大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

文脈全体で真相に迫る(1)―日大アメフット危険タックル事件の場合―

2018-05-27 07:07:09 | 思想・文化
文脈全体で真相に迫る(1)―日大アメフット危険タックル事件の場合―

5月6日に開催された日大アメリカンフットボール(以下「アメフット」と略す)と関西学院大学(以下「関学」と略す)
アメフット部との定期戦において、日大アメフット部の宮川泰介選手が関学クオーターバックに反則タックルを行い、その
ためタックルされた選手は全治3週間のケガを負いました。ただし、幸い神経の損傷はなく日常生活には支障ないようです。
(ちなみに今月27日の試合には出場しています)

この問題は今や日大全体、あるいはスポーツをめぐる社会問題となっています。

ちなみに、体と体が激しくぶつかり合うコンタクト・スポーツ(サッカー、ラグビー、アメフット、アイスホッケー)など
では、ケガはそれほど珍しくありません。

高校時代にサッカーをしていた私の知人によれば、そのチームでは“削る”という表現があり、これは意図的に相手の選手
の足にラフ・プレーでケガをさせて、その試合を続けられなくすることだそうです。

あるアメフット関係者は、アメフットのようなスポーツでは2~3週間のケガというのは、それほど深刻というわけではな
いが、今回の反則タックルで2~3週間のケガで済んだというのは幸運かもしれない、と語っています。

というのも、今回のタックルでは、頸椎や脊椎が骨折したり、その中の神経の束が損傷を受ければ、重度の麻痺や、最悪の
場合、死ぬ危険性さえあったからです。

関学のクオーターバック(QB)がパスを投げ終えてから2秒後に後ろからタックルされたのですが、元プロの川口正史氏
は、2秒後というのは選手にとっては15~20秒、人によっては1分くらいに感じる、それくらい無防備になるそうです。

この状態でタックルを受けるというのは、「皆さんが町のなかで景色を見ている時に体重100キロくらいの男が全速力で
突っ込んでくるようなものです」(『東京新聞』2018年5月18日)。

映像でみると、後ろからタックルされた選手は頭と背中がのけぞりながら倒れてゆきました。この映像を見た時、よく重大な
損傷にならずに済んだと思いました。

この件のあらましやその後の展開については、メディアが毎日報道しているので、ここではそれらを繰り返えさず、今回の問
題の何が真相で、どのようにそこに迫るのか、という方法に焦点を絞りたいと思います。

その方法を一言で言えば、文脈全体から問題をとらえる、ということになります。具体的に見てゆきましょう。

もっとも、この問題に関する限り、敢て「文脈全体」と強調しなくても、事の顛末ははっきりしていますが・・・。

まず、今回の反則タックルを生んだ、最も重要な文脈は、昨年、27年ぶりに「甲子園ボウル」で関学に勝って優勝したこと、
その偉業をこれかも続けてゆくために、どんな手段を使ってでも関学に勝たなければ、という監督・コーチ陣の強い思いです。

この文脈の中で現在、争点となっているのは、宮川選手が反則タックルをするよう、コーチなり監督が指示したかどうか、と
いう点です。

今月22日に宮川選手は記者会見で井上奨コーチから、「相手のクオーターバック(QB)を一プレー目でつぶせば(試合に)
出してやると(監督から)言われた」と告げられたこと、ここで宮川選手は「つぶせ」という指示を「ケガをさせろ」という意
味でとらえた、と説明しています。この意味で、反則タックルは「実質的に」井上コーチと内田正人監督(当時)の指示であっ
た、と宮川選手は言っているのです。

これに対して15日に日大側から関学大に提出した回答では、指導者による指導と選手の受け取り方に乖離が起きていたことが
問題の本質、と書かれ、その後の発言でもこの見解を続けています。

言い換えると日大側は、厳しく当たれという指示を、宮川選手が勝手に「ケガをさせろ」と解釈してしまったことが本質だ、と
主張しているのです。

また23日の記者会見で内田前監督は、QBをつぶせというのは自分の指示ではない、と語り、また井上コーチは、相手のQB
をつぶせという指示はしたが、「ケガをさせることを目的とした指示ではなかった」と答えています。

確かに、宮川選手も井上コーチも内田(前)監督も「ケガをさせろ」という直接的な言葉による指示はない、と言っています。

次回に検討する政治の世界でもよく起こることですが、「言った」、「言わない」という水掛け論のように聞こえます。

しかし私は、「ケガをさせろ」という言葉があったか否かが決定的な問題ではなく、文脈全体から判断して「指示はあった」と
考えます。

宮川選手はなぜ危険を承知で反則タックルをしなければならなかったか、という問題こそが問題の本質です。

まず、宮川選手は、「たとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身が『やらない』という判断ができずに、指示に従って
反則行為をしてしまったことが原因である」と、自分の罪を正直に認めています。

