大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

岸田首相の訪米(2)―進む日米軍事一体化―

2024-04-29 06:44:02 | 国際問題
岸田首相の訪米(2)―進む日米軍事一体化―

前回は日米の「共同声明」に盛り込まれた7領域のうち、最も重要な「防衛・安全保障協力」事項
の何点かを引用し、第二までの問題点を検討しました。今回は、その続きで第三の問題からです。

第三の問題は。日米の軍事的一体化と指揮権についてです。共同声明は以下のように述べています。

    本日、地域の安全保障上の課題が展開する速度を認識し、日米の二国間同盟体制がこうし
    た極めて重要な変化に対応できるようにするため、我々は、作戦及び能力のシームレスな
    統合を可能にし、平時及び有事における自衛隊と米軍との間の相互運用性及び計画策定の
    強化を可能にするため、二国間でそれぞれの指揮・統制の枠組みを向上させる意図を表明
    する。(中略)
    我々は、日米それぞれの外務・防衛担当省庁に対し、日米安全保障協議委員会(日米「2
    +2」)を通じて、この新しい関係を発展させるよう求める。このビジョンを支えるに当
    たり、我々はまた、日米共同情報分析組織(BIAC)を通じたものを含め情報収集、警戒
    監視及び偵察活動における協力並びに同盟の情報共有能力を深化させるという目標を改め
    て確認する。

この部分には少し背景の補足説明が必要です。日本の陸海空の自衛隊には統合幕僚監部はあります
が、陸海空自衛隊の意思疎通は必ずしも円滑にいっていないので、新たに統合作戦司令部を創設す
る計画があります。

他方、現在、日本の自衛隊とアメリカ軍の調整は統合幕僚監部とハワイに司令部があるインド太平
洋軍の司令部との間で行われています。そのため緊急時などで連絡が迅速に行えないとの懸念から、
米軍の司令部を日本に移そうとしています。

「共同声明」では、日本の統合作戦司令部と米軍の司令部とが直接・迅速に作戦および軍事能力の
統合を行うこと(シームレスな統合)で二国間の指揮・統制枠組みを向上させるとしています。

今のところ、日本とアメリカはそれぞれ別の指揮系統の下に行動することになっていますが、米軍
の方が情報の収集・分析能力や兵器の取り扱いなどで圧倒的に優位にあるため、実際には日本の統
合作戦司令部は丸ごと米軍の指揮下に組み込まれ、日本の自衛隊は米軍の“駒”として使われてしま
う疑念があります。

第四の問題は、対中国封じ込めのための同盟関係の強化・拡大です。

「共同宣言」では、日米同盟を強化するために、AUKUS(2021年に発足した豪州・英・米間の
軍事・安全保障上の同盟。太平洋を中心とする海域の軍事的主導権を握る対中国戦略の枠組みとも
される。)、日米韓の共同訓練関係、米英間の大西洋宣言、日英間の広島アコード(2023年に日英
間で結ばれた軍事・経済のパードナーシップ協定)などどの太平洋・大西洋をカバーするいくつか
の同盟を相互に連携して機能させることを謳っています。

これらの同盟を連携させることは、主として中国に対抗し中国を封じ込めるための敵対的な軍事・
安全保障上の協力関係のネットワーク作りを目的としています。

しかし、日本にとって中国は正面から敵対する相手ではなく、お互いに繁栄するための友好国とし
ての関係を築く必要があります。実際、中国との経済関係抜きに日本の経済は立ち行きません。

アメリカが「共同宣言」にこうした広範囲の軍事・安全保障ネットワークの構築を盛り込んだ背景
には、アメリカ一国で中国と対決するのは負担が大きすぎるので、できるだけ多くの国を巻き込ん
で中国を抑え込んでゆこうとの意図があったものと思われます。

第五の問題は、日本の防衛産業の拡大・強化です。
   
    米国は、地域における抑止力を強化するための共同開発・生産を通じた協力を増進するこ
    とになる、日本の防衛装備移転三原則及びその運用指針の改正を歓迎する。我々は、長期
    的に重要な能力の需要を満たし即応性を維持するためにそれぞれの産業基盤を活用するこ
    とを目的とし、日米の防衛産業が連携する優先分野を特定するために、日米の関係省庁と
    連携し、防衛省と米国防省が共に主導する日米防衛産業協力・取得・維持整備定期協議
    (DICAS)を開催する。
    この優先分野の特定の対象には、ミサイルの共同開発及び共同生産並びに前方に展開され
    た米海軍艦船及び第4世代戦闘機を含む米空軍航空機の日本の民間施設における共同維持
    整備が含まれる。DICASは、既存の防衛装備庁・米国防省(研究・工学担当)定期協議
    (DSTCG)と共に、我々の防衛産業政策、取得及び科学技術のエコシステムをより統合し
    整合させていくものである。

つまり、日米が連携する優先分野としてミサイル、米海軍艦船及び第4世代戦闘機を含む米空軍航
空機を日本の民間施設において共同で維持整備することが含まれる、とされています。

建前としては、これらの軍事物資の開発と生産は日米の関係省庁と連携して行われることになって
いますが、いずれの分野も米国が先行しており、優先順位についてはアメリカの意向に従うことに
なる可能性が大きい。

それよりも重要なことは、日本が本格的に殺傷能力のある攻撃型兵器の生産に手を染めること自体、
専守防衛の原則に反するだけでなく、軍需産業が国の経済の中に組み込まれ、国の政治経済が「軍
産複合体」の影響を受ける可能性があります。

日本にとって非常に重要な事項が「防衛・安全保障協力の強化」の分野の最後に、前後の脈絡なく
唐突に付け加えられています。

    日米両国は、抑止力を維持し、及び地元への影響を軽減するため、普天間飛行場の継続的
    な使用を回避するための唯一の解決策である辺野古における普天間飛行場代替施設の建設
    を含め、沖縄統合計画に従った在日米軍再編の着実な実施に強くコミットしている。

この部分は、日本政府がアメリカから最も引き出したい文言で、これに言及すれば日本政府が喜ぶ
ということをバイデン大統領は知っていて、日本をアメリカの戦略に引き込むために、リップサー
ビスとして付け加えられたのかもしれません。

以上の、軍事的色彩が強い領域に加えて、「共同声明」は間接的な安全保障についても触れている
ので、これらについてもごく簡単に紹介しておきましょう。

一つは「宇宙における新たなフロンティアの開拓」です。「共同声明」は以下のように説明します。

    我々のグローバルなパートナーシップは宇宙にも及び、日米両国は太陽系探査と月への帰
    還を主導している。我々は本日、与圧ローバによる月面探査の実施取決めに署名したこと
    を歓迎する。この取決めでは、日本が月面与圧ローバを提供して運用を維持する一方で、
    米国はアルテミス計画の将来のミッションで日本人宇宙飛行士による2回の月面着陸の機
    会を割り当てることを計画している。(中略)
    我々はまた、米国の産業との協力の可能性を含め、極超音速滑空体(HGV)等のミサイル
    のための地球低軌道(LEO)の探知・追尾のコンステレーションに関する二国間協力も発
    表する。

上記引用部分の前段は、太陽系探査と月面探査の宇宙開発だとの印象を受けるが、そこには宇宙空
間に打ち上げられたミサイルの探知・追尾が目的になっていることが分かります。

