大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

2013年参議院選挙(1)-国民は何を選択したのか?-

2013-07-28 04:36:53 | 政治
2013年参議院選挙(1)-国民は何を選択したのか?-


2013年7月21日に行われた参議院選挙で,自民党が圧倒的な勝利を収め,自公連立政権は衆参両院で安定過半数を確保しました。

今回の選挙結果は,戦後日本の骨格を根底から変える可能性を自民党にもたらしたという意味で,戦後日本の歴史の中でも大きな
転換点として記憶されるでしょう。

選挙結果の詳細については,すでに新聞やテレビで報道されていますが,一応,確認のために示しておきます。

まず,もっとも重要な数字である投票率は52.61%で,有権者の約半分,戦後3番目に低い率でした。

つまり,今回の選挙の民意とは,国民の半分の意志しか反映していないのです。これを念頭において結果を見てみましょう。


政党別当選者数は以下のとおりです。(改選数は121)

    選挙区+比例代表  選挙区   比例代表
自民   65(44)     47     18
民主   17(34)     10      7
公明   11(10)      4      7
みんな   8(3)       4      4
共産    8(3)       3      5
維新    8(2)       2      6
社民    1(2)       0      1
生活    0(6)       0      0
みどり   0(4)       0      0
諸派    1(2)       0      0
無所属   2(5)       0      -
合計  121       73     48

(注)カッコ内は,公示前の人数。欠員が5名。

以上の結果から,多くの新聞が書いているように,自民圧勝,民主惨敗と言っていいでしょう。しかも,自民は1人区31選挙区で岩手と
沖縄を除く29議席を取ったことからも分かるように,全国的に圧倒的な優勢を確率していました。

1人区での圧倒的な勝利とは,自民党は各地方に安定した組織票と利害関係で結ばれた地盤があったということを意味しています。

自民党圧勝の主な原因は,民主党に対する失望であり,実質的に自民党の「不戦勝」に近い選挙であったといえそうです。

自民,民主の勝因と敗因については,さまざまな見解があり得ますが,それはまた別機会に考えるとして,今回は当選者数と得票数(率)について
私が注目する幾つかの点を挙げておきたいと思います。

まず,「維新の会」は全体では8議席獲得しましたが,そのうち選挙区では2議席だけで,6議席は比例代表でした。

ということは,各選挙区に安定した支持層があるのではなく,かなりの程度「風」「ブーム」頼りであったことを示しています。

当初は二桁の議席を獲得できると見られていたので,橋本代表も言っている通り維新の会にとって,今回は不満足な結果でした。

しかも,選挙区の2議席も大阪と兵庫の関西の2選挙区だけです。今後,「維新の会」が全国区で新たな「風」を起こせなければ,一挙にしぼんで
しまう可能性もあります。

次に,共産党が3議席から5つ伸ばして8議席を獲得したことは大いに注目されます。

共産党躍進の要因は,すでに多くの人が述べているように,反自民ではあるけれど,民主党に失望した人たちの受け皿となったことです。

もちろん,共産党が一貫して,反原発,反TPP,反消費増税を訴えてきた,ということも重要かもしれませんが,これらは他の党でも言ってきた
ことです。

したがって,共産党は,今回の結果だけで,党の主張が国民に受け容れられた,と考えるのはやや早計だと思います。

むしろ共産党の強みは,自民党ほどの数はありませんが,しっかりした組織票をもっていて,今回のように投票率が低い選挙では,それが有利に
働いたといえます。

もうひとつ,共産党が本当に確固たる支持を築くためには,「反」何々ではなく,積極的な対案を国民に示してゆく必要があると思います。

以上は,選挙結果に関する全般的な評価でしたが,次に,少し視点を変えて,比例代表の政党別得票数と得票率を見てみましょう。

ところで,選挙区の選挙では候補者と住民との特別な繋がり,特に利害関係の繋がりが大きく影響するので,必ずしも政党の支持とは一致しません。

これにたいして比例代表は,個人への投票もありますが,おおむね,政党の政策や理念への支持を反映しています。この観点から選挙結果を見てみ
ましょう。


   比例代表の得票数と得票率
党派名   得  票  数     得票率   前 回
自 民  18,460,404  34.7  24.1
民 主   7,134,215  13.4  31.6
公 明   7,568,080  14.2  13.1
みんな   4,755,160   8.9  13.6
共 産   5,154,055   9.7   6.1
維 新   6,355,299  11.9     -
社 民   1,255,235   2.4   3.8
生 活     943,836   1.8     -
みどり     430,673   0.8     -
諸 派   1,172,652   2.2   1.9
無所属           -     -     -
合 計  53,229,612 100.0
 

上の数字から分かるように,前回の選挙と比べると,自民は得票率で10ポイント増え,民主は18ポイント減りました。自民圧勝,民主惨敗の
構図が,ここにはっきり現れています。

しかし,圧勝したと言われる自民党の得票率は34.7%,つまり,全投票者の3分の1程度です。

ただし,冒頭に書いたように今回の投票率が50%強と,全国民の民意の半分しか反映していないことを考慮すると,34.7%の得票率という
のは,自民党への支持率は,全国民の,せいぜい18%弱に過ぎないことになります。

自公連立与党を合わせても,比例代表の得票率は48%,全国民レベルに換算すると,その半分の24%,つまり4分の1の民意を反映している
に過ぎません。

それなのに,多くのマスメディアは,自民大勝という側面だけを強調し,このような現実を無視しています。

最大でも4分の1の支持で,国家全体の根幹が自由に変えられてしまうとしたら,非常に恐いことです。

ところで,今回の選挙で争点になり得る課題や問題は,憲法改正,集団的自衛権の発動,国防軍の創設,消費税増税,不況(失われた20年)から
の脱却,原発再稼働とエネルギー問題,原発輸出,TPP参加,沖縄の基地問題,年金問題(支給開始年齢の引き上げ,支給額の減少)など,たく
さんありました。

これらのうち,圧勝した自民党に投票した人たちは,何を根拠に投票し,何を選択したのでしょうか?

もし,自民党に投票した人たちに,たとえば,原発の再稼働や消費増税など,個々のテーマについて賛成か反対かを聞いてみれば,かなり多くの人
が反対だと答えるだろうと思います。

現段階では,投票の動機について全体状況を見渡せるほどのデータはありませんが,投票前の街頭インタビューなどの発言を聞いていると,「景気を
良くしてもらいたい」という意見が多かったような気がします。

おそらく,自民党に投票した人たちは,憲法改正や,国防軍の創設,原発再稼働や原発輸出などを理由として投票したのではなく,ただただ,景気が
良くなり,自分たちの給料や収入が増えて欲しい,といった漠然とした期待感で自民党を選択を投票したのではないかと思われます。

しかし,安倍自民党政権のもとで,どうして景気が良くなるのかについて,確かな根拠があるわけではなさそうです。

景気の回復というのは,今のところ一種のムードであって,一般国民の実感ではありません。

確かに,市中への貨幣供給量を増やして円の価値を下げれば,円安となり,一部の大手輸出企業にとっては輸出が伸び,企業業績が上がるでしょう。

しかし,考えてほしいのは,日本の全労働者の70%は中小企業で働いているのです。しかし現在の所,盛んに吹聴されている「アベノミクス効果」
が中小企業に及んだという話は聞いたことはありません。

それどころか,円安の副作用で原材料費が高騰し,それを販売価格に転嫁できないため中小企業は非常に苦しい立場に追い込まれています。

また,株価が上がったから景気が上向いていると,感じた人もいるかも知れませんが,現在の日本の株式市場で取引されている株の60%は海外の
投資家(特にヘッジファンド)です。彼らは,企業成績をみて株の売買しているのではなく,実質的には投機的な株価操作による利益だけを追求し
ているのです。

今回の株価の値上がり(といってもリーマンショック以前の水準にさえ達していません)で利益を得た人は,国民の何パーセントいるでしょうか?