その上での証言は、非常に具体的で、矛盾がなく、筋がとおっていて、信ぴょう性があります。

宮川選手には、もう失うものはない、とのスタンスがはっきりしており、本当のこと言っているとの印象を持ちましたが、コー
チと監督には職責や地位という「失うもの」「守りたいもの」があるため、記者会見での答えも矛盾やあいまいさがあり、言う
ことが多少変わってきました。

次に、6日の試合に至るまでの状況を、時系列を追ってもう少し具体的にみてみましょう。

今年度の試合は4月22日と29日の2回行われ、両方ともスターティング・メンバーで出場していた。つまり、彼の実力はコ
ーチ・監督とも認めていたのです。

ところが、5月3日の実践形式の練習で、プレーが悪かった(やる気が足りない。闘志が足りない)として練習を外された。

5月4日、宮川選手は6月に中国で行われるアメフット大学選手権大会の日本代表に選抜されていたが、練習前に監督から「日
本代表に行っちゃだめだよ」と言われた(ただし、その理由は説明なし)宮川選手は「分かりました」と答えた。

この日の実践練習は、コーチに確認したところ「宮川は出さない」と言われ外された。

5月5日。この日も実践練習から外された。練習後井上コーチから「監督に、おまえをどうしたら試合に出せるか聞いたら、相
手のQBを一プレー目でつぶせば出してやる」と言われた。『QBをつぶしにゆくんで僕を使ってください』と監督に言いに行
け」と言われた。

さらに「相手のQBがケガをして秋の試合に出られなかったこっちの得だろう」「これは本当にやらなくてはいけないぞ」とコ
ーチから念を押された。

5月6日(本件当日)。宮川選手は、ここでやらなければ後がないと思いつつ試合会場に向かった。しかし試合のメンバー表に
自分の名前はなかった。

監督に「相手のQBをつぶしに行くんで使ってください」と伝えたところ、監督からは「やらなきゃ意味はないよ」と言われた。

井上コーチには「リード(本来のポジションでのプレ-)をしないでQBに突っ込みますよ」と確認すると、「思い切っていって
こい」と言われた。

では、試合当日に「なぜ危険を承知で反則タックルをしなければならなかったか」という、問題を考えてみましょう。

すでに多くの論者が指摘しているように、宮川選手は、問題が起こる試合の数日前から実践形式の練習から外され、日本代表も辞
退を言われ、6日の試合にも出してもらえない状況にありました。

唯一、彼に残されたチャンスは、1プレー目で相手QBを潰すこと、しかも相手をつぶすくらいの強い気持ちでやってこいと言う
意味ではなく、本当にやらなくてはいけないのだと追いつめられて悩んだ、と心情を語っています。

このように思わざるを得ないほど、宮川選手は強いプレッシャーを受けていたことがわかります。

試合の当日監督とコーチは、「ケガをさせろ」という指示に限りなく近い言葉を発しています。たとえば試合直後に関東がインタ
ビューに答えて、「あれぐらいやらなければ関学みたいなチームには勝てない。宮川もこれから良くなるだろう」と言っています。

以上を総合的に考えると、コーチと監督は「ケガをさせろ」「得になる」とは言ってない、と答えていますが、それらの言葉が実
際に発せられたか否かよりも、文脈全体からみて、やはり「指示はあった」ということが「真相」(現段階では「事実」とは言い
切れない)に近いと思います。

問題が大きくなって、日大アメフット部の問題から日大全体の問題へと拡大しています。25日には学長が記者会見を開き、謝罪し
ましたが、コーチと監督の指導に誤りがあったかなかったのかには言及しませんでした。

現役部員は近く抗議の声明を出すそうですが、私が疑問に思うのは、今回の問題に関して教授会が何の反応もしていないことです。

日大のアメフット部は任意団体なので事情が違うかもしれませんが、それでも大学の部活動は教育の一環ですから、何らかの形で教
授会が関わっているはずです。現在、教職員組合が声明を出していますが、本来は、教育を担当する教授会も何らかのメッセージを
出してもおかしくはありません。

次に、一般の学生の動きがまったく伝わってこないことです。これは現代学生気質というものでしょうか?