二つは「イノベーション、経済安全保障及び気候変動対策の主導」です。

    日米両国は、イノベーションを促進し、産業基盤を強化し、強じんで信頼性のあるサプラ
    イチェーンを促進し、将来の戦略的新興産業を構築しつつ、同時にこの10年間で大幅な排
    出削減を追求するために、我々の経済、技術及び関連する戦略を最大限に整合させること
    を目指す。(中略)
    我々は、他の志を同じくするパートナーと実施するものも含めた研究交流、民間投資及び
    資本調達を通じ、AI、量子技術、半導体、バイオテクノロジー等の次世代の重要・新興技
    術の開発及び保護におけるグローバルなリーダーとしての共通の役割を強化することにコ
    ミットしている。(中略)(これにより)日米の技術的な優位性を高めるとともに、我々
    の経済安全保障を強化する意図を有する。
    日本は、海外直接投資額にして8,000億ドル近くを誇る、最大の対米投資国であり、日本
    企業は全米50州で100万人近い米国人を雇用している。同様に、長年にわたり最大級の対
    日投資国として米国は日本の経済成長を支えており、世界最大級の金融セクターを有する
    2か国として、我々は、国境を越えた投資の促進及び金融安定の支援のためにパートナー
    シップを強化することにコミットしている。

この文章のすぐ後で、日本は最大の対米投資国であり日本企業が全米50州で100万人近い米国
人を雇用していることをことさらに強調しています。米側は日本を精一杯持ち上げて日本を大いに
喜ばせたに違いありません。

サプライチェーンの促進の中で、気候変動との関連でクリーンエネルギーの確保、脱炭素の技術の
開発も謳われています。

    日米両国は、気候危機が我々の時代の存亡に関わる挑戦であることを認識し、世界的な
    対応のリーダーとなる意図を有する。(中略)
    (そのために)我々は、(中略)各国の事情を考慮しながら、風力発電に沿った世界的な
    野心に向けて協働する意図を有し、技術コストを削減、脱炭素化を加速し、沿岸地域社
    会への便益をもたらす革新的なブレークスルーを追求していく。
    日本が新たに立ち上げた産業プラットフォーム「浮体式洋上風力技術研究組合(FLOW
    RA)」を米国は歓迎する。
    我々は、フュージョンエネルギーの実証及び商業化を加速するための日米戦略的パート
    ナーシップの発表を通じたフュージョンエネルギー開発を含む次世代クリーン・エネル
    ギー技術の開発及び導入を更に主導する。

脱炭素の一環として風力発電の技術開発に力を入れることは大歓迎ですが、一種の原子力エネル
ギーであるフュージョンエネルギー(従来の「核分裂」ではなく「核融合」によるエネルギー)
の実証及び商業化は問題です(注1)。

というのも、これは、国内での議論も合意も得られていない原子力発電であるにも関わらず、あ
たかも規定の方針のように米国と合意してしまっているからです。

ほかに、医療分野ではパンデミックの予防、備え及び対応、保険システムの推進、がんの治療薬
に関する情報交換などが盛り込まれています。

三つは「グローバルな外交及び開発における連携」です。

この分野では以下の点が強調されています。
(1)国連憲章を含む国際法を堅持する。いかなる国家の領土一体性や政治的独立に対する武
    力による威嚇又は武力の行使を慎むことを含め、同憲章の目的及び原則を堅持するよう
    求める。

(2)国連海洋法条約(UNCLOS)に反映された国際法と整合的な形で、全ての国が航行及び
   上空飛行の自由を含む権利と自由を行使できることの重要性を強調する。南シナ海におけ
   る不法な海洋権益に関する主張を後押しする最近の中国による危険でエスカレートさせる
   行動や他国の海洋資源開発を妨害する試みは、UNCLOSに反映された国際法と整合的では
   ないことを決意する。

(3)台湾に関する両国の基本的立場に変更はないことを強調し、世界の安全と繁栄に不可欠な
   要素である台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性を改めて表明する。我々は、両
   岸問題の平和的解決を促す。

(4)ASEAN、太平洋諸島フォーラム(PIF)及び環インド洋連合を含む、地域機関に対する日
   米豪印(クアッド)の揺るぎない支持及び尊重を改めて表明する。東南アジア諸国はイン
   ド太平洋における重要なパートナーであり、日米比三か国は、経済安全保障及び経済的強
   じん性を促進しつつ、三か国間の防衛及び安全保障協力を強化することを目指す。

(5)日米韓は、地域の安全保障の推進、抑止力の強化、開発・人道支援の調整、北朝鮮の不正
   なサイバー活動への対抗並びに経済、クリーン・エネルギー及び技術に関する課題を含む
   協力の深化において引き続き連携していく。日米両国はまた、平和で安定した地域を確保
   するため、豪州との三国間の協力の推進に引き続きコミットしている。

(6)国連安保理決議に従った北朝鮮の完全な非核化に対するコミットメントを改めて確認する。
   朝鮮半島及びそれを超える地域の平和及び安全に対する重大な脅威を及ぼす、大陸間弾道
   ミサイル(ICBM)の発射及び弾道ミサイル技術を用いた衛星打ち上げ用ロケットを含む
   北朝鮮による弾道ミサイル計画の継続的な推進を強く非難する。
   バイデン大統領はまた、拉致問題の即時解決に対する米国のコミットメントを改めて確認
   し、双方は、北朝鮮における人権の尊重を促進するための共同の取組を継続することにコ
   ミットする。

(7)ロシアのウクライナに対する残酷な侵略戦争、ウクライナのインフラに対するロシアの攻
   撃及びびロシアによる占領という暴力への断固とした反対において引き続き結束する。引
   き続き、ロシアに対する厳しい制裁を実施し、ウクライナに対する揺るぎない支援を提供
   していく。
   ロシアによるウクライナに対する侵略戦争を支援し、北東アジアの平和及び安定並びに国
   際的な不拡散体制を脅かす、北朝鮮とロシアとの間の軍事協力の拡大について、深刻な懸
   念を表明する。

(8)昨年10月7日のハマス等によるテロ攻撃を改めて断固として非難し、国際法に従って自国
   及び自国民を守るイスラエルの権利を改めて確認する。同時に、我々はガザ地区の危機的
   な人道状況に深い懸念を表明する。我々は、ハマスが拘束している全ての人質の解放を確
   保することが不可欠であることを確認し、人質解放の取引がガザにおける即時かつ持続的
   な停戦をもたらすことを強調する。
   イスラエル人とパレスチナ人が公正で、永続的で、安全な平和の下で暮らすことを可能に
   する二国家解決の一環として、イスラエルの安全が保障された、独立したパレスチナ国家
   に引き続きコミットしている。

(9)両国は、現実的かつ実践的なアプローチを通じて、「核兵器のない世界」を実現すること
   を決意している。冷戦終結以後に達成された世界の核兵器数の全体的な減少が継続し、
   これを逆行させないことが極めて重要であり、中国による透明性や有意義な対話を欠いた、
   加速している核戦力の増強は、世界及び地域の安定にとっての懸念となっている。(中略)
   バイデン大統領は、日本による東京電力福島第一原子力発電所の多核種除去設備(ALPS)
   処理水の、科学的根拠に基づく、安全かつ責任ある海洋放出を称賛した。日米両国は、燃
   料デブリ取出しのための研究協力に焦点を当てた福島第一廃炉パートナーシップの立ち上
   げを計画している。