現在の安倍政権が目指す方向は,あくまでも大企業中心の日本経済,そのシステムは小泉内閣時代よりさらに徹底した新自由主義(市場原理主義,
競争原理と自己責任の原則)です。一方で安倍政権は,年金の支給年齢を上げ,支給額を減らす方向を目指しています。

もちろん,現在はムードでも,いずれ本物の景気回復につながれば,それはそれで良いことなのですが,現在のところ「三本の矢」のうち,最も
大切な成長戦略について,具体的な方向は示されていません。

すでに発表された「成長戦略」はほとんど新味はなく,話題にさえなりませんでした。それどころか,成長戦略の第一弾を発表した直後に,株価は
失望から1日で1000円も値を下げたのです。

私は,これからの日本経済は,実体経済の成長を伴わないまま,貨幣価値の下落,物価の高騰,老後に備えて蓄えてきた預貯金の目減りなどインフレ
のマイナス面がが進行するのではないか,と懸念しています。

以上のことを考えると,自民圧勝という結果で終わった選挙で国民が選択したのは,「景気回復」という根拠に乏しい期待だったと言えそうです。
かし,今のところその裏付けはありません。その一方で,景気以外の重要課題についてはほとんど考慮されていなかったのではないでしょうか。

景気回復への期待とは,目先の金銭に関する思惑です。

しかし,長期的にみて,景気回復策が本当に私たちの生活を向上させるのか否かは不明で,私にはむしろかなり厳しい事態に追い込まれてゆく
可能性のほうが大きいと思われます。

次回は,今回の選挙結果が長期的に日本全体と私たちの生活どんな影響を及ぼすのかを,考えて見てみたいと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある森の番人の物語-畏敬と祈り-

2013-07-25 08:09:27 | 思想・文化
ある森の番人の物語-畏敬と祈り-


私は中学3年生の時に山岳部を作り,近くの山歩きを始め,高校では山岳部,大学時代には「探検部」で山に通い続けました。

当時は,頂上に到達するために体力にまかせてひたすら歩くだけで,周りの景色をゆったり眺めたり,自分が歩いている森の
木々や足下の植物をじっくり観察することもありませんでした。

後に,森林インストラクターの勉強をするようになって,樹木について学びましたが,それも,知識として木の名前や生態を
覚えることに集中し,森を全体として感じたり,味わったりすることはありませんでした。

ところが最近,長野県のある町で素敵な森の番人と出会いました。彼を仮にAさんと呼ぶことにします。彼は幾つかの森を
1人で管理していますが,それらの中で私は彼の「畑」と,管理を委託されている二つの森を案内してもらいました。

まず,Aさんが「畑」とよぶ不思議な森ですが,ここにはさまざまな樹木と灌木,草などが,一見雑然と生えています。

この「畑」はどうみても自然の森ですが,そこに生えている植物は,いわゆる薬草・薬木で,漢方薬の原料であったり,
あるいは日本人が古くから用いてきた薬用植物群だったのです。

現在の日本では,医師の8割が何らかの漢方薬を処方していますが,その原料のほとんどは中国からの輸入です。

しかし,中国が豊かになるに従って,国内の需要が増えたこと,そして原料そのものが少なくなってきたため,日本への輸出は
減っており,価格もかつての倍くらいに高騰しています。

こんな事情があるので,私はかねがね,日本の耕作放棄地を利用して薬木,薬草を栽培すべきだと考えてきましたが,Aさんは
既に実践していました。

次に案内されたのは,Aさんが4年間かかって整備した里山の森です。彼が,この森の管理を頼まれたとき,そこは冷蔵庫,
テレビ,洗濯機,プラスチック,タイヤ,トタン板,ガラス破片などが散乱する「ゴミの山」と化していたそうです。

たまたま,彼が森の清掃をしていると,ゴミを積んだ軽トラックから,老夫婦がゴミを森に捨てている所に出くわしました。

「わるいことだと思わないか」と言うと老婆の方が,「おめーはどこのやろか。皆がやっているのに,なんで俺達だけが怒られるのか」
と開き直り,くってかかてきたそうです。

森の番人は,散乱したゴミを一つ一つ手で片づけ,今ではとても気持ちのいい,森本来の美しさを取り戻しています。

この森の一角に,森のコンサートを開催するために,手作りのステージと観客席(といっても,だだ,丸太を並べて座れるように
してあるだけなのですが)も作られています。

そこは,いるだけ心が安らぐ静謐な空気に満たされていました。

「ここで演奏される音楽は人間に聞かせるものではなく,森の神様に捧げる音楽なんです」というAさんの言葉を聞いたとき,
私は驚きと深い感動を覚えました。

彼は決して自分を大きく見せようとか,格好良く見せようという人ではありません。ごく淡々と,おそらく彼の心の中では当たり前
のこととして,ぼそっと語ったのです。

実際には,コンサートの聴衆は人間なのですが,気持ちとしては本当に,森の神様に捧げる気持ちで今までコンサートを主催してきた
のだと思います。

最後に案内されたのは,ほとんど自然のままの森でした。ここには注意すればそれと分かる程度の,何となく人が歩いた踏み跡
を歩くことになります。

この森は「神聖」な森で,私たちの心を癒してくれる「癒しの森」でもあります。

身近な大切な人を失って,深い悲しみに沈んでいる人たちが,この森を訪れ,そして,数時間,森の中で過ごしているうちに,
多くの人が思い切り泣いて,そして悲しみを少しだけ和らげて森から出てくるそうです。

この森の随所に,大きな岩があります。昔はこの岩の上で修行者たちが修行をしたそうです。この意味でも,この森は神聖な森だったのでしょう。

特別「神聖」な森でなくても,私たちは森の中にしばらくいると,ストレスや緊張から解放されて,とても穏やかな気持ちになります。

森の枝や葉を吹き抜ける風の音や,かすかに聞こえる沢水の音,目にしみる新緑,木々と山の土がかもし出す森の香り,これら全てが私たちの
心と体の深いところに染み渡り,浄化してくれるような気がします。

この森には野生のワサビが繁殖していたり,渓流にはサンショウウオやイワナがいるそうです。

ジブリ映画の「もののけ姫」の舞台となった,あの原始の森を思い出させます。

さて,Aさんは,木々や草の名前は言うまでもなく,それらの生態や,食べられるかどうか,どこをどのように食べるのか,そして,
その薬効は何か,に至るまで実に深い知識をもっていて,歩きながらそれらを説明してくれました。

彼と森をあるいていると,森に関する知識の深さと,自然観察の精緻さ,そして自然に対する深い畏敬の念が感じられます。

彼は時々,「神」あるいは「神聖な」という言葉を使いますが,それらは何か特別な宗教的言葉というより,森羅万象に神を感じる,古代の日本人が
もっていた精霊信仰,自然信仰から発せられる言葉といった方がいいでしょう。