なお、今回の「事件」は警察と法廷の場に移されることになりました。現実に負傷者が出ている以上、これは、仕方がないかも知れ
ませんが、私個人としては教育の一環である部活動に警察や司法が入ってくることには、いささか違和感があります。

今回は、スポーツの試合中に起こった反則タックル問題に限定して、その真相を文脈全体から検証しましたが、今や、アメフット部
の枠を超えて、マンモス大学日本大学という、大きな文脈全体の中で検証する必要が出てくるかもしれません。

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栃木市内を流れる「巴波川」は、かつて江戸までの舟運が盛んで、巴波川―思川―渡良瀬川         経済交流で栄えた栃木には、巴波川沿いに、今でも江戸時代から
―江戸川―行徳―小名木川―隅田川―江戸との舟運が利用された。市内には4つの川港(河岸)       の蔵が今の立ち並ぶ。
がある。ここは、その一つで、舟だまりがある。 







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またまた驚きの天才「少年」棋士―藤井聡太新七段の場合―

2018-05-20 06:10:29 | 思想・文化
またまた驚きの天才「少年」棋士―藤井聡太新七段の場合―


このブログで、藤井聡太君を天才棋士として紹介したのは、今年の2月4日のことでした。

この時は、5段になってわずか16日で六段に昇段してしまったことに、私は心底、驚きました。

そして5月18日、この日の対局は、「竜王戦」というタイトルをかけた予選トーナメントの一局
にすぎなかったのですが、対局前からメディアはかなり注目していました。

その理由は、この対局に勝てば、藤井君は史上最年少(15才9か月)、最短期間で七段に昇段し、
加藤一二三氏の記録を61年ぶりに破ることになるからです。

若干15才の、「少年」と言ってよい若者が、プロになってわずか1年7か月で七段に昇段という
のは、まさに驚異的なスピード昇段です。

ちなみに、非常に優秀と言われている棋士でも、7段になるには10数年かかっていることを考え
ると、藤井君の7段への昇段がいかに異例なケースであるかが分かります。

今では、対局中の食事(メディアでは勝負メシと呼んでいる)に何を食べたかがニュースになります。

もはや「藤井聡太」は、社会現象です。

現在、プロ棋士(四段以上)になっている人たちはほとんど、子どものころには天才と呼ばれ、将棋
の世界に入ります。

そうした天才集団の中で、飛び抜けた成績を収めているのが藤井君なのです。

私自身は囲碁ファンで、将棋の面白さは分かりますが、戦術など技術的なことはあまり分かりません。

それでも、藤井聡太君に関しては、ちょっと別格の関心があります。

それは、彼が本当の「天才」であり、そもそも天才とはどんな存在なのかを、将棋を通してみていた
いという強い関心があるからです。

私は、どんな分野でも天才という存在に強い関心と憧れをもっています。これは、自分がごく平凡な
人間だからなのでしょう。

藤井君の対局中の立ち居振る舞いや話から、彼が「天才」だと思う資質いくつかあります。

まず一つは、藤井君を見ていて思うのは、どれほど重大な対局でも、彼は一旦、将棋が始まると、瞬時
にその対局に没頭してしまうことです。

もちろん、この対局に勝ったら昇段できるとか、タイトルと取れるとか、収入が増えるとか、そういう
気持ちは多少あるかも知れませんが、どうも様子をみているとそれが感じられません。

あくまでも彼は謙虚で冷静です。自分の15才の時と比べると、藤井君は本当に15才なのか、と疑い
たくなります。

第二の資質は、集中力が切れないことです。18日の対局もそうでしたが、10時間ちかくの対局中、
ずっと冷静さを保ったまま集中力が切れませんでした。

普通の棋士は、集中力に多少の波はあるものですが、彼の場合、集中力の全く感じられません。

第三の資質は、彼の読みの深さ・速さ・正確さ・鋭さです。これらの能力は棋士の命です。

多くの棋士は、これら四つの能力を長い年月をかけて修行と経験を積んで習得するのですが、藤井君は、
この若さで身に付けてしまっているのです。それも飛び抜けて優れた能力を。

今回も、ある着手の意味が、その時には分からず、ずっと後になってようやく分かる、という場面があ
りました。それだけ、先の先まで読みが透徹しているのでしょう。

第四の資質は、発想の豊かさと柔軟性です。

今回の対局を見ていても、ただ一方的に攻めるのではなく、守るべき場面ではしっかり腰を落として守り、
攻める時には一気に攻める。この攻守のバランスが実に素晴らしかった。

