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大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

玉木雄一郎氏「尊厳死の法制化」発言の軽さと危うさ

2024-10-29 08:29:06 | 健康・医療
玉木雄一郎氏「尊厳死の法制化」発言の軽さと危うさ

今回の選挙の公示を前の10月12日に、日本記者クラブ主催の7党党首討論も行われました。
私もその模様をテレビでみていました。

そこでは各党の経済政策、安全保障問題、社会保障問題など多岐にわたる問題が議論され
ました。

その中で、私は国民民主党代表の玉木雄一郎氏の、社会保障、高齢者医療、尊厳死に関す
る発言に、疑問が次々と湧いてきました。とりわけ「尊厳死の法制化」については非常に
驚くとともに恐怖を覚えました。

以下に、日々現場で高齢者医療医に取り組んでいる木村 知医師の批判を手掛かりに、玉木
代表の発言の問題点を検討しましょう。

木村医師がもっとも恐怖に震えたのは国民民主党の玉木代表の以下の言葉でした(注1)。

社会保障の保険料を下げるためには、われわれは高齢者医療、とくに終末期医療の見直し
にも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。こういったことも含め医療給付を抑え、
若い人の社会保険料給付を抑えることが、消費を活性化して、つぎの好循環と賃金上昇を
生み出すと思っています。

つまり玉木代表の発言は、高齢者医療、とくに終末期医療には金がかかるから、その医療
費を削って、その分、若い人の社会保険料を少なくし、彼らの消費を活性化して景気を向
上させようとしている、と読み取れるからです。

というのも玉木代表は、若者の社会保険の負担を低くして手取りを増やすことで、彼らの
支持を得ようとすることを党の戦略としているからです。

しかし、社会保険の負担の問題は、防衛費なども含めた国家予算編成全体の中で解決すべ
きで、この問題を選挙で若者世代の支持を得る宣伝材料に利用するのは筋違いです。

実際、この時の玉木氏の主張に恐怖を覚えたのは木村医師だけではありませんでした。S
NSには「姥捨山だ」「優生思想だ」として、玉木代表を批判する意見が溢れました。理由
は後述しますが、この主張はまさに「優生思想そのもの」であるとの意見がよせられ、木
村医師もSNSで批判を展開したという。

ここまで多くの批判を受けるとは思っていなかった玉木代表はあわてて

    尊厳死の法制化は医療費削減のためにやるのではありません。本人の自己決定権
    の問題なので、重点政策の中でも、社会保険料削減の項目ではなく、あえて、人
    づくりの項目に位置づけています

とのコメントをSNSに投稿し、「尊厳死は自己決定権の問題」であることを繰り返し強調
しました。

また、2024年9月20日の国民民主党の代表記者会見での映像も引用し、あくまでも尊厳死
の法制化は医療費や社会保険料負担の軽減が目的ではないとの考えを強調、必死に「火消
し」に走りました。

しかし「しまった!」と思ってどんなに火消ししようとも、一度口から出てしまった言葉
は飲み込めません。無かったことにはできないのです。とくに政治家、しかも公党の党首
の言葉です。発言時間が短かったからなどとの言い訳もまったく通用しません。

上記の発言は明らかに「若者をつぶすな」との勇ましい言葉を掲げての高齢者医療、終末
期医療の見直し、高齢者を若者の生活に負担と迷惑をかけている象徴として攻撃目標にす
え、若者そして現役世代の票を獲得することを目的としているからです。

しかも、同党の政策パンフレットにも「現役世代・次世代の負担の適正化に向けた社会保
障制度の確立」との大項目のなかに「(13)法整備も含めた終末期医療の見直し」という
小項目が立てられており、そこには「人生会議の制度化を含む尊厳死の法制化によって終
末期医療のあり方を見直し、本人や家族が望まない医療を抑制します」との記載がありま
す。

木村医師は、
    何回読んでも、社会保障の財源を語る文脈のなかで終末期医療の見直しと尊厳死
    の法制化に言及している。これは誰も否定はできまい。玉木代表をいくら擁護し
    ようと試みても、言い間違えレベルのものではなく、確固たる信念に基づいたポ
    リシーを述べたものであるとしか解釈し得ない。

と、玉木代表の発言が、確固たる同党の基本戦略であることを指摘しています。

このように見てくると、やはり党首討論での玉木代表の主張は言い間違えなどではなく、
「尊厳死の法制化によって終末期医療のあり方を見直す」のは、やはり「現役世代・次世
 代の負担の適正化」のためだったのであることが明らかになります。

すると、玉木代表に国民民主党の政策は、社会にとって役立つ者を「優」としそれらに負
担をかける者を「劣」とする人の価値に優劣をつける思考に依拠するものであることは、
誰の目にも明らかです。

この思考に基づいた政策こそが、もっともわかりやすく「優生思想」を「見える化」した
ものなのです。

どうやら国民民主党には、経済効率至上主義と、人間を経済的に「役に立つ者」と「負担
となる者」に分ける優生思想がその根っこにあるようです。

そこまで言わなくても、国民民主党の党員や支持者は、玉木代表の発言や政策パンフレッ
トの謳い文句に何の違和感も感じていないということになります。

なお、この党のパンフレットに出てくる「人生会議」(アドバンス・ケア・プランニング=
ACP)とは、日本医師会の資料によれば「将来の変化に備え、将来の医療およびケアにつ
いて、本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを
行い、本人による意思決定を支援するプロセスのこと」とされています。

この規定にも問題はありますが、最も重要な点は、あくまでも本人が主体となっている点
です。

ところが同党の政策パンフレットでは「本人や家族が望まない医療を抑制」となっていま
す。うっかりすると読み流してしまいますが、「本人が望まない医療を抑制」とは書かず
に「家族」を滑り込ませています。これによって、ACPの本質を完全に捻じ曲げてしまっ
ています。

ACPの主体はあくまでも本人であり、かりにどんなに円満な家族であっても、家族は本人
とは別個人なのです。たとえば、終末医療を受け入れるのか否かは「自己決定権の問題」
との認識があれば、家族であっても、そこに意思決定者として同列に入れてはならないの
です。

木村医師は、

    同党に医療ブレインがいるのか私は知らないが、ACPの本質を知りつつ意図的に
    「家族」を組み込んだのだとすると非常に悪質であるし、知らずに入れたのであ
    れば不勉強も甚だしい。その程度の知識でACPを語ることは、日々現場でACPを
    実践している医療者から言わせると、迷惑きわまりない。

と非常に憤っています。

実際、木村医師自身の仕事場である在宅医療では、まさに高齢者医療や終末期医療がが主
体であるため、「してほしいこと」「してほしくないこと」を繰り返し本人に問い、医療チ
ーム全体でその意思に沿って治療とケアをおこなっていく努力をしている、と自分の日常
活動を述べています。

そして、本人の意思に反した延命治療を医師が無理やり押しつけるということはないばか
りか、法制化などされなくとも、現状でも、当事者本人の尊厳と意思を最大限に尊重した
「終末期医療」をおこなうべく、現場では日々努力と省察が繰り返されているのが現実で
ある」、と木村医師は断言しています。

「高齢者の終末期に何カ月も何年も人工栄養で生き永らえさせる」という医療は現実には
起こり得ない。もしこうした医療行為で何カ月も何年も生きている人がいるなら、その人
はそもそも「終末期」ではないのです。

木村医師は、玉木代表のいう「終末期医療の見直し」とは、何をどう見直すべきだと言っ
ているのか、まったく意味が不明なのである。どこが問題なのかいっさい具体的に述べな
いところを見ると、終末期医療の実態をご存じないのかもしれない、と断じています。

この点についても私は木村医師と同様、玉木氏の発言や政策に強い危うさを感じます。

玉木代表のいう「尊厳死の法制化」とは、治る見込みのない病に苦しむ人に、本人または
家族が同意すれば、いたずらに苦痛を長引かせるだけの終末期医療(延命治療)を合法的
に中断することが可能なように法律を作ることを意味します。

はっきり言ってしまえば、「終末期医療」を中断すれば、当の患者は死ぬことが含意され
ていますが、これこそが「尊厳」を守ることになる、という考えです。

この「尊厳死」は西欧では、苦痛を伴わない安らかな死、という意味で「安楽死」という
表現が使われます。

木村医師は、そもそも「終末期」の定義自体がきわめて困難であることを、私たちは自覚
しなければならない、医師はもちろん、とくに医療の専門家でない政治家が「尊厳死の法
制化」を語るのであれば、この点についてはきわめて謙虚かつ自覚的でなければならない、
と警告しています。

しかし、玉木代表も国民民主党も、「終末期」の定義はおろか、「尊厳死」にたいする具体
的な法案は全く示していません。まして、これまで同党が真剣に検討してきたという形跡
もありません。

私には、選挙に向けて「尊厳死の法制化」を語ったのは、それによって現役世代の保険料
負担を軽くして手取りの所得を増やしますよという、その財源として高齢者の“終末医療”
を抑制するという国民民主党の選挙向けの宣伝文句に過ぎないと感じられます。

しかし、「尊厳死の法制化」は人の命に係わる極めて重要な問題で、社会全体で時間をかけ
て議論すべき課題です(注2)。

とくに世代間の対立を煽り、人の命の価値に優劣をつける思考をうながそうとする主張に
は、最大限に警戒する必要があります。決して、選挙のための党首討論で、軽々しく口に
すべきではありません。

たとえ「尊厳死の法制化」とは、それが認められるための条件を条文化することです。た
とえば「死にいたることが確実な病」の状態にあり、言い換えると「回復の可能性がなく」
もしくは「死が間近」という表現になると思われますが、木村医師は、その判断はじっさ
いの臨床現場ではきわめて難しいと言います。

木村医師が恐れるのは、「尊厳死」の条件をどのように条文化しようと、医師は判断を条文
へ「当てはめ」ることを第一にと考えるあまり、これまで悩み熟慮することによって保たれ
ていた生命への倫理的思考が、マニュアル化・ショートカット化されていくことです。

そしてもっとも恐ろしいのは「自己決定」、つまり本人が死にたいと希望している、という
言葉です。

介護を要することになった高齢者の中には、家族に迷惑をかけまいとの配慮から「早く死
にたい」と言う人も少なくない。

「自己決定権」を尊重すべきだという人は、これらの人の「死ぬ権利」をも認めるべきだ
というのだろうか、という木村医師の言葉は非常に重い。

木村医師は最後に、自分の母親の例を書いています。

木村医師の90歳になる母はこの夏に急性腎不全で入院した。木村医師の目から見ても、今
回ばかりはもう長くないと覚悟したそうです。

当の母のほうは、病院の環境に耐えかね、入院2日目に「今すぐに退院させてほしい。家
に帰れないならもう死なせてほしい。退院させてくれないなら、ここで自死する」とまで、
半狂乱で私に訴えたのであった。

本人の希望通り退院し帰宅しましたが、しばらくの間は「もう早く死にたい。あなたたち
の世話になりたくない」ばかり繰り返していた。

しかし、そこに生まれて数ヶ月のひ孫を長男が連れてきて合わせると、退院当時の瀕死の
状態とは比較にならないほど活気出てきてその後、少しずつ食事を摂るようになり、非常
に危機的な状態からは少しずつ脱していったという。

その日から2カ月半の今、母親は退院当時の瀕死の状態とは比較にならないほど活気が出て、
少しずつ歩けるようにもなり、入浴もひとりでおこなえるようになってきたそうです。

このことからも木村医師は、「死にたい」との発言も、本心ではなく、つい一時的に口から
出てしまっただけのものかもしれない。家族に迷惑をかけている状況が本当にあるとして、
それが改善されるなら、やっぱりまだ生きていたいのだと実感したようです。

結論として、「自己決定」は、一度決めても、その時その時で、いくらでも変わりうるもの、
その認識が非常に重要なのだ、ということを心に留めておく必要があります。

従って、命に関することは、実情を知らない政治家が軽々しく「法制化」などと口にすべき
ではありません。まして、それを選挙の道具にするなどもってのほかです。


(注1)PRESIDENT Online (2024/10/22 7:00)
https://president.jp/articles/- 87372?cx_referrertype=mail&utm_source=presidentnews&utm_medium=email&utm_campaign=dailymail
(注2)「安楽死」を世界で最初に法制化したオランダでは、問題提起から30年かけて国を挙げて議論を積み上げてようやく認められました。これについては https://cellbank.nibiohn.go.jp/legacy/information/ethics/refhoshino/hoshino0069.htm を参照。



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現代医療の落し穴(2)―専門分化型医療と既得権益―

2024-02-20 09:22:35 | 健康・医療
現代医療の落し穴(2)―専門分化型医療と既得権益―

今回も前回に引き続いて「こころとからだのクリニック医院長」の和田秀樹医師(精神科)の論考
を参照しつつ、「現代医療の落し穴」について考えてみたいと思います。

論考の冒頭で和田氏は、「多くの人が信じている医学の進歩であるが、細かい点では確かにいろい
ろと進歩はしているのだが、全体のシステムとしては、まったく時代遅れのものだと私は考えてい
る」と述べています。

では和田氏は何をもって、「全体のシステムとしては、まったく時代遅れのもの」だと指摘してい
るのでしょうか?