案内の終わり頃に,Aさん森に対する神聖な気持ちを強くもつようになった一つの感動的な物語を語ってくれました。(注)

その物語とは,実際にあった,こんな出来事だったのです。

2000年5月の連休前後のある日,彼がいつものように切った丸太,落ち葉,枝,乾いた蔦を山と積み上げて燃やし始めました。
ふと気が付くと,彼の周りから黒い煙がモクモクと上がり,そのうち勢いよく燃え始めました。

彼は,長靴で踏んで消していったのですが,するとすぐ右の方で燃えはじめ,さらに火はあちこちに飛んでゆきました。彼は命がけで消し続け
ましたがが,火はあちこちの飛び火し始めていました。

その時,後ろから奥さんの声がしたので振り返ると,別の積み上げた木や草の山が燃え始めていたことに気がつきました。必至で走り回り,
奥さんの方に飛んでゆきました。体はカァーと熱くなり燃えるようだったそうです。

煙を吸い込んで,ぜいぜいしていました。彼は座り込んでしまい,じっと見ていると奥さんが一生懸命に消している姿がぼんやりと見えました。
彼は消して回るのを止めて,祈り始めました。

「神様,助けてください。」「頼む,頼むよう,何とかして」,必死に大声を上げて叫びました。涙顔で頼みました。

「時間よ止まってくれ。森の神様,俺の残された一生を森のために,樹木のために差し上げます。だからどうか火を消してください。」
「火を消してくださったら,命を山の神に預けます。」

彼はひたすら祈り続けました。すると,あれほど燃えていた火が,少しずつ消えていったのです。彼はただただ驚き,恐れおののき,
偉大な森の神のなせる技を自分の目ではっきりと見た,と言います。

自分の目の前で,「本当に消えた。祈りが通じた。消えた。消えた」。全身の力が抜けてその場にへなへなと倒れてしまいました。

しばらく意識を失っていましたが,ぼんやりと意識がもどってみると,傍らの山桜の木が立木のまま下から半分まで幹と枝が焼けているのが
見えました。

この時彼は,火の勢いがいかに激しかったかを思い知らされました。そして,思い出したのです。

「山の神,森の神に命を預け,残された一生を森のため,樹木のために尽くすと誓った。だから,火を消してくれたのだ。ことの重大さが
ひしひしと感じ,彼は誓います。

「生き様を変えよう。森に命を預けたのだ。森の下僕になってこれからは生きよう」と。

こうしてAさんは,森の番人として以前にも増して,心を込めて森の管理をするようになるのです。

この物語に疑問を持つ人は,きっと雨が降ったに違いない,と思うかも知れません。あるいは,彼が祈らなくても,命を差し出さなくても,
自然に消える状態だったにちがいない,と思うかも知れません。

その可能性は十分あります。しかし,私にとって,なぜ消えたかという本当の理由が,祈りであったのか,たんなる偶然であったのかは,
どうでもいい話です。

大切なのは,Aさんの,自然にたいする私心のない愛着と,自然に寄り添って生きている姿勢,それら全てを支えている,自然への畏敬の念です。
これらが,いざというときに祈りという行動になって出たのだと思います。

Aさんは,森を管理をする一方,子どもたちのための,「森の学校」のような行事をいくつか組んでいます。

彼は,小さいとき,自然に親しんでおかないと,大人になっていきなり自然と親しみましょう,といってもなかなか難しいと考えています。

自然の森には,虫や蛇や,蚊のような小動物から,イノシシや熊のような大型獣がいます。また,うっかり触ると皮膚が“かぶれ”
てしまう植物もあります。

歩く道もアスファルトのように平らではなく,上りや下りがあり岩や石がゴロゴロしています。

しかし,目にしみる新緑,木々をわたる爽やかな風,木や土の香り,鳥の鳴き声,やさしく響く川のせせらぎの音,静寂,言葉では表現できない
複雑な空気の味,山菜や野生の果物など自然の恵,などなど,数え切れないほどの良さがあります。まさにこれら全てが「神様の贈り物」なのです。

文明は,人間の叡智によっていかに自然を克服するかという方向で発展してきました。そこには人間の誇りと同時に傲慢さもあります。

しかし自然の大きな営みを心と体で感じ取り,自然に寄り添って生きることで,私たちは謙虚になり,優しくなります。

Aさんは,人間の祖先は森から出てきたのだから,森に帰ったとき本当の安らぎを得ることができる,と言います。

わざわざ遠くに出かけなくても,自然は身近にいくらでもあります。ほんの少し,心を自然に寄り添ってみるだけで,何かを感じることができる
にちがいありません。




(注)この物語は,2000年5月の日付を持つ2ページほどのワープロでタイプしただけのコピーにも書かれていますが,それは後で分った事です。私の胸には,やはり直接に語ってくれた時の方が強く響きました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疑惑の医薬臨床データ-ノバルティスファーマ社と大学・医師との怪しい関係-

2013-07-20 09:18:08 | 健康・医療
疑惑の医薬臨床データ-ノバルティスファーマ社と大学・医師との怪しい関係-


昨年度の国内医療用医薬品の売上ランキングが業界紙で発表されました。1位はノバルティスファーマ社(本社はスイス。以下,「ノ社」と略す)
の降圧剤「バルサルタン」の1083億円でした。

たった一つの薬が,1年間にこれだけ売り上げるのです。

医薬品でヒット商品となると,桁がちがう巨額の利益を製薬会社にもたらします。したがって,製薬会社はヒット商品を発売するために,合法・
非合法を含めて,あらゆる手段をとることになります。

とりわけ,医師が患者にどのような薬を処方するかが決定的に重要となります。この際,ヒット商品となるためには,その薬が特定の症状に良く効く
ことはもちろん,単独の効果だけではなく,複数の効果を持てば医師としては,さらに患者に処方し易くなり,その薬が使われることになります。

しかも,降圧剤の場合,一度使い始めると,その後もずっと使い続ける傾向があるため,とにかく一度でも医者に処方してもらえれば,その患者は
長期間の「固定客」となり,自動的に売上が確保されます。

「バルサルタン」と同系統の降圧剤市場は6300億円にもなり,製薬会社にとっては巨大市場です。製薬会社は激烈な競争に勝つため,たんに血圧を
下げる効果だけでなく,その他の症状にも効果があることを宣伝しようとします。

しかし,複数の効果を謳い文句にするためには,科学的データが必要で,そのためには多くの臨床実験を行い,そのデータで証明しなければなりません。

「ノ社」の場合,血圧を下げる効果のほかに脳卒中などの発症の危険性を抑える効果を期待して,既に降圧剤としては認可を得ているのですが,
大学側に臨床試験を依頼しました。最終的には京都府立医大,東京慈恵医大,滋賀医大,千葉大学,名古屋大学5大学が試験を引き受けました。