しかも、攻めることも守ることも、実に発想が豊かで、解説者も想定していなかった手が、ここぞという
時に飛び出してくるのです。

今回、相手を投了させた一手は、解説者でさえ気が付いていませんでした。いろいろ展開を予想している
最中に藤井君が指した手をみて、「まさかこの局面で詰め(相手を負かす)手があるとは!」、と驚いて
いました。

読みの深さや鋭さヒラメキは、一言でいえば「センス」と表現できるかもしれません。

では、どうしたらセンスを磨くことができるのでしょうか? これは誰もが知りたいことですが、実は、
一番やっかいな問題です。

ある野球の名手がかつて、「守備は技術だから訓練と経験でうまくなることはできるし教えることもでき
る。バッティングもある程度の技術的なことを教えることができるが、バッティング・センスは教えるこ
とはできなない。バッッティングは最終的にはセンスは天性のものだから」と言ったことがありました。

将棋においても、「定跡」と呼ばれる、長い年月をかけて築き上げられた基本的な戦略や戦術はあります。
プロを目指す人は、定跡をマスターした上で、最高峰を目指して日夜研究と経験と努力を重ねています。

しかし、それでも差がついてしまうのは、やはり何かが違うのでしょう。

努力といえば、藤井君はもちろん、寸暇を惜しんで将棋の研究をしていますが、他の棋士よりも飛び抜け
て多くの時間を割いて研究しているわけではありません。

藤井君は、この3月末まで中学生で、現在は高校1年生の学生です。他のプロ棋士が将棋だけに時間とエ
ネルギーを割くことができるのに対して藤井君は週5日学校に通いながら将棋の勉強もしているのです。

「天才」とはそもそも「天から与えられた才能」です。

五木寛之氏がかつてあるエッセイで、「私は人一倍努力したから、このような成功を収めることができた、
と自慢するのは傲慢だ。なぜなら、人一倍努力することができるということ自体、天から与えられた才能・
資質だから」というような趣旨のことを書いていました。

彼に言わせると、こうした資質を与えられた人は、それを自慢するのではなく、そのことに感謝して謙虚
に振る舞うべきだ、というのです。

藤井君の集中力、発想の豊かさや柔軟性、読みの深さ・速さ・正確さ・鋭さなどは、研究や経験を超えた、
天から与えられた能力・才能としか考えられません。

英語で、このような能力を “gift” つまり「神から与えられた才能」「天賦の才能」と言いますが、藤
井君をみていると、それを感じます。

それでは、私たちの全ては生まれながらの能力によって、優劣がきまってしまうのでしょうか?

私はそうは思いません。

将棋を例にとると、一つは、今のところ藤井君の才能に周囲の棋士がまだ慣れていないために彼の強さが際
立っているという面があると思います。

さらに、読みの力は必ずしも理詰めの合理的な判断というわけではなく、その人の人間としての個性や性格
が多分に影響すると思います。

藤井君は、現在は将棋一筋の人生ですが、これからの人生で人としてさまざまな経験を積んでゆく過程で、
彼の個性も人生観も変わってゆくでしょうから、その時、どのような将棋を指し、どんな棋士になるのか楽
しみです。

藤井君の場合、彼の「天賦の才能」は将棋において花開いていますが、だれでも何らかの「天賦の才能」に
恵まれていて、その人だけの個性を持っていると思います。

私は、天才を尊敬し憧れますが、それと同時にいろんなことに関心をもち、感性豊かな人間が理想です。

それにしても、卓球界や将棋、囲碁の世界(最近、囲碁の世界選手権で日本人として初めて優勝した、17
才の天才棋士、芝野虎丸君)など若い天才がこれほど一度に出現しているのは、歴史的なことで、私として
は当分、興味が尽きません。



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劣化する官僚と政治―柳瀬唯夫氏と加計問題―

2018-05-13 13:51:06 | 政治
劣化する官僚と政治―柳瀬唯夫氏と加計問題―

5月10日の国会へ参考人招致として出席した柳瀬唯夫(元)内閣総理大臣秘書官の発言を聞いて、多くの人は、
あまりに幼稚な言い訳に唖然としたのではないでしょうか?