以上が、「共同声明」に盛り込まれた主な事項の要旨です。主な項目だけでもこれだけ多くの領域
に及んでいます。

今回は、詳しく取り上げることができなかった問題も含めて、次回は岸田首相の訪米について包
括的な評価を行いたいと想います。

(注1)フュージョンエネルギーについては 内閣府ホームページから、「イノベーション政策強
    化のための有識者会議」https://www8.cao.go.jp/cstp/fusion/index.html、および「核融合戦
    略」『フュージョンエネルギー・イノベーション戦略(案)』(令和5年3月https://www8.
    cao.go.jp/cstp/fusion/5kai/siryo1.pdf)を参照。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸田首相の訪米(1)―首脳会談にたいする日米の温度差―

2024-04-23 08:58:38 | 国際問題
岸田首相の訪米(1)―首脳会談にたいする日米の温度差―

岸田首相は4月8日~14の日程で訪米しました。日本の外務省だけでなく、NHK
やその他のテレビや新聞は、なぜか「国賓待遇」という点を強調しています。

いうまでもなく、「国賓」とは元首にたいして使われる言葉であり、「国賓待遇」と
はそれに対応する歓迎の式典や待遇を指します。

元首でない岸田首相は「国賓」にはなり得ませんが、米国政府は礼砲を放ち公式晩
餐会を開いて首相を歓待しました。

もちろん、こうした米国政府の待遇は、岸田首相を思い切り持ち上げて、日本に対
する外交交渉を有利に運ぼうとする思惑があったからでしょう。これにたいして、
『東京新聞』(2024年4月13日)は「国賓待遇に覚える違和感」という社説を掲
げていますが、全く同感です。

いずれにしても、これで気分を良くした岸田首相は、この時点ですでにアメリカの
手の内に乗せられて「勝負あり」です。

その喜びようは、バイデン大統領と車に乗り込んだ時のツーショット写真に写った
岸田首相の顔は、「破顔一笑」を通り越して、ちょっと失礼な表現ですが、舞い上
がって不自然なほど大きく口を開けた顔つきにもはっきりと表れていました。

車の中でのツーショット 米側の歓待を受けてご満悦の岸田首相


皮肉なことに、首相が訪米中で得意の絶頂にあった11日(日本時間)に発表され
た、時事通信4月の世論調査(5~8日に実施された)によると、岸田内閣の支持
率は前月比1.4ポイント減の16.6%となり、国内では政権発足以来最低を更
新していました。

そして不支持率は2.0ポイント増の59.4%でした。自民党は派閥裏金事件で
すっかり国民の支持を失っていたのです(注1)。

日本にとって最も重要なイベントは、訪米のクライマックスともいえる10日(日
本時間11日)にホワイトハウスで行われた「日米首脳会談」と、そこで合意され
た「共同声明」の発表です。

「共同声明」の内容に入る前に、「首脳会談」から「共同声明」の発表時までに現れ
た日米政府のこの会談にたいする温度差について触れておきたいと思います。

この“温度差”は、今回の首脳会談と岸田首相に対して米側が、本音のところでどれほ
ど重要視していたのかを示しています。

ホワイトハウスで10日に開かれた首脳会談後の記者会見では、図らずも日米両政
府のこの声明にたいする姿勢の違いが露呈してしまいました。

記者会見ではホスト役のバイデン氏が約5分間、原稿を映し出すプロンプターを見
ながら発言しました。彼は、日米関係の進展を強調した後に「岸田首相個人もたた
えたい」と語り、日本が日韓関係を進めたことを称賛しました。

続いて岸田首相がスピーチをしました。記者会見に出席した日本人記者によれば、
岸田首相は用意された原稿に従って10分間発言しました。その間、日本の高官が
原稿にチェックを入れながら発言に漏れがないかを逐一確認する姿が見られました。

スピーチの原稿を見つめて、読み間違えがないかを逐一チェックする日本人高官

出典(注2)参照

一方、岸田氏の発言が冗長だった面もありますが、この間、米政府の高官はスマー
トフォンを操作したり、同時通訳のヘッドホンを外したり、爪をいじったりする姿
が見られたという。

さらに、記者会見の同席者にも違いがありました。秘密性が高い重要な話をする首
脳会談には、日本側から上川陽子外相、秋葉剛男・国家安全保障局長、米側からブ
リンケン国務長官、サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)が出席しました。

しかし会談後の記者会見には、ブリンケン、サリバン両氏の姿はありませんでした。

米外交は、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への侵攻への対応で多忙を
極めていました。さらに、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルがシリアにあるイ
ランの大使館をミサイル攻撃し、革命防衛隊の幹部13人を殺してしまった事件へ
の対応などで多忙を極めていました。

バイデン外交を支える最側近の2人が欠席していたことは「国賓待遇とはいえ、日
本だけを相手にしているわけにはいかない」という米側の本音を示しています。

バイデン氏も会見後半の質疑に入ると語調が弱くなり、記者席の最前列でも聞き取
りにくい場面が度々あったようです。

81歳という高齢でも選挙集会では力強い演説をすることがあるのに、関心や緊張
感の低い場では声に張りがなくなるようです。出席した記者は、今回も他の行事に
比較すると、力の入れように弱さも垣間見えた、と印象を語っています(注2)

こうした実態をみると、形式的には「国賓待遇」という最大級の厚遇を演出しなが
らも、内実はいかにも気持ちが入っていない、軽く受け流している感じがします。

それもそのはずで、実際の首脳会談に入る前に、そこに盛り込まれるべき内容や文
言は双方で入念に検討され、アメリカは日本がアメリカとともに安全保障に関与す
るということを約束させていたからです。

一言でいえば、日本はアメリカ軍と一体になって、アジアの範囲を越えて世界のど
こでも安全保障を共に担って行く、ということを日本は約束させられたのです。

これを検証するため以下に、「共同声明」の中身の要点を整理して見てみましょう。

まず、「共同声明」のタイトルは、「未来のためのグローバル・パートナー」となっ
ており、これが全体の方向性を示しています。

ここには、日本はアメリカと共に、東アジアという地域的(ローカル)な問題だけ
でなく、グローバルな、つまり地球規模での問題に対応してゆく仲間として共同行
動をとろうという意図がはっきり見えます。

すなわち、日本はウクライナ戦争のような事態にもアメリカと一体となってかかわ
って行く可能性があることも意味します。ここには岸田首相の、かなり前のめりの
姿勢がタイトルにも現れています。

以上の事情を念頭に置いて、以下に「共同声明」の中身についてみてみましょう。
「共同声明」にはいくつかの領域が含まれていますが、ここではまず大きな領域区
分の項目だけを挙げておきます(注3)。

なお、「共同声明」は、発表の後で行われた共同記者会見で補足されたので、必要
に応じて、記者会見での発言を補足します。

「共同声明」の冒頭部分で、(バイデン大統領の就任以後)3年間に日米同盟は前
例のない高みに達したこと、すなわち深化したことが述べられています。

それを土台として日米は次のような関係にあるとしています。
日米両国及び世界の利益のために現在及び将来の複雑で相互に関連する課題に対処
する という目的に適うグローバルなパートナーシップを構築するため、あらゆる
領域及びレベルで協働している。我々は、同盟協力が新たな高みに達するに当たり、
パートナーシップのグローバルな性質を反映すべく関与を拡大している。

