大木昌の雑記帳

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「国葬」強行に見る岸田首相の思い込みと自分本位

2022-09-25 22:12:11 | 政治
「国葬」強行に見る岸田首相の思い込みと自分本位

岸田首相は、安倍元首相の銃撃のわずか6日後に、国葬の決定を下しました。この際、
国会での議決はおろか、野党へも自民党への根回しもなく、まさに独断でした。

この背景について、『毎日新聞』(デジタル版)は以下のように説明しています。

国葬実施は、岸田首相、松野博一官房長官、木原誠二官房副長官ら官邸の一握りのメ
ンバーで決定された。

関係者によると、首相サイドが自民党側に実施を伝えたのは、首相が方針を表明した
7月14日夕の記者会見の1~2時間前でした。

首相サイドの「独断」の背景には、7月10日投開票の参院選で自民党が大勝し、政権
運営への自信を深めたことがあったことは間違いないでしょう。

官邸は国葬とする根拠についても強気でした。1967年の吉田茂元首相の国葬は閣議
決定だけを根拠に実施し、その後の国会審議で法制度の不備を批判されました。

しかし、2001年施行の内閣府設置法には、内閣府の仕事の一つに「国の儀式に関す
る事務」を定めていた、というところを根拠にしています。

官邸は内閣法制局との協議で「法的に問題がない」と判断し、憲政史上最長の首相
在任期間など安倍氏を国葬とする「特別な理由がある」(首相周辺)ことも決定を
後押ししたようだ。

党も結局、官邸の判断に同調した。茂木敏充幹事長は7月19日の記者会見で「国民か
ら『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」と応えて
います。

しかも、国会審議を求める野党について「国民の認識とはかなりずれているのでは
ないか」との見方まで示しました。

「国会審議を求めるのは野党にとって逆効果だ。今はそんな『風』じゃない」(自
民幹部)。政府・与党内に広がった国葬を当然視する雰囲気は、野党や国民への
「説明は不要」との姿勢にもつながった。

さて、ここまでの経緯を見ていて、私には、岸田首相の傲慢さと思慮に欠ける面が、
いかんなく発揮されていると思えます。

まず、安倍元首相の銃撃からわずか6日で、国葬を決定したことです。この時には、
犯人が統一教会を親に持つ男性で、母親が多額の献金を教会にしていたため、自分
を含めって家族がひどい生活を強いられたこと、そして安倍元首相がこの教会と密
接に関係していたことが動機であったことはすでに知られていました。

それでも、自民党にも、野党にも、そして何よりも国会での議論も経ずに、独断で
決めてしまいまったことは、大きな誤りです。

国葬に法的な根拠がない、という批判に対して首相は、「国の儀式に関する事務」
は内閣の仕事に一つである、との見解だけを挙げています。

しかし、百歩譲っても、ここは、国の儀式に関する「事務」であって、その儀式を
やるかどうかの決定権にまで触れていません。

これまで55年間、首相の葬儀を国葬にしてこなかったのは、法律的に無理があり、
行政府(内閣府)だけでなく国会と司法の同意が必要だったからです。

もし、今回、国会の決議があれば、確かにその実行において内閣が「事務」を行う
ことには問題なかったでしょう。

こうした独断的で強引な決定をした背景には大きく二つの背景があったと思います。

一つは、上に引用した『毎日新聞』も指摘しているように、7月10日の参院選で
自民党が大勝したので、誰にも文句は言わないだろう、という岸田首相の思慮に欠
けた傲慢さです。

この感覚は統一教会問題に関する自民党議員の間にもはっきり表れています。つま
り、問題をあいまいにして、どうしても逃げられない物的証拠が示されるまでは、
”記憶にない”“良く分かっていなかった“と言っておけば、そのうち国民は、忘れるだ
ろう、という誠に卑劣な態度です。

二つは、統一教会との関係でとりわけ深い関係をもっている安倍派は党内最大派閥
であり、自らの政権の維持・強化のためにも安倍派の支持を得る必要があった、と
いう背景です。つまり、自らの保身のためです。