エリート官僚がこれほど見苦しい、みじめな姿を国民の前にさらしたのは、佐川元財務相理財局長(後に国税庁
長官)、そしてセクハラ問題で辞任に追い込まれた財務相事務次官の福田淳一氏に続いて3人目です。

柳瀬氏側(安倍首相も含めて)には、大きな誤算があったと思われます。

実は、5月10日の参考人招致に先だって柳瀬氏と安倍首相は訪米の旅に出ており、その間中、国会での想定さ
れる質問に対する答えを十分に話し合ったと思われます。

国家での、柳瀬氏の証言の要点は、以下の通りです。

1 柳瀬氏は2013年5月に、安倍首相別荘で加計学園側の加計孝太郎理事長と会った。

2 2015年2~3月ごろ学園関係者と首相官邸で面会し、学園の獣医学部新設計画を認識した。

3 同年4月ごろ(正確には4月2日)、首相官邸で学園関係者と面会した。この時、愛媛県と今治市の職員が
  10人近い随行者の中にいた可能性もあり得る。(以前は、記憶にある限り彼らとは会っていない、と言っ
  ていた)名詞の交換をしたか、との問いに、それには答えず、「私が保存している名詞の中に愛媛県や今治
  市の方の名刺はなかった」と答えました。

4 首相ではなく「総理」という言葉ではあったと思わるが、「首相案件」とは一般論で、個別のプロジェクト
  と言っていない。

5 官邸で学園関係者と会ったのは計3回。3回目は今治市が特区申請した6月4日前後。いずれも自らの判断。
  国家戦略特区関係で、他に面会はしていない。

6 首相には一切報告せず、指示も受けていない。

7 の下村博文文部科学相の発言について。述がある、との質問に、総理と加計孝太郎氏との会食の際、の方と
  の間で、獣医学部新設の話がでた覚えは全くない、と答えた。

他にも柳瀬氏の答弁には疑惑がいくつもありますが、取りあえずここまでにしておいて中身の検証に入ります。

おそらく、当日は以上の答弁で逃げ切ったと思ったことでしょう。

しかし、この練りに練った答弁の中でも問題は山積みです。

まず、首相秘書官が、個別の事業者と3回も、地方の職員と事業者と官邸で面会するとうことは常識的に考えら
れないだけでなく、明らかに公平性を欠いています。

次に、首相が力を入れて、早急に勧めるよう要請を受けていた柳瀬氏が国家戦略特区の進捗にかんして、首相に
全く報告しないということは、あり得ないことです。

というのも、愛媛県の職員と加計学園に、他ならぬ官邸で会うことについて、安倍首相の指示か了解なしに官邸
で会うことをセットすることはあり得ないし、まして、その結果を首相に報告しないこともあり得ません。

首相秘書官を務めた経験をもつ江田憲治氏は、「柳瀬氏が加計学園関係者と面会したのは、総理大臣か政務の首
席秘書官からの指示があったとしか考えられない」も明言しています。

ところが、この参考人招致の翌日(11日)、安倍首相と柳瀬氏の想定ストーリーをくつがえす予定外の反撃が
待っていました。

それは、4月2日に柳瀬氏に面会した愛媛県職員が残したメモと柳瀬氏の名刺です。

中村時弘愛媛県知事は記者会見を開き、カメラの前で柳瀬氏への怒りと強烈な反論を展開しました。

まず、名刺の問題ですが、参考人招致の際に柳瀬氏は名刺交換を否定しました。その時点では、愛媛県側に名刺
があるはずで、それが出てこないというのは、やはり交換がなかったのでは、という柳瀬氏の援護射撃をする人
もいました。(下の図を参照)

それを意識して、中村知事は記者に名刺のコピーを公開しました。この時点で、柳瀬氏の答弁の信頼性はグラリ
と揺らぎました。

次に、当日官邸にいたのは10人ではなく6人で、うち3人が愛媛県職員だった。柳瀬氏は、当日10人ほどい
たので、果たして愛媛県側の人がいたかどうか、認識できなかったと述べています。とにかく、ここで、愛媛県
側の職員の存在を否定したかったのでしょう。

というのも、あとで触れますが、当日官邸にいた職員が会談の詳細なメモを残しているからです。

柳瀬氏は、4月2日の会談で、吉川康弘元東大教授が、獣医学教育に関して情熱的に話した、と述べていますが、
愛媛県側の記録では、吉川氏は当日いなかったことが判明した。

愛媛県の職員について柳瀬氏は「バックシートに何人か座っていたように思う」と答えましたが、中村知事は、
メインテーブルに座っていた6人のうち右の3人が県諸君であった、と述べています。

柳瀬氏の県職員について、「あまりお話しにならなかった方は記憶からだんだん抜けていく」という発言にたい
して、中村知事は「子どもの使いで行っているわけではなく、県職員として県の状況を説明した、と明確に指摘
しています。