ここで「あらゆる領域」と表現されている具体的な中身として、「共同声明」では、
(1)防衛・安全保障協力の強化、(2)宇宙における新たなフロンティアの開拓、
(3)イノベーションの推進、(4)経済安全保障の強化、(5)気候変動対策の加速化、
(6)グローバルな外交・開発における連携、(7)両国民のつながりの強化などの幅
広い分野で協力関係を拡大するとしています。

上記の7領域のうち(1)の領域に掲げられた防衛・安全保障協力の分野こそが今回
の日米会談の最重要問題で、内容的には7割くらいが軍事・安全保障関係です。

「防衛・安全保障協力の強化」の中身を見てみると、グローバルなパートナーシップ
の中核は、日米安全保障条約に基づく二国間の防衛安全保障協力であり、これこそが
イ ンド太平洋地域の平和、安全及び繁栄の礎であり続けることを確認する、とある。

そして、
    バイデン大統領は核を含むあらゆる能力を用いた、同条約第5条の下での、
    日本の防衛に対する米国の揺るぎないコミットメントを改めて表明した。

つまり、日本が他国に攻撃された場合、アメリカが何らかの形で関与することを改め
て確認したのです。

しかしこの部分は、ただたんに、1960年に改訂された日米安保条約の規定を繰り返し
ただけで、アメリカが以前にもまして日本の防衛に深く責任を負うということを表明
したわけではありません。

これに対して
    岸田総理は、日本の防衛力と役割を抜本的に強化し、同条約の下で米国との
    緊密な連携を強化することへの日本の揺るぎないコミットメントを改めて確
    認した。バイデン大統領はまた、日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用
    されることを改めて確認した。
と続きます。

良く知られているように、日本政府はオバマ政権の時以来ずっと、米大統領から「安
保条約第5条が尖閣列島に適用される」、との言質を取りたがっており、これにさえ触
れておけば日本は大いに喜ぶことを知っているバイデン大統領は、岸田首相の要請と、
米側の一種のリップサービスでこの文言を入れたと思われます。

尖閣諸島問題について岸田首相はかなり強く要請したようで、以下のような文言も付
け加えられています。
    我々は、尖閣諸島に対する日本の長きにわたり、かつ、平穏な施政を損なお
    うとする行 為を通じたものを含む、中国による東シナ海における力又は威
    圧によるあらゆる一方的な現状変更の試みにも強い反対の意を改めて表明し
    た。我々は、日米の抑止力・対処力を強化するため、南西諸島を含む地域に
    おける同盟の戦力態勢の最適化が進展していることを歓迎し、この取組を更
    に推進することの重要性を確認する。

この文章をよく読んでみると、アメリカは尖閣諸島や南シナ海における中国の威圧や
一方的な現状変更に反対はするが、いったん、紛争が生じた場合にどのように対応す
るのかについて何も言っていません。

それでも、「日米抑止力・対処力を強化」「同盟の戦力態勢の最適化」などの文言はこ
れまで比べて日米の軍事的反撃を示唆する文言が加わったのは小さくない変化です。

もっとも実際に尖閣諸島で紛争が生じた場合、第一義的には日本の自衛隊が対応する
となっていて、米軍が直接参戦するとは一度も言っていません。しかも、アメリカは
尖閣諸島の領有権がどの国に帰属するかについては一貫して言及を避けてきました。

尖閣諸島の問題が日本側にとって大きな関心事であったとすると、米国にとっては日
本が軍事費を増強し、日米が連携して軍事行動に出ることができるようになることが
重大な関心でした。

「共同声明」はそれについて以下のように述べています。

    米国は、日本が自国の国家安全保障戦略に従い、2027日本会計年度に防衛力
    とそれを補完する取組に係る予算をGDP比2%へ増額する計画、反撃能力を
    保有する決定及び自衛隊の指揮・統制を強化するために自衛隊の統合作戦司
    令部を新設する計画を含む、防衛力の抜本的強化のために日本が講じている
    措置を歓迎する。これらの取組は共に、日米同盟を強化し、インド太平洋地
    域の安定に貢献しつつ、日米の防衛関係をかつてないレベルに引き上げ、日
米安全保障協力の新しい時代を切り拓くこととなる。

この部分は、重大な問題をはらんでいます。

第一に、防衛費は1%前後で推移してきたのに、2027年までにGDPの2%に増額さ
せると、毎年現在より5兆円も多くなりますが、国内的に財源問題を含めて国民的議
論も合意も得られているわけではありません。

安倍政権時にはトランプ氏との約束で、戦闘機の爆買いをしましたが、岸田首相はす
でに23年度予算で、長距離巡航ミサイル・トマホーク、E2D早期警戒機(5機)
の取得、F35B戦闘機(8機)、イージス・システム構成品、F15戦闘機(20
機)、F35A戦闘機など8機、の購入を決めています(注4)

こうした武器兵器がどれほど日本にとって必要なのかについても、ち密な議論はなく、
岸田政権はただ2%という数字と金額の達成だけを目標としています。

それにも関わらず「共同宣言」ではあたかも国際公約であり既定の事実であるかのよ
うに書かれています。この軍事費の増大が福祉や教育、医療などへの予算の減少と国
民の負担増をもたらすことは間違いありません。

第二に、安保三文書の閣議決定による敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有は、憲法9
条に違反するものであり、憲法に基づく平和主義、立憲主義及び国民主権を堅持する
立場から認められない、との意見もあります。国会での慎重な審議を経ないで閣議決
定だけで反撃能力を強化することには重大な問題があります。

「共同宣言」に関してはまだまだ問題は山積みですが、第三以降については次回に検
討しようと思います。




(1) JIJI.COM (2024年15時03分) https://www.jiji.com/jc/article?k=2024041100763&g=pol
(注2)『毎日新聞』(電子版2024/4/11 14:19 最終更新 4/12 02:39)https://mainichi.jp/articles/20240411/k00/00m/030/142000c
(注3)「共同声明」の全文は英文・日本語とも外務省のホームページで見ることができます。
(注4) 共同記者会見については、岸田首相の発言は 官邸ホームページ
  https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2024/0410kyodo_kaiken.html、
  英文のフルテキストはホワイトハウス発の
Remarks by President Biden and Prime Minister Kishida Fumio of Japan in Joint Press Conference | The White Houseを参照。
(注4)『しんぶん赤旗』電子版(2023年4月30日(日)  https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-04-30/2023043002_01_0.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネコの知られざる世界(2)―ネコの進化と不思議な行動―

2024-04-16 07:25:48 | 自然・環境
ネコの知られざる世界(2)―ネコの進化と不思議な行動―

前回は、ネコが歴史の中でどのように扱われてきたかを概観しましたが、今回は、ネコ習性、
生態、そして人間と暮らすようになって起こった進化なども含めて生物学的側面から紹介し
ようと思います。

私たちはネコについておおよそのことは知っているつもりですが、実は知らないこと、不思
議なことがたくさんあります。

ネコの習性というか特徴はイヌと比べるとよく分かります。イヌは飼い主に忠実で、喜んで
飼い主と散歩をしますが、ネコは単独行動が基本で、飼い主と散歩することはありません。