以上の事情を考慮すると,今回の「ノ社」の(「バルサルタン」)に関する疑惑の背景が理解できます。

この問題を『毎日新聞』は6月10日,21日から3回(上・中・下)連続で関連記事も含めて掲載しています。

慈恵医大と京都府立医大は,患者を二つのグループに分け,それぞれ異なる降圧剤を処方して,心臓の血管にかかわる脳卒中などの発症の違いを
比べる臨床試験を行いました。

その結果は,バルサルタンには他の降圧剤と比べて,脳卒中を45%,狭心症を49%減らす効果がある,と結論づけ,京都府立医大の松原弘明教授
の名前で,2009年にヨーロッパ心臓病学会誌で発表されました。(この論文は今年の2月,掲載誌から削除された)

こうして,いわば大学のお墨付きをもらった「ノ社」は,「パワーが違う」と自社のバルサルタンの広告を,日本の大手医療雑誌に続けて掲載しました。
そこでは,慈恵医大が発表した臨床試験を前面に出し,他の降圧剤と比べてバルサルタンの「強さ」を強調していました。

バルサルタンの座談会形式の記事広告には,日本高血圧学会を中心に,有力研究者が繰り返し登場しました。そして,臨床試験の結果は複数の学会の
診療ガイドラインにも反映され,現場の医師の治療に今日まで影響を与えてきたのです。

昨年の薬の売上ランキングでバルサルタンが1位になった背景には,このような事情があったのです。

しかし,昨年,臨床試験のデータの信頼性に疑問がもちあがりました。

「事」の発端は,昨年の4月,世界で最も権威ある医学雑誌の一つ「ランセット」に,京都大学病院の由井医師が,東京慈恵医大や京都府立医大などが
実施した臨床試験結果への「疑念」を示す論文が発表したことでした。

このような試験の場合,バルサルタンと,別の降圧剤を使った患者を二つのグループに分けてそれぞれの効果を試験します。由井医師の「疑惑」とは
「高圧剤の効果で血圧はいずれも下がるが,下がり方には当然差がでる。ところが,慈恵医大や京都府立医大の試験では両グループの最高血圧(
収縮期血圧)の平均値がピタリと一致していた。

さらに最高血圧のばらつきを示す値までも同一なのは不自然」というものだった。

さらに千葉大と滋賀大でも種類が異なる降圧剤を服用した二つの患者グループで,試験終了時の最高血圧の平均値が一致していたのです。

由井医師は,バルサルタンやこれと似た作用をもつ降圧剤に関する国内外の36の臨床試験結果を調べたところ,最高血圧と最低血圧の平均値がそれぞれ
一致していたのは,慈恵医大,京都府立医大,千葉大学,滋賀大学だけたったことにも注目しています。

そして今年の3月末,京都府立医大は「ノ社」から1億円超の寄付を受けていたことが,情報公開請求した『毎日新聞』の報道で明かとなりました。

こうして,「ノ社」のバルサルタンのデータ疑惑は,「日本最大の薬と研究者に関わるスキャンダル」へと発展していったのです。

京都府立医大は早速,事実に関する調査を行い,学長は次の事実を明らかしました。

まず,「医師が入力した患者データが一致せず,バルサルタンに効果がでるよう解析データが操作されていた」こと,そして「論文の結論は間違って
いたうえ,不正があったこと」を認め謝罪しました。

次に,販売会社「ノ社」の元社員が,バルサルタンに有利な結論がでるようなデータだけを取り出して(つまりデータを改竄ないしは歪曲して)解析し,
それを大学の医師グループに示し,松原教授がその解析に基づいて論文を発表したことです。

そもそも製薬会社社員が,結論が出る前に試験データを見ること自体,大いに問題です。現在,ヨーロッパでも松原教授の論文の内容は疑問視されています。

今回のバルサルタン問題で明らかになったことは,日本人の大人の4人に1人が高血圧と言われる現状は,降圧剤が製薬会社に莫大な利益をもたらすことです。

このため,製薬会社はなんとしても自社製品に有利なデータを得て「売れる薬」を販売しようとします。

そのためには,認知された医療機関(通常は大学病院)で実際の患者を使った臨床試験をしてもらう必要があります。

ここに,大きな問題が発生する原因が現れます。医学系研究費の約半分を民間資金に頼っているのが現状です。各大学は研究費が欲しいので,製薬会社からの
寄付を受けようとしています。そして,製薬会社は自社製品の販売に有利なデータや結論を出してくれそうな大学や医師を探すことになります。

もちろん,全てではありませんが,バルサルタンの事例のように,寄付を受けた医師や大学は,製薬会社の意向に沿ったデータを使って結果を発表すること
もあるのです。これは「利益相反」と呼ばれます。

産学連携(産学協同)の裏には常に,こうした「落とし穴」が存在します。しかし,人の命と健康に関わる薬に関して,医師・研究者と製薬会社との癒着は
非常に危険です。

1980年代に,非加熱血液製剤を血友病患者などに使用し,1800人ものエイズ患者をだしてしまった悲惨な事件がありました。

この時は,帝京大学の安倍英教授,ミドリ十字,厚生省の幹部が関与した,三者による事実の隠蔽が悲劇を生み出したのです。

今回のバルサルタン事件に関して,ある医学関係者は,これはほんの氷山の一角にすぎず,製薬会社と研究者(時には政府や行政も含めて)との癒着は
日常的にみられる,と言っていました。

想像の域をでませんが,おそらく,事件が明るみにでない癒着はむしろ構造化しているのではないでしょうか。

かつて,私が京都で開かれたある研究会に出席したとき,その会場にはもう一つの研究会が開かれていたのですが,その受付や案内に当たっていたスタッフは
スーツを着た「ミドリ十字」の社員でした。

医薬や医療の分野では「アゴ アシ付き」(食事と交通費付き=つまり旅費付き)という会合や学会がしばしば見られるし,原稿料として多額の謝礼が医師など
に支払われる,という話を聞いたことがあります。私が見た光景は,まさにそれをあからさまに示していました。

今回の事件に関して,研究者側へのあらゆる資金の流れの開示が必要なのに,「利益相反」のルール作りを大学に指導してきた文科省は,製薬会社や大学が
自主的に情報公開すべきだ,として直接関与しない姿勢をとっています。

近年,原発に関して「原子力村」(産業界・大学・政府・官僚からなる利害関係者)の存在が問題になりましたが,薬に関しても「薬品村」が存在するような
気がします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベノミクスの光と影―劇薬の副作用は心配ないか―

2013-07-13 07:41:08 | 経済
アベノミクスの光と影 ―劇薬の副作用は心配ないか―


今年の2月,このブログで「アベノミクスで日本経済は回復するのか」というタイトルで,3回にわたって検討しました。

あれから5カ月たち,安部首相自慢の経済政策が,どんな影響を与えたかが,少しずつ見えてきました。

最近では,参議院選挙を前に安部首相は,「昨年日本を覆っていたあの暗く重い空気は,一変したではありませんか」
と一つ覚えのセリフとして絶叫しています。

今度の参議院選挙についていえば,圧勝が予想される自民党は,とにかくこの半年の経済政策の成果を強調しています。

一方安部首相は,選挙の圧勝を確信してはいますが,憲法改定問題については今あえて強調しなくも,選挙後に衆参ともに
過半数を確保してしまえば,何でもできると考えています。

安部自民党の本音は,「ねじれ」を解消して,一方で「日本を取り戻す」というスローガン(この中には,軍事力の増強と
日本ナショナリズムの復活)と,小泉改革をさらに徹底した新自由主義の推進です。