まさに、ここがポイントで、柳瀬氏はあたかも、県職員が何も言わずに座っていただけのような言い方に、強い
怒りを表わしています。

中村知事は、県職員が書いた4月2日の会談のメモをも公開しました。

この会談前のある日、安倍首相と加計孝太郎氏が会食した際、(安倍首相が)「下村文科大臣が加計学園は課題
への回答もなくけしからんとの発言があった」とのことであり、その対策について柳瀬氏に意見を求めところ、
柳瀬氏から「今後、策定する国家戦略特区の提案書と併せて課題への取組状況を整理して、文科省に説明するの
がよい」とのアドバイスがあった(『東京新聞』2018年5月12日 より)。

以上の証拠に基づいて中村知事は柳瀬氏が「誠心誠意、真実を語っていない」「強烈な言葉で言うなら、うそ」
とはっきりいています。

元首相秘書官に対して、公に「うそ」と言っているのは、よほど腹に据えかねたからでしょう。「相手は総理秘
書官。行った職員は必死になって一言一句もらさず報告したいという気持ちだ。県が文書を改ざんする余地はな
い」と強調しました。

ごく常識的にみて、柳瀬氏の言っていることと、中村知事の言っていることの、どちらが真実であるかは、いう
までもなく明らかです

問題は、次の点にあります。

出発点は、安倍首相が国会で、加計学園が戦略特区で獣医学部を申請していることを知ったのは、昨年(2017年)
1月20だった、と答えていることです。

したがって、2015年の4月までに加計学園および愛媛県側と総理秘書官が官邸で面会し、アドバイスをして
いたこと、そしてその経過を首相に報告していた、となると、首相の国会での答弁が、くつがえされてしまいます。

柳瀬氏は、これの点を防ぐために、あくまでも自分だけの判断で面会し、首相に報告しなかったと強弁しているのです。

同様に、県職員のメモで、まことに安倍首相にとって不都合なことは、2015年4月の面会前に安倍首相と加計孝太
郎氏が会食し、その場で下村文科大臣が加計学園の申請について安倍首相に話した、との内容です。

これも、安倍首相は、当初から加計学園の申請を知っており、加計学園の申請を通すために、いろいろ画策していたこ
とを証明してしまうことになります。

中村知事は、必要なら国会で証言すると、言っていますが、自民党はこれを拒否しています。理由は、中村氏が、直接
に面会に立ち合ったわけではないから、というものです。

しかし、前の知事も面会に立ち合ったわけでもないのに国会によんで、獣医学部新設の必要性を話させているのです。
自民党の言い訳もまったく筋が通りません。

一つ、うそをつくと、それに合わせて次から次へとうそを重ねなければなりません。

今回の加計問題の本質は、やはり安倍首相のお友達である加計氏の念願を通すためにすべての歯車が回っていたことに
つきます。

昔風に言えば、東大出の「優秀」な官僚のトップといえども、恥も外聞も捨てて、ウソにウソを重ねた答弁をしなけれ
ばならないと、傍で見ていて痛々しい限りです。

国民の税金で養われている国家公務員が、国民のために奉仕するのではなく、首相のために奉仕する構造は、官僚の幹
部人事を官邸が握るようになったことの弊害の一つです。


そして、自民党議員は、何が本当かは分かっているはずです。それでもほとんど安倍政権のやり方を正面から批判して
いません。官僚だけでなく政治家の劣化も相当進行しています。





柳瀬氏の名刺と会談の人物配置図 (『東京新聞』2018年5月12日より転載)





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南北首脳会談(2)―「蚊帳の外」に追いやられた日本政府―

2018-05-06 06:32:29 | 国際問題
南北首脳会談(2)―「蚊帳の外」に追いやられた日本政府―

2018年5月27日に南北朝鮮の休戦ライの板門店で行われた、南北首脳会談について、前回の記事で、
歴史が動いた日と高く評価しました。

この会談では、南北朝鮮の休戦協定を年内に平和協定に変えること、南北朝鮮の敵対的軍事行動を行
わないこと、そして、北朝鮮の非核化が確認されました。

この会談の成果に関して、これまでも、そして今でも北朝鮮に対する「圧力 圧力」を言い続けてい
る日本政府は、表面的には一応「大きな前進」と一応評価しながらも、北朝鮮の非核化や拉致問題の
解決に向けた道筋が見えたとは言えない、懐疑的な反応でした。