イヌは約3500万年前に森から出て草原で暮らすようになり、群れを作ってリーダーの下で身
を守る道を選びました。つまり飼い主がリーダーとなったのです。これに対してネコの祖先
は安全な森と樹上に留まり、単独行動を基本として暮らしてきました。

ところで、前回の記事でも書きましたが、人間がネコを飼うようになったのは、今から1万
年ほど前、農耕が始まったことを契機に、穀物をネズミの害から守るためでした。

ネコが人間と暮らすようになったのは、ネコがネズミを捕食するのを見て次第に飼うように
なった(イエネコ化=家畜化)と考えられます。

ネコも、人間から食べ物を与えらえ天敵から守ってくれることにメリットを見出したと考え
られます。それ以来、ネコの方でも人間に大切にされ可愛がられるようにさまざまな変化を
してきたようです。

これらの変化について、『ネコ:奔放で気ままな謎の隣人』(ヒューマニエンス NHKBS
プレミアム 2024年3月20日 再放送)は最近の研究成果を取り入れてネコの謎に迫ってい
ます。

まず、下の写真から分かるように、野生のリビアヤマネコとイエネコを比べると、イエネコ
の鼻筋は短くなり(従って、顔は小さくなり)、ヤマネコの吊り上がった目は「たれ目」に
なっています。そして、耳はリビアヤマネコよりやや小さくなっています。



全体としてみると、リビアヤマネコは精悍な印象を与えますが、イエネコは小ぶりでまるっ
こい顔が温和で可愛げのある印象を与えます。

どうしてこのような変化が起こったのかは、遺伝や進化を考えるとき、それぞれ全く逆の推
定が成り立ちます。

一つは、イエネコは人間に可愛がられるように自らを進化させてきたと考える目的論的解釈
です。

もう一つは、人間の方で可愛げのあるネコを選択し繁殖し続けてきた結果、次第に私たちが見
るイエネコになっていった、という結果論的解釈です。

私は後者の方が正しいと思います。というのも、顔の形はネコ自信が意図的に変えられるもの
ではないからです。

しかし、人間と生活するようになってネコの方から意図的に人間の気を引くために変化させ行
動もあります。

上記「ヒューマニエンス」の『ネコ』が取り上げたのは イエネコ独特の“ゴロゴロ”という喉
を鳴らす音と、“ニャー”、という鳴き声です。

一般にネコが低音(20~50Hz)で喉を鳴らす“ゴロゴロ”は、ネコが撫でられたり抱かれた
りして満足しリラックスしきっている場合に出す音だと理解されています。

この低音のゴロゴロがとても癒しの効果を人に与えることはネコ好きの人は誰も知っています。

しかし、“ゴロゴロ”にはもう一つ高音(200~520Hz)の“ゴロゴロ”があることが分かり
ました。

これは、ネコがエサを要求しているときに発する音で、最近の研究によれば、この周波数は赤
ちゃんが母親の気を引く時の泣き声(300~600Hz)の周波数と重なります。

つまり、研究者によれば、この場合の“ゴロゴロ”は乳幼児の泣き声に似せて注意を惹いてエサを
要求するためにネコの方で適応したことが長い間に定着したと推定できます(注2)。

つぎに、ネコの鳴き声といえば、日本語では“ニャー”“ニャーオ”ということになります。実際、
私たちは無意識のうちに、ネコはいつも“ニャー”と鳴いていると勘違いしていますが、こうした
鳴き声はネコ同士で発しません。

この鳴き声も、ネコが人と暮らすようになって、人(特に飼い主)の注意を引くために、可愛い、
文字通り「猫なで声」を出しているようです。

ネコに関しては二つの興味深いナゾがあります。一つは、ネコは本当に魚が好きか、という問題
です。

結論から言えば、答えは簡単で“否”です。ネコは肉食動物なので、自然界ではネズミ、鳥、ウサ
ギなどが好物です。ただし、アメリカの動物学者の実験によれば、飼いネコのエサとしては、好
物の順に羊肉、牛肉、馬肉、豚肉、鳥肉、魚という順だったようです(注3)

私は子供のころにネコを飼っていましたが、このネコはしばしばネズミやスズメ、さらにはヘビ
(青大将)を捕まえては、家の中にくわえてきて、畳の部屋であたかも戦果を自慢するように私
たちに見せびらかしていました。

他方、ネコのエサは飼い主の食生活に影響を受けます。日本人は歴史的に動物性蛋白質として魚
を食べてきたので、肉食のネコに魚を与えてきたのです。こんな事情から、ネコは魚が好きとい
う観念が根付いているのでしょう(注4)。

出典 (注4)

日本人のイメージでは、“お魚くわえたドラ猫が・・”というサザエさんの歌の文句が定着している
ように思います。

確かに、進化の過程でネコが魚と出会い、食べ物にしてきた歴史はありません。ただ、私には、例
外的にネコと魚との出会いがあったのではないかとの思いがあります。

私は以前、オーストラリアのシドニーにある動物園で、“フィッシュ・キャット”(文字通りの意味は
「魚ネコ」)のイラストの展示を見たことがあります。説明には、このネコは湿地などの浅瀬で魚を
捕らえてエサとしている、と書かれていました。ただ。これはあくまでも例外でしょう。

もう一つの興味深い問題は、いわゆる「ネコの集会」です。

決まった場所に数匹から数十匹のネコが集まっている状態のことを人間は“猫の集会”と呼びます。

どこからともなく現れた猫たちは一定の距離(2〜4mくらい)を保ち、ゆるやかな円を描いて座っ
ています(写真)。

 出典 (注5)

特に何をするわけではなく、毛づくろいをしたり日向ぼっこをしたりとのんびりとした時間を過ご
しています。

喧嘩などの敵対的な行動はほとんどなく、基本的にはじっと座っていることが多いそうです。

集会は公園や駐車場、神社や空き地といった、見通しが良く開けた場所でよく行われています。頻繁
に人が出入りしないことも重要です。

地域によって場所はさまざまですが、ネコには縄張りがあるため、それぞれのネコの縄張りが重なっ
ているポイントで行われることが多いそうです。

本来単独行動を好むネコが、なぜ“集会”といわれるような行動をし、それは、何の目的で集まるのでし
ょうか?