こうした方向性は,かつてアメリカの共和党の伝統である「強いアメリカ」と「小さい政府」(新自由主義)と良く似ています。

しかし,選挙前の現在は,とにかく経済を上昇傾向に乗せることを至上命令としています。

その推進力となる武器は,2年間で国債を今の2倍発行し,政府支出と市中への貨幣供給量を増やし,物価を2%上げることです。

最近では,非常に野心的というか,国民に淡い幻想をもたせる,「10年間で国民1人あたり総国民所得を150万円上げる」と,
威勢の良いことを言い始めています。

ここで,「1人あたり総国民所得」という言葉はちょっと分かりにくい表現ですが,総国民所得を人口数で割った金額が「1人
当たり国民所得」のことです。

いずれにしても,この表現は,おそらく意図的な「目くらまし」です。

「1人あたり」という言葉で,あたかも私たち1人1人の所得が(平均して)150万円増えるかの印象を与えようとているのす。

もし,4人家族なら600万円増えることになります。そんなバカなことはあり得ない,と思いつつ,満額とはいかなくても,
少しぐらいは増えるのではないかと,思ってしまう人がいないとも限りません。

安部首相の言葉は,こぅした思い違いを期待し,計算に入れていると思われます。

もちろん,私たち1人1人の所得が150万円増えるわけではありません。

企業も含めた国全体の所得を人口でわっただけですから,企業の所得も入ります。

現実には企業はこの間,労働者への配分を抑えられるだけ抑え,利益をせっせと「内部留保」としてため込んできました。

その額,現在では250兆円にも達し,これは国民総生産(GDP)の約半分にも達しているのです。

しかも,所得150万円の増加というのは10年先の話で,その時には安部氏がどうなっているのか分かりません。

ところで,自民党もマスコミも「アベノミクス」という言葉だけが独り歩きして,あたかも特別な経済政策のようにはやし立てて
いますが,実際には,自民党がこれまでやってきたことと何ら変わりはありません

それでは,実際に今年の初めの「目標」や景気の回復は現在どんな状態にあるのでしょうか。

安部政権が成果として掲げていることは,一言でいえば「デフレからの脱却」です。選挙演説で頻繁に使われる「昨年まで日本を
覆っていたあの暗く重い空気」とは,デフレのことです。

デフレの特徴は,物が売れず,物価水準が低い水準にとどまったまま,企業成績が上がらず,雇用が低調で給与が上がらない,
経済全体が沈滞している状態です。

それでは,これらの面で何が実際に変わったのでしょうか?

貨幣の供給量を増やすということは,円の価値を下げることですから,当然円安になります。

円安になれば日本製品は海外からみれば安くなり輸出企業は輸出し易くなります。

確かに輸出に関しては円安の効果は出ているようで改善し,それにともなって大企業や製造業では業績が1年9カ月ぶりにプラスに転換しました。

しかし,中小企業は原材料価格の高騰と景気の停滞を直接にかぶり,現在でもまったく景気の回復は見えてこないどころかマイナス成長です。

さらに言えば,首都圏や大都市はともかく,地方の疲弊は本当に深刻です。私は最近,よく調査で地方へ行きますが,地方都市のメインストリート
でさへ,軒並み「シャッター通り」化しています。政府は東京しか見ていないようです。

安部首相は参院選の応援演説では必ず「有効求人倍率は0.9倍,(2008年9月の)リーマン・ショック前に回復した」ことを持ち出しています。

日銀の黒田総裁は7月11日,景気判断を「持ち直している」から「穏やかに回復しつつある」と,2年半ぶりに上方修正しました。

そして,テレビなどでは百貨店での高級品の売り上げが伸びたと,いった映像がしきりに流されています。これは,アベノミクスの「光」の部分です。

輸出企業の好調と,円安の進行への期待感から,株価は日経平均で昨年の1万円前後から今年の7月には1万4000円台まで上昇しました。

株価の上昇によって利益を得た人もいるでしょう。しかし,考えてみれば,日本の株取引の60%は今や海外(特にアメリカ)のファンドです。
彼らは,自分たちの売買行動が株価を事実上操作できることを利用して,短期間に莫大な利益を得ています。

それでは,日本人の投資家が株で大儲けをした人はどれくらいいるだろうか。百貨店で高級品を買いあさる人たちは,国民のごくごく一部で,
一般の人たちにはほとんど関係ありません。

こうした光景を頻繁に流してアベノミクス効果をあおっているマスメディア,特にテレビは,権力の監視役という本来の役割を完全に放棄し,
今や安部内閣の応援団となってしまっています。

しかし,この「光」の反対側では,影の部分が劇薬の「副作用」として確実に進行しつつあります。

まず,安部首相が自慢する雇用の改善ですが,5月の有効求人倍率のうち,正社員は42.1%で,昨年の12月の42.9%,2008年8月の46.8%より
低くなっているのです。

企業は不況への対応で,いつでも解雇できる非正規雇用を増やし,賃金コストを下げることで競争力を維持しているのです。非正規雇用は
19901の2割から,今や35%,つまり3人に1人となっています。

自民党は,解雇に関して裁判で負けても金銭で解決して,実態としていつでも解雇できるよう法改正をしようとしています。今回の参議選で
過半数をとれば,確実にこれは実現してしまうでしょう。

これは企業側にとって一方的に有利な制度で,雇用の破壊です。

以前,このブログでも書きましたが,非正規雇用の男性はなかなか結婚に踏み切れない心理状態にあります。これは,隠れた少子化要因の一つです。

次に,円安は輸出企業に有利に働いた半面,食糧品や燃料などをはじめ,あらゆる分野の輸入価格を上昇させています。

金融面では,政府は国債をどんどん発行しているので,当然のことながら,国債にたいする信用はそれだけ低下し,その国債と引き換えに増刷した
お金の価値は低下します。

政府も日銀も抑えられると思っていた長期金利が,一時1%を突破してしまい,連動する住宅ローン金利も3カ月連続で上がり続け,
経済活動や景気の流れに水をさしています。

今後,さらに国債の発行を増加させてゆけば,貨幣価値はさらに下がり,長期金利は上昇します。

政府は,国債の発行によって市中にお金を大量に流す一方,いままで金融機関が持っていた国債を買い上げています。

これによって,現在の日本には,さらにお金がダブついています。

これは,かつてのバブル期と同じ状態で,うまく制御できないと,バブル崩壊をもう一度起こすことになります。

市中にお金をどんどん流す「異次元の金融緩和」の狙いは,これによって企業が金融機関からお金を借りやすくし,新たな投資を刺激し,
それを起爆剤として経済を活性化し,やがて労働の賃金も上がり,経済全体が上昇させることにあります。

しかし,現実には,4月から始まった「異次元の金融緩和」によって発行され,日銀が供給した札束は,いまだ日銀の倉庫に眠ったままです。

他方,国債の発行によって政府は公共事業などに巨額のお金を投ずる財政出動を行おうとしています。公共事業の拡大によって景気を刺激
する手法は,自民党が戦後ずっと行ってきたことですが,「失われた20年」の実績を見ればわかるように,これでは経済は回復しません。