その理由の一つは、前回も引用した「現在は人口の約3割、医者にくる患者さんの約6割が高齢者だ。
高齢者の場合、いくつも病気を抱えているために、各々の専門医が薬を出すと多剤併用が当たり前
に起こる。医療費の無駄でもあるし、副作用も多くなる」という事情です。

さらに、この背景には、現代の医学教育が臓器別診療と臓器別医療など専門分化に偏っているから
です。

和田医師によれば、専門分化は医学部教授たちの既得権益や専門分化型の医師たちのポストの確保
のために50年も専門分化型医療と、専門分化型教育が続いてきた結果だという。

この点が「まったくの時代遅れ」で、専門分化型ではなく総合診療へ医学教育をシフトすべきだと
いうのが和田氏の主張です。

少し補足しておくと、大学におけるポストは「講座」や「教室」(呼称は大学によって異なる)ご
とに教授、准教授、講師、助手といった教授・教員が割り当てられます。

たとえば、消化器内科講座には、教授1名、准教授2名、講師3名、助手4名、といった具合です。
「消化器内科講座」がさらに胃、大腸、小腸、すい臓などの臓器に細分化される可能性もあります。

さらに同じ消化器部でも、内科ではなく外科部門や腫瘍科(がん科)などに分かれることもありま
す。こうした専門分化の実態は、病院の診療科の一覧を見れば分かります。

医学部教授たちの既得権益とは、それぞれすでに「講座」という枠組の中でポストを得ている教授
・教員の地位が守られていることを意味しています。

もし、こうした専門分化型の教育システムが総合診療を前提としたものに変わると、自分たちの既
得権益であるポストがどうなるのか不安になるので、既存の専門分化型教育システムがずっと続い
ているというのです。

ただし和田氏は、高齢者が増えたからといって専門分化型の医者が必要なくなったというつもりは
ないが、総合診療医と専門医の割合がいびつであることを指摘しています。

たとえば日本よりずっと高齢化率が低いイギリスでもその比率は1対1くらいと言われていますが、
和田氏は、そのくらいが適正だと思うとのべています。

日本においては、いわゆる総合診療医(General Practitioner)の制度がありませんが、欧米では専
門化した医師の診察・治療を受ける前に、GPの診察を受ける必要があります。

総合診療医とは、病気を心身から全体的に診療する医師である。病気の予防にも携わる。 総合診療
は、患者の生活についての、生物学的・精神的・社会環境に着目し、ホーリズム的な手法である。
総合診療医は、患者の特定臓器に着目するのではなく、全体的な健康問題に向き合って治療を行い
ます(Wikipedia)。

以前、NHKで『ドクターG』という医療番組があり、私は毎回見ていました。これは、総合診療
のスペシャリスト医師(ドクターGeneral)が若い医師に、総合的な観点から診断を下すことができ
るよう訓練する内容でした。

いずれにしても、現状では、大学医学部も厚生労働省も総合診療医を増やすつもりはなさそうだ。
つまり、大学当局も政府の厚生労働省も、現在の専門分化型による既得権益を失いたくないからです。

しかも、既得権益で利益を得ているのは、すでにポストを得ている教授陣だけでなく、文部省や厚労
省の役人も同様です。

大学を管轄する文部科学省は患者を診ていないので、いまだに論文重視の医学教育を容認しています。
それなら、医療を監督する厚労省が、大学医学部にてこ入れすればいいのに、逆に審議会の委員の多
くは、和田氏のような臨床医でなく、研究ばかりしてきた大学教授たちなのです。

和田氏は、文科省も厚労省も大学医学部改革をやろうとしないことには別の理由があるとにらんでい
ます。

すなわち、文科省や厚労省の役人にとって大学医学部教授は重要な天下り先で、論文が一本もなくて
も教授になれるのです。

天下りが原則禁止になっているのに、医学部教授への天下りはフリーパスなのが現実です。和田氏は、
これを禁止しない限り、日本の医学教育は高齢者に適したものに変わるのは見込み薄だということは
伝えておきたい、と強調しています。

ここにも、信じられないような「天下り」の構造がまかり通っているのです。

臓器別診療が始まり、集団検診が始まった70年代から、医学教育の基本構造がまったく変わっていな
いので、前時代的と言われても仕方ないようになっています。

いずれにしても、現在の医学教育も医療システムも、患者の立場からすると、専門分化型医療体系は
とても不便です。というのも、必ずしも高齢者でなくても、一人の患者が抱える健康上の問題は一つ
だけとは限らず、複数の症状や関連する問題を抱えていることは、ごく普通にあるからです。その場
合、症状ごとに異なる診療科を回らなければならないのです。

和田氏の指摘の中で、もう一つ注目すべきは、医師には臨床医と研究医(仮の呼称ですが)とがあり、
大学に残って大きな既得権をもっているのは後者の方だという指摘です。

臨床医とは、実際に患者の治療を中心に活動する医師のことです。これに対して、主として実験や研
究を活動の中心においている医師は論文を書き、出世も早く上級の教授職につけますが、臨床医は、
日々患者と接して治療を行っているので、時間のかかる研究をして論文を書く余裕はありません。

しかし、大学という世界では結果的に生物学的な脳などの研究をしていた人のほうが論文の数が多い
などという理由で教授会の多数決で勝ちます。

そして、論文をたくさん書く医師の方が「格が上」のように扱われます。

もちろん、地道な基礎研究は医学の進歩にとって非常に重要であることはいうまでもありません。し
かし、だからといって臨床医(文字通り、患者のベッドに臨む医師)より格が上であるとか、重要だ
ということにはなりません。

少なくとも大学においては、医師は研究と臨床とを往復できる体制が必要だと思います。

医療の専門家と並んで和田氏が現状に大きな不満と問題を指摘しているのは、大学医学部の医学教育
において「心の医療」が軽視されていることです。

現在、日本には82も大学医学部があるが、精神科の主任教授の専門分野がカウンセリングとか精神療
法の大学は一つもありません。

教授のプロフィルの専門分野の一つに精神療法とか書いている教室はありますが、教授になってから
勉強したという程度で、教授になるまでに精神療法を学んできていないというのが実態だろう、と和
田氏は推測しています。

これは、精神科の教授を医学部の教授会における選挙で決めるからで、多くの大学医学部の教授たち
は、動物実験で書いた論文の数で教授になった人たちだから精神科の教授にもそれを求めます。

結果的に生物学的な脳などの研究をしていた人のほうが論文の数が多いなどという理由で教授会の多
数決で勝つ。82大学すべてで、これが起こっているという。

しかし、私自信のことを考えてみても分かりますが、私たちの病気というのは単に身体的な異常、と
いうだけでなく、心の問題をも同時に抱えているのが普通です。

さらに、ストレス社会といわれる現代、地震や性犯罪などのトラウマを抱える人が増えてくると、精
神科の患者さんのかなりの部分が、薬では治らなかったり、カウンセリングが必要になります。しか
し、現在、ほとんどの大学医学部では、心理学やカウンセリング法などは学べません。

大学6年間の講義の中で、「心の問題」を学べるのは、精神科の講義だけということは珍しくありませ
んが、その時に精神科の教授が生物学的精神医学の人だと、講義で脳内の神経伝達物質の話や精神障害
の診断基準の話ばかりを聞くことになって、患者さんとの接し方や患者さんの心の問題などを学ぶこと
ができません。そういう学生たちが、この20~30年医者になっているのです。

高齢者が増える中、もう一つ、大学医学部の教育でおかしいと思うのは栄養学が学べないし、学べても
時代遅れになっていることです。とりわけ高齢者にとっては、特定の病気(糖尿病などカロリー制限や
腎臓病に対する塩分の制限)を対象として栄養学や食事指導はあっても、健康の維持と増進のための栄
養学は必須です。

栄養学の軽視とならんで、免疫学の軽視もあいまって、いろいろと好きなものをがまんさせることでス
トレスが強まり、免疫力が低下する弊害が考慮されていません。

実際、塩分やお酒、コレステロールや甘いものをがまんさせることで、どれだけ病気を防ぐことができ
るかの大規模比較調査は日本にはないのです。


和田氏は、我慢することで「がん」による死亡者が増加する弊害について述べていますが、この点に関
して私はまだ十分なデータをもっていないので保留としておきます。

ただし、医療における「心の問題」が現代医療で軽視されているとの指摘に私は大賛成です。

というのも、私は現代医療(現代医学)が発展する過程で抱えこんでしまった非常に大きな問題は、そ
もそも「一つの存在」である人間を「身体(肉体)」と「心」に分けてしまったことだと考えているか
らです。

しかも、医学界全体においては、身体的な医学が圧倒的に優位に立っています。それは、心の問題は物
質(ある場合には化学的成分)として取り出して実証することができないからです。

もし、精神医学や心理学で、身体医学と同等の実証性を求めるとしたら、一部の生理心理学のような化
学物質の量やその変化を物質レベルで検証するという、ごく一部の領域に限られるでしょう。

私は、人間は「身体」と「心」に分けること自体が現代医学の大きな「落とし穴」だと考えています。
残念ながら、このような傾向は日本において特に強いように思います。

しかし現代社会では、心の問題と身体的問題とは対等でかつ不可分であることが世界的に認識されつつ
あります。

最後に、日本における現代医学においてはEBM(科学的な証拠に基づく医学・医療だけを正規のもの
のと認めており、中国の「東洋医学」やインドの「アーユルヴェーダ」などの非西洋医学、あるいは伝
統医療、民族医療を正規の医療とは認めていません。

私は、西洋医学的な現代医療と並行して東洋医学(具体的には針灸)の治療を30年ほど受けてきまし
たが、両方の治療の良さを実感しています。

西洋医学の方が優れている面は確かにありますが、東洋医学にもそれなりの利点と効果があります。

この点に関する私の見解は、西洋医学であれ東洋医学であれ、それぞれの利点を生かす「統合医療」こ
そが日本が目指す方法だと思います。欧米ではすでに統合医療は実際の医療に取り入れられています。

これと微妙に関係しているのは、医学部の教育に「心の問題」ほとんどないと同様、日本の医学部には
倫理学や宗教学などの科目がほとんどありません。

かつて私は、世界の有名大学の医学部のカリキュラムを取り寄せたことがありますが、ほとんどの大学
のカリキュラムにはこうした人間としての医師の人格に深い関係を持つ科目が置かれています。

日本では、検査至上主義が浸透していて、診察に先立って血液や様々な検査を行ない、実際の診察の際
にはそれらのデータをもとに医者が診断し治療の方向を決めることが多い。

その際、医者がパソコンの画面に映し出されたデータ(数値と画像)だけを見て患者の方を向かない、
ということが多々起こります(実は私もこのような経験があります)。

医療の原点は、医者も患者も対等な人間である、というところから出発すべきではないでしょうか?

(注1)『毎日新聞』「医療プレミアム」2024年2月10日
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20240208/med/00m/100/005000c?utm_source=column&utm_medium=email&utm_campaign=mailasa&utm_content=20240211

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現代医療の落し穴(1)―薬がたくさん処方されるわけ―

2024-02-13 13:30:22 | 健康・医療
現代医療の落し穴(1)―薬がたくさん処方されるわけ―

現代医学は私たちの病との闘いに対して大きな武器をたくさん与えてくれています。

ここで「現代医学」という言葉は、「科学的根拠に基づく医学」(EBM=Evidence
Based Medicine)を指し、それはヨーロッパで近代以来発達してきた、いわゆる
「西欧医学」とほぼ同じ意味で使われます。

そして「現代医学」は、中国の東洋医学やインドのアーユルヴェーダのような、非
西欧医学とは異なる医学であることをも意味しています。

厳密にいえば「現代医学」は病気や疾病にたいする科学的根拠・理論と、それに基
づいて行われる治療(現代医療)から成っています。以下の記述では、私たちにと
って身近で切実な問題として現代医療を中心に説明してゆきたいと思います。

ところで、現代医学と現代医療には以下のような背景があります。

一つは、病気の原因や構造に関する科学的・理論的な解明(基礎医学)が進み、こ
の知見に基づいて、新たな治療法が開拓されてきたことです。

二つは、CTやMRIといった検査機器の発達し、これまで目で見ることができな
かった病変や体の状態を映像としてみることができるようになったことです。

たとえば、これらの検査機器は、ある臓器のがんが、どの位置にどれくらいの大き
さに広がっているのかを画像として見せてくれます。

三つは、手術の進歩です。従来の手技による職人的な技術に加えて新たな術式が開
発され、これまで不可能とされた治療も可能になったことです。

例えば、手術ロボット(ダヴィンチ)の登場により、脳内の微妙な位置にある腫瘍
を正確に摘出することが可能になりました。

四つは、病気の原因や構造に関する科学的な解明に基づいて、新たな治療薬(化学
合成薬)が次つぎと開発されてきたことです。ただし、後に説明するように、薬品
そのものにも副作用の問題があります。

現代医学は日進月歩で、今は治療できないが、近い将来は治療が可能になるという
希望を持たせてくれます。

ただし治療法が進歩しても、残念ながら病気そのものは減ってはいません。

それどころか、今までなかった病気が新たに発生したり、開発された薬が効かなく
なってしまうこともあります。

このように考えると、人間が存在する限り、病気と医学とは終わることのない闘い
が永遠に続くでしょう。

しかも、“闘うところ敵なし”にみえる現代医学にも泣き所があります。

たとえば、現代医学は急性の疾患に関しては抗生物質や手術など外科的な処置によ
り目覚ましい有効性を発揮しますが、慢性疾患にたいしてはあまりはかばかしい治
療効果を示してくれません。

また現代医学といえども、すべての疾患や病気を科学的に解明できているわけでは
ありません。また、たとえ病の原因などが分かっていても、確立した治療方法が分
からない病気もたくさんあります。

今日、“難病指定”を受けている病気(たとえば膠原病など)はほとんどが原因も治
療法も見つかっていない病気です。

現代医学は、「~病」とはっきり病名がつくほどではないが、確かに体の不調があ
る場合の治療、すなわち、東洋医学でいう「未病」を防ぐことにはあまり熱心では
ありません。

しかし実際には、多くの人は「未病」に悩まされています。

最後に、これも次回で触れようと思いますが、現代医学は病気を身体(臓器)の問
題だと考える傾向があり、精神的な側面(心の問題)と身体的な問題との関連や相
互の影響についてはあまり重視していません。

以上を念頭において、以下に、現代医療における薬の処方に関する「落し穴」問題
を考えてみます。

最近ではほとんど見ることが無くなりましたが、以前は、病院の待合室には薬がい
っぱい入った大きな袋をもった患者さんの姿があちこちで見られました。

これは、病院が処方する薬を院内で渡していたからです。しかし今は、薬は病院が
出す処方箋をもって院外薬局で購入することになっています。

薬の問題も含めて、和田秀樹医師(精神科)は現在の医療の在り方に疑問を提起し
ています。以下に和田医師の論考を参照しながら検討してみましょう(注1)。

和田氏が医学批判をしたり、高齢者の医療について論じていたりすると、「医者
がたくさん薬を出すのは金もうけのためでしょ?」という質問を受けるそうです。

しかし、たとえば開業医が薬を出す際に、今は原則的に院外処方です。いくら薬
を出しても入ってくる処方箋料は一定だし、一定以上の多剤併用だとむしろ保険
の点数を減らされることもある。だから薬をたくさん出しても金もうけになりま
せん。

しかし、薬の量が増えることには金儲けではない別の理由があります。和田氏に
よれば、そこには臓器ごとに専門化した医学の教育システムと医療システムの根
深い弊害があるといいます。

医学生時代は薬の処方のことは原則習わないが、卒業後に臓器別診療の病院で研
修を受けると、やはり各々の臓器に対して薬を出してします。

つまり臓器別診断に基づく薬の処方が行われるようになります。こうしてほかの
国では考えられないような多剤併用を当たり前のようにやるようになってしまい
ます。

現在は人口の約3割、医者にくる患者さんの約6割が高齢者です。高齢者の場合、
いくつも病気を抱えていることが多いので、各々の専門医が薬を出すと多剤併用
が当たり前に起こってしまい、これは医療費の無駄でもあるし、副作用も多くな
ります。

以上は高齢者を対象にした医療と薬の処方問題ですが、実は高齢者だけでなく、
医療全般について根底に横たわる問題でもあります。

臓器別診療が50年も続くと、新たに開業する医師たちもほとんどがその形での
トレーニングしか受けていないし、経験もしていません。

往診もするとか、かかりつけ医もやりますとかいって開業しますが、医者の多
くは、開業前は大学病院や大病院で、呼吸器の専門医とか、循環器の専門医を
やっていた人たちです。

たとえば循環器内科出身の医者は、高血圧とか、ほかの循環器の疾患について
は最新の知識で治療をしてくれるが、その患者さんが肺気腫のような持病をも
ち、血糖値もちょっと高いと、マニュアル本をみて薬を出すので、一人のかか
りつけ医であっても、各々の専門医が出すのと同じような薬の出し方になって
しまいます。