私たちはネコに直接聞くことはできないので、想像するだけですが、これまでさまざまに考えられてき
ました。

たとえば、地域のネコ同士のコミュニケーションです。この集会いは飼い猫でも野良猫でもどちらも参
加でき、子猫から老猫まで、年齢もさまざまで、オス・メスのどちらも参加できるようです。

そのエリアで暮らしているネコ同士の顔合わせの場とも考えられています。私はこれが最も重要な目的
ではないかと考えます。

また、どのネコがこのエリアのボスなのか、猫同士の序列を確認するためという説もあります。

切実な問題として、餌場の情報交換、繁殖相手との出会いということも考えられます。

なお、「猫の集会」については1973年にドイツの動物学者が報告しており、世界中の猫で共通して行わ
れているそうです(注5)。

ただ結局のところ上記の理由は人間が想像しているだけで、今のところ決定的な理由は見つかりません。

謎に包まれているからこそ、ネコの世界、「猫の集会」がよりミステリアスで魅力的に感じるのかもしれ
ません。

(注1)『ネコ:奔放で気ままな謎の隣人』(ヒューマニエンス NHKBS 2024年3月20日 再放送)
(注2)ネコの“ゴロゴロ”音についての別の説明については
    PC Watch (2023年10月13日 11:20 https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/yajiuma/1538752.html)を参照。
(注3)Shippo  (2018/10/27) https://sippo.asahi.com/article/11900237;
    『猫壱』https://www.necoichi.co.jp/Blog/detail/id=4065#:~:text
(注4)『猫と暮らし大百科』(2021.06.39)https://www.anicom- sompo.co.jp/nekonoshiori/5890.html
(注5)Pretty Online https://www.pretty-online.jp/news/2645/
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネコの知られざる世界(1)―歴史に翻弄されたネコ―

2024-04-09 10:36:31 | 自然・環境
ネコの知られざる世界(1)―歴史に翻弄されたネコ―

今回、ネコについて書こうと思い立ったのは、我が家の庭を近所のネコ(複数)が、
まるで自分たちの通路のように我が物顔で闊歩するようになったことがきっかけでし
た。一体、ネコはどんな了見で他人の家の庭に勝手に進入しているのか知りたくなり、
ネコについていろいろ調べてみました。

いうまでもなくネコはペット界を二分する、私たちに身近な動物です。ネコ好きにと
っては知っていることばかりかと思いますが、まずは、ネコは人間社会とのかかわり
の中でどのように扱われてきたのかの歴史をおさらいしておきます。

世界のネコ事情 
イエネコの祖先はアフリカに生息していたリビアヤマネコで、農耕が始まった1万年
ほど前に人間の近くで暮らし始めたと考えられています(注1)。
 藪の中のリビアヤマネコ
 
出典 (注1)

その最も早い証拠は、1万年前のキプロスでネコの墓が見つかっています。ただし、
当時のネコが、果たして野生のネコなのか、飼育され家畜化された飼いネコ(つまり
イエネコ)なのは分かりません。

最近の研究によれば、イエネコの祖先にはふたつの系統があり、より古い方の祖先は、
紀元前4400年頃に西南アジアからヨーロッパへと拡散した。ネコは紀元前8000年頃
からティグリス川とユーフラテス川が流れる中東の「肥沃な三日月地帯」の農村周辺
をうろつくようになり、そこでネズミを退治したい人間たちと、互いに利益のある共
生関係を築いていった。

クラウディオ・オットーニ氏はDNA鑑定から、ネズミは、人間の文明が生み出す穀
物や農業の副産物に引き寄せられる。ネコはネズミの後をついてきた結果、人間の居
住地域に頻繁に近づくようになったのだろう、との結論に至りました。

彼によれば、「おそらくはこれが人間とネコとの最初の出会いでしょう」「人間がネ
コを捕まえてきて檻に入れたわけではありません」。つまり人間は、いわばネコが自
ら家畜化するのを、ただ好きなようにさせておいただけだったという(注2)。

飼いネコとなった明らかな証拠として、古代エジプトで紀元前1400年ころのテーベの
墓から出土した壁画に、狩猟する男性の傍らにたたずむネコの姿が描かれています。

ネコは、穀物をネズミの害から守るため、あるいは猛毒の蛇コブラ除けのために飼わ
れていたようです。

他方、ネコはバステスト女神という音楽や踊りを好む受胎と豊穣の神様として崇拝さ
れ、ネコが死ぬとミイラにして大切に埋葬されました。

古代エジプトのネコのミイラ

出典 (注2)の『日経新聞』

古代エジプト時代にはネコの国外への持ち出しは禁止されていましたが、ローマとの
戦争に負けてネコも国外に持ち出されるようになりました。特にローマ軍が進軍する
際に、軍の食料を守るためにネコが連れてゆかれ、世界各地に広がったとされていっ
たとされています。

イギリスからは、子供が猫を抱く姿が彫られた紀元1~2世紀の墓石が見つかってい
ます。この時代には裕福層の間でネズミの駆除と同時にペットとしても飼育されてい
たことが分かります。

ところが中世にはキリスト教が夜行性であること、人の命令に従わないといった、猫
特有の性質が悪魔的だとみなされ、ネコは魔女の手先として迫害をうけるようになり
ました。

実際、多くのネコが“処刑”され、殺され、ネコは激減しました。

しかし近世に入り、ペストがヨーロッパで大流行し、多数の死者が出るようになった
ことをきっかけに、ネコへの評価が一変しました。

当時は、ペストはネズミが媒介する伝染病だと考えられており、ネズミを駆除してく
れるネコの有用性が改めて評価されるようになりました。

15世紀~17世紀半ばの大航海時代には、世界中の海の探索や交易が盛んになりました。
元々ネコは古代から船の積み荷や食料、船そのものの躯体をネズミの害から守るため、
またネズミによる病気の蔓延を防ぐために船に同乗していました。

同乗した猫は「船乗り猫(Ship’s cat)」と呼ばれ、船の安全の守り神として、そして
乗組員たちの良き相棒として活躍しました。

ここに至ってネコは、再びネズミの駆除という役割の他に、「守り神」として、また
乗組員の相棒として、つまりペットとして人間の生活に定着していったのです。

ここで重要なことは、大航海時代にネコが世界中に広まったという点です。

近代には、ネズミ駆除というより、ペットとしての飼育が一般的となり現在に至っ
ています(注3)。

日本におけるネコ事情(注4)

日本における家畜化されないネコ(ヤマネコと総称される)としては、対馬と西表
島にベンガルヤマネコ属の亜種がいます。

すなわち前者にはツシマヤマネコが、後者にはイリオモテヤマネコが生息し、両者
とも一応在来種と考えられており、天然記念物の指定を受けています。

最古のイエネコ(飼い猫)の証拠は、弥生時代後半(6~7世紀)に発見された橈
骨(前腕の骨)とされています。当時交易のあった韓国でもその時代の貝塚にネコ
の骨が発見されていることなどから、このネコはイエネコであると思われます。

ネコは奈良時代、中国から経典をネズミから守るために輸入されたはずでしたが、
日本では早くから貴族の愛玩動物として大切に可愛がられたようです。

平安初期に書かれた「日本現報善悪霊異紀(通称日本霊異紀)」で、この中に狸とい
う記述があり、これが猫の意味であるとされています。確実な記録は(平安時代)
「宇多天皇御記」(889年)で、唐から来た黒猫についての記述があります。

この時代は、貴族の間だけとはいえ、猫がネズミを捕るための家畜動物から、希少
な愛玩動物へと変わっていった時代とも言えます。

その後ネコは長い間、「ネズミの害から穀物や書物などを守る」という本来の仕事
をせず、貴族や裕福層の間でペットとして繋がれて飼われるようになっていました。
当時、野良犬か使役、または食用とされてきたイヌとは大いに異なります。

室町時代に入ってもその傾向は続きましたが、ネズミ害を食い止めるためにちゃん
と仕事をするように、ということから安土桃山時代の慶長七年、「京都中の猫を放し
飼いにするように」「売買禁止」との法令が出されました。ネズミの害は減ったよう
ですが、野良猫が現れるようになったともされています。

また、徳川綱吉の「生類憐みの令」が1687年に発令されると、猫の放し飼いが一般
的となり、野良猫はさらに増加しました。

しかし江戸時代には、ネコは愛玩用でもありますが、何を考えているかわからない
といったイメージから「化け猫」のように一種の不気味さをもって描かれることも
ありました。