言い換えると、安倍元首相の葬儀を国葬にして、“安倍派を重んじていますよ”とい
う姿勢を示す必要があったのです。

国葬をごり押しすれば、国民からの反発が起こることは当然考えられるのに、それ
を配慮するという思慮に欠けていたとしか言えません。

三つは、安倍元首相が銃撃により不慮の死と遂げたと事情を考えれば、国民は国葬
に同上的になるだろうという読みです。

私自身は安倍元首相の不慮の死には哀悼の意をもっていますが、それと国葬とは別
の話です。

四つは、安倍元首相の国葬の根拠として長く首相の座を勤めたことを挙げています
が、大事なことは首相の座にいた年月ではなく、その間にどんな業績を挙げたか、
です。

しかも、安倍氏が長く首相の座にいたことは、もっぱら自民党のお家の事情なのです。

少なくとも、アベノミクスは大局的にみて成功だった、と評価する人は少ないのでは
ないでしょうか。

異次元の金融緩和で一部の輸出企業は利益を得たかも知れませんが、それによる円安
は輸入価格と物価を上昇させ、多くの国民は多大な犠牲を払わされています。

以上は岸田首相とその側近に、国葬を強行させる背景ですが、一方の国民の間には国
葬反対の意見が日増しに強まり、途中から各メディアの調査では反対が過半数をはる
かに超え、賛成の倍以上となっています。

岸田首相は、国民の反発にたいして“丁寧に説明する”と言う言葉だけを繰り返し”丁寧“
に述べていますが、肝心の”丁寧な説明“そのものは、国葬2日前の現在まで、全く語っ
ていません。

また、私の個人的な推測にすぎませんが、この国葬という大々的なイベントを利用し
て岸田首相は戦前のような国家主義への回帰、そしてその先に憲法改正への雰囲気つ
くりをも狙っているのではないか、という気さえします。

というのも、国葬とは戦前に、天皇に尽くした人々を国葬にするという、天皇制と結
びついた形で成立しました。戦後に国葬令が廃止されたのは、これが天皇主権を前提
とした制度だったからです。国民が主権者となり、政治体制そのものとの間に矛盾が
生じるため、維持できなくなった、という経緯があります。

すでに多くの憲法学者が言っているように、安倍氏の葬儀は、せいぜい内閣葬にする
べきだと思います。

弔問外交といっても、G7参加国のうち現役の首相・大統領クラスは、カナダとオース
トラリアの2カ国だ0けです(*)

*私の誤解で、オーストラリア首相はすでに欠席、今朝26
日のニュースではカナダのトルドー首相も欠席となりました。このため、現役の首相
クラスの要人はゼロとなりました


エリザベス女王の国葬と比較するのは酷ですが、安倍首相の国葬は、物々しさを別に
すれば、ずいぶん寂しいものなるでしょう。

因みに、エリザベス女王の国葬は、まさに国民葬といっていいほど、国民の大多数に
支持されていました。それでも、ちゃんと議会決議を経ているのです。

これが民主主義というものではないでしょうか?

岸田首相は自分には“聞く力”があると言ってきましたが、私には国民の声に対しては
“聞かない力”の方が強いように思えます。

総裁選当時に私は、岸田氏に対して一見ソフトで国民の声を丁重に聞く政治家だとい
う印象を持ちましたが、今は、その印象は全くなくなりました。

いずれにしても、国会を無視して閣議決定で全ての事案を通してしまう、という手法
あ安倍政権時に多様されましたが、岸田政権はこの悪しき手法とは手を切り、国権の
最高機関である国会での審議と議決を軸とした政治を行って欲しいと思います。

これこそが、自由と民主主義を党是とする自由民主党の本来あるべき姿だからです。


(注1)『毎日新聞』デジタル(2022年9月24日) 
    https://mainichi.jp/articles/20220924/k00/00m/010/327000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20220925

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パンドラの箱を開けた安倍氏襲撃(3) ―ますます深まる自民党の闇―

2022-08-22 15:13:36 | 政治
パンドラの箱を開けた安倍氏襲撃(3)
―ますます深まる自民党の闇―

安倍氏襲撃事件の直後、一部のメディアは、これは大物政治家を暗殺する“政治テロだ”、
さらには“民主主義の危機だ”と書きたてました。

ところが警察からのリークで、容疑者は山上徹也という男性で、旧統一教会(以下、統一
教会と略す)に恨みを抱く一人の男性である、との事実が明らかにされると、事件の意味
合いが突然、思わぬ方向に向かいました。