本来は、総合診療といって、患者さんを全体として診て、必要な薬を四つまで
選んでくれるとか(5種類以上の薬を飲むと転倒の発生率が4割にもなるという
調査研究がある)、生活背景や心理状態までも考慮してくれる医療が必要なの
だが、そういうトレーニングを受けている医師はほとんどいないのが現実だそ
うです。

私自身も、医者がマニュアル本を見て処方薬を決めていたことを目撃したこと
があります。実際、自分の専門外でも患者の症状や訴えを聞けば、マニュアル
にはそれらの症状に対して処方できる薬のリストがすぐに見つかります。

和田医師は経験上、薬の処方には大きな落とし穴があるような気がしてならな
いと述べています。それは、検査値が異常な場合、きちんとした生活指導や栄
養指導より、つい薬に頼ってしまうから薬の量がだんだん増えてしまう、とい
う実態です。

生活指導や栄養指導は効果がでるまで時間がかかり、治療という面からみると
間接的なアプローチです。それよりも、短期間に効果が表れる薬を処方した方
が手っ取り早い、という意識が医師の側にあるのかもしれません。

患者の方も、せっかく病院で診察を受けたのに、ただ生活指導や栄養指導のア
ドバイスだけで薬も出ないと、何もしてくれなかった、と失望してしまいます。

そんな患者の心理を知っていて、医者は“それでは一応、お薬を出しておきまし
ょう”といって薬を処方します。それで患者もようやく、診てもらってよかった
と一安心します。

これが、医者と患者の間で交わされる、一種の“お約束”のやり取りではないでし
ょうか?実は、私自身にもこうした経験があります。

日本で薬の処方が増えるのには、薬の副作用には無頓着だから薬が増えるという
側面もありそうです。

医者は必ずしも処方する薬剤にたいしてくわしい薬学的知識を持っているとは限
らず、マニュアルに書いてある副作用などを参考にする程度です。

アメリカでは、医者が薬の副作用を一生懸命勉強する。そして、なるべく薬を出
さないようにする。和田医師のアメリカ留学中もレジデント(研修医)が製薬会
社のMR(医療情報担当者)を捕まえては薬の副作用を根掘り葉掘り聞いていた。
彼は、日本でこのような風景をほとんど見た記憶はないそうです。

訴訟社会のアメリカでは、処方した薬の副作用で患者の症状が悪化した場合には
医者は法的に訴えられる危険性があるから、彼らは薬の処方には非常に神経質に
なるのでしょう。

薬の処方は「足し算」となるので、その数が必要以上に増えてしまう可能性があ
ります。極端な仮定の事例を挙げてみましょう。患者が風邪の症状を訴えれば、
総合感冒薬、のどが痛ければ炎症止めの抗生物質、抗生物質を服用すると消化器
内の微生物も殺してしまうので胃腸薬、咳が出ていれば咳止め、鼻水が出ていれ
ば鼻炎、熱があれば解熱剤、といった風にどんどん薬の数は増えてゆきます。

私は以前、うつ病の診断を受けた学生の処方箋を見せてもらったことがあります
が、驚いたことに、10種類ほどの薬の名前が書かれていて、それらを”ワンセッ
トとする”と添え書きがありました。

これだけ薬を毎日飲んだら、それだけで体に非常に大きな負担をかけ、かえって
健康を害してしまうのではないか、と恐ろしくなりました。

また、私の兄弟も含めて、周囲には食事のたびごとに数種類の薬を服用している
人がたくさんいます。むしろ、ある年齢以上になると、何の薬を常用していない
人の方が珍しいくらいです。

私の印象では、日本人はかなり薬好きで、たくさん処方してもらうと、それだけ
安心する傾向があります。

今回は薬に焦点を当てて、現代医療の「落し穴」についてみてきましたが、次回
は、薬も含めて、もっと全体的な観点から、現代医療の落し穴を検討したいと思
います。

(注1)『毎日新聞』「医療プレミアム」2024年2月10日
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20240208/med/00m/100/005000c?utm_source=column&utm_medium=email&utm_campaign=mailasa&utm_content=20240211

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新型コロナ感染体験記

2023-08-16 09:02:43 | 健康・医療
新型コロナ感染体験記

ご存じのように、新型コロナ(以下、たんに「コロナ」と表記)は今年の5月8日以降は、
それまでの第二類感染症から第五類感染症へ、法的な位置づけと対応が変わりました。

これにより、
(1)陽性時の外出自粛は個人の判断へ
(2)療養期間は発症翌日から5日間(推奨)
※同居家族の外出自粛も求められません。特に5日間はご自身の体調にご注意を
(3)発症後10日間はマスク着用など人にうつさない配慮を
(4)治療費に自己負担額が生じます
(5)患者登録、健康観察等がなくなります
(6)無料検査が終了します
という新たな段階にはいりました。

ここで、重要な点は、患者(感染者)の登録や健康観察などの、国による監視体制はなく
なったことです。

つまり、これまでは感染者は保健所などへ報告し、保健所は感染者の発生を記録(登録)
して健康観察を継続的に行うことになっていました。

しかし、上に書いたように現在では、登録も健康観察もなく、たとえコロナ陽性と判定さ
れても、隔離は義務ではなくなりました。

つまり、コロナは季節性のインフルエンザと同等の扱いになったのです。

私の場合、7月末に旅行に出かけましたが、どこかの時点で感染したようで、帰宅後2に後
には38度近い発熱がありました。

翌日、さっそく近くの薬局で解熱剤を購入して服用すると、次の日には熱は35度台に下が
りました。これは、私の平熱(36.5分)よりずっと低いので、むしろそのことがちょっと
心配でした。

ただ、熱が下がったので気分的には楽になりました。

しかし、その翌日から今度は、つばを飲み込むことさえつらいほど喉が痛くなりました。

インターネットで調べると、こうしたコロナによる喉の痛みは2~4日で治ることが多い
と書かれていたので、しばらく様子を見ることにしました。

しかし3日経っても、喉の痛みは和らぐことはないので、また市販の薬を買って服用しま
した。幸い服用を始めて3日後にはノドの痛みも消えました。

こうして、コロナに起因すると思われる症状のうち、熱と喉の痛みがあらかた消えました
が、ここまでが約1週間かかりました。

これで、コロナ禍は一件落着と思ったのですが、そのあと咳と痰が結構しつこく出るので、
今回は漢方薬を購入して服用しました。

その効果もあって、現在はかなり収まっていますが、完全に消えたわけではありません。

以上の経過をみると、発症からほぼ治まるまで2週間かかったことになります。

ところで、私はコロナの抗原検査をしていませんが、一緒に旅行をした人が発症して病院
で検査したところコロナ陽性とでたこと、その翌日に私も発熱したので、私もコロナに感
染したと考えることが常識でしょう。

しかも、その人がコロナ陽性と分かっても、病院では何か薬を処方することもなく、ただ
5日間は家にいてください、というだけでした。

それなら、何も痛い思いをして鼻の奥に綿棒を突っ込んで検体を採取する必要はない、と
思いました。

さて、今回の感染からいくつかのことを感じました。

新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが、2023年5月8日(月)に「5類」に移行したこ
とに伴い、新型コロナの感染状況を示すデータはこれまでの「全数把握」から、全国5000
の医療機関からの報告をもとに公表する「定点把握」に変わりました。

したがって、どの地域で、全体として何人が感染しているのかは分かりません。

この「定点把握」では都道府県ごとに、指定された医療機関当たり何人の感染が見つかった
かを数値で示すことになります。

例えば、2023年8月14日に発表された数値は、2023年8月14日(月)に発表された以下のデ
ータは「7月31日(月)から8月6日(日)までの1週間に確認された1医療機関あたりの感染者数の
平均値」となります。

これによれば、全国では15.81人、一番少ないのは秋田県で8.08人、最も多かったのは佐賀
県で34.69人です。

その他人口が多い都道府県として東京都(11.53人)、愛知県(19.87人)、大阪府(13.69人)
、広島県(14.77人)、福岡県(21人)となっています。

また逆に人口が少ない県として島根県(15.71人)、高知県(18.55人)、徳島県(16.84人)、
福井県(10.38人)となっています(注1)。

ただし、こうした数値だけから、何か法則性なり傾向なりを把握することは不可能です。

先日、感染症の専門家が、今や第9波に入ったと言っていましたが、我々は、自分の生活範囲
の地域でコロナ感染者は増えているのか減っているのか皆目見当がつきません。

ただ言えることは、私も場合も含めて医療機関には行かず家でじっとしている感染者の数はじ
わじわと増えているのではないかと思われます。

というのも、統計的に示すことはできませんが、最近私の周辺でも、コロナに感染したという
声を時々聞くようになったからです。

私はコロナのワクチン接種は3回までしかやっていません。3回まではいわゆる「武漢株」と呼
ばれる初期のウイルス株で、その後はオミクロン株に移ってから以降(4回目と5回目)にはま
ったく接種していません。

現在日本で主流となっているのはXBB1,16 という株だそうですが、これに対しては9月から
この株に対するワクチン接種が可能になるようです。

新型コロナウイルス株は、刻々と変化してゆき、それに対応するワクチンも変化してゆきます。
ここで、我々としては、どこまでワクチン接種に付き合ってゆけばよいのか迷います。

私の経験から、よほど悪性がはっきりするウイルス株が流行した場合を別とすれば、次々と登
場するウイルス株に対応したワクチンは接種しないつもりです。

もう一つ、今回の経験から、コロナの主な症状は比較的早く消えますが、全ての症状が完全に
なくなるのではなく、軽い咳や痰などは後遺症として残る可能性があります。

私の知り合いでも、味覚と嗅覚の異常や、倦怠感などの後遺症が残ってしまった人がいます。

現在のコロナ禍では重症化しない、と言われていますが、やはり感染しないに越したことはあ
りません。

今後は、電車や狭い密閉空間などの場所ではやはりマスクを付けようと思います。これが、体
験から得られた私の最終結論です。

(注)https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/


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有機フッ化化合物(PFAS)問題―米軍への忖度が住民の健康と命を脅かす―

2023-05-19 06:10:36 | 健康・医療
有機フッ化化合物(PFAS)問題
 ―米軍への忖度が住民の健康と命を脅かす―

最近、飲料水と人体 に含まれるPFAS(有機フッ化化合物の総称)の濃度が、多摩
地区と沖縄の一部で、基準値を超える高濃度であることが問題となっています。

これは、水や油をはじき、熱に強い特徴があり、自然界ではほぼ分解されません。環境
中や人体に長く残るため、「永遠の化学物質(フォーエバー・ケミカル)」とも呼ばれ
ています。PFOS(パーフルオロオクタンスルホン酸)とPFOA(パーフルオロオクタン
酸)が代表的な物質です。

1950年代以降、こびりつかないフライパンや水をはじく衣類、半導体の製造、大規模火
災時用の泡消火剤などに広く使われてきました。工場排水や米軍基地の泡消火剤の漏出
などで土壌を汚染し、地下水や河川水に入り込んで飲み水として人が摂取している可能
性があります。

とりわけPFOAは人体では腎臓がんや前立腺がん、潰瘍性大腸炎、甲状腺疾患の発症
の他、赤ちゃんの体重減少、コレステロール値の上昇などとの関連が指摘されています。

このため、国際的に規制が進んでいます。すなわち、有害な化学物質を国際的に規制す
るストックホルム条約でPFOSは2009年、PFOAは19年に製造・使用が原則禁止となり
ました。

有害な化学物質を国際的に規制するストックホルム条約でPFOSは2009年、PFOAは19
年に製造・使用が原則禁止となりました。飲料水は各国が安全の目安となる数値を示し
ています。

日本は20年に、毎日2リットルの水を飲んでも健康に影響が生じないレベルとして、水
道管理の暫定目標値をPFOSとPFOAの合計で1リットル当たり50ナノグラム(1ナノグ
ラムは1グラムの10億分の1)以下と定めました。

米国はもっと厳しく、米環境保護庁が昨年6月、PFOSを0.02ナノグラム以下、PFOAを
0.004ナノグラム以下とする暫定勧告値を示しました(注1)。

現在、PFASが問題となっていて、市民団体が独自調査や県や米軍に調査を訴えてい
るのは、沖縄の基地周辺と、東京の横田基地東、多摩地区の幾つかの市町村の住民です。

沖縄では、県内のアメリカ軍基地周辺にある小学校の校庭で、アメリカの基準値を上回
るPFASが検出されるなどしています。

市民団体の『宜野湾ちゅら水会』は今年の5月14日には専門家を呼んで、PFAS問
題を考えるシンポジウムを開催しました。

また7月には、国連の下部組織の会合に参加する予定で、米軍基地内への立ち入り調査の
必要性などを訴えるとしています。

他方、東京都では「多摩地域のPFAS汚染を明らかにする会」が、米軍横田基地の東
の多摩地域の28市町村に住む551人の分の血液検査の結果を公表した。

これはまだ中間報告ですが、検査した人の5割以上で、血中のPFAS濃度が、米国で
健康被害がでると定める指標を超えていました。

そして、7市(立川市、国分寺氏、小平市、西東京市、府中市、調布市、国立市)では
全国平均と比べて3.4倍も高かったことが分かりました。

こうした調査に立ち会った専門家は、この地域で住民が飲んでいた飲料水が原因である
こと、そして、その飲料水は井戸から汲み上げた水であることが指摘されてきました。

東京都の水道局も以前から事実を把握しており、2019年以降、上記7市の浄水施設でP
FASが確認された井戸、34か所の取水を停止していました。

問題は、それではなぜ、どこからこの地域の井戸水にPFASが混入したのか、という
点です。

これについては、上の分析をした専門家からは、米軍の横田基地である可能性が高いと、
指摘されてきました(注2)

その経緯をもう少し詳しく見てみましょう。

まず、都水道局と環境局、福祉保健局、環境省が公表している05〜22年の井戸水の調査
結果と、井戸が個人所有であることを理由に非公表の調査結果を情報公開請求し、分析
した結果、以下の事実が明らかになりました。

指針値を上回ったのは約1000件。横田基地東側の立川市にある「横田基地モニタリング
井戸」で18年度、これまでの都内最高値となる1リットル当たり1340ナノグラムのPFAS
を検出しました。市内では同1000ナノグラム前後の地点が複数ありました。

これとは別に、2018年には、横田基地東側の立川市にある横田基地で2010年から27年に
かけてPFASを含む泡消火剤が3000リットルも土中に漏洩したことが、イギリス人
ジャーナリストによって報道されました。

この報道がきっかけになったかどうかは定かではありませんが、東京都が2019年以降、
34か所の浄水施設で井戸水からの取水を停止したのも何らかの関係があったかもしれ
ません。

さらに、多摩地域の井戸水に高い濃度のPFASが検出されたことを、NHKが独自の
調査で検証しました。

これはNHK 『クローズアップ現代』「追跡“PFAS汚染”暮らしに迫る化学物質」で放映
(2023年4月10日)されました。なお、この内容は電子版で文字化された記事でも知
ることができます(注3)。

下の図は、横田基地を起点として地下水が西から東の方角に流れていること(これはす
でに知られていた事実です)、そして、その流れ状に、地下水の汲み上げを中止した市
が位置していることを示しています。

   
     出典 下記(注3)

これを見れば、横田基地が多摩地域の地下水に含まれるPFASの流出原であることは
否定しようもありません。

しかし、東京都民の命を預かる小池都知事は、この件に関して、「日米地位協定」を理由
に、基地への立ち入り調査はできないとして消極的です。

地位協定で日本の関係機関は、米軍基地に許可なく立ち入ることはできない。協定で「排
他的使用権」と呼ばれる特権が米軍側に認められているからです。

しかも、アメリカ側は、事故があっても自分の方から通報することはまずありません。た
とえば、米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)から1986年に有害物質のポリ塩化ビフェ
ニール(PCB)が大量に漏出した際、米軍からの通報はなく、その後に米下院の報告書で
発覚したのです。

また、横田基地周辺では1993年の航空燃料漏出事故で地下水が汚染されたが、その後に起
きた約90件の燃料漏出事故が周辺自治体に通報されていなかった。90件の漏出事故につい
て、立ち入り調査もできていません。

問題は、日本側に米軍と粘り強い交渉をする強い意志と勇気がない、という実態です。

実際には、米軍の通報なしでも日本側が調査に入った例もあります。2021年、米軍普天間
飛行場(沖縄県宜野湾市)に国と県が立ち入り、基地内の貯水槽のPFAS汚染水を調べた
事実があります。

この時は、汚染水があるとの情報に基づき、県などが米軍と交渉してこぎ着けたのです。

今年3月の参院特別委員会で、林芳正外相は「米側から通報がない場合でも、米軍施設に源
を発する環境汚染が発生し地域社会の福祉に影響を与えていると信じる合理的理由のある場
合は、立ち入り調査の申請が可能」と答弁しています。

ただ沖縄県の調査は米軍が認めた場所に限られ、この意味では、米軍は都合の悪い場所は隠
し、問題なさそうな場所だけを調査させた、という課題を残しました。

日米地位協定に詳しい沖縄国際大の前泊博盛教授(日米安保論)は、多摩地域のPFAS汚染
について「基本的には日本政府の交渉姿勢の問題。『日米の信頼関係を損ねる』と強く要請
すれば調査はできるのではないか」と指摘しています。

前泊に教授はさらに、都に対しても「データを持っているなら横田基地に説明を求めるべき
だ。このままでは、都民の健康より米軍の権利を優先する『米軍ファースト』だ」と批判し
ています(注4)。

こうした日本側の対応は、他のあらゆる分野で生じています。日本は、相手がアメリカとな
ると、途端に“失語症”になったように、思考停止になり何も言えなくなってしまいます。

それを読み込んだうえで、アメリカ側は、事故が起こっても通報することなく済ませてしま
っています。





(注1)(『東京新聞』電子版2023年3月4日。https://www.tokyo-np.co.jp/article/234458
(注2)(『東京新聞』2023年5月12、16日 朝刊;『東京新聞』電子版 2023年5月12日 https://www.tokyo-np.co.jp/article/249341)。
(注3)https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4767/
(注4)『東京新聞』電子版(2023年5月12日) https://www.tokyonp.co.jp/article/2493
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
  初夏を代表する藤の花                                         新緑の中をサイクリングロードが走る
    


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運動と脳―運動こそが脳の機能を活性化させる―

2023-02-21 22:09:15 | 健康・医療
運動と脳―運動こそが脳の機能を活性化させる―

私たちは、体を動かすことが健康に良い結果をもたらすことを経験的に知っています。

逆に、体を動かさないでじっとしていると、体調も何となく思わしくなく、気分もす
っきりとはしません。

それどころか、最近の医学界では、座ったままじっとしていると、それだけで寿命が
縮まるともいわれています。

そこで、長野県のある地域では、「301運動」を合言葉に、健康の増進を心掛けて
いるグループがあります。これは、30分座ったままでいたら一度立ち上がりましょ
う、という意味です。

体を動かすこと、すなわち運動がもたらす効用は広い分野に及びますが、脳にたいす
る影響を中心として科学的に説いた本はあまりありません。

そんな中で、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンの『運動脳―新版・一流
の頭脳―』(御舩 由美子訳 サンマーク出版、初版2022年9月10日、2023年1月
25日)が出版されました。

本書の現地でのスウェーデン語の出版は2016年で、英訳のタイトルは『脳―最良のそ
して最新の神経科学による、いかにしてあなたの脳を鍛えるかの方法』でした。

この意味で、本書は科学に基づく、一種の「ハウツーもの」ではあります。

ハンセン氏は当初、数千人の人が本書を興味深く読んでくれればいいと思っていたと
いう。

ところが、人口1000万人のスウェーデンでたちまち67万部が売れ、日本でも初
版(第1刷)が2022年9月10日に翻訳されてわずか4か月余りで2023年1月25日
には15刷まで増刷され、現在まで25万部と驚異的に売れています。

これは、いかに多くの人が現に物忘れや認知症などに悩み、あるいは将来認知症にな
るのではないか、と不安を感じているかを物語っています。

ハンセンは、人類がこれまでたどってきた歴史を背景に、世界で行われてきた 多く
の科学的あるいは化学的実験や調査結果を参照し、そこから彼の結論を導き出してい
ます。

その結論とは、運動が脳の各領域との連携を活性化するというものです。

これらのデータは随所に示されていますが、それらは本を読んで確認してもらうとし
て、もっと大筋をまず理解する方が有益だと思われます。

まずハンセン氏は、「生物学的には私たちの脳と身体は、今もサバンナにいる。私た
ちは本来、狩猟採集民なのである」という人類史から出発します。

この表現について少し補足しておくと、ヒトの祖先は600万年ほど前に、近縁のチ
ンパンジーと別れ、森から草原に出ました。そこで起こった大きな変化は、それまで
森が与えてくれた豊富な食料や敵から身を隠してくれる木々が草原にはないことです。

そこで、ヒトの祖先は、逆に自ら動いて狩猟を行い、あるいは食料となる木の実や地
下の食物を探して生きるようになりました。

この際、長時間獲物(動物)を追い、ある時には戦って獲物(特にタンパクや脂肪を
多く含む動物)を獲る必要があります。

また、他方で動物だけでなく、食料となる木の実や地下に眠る食べ物を広い草原の中
を歩いて探しだす必要がありました。

いずれにしても、サバンナに出た人の祖先が生きるためには、獲物を追いかけてサバ
ンナを歩き回って食物を確保しなければなりませんでした。言い換えると、そのよう
な能力をもった人の方が生き残る可能性が高くなります。

これをハンセンは、本書の第9章のタイトルである「最も動く祖先が生き残った」と
いう言葉で表しています。

このような能力は数百万年の進化の過程で遺伝され、今日の私たちに引き継がれてい
るのです。

これが、「生物学的には私たちの脳と身体は、今もサバンナにいる」つまり「狩猟採
集民なのである」という表現の意味です。

ところで、この狩猟採取という行為は、たんに身体能力の向上をもたらしただけでは
ありませんでした。

ここから、本が最も強調したい変化が生じたのです。それは、脳の発達です。ここで
いう「脳の発達」とは脳の大きさ(重量や体積)が増えるという意味ではありません。

自然界には人間の脳より大きな脳をもった生物がいます。しかし、機能的な脳とは細
胞がたくさんある脳でも、細胞同士がたくさんつながっている脳でもなく、各領域
(たとえば前頭葉・頭頂葉・海馬)がしっかりと連携している脳のことです。

それがプログラムをスムーズに実行処理するための前提となる。そして、ここが肝心
なのですが、身体を活発に動かせばその連携を強化できる。これが基本条件であり、
ハンセン氏の主張の核です。

狩猟採集とは、決して脳を使わない単純な活動ではありません。いつごろ、どこでど
んな獲物が得られるかを、季節や場所、風の向き、地形、あるいは行動中の水の補給
場所など、実に多くのことを考えなければなりません。

採集にしても、ただ広大なサバンナの中を探し回るのではなく、何時ごろどこに行け
ばどんな食べ物が手に入るかを知らなければなりません。

いずれにしても、狩猟採集民は常に体動かしています。そして、ここがハンセン氏の
主張の核心なのですが、「身体を活発に動かせばその連携を強化できる」。

人類はこれまでの歴史の99%の時間を狩猟採集生活で生きながらえ、その間に盛ん
に体を動かして脳を発達させてきたといいうことになります。

人類の歴史を1日に短縮すると、私たちは午後11時40分まで狩猟採取で生活を送
っていたのです。

そして1万年ほど前に、農耕社会が始まりますが、これも人類史の中ではわずか1%
の時間にしかすぎません。

その後200年前に工業化社会となりましたが、これは午後11時59分40秒、1
日が終わるまで、あと20秒というときでした。

さらにデジタル社会が普及したのは午後11時59分59秒、1日の最後の1秒です。

人類の長い歴史の中で、つい最近まで私たち脳と身体と脳は狩猟採集の時代のままで
すが、身体を動かすことだけが激減しました。

現在も狩猟採集生活を送るアフリカ・タンザニアに住むハッザ族の人たちに歩数計を
付けてもらって計ったところ、男性は1日8~10キロ、歩数で1万1000歩から
1万4000歩(女性はこれよりやや少ない)だった。

一方、欧米人の1日の平均歩数は6000歩~7000歩です。つまり大雑把に、狩
猟採集民は欧米人の倍以上歩いていたことになります。

人類は、知識を文字や映像、音などあらゆる媒体で蓄積することができるため、他の
生物とは比較にならないほどの文明を築いてきました。

その反面、次第に身体を動かすことが減ったため、新たな問題を抱え込むことにもな
ったのです。たとえば、ストレス過多による「ウツ病」であり、あるいは、記憶をつ
かさどる海馬が過度のストレスホルモン(コルチゾール)にさらされて委縮しまうこ
と、さらに脳の諸器官の連係の低下による認知症などです。

詳しい説明は本を読んでいただくとして、著者は、こうした現代人の問題のかなりの
部分は、身体を動かすことで改善がみられるという。

身体を動かすことほど脳を変えられる、つまり神経回路に変化を与えるものはないこ
とが分かっています。しかもその活動は特に長く続ける必要はなく、20分から30
分、身体を活発に動かすだけで充分に効果がある。

ただし、ハンセン氏によれば、いわゆる身体を動かすのではなく、「脳トレ」をいく
ら行っても、脳の機能を高めることにはならないそうです。

実際、脳を使うだけでは、かえって老化を早めてしまうことも知られています(注1)

日本の都市部に生活していると、移動は電車や車に頼り、体を動かす機会はますます
減っています。本書を読んで、できる限り体を動かすよう心掛けたいと思いました。

(注1)『日本経済日経』Gooday(2023/2/10)
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/23/020600006/020600001/?waad=abLZtgAl  



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オミクロン株の感染爆発―米軍に対して思考停止となる日本政府―

2022-01-08 22:17:49 | 健康・医療
オミクロン株の感染爆発―米軍に対して思考停止となる日本政府―

新型コロナのオミクロン株がすさまじい勢いで感染爆発を起こしています。

12月末には一旦、全国の新規感染者が40人台まで減少し、ようやくこれで今回の新型
コロナウイルスは沈静化したかたと。ほっと胸をなでおろした人が多かったのではないで
しょうか。

実際、テレビ報道などでは、感染者ゼロの県が大多数を占めるようになりました。

しかし、専門家の間では、人びとの気のゆるみ、年末年始の旅行や会食などの増加によっ
て、年明けの最初の週から第二週にかけてコロナウイルスの感染者が再び増加するのでは
ないか、と危惧していました。

これまで、三蜜を避け、マスクを着用し、手指消毒をし、会食を控えるなど日本人の用心
深さが功を奏して、デルタ株の関してはほぼ克服できたと誰もが思いました。

ところが、この時すでに、オミクロン株という新たな脅威がひたひたと日本に侵入しつつ
ありました。

岸田首相は、オミクロン株の日本流入時には外国人の新規入国の全面停止を行い、先手を
打った厳しい水際対策を講じた、と公言しました。

というのも、オミクロン株は、これまでのデルタ株と比べても数倍の感染力をもっている
ことが、すでに欧米では実証されていたからです。

たとえば、1週間のうちに、デルタ株とオミクロン株がすっかり入れ替わってしまった例
はたくさんあります。

海外でのオミクロン株の感染爆発を目の当たりにして政府は、外からのウイルスの侵入を
防ぐために、水際での侵入防止のため空港などで厳しい防疫体制をしいていました。

ところが、正月明けには、新規感染者が徐々に増え始め、1月7日には全国で6214人
の感染者が報告されました。

そして、驚くべきは沖縄の感染者数で、1月2日には51人だった感染者が7日には何と、
1414へと、わずか5日間で28倍近くに激増してしまいました。

当初、新規感染者のうちデルタ株とオミクロン株の割合がどれほどか分かりませんでした
が、ゲノム解析が進むと、多くの感染者がオミクロン株であることが分りました。

もちろん、新規感染者は他の都府県でも大幅に増加しましたが、沖縄は突出しています。

そして、もう一つ、気になる事実は、沖縄だけでなく、米軍基地がある都市や地方でもコ
ロナ換算者が激増していることです。

米軍当局は昨年末には基地内の軍人の間でクラスターが発生していることを確認していま
したが、とりたてて基地内でも周辺地域へのまん延防止策を取っていませんでした。

『東京新聞』(2021年1月8日)が報じているように、「水際対策 米軍の『大穴』があ
ったのです。

今回は、この問題に焦点を当てて、現在の日本が抱えている根が深い問題を考えてみたい
と思います。

まず、その前に、良く知られているように、米軍の関係者はアメリカから日本にやって来
るくるときには、直接飛行機で基地に入り、日本側のバスポートの審査も一切の検疫を受
けません。

つまり、現行の「日米地位協定」では、日本政府による検疫を強制することができないこ
とになっています。

地位協定の第9条は「米国は米軍人、軍属、家族を日本に入れることができる」としてお
り、さらにその際、検疫は「米軍の検疫手続きを受ける」となっています。

つまり、検疫の関して日本が立ち入ることができない、とされています。

実は、昨年の9月、日本で緊急事態宣言が出ていた時にも、米国は独自の判断で出国時の
検査を取りやめています。入国後も、基地内を自由に動き回ることは禁止していませんで
した。

しかし、12月15日にはすでにキャンプ・ハンセン基地内でクラスターが発生しており、
軍当局はこの事実を知っていながら、何ら手を打ちませんでした。

12月20日になって、到着後2週間は外出制限がかけられましたが、その時はすでに多
くの米兵は街に出歩いていて、ウイルスは市中に広がっていたと思われます。

米軍基地内部と周辺地域での感染者が増える状況に対して、林外相はようやく、米兵の出
国72時間以内の検査を要請し、12月26日以降、米軍はそのように規則を改めました。

到着後の検査はようやく12月30日なって、24時間以内と5日以降に実施されること
になりましたが、これはクラスターが発生してから2週間後のことです。

ところが、今回の沖縄の状況をみると基地内にクラスターが発生しているにもかかわらず、
年末には米兵がマスクもせず、基地周辺で酒を飲み歩き、米兵の飲酒運転事案が4件も起
きています。