明治以降になるとヨーロッパから洋猫が流入し、庶民の間でもネコが飼われるよう
になりました。しかし戦後、特に高度経済成長期以降、欧米の犬文化が流入すると
愛玩ペットとしてはネコに加えてイヌも急速に増え、この二つがペット界を二分す
るようなりました。

しかし、イヌを飼うには広い面積が必要で、近年は毎年狂犬病や狂気に対する予防
接種が義務付けられお金もかかります。さらに雨風の時でも暑さ寒さにかかわらず
散歩に連れてゆかなければならないなど、手がかかります。

これにたいしてネコを飼うには場所も広い場所も要らないし、散歩に連れてゆく必要
もありません。私もかつてイヌを飼っていましたが、雨の日も寒い日も散歩に連れて
行くのが大きな負
担でした。

最近、近所の森に散歩に行くと、イヌを連れている人がたくさんいますが、そのイヌ
はほとんどが小型犬で、中型犬さえほとんど見ません。やはり、中型犬以上になると、
散歩も大変なのでしょう。

こんな事情を反映しているのか、2023の飼育数を見ると、イヌが684万匹で、ネコ
が907万匹で、イヌは前年から20万匹減少しています。

ところで、私たちが動物を“ペット”として飼うという場合、日本語の“愛玩動物”という
言葉が示すように、人間が動物を可愛がるという方向をイメージしがちですが、実際
にはこの点がかなり変化しているように思います。

つまり、最近ではネコに限らず、人はペットを愛玩の対象としての動物というよりむし
ろ人間と同等のパートナーとして認識しているのではないかと思います。

ネコも犬も飼い主は、ペットには人間の名前を付け、他人に話すときには “うちの子”
と言ってはばかりません。

最近では、人がペットを飼うのは、むしろ動物に癒してもらい、孤独を癒してもらうな
ど救いを求めるという側面がだんだん強くなってきているのではないでしょうか?

この場合には、動物が人間に依存しているのではなく、むしろ人間が精神的に動物に依
存しているといった方が正しいのかも知れません。

私も子供のころ、辛いことや悲しいことがあると、飼いネコに一生懸命訴えた記憶があ
ります。

動物の癒し効果を利用して心の問題の治療を行うことを「アニマル・セラフィー」と言
いますが、ネコはこの目的にとってピッタリの動物です。

ネコにはこれと言って急ぎの問題があるわけでなく、日がな一日寝ている印象がありま
す。まるで、人間に対して“そんなにあくせく動き回ってどうするの”と言っているよう
です。そんな
姿を見ているだけで、なんとも平和で見ているだけで心なごみます。

ストレス過多の現代社会においては、ネコが醸し出す、のんびりとして屈託のなさ、お
おらかさがとっても癒しになります。

ネコは、イヌのように飼い主に向かって、しっぽを振りながら駆けつけることはありま
せんが、機嫌さ良ければネコは人間に抱かれておとなしくしています。この感覚が実に
癒しになります。

機嫌が良くないときは、飼い主が名前を呼んでも知らんふりする一方、自分がかまって
ほしい時、エサを欲しい時には頭を人間の足にこすりつけるようにして甘えます。

つまり、ネコは人間の機嫌をとるでもなく、”自らの生活の方針”(なんてものがあればの
話ですが)を貫き通します。自分を通すことができにくい現代社会に生きる私たちにと
って、ネコのこうした身勝手さ我儘、良く言えば”自律心”はうらやましくもあり、ネコ
の魅力の一つです。

次回はネコの生態学的側面や日常行動について考えてみます。


(注1)ネコの進化・系統的説明については、『子猫のへや』
https://www.konekono-heya.com/history/evolution.htmlを参照
(注2)『日経ナショナル ジオグラフィック』(2017/7/3 
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO18021730T20C17A6000000?channel=D F130120166020&nra&page=2
『日経新聞』(デジタル版 2017年7月3日 5:40
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO18021730T20C17A6000000/
(注3『にゃんペディア』(世界)更新日:2023年9月20日
https://nyanpedia.com/world_history/
(注4)『にゃんぺディア』(日本 更新日:2023年5月19日)
https://nyanpedia.com/japanese_history/
    『猫との暮らし大百科』(2021年6月30日)
https://www.anicom-sompo.co.jp/nekonoshiori/5890.html#:~:text

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クロヅルはピレネー山脈を越えて―ツルと人と森が織りなす社会と文化―

2024-04-02 09:08:57 | 自然・環境
クロヅルはピレネー山脈を越えて
ーツルと人が織りなす社会と文化ー

以前ずいぶん前のことですが、このブログで『アネハヅル(姉羽鶴)はヒマラヤを越える』
という記事を書いたことがあります(2017年1月7日)。

この記事は、この渡り鳥は中央アジアから8000メートル級のヒマラヤを越えて越冬地のイ
ンドまでの渡りの実態を説明したものです。

今回は、「クロズル」(黒鶴)という渡り鳥が越冬地のスペインを出てひたすら北上し繁殖
地のスウェーデンまで3000キロの長距離を渡る物語を、ドキュメンタリー映像(注1)を
通して追ってゆきます。

クロズルは、世界でもっとも生息域が広いツルで日本も含めて世界各地に生息します。体
の高さは110センチほど、日本で見られるタンチョウより少し小柄で、胴体の羽衣は淡
灰褐色または灰黒色、頭頂部だけが赤くなっています。

クロズルの移動は、スペインを出てピレネー山脈を越え→フランス→ドイツと、人の営み
がある大地にある中継地を経てスウェーデンに達します。

                                             V字になってピレネーを越え北に向かうクロズルの群れ  

                                               出所 https://larciatoja.blog.fc2.com/blog-entry-3239.html

                                                
クロツルの渡りに関連して大切なことは、この鳥が人の営みのある場所を選んで、人間の
社会と文化と深くかかわり合ってきたという点です。この物語を、ドキュメンタリー映像
を中心にみてゆきましょう。

まず、物語はヨーロッパ最大の越冬地であるスペイン南部のエストリマドゥーラ地方の2
月初旬の様子から始まります。

この地方は、秋になると4センチほどもある大きなドングリの実をつける樫の木の森と、
その下に広がる牧草地とからなる「デエサ」と呼ばれる独特の生態系から成り立っていま
す。

ここで、樫の木の森は遠くからは密生しているようにみえるが、実際には木と木の間隔は
かなり離れています。これには、以下に述べるように重要な意味があります。

デエサでは、春から秋にかけては牧草地で牛や羊の放牧がおこなわれます。このため、日
当たりが良く牧草が良く育つように樫の木はかなりの間隔をあけて植えられているのです。
つまり、樫の木の森は林間放牧のために作られた人工林なのです。

そして、秋から冬にかけての2か月にデエサの主ともいえるイベリコ豚が放たれます。イ
ベリコ豚は100キロくらいありますが、この2か月ほどの間に栄養価の高いドングリを
食べて60キロくらい体重を増やします。

ドングリを食べるのはイベリコ豚だけではありません。実は、クロツルもドングリが大好
物で、堅い殻を嘴で器用に割って取り除き、長い旅を前に栄養を蓄えます。すなわちクロ
ズルは居候のようにデエサを利用しているのです。