政府がこの会談に冷淡であるのはこれまでの経緯を考えれば当然かもしれないが、日本のメディアも
かなり冷淡な扱いでした。

ジャーナリストの青木理氏は、「政権が煽る勇ましい反北朝鮮ムードに、メディアも毒されていた」
と批判しています。

すなわち、南北融和の機運が高まりつつあった今年始め、政権に近い社ばかりでなく」『毎日新聞社』
は社説で、「北朝鮮の機嫌をとるような韓国の姿勢には違和感を覚える」(1月19日)と、韓国の文大
統領に批判的でした。

朝日新聞も同様に、北朝鮮の態度変化を「北朝鮮の特異な『くせ球』というべき」(1月5日)、金正
恩氏に疑いの目を向けていた。

それでは、会談後の論調はどうだったのだろうか?

『朝日新聞』(28日朝刊)は、社説では一応、この会談を「平和の定着につなげたい」と書いています
が、一面では、最大の焦点である「非核化」の具体策が示されていない点を強調しています。

また、『毎日新聞』(28日朝刊)の一面の見出しは「半島の非核化 目標」とし、最大の焦点である非
核化は「目標」にすぎないこと、このため具体的な方策が示されていないこと、を強調しています。

また同紙のこの日の社説でも、非核化の問題は「原則的な合意にとどまった」と会談の中身に懐疑的な
論調でした。

政権寄りの『読売新聞』(28日)に至っては、見出しが「具体策なし」、です。

こうして見ると、日本のメディアは総じて、南北会談の最大の焦点が「非核化」であるとの立場から、
その成果に懐疑的な評価を下していることが分ります。

こうした評価がいかに的外れであるかは前回の記事で書いたとおりですが、もう一度確認のため書いて
おきます。

まず第一に、今回の首脳会談は、あくまでも南北朝鮮の統一と平和体制の構築が最大の目的であり、
非核化が最大の焦点ではありません。

ついでに言えば、国境を接している北朝鮮が韓国に対して核兵器を使うことは、あり得ません(使え
ば、北朝鮮も放射能に汚染されるので)。

「板門店宣言」の全文を読めばわかるように、「非核化」に触れたのは最後の部分だけです。全体の
80%は統一と平和構築の問題です。

第二に、非核化の問題は米朝の問題で、韓国は当事者能力を欠いています。それでも「宣言」の最後
に触れたのは、あくまでも米朝会談が良好に進む、そのための橋渡しとして韓国がこの問題を含めた
だけです。

第三に、私が最も不可解なのは、日本はアメリカの核の傘の下にいて、さらに言えば、唯一の被爆国
でありながら国連の核兵器禁止条約の議論にも参加せず、結果としてこれに反対さえしている事です。

もし、日本政府やメディアが北朝鮮の「非核化」を主張するなら、まず最初にアメリカの核の傘から
抜け出す必要があり、国際的舞台では「核兵器禁止条約」に賛成することです。

自分はアメリカの核兵器の力を借りながら、北朝鮮に一方的に非核化を要求するのは理性もバランス
も欠いています。

実際問題、現在まで、もっとも脅威となってきたのはアメリカの核兵器で、ベトナム戦争でも北朝鮮
に対しても、核兵器の使用を具体的に検討してきた経緯があります。

日本政府とメディアは、こうした自己矛盾に平気でいられることが信じられません。政府もメディア
も、もう少し自分の立場を冷静に見つめ、理性的に考えて欲しいと思います。

譬えて言えば日本は、銃を持った屈強な男の陰に身を潜めて、他の人に「銃を捨てろ」と言っている
のと同じです。

拉致問題 日本にとって拉致問題は北朝鮮との間に存在する見解決の重大な問題です

が、これはあくまでも、日本と北朝鮮との二国間で解決すべき問題です。

しかし、安倍政権は拉致問題の解決をトランプに懇願したり、韓国の文大統領に口添えをお願いした
りしていますが、これは全くの筋違いです。

2002年9月17日に、当時の小泉首相と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長との間で合意さ
れた「平壌宣言」には、北朝鮮は拉致問題が北朝鮮によって行われたことを認め、項目五で、北朝鮮
は拉致者に関する調査を行い、その報告をすると同時に、帰国させることがか書かれています(注1)

この「宣言」から16年、日本は北朝鮮との間で解決のためにどのような努力をしてきたでしょうか?