これからも分かるように、米兵は基地の外に自由に出歩いていますし、米軍当局は兵士に
たいして厳格な行動規制を命じてきていません。

こうしたアメリカの姿勢に対して、玉城沖縄県知事は怒りをあらわにしています。

ちなみに、2021年1月7日の1日だけで、米軍基地内における新型コロナ感染者を見
ると、三沢基地133人(前日比+51人)、横田基地85人(+20)、横須賀基地
213人(+133)、厚木基地88人(+19)、岩国基地529人(+105人)、
嘉手納基地101人(0)、キャンプハンセン282人(0)となっています。

米軍は1月5日以降、基地内では予防接種の有無にかかわらず、マスク着用を義務付けて
います。しかし、基地の外では、米兵はマスクなしで私服で出歩いています。

横須賀からの現地レポートによれば、
    6日夜、米軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)のメインゲートから約100メ
    ートル南にある「どぶ板通り商店街」。一角にあるバーでは、私服姿の外国人
    2人がマスクを着用せずにビリヤードを楽しみ、時折、大声で叫ぶ様子がみら
    れた。近くのカウンター席は、別の客で埋まっていた。男性従業員(21)は
    「客の9割が外国人で、米軍関係者も多い。マスクをせずに入店する人も一定
    数いる」と打ち明ける(注1)。
との現実を伝えています。

意外と見落としがちですが、米軍人にはある程度の行動規制があっても、市内に住むそ
の家族に関しては、なんら規制がありません。

現在の基地および基地周辺の感染者の増大には、家族が介在している場合が無視できな
いようです。

政府は、米軍基地を抱える沖縄・山口県とそれに隣接する広島に「まん延防止等重点措
置」の適用を決めました。

しかし、横田基地を抱える東京都と横須賀基地を抱える神奈川県は、なぜかこの重点措
置の申請をしていません。

もう一つ不可解なのは、岸田首相は、米軍基地がオミクロン株の流行と密接に関連して
いることを承知しながらも、感染拡大と米軍基地との関連を認めておらず、「地位協定」
の内容を変更するつもりはないことを明言しています。

歴代の政権は、日本は米軍に守ってもらっている、との認識が心に刷り込まれてしまっ
ており、米軍に関してはほとんど思考停止状態になっています。

「地位協定」は日米が交渉した結果合意した「協定」なので、事態が変われば再協議し
て内容を改定することは、原理的にはできます。

しかし、アメリカ側からの反発と拒絶を恐れて何も言えない状態にあります。

同じように米軍の基地がある韓国の場合、在韓米軍は隔離終了時の検査を韓国側で実施
しているのです。ところが、在日米軍は日本側での変異株検査を拒否しています(注2)。

拒否されたらすごすご引き下がるのではなく、韓国のように粘り強く交渉して、韓国側
の検査を義務付ける努力をすべきです。それが政府の役割であり、義務だと思います。

どう考えても、アメリカ政府と軍は、日本をよほど下に見て侮っていると思います。あ
るいは、日本の政府は交渉能力が欠如しているのか、日本人の健康と命を守るより米側
への忖度を優先しているとしか考えられません。

これでも日本は本当に独立国なのだろうか、と疑いたくなります。

少なくとも、日本人の命に係わる事態が発生しても協定の見直しができないようでは日
本の国と国民を守ることはできません。

今回のコロナ禍で、アメリカと向き合った時の日本政府の弱体ぶりが、隠しようもなく
さらけ出されました。

日米の力関係は、以下の1コマ漫画で隠しようもなく明らかに表現されています。岸田
首相と思われる日本人が、外出禁止の看板を掲げていますが、米兵は「聞かない力」を
行使して、外出しています。つまり岸田首相の「お願い」は、まったく「効かない」、
つまり効果がないのです。

米兵に無視される日本政府の「お願い」

『東京新聞』(2022年1月12日)




(注1)『産経新聞』電子版 (2021年1月7日1)https://www.sankei.com/article/20220107-LBD4IPTTYVKEDCLWO6FRWG4NSQ/
(注2)『琉球新報』電子版 (2021年12月31日 06:00)
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1447639.html


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日本で新形コロナの急減のナゾ―いくつかの仮説―

2021-12-23 22:20:34 | 健康・医療
日本で新形コロナの急減のナゾ―いくつかの仮説―

日本の新型コロナ感染者は、第五波のピーク時の2021年の8月下旬に1日に2万3000人
の新規感染者が出ました。

ところがそのピークを越えると新規感染者数は激減し、12月22日現在、1日の新規感
染者は262人と100分の一ほどに減っています(下のグラフを参照)。


(NHK 特設サイト「新型ウイルス」(https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/entire/ )

これは、いかにワクチン接種が普及したからといって、これほどの激減は、他に例があり
ません。

日本よりワクチン接種が早くから始まった欧米では、現在、1日当たり4万人とか5万人
もでているのです。

この理由について、専門家もはっきりとした説明ができない状態です。このブログでも、
いくつかの仮説を紹介してきました。

たとえば、感染の3~4か月周期説、ウイルス自身の自滅説、ワクチンの効果説、そし
て山中教授の言う「Xファクター説」、日本人の衛生観念(マスクの着用、手指消毒、
三蜜回避)などです。

しかし、これらのどれも、決定的な理由にはなり得ません。たとえば、マスクの着用に
ついて考えてみます。

欧米人の場合、彼らは人の感情などを口元で判断するので、マスクを着用することは、
感情を悟られないようにする、という悪意と不信感を呼び起こすと考えられている。

このため、マスクの着用には強い抵抗感があるようです。この点、日本人にはマスク
にたいする抵抗感はほとんどありません。

新型コロナウイルスは、飛沫感染あるいはもっと危険なエアゾル感染(空気感染に近
い)で起こると考えられるので、マスク着用の習慣や感性の違いは、感染の有無に大
きな影響を与えていることは間違いありません。

しかし、日本にとって特異なことは、上のグラフでみるように、その減少速度が異常
とも思える急激なことで、それはマスク着用の習慣では説明できません。

さらに、第五波では緊急事態宣言は出されたものの、それはあくまでも「要請ベース
ス」(つまり「お願いベース)で欧米のように強制力をもった外出制限や罰金をとも
なうロックダウンが適用されたわけではありませんでした。

そんな中で、新型コロナウイルスに対して、独特の見解を発表してきた谷口恭・太融
寺町谷口医院院長が最近提出した、「新新型コロナ 日本で感染が抑えられている三
つの由」と題するコメント(注1)は従来にない視点を含んでいます。

その一つは、「高まって日が浅い、日本のワクチン接種率」、というものです。これ
れ、「ワクチン接種のタイミング」の問題です。

欧米諸国がワクチン接種を開始したのは2020年12月から21年2月ごろにかけてです。

一方、日本は初めの頃はワクチンの供給体制に問題があり、希望すればすぐにでも接
種が受けられる状態になったのは夏も終わる頃だったのです。

つまり、欧米ではワクチン接種が早く始まった分、抗体価の減少も早くから始まり、
効果が切れたため、最近、感染の再爆発が起こっていると考えられます。

ということは、日本の場合も、あと数か月すると、抗体価が下がり始めワクチン効果
が切れて、感染の爆発が起こる可能性があるということです。

次に、「ファクターX」の一つとして谷口氏は持論である「日本製BCG」を有力視し
ており(注2)、そのほか生活習慣(多分、マスク、手洗い、など日本人特有の生活
習慣)を挙げています。

最後に、「ワクチンの効果の差」として、単に「日本人の方が体重が軽い」ことを指
摘しています。同じワクチンの量を接種すれば、体重が軽い方がよく効くのは当然で
す。しかし、その分副作用のリスクが上昇します。

たしかに、副作用に関して日本人はワクチンの副作用、特に長期にわたる後遺症は欧
米に比べて顕著だそうです。

私は、個人的な経験として、自ら外出を控え、マスクをし、手指消毒をし、三蜜を避
けるなどを実行した一つの要因は「恐怖心」だった、と感じていいます。

昨年3月29日にお志村けん氏がコロナで亡くなったことの衝撃は今でも鮮明に残っ
ています。

また西浦教授が、人流を8割制限しないと死者が40万人に達する、と警告したこと
も恐怖を与えたと思います。

また、今年の夏、感染者が急増していたとき、たとえ感染しても、医療は崩壊してい
て病院に入院することはできず、医療にたどり着くことなく、自宅で死亡した人の例
などが紹介されるたびに恐怖を覚え、絶対、感染したくない、そのためには不自由さ
を我慢する、と思っていました。

以上は、私の個人的な経験ですが、私はある実験結果に注目しています。

それは、日本人の約6割にある白血球の型「HLA―A24」を持つ人は、風邪の原
因となる季節性コロナウイルスに対する免疫細胞が、新型コロナウイルスの感染細胞
も攻撃するという理化学研究所チームの実験結果です(注3)

これは、英科学誌コミュニケーションズ・バイオロジーに論文が掲載された、れっき
とした研究結果です。

理研の藤井真一郎チームリーダーらは、日本人に多いA24を持つ人で、ウイルスに
感染した細胞を排除する免疫細胞「キラーT細胞」の働きを調べた結果、次のことが
分りました。

つまり、この型を持つ人のキラーT細胞は、季節性コロナと新型コロナで、共通する
部分の分子に反応することがわかった。キラーT細胞には、こうした特徴を記憶する
働きがあり、過去に季節性コロナに感染した人が、新型コロナに感染すると、体内で
眠っていたキラーT細胞が速やかに増え、感染細胞を排除している可能性があるとい
う。

これまでも、多くの研究者が、日本は海外に比べて新型コロナの感染者や死者が少
ない理由として「ファクターX」が日本人特有の未知の要因が存在していると、と
指摘されてきました。

藤井チームリーダーは「A24がファクターXの候補と考えられ、治療薬の開発な
どにつながるかもしれない」と話している。

ただし、現在は、細胞レベルでの実験結果なので、これが人体全体となった時、ど
れほど抗ウイルス機能を果たすかは分かりません。

しかし、河上裕・国際医療福祉大教授(免疫学)は、「季節性コロナに感染すると
キラーT細胞が新型コロナに対抗し得ることを示した重要な研究だ。日本
人の新型コロナウイルスに対する防御力の解明につながる可能性もある」と期待
しています。

以上は、デルタ株までのコロナウイルスに関する日本の特殊事情でしたが、果た
して、このような好状況は、最近感染が始まったオミクロン株に対して同じよう
な抑止力として働くかどうかは分かりません。

オミクロン株は、すでに2回の接種を終えた人達でも、感染者がでているし、そ
の感染力はデルタ株の数倍といわれており、今後の感染状況はどうなるか分かり
ません。

ファイザー社とモデルナ社は、従来のワクチンを3回接種すれば、オミクロン株
に対しても有効であると、と発表しています。

日本は現在、第3回目のワクチン接種(ブースター接種)を急ごうとしています。
欧米ではもうすでにこの9月から始まっていますが、日本政府は、一般の人には
来年の2月から始める計画です。

さて、この結果がどうなるでしょうか。数か月後にははっきりするでしょう。

(注1)『毎日新聞』デジタル版(2021年12月17日)
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20211217/med/00m/100/006000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20211220
(注2)『毎日新聞』デジタル版(2020年9月25日)https://mainichi.jp/premier/health/articles/20200924/med/00m/100/001000c
(注3)『読売新聞』デジタル版(2021/12/10 11:37)
https://www.yomiuri.co.jp/medical/20211209-OYT1T50227/



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新型ウイルス・オミクロン株の脅威と日本

2021-12-05 10:22:59 | 健康・医療
新型ウイルス・オミクロン株の脅威と日本

2021年10月30日と31日に、イタリアのローマではG20(主要20か国の首脳会議)
が開催されました。

全体のテーマは「人 地球 繁栄」となっており、1日目は世界経済と国際保健が、そして
2日目には気候変動・環境、そして持続可能な開発(SGDs)が主要課題でした。

こうして並べてみると、今の世界が抱えている主要な課題がはっきり分かります。

つまり、「世界経済」ではコロナ・パンデミックで落ち込んだ世界経済の立て直しが課題で
あり、「国際保健」では、世界でみるとまだコロナ・パンデミックは収束しておらず、一旦
は収束に向かったかに見えたコロナ感染が、再燃しつつあることへの対応が課題でした。

この二つの課題は別々に見えますが、実はその背後にはもう一つ、重要なテーマ(むしろこ
ちらの方が本質かも知れませんが)が隠れています。

それは、パンデミックによって命と経済にもっとも深刻な打撃を受けたのは貧しい国であっ
たという冷厳な事実です。

言い換えると、国際的な貧富の格差が存在し、貧しい国はワクチンを買う経済的な余力がな
いため、ほとんど放置状態にある、という実態があります。

すると、貧しい国で変異が進み、今回の南アフリカ発のオミクロン株のように、新たな変異
種が発生することになります。

オミクロン株については、まだ分からないことがたくさんありますが、感染のスピードが、
これまでの変異種よりはるかに速いことです。香港での事例では、ホテルの反対側の部屋に
いた人にも感染したようなので、ほぼ空気感染のような可能性もあります。

もうひと酢厄介なのは、ウイルスの変異部分が多いことです。このウイルスは全体で50の変
異があり、そのうち30以上の変異がスパイクたんぱく質にみられています。

テレビなどでしかもウイルスの表面にしばしば登場しますが、スパイクたんぱく質には人体
の細胞に入り込むカギの役割があり、現在開発されているほとんどの新型ウイルスワクチン
はこのスパイクたんぱく質を標的としています。

問題は、受容体結合ドメインと呼ばれる、スパイクタンパク質の中で、人体の細胞の表面に
最初に触れる部分)を見てみると、世界中に広まったデルタ株では2つしかなかった変異が、
オミクロン株では10も確認されているのです(注1)。

しかも、諸外国ではワクチンを2回接種した人たちも感染しているし、幼児なども感染して
います。

この新しい状況に対して、米モデルナ社とファイザー社はすでに改良ワクチンを製造中で、
3月には供給できると発表しており、米のバックス社は1月から供給できるとしています。

まず、グローバル化した現代においては人の往き来は止められず、地球上のどこかでウイ
ルスの増殖と感染が継続していれば、やがて再爆発の可能性は消えないからです。

つまり、自国ファーストで、富裕国が自分の国だけをウイルスから守っても、全世界でウ
イルスのコントロールに成功しなければ、モグラ叩きのように、いつまでも新型コロナウ
イルスの変異種と格闘せざるをえません。

全世界が同じ問題を抱え、全世界でそれを制圧することを求められるのは、これまでの世
界の歴史上はじめての経験です。

日本においては、これまでオミクロン株の陽性者は2名だけですが、楽観はできません。

日本は、現在、人口1億3000万人に対して新規陽性者は1日当たり新型コロナウイル
スの新規陽性者は130人前後で世界の状況と比べると、ほぼ“真空状態”といってもいい
状態です。

ところが、ヨーロッパ諸国では人口が日本の半分以下なのに、新規感染者は4~5万人で
す。つまり、日本の人口に当てはめると1日当たり9~10万人ということになります。