容疑者の母親が統一教会の信者で、家族のお金1億円以上を献金したため、容疑者を含む
家族の生活が破壊されてしまったことが主要動機だったことが明かされました。

この時から、今回の襲撃は「政治テロ」から統一教会にたいする個人的な“私怨”へと論調が
変わりました。

さらに、山上容疑者は犯行の直前に知人に宛てた手紙で「安倍は本来の敵ではない」と書い
ている。本当の敵は、統一教会の最高幹部だったのです。

実際、2019年10月には愛知県内であった団体の集会で来日した最高幹部、韓鶴子(ハンハク
チャ)総裁を火炎瓶で襲撃しようとしたとも説明している。この時は会場に団体関係者しか
入場できず、計画を断念したと語っています(注1)。

標的が安倍元首相に変わったのは、安倍氏が統一教会の集会に向けて送ったビデオ・メッセ
ージ動画を見て、安倍氏が統一教会と繋がりがあることを知ったからだ、と語っている。

ここまでが安倍元首相襲撃の第一幕で、そこでの中心は容疑者と襲撃の動機でした。ところ
が、この後事態は第二幕へと、図らずも自民党の深い闇を暴く方向へと進んでいます。

安倍元首相が殺害された事件をきっかけに、統一教会と自民党との関係が俄然、注目される
ようになったのです。

関係の濃淡はありますが、現在名前が分かっているだけでも50人以上、無回答の議員も含
めると少なくとも100人ほどの自民党の国会議員が統一教会と何らかの関係をもっている
と考えられます。

ここで注目されるのは、統一教会との接点を持つ議員の中でも、とりわけ右派の安倍派が多
かったことです。

これには、統一教会の日本における普及に、自民党の最右翼の安倍晋三元首相の祖父に当た
る岸信介氏が関係していた、という事情が関係していたのです。

ただし、自民党の政界だけでなく、それを支える日本最大の右派改憲団体である「日本会議」
(1997年設立)なども、統一教会と「蜜月」関係を築いていました。

しかし、日本の右派と統一教会とは戦前の日本のアジア侵略を巡る歴史認識において全く相容
れない立場でした。

統一教会は、戦前の日本アジア侵略に対して「日本は罪深い国家で悔い改めなければならない」
と信者に教えています(『東京新聞』2022年8月10日、18日)。

また、前回も引用しましたが、文鮮明氏は、日本が文氏の入国を認めなかったころ、「日本は今
私を入国させないようにしていますね。いいでしょう。天皇がやってきて ひざまずいてひれ伏
して慟哭するのを見るまでは私は(日本に)行ってなんかあげませんよ」と、天皇が文氏に「ひ
ざまずいて」、「ひれ伏して」、(許しを請うために)「慟哭する」まで日本にいってあげない」、
とまで言っています。

ところで、反日的・日本を侮辱する文氏の統一教会と、天皇を中心とした”伝統的日本“の再興を思
想の核とした日本の右派が結びついたのは、「反共」というただ一点でした。

それが具体的な形で現れたのは、1967年に文鮮明氏と、日本側からは右翼の実力者、笹川良一
氏、白井為雄氏(児玉誉士夫氏の代理)、畑時夫氏らと本栖湖畔で会合を開いたことでした。

翌68年1月には文鮮明氏は統一教会の政治団体として「国際勝共連合」を設立し、日本でも同年
4月にその支部が設立されました。

当時は東西冷戦の真っ只中で、日本の一部に共産主義にたいする対抗意識が強かったものと思われ
ます。

しかし、1991年にソヴィエト連邦が崩壊し、旧ソ連が民主化の道を歩み始めると、本来の「反
共」という旗印の意味は失われました(注2)。

それでも、統一教会―国際勝共連合―自民党(特に右派)―「日本会議」などの超保守団体とのつ
ながりが形成され、現在まで続いています。

元統一教会信者で、現金沢大学の仲正昌教授によると、韓国側は日本の保守的な政治家や団体に合
わせてやってきた、というのが実情のようです(『東京新聞』2022年8月10日)。

こうして「反共」「天皇中心」「日の丸掲揚」を旗印とする日本の右派勢力と、その根っこに反日
的思想を持つ統一教会との間に奇妙な連携が成立しています。

これまで統一教会とその「友好団体」と関係をもってきた政治家には、関係の濃淡のほかに二つの
動機がありました。

一つは、統一教会の会員が、選挙の時に無償で働いてくれる“選挙マシーン”を提供してくれたこと
でした。政治家はおそらくそれを利用する、という意識で受け入れるのだと思われます。(まとも
な政治家なら、無償の応援の申し出があれば、その背景を調べます)

しかし、一旦、統一教会への“借り”ができてしまうと、その後、教会員からさまざまな要求が議員
にもちこまれます。

代表的な要求は、統一教会のイベントや集会に電報その他の祝辞やメッセージを送る、集会に参加
する、講演をするなどです。

政治家からのメッセージは「世間は理解してくれないが、立派な政治家が認めてくれた」という自
信になる。それは教団のさまざまな活動の活発化につながる。これだけでも利害関係で結ばれてい
るといえる。祝電だけでも教団には大きなメリットがあるのです。講演を行ったりすれば、さらに
大きな自信を信者に与えます(注3)。

たとえば、神奈川県内のある市会議員が1990年代に初出馬した時、当選ラインは2500票だ
と言われていました。

この時、統一教会は500票まとめたから、と持ち掛けられました。投票結果は3000票で教会
の500票が無くても当選していました。

選挙後、彼は教会側から、支援した皆にお礼のあいさつに行こうと言われたが統一教会にたいする
不信から拒否しました。

すると、「お前何やってんだ。生意気だな。当選したらいきなり天狗になったのか。ばか野郎みな
たいな・・」と、すごまれたと言います。

テレビ局のインタビューで、彼はもし統一教会のおかげで当選したら、「統一教会の意向を配慮せ
ざるを得ないでしょうね」「統一教会の言いなりだったかもしれない」、と正直に述べています。

統一教会は、将来自分たちに有利に働いてくれそうな地方議員を取り込み、それらの議員が国会議
員になることを期待して、“先行投資”として地方議員を応援する、とも語っています(TBS『報
道特集』2022年8月20日)。

つまり、政治家は統一教会を利用しているつもりが、気がついてみると逆に利用され、その時には
もう抜けることができなくなっている危険性が常にあります。

これは市会議員の例ですが、これは県会議員や国会議員においても同様の構造が見られるでしょう。

二つは、設立の経緯から分かるように統一教会は「反共産主義」、性や結婚の多様性(LGPTや
同性婚)に反対する復古的・保守的なイデオロギーをもっており、それに共感して統一教会との接
点をもつ場合です。

ある元信者はテレビ局のインタビューに答えて、あの人は「勝共議員」だから応援しなくては、と
いう気持ちで応援した答えていました。ここには、はっきりと反共イデオロオギーが末端の会員に
まで浸透していることが分かります。

また、現在の教会の正式名称に「家族」がついていますが、教会は異性間の伝統的家庭を復活させ
るための運動を展開しています。これはれ「家庭強化国民運動」と呼ばれ、統一教会は接点を持つ
議員を使って条例化を推進しています。

こうした運動に統一教会と接点を持つ議員が協力し、現在までに15を超える市町村で実際に条例
化されています。

地方自治体だけでなく、国政においても、自民党の改憲案のたたき台案は、その前年に勝共連合が
公開した改憲案と内容がほぼ一致しています。これは、自民党と勝共連合―統一教会とが非常に密
接に結びついていることを示唆しています。

ちなみに、政治家(特に自民党)とのつながりを口外することは絶対タブーとなっているそうです。
こうした事情もあって、中には自分から言わない限り、統一教会との関係を隠蔽することができる
と高をくくっている議員もいます。

宗教団体が政治活動をすることは何の法的問題はありません。しかし、かつて人をマインドコント
ロールして「霊感商法」で高額な品を買わせたこと(これは、今でも部分的に続いています)、個
人の「家庭」を崩壊させるほどの巨額献金を要求してお金を巻き上げている団体が、そもそも優遇
と保護の対象となる「宗教法人」なのか、見当する必要があります。

統一教会は、地方から中央政界まで深く静かに浸透しており、これまでの霊感商法にしても高額献
金の問題にしても、本来は政治が介入して被害を防止する義務がありますが、自民党政権は、全く
そのような動きがありません。

それどころか、本来このような事案を摘発すべき警察・公安当局の二之湯智国家公安委員長自信が
統一教会との深い関係をもっていることが判明しています。

もし、このことが統一教会に対する監視や規制に手心を加えて守るようなことがあれば、これは信
教の自由とは全く別の問題で、政治が統一教会によって歪められることになります。