デエサの森は、付近の住民によって管理され、老木や病気になった木は伐採され、新たに
苗木が植えられます。そして、伐採された木は細かく割られて薪にされパンを焼いたり暖
炉に利用されます。

以上みたように、クロズルの越冬地となっているデエサは森(樫の木とドングリ)・家畜・
クロズルと人が緊密に結びついた一つのシステムをなしていたのです。

さて、2月末になるとクロズルの群れは、いよいよピレネー山脈越えの準備に入ります。
そのため、まずはスペイン北西部にありピレネー山脈の手前にあるスペイン最大の湖、ガ
ジョカンタ湖周辺に移ります。

これには二つの理由があります。一つは、湖の周辺には畑があり、この時期には小麦や大
麦の種が蒔かれたばかりで、クロズルはその種を食料として食べることができるからです。

スペイン政府は、クロズルを捕獲するのではなく逆に保護するために、クロズルに食べら
れてしまった小麦や大麦の種の被害にたいして農家に一定の補償金を与えています。

二つは、湖の周辺の浅瀬と湿地があることです。水辺は天敵であるキツネに襲われること
がない安全な場所で、休息には必須の条件です。

これとは別に、クロズルがこの場所を中継地に選んだのは、ここからまっすぐに北上する
とピレネー山脈で最も低い場所を飛び越えることができるからです。

ここでクロズルの群れは良く晴れた暖かな日が来るのをじっと待ちます。そしてついに、
その日がやってくると、クロズルの群れは一斉に飛び立ち、昼の暖気で発生した上昇気流
を次々にとらえては旋回しながら高度を上げてゆきます。

こうして、自分の力を使わずに、500メートルからうまくゆけば1000メートルまで
上昇することができます。

ピレネー越えには、最も低いイバニエタ峠の上空を通過します。この峠は中世以来、フラ
ンスからスペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼のルートでもあり
ます。

この際、ヒマラヤ越えのアネハズルと同様、クロズルの群れもV字型に編成を組みます。
映像では説明がありませんでしたが、おそらく順繰りに風よけの場所を交代しながら超え
ていったのでしょう。

ピレネー山脈を越えるとフランスのアキテーヌ地方に入ります。この北部は有名なワイン、
サンテミリオンの産地です。ブドウ農家の一人は“ツルが来ると畑で働く時期だと先祖代々
いいつたえられてきたんだよ”と語っています。

畑の作業とはブドウの木の剪定のことで、新芽の発芽を促し若い枝を伸ばして実の付きを
良くする大事な作業です。つまりクロズルは春を告げ、農作業開始を告げる鳥なのです。

ただし、クロズルのお目当てはブドウ畑にはありません。この地域の南はトウモロコシ畑
になっています。

クロズルが来るころには前年の収穫が終わり、次の種まきまで土地を休ませている時期で、
クロズルは収穫の際に取りこぼしたトウモロコシを食べにここにやってくるのです。

フランスのアキテーヌで3月下旬まで過ごすと、クロズルの群れはドイツの北東部、バル
ト海に面したドイツのリューゲンボック地方に毎年2000羽ほど降り立ちます。

クロズルがやってくる頃は畑に小麦の種を蒔いたばかりで、クロズルに食べられてしまい
ます。多い時には蒔いた種の半分ほどが食べられてしまうこともあったそうです。

そこで15年ほど前から、収穫を終えたトウモロコシ畑にエサ場を設け、クロズルのNP
O保護団体と自治体が2~3日に一度500キログラム、年間で6トンほどの小麦をエサ
として撒き、本来の小麦畑の種を守っています。

4月初旬、いよいよ繁殖地、スカンジナビア、スウェーデンのホーンボルガ湖周辺のハム
ラを目指してバルト海を渡ります。この地域には1万8000羽ほどが各地からやってきます。

このとき、クロズルはそれまで子供を含む家族単位で移動してきましたが、繁殖地に向か
うときには子供と別れ夫婦(つがい)だけで繁殖地に向かいます。

人々は、春を告げるクロズルがやってくることを心待ちにしています。そして、実際にや
ってくると、ここでも、地域の人たちが毎日、エサ撒きをしています。

この地域では、繁殖と子育てに欠かせない湿地を守るために国有の林業会社が、湿地の周
辺の森を保護しつつ慎重に木材の切り出しを行っています。

6月半ばにはヒナが生まれます。この時、湿地は天敵から守ってくれるうえ、ミミズや昆
虫など小動物はヒナに恰好のエサを与えてくれます。

以上にみたように、クロズルは人間の営みのある場所を利用して移動し繁殖します。その
過程でクロズルは人間社会と緊密な関係の中で生きているとえます。

今から200年ほど前まで、クロズルはヨーロッパのほとんどの地域で繁殖していました。
このため、ヨーロッパ各地にクロズルと人との交流が文化として定着してゆきました。

春まだ浅い時期にクロズルがやってくる地方では、クロツルの到来は春の訪れを告げ、人
びとは農作業に取り掛かる時期を知ります。

現在、スペインからスウェーデンに至る各地、特に中継地ではクロズルが飛来すると、日
本のお花見のように人々が集まり、春の到来を祝う文化が定着しています。

パリ郊外のプロヴァンで行われる中世祭りでは、人びとは中世の衣装を身にまとって練り
歩き、当時の市(いち)の賑わいを再現します。

そして、主に中世のフランスでお祭りや祝宴で踊ったダンスを踊ります。かつてはレスト
ランや結婚式の披露宴では食事の間中踊っていたという。

中世祭りの際に踊るダンスは、その名も「ツル」と呼ばれる、ツルの求愛のステップを真
似たものです。これはツルがとても身近な存在であったことを示しています。

中世祭りで踊る、クロズルのステップを真似た求愛ダンス                        繁殖地のハムラでクロズルの飛来で夏の到来を喜ぶ人々
 
出所 上記のテレビ番組から                                     上記のテレビ番組から  

また、14世紀に栄えた町、ドイツのウィスマールの教会はかつて病院として使われてい
ました。そのドアに、片足で石をつかんだツルの絵が描かれています。

この絵には、人びとがツルという鳥にどんなイメージを持っていたかを示しています。教
会の牧師は、
    ツルは知性ある見張り役であると考えられていました。自分が眠ってしまわない
    ように石をもっているのです。もし眠ったら石が水に落ちて目が覚めるように。
    ですから、ここに描かれたツルは思慮深さと注意深さのシンボルなのです。この
    病院で助けを必要としている人々に思いやりを持って接するようにという教えな
    のです。
と説明しています。

渡りの最終地ハムラという町では、クロズルの飛来とともに草と花で飾ったポールを立て
てその周りを老若男女が歌い・踊りながら夏の到来の喜びを爆発させます。

クロズルは過去においてヨーロッパ全域に生息し、人間社会と文化と深くかかわってきま
したが、今日でもその伝統文化は至るところに見られます。

日本人は自然を愛する国民だと自ら思っているかもしれませんが、クロズルとヨーロッパ
人とのつながりを見ると、彼らの方がはるかに自然と密接に暮らしているように思えます。

(注1)「シリーズ ヨーロッパの自然 『300キロ クロズルの渡りを追う』」(NHK
BSプレミアム 2024年3月28日放送


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする