「国葬」強行に見る岸田首相の思い込みと自分本位
岸田首相は、安倍元首相の銃撃のわずか6日後に、国葬の決定を下しました。この際、
国会での議決はおろか、野党へも自民党への根回しもなく、まさに独断でした。
この背景について、『毎日新聞』(デジタル版)は以下のように説明しています。
国葬実施は、岸田首相、松野博一官房長官、木原誠二官房副長官ら官邸の一握りのメ
ンバーで決定された。
関係者によると、首相サイドが自民党側に実施を伝えたのは、首相が方針を表明した
7月14日夕の記者会見の1~2時間前でした。
首相サイドの「独断」の背景には、7月10日投開票の参院選で自民党が大勝し、政権
運営への自信を深めたことがあったことは間違いないでしょう。
官邸は国葬とする根拠についても強気でした。1967年の吉田茂元首相の国葬は閣議
決定だけを根拠に実施し、その後の国会審議で法制度の不備を批判されました。
しかし、2001年施行の内閣府設置法には、内閣府の仕事の一つに「国の儀式に関す
る事務」を定めていた、というところを根拠にしています。
官邸は内閣法制局との協議で「法的に問題がない」と判断し、憲政史上最長の首相
在任期間など安倍氏を国葬とする「特別な理由がある」(首相周辺)ことも決定を
後押ししたようだ。
党も結局、官邸の判断に同調した。茂木敏充幹事長は7月19日の記者会見で「国民か
ら『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」と応えて
います。
しかも、国会審議を求める野党について「国民の認識とはかなりずれているのでは
ないか」との見方まで示しました。
「国会審議を求めるのは野党にとって逆効果だ。今はそんな『風』じゃない」(自
民幹部)。政府・与党内に広がった国葬を当然視する雰囲気は、野党や国民への
「説明は不要」との姿勢にもつながった。
さて、ここまでの経緯を見ていて、私には、岸田首相の傲慢さと思慮に欠ける面が、
いかんなく発揮されていると思えます。
まず、安倍元首相の銃撃からわずか6日で、国葬を決定したことです。この時には、
犯人が統一教会を親に持つ男性で、母親が多額の献金を教会にしていたため、自分
を含めって家族がひどい生活を強いられたこと、そして安倍元首相がこの教会と密
接に関係していたことが動機であったことはすでに知られていました。
それでも、自民党にも、野党にも、そして何よりも国会での議論も経ずに、独断で
決めてしまいまったことは、大きな誤りです。
国葬に法的な根拠がない、という批判に対して首相は、「国の儀式に関する事務」
は内閣の仕事に一つである、との見解だけを挙げています。
しかし、百歩譲っても、ここは、国の儀式に関する「事務」であって、その儀式を
やるかどうかの決定権にまで触れていません。
これまで55年間、首相の葬儀を国葬にしてこなかったのは、法律的に無理があり、
行政府(内閣府)だけでなく国会と司法の同意が必要だったからです。
もし、今回、国会の決議があれば、確かにその実行において内閣が「事務」を行う
ことには問題なかったでしょう。
こうした独断的で強引な決定をした背景には大きく二つの背景があったと思います。
一つは、上に引用した『毎日新聞』も指摘しているように、7月10日の参院選で
自民党が大勝したので、誰にも文句は言わないだろう、という岸田首相の思慮に欠
けた傲慢さです。
この感覚は統一教会問題に関する自民党議員の間にもはっきり表れています。つま
り、問題をあいまいにして、どうしても逃げられない物的証拠が示されるまでは、
”記憶にない”“良く分かっていなかった“と言っておけば、そのうち国民は、忘れるだ
ろう、という誠に卑劣な態度です。
二つは、統一教会との関係でとりわけ深い関係をもっている安倍派は党内最大派閥
であり、自らの政権の維持・強化のためにも安倍派の支持を得る必要があった、と
いう背景です。つまり、自らの保身のためです。
言い換えると、安倍元首相の葬儀を国葬にして、“安倍派を重んじていますよ”とい
う姿勢を示す必要があったのです。
国葬をごり押しすれば、国民からの反発が起こることは当然考えられるのに、それ
を配慮するという思慮に欠けていたとしか言えません。
三つは、安倍元首相が銃撃により不慮の死と遂げたと事情を考えれば、国民は国葬
に同上的になるだろうという読みです。
私自身は安倍元首相の不慮の死には哀悼の意をもっていますが、それと国葬とは別
の話です。
四つは、安倍元首相の国葬の根拠として長く首相の座を勤めたことを挙げています
が、大事なことは首相の座にいた年月ではなく、その間にどんな業績を挙げたか、
です。
しかも、安倍氏が長く首相の座にいたことは、もっぱら自民党のお家の事情なのです。
少なくとも、アベノミクスは大局的にみて成功だった、と評価する人は少ないのでは
ないでしょうか。
異次元の金融緩和で一部の輸出企業は利益を得たかも知れませんが、それによる円安
は輸入価格と物価を上昇させ、多くの国民は多大な犠牲を払わされています。
以上は岸田首相とその側近に、国葬を強行させる背景ですが、一方の国民の間には国
葬反対の意見が日増しに強まり、途中から各メディアの調査では反対が過半数をはる
かに超え、賛成の倍以上となっています。
岸田首相は、国民の反発にたいして“丁寧に説明する”と言う言葉だけを繰り返し”丁寧“
に述べていますが、肝心の”丁寧な説明“そのものは、国葬2日前の現在まで、全く語っ
ていません。
また、私の個人的な推測にすぎませんが、この国葬という大々的なイベントを利用し
て岸田首相は戦前のような国家主義への回帰、そしてその先に憲法改正への雰囲気つ
くりをも狙っているのではないか、という気さえします。
というのも、国葬とは戦前に、天皇に尽くした人々を国葬にするという、天皇制と結
びついた形で成立しました。戦後に国葬令が廃止されたのは、これが天皇主権を前提
とした制度だったからです。国民が主権者となり、政治体制そのものとの間に矛盾が
生じるため、維持できなくなった、という経緯があります。
すでに多くの憲法学者が言っているように、安倍氏の葬儀は、せいぜい内閣葬にする
べきだと思います。
弔問外交といっても、G7参加国のうち現役の首相・大統領クラスは、カナダとオース
トラリアの2カ国だ0けです(*)。
*私の誤解で、オーストラリア首相はすでに欠席、今朝26
日のニュースではカナダのトルドー首相も欠席となりました。このため、現役の首相
クラスの要人はゼロとなりました
エリザベス女王の国葬と比較するのは酷ですが、安倍首相の国葬は、物々しさを別に
すれば、ずいぶん寂しいものなるでしょう。
因みに、エリザベス女王の国葬は、まさに国民葬といっていいほど、国民の大多数に
支持されていました。それでも、ちゃんと議会決議を経ているのです。
これが民主主義というものではないでしょうか?
岸田首相は自分には“聞く力”があると言ってきましたが、私には国民の声に対しては
“聞かない力”の方が強いように思えます。
総裁選当時に私は、岸田氏に対して一見ソフトで国民の声を丁重に聞く政治家だとい
う印象を持ちましたが、今は、その印象は全くなくなりました。
いずれにしても、国会を無視して閣議決定で全ての事案を通してしまう、という手法
あ安倍政権時に多様されましたが、岸田政権はこの悪しき手法とは手を切り、国権の
最高機関である国会での審議と議決を軸とした政治を行って欲しいと思います。
これこそが、自由と民主主義を党是とする自由民主党の本来あるべき姿だからです。
(注1)『毎日新聞』デジタル(2022年9月24日)
https://mainichi.jp/articles/20220924/k00/00m/010/327000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20220925
岸田首相は、安倍元首相の銃撃のわずか6日後に、国葬の決定を下しました。この際、
国会での議決はおろか、野党へも自民党への根回しもなく、まさに独断でした。
この背景について、『毎日新聞』(デジタル版)は以下のように説明しています。
国葬実施は、岸田首相、松野博一官房長官、木原誠二官房副長官ら官邸の一握りのメ
ンバーで決定された。
関係者によると、首相サイドが自民党側に実施を伝えたのは、首相が方針を表明した
7月14日夕の記者会見の1~2時間前でした。
首相サイドの「独断」の背景には、7月10日投開票の参院選で自民党が大勝し、政権
運営への自信を深めたことがあったことは間違いないでしょう。
官邸は国葬とする根拠についても強気でした。1967年の吉田茂元首相の国葬は閣議
決定だけを根拠に実施し、その後の国会審議で法制度の不備を批判されました。
しかし、2001年施行の内閣府設置法には、内閣府の仕事の一つに「国の儀式に関す
る事務」を定めていた、というところを根拠にしています。
官邸は内閣法制局との協議で「法的に問題がない」と判断し、憲政史上最長の首相
在任期間など安倍氏を国葬とする「特別な理由がある」(首相周辺)ことも決定を
後押ししたようだ。
党も結局、官邸の判断に同調した。茂木敏充幹事長は7月19日の記者会見で「国民か
ら『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」と応えて
います。
しかも、国会審議を求める野党について「国民の認識とはかなりずれているのでは
ないか」との見方まで示しました。
「国会審議を求めるのは野党にとって逆効果だ。今はそんな『風』じゃない」(自
民幹部)。政府・与党内に広がった国葬を当然視する雰囲気は、野党や国民への
「説明は不要」との姿勢にもつながった。
さて、ここまでの経緯を見ていて、私には、岸田首相の傲慢さと思慮に欠ける面が、
いかんなく発揮されていると思えます。
まず、安倍元首相の銃撃からわずか6日で、国葬を決定したことです。この時には、
犯人が統一教会を親に持つ男性で、母親が多額の献金を教会にしていたため、自分
を含めって家族がひどい生活を強いられたこと、そして安倍元首相がこの教会と密
接に関係していたことが動機であったことはすでに知られていました。
それでも、自民党にも、野党にも、そして何よりも国会での議論も経ずに、独断で
決めてしまいまったことは、大きな誤りです。
国葬に法的な根拠がない、という批判に対して首相は、「国の儀式に関する事務」
は内閣の仕事に一つである、との見解だけを挙げています。
しかし、百歩譲っても、ここは、国の儀式に関する「事務」であって、その儀式を
やるかどうかの決定権にまで触れていません。
これまで55年間、首相の葬儀を国葬にしてこなかったのは、法律的に無理があり、
行政府(内閣府)だけでなく国会と司法の同意が必要だったからです。
もし、今回、国会の決議があれば、確かにその実行において内閣が「事務」を行う
ことには問題なかったでしょう。
こうした独断的で強引な決定をした背景には大きく二つの背景があったと思います。
一つは、上に引用した『毎日新聞』も指摘しているように、7月10日の参院選で
自民党が大勝したので、誰にも文句は言わないだろう、という岸田首相の思慮に欠
けた傲慢さです。
この感覚は統一教会問題に関する自民党議員の間にもはっきり表れています。つま
り、問題をあいまいにして、どうしても逃げられない物的証拠が示されるまでは、
”記憶にない”“良く分かっていなかった“と言っておけば、そのうち国民は、忘れるだ
ろう、という誠に卑劣な態度です。
二つは、統一教会との関係でとりわけ深い関係をもっている安倍派は党内最大派閥
であり、自らの政権の維持・強化のためにも安倍派の支持を得る必要があった、と
いう背景です。つまり、自らの保身のためです。
言い換えると、安倍元首相の葬儀を国葬にして、“安倍派を重んじていますよ”とい
う姿勢を示す必要があったのです。
国葬をごり押しすれば、国民からの反発が起こることは当然考えられるのに、それ
を配慮するという思慮に欠けていたとしか言えません。
三つは、安倍元首相が銃撃により不慮の死と遂げたと事情を考えれば、国民は国葬
に同上的になるだろうという読みです。
私自身は安倍元首相の不慮の死には哀悼の意をもっていますが、それと国葬とは別
の話です。
四つは、安倍元首相の国葬の根拠として長く首相の座を勤めたことを挙げています
が、大事なことは首相の座にいた年月ではなく、その間にどんな業績を挙げたか、
です。
しかも、安倍氏が長く首相の座にいたことは、もっぱら自民党のお家の事情なのです。
少なくとも、アベノミクスは大局的にみて成功だった、と評価する人は少ないのでは
ないでしょうか。
異次元の金融緩和で一部の輸出企業は利益を得たかも知れませんが、それによる円安
は輸入価格と物価を上昇させ、多くの国民は多大な犠牲を払わされています。
以上は岸田首相とその側近に、国葬を強行させる背景ですが、一方の国民の間には国
葬反対の意見が日増しに強まり、途中から各メディアの調査では反対が過半数をはる
かに超え、賛成の倍以上となっています。
岸田首相は、国民の反発にたいして“丁寧に説明する”と言う言葉だけを繰り返し”丁寧“
に述べていますが、肝心の”丁寧な説明“そのものは、国葬2日前の現在まで、全く語っ
ていません。
また、私の個人的な推測にすぎませんが、この国葬という大々的なイベントを利用し
て岸田首相は戦前のような国家主義への回帰、そしてその先に憲法改正への雰囲気つ
くりをも狙っているのではないか、という気さえします。
というのも、国葬とは戦前に、天皇に尽くした人々を国葬にするという、天皇制と結
びついた形で成立しました。戦後に国葬令が廃止されたのは、これが天皇主権を前提
とした制度だったからです。国民が主権者となり、政治体制そのものとの間に矛盾が
生じるため、維持できなくなった、という経緯があります。
すでに多くの憲法学者が言っているように、安倍氏の葬儀は、せいぜい内閣葬にする
べきだと思います。
弔問外交といっても、G7参加国のうち現役の首相・大統領クラスは、カナダとオース
トラリアの2カ国だ0けです(*)。
*私の誤解で、オーストラリア首相はすでに欠席、今朝26
日のニュースではカナダのトルドー首相も欠席となりました。このため、現役の首相
クラスの要人はゼロとなりました
エリザベス女王の国葬と比較するのは酷ですが、安倍首相の国葬は、物々しさを別に
すれば、ずいぶん寂しいものなるでしょう。
因みに、エリザベス女王の国葬は、まさに国民葬といっていいほど、国民の大多数に
支持されていました。それでも、ちゃんと議会決議を経ているのです。
これが民主主義というものではないでしょうか?
岸田首相は自分には“聞く力”があると言ってきましたが、私には国民の声に対しては
“聞かない力”の方が強いように思えます。
総裁選当時に私は、岸田氏に対して一見ソフトで国民の声を丁重に聞く政治家だとい
う印象を持ちましたが、今は、その印象は全くなくなりました。
いずれにしても、国会を無視して閣議決定で全ての事案を通してしまう、という手法
あ安倍政権時に多様されましたが、岸田政権はこの悪しき手法とは手を切り、国権の
最高機関である国会での審議と議決を軸とした政治を行って欲しいと思います。
これこそが、自由と民主主義を党是とする自由民主党の本来あるべき姿だからです。
(注1)『毎日新聞』デジタル(2022年9月24日)
https://mainichi.jp/articles/20220924/k00/00m/010/327000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20220925