青木理氏もいうように、安倍首相は、「北朝鮮への強行姿勢を“売り物”に政界の階段を駆け上がった」、
そして「拉致問題の解決」は当初から訴えた最大公約でした(『週刊現代』2918年5月5日、12日合併号、
147ページ) 。

しかし、現政権の姿勢では事態が進展することは期待できません。そこでトランプ大統領と文大統領
に泣きついた、というのが実情です。これは、明らかに外交の失敗です。

ところで、今回の南北首脳会談に関して、日本がまったくの「蚊帳の外」になっていることも、重大な
安倍外交の失敗です。

安倍首相は、ことあえるごとに北朝鮮に対する「最高度の圧力」を言い続けています。

これは、アメリカのトランプ大統領が、「あらゆる選択肢は机の上にある」「最高度の圧力」をかけ続
ける。と繰り返し述べてきたことを真に受けてきたからでしょう。

確かにアメリカは強行な軍事的手段をちらつかせ、金委員長の「斬首作戦」まで検討していたようです。

この「圧力」に関しては安倍首相とトランプ大統領の言葉に相違はありません。しかし、この二人には
決定的に違う点があります。

アメリカは一方で、軍事的行動を背景に「圧力」を言い続けてきましたが、他方で、昨年から北朝鮮と
の外交交渉をスイスや北欧の国でひそかに続けていたのです。「圧力」と「対話」が外交常識です。

これにたいして安倍首相は、アメリカの背後から「圧力」を叫ぶだけで「対話」の努力は全くしてきま
せんでした。

世界を見わたすとと、選択肢として北朝鮮への軍事攻撃を含むとするアメリカの主張を支持しているの
は、主要国では日本だけです。

朝鮮中央通信は4月28日、「最大限の圧力」を掲げる日本の方針について、「日本は大勢に逆行すれ
ばするほど、地域外に永遠に押し出される」と強調しており、『労働新聞』(電子版)も29日付で、
「大勢から押し出された哀れな島国の連中のヒステリー」と酷評しています(注2)。

当初から、日本の頭越しに米朝が直接話し合状況を一部では危惧していましたが、誰も、まさか、5月
末から6月にかけて、米朝会談が実現する、などとは想像すらしていませんでした。

日本が「蚊帳の外」であることを示す典型的な例は、ポンペイオ(当時のCIA長官、現国務大臣)が、
3月末から4月初めに北朝鮮を訪問し、2日間にわたって会談したことについて、安倍首相が自慢するほ
ど親密な関係と深化した「日米同盟」がありながらも、日本政府にはまったく知らされていなかった
ことです。

そして、米朝関係だけでなく、南北首脳会談についても、安倍政権は、ここまで深く急速に融和に向か
うとは考え
ていませんでしたし、その歴意的意義についてはまったく理解していません。

トランプ氏は27日に開催された南北首脳会談について「多くの素晴らしいことが起きた」と前向きに
評価し(注3)、また、両首脳の対面を「歴史的瞬間」「われわれは朝鮮半藤の人いとの幸運を祈る」
とのコメントをだしています(注4)。

朝鮮問題の専門家、武貞秀士(拓殖大学大学院特任教授)は、今回の南北首脳会談は100%成功であ
り、これから平和構築にとって、非常に重要な会談であったことを認めています。そして、こうした状
況の変化を過小評価する日本政府の姿勢にたいして、このままでは、日本は本当に「蚊帳の外」に置か
れたたままになってしまうことを警告しています(注5)。

敵対しているからこそ話し合いが必要で、「圧力」では根本的な解決に至らないことを安倍政権も知る
べきでしょう。これは、外交の基本です。

前出の青木氏の、“バカの一つ覚えで「圧力」を叫ぶだけでの現首相は、そろそろ目を覚ますべきだ”
と書いていますが、その通りだと思います。

また、五十嵐氏の「歴史的な南北会談のカヤの外でただ見守るしかない安倍政権」という表現が、事の
真実をズバリと言い当てています(注6)。


(注1)「平壌宣言」の全文は、外務省のホームページから見ることができる。
    http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html
(注2) 『朝日新聞』デジタル(2018年4月30日05時00分) 
      https://digital.asahi.com/articles/DA3S13474686.html?rm=150
(注3)毎日新聞 毎日新聞2018年4月28日 10時51分(最終更新 4月28日 12時52分)
https://mainichi.jp/articles/20180428/k00/00e/030/262000c?fm=mnm
(注4)Nifty News 2018年04月27日 11時56分
https://news.nifty.com/article/world/korea/12211-021688/
(注5)『日経ビジネス ONLINE』(2018年5月1日)
    http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/230558/042700023/?n_cid=nbpnbo_mlpum
(注6)BLOGOS 2018年04月28日 15:29 http://blogos.com/article/293785/


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