原因は分かりませんが、このように感染が沈静化しているのは世界で日本だけなのです。
そこで生ずるかもしれない問題は、オミクロン株にたいしても有効なワクチンが、日本に
届くのは、いつになるか分からない、ということです。

日本はファイザーとモデルナのワクチンを中心に接種してきましたが、これらの会社でオ
ミクロン株に有効なワクチンが、早くて来年の3月だとすると、現在感染者が極めて少な
い日本への供給は、緊急性がない、ということで、後回しされる可能性があります。

もう一つ気になるのは、ここまで新規感染者が減ってくると、国民の間で少しずつ警戒心
が弱まってくるのではないか、という恐れがあります。

確かに現在は、まだ大部分の日本人は警戒感を維持して、マスクの着用をしていますが、
暮れから正月にかけて、人の移動や大人数での会食の機会が増えます。

以前書いたように、専門家の間では第六波は12月以降にやってくる可能性があります。
いずれにしても、この冬をどう乗り切るかが目下の最重要課題です。

最後に、世界的にこのコロナウイルスを制圧するため国際的な枠組みに日本は是非、積
極的にリーダーシップを発揮してほしいと思います。

理想的には、世界の人口の70%がワクチンの接種をすることですが、その財源をどう
するかが問題です。

ファイザーのワクチンは1本あたり40ドル(4500円ほど)、モデルナは80ドル
(9000円弱)です。

必要な財源には、ワクチンそのものの費用だけでなく、冷凍保存する設備は、アフリカ
(現在接種率3%)や南米などの奥地への輸送、住民の接種場所までの移動などなど、
問題は山積みです。

現在、フランスなどが提唱している、ワクチン国際協力基金のような財源を設立し、各
国の財政能力応じて拠出する仕組みが必要です。


(注1)2021年11月26日 BBC NEWS/JAPAN
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-59413580


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新規感染者激減のナゾ―ウイルスの自壊か周期なのか―

2021-11-02 21:54:59 | 健康・医療
新規感染者激減のナゾ―ウイルスの自壊か周期なのか―

日本における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のまん延は、第五波で2021年8月20日
の新規感染者は全国で2万5851人をピークに達しました。この背景には、感染力が極めて
強いウイルスの変異株、アルファ株やデルタ株の流行がありました。

しかし、このピークを境に新規感染者は急減しました。緊急事態宣言とまん延防止等重点措置
が廃止された9月30日には、1574人と、ピーク時の6%、15分の1以下に激減し、も
はや収束したかのような数字になっています。

このころ、この急激な減少にたいして、専門家の間でも、なぜ、急減したのかについてさまざ
まな議論や仮説が発表されてきましたが、未だに決定的な説明は現れていません。

専門家を代表して、感染症対策分科会会長の尾身氏が9月28日に、5つの仮説を発表しまし
た。これにつては本ブログの2021年10月5日の「コロナ新規感染者急減の謎」というタイト
ルで紹介しましてあります。

だれもが、収束の要因として挙げるのはワクチン接種率の増加です。菅元首相は、5月くらい
から、とにかくワクチンさえ広まればコロナ問題は解決すると、1日100万人の接種を各自
治体に圧力をかけていました。私もこれを否定するわけではありません。

しかし、ワクチンの効果を過大評価することもできません。というのも、欧米各国は日本より
早くから、ワクチンを接種してきており、イスラエルにいたっては80%の人が二回目のワク
チンを接種しているのに、現在まで増減を繰り返しているからです。

イギリスにおいても、早くからワクチン接種をはじめ10月末には二回接種者の割合が70%
に達しているのに、1日の感染者が5万人に達しています。日本の人口はイギリスの2倍ですか
ら、この数字を日本に当てはめると、1日10万人ということになります。

いずれにしても、日本における新規感染者の減り方、そのスピードは世界に例がありません。
たとえば、東京と大阪をみると、ピークの8月13日には、5773人もの新規感染者が出た
のに、11月1には何と、わずか9人でした!

こうした減少をみて、最近、二つの興味深い説が登場しました。

一つはウイルスの自滅説(自壊説)です。児玉龍彦(東大名誉教授)によれば、これはノーベル
賞受賞者でもあるエイゲン(Manfred Eigen)が1971年に予言した『エラー・カタストロフの限
界(ミスによる破局)』という概念です。

この内容は私のような素人には分かりにくい内容ですが、簡単にいうと次のようなことらしい。

つまり、ウイルスは増殖の過程でミス・コピーが生じて、色んなタイプの変異種ができる。新型
コロナウイルスは、ウイルスの生存に有利な「正の選択」を行うミスコピーの修復システム(一
群の酵素)を持っている。しかし、この修復酵素が何らかの理由で変質させられて変異種を作り
出してしまい、しかもそれが一定の限界を超えて増えてしまうと「エラー・カタストロフ」(大
量のミス・コピーによって修復が不能になって、突如として自壊します、というほどの意味か)
が起きる可能性がある。

ただし児玉氏は、「デルタ株が支配的な日本で急速に感染者数が減っているのは妙だが、エラー・
カタストロフの限界によって自壊しているのだとしても感染防御の手を緩めてはいけない、と警告
しています(注1)。

二つ目の説は、いわばコロナ流行の4か月周期説です。



まず、上のグラフを見ていただけると分かりますが、コロナの流行は、ワクチンの接種や人の流れ
とは関係なく、第一波から第五波まで、ほぼ規則的に始まりから収束まで4か月周期で増減を繰り
返してきました(注2)。

特に注意すべき事実は、第一波から第四波までは、ワクチン接種がほとんど進んでいなかった時期
です。それでも、時間が経つと自然に収束していったのです。

この法則を見つけ出した京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授は、
    第5波が収束したのは、感染症の波とは上がっては下がるものだから。感染者数が天井知ら
    ずに増加するというのは間違いで、人流は主要因ではありません。
    昨年の第1波も、緊急事態宣言が出された4月7日にはすでにピークアウトしていましたが、
    宣言を出してからも、感染者数の減少スピードは一定でした。緊急事態宣言による人流抑
    制が、感染者数に影響するなら、減少スピードは加速するはずです。第3波も同様で、12月
    末にはピークアウトしましたが、今年1月8日に緊急事態宣言が出され、以後、減少スピード
    はむしろ遅くなりました
と、言い切ります。

また、東京大学名誉教授で、食の安全・安心財団理事長の唐木英明氏も、「現象論として、第1波か
ら今回の第5波まで、4カ月周期で非常に規則正しく波がやってきています」とのべています。

唐木氏はさらに、「なにかが原因で流行し、対策をしたから下がった、というものではなく、かなり
自然要因で増減しています」とのことです。 その「自然要因」とは、 「ウイルスの性質によるもの
なのか、季節が関係しているのかわかりません。いずれにせよ、人為的にコントロールできるもので
はなく、可能なのは波の高さを変えることくらいです。実は、WHOによる世界の感染者数と死亡者数
のデータを見ても、4カ月周期の同じ傾向がわかります」とも指摘しています(注3)。

科学的根拠はありませんが、私はウイルスの自壊説も、周期説も非常に説得力があり、納得します。

今回の衆院選で菅元首相は、現在陽性者が減っているのは、私が努力したワクチン接種の成果だと強
調していましたが、ワクチンが陽性者の現象にどれほど効果があったのかは、今の段階では不明です。
主としてワクチン側の事情で、減少の周期に入っただけなのかもしれません。

宮沢氏によれば、次の感染者増加の周期は1か月後の12月に始まると、予測しています。
 

                      注

(注1)Yahoo News (2021年10月5日) https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20211005-00261667
  なお、2002年から翌年にかけて一部地域で流行したサーズ(SARS)も、2002年から翌年に
  かけて一部地域で流行したが、ある時、忽然と消滅してしまったことを考えると、ありえない事
  ではない。
(注2)NHKデジタル ニュース https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/entire/
(注3)Yahoo News (2021年9月29(水) 5:57配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a6c6b7e6bb21431b5ba32a4e19608f8874b7e65f?page=2
 


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コロナ感染者急減の謎―残るリバウンドと後遺症の脅威―

2021-10-05 11:23:58 | 健康・医療
コロナ感染者急減の謎―残るリバウンドと後遺症の脅威―

日本における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のまん延は、2021年8月20日の新規感染者
は全国で2万5851人をピークに達しました。この背景には、感染力が極めて強いウイルスの変異株、
デルタ株の流行がありました。

しかし、このピークを境に新規感染者は急速に減少しました。緊急事態宣言とまん延防止等重点措
置が廃止された9月30日には、1574人と、ピーク時の6%、15分の1以下に激減し、もはや収
束したかのような数字になっています。

ちなみに10月3日には968人と、ピーク時の3.7%、27分の1です。とりわけ、東京都をはじ
とする首都圏と大阪圏の減少が顕著でした。

感染者の、この急激な減少の原因については専門家からさまざまな要因が指摘されています。

たとえば、新型コロナ対策分科会の尾身会長は、9月28日の記者会見で、決定的な原因は分から
ないことを認めた上で、仮説と断ったうえで、5つの要因を挙げています。

①危機感。8月のピーク時に医療が逼迫し、治療が受けられずに自宅で亡くなる例が次々と報道さ
れた。このため人びとが危機感を高め、感染対策に協力してくれた。

②夜の街。政府は夜の繁華街の人出の五割削減を要望したが、二。三割にとどまった。それでも大
きな効果があった。

③ワクチン。 ワクチン接種率の向上が、実行再生産数(1人が何人に移すかを示す数値)

④クラスター。高齢者が守られた。これまで、若者に感染が広がり高齢世代に移り、その割合は4
割であった。しかし、第五波は10%から前後に減少した。ワクチンに加えて、感染が若い世代に
とどまって、院内の感染防止策が徹底されて高齢者が守られた。

⑤気候。 これは証明が難しいとしつ、尾身氏は、気温が下がり、空調を 使わず窓を開放して換
気喚起が良くなったことが関係していたかも知れない。

ワクチンの効果について補足しておくと、全国のワクチン接種者(2回完了)の割合が50%に達
した9月9日には、ピーク時の2万5851人から1万377人に半減しています。

とりわけ医療従事者のワクチン接種が進んで、病院でのクラスターの発生防止に大きな貢献をした
ことも感染防止に効果があったと言えます。

緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が長期間にわたって発令してきたことは、あまり効果はなかっ
たような印象をもっています。

これらの措置は、人流を減らすことを目的としていて、過去1年の大半が適用期間となっていました
が、それでも第五波はやってきました。

ちなみに、飲食店での営業時間の短縮や酒類の提供が厳しく制限していた時期でも、店をずっと開け、
酒類の提供を続けていた店もかなり多くあったようです。

これには、一方で“緊急事態宣言”を出し、不要不急の外出を止めるよう要請しつつ、オリンピック・パ
ラリンピックを9月初めまで強行した政府に対する不信感も心理的には大きかったと思います。

また、尾身氏は挙げていませんが、日本人のマスク使用や手洗いを忠実に守っていたことは、予想以上
の効果があったと思います。

欧米やイスラエルなどのワクチン先発国では、12才以上の接種率が七割とか八割になると、行動制限
が外れ、人びとはマスクをしなくなり、そのため多くの国で再感染の波が発生しています。

これに対して日本では、マスクの使用に抵抗がないので、かなり多くの人がマスクを付けています。今
日では、新型コロナの感染は主としてエアロゾル、ほとんど空気感染に近い、と考えられているので、
マスクの使用は特に感染防止効果があります。

これ以外にも多くの要因が複合的に作用して、第五波は収まりつつある、としか言いようがありません。

今回のコロナウイルスの正体、科学的な性質や生態などについては、この間にかなり解明されてきまし
たが、まだまだ未知の部分もあります。

たとえば、同じくコロナウイルスの一種である、サーズ(SARS=重症急性呼吸器症候群)が2002年に突
然勃発し、WHOは11月16日に世界的大流行(パンデミック)宣言を発しました。

ところが、翌2003年7月初頭には然と消えてしまったのです。この原因は、今もって分かっていません。
サーズは致死率が14~15%と極めて高く、特にアジア地域で感染が広がりました。当時はワクチンな
どありませんでしたので、忽然と消えた原因は今もって分からないままです。

今回の新型コロナウイルスの激減についても同様のことが言えます。それだからこそ、危惧を感じる問題
があります。

一つは、リバウンドの可能性です。新規感染者の数は、非常に少なくなったものの、その原因がわからな
いので、多くの専門家は、この冬に第六波の再拡大(リバウンド)が起こるのではないか、と警戒を緩め
ていません。

もう一つは、最近、徐々に社会問題化しつつある後遺症の問題です。当初、若者がワクチン接種にあまり
積極的ではなかった背景に、感染しても重症化しないし死ぬことはない、という事情があったからです。

確かに、10代や20代で亡くなった人はほとんどいません。しかし、たとえ軽症でも感染すると、さま
ざまな症状に苦しんだうえ、症状が治まっても、長期に後遺症が残るケースが増えてきました。

図1 後遺症の種類と頻度                                          後遺症の発症割合とその持続期間                                    
 

『東京新聞』(2021年10月3日)            『COVID-19 有識者会議』(2021.5.28 6:28pm) https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/6466
                                                 

図1に見られるように後遺症はさまざまです。中でも、疲労感・倦怠感は5人に1人が経験し、以下、
息苦しさ、睡眠障害、思考力・集中力の低下、脱毛、と続きます。図1を作成した慶応大学の福永興
壱教授が代表を務める厚労省の研究班の結果です。

図2は、発症からの日数と、急性期を有する患者の割合の関係を表しています。図2からも分かるよ
うに、多くの後遺症が発症後2か月で48%、4か月たっても27%の患者に何らかの後遺症が認め
られました。

全体で76%の患者にコロナ後遺症が認められており、年齢別にみると、20歳代で75%、30歳代で83%
であることを考えると、若年者であっても後遺症を有する割合が少ないわけではないことが分ります。

また、症例数は少ないけれど、20歳代では嗅覚障害(50%)、味覚障害(47%)の頻度が高かったの
に対し、30歳以降では咳嗽(33~80%)、呼吸困難(25~60%)、倦怠感(27%~60%)の頻度が高
い傾向がありました。

また、遅発性の合併症として、全体の24%の患者に脱毛を認められました。COVID-19発症から脱毛出
現までの平均期間は58.6日(SD 37.2日)、脱毛の平均持続期間は76.4日(SD 40.5日)であった。脱毛
の性状(円形脱毛症か男性型脱毛症化など)やその程度に関しては明らかになっていません(注1)。

現在、後遺症を専門に扱う病院や窓口はありません。ごく一部の病院に「後遺症外来」が設けられて
いるものの、残念ながら確定した治療法はありません。

たとえ、2か月でも後遺症に苦しめられると、仕事を続けることができなくて、退職を余儀なくされた
人も少なくありません。

今回の新型コロナウイルスの厄介な問題は、たとえ軽症で、症状から回復しても後遺症が発症するこ
とがある、という点です。

最近、治療薬が開発されて、それは多いに期待がもてます。しかし、治療薬によってその時の症状が
は消えても、後遺症がどうなるかは、まだ未知数です。

コロナの感染者が減っても、これからは後遺症との闘いが社会的に深刻な問題となる可能性があります。

個人としてできることは、とにかく感染しないように気を付ける事しかありません。


(注1)『COVID-19 有識者会議』(2021.5.28 6:28pm)
https://www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/6466



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「自宅療養」という名の「自宅放置」

2021-08-23 11:20:14 | 健康・医療
自宅療養」という名の「自宅放置」

新型コロナウイルスは、今や全国に広がり、政府は8月20日、新型コロナウイルス対策として
東京など6都府県に発令中の緊急事態宣言の対象地域に、茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、
福岡の7府県を追加しました。

また、宮城、岡山、富山、岐阜、三重、これまで優等生だった山梨など10県には、「まん延防
止等重点措置」を適用しました。いずれも9月12にまでを一応の期限としています。

しかし、ほとんどの日本人は、こうした“手あかに汚れた”宣言では効果がない、と感じています。
実際、7月から東京には緊急事態宣言が発出されていますが、感染者は減るどころか増加の一途
をたどっています。

とりわけ首都圏、特に東京都における感染症は驚愕すべき増加ぶりです。
8月20日の東京都の新規感染者(陽性者)は5405人で過去2番目の多さで、1週間前の13
日の5773人よりはやや減少しているものの、依然として5000人台という高水準が続いてい
ます。これは、保健所などに報告された分だけです。

政府の感染症対策分科会委員長の尾身が言っているように、もし十分な数の検査を行えば、感染者
は報告された人数より数倍に増えるでしょう。
ちなみに、8月20日に1日のPCR検査数は日本全体で11万3000件ほどです。人口が日本
の約半分のイギリスは75万件ですから、人口比でいえば日本は150万件でようやくイギリス並
みになるのです。現在の日本の検査数がいかに少ないか分かると思います。

先進国(たとえばG7)ではPCR検査を何回でも無料でできますが、それができないのは先進国
の中では日本だけです。

悪く勘ぐれば、コロナ禍が始まって以来、政府と厚労省も一貫してPCRの検査を抑えてきました
が、国民に実態を知られたくなかたのではないか、と勘繰りたくなります。

現在、東京都では日々5000人という感染者が出ています。単純計算で毎週3万5000人ずつ
感染者が増えてゆくことになります。

こうした陽性患者はどうなったのでしょうか。8月20日の時点で自宅療養者は26,297人
(一週間前には21,723人)で、入院・療養調整中に人が12,488人(これも自宅待機の
人です)、計3万8600人ほどになります。(22日現在では4万人になっています)

これらの人の中には、本来なら当然入院しなければならない人もかなり含まれています。

新型コロナ感染症は二類に入っており、軽症者(肺炎の所見なし)は本来入院か専用の隔離施設か
ホテルのような場所で隔離、中等症のI(呼吸困難、肺炎の所見)と II(酸素投与が必要)は入
院、重症者(集中治療室に入室または人工呼吸器が必要)はもちろん入院となっています。

しかし現実には、軽症者は自宅療養、中等症者でも、よほどひどくなければ自宅療養か、入院調整
中のため家で待っているという状況にあります。

もちろん、ベッド数と医療従事者が十分に足りていれば、軽症者(無症状者も含めて)であれ感染
者は入院して隔離し、感染を防ぐことが原則です。

最近、テレビで実態が紹介されていますが、東京ではかなりの重症者でも医療にたどり着かないで、
自宅で生命の危機に怯えつつ不安の中に置いておかれます。

全ての感染者は保健所の監視下に置かれ、行動の指示や入院への手配などを待つことになるのです
が、実際には、感染者が多すぎて、保健所からの指示もないまま自宅に放置されている人たちがた
くさんいます。

東京や首都圏で、在宅治療を行う医師と巡り会えて何らかの医療的な措置を受けることができた人
は、本当に幸運な人です。

そのような医師の一人は、自分たちは使命感で、できる限りのことをするが、それでも全体からみ
ればほんの一部の人にしか関われない、ともどかしさを訴えていました。

そして、終わりの見えない感染の拡大に直面して、もう心が折れそうだ、とも言っていました。

東京都で自宅待機している人が4万人近くいることを考えると、もうこうした個人的な頑張りでは実
態の解決というわけにはゆきません。

上記の医師は、「自宅療養」とはことばだけで実態は「自宅放置」です、とも言っていました。また
別の医師は、オリンピックの閉会式の日に、“和服を着て旗を振っている人がいますね”(小池都知事
のことです)、とポツリと言って言葉が強く印象に残っています。

最近、千葉県で、周産期を迎えた妊婦(コロナウイルスに感染していた)が、入院先が見つからない
まま自宅で療養し、挙句の果てに自分で出産し、残念ながら子供は出生後の医療てきケアを受けるこ
とができなかったために亡くなってしまう、という悲劇が起きました。

医療関係者は、今のように感染者が増え続けてゆくと、さらに多くの人が、医療にたどり着けないま
ま「自宅療養」という名の「自宅放置」を余儀なくされる人が増えるだろうと、心配しています。

なぜ、このような事態に至ってしまったのでしょうか?要因はいくつかあります。

まず、客観的には、感染者数が予想を超えて急速に増えてしまったという状況があります。その背景
として、以前にも何回か書きましたが、昨年のGo To Travel と Go to Eat の二つが、首都圏だけでな
く、全国にウイルスをまき散らした、元凶だと思っています。

これをさらに悪化させのは、国民の多くが反対してきたオリンピック・パラリンピックを強行したた
め、国民間には、“オリンピックをやっているんだから”という気分的な“ゆるみ”を生んだことです。

加えて、1年にもおよぶ緊急事態宣言や蔓延防止等措置に国民は慣れっこになってしまい、“緊急性”を
感じなくなってしました。

それにしても、昨年の1月に日本に新型コロナウイルスが確認されてから、現在まで1年7カ月もあ
ったにも関わらず、感染の拡大への危機対応として政府は、施設(「野戦病院」的なものも含めて」、
ベッド数、スタッフの準備を真剣に行ってきませんでした。

さらに、菅首相はワクチン接種が進めば感染も収まり、世間の不満も和らぐだろうと、というワクチ
ン、「一本足打法」にしがみついています。

さらに、菅首相には、今は反対でもオリンピックが始まってしまえば、国民はみんな熱狂し、政権へ
の批判も収まり内閣支持率も上がるだろう、という根拠のない楽観論があったようです。

しかし、感染者の数はオリンピック開催期間中に激増し、こうした楽観論は吹っ飛んでしまい、全て
の対策が後手後手にまわっています。

そして、菅内閣の支持率は下がり続け、30%を下回る調査結果もあります。

国民の間には、オリンピックの開催そのものには、やって良かったという感想もありましたが、菅首
相が期待した政権浮揚にはつながりませんでした。国民は菅首相の目論見を見抜いているのです。

私がきにしているのは、菅首相が、オリンピック開催期間中で感染者が急速にふえていた8月2日、
閣僚会議を開き、突如、入院対象者を重症者に限定する方針を決めました。

これに対して、同席した閣僚からは、何の反対意見は出なかったようですが、このことが公になると、
事前に相談をされなかった、自民党議員から強い反発がでて、政府に撤回を求めました。

この措置について専門家の意見を聞いたのかという質問に、国会で答弁に立った田村厚労相は、“これ
はオペレーションの問題だから政府で決めさせていただきました”と開き直っていました。

しかし、自民党や国民の反発が強まると、田村厚労相は恥ずかしげもなく、“中等症の人は当然、入院
していただく“と、手のひらを返すように、答えました。無節操と首相への忖度が目に余ります。

菅首相は、軽症・中等症の人は(IもII)も原則として自宅療養にする、という原則を撤回していま
せん。

菅首相は、感染者を病院に入院させ、医療の監視の下で治療を行うことを放棄した、と開き直っている
としか思えません。

これからは、入院できずに「自宅療養」という名の「自宅放置」が増えてゆくことになります。5月に
大阪で感染爆発が起こった時、感染者の中で、病院にたどり着いたのは10人に1人だけでした。この
ため、自宅で亡くなった方が何人も出ました。現在の東京も同様かそれ以上悲惨な状況になるのではな
いか、ととても心配です。

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感染爆発と国民のプチ反乱?―「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」―

2021-08-15 08:40:51 | 健康・医療
感染爆発と国民のプチ反乱?
―「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」―

2021年8月13日、全国の新型コロナの新規陽性が初めて、2万人を超えました。まさに、
火事は首都圏だけでなく、全国に燃え広がり収拾不可能な状態です。

折しも、現在はお盆の最中でふるさとへの帰省と休暇を利用しての旅行の季節です。政府や
東京都は、できるだけ帰省を控えるよう訴えています。それに対してSNSには多くの大喜
利川柳が寄せられています。あるサイトには25の秀作が掲載されています(注1)。

副題に引用した「中止の考えはない。強い警戒心を持って帰省に望む」は、オリンピック中
止の考えはないかと問われて「強い警戒感を持ってオリンピックに臨む」と答えた菅首相の
返事に対する、国民の側からのユーモアと皮肉を込めた傑作の一つです。

このほかにも傑作は多数ありますが、私が特に気に入ったものを、このブログ記事の最後で
もう少し引用しまが、いずれにしても、これらは、意識しているか無意識かは別にして、菅
政権の無策と、オリンピックの強行開催、安心安全という言葉の乱発、検査体制の不備など
の諸要因がウイルスのまん延を許し、行動の自由を奪われた国民の恨みを込めた“プチ反乱”
の表現ではないかとだと私は感じています。

さて、新型ウイルスの拡散問題に戻りましょう。昨年、私たちは、欧米の感染者が何万人、
というニュースに接して、欧米は大変なことになってるなと、やや同情も含めて感じていま
した。

日本においても、1か月前の7月13日には、新規陽性者は2377人でしたから、この一
か月でやく10倍弱に激増したことになります。

とりわけ、東京都の感染者は7月13日にはわずかに830人だったのですが、8月13日
には過去最高の5773人へ約7倍に膨れ上がってしまいました。東京都のモニタリング会
議の議長は「制御不能」との言葉で表現しています。

これに伴って、東京を囲む埼玉・神奈川・千葉の三県へ、さらには全国に沁み出すように感
染が拡大しました。

政府は経済的な打撃を恐れて、東京都に緊急事態宣言を出すことを躊躇していましたが、つ
いに7月12日には4回目の緊急事態宣言を発出し、すでに適用されていた沖県県に対して
も8月22日まで(後に31日まで延長)実施されました。

冒頭で述べた、日本における感染爆発は突然起こったわけではなく、専門家の間では以前か
ら予想され、警告が発せられていました。

たとえばオリンピックの開催について議論されていたころ、政府寄りとみられている政府感
染症対策分科会会長の尾身氏は早くも6月2日に国会で「パンデミック下でのオリンピック
開催は普通はないわけです」とはっきりと警告していました。

国民の間でも、三分の二くらいがオリンピック中止か延期すべきとの意見が主流でした。

政府は、海外からの選手・関係者には、「バブル方式」(泡の中に包み込んで、外部の日本人
とは接触させない方法)を適用し、安心安全なオリンピックを開催(7月23~8月8日)す
る、と反対意見を突っぱねていました。

この時、菅首相も関係閣僚も、明らかに国民の目を問題の本質から意図的に目をそらそうとし
ているように思えます。

専門家や国民が恐れていたのは、参加選手の健康よりはむしろ,五輪のような大規模のお祭
りをやることによって、人びとの気持ちが緩んでしまい、感染が拡大することだったのです。

事実、その後の経過をみれば、予想通り、人びとの気持ちは緩み、“不要不急”の外出は減るど
ころか増え、感染者は急激に増えていったのです。

感染症の専門家はすでに、7月23日の開会式のころには東京都だけでも4000~5000
人、さらに8月中には1万人の新規陽性者が出ても不思議はない、と警告していました。実際、
オリンピック期間中に、新規の感染者はうなぎのぼりに増加しました。

政府は当初から、一方でオリンピックを精一杯盛り上げようと必死でしたが、他方で国民に対
してはて、不要不急の外出は避け、家でテレビ観戦して欲しい、と呼びかけていました。

政府は一方で、オリンピックという盛大なお祭りを強行しておきながら国民には外出の自粛を
要求することの矛盾を、素朴ながら強烈に突いたのは子どもたちでした。

楽しみにしていた運動会が中止となった6月の始め、子供たちは「運動会は中止なのにオリン
ピックはやるの?」という疑問を、を先生や親ぶつけました。

四回目の緊急事態宣言にも関わらず、“人流”(いやな言葉ですが)の減り方はごくわずかで、
新規陽性者の数は増え続けました。

政府や東京都は、飲食店への時短営業や酒類の提供中止を要請しましたが、多くお店は実際に
は営業を続けていました。

これは、政府の言うことを聞いていたら、店はつぶれてしまうという、ギリギリの立場に立た
された経営者のやむに已まれぬ生活防衛であり、十分な補償もしないで一方的に時短営業を要
請し酒類の提供をやめさせようとする政府に対する“反乱”でもあったのです。

店から締め出された若者は夜の街で若者は「路上飲み」を盛んに楽しんでいました。最後は警
察官まで動員して、注意していましたが、一旦は移動しても、すぐに戻ってきて「路上飲み」
を再開していました。

若者にしてみれば、自分たちの大切な青春と楽しみを奪ったのは政府の無策と矛盾した政策だ
との怒りが心の底にあったのだと思います。

同様の感情は、多くの大人も感じていたに違いありません。昨年の帰省や旅行を諦めた人たち
には、もう政府の言うことばかりを聞いていられない、という感情があったのでしょう。

また、政府が帰省や旅行の中止が呼びかけたにも関わらず、航空便の予約は昨年の同期をはる
かに上回っています。

日本人の多くはオリンピックで競技そのものには感動したものの、菅政権に対する支持率は、
菅首相の期待に反して30%を切ったことに現れています。

日本人このような背景をと、冒頭に示した大喜利川柳の意味が、いっそう鮮明になります。私
が特に気に入ったものを以下にいくつか紹介します。(ほとんどは菅首相の言葉に対して)

「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」
「コロナに打ち勝った証として帰省する」
「『帰省するな』ではなく、『どうやったら帰省できるか』を皆さんで考えて、どうにか
 できるようにしてほしいと思います」
「我々は帰省の力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言っ
てもなかなか通じづらいのではないか」(丸川大臣の言葉)
「帰省が感染拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
「(帰省について)政府は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
「帰省することで、緊急事態宣言下でも帰省できるということを世界に示したい」
「帰省に反対するのは反日的な人たち」
「実際帰省したら、帰省に反対していた国民もやっぱり帰省して良かったと言い出すに違
 いない。」
「予見できないアルマゲドンでもない限り帰省できる」(パウンドIOC委員)
「安全、安心な帰省を実現することにより、希望と勇気を政府の皆さまに届けられると考えている」
「(帰省の意義について)コロナ禍で分断された家族の間に絆を取り戻す大きな意義があ る」

こうして並べてみると、日本人のユーモアのセンスも捨てたものではない、と思います。


(注1)『よどきかく』https://yodokikaku.net/?p=46101 更新日:2021/8/12 公開日2021/8/4


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「フクシマ」「コロナ」は日本の「敗戦」?―周回遅れのワクチン獲得競争―