企業は巨額の内部留保金をもっているうえに,今の日本には,あえて借金をして設備投資をするだけの利益が見込める可能性がないから,
金融機関から借りないのです。

つまり,いくら市中にお金を流しても,資金需要がなければ意味がないのです。

さらにいえば,多くの企業は海外にも生産拠点を移しているので,国内での設備投資にはあまり関心がありません。

2012年末現在の日本の公的国債残高は国内総生産(GDP)の2.4倍に達し,先進国の中では最悪の水準にあります。

EUなどは,一方で「異次元の金融緩和」による景気回復の一つのモデルとして,日本の状況を見守っていますが,IMFのブランシャール
調査部長は今月9日,アベノミクスの財政出動や成長戦略がうまく行かない場合,「投資家たちは日本の債務の持続性を懸念し,
より高い金利を要求するようになるリスクがある」と警告しました。

平たく言えば,そんなに借金ばかり増やすと,国債価格の暴落,金利の上昇を招きますよ,といているのです。

さらに言外には,日本の財破綻をひそかに懸念しているのです。

安部政権は,とにかく参議院選で勝利するまでは,景気の回復をほとんど唯一の宣伝材料に使う方針です。

しかし,その裏では,これだけ景気も回復したのだから,来年から消費税を上げることが可能だ,という風潮を作り出そうという狙いが見
えています。なぜなら,この巨額の国債を返すには,消費税の増税しか方法がないからです。(注)

物価高と増税が確実に日本を覆いつつあります。とてもアベノミクスに浮かれている状況にはありません。

老後に備えてせっせと貯金しても,いざ使うときになったら,貨幣価値が大幅に下落している,という悪夢もありえないことではありません。


(注) 数字などについては『毎日新聞』(2013年7月11,12日)を参考にしました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天才棋士に見るプロのすごさ―囲碁と人生―

2013-07-08 11:37:18 | 思想・文化
天才棋士に見るプロのすごさ ―囲碁と人生―

漫画『ヒカルの碁』が人気を博し,小中学生の間でも囲碁ファンが増えたようです。今回は,やや特殊な碁の世界を取り上げてみたい
と思います。

というのも,碁の世界は,私たちの人生や生活を考えるうで参考になることがあるからです。

私が囲碁を覚えたのは大学時代ですから,もう40年以上も昔になります。その後ずっと碁を打つ機会がありませんでした。

ところが,あることをきっかけに,昨年の夏,思い切って日本棋院の会員になり,もう一度囲碁の勉強を始めました。

会員になるとどこかのクラス(日本棋院では「学校」とよんでいます)に入ることが出来,特定曜日の特定の時間にプロの棋士から
指導を受けることになります。

これと並行して,ケーブルテレビで「囲碁将棋チャンネル」を契約してプロ棋士の対局や囲碁講座を時々見ています。

これらの経験から分かったことは,プロのすごさです。たとえば,一手打つためにプロが考えている内容には,およそ我々アマチュア
の想像を絶する広がりと深さがあります。

たとえば,ある状況で考えられる着手は複数あります。もし,そのうちの一手を選択すると,そこからの展開がまたいくつもの枝に
分かれ,その枝の一つ一つが,またさらに複数の選択肢に分かれてゆきます。

事態をさらに複雑にしているのは,それぞれの着手に対する相手の反撃も常に考えなければならないことです。

プロの棋士は,一手一手にそれらの可能性を比較して,その状況で最善と思われる着手を決めることになります。

しかも,好きなだけ考える時間は与えられていません。限られた時間内で判断しなければならないのです。

このように考えると,実際には,読まなければならない手は無限といっても言い過ぎではありません。

よく,「ひと目100手」,ぱっと見ただけで100手先まで読むと言われますが,実際にはそんな少ない数ではないでしょう。

一体,彼らの頭の中はどうなっているんでしょうか?なぜ,そんなことが可能なのでしょうか。

その主な要因は,碁の世界が築いてきた「定石」と呼ばれる定型の形と,プロ棋士の勉強の仕方にあります。

これを理解するには,碁の歴史をざっと見ておく必要があります。

日本における囲碁の歴史は古く,7世紀の奈良時代には既に中国から日本に囲碁が伝わっていたことが文献(大宝律令 689年完成)
からも確認でききます。

平安時代には『源氏物語絵巻』などにも描かれているように,貴族の間では良く打たれていました。

しかし,古い時代にどのような碁が打たれたのかは記録にはありません。私たちが碁の記録(棋譜)を見ることができるのは,
江戸時代に将軍の前で行われた「御城碁」,いわば公式戦で,1626年が最初で1864年まで続きました。

この「御城碁」は記録係がついていたので,今日までその棋譜が残っています。

碁の世界では,ある状況下で妥当であると考えられる一連の打ち方が「定形」,囲碁用語で「定石」(じょうせき)と呼ばれ,400年
以上にもわたって考案され改善されながら今日まで受け継がれてきました。

以上を頭に置いて,再び現代のプロ棋士の話に戻ります。

通常,プロを目指す人たちは,5才とか小学生から,誰かの師匠について勉強を始めます。少し前まではある年になると「内弟子」
といって,師匠の家に住み込みで生活面も含めて修業を始めます。

碁の修行の内容をみると,プロ棋士を目指す人たちは,まず、基本定石を徹底的に学びます。そして、江戸時代からの「御城碁」
を含めて,過去から現在までの対局について参照できる棋譜を一局ずつ並べて勉強してきます。

こうしてインプットされた碁の知識は膨大なものです。あるときテレビで碁の解説をきいていいたら、解説者が、江戸時代の「指導碁」
(師匠が弟子を指導する碁)で、この場面で誰それがこのような手を打ってこのような展開になったと、さらりと言ったのを聞いたとき,
プロの本当のすごさを思い知らされました。

アマチュアでも強い人はいますが、こうした知識の蓄積を考えると、やはりアマとプロでは次元の違いを感じます。

現在囲碁プロ棋士は全国に450人いて、本因坊、棋聖、名人、天元、王座、碁聖、十段の7大タイトルを目指してしのぎを削っています。


しかし、ほとんどの棋士はタイトルに挑戦する機会さえ得ることさえできません。

このうち、名人は江戸時代から続くもっとも権威のあるタイトルでした。そして,本因坊は,もともとは江戸時代の囲碁の名家,本因坊家の
世襲タイトルでしたが,昭和の初めに日本棋院にそのタイトルが譲渡されました。

現在では,本因坊も名人と並んで碁界でもっとも格式のあるタイトルです。

どの世界にも,天才的な人材はいます。碁界にもこれまで何人もの天才がいました。今回はその典型的な例として,井山裕太現本因坊
(24歳)を取り挙げてみたいと思います。

井山本因坊は、今年の3月に囲碁400年の歴史を塗り替える6冠を達成した、まさに若き天才棋士です。その後、名人位は奪取できず、
今まで持っていた十段位も奪われてしまい、5冠となってしまいまいた。しかし,1冠でも大変なのに,5冠は想像を絶する成績です。

現在井山は、高尾紳路九段(36歳)と本因坊戦七番勝負の第五局を終え3勝2敗の成績で、あと1勝すれば本因坊位を維持できます。

井山は6歳の幼稚園児のとき関西のローカル囲碁番組に彗星のごとく登場し、小学2年の最年少で全国小学生大会で優勝する、という
文字通りの天才ぶりを発揮してきました。しかし彼も常に順調であったわけではなく、何度も挫折を味わってきました。

