

モンサントのラウンドアップ耐性作物の栽培には、まだまだ多くの問題がありますが、それらについては、順次説明してゆきます。


(1) 日本と世界における遺伝子組換え作物の栽培については以下を参照。
  www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/pdf/0686.pdf
松永和紀『食の安全と環境―「気分のエコ」にはだまされない―』(日本評論社、2010
  年)、第7章。
(2) 『エコロジスト』誌編集部(編)、『遺伝子組換え企業の脅威(増補版)』(緑風出版、2012
 年)、59ページ。
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