2021-04-18 17:51:01 | 健康・医療
「フクシマ」「コロナ」は日本の「敗戦」?
―周回遅れのワクチン獲得競争―

『文芸春秋』(2021年4月号)の表紙には、船橋洋一氏の“日本の敗戦「フクシマ」
「コロナ」という論文のタイトルが大きな文字で掲げられています。

「フクシマ」と「コロナ」とは、まさしく現代日本が抱える二つの深刻な問題をズバリ
と取り出しています。

「フクシマ」と「コロナ」を日本の「敗戦」と位置付けた船橋氏の問題意識は本質を突
いていると思います。

「フクシマ」とは、爆発するはずのない原子力発電所が福島の第一原子力発電所でおこ
ったことに端を発します。地震と津波が原因であることは間違いありませんが、完全に
自然災害とは言えません。

津波の高さも事前の調査で15メートルほどに達する可能性が指摘されていたからです。

原発については別の回に書こうと思いますが、今回は、もう一つの「敗戦」である爆発
的な「コロナ」のまん延について考えてみたいと思います。

船橋氏は、なぜコロナのまん延を「敗戦」と表現しているのでしょうか。

その代表的な問題は、コロナウイルルと闘う、もっとも強力な武器ともいえるワクチン
の獲得競争において、諸外国との間で決定的な敗北を喫していることです。

その結果、全国で感染者と死者が増え続く事態となっているのです。

しかも、これは避けることに出来ない敗北というより、政治と行政の現状認識の誤りに
原因があると言えます。

野球の野村監督は、“勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし”という名言を
残しています。

つまり、勝利や成功には、“運”も含めて偶然的な要素が作用するが、負けや失敗には必
ず必然的な原因がある、ということです。

今回の、“敗戦”にも匹敵するワクチンの確保・入手の大幅な遅れという失敗には、日本
政府と行政の必然的な原因があったと言えます。

一言でいえば、先を見通す想像力がなかったために事態を甘くみた油断につきます。

検証することが嫌いな安倍・菅政権ですが、ここはしっかりと“必然的”な原因を検証し
ておく必要があります。

最初の原因は、昨年3月~4月にかけての第一波が“幸運にも”1か月半で収束した“成
功体験”です。これが、菅政権になってもずっと後を引きます。

この時安倍首相は、ロックダウンのような強制手段を用いないコロナを抑え込んだ“日
本モデル”だと言って国内外に誇らしげに吹聴しました。しかし、この時の成功体験で、
新型コロナは恐れるに足りず、という誤った認識を政府も行政ももってしまったので
はないでしょうか。

しかし、この時は、多くの国民にとって初めて経験で、小池東京都知事3月下旬に発
した「ロックダウン」(都市封鎖)という言葉に多くの国民が驚愕したこと、そして
4~5月にかけての初めての緊急事態宣言に敏感に自ら反応したからでした。

当時、東京の銀座や渋谷などでも人通りが途絶え、ゴーストタウンのようになってい
ました。しかし、思えば、第1回目の緊急事態宣言が発令された4月7日東京の感染
者は。わずか87人でした。

この時にはまだ、ワクチンの必要性は政府も考えておらず、ひたすら三蜜を避け、マ
スクの着用と手洗いが推奨され、マスクが店頭から消え値段が暴騰しました。

しかし、周囲を見渡せば、1月には中国の武漢では阿鼻叫喚の悲劇が展開していたの
です。それでも、政府は習近平首相の訪日をおもんばかって、中国からの旅行者の入
国を2月まで禁止しなかったのです。この間に大量のウイルスが旅行者から持ち込ま
れました。

第一波が収まった五月ころ、夏になればコロナは収まるだろう、という楽観論が政府
内にも国民の間に広まりましたが、6月からじわじわと新規感染者が増え始めました。

しかも、7月にGo To トラベルが実施されやや遅れてGo To イート が実際されると、
人は動き、レストランで食べまくり、ウイルスは拡大し放題となりました。

しかし、当時も今も、政府は、Go To トラベルがウイルスの拡大をもたらしていると
いうエビデンスはない、と強弁し続けています。

Go To イートに至っては問題外で、食事に伴う飛沫感染が主要な感染経路であること
を考えれば、補助金まで出して積極的に外食・会食を勧めたのは、コロナの感染拡大
という火に油を注ぐ政策です。

案の定7~8月は期待も空しく、真夏にもかかわらずコロナ感染は拡大を続けました。

しかし、欧米では昨年の4月ころからさまざまな形のワクチン開発に乗りだしていま
したが、日本では、どうせ1年か2年はかかるだろう、とのんきに構えていました。

この時の日本政府のワクチン獲得への立ち遅れが、現在まで日本のワクチン接種率が
世界で50番目以下にしてしまっているのです。

今日(4月18日)に河野ワクチン担当大臣は、ファイザー社が16歳以上の日本人
全員分が9月末までに入手できることになった、と発表しました。

このスケジュールでゆくと、10月から各自治体に配布が始まり、接種が終わるのは
年末か年を越す可能性が大です。

イスラエルやイギリスではもう十分なワクチン接種を終え、マスクなしでの日常が戻
りつつあり、アメリカでも5月末までに全員が接種を終えて日常が戻るとしています。

アメリカやイギリスでは増産に拍車をかけているので、6月以降には自国の必要分を
超える量のワクチンを保有することが予想されます。

すると、そうしたワクチンはどうなるのでしょうか?ワクチン・メーカーが慈善事業
的に開発途上国・貧困国に無償で提供するでしょうか?

あるいは先進国がワクチンを買い上げて貧困国に配布してあげるでしょうか?

一部にはそのような無償の配布は行われるかもしれません。しかし、最も考えられる
のは、ワクチン・メーカーが、できるだけ高く買ってくれる富裕国に売ろうとするの
ではないでしょうか?

私の偏見も交えた推測では、“ワクチン飢餓状態”にある日本は、メーカーが売ってや
ると言っただけで大いに感謝して、高いワクチンを買わされることになるのではない
かと、思います。

しかし、年内いっぱいでワクチン接種が日本で終われば、大きな救いになることは間
違いないし、今は買える限りは買っておいた方が良いことは言うまでもありません。

なにしろ、現在の爆発的な感染拡大と重症者と死者の増加を食い止める唯一の希望は
ワクチンですから。

ひとつだけ、老婆心ながら、ワクチンに関して気になっていることがあります。

現在、日本で主流になりつつある変異型のウイルス(イギリス株)に対するワクチン
は、何とか目途が立ったようですが、これが行き渡るころには、さらなる変異型が出
現している可能性があります。

実際、現在では次の変異型に対応するワクチンの開発が英米で進んでおり、日本がよ
うやくイギリス株までのウイルスに関しては大丈夫になった時、欧米では次世代のワ
クチンに中心が移っているかもしれません。

日本はもともとワクチンに関しては周回遅れなので、ようやく欧米に追い付いた時、
また、ワクチン獲得競争で“敗戦”を味わうことになるかもしれません。

以上は、あまりにも悲観的な見通しですが、私はこの悲観的は見通しが杞憂に終わ
ってくれることを祈っています。
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                              気が付いてみると、季節はいつの間にか、ハナミズキとツツジに代わっていました。
 

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伝統医療を見直そう(1)―鍼灸治療の奥深さと有効性―

2021-03-02 08:18:57 | 健康・医療
伝統医療を見直そう(1)―鍼灸治療の奥深さと有効性―

一言で「伝統医療」といっても、さまざまな種類があります。極端に言えば、ほとんどの社会は
何らかの“伝統医療”をもっていると言えます。

それらは一括して「伝統医療」と呼ばれますが、細かく分けると「民間医療」や「民俗医療」と
呼ばれる特定の民族や地域で実践される医療もあります。

そんな中で、長い歴史の検証に耐えて多くの地域で現在まで実践している“伝統医療”として、東
洋医学と総称される、中国で発展した鍼灸、漢方薬、気功など、と、はインドに起源をもつアー
ユルヴェーダ(文字通りの意味は「生命の科学」「生命の知恵」)やヨーガ、アラブ医学、など
があります。

これらは、広い意味で医療あるいは治療の体系ということができますが、それらとは別に、健康
法ともいうべきさまざまな方法があります。

たとえば、上記の伝統医療に共通している健康法には「瞑想」や呼吸法があります。近年、にわ
かに注目を集めている「マインドフルネス」なども瞑想と呼吸法とを一体化させた健康法です。
これは、主にアメリカで発展した考え方ですが、その中身はインドのアーユルヴェーダが基にな
っているような気がします。

健康法は、誰かに施術をしてもらったり、何らかの薬(生薬)を処方してもらうというより、個
人個人が実践するものです。

東洋医学は、3000年とは4000年の歴史をもっているのに、それが解剖学や科学的分析に
基づかない、という点で低く見られてきました。

しかし、東洋医学に代表される、いわゆる伝統医療にたいする評価は欧米ではかなり以前から高
まりつつあり、多くの大学の医学部には「統合医療」部門が併設されています。

ここで「統合医療」とは、西洋医学とそれ以外の伝統医療との、それぞれのメリットを生かして
総合的な医療を行うことです。

しかし、なぜか日本では、西洋医学だけが「正統医学」で、それ以外は「医療類似行為」という
位置づけで、医療行為とは認められていません。

日本でも東洋医学に対する関心がたかまってきたようです。たとえば、最近、東洋医学に関する
NHKの番組が2回放送されました。一つは、2月3日の『プロフェショナル』という番組で、鍼
灸師の大髙茂さん(57)が紹介されています。

大髙さんはこの道23年間のベテランで、アスリートや体の不調を抱えたさまざまな人の治療を
行っています。

番組は、大高さんの治療を受けている、俳優の渡辺謙さんの「大高は自分にとって「よろい」の
ようなものです、という言葉から始まりました。

ある時渡辺さんの脚が「ねん挫」になって正座ができなくなってしまったので、人を介して大髙
さんの治療を受けたそうです。最初は、少しでも楽になればいいな、というくらいの気持ちで治
療を受けたのですが、治療後にはきちっと膝が曲がり正座ができるようになったそうです。

その後渡辺さんはハリウッドなど海外での仕事に挑戦するようになるのですが、その時には必ず
大髙さんを帯同するようになっているそうです。

渡辺さんの言葉をもう少し続けましょう。大髙さんが渡辺さんの体に触れて治療をうけながら、
「表に出てるプレッシャーとか、表に出てるしんどさとか、大髙は全部それを体でわかっている
んですよね」という。

そして、それを全部受け止めてくれるんで、・・・裏方のなかで一番わかるかもしれないですね。
その大変さみたいなものを」と語る。

大髙さんは、渡辺さんの治療を通じて、何をすれば相手が一番喜んでくれるかを考え、それに向
かって全力でサポートするようになった、という。

これは、大髙さんが渡辺さんの治療を通して、治療家としての考えを進化させていったというこ
とで、誰にでもできることではありません。

渡辺さんは、人間だからアップダウンがある、そんなときちょっとした助言をくれたり和ませて
くれたりしてかなり助けられているそうです。そこに「本当に(大髙さんの)存在意義があるっ
ていう感じはありますよね」。

大髙さんは、次第に心と体を一体とした治療を心がけるようになります。東洋医学では、「心身
一如」と言って、心と体とは一つ、という考えが基本になっており、大髙さんはまさに東洋医学
の本筋を実践しています。

西洋医学では、体のことは内科か外科、心の問題は精神科、という風に人間を心と体に分けてし
まっています。

かつて私が実際に経験したことですが、レントゲン、CT、MRI、内視鏡カメラなどの検査を何度
も行い、診察の際に医師は、パソコンに送られてきたデータを見ながら所見を手短に話して終わ
りでした。

私たちは不安を解消して安心を得たいから病院へ行くのに、こうした診察では不安が増すばかり
です。私は結局、この種の診察と治療を途中で止めてしまいました。

渡辺さんは、鍼治療を受けながらも、意識しているかどうかは分かりませんが、心のケアも同時
に受けていると思われます。

さて、これまで少し長く、渡辺謙さんと大髙さんのことを紹介してきたのは、ここに、「治療」
というものの原点があると感じたからです。

まず、通常の西洋医学に基づく病院やクリニックなどでは、患者と医師とは一種の上下関係にあ
り、患者は医師に服従する気分になります。

そして医師は患者にたいして圧倒的に優位な立場に立ち、上から目線で、医学に「素人」である
患者に接する。

もちろん、すべての医師がこのような態度で接するわけではありませんが、多くの場合、言外に
こうした雰囲気が伝わってくる。

しかし本来、患者と医師は上下関係にあるべきではなく、対等であるべきだと私は考えています。

この点、大髙は、人に喜んでもらえることに喜びと生きがいを感じており、決して、「治してや
っているんだ」という考えをまったく持っていません。これぞ、まさに「プロフェショナル」な
のだと思います。

次に、治療を通して、渡辺さんと大髙さんは次第に兄弟のような感覚をもつようになった、と言
っています。それだけ、治療を通して人間的な信頼関係と親密な関係が出来上がったのでしょう。

患者と治療者とは、このような関係が理想ですが、西洋医学的な病院などの場面では、このよう
な個人的な関係は極力避けることが普通です。

しかし、渡辺さんに限らず、大髙さんは自分に助けを求めてきた人には、人間として接していま
す。決して渡辺さんが有名人だから特別、という態度ではありません。

たとえば彼は、アメリカから一人で日本にやってきた日系二世の女性サーファーのケアのため、
長期間家を空けて、世界大会への出場をかけた大会に向けて彼女に寄り添ってずっと体のケアを
続けます。

大髙さんは、鍼灸が自分の天職であり、毎日が楽しい、と語っています。

ところで、鍼灸治療の優れたところは、治療や診断にはMRIやCTなど高額の器具や施設が要らな
いことです。

診断のためには、手で体を触って診断(触診)したり、舌を見て体調を診断したり(舌診)、さ
らに患者の話をよく聞くことなどが中心です。そして、鍼とお灸に使うもぐさがあればどこで治
療ができます。

大髙さんはよく出張しますが、その時持ってゆくのは基本的には鍼ともぐさだけです。

こうした経済性も東洋医学のもつ大きなメリットです。

私は東洋医学を高く評価し、自分の健康上の不具合を鍼灸で手当てをしてきました。しかし東洋
医学が万能だとは思っていません。

特に急性疾患(私の場合は急性膵炎)や細菌性の疾患などは、やはり西洋医学の薬や外科的な処
置の方が有効であることは言うまでもありません。

東洋医学の基本的な姿勢は、病名が付く前の段階、病のほんの少しの兆候(「未病」という)を
摘み取る、という考え方です。

さらに、私は、医療で大切なことは副作用ができるだけ少ないことだと考えています。

私の経験では、鍼灸と漢方治療で副作用はありませんでした。

昨年から1年以上にわたり、日本も世界もコロナ禍でずっと緊張させられ、心と体の不調を訴え
る人が増えています。

次回は、こうした状況に「伝統医療」はどんな貢献ができるのかを考えてみたいと思います。

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