ただ、普通と違ったのは「挫折を経験すると、そのままダメになる人と、強くなる人の2通りある。彼は後者。相との距離を測り、
倍も強くなる」(注1)と、25世本因坊超治勲手(57歳)が評価しているように、井山は負けた悔しさをバネに、強くなってきたのです。

井山は生まれついての才能と負けず嫌いの性格のほか、とても幸運がありました。

普通、師匠が弟子と碁を打つのは入門時と独立か引退の2度かぎりだそうです。

しかし、彼の才能を子供のときに見出して師匠となった石井邦夫九段(71才)は、自分のもっている全てを伝えようと最初から決めていて、
1000局打ったという。

井山も「石井先生との出会いがなかったらプロ棋士になっていたかどうか分からないし、今の自分はありません」と述べています。

今日,囲碁界で活躍しているトップクラスの棋士は,いずれも子供の時からその天才ぶりを発揮し,本人も絶えざる努力をしてきています。

しかし,その中でも,タイトルをいくつも取るような棋士は才能と努力に加えて人との幸運な出会いがあります。

また,たまたまその棋士と同時代に優秀なライバルがたくさんいた,という偶然も囲碁人生に大きな影響を与えます。同様のことは人生
一般についても言えます。

さて,それでは,最初の疑問に戻って,棋士たちはなぜ,数百もの可能性がある碁の進行を短時間のうちに考えられるのか,そして,一体,
強い棋士とはどこがすごいのかを考えてみましょう。

先ほど書いたように,碁には合理的に打った場合の一連の進行が,「定石」として知られています。これは,碁の基本で,どんな棋士もこれを
無視することはできません。
というのも,「定石」は400年もかけて練りに練って作り上げられた「形」だからです。

この定石を知っていれば,碁の展開を一手一手読まなくても,一つの「形」として,あたかも一枚の絵のようにパッと頭に浮かぶのです。
これが,「ひと目100手」先を読む秘密です。

ただし,ある場面で考えられる「定石」は通常は幾つかあります。たとえ「定石」を採用するにしても,どの定石を用いるのかは,周囲の状況
によって異なります。

それでは,誰もが知っている定石を打っていれば碁が強くなれるか,勝負に勝てるのか,といえばそうではありません。

お互いに生身の人間ですから,その時の気分とか,碁の世界でいう「気合い」といったものが介入してきます。つまり,「定石ではここは,
こう打つべきだが,気合いでこのように打ってみよう」というようなことがよくおこります。

次に,「定石」そのものも時代の変化とともに変化し,また新しい定石が常に生まれています。また,「定石」ではなくても,碁では常識的な
手順があります。しかし,そのような常識的な手ではなく,誰も想像しない「新手」を発見することがあります。

新手は素晴らしい「好手」となることがありますが,時にはかえって状況を悪くする「悪手」になることもあります。「好手」になるか「悪手」
になるか不明ですが,常識を超えた手は「鬼手」と呼ばれます。

さて,一局の碁で一手でも定形とは異なる手を打つと,その後の展開は全く異なる「未知の世界」となってしまいます。
このため,江戸時代からの記録を見ても,全く同じ碁はありません。碁には事実上,無限の変化があるのです。

「定石」や「形」は主に部分に関する問題ですが,部分は,一局を見通した全体の構想の中で意味を持ってくるのです。

そして,この全体の構想にこそ棋士のセンス(個性,感性,資質,直観力など)が鮮明にでます。

私がみるところ,トップ棋士になれるかどうかは,最終的にはこのセンスで決まるような気がします。

というのも,このセンスは努力して身につけるものではなく,かなりの程度,生まれつき,天賦のものだからです。

一局一局には,以上のようなさまざまな要素が複雑に絡み合いながら展開し,対戦者は一手一手で着手を通じて対話をしながら碁は進行して
ゆくのです。

プロ同士の対局を見ていて面白いのは,着手に現れた棋士たちの対話を想像することです。それはさながら良質のドラマを見るような感動と
興奮があります。

碁の世界は,人生のさまざまな場面で私たちが出会う問題と共通したものが数々あります。

まず,自分はどのような人生を歩んでゆくべきかという大枠を人生のある段階で構想することです。

また,個々の岐路に立った時私たちは,「定石」どうり安全,堅実な道を選ぶべきか,ここは「気合い」で「定石」はずれの「新手」
あるいは「鬼手」に打って出てみようか,といった選択の問題に直面します。

こんな状況で私が思い起こすのは,碁の世界で使われる「これも一局」という言葉です。

碁では,この手を打てばこういう展開になるし,あの手を打てばこうなると,さまざまな可能性があります。

しかし,一度に二手は打てないので棋士は「今回は,この手でいってみよう。これも一局の碁。」と決断するのです。

現実の人生は,碁の世界よりはるかに複雑で,不確定要因が多いので,碁のように100手先まで読むことはできません。

人生には,どれだけ考えても,結論が出ないことも多々あります。こんな時私は,人生の大きな選択の岐路に立って決断に迷う時,
「これも一局の人生」と思うことにしています。こう考えると少し気が楽になります。

たとえ現実の人生が思い通りにゆかなくても,それはそれで「一局の人生」と思えるのです。

こんな風に人生を考えて,「人生のプロ」になってみてはどうでしょうか。

(注1)『毎日新聞』(2013年6月30日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼 マイケル・ジャクソン-天使になったマイケル-

2013-07-04 06:41:23 | 思想・文化
追悼 マイケル・ジャクソン-天使になったマイケル-


4年と少し前の2009年6月26日,横須賀線の電車の中で携帯ラジオのFM放送のスイッチをONにすると,ヘッドフォンからいきなり
マイケルの「スリラー」が耳に飛び込んできました。

当時はマイケルの歌がFM放送の音楽番組でも流されることはあまりないので,マイケルのファンの私としては,久しぶりにうれしかった
のですが,しばらくしてラジオのDJが信じられないことを口にしました。

「これは,マイケルの緊急追悼番組です」というのだ。私は「うそだ!信じられない!」と絶句しました。そんなこと絶対にあり得ないこと
,あってはならないことだ,と胸の中で叫びました。

亡くなる少し前には,マイケルは完全復活をかけて ”This is It” をロンドンで連続50回のコンサートを行うことを発表したばかりだった。

恐らく,世界のマイケル・ファンは,このコンサートを楽しみにしていたに違いない。

連続50回という前代未聞のコンサート・チケットは発売と同時に数百万のインターネットの予約注文が殺到し,ほとんど瞬間に完売して
しまっていたのです。

しかし,ラジオを聞いていると,どうやら本当らしいということがわかってきました(正確には,カリフォルニア時間では25日14時26分に
51歳の生涯を閉じました)。

あれから4年。毎年,命日の前後に私は何らかの形でマイケルを追悼する行事をしていますが,そのたびに,私たちは,途方もなく大きな宝を
失ってしまったことを実感します。

マイケルは,子どもに性的虐待をした,と子どもの両親から訴えられ,長い間裁判が続いていました。このストレスのため,彼は多量の精神安定剤
のような薬を常用していたようです。私は,この裁判と薬が彼の命を縮めたのではないかと思っています。

後に,この訴えはまったくのでっち上げに基づいて起こされたものであることが判明しました。子どもの親が,マイケルからお金を取るために子ども
に嘘を言わせたことが周囲の人物から明らかにされたのです。

それでもマイケルは,この裁判に時間とエネルギーを費やすことを止め,早期に決着をつけるために,莫大な示談金を子どもの両親に支払ったのです。

そして,入念な思索と計画のもとに,彼は ”This is It” の政策に没頭したのでした。

”This is It” 公演の発表をした際マイケルは ”This is it. This is the Final Curtain call”. (これで最後です。最後のカーテンコールです)

と言って会場を去ってゆきましたが,今から思うと,死を予言するような,とても意味深長な言葉でした。

マイケルの魅力はたくさんあり,私などが今さら語ることもありませんが,私はマイケルに関して,少し尋常でない思い入れがありますので,
今回だけは少し常軌を逸した文章になるかもしれません。

まず,名前。私は以前から,マイケルは男でも女でもない,神が地上に送った「天使」だと周囲の人に言ってきました。

実際,彼の名前 Michael は,「あなたは神の子を宿しました」とマリアに受胎告知をした,『聖書』に登場するあの大天使ミカエルなのです。
これは単なる偶然とは思えません。(「マイケル」はMichael の英語読み)


さて,個人的な感情を抜きにしても,彼が音楽の世界で成し遂げた革命と,世界の人々に訴えたメーセージは,途方もなく重要な意味をもっています。

マイケル登場以前のアメリカの音楽界は,白人と黒人の音楽ははっきり分かれていました。白人の歌手は白人の聴衆に向かって歌い,
白人は黒人の歌をあまり聴きませんでした。

たとえば,エルビス・プレスリーは白人で白人の聴衆を相手に歌いましたし,実際聴衆もまた白人だけでした。

マイケルの登場は,それまでのアメリカの音楽会に革命をもたらしました。彼は,人種や皮膚の色を超えて,全ての人に熱狂的に受け容れられた,
アメリカで最初のミュージシャンなのです。それだけ彼は,普遍的に感動を与える力をもっていたのです。

“Black or White” というマイケルの曲があります。文字通りの意味は 「黒くても白くても」ですが,もちろんこれには,黒人でも白人でも,
皮膚の色なんて関係ないという,人種差別にたいするマイケルの怒りが込められています。

次に,マイケルは歌の世界を,耳で聞く音源としてだけ考える従来の考えを一変しました。音楽好きにとって,コンサートに行って直接に歌声を聞く
ことが理想です。しかし,それではごく少数の人しか聞けません。そこで,伝統的にはレコードで,次にテープやCDを音源として聞いてきました。

しかしマイケルは,歌の世界だけに閉じ込めておくのではなく,歌う表情や動き,さらには歌の物語性を映像化することで,
マイケルの世界を音と視覚を一体化させて表現しようとしました。

そこで登場したのが,PV(プロモーション・ビデオ 宣伝用の映像)と呼ばれるフィルムでした。マイケルは曲ごとに映像フィルムを作ったのです。

新曲がでると,その宣伝のためにPVを作ることは珍しくありません。しかし,それをマイケルは世界で最初におこなった人物です。

彼は,こうした映像をPVとは呼ばれることに異議をとなえ,ショートフィルム(短篇映画 ここではSFと標記します)と呼んで欲しいと言っています。

事実,彼はSFを作るために,超一流の映画監督とスタッフと一緒に,莫大なお金をかけて完璧を目指して作ります。これはどのSFを見てもはっきり
分かります。

一言で言えば,音楽の視覚化と物語性ということになります。マイケルはこれを一人でやってのけた天才です。

次に,彼の卓越した表現力,説得力です。ある時は物語の語り部として私たちに語りかけ,ある時は社会に対する怒りをぶつけ,またある時は天使のような
澄んだ高音でやさしい声で歌います。それらは歌に合わせて見事に歌い分けています。

歌そのものも天才的ですが,それと同じくらい重要な要素はダンスです。たとえば,デビュー30周年のマディソンスクエアガーデンのコンサートで歌った
「ビリー・ジーン」(Billie Jean)の後半で,歌と楽器の音が突然無くなり,規則的なリズムを刻むドラムの音だけが続きます。

そこからエンディングまで,マイケルの代名詞ともなった“ムーンウォーク”も含めてダンスが延々と続きます。この一連のダンスにはさまざまな要素が
組み込まれおり,体の部分部分が独立して動いているように見えます。ダンサーとしても超一流です。

マイケルは,どれだけ激しいンスをしていても,それによって息が上がって声が乱れるということは決してありません。これは驚異的なことです。

最後に,そして私がもっとも強調したいのは,彼の曲がもつメッセージ性です。マイケルの曲は大きくエンタテイメントの系列(たとえば「スリラー」)の曲と,
メッセージ系列の曲とに大別できます。

メッセージ・ソングの代表は,「世界を治療しよう」(Heal the World),と「地球の歌」(Earth Song),「鏡の中の自分」(Man in the Mirror)など です。

「世界を治療しよう」は,こんな内容です。

    君と僕と全ての人類のために,世界を治療しよう。より良い場所にしよう
    苦しみも悲しみも無いところへ あらゆる命に慈しみをもてば,そこへゆく道は見つかる
    愛は強いもの 喜びに満ちた恵が与えられる
    大地を傷つけることは,魂の虐待にすぎないのに
    恐れのない世界を築き共に幸せの涙を流そう
    世界の国が剣を鋤きに持ち替え換える様子を思い描こう

彼は戦争を憎み,愛によって世界を治療する(癒す)ことを必死で訴えています。

「地球の歌」は,この先も地球に太陽は戻ってくるのだろうか,恵の雨は降ってくれるのだろうかと,人間が生きるために最も重要な自然条件が太陽と雨に
象徴化されて問いかけから始まります。

破壊された熱帯林,殺された象,汚された海,戦争の犠牲になった子どもや大人達,汚れた空気,私たちの未来はどうなってしまうんだろう,と地球の現状
を嘆きます。

映像の方は,歌詞の内容をより説得力をもたせるために,熱帯林や象の死体,ドキュメンタリー・フィルムからの引用などが効果的に使われています。

マイケルの声はあくまでも優しく抑制が効いていますが,それだけ余計に傷ついた地球にたいする深い慈しみと悲しみが聞く者に伝わってきます。

この映像には,未来の象徴として子どもが登場します。マイケルは,貧窮した子ども達を救う慈善活動もしており,
子ども達を大切にする並々ならない愛情をもっています。

”This is It” のリハーサルが全て終わり,最後に円陣を組んでマイケルが簡単な挨拶をする場面があります。
そこでマイケルは,「愛の大切さをわかってもらおう」「残された時間はあと4年しかない」と環境の保護を訴えます。

彼がなぜ4年という年月を言ったのかは分かりませんが,このまま環境破壊が続くと4年のうちに,もう「太陽は戻ってこない」「恵の雨は降ってくれない」,
つまり復元不可能なほど傷ついてしまうだろう,といいう危機感をこのように表現したものと思われます。

私たちは,この発言の後,間もなくマイケルが死んでしまうことを知っているので,彼が最後に語った言葉は,そのまま人類にたいする遺言のように
胸に響きます。

私は,この時期がくるたびに,大きな存在,私たちのかけがえのない宝であったマイケルを失ったことの喪失感を味わいます。

マイケルは,名前の通り,本当に天使ミカエルになったのです。

あらためてご冥福を祈ります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする