ツイッター・フェイスブック・ブログ考
ツイッター,フェイスブック,ブログはいずれも電子媒体ですが,それぞれ目的や条件がことなります。
ツイッター(twitter)は名詞としては「さえずり,甲高い鳴き声,(ひどい)興奮,動揺,うろたえ」などの意味をもっています。
また動詞としては「かん高い声で鳴く,ぺちゃくちゃしゃべる,興奮して小刻みにふるえる」などの意味があります。
ただ,今日,コミュニケーションのツールとしてのツイッターは「つぶやき」「つぶやく」と訳されます。
ツイッターは2006年に始まった,ごく最近のメデイアです。
その特徴は,なんと言っても手軽さと,140文字という文字数制限をもつ短文であることです。
発信者(主催者)はツイッターでは不特定多数に向けてメッセージを発信します。
他方,他人のツイッター記事を誰でも自由に読むことができ,それに自分の感想や意見を同じツイッターのサイトへ匿名で書き込む
ことができます。
こうして,緩やかなコミュニケーション・ネトワークができあがります。
ツイッターの記事内容は,まさに個人のつぶやきですから,発信者がその時,その時,自分が感じたこと,思いついたことを,
そのまま書きます。
ある国会議員が,「今私は,議員会館の食堂でカレーを食べています」と自分のツイッター・サイトに書き込んでいるところを
テレビで見ました。
このようなメッセージにどれほどの意味があるのか私には分かりませんが,それは個人の自由ですから,第三者がコメントすべき
ことではありません。
しかしツイッターは,そうした全くの個人的な「つぶやき」だけではありません。
たとえば,「何月何日,何時から,何のデモが行われるから,どこどこに集合!」などというメッセージを発信する場合にも
ツイッターは利用されます。
ここ数年,「アラブの春」や中国での反日デモなどの際には,ツイッターやフェイスブックが絶大な威力を発揮したようです。
ツイッターは携帯電話があれば,従来のように部屋でパソコンを開く必要もなく,歩きながらでも,いつでもどこでも情報を発信し,
受信することができます。
ツイッターのもつ簡便さと発信力の大きさは現代のコミュニケーションに革命をもたらしました。
ただ,私は今のところ誰のツイッターもフォローしていないし,自分でも発信していません。
それには個人的な理由と,社会的ツールとしてのツイッターにある種の警戒心をもっているからです。
まず,個人的な理由としては,私が何か思いついたことを140文字で「つぶやいた」ところで,
他の人にとってはほとんど意味がないし,関心をもつ人もいないでしょう。
そうはいっても,自分の個人的な「つぶやき」には社会的な意味があると考える人もいるでしょうし,
実際に大きな影響を与えている人もいるとは思います。
次に,社会的コミュニケーション・ツールとしてのツイッターについて考えてみます。
ツイッターは,不特定多数への連絡(たとえばイベントの告知)したり行動への参加などの点では絶大な威力を発揮します。
また,日々の社会の出来事に関する意見や感想を発信することもできます。
ただ私は,ツイッターというメデイアにちょっと警戒心をもっています。
ツイッターには140文字という文字数制限があるので,何かを言いたいときには,結論だけを端的に発信することになります。
この際,「なぜ,そうなのか」,「それはどんな根拠に基づいているのか」,といった実証も論証しません 。
人によっては,あるいは取り上げるトピックによっては,140文字あれば実証も論証もできるということもあり得ます。
しかし実際には,ほとんどのツイッターのメッセージは,実証も論証なしで言い放しのことが多いようです。
ツイッターにリンクを張りつけて,別の場所(ブログやホームページ)で綿密な検証をすることも可能ですが,それはあまりしません。
私が気にしているのは,証拠も論拠もなく,特定の民族,団体,個人がツイッターで避難,中傷,さらには攻撃されることです。
たとえば,「あの首相は国民の敵だ,奴を倒せ」といったメッセージが発信させられたとしましょう。
そして,もし,その首相のどこがどのように悪く,それはどんな根拠に基づいているのかといった証拠なり論拠を示してないとしたら,
このようなキャッチコピー的なメッセージはとても危険です。
幸い,これまでのところ,日本ではツイッターが大きな役割を果たして多数の人が過激な行動に出た例はありません。
しかし,最近の領土問題に関連して,中国,韓国,ロシアにたいする不満や苛立ちが多くの日本人の間に鬱積していると思われます。
韓国の大統領が竹島に上陸したり,北京で日本の大使が乗った車が襲撃されるなどの事件が続くと,政府は弱腰だ,もっと強く出るべき
だという声が高まってきます。
こんな時,影響力のある人のツイッターが過激なメッセージを発信すると,一気に火がついて,反中国,反韓国,反ロシアといった行動
に表れる危険性もあります。
短いメッセージは理屈より感情に訴えるほど衝撃力が大きくなるので,最近の日本はちょっと危ないな,怖いな,と感じます。
ツイッターに関しては,他にも気にしていることがあります。
若者特有の現象かも知れませんが,携帯のメールと同様,ツイッターのメッセージは短文なので,
短文に慣れてしまっていて,長い文章を読むことが苦手になってしまうのでは,と心配になります。
長い文章を読むには,論拠を確かめつつ時間をかけて,じっくり考える必要があります。
しかし,140文字以下の短文は,深く考えるよりも,キャッチコピー的な短いメッセージを受け取ることになりがちです。
この点では,立ち止まってゆっくり考えることが面倒な現代人にはピッタリかもしれません。
もちろん,140文字以下でも,しっかりと論拠も根拠も書ける人もいるでしょう。
ちなみに,この私のブログ「大木昌の雑記帳」は,卒業生との卒後学習のために,共通の場を作ろうと始めたのですが,
長すぎるという苦情を言われたことがあります。
それでも,私には,何かまとまったことを書くには140文字ではどう考えても無理です。
このため,このブログ記事は毎回の記事が,長くなってしまいます。
最後に,フェイスブックについてです。
フェイスブックはツイッターとちがって,相互に承認し合った仲間だけで成立するコミュニケーションの場です。
私にも,国内外から,参加を呼びかけるメールが何回もきましたが,特別な理由もなく,何となく今までどれにも加わっていません。
フェイスブックを利用している人たちに聞くと,離れた所にいる仲間の近況を知ることができるので,この点ではとても便利のようです。
ツイッター,フェイスブック,ブログ,ホームページ,などの電子メデシアは,それぞれ特徴があります。
最終的には個人個人が自分に合った媒体を利用する事になるのだと思います。
それにしても,新聞やテレビなどの巨大資本と組織ではなく,個人が自由に情報を発信し,受信するこれらの媒体が存在することは,
素晴らしいことだと思います。
しかし,このネット時代には,おびただしい情報を選別し,批判する力をつけることが絶対に必要です。
そうでないと,個人も社会も,知らないうちに思わぬ方向に引っ張られていってしまう危険性があります。
ツイッター,フェイスブック,ブログはいずれも電子媒体ですが,それぞれ目的や条件がことなります。
ツイッター(twitter)は名詞としては「さえずり,甲高い鳴き声,(ひどい)興奮,動揺,うろたえ」などの意味をもっています。
また動詞としては「かん高い声で鳴く,ぺちゃくちゃしゃべる,興奮して小刻みにふるえる」などの意味があります。
ただ,今日,コミュニケーションのツールとしてのツイッターは「つぶやき」「つぶやく」と訳されます。
ツイッターは2006年に始まった,ごく最近のメデイアです。
その特徴は,なんと言っても手軽さと,140文字という文字数制限をもつ短文であることです。
発信者(主催者)はツイッターでは不特定多数に向けてメッセージを発信します。
他方,他人のツイッター記事を誰でも自由に読むことができ,それに自分の感想や意見を同じツイッターのサイトへ匿名で書き込む
ことができます。
こうして,緩やかなコミュニケーション・ネトワークができあがります。
ツイッターの記事内容は,まさに個人のつぶやきですから,発信者がその時,その時,自分が感じたこと,思いついたことを,
そのまま書きます。
ある国会議員が,「今私は,議員会館の食堂でカレーを食べています」と自分のツイッター・サイトに書き込んでいるところを
テレビで見ました。
このようなメッセージにどれほどの意味があるのか私には分かりませんが,それは個人の自由ですから,第三者がコメントすべき
ことではありません。
しかしツイッターは,そうした全くの個人的な「つぶやき」だけではありません。
たとえば,「何月何日,何時から,何のデモが行われるから,どこどこに集合!」などというメッセージを発信する場合にも
ツイッターは利用されます。
ここ数年,「アラブの春」や中国での反日デモなどの際には,ツイッターやフェイスブックが絶大な威力を発揮したようです。
ツイッターは携帯電話があれば,従来のように部屋でパソコンを開く必要もなく,歩きながらでも,いつでもどこでも情報を発信し,
受信することができます。
ツイッターのもつ簡便さと発信力の大きさは現代のコミュニケーションに革命をもたらしました。
ただ,私は今のところ誰のツイッターもフォローしていないし,自分でも発信していません。
それには個人的な理由と,社会的ツールとしてのツイッターにある種の警戒心をもっているからです。
まず,個人的な理由としては,私が何か思いついたことを140文字で「つぶやいた」ところで,
他の人にとってはほとんど意味がないし,関心をもつ人もいないでしょう。
そうはいっても,自分の個人的な「つぶやき」には社会的な意味があると考える人もいるでしょうし,
実際に大きな影響を与えている人もいるとは思います。
次に,社会的コミュニケーション・ツールとしてのツイッターについて考えてみます。
ツイッターは,不特定多数への連絡(たとえばイベントの告知)したり行動への参加などの点では絶大な威力を発揮します。
また,日々の社会の出来事に関する意見や感想を発信することもできます。
ただ私は,ツイッターというメデイアにちょっと警戒心をもっています。
ツイッターには140文字という文字数制限があるので,何かを言いたいときには,結論だけを端的に発信することになります。
この際,「なぜ,そうなのか」,「それはどんな根拠に基づいているのか」,といった実証も論証しません 。
人によっては,あるいは取り上げるトピックによっては,140文字あれば実証も論証もできるということもあり得ます。
しかし実際には,ほとんどのツイッターのメッセージは,実証も論証なしで言い放しのことが多いようです。
ツイッターにリンクを張りつけて,別の場所(ブログやホームページ)で綿密な検証をすることも可能ですが,それはあまりしません。
私が気にしているのは,証拠も論拠もなく,特定の民族,団体,個人がツイッターで避難,中傷,さらには攻撃されることです。
たとえば,「あの首相は国民の敵だ,奴を倒せ」といったメッセージが発信させられたとしましょう。
そして,もし,その首相のどこがどのように悪く,それはどんな根拠に基づいているのかといった証拠なり論拠を示してないとしたら,
このようなキャッチコピー的なメッセージはとても危険です。
幸い,これまでのところ,日本ではツイッターが大きな役割を果たして多数の人が過激な行動に出た例はありません。
しかし,最近の領土問題に関連して,中国,韓国,ロシアにたいする不満や苛立ちが多くの日本人の間に鬱積していると思われます。
韓国の大統領が竹島に上陸したり,北京で日本の大使が乗った車が襲撃されるなどの事件が続くと,政府は弱腰だ,もっと強く出るべき
だという声が高まってきます。
こんな時,影響力のある人のツイッターが過激なメッセージを発信すると,一気に火がついて,反中国,反韓国,反ロシアといった行動
に表れる危険性もあります。
短いメッセージは理屈より感情に訴えるほど衝撃力が大きくなるので,最近の日本はちょっと危ないな,怖いな,と感じます。
ツイッターに関しては,他にも気にしていることがあります。
若者特有の現象かも知れませんが,携帯のメールと同様,ツイッターのメッセージは短文なので,
短文に慣れてしまっていて,長い文章を読むことが苦手になってしまうのでは,と心配になります。
長い文章を読むには,論拠を確かめつつ時間をかけて,じっくり考える必要があります。
しかし,140文字以下の短文は,深く考えるよりも,キャッチコピー的な短いメッセージを受け取ることになりがちです。
この点では,立ち止まってゆっくり考えることが面倒な現代人にはピッタリかもしれません。
もちろん,140文字以下でも,しっかりと論拠も根拠も書ける人もいるでしょう。
ちなみに,この私のブログ「大木昌の雑記帳」は,卒業生との卒後学習のために,共通の場を作ろうと始めたのですが,
長すぎるという苦情を言われたことがあります。
それでも,私には,何かまとまったことを書くには140文字ではどう考えても無理です。
このため,このブログ記事は毎回の記事が,長くなってしまいます。
最後に,フェイスブックについてです。
フェイスブックはツイッターとちがって,相互に承認し合った仲間だけで成立するコミュニケーションの場です。
私にも,国内外から,参加を呼びかけるメールが何回もきましたが,特別な理由もなく,何となく今までどれにも加わっていません。
フェイスブックを利用している人たちに聞くと,離れた所にいる仲間の近況を知ることができるので,この点ではとても便利のようです。
ツイッター,フェイスブック,ブログ,ホームページ,などの電子メデシアは,それぞれ特徴があります。
最終的には個人個人が自分に合った媒体を利用する事になるのだと思います。
それにしても,新聞やテレビなどの巨大資本と組織ではなく,個人が自由に情報を発信し,受信するこれらの媒体が存在することは,
素晴らしいことだと思います。
しかし,このネット時代には,おびただしい情報を選別し,批判する力をつけることが絶対に必要です。
そうでないと,個人も社会も,知らないうちに思わぬ方向に引っ張られていってしまう危険性があります。