これこそ、自民党が抱える深い闇で、本当に民主主義の危機です。

(注1)『毎日新聞』(2022年7/20 12:00(最終更新 7/20 21:40)https://mainichi.jp/articles/20220720/k00/00m/040/099000c
(注2)『毎日新聞』デジタル(2022/8/2 11:30 最終更新 8/4 21:17)
     https://mainichi.jp/articles/20220730/k00/00m/040/074000c
(注3)『毎日新聞』プレミア (デジタル版 2022年8月22日)
     https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20220819/pol/00m/010/017000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20220823
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
         これら2枚の風刺漫画は説明が要らないでしょう
                                                   

(『東京新聞』2022年8月10日)                                      (『東京新聞』2022年8月17日)


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パンドラの箱を開けた安倍氏襲撃(2)―「反共」で繋がった旧統一教会と自民党―

2022-08-12 09:41:10 | 政治
パンドラの箱を開けた安倍氏襲撃(2)
―「反共」で繋がった旧統一教会と自民党―


今回の旧統一教会(以下、単に統一教会と表記)と自民党、とりわけ保守色
の強い安倍派(清和会)との関係に関する問題が注目されています。

例えば、今回の事件を契機に問題視された、統一教会と関係をもった国会議
員は、その関係の濃淡に違いがあるものの、直近の調査では131人の国会
議員が関係をもっていること、その大部分が自民党であったことが分かりま
した(TBSのアンケート調査の結果 2022年8月12日)。

それでは、なぜこれほど多くの自民党(一部、他党の議員も)の議員が統一
教会との関係をもつに至ったのでしょうか?

これについては、多くのメディアが伝えている通り、一つは、この団体の会
員が選挙の際には無料で選挙運動を手伝ってくれる、という具体的なメリッ
トです。

議員候補にとって、何よりも大切なことは選挙で当選することで、そのため
には投票だけでなく、ビラ貼りから電話での声掛けなど雑用を引き受けてく
れる教会の信者は、非常に助かります。

とりわけ、選挙区にしっかりした支持母体がない候補者にとっては、願って
もない助っ人です。

しかし、こうして助けてもらった見返りとして、さまざまな要求を統一教会
側がしてくるようです。

例えば、日本臨床衛生検査技師会長の自民の宮島喜文元参議院議員は、統一
教会の全面的な支持を受けて6年前に比例区で約12万票を取り初当選しまし
た。

今回の参議院選の比例においても統一教会の支援対象は自民の宮島喜文元参
院議員になるはずでした。

ところが、宮島氏は今回は党公認を受けながら出馬を辞退したため、統一教
会の票はほかの候補に切り替えられました。

辞退の理由を宮島さんは「高齢(70歳)に加え、本業のPCR検査に専念した
いから」と語っています。

しかし、内情を知る党関係者によると、初回の選挙で旧統一教会の支援を受
けたため、当選後に教会側からさまざまな要求があり、もうこれ以上付き合
えないと判断したのが真相だという(注1)。

これは、1候補者の場合ですが、こうした関係はほかにもたすうあるのでは
ないか、と考えられます。

今回、個別に取り上げられてはいませんが、祝電を送った、イベントに参加
した、統一教会系の雑誌に投稿した、会費を払った、などの関係をもった国
会議員は、おそらく何らかのサポートをしてもらった見返りに、このような
関係を持つに至ったと考えられます。

今回の第二次岸田内閣の閣僚だけでも7人、さらに党の重要ポストの議員を
入れると統一教会との関係を明らかにしています。

このことからも分かるように、この団体との関係を持たない議員だけでは組
閣できないほど、統一教会は政界に食い込んでいます。

そして、怖いのは、最初は無自覚に、ただただ選挙運動の応援をありがたが
って「利用して」いただけの議員も、徐々に深みにはまり、さまざまな要求
を突き付けられ、関係を絶てなくなってしまうことです。

次に、統一教会と政治との関係という意味では、この団体との関係をもつ議
員の内、自民党の安倍派(清和会)が大きな部分を占めているという点が
注目されます。

いうまでもなく、安倍派は自民党の中でもとりわけ保守的政治思想をもった
派閥です。

安倍元首相が統一教会と深い関係は、ビデオメッセージを送ったり、参議院
の比例区で統一教会員の票を差配していることからも分かります。

ここには、安倍一族と統一教会との歴史的な経緯があります。

統一教会が、密接な友好団体を足場に組織と個人に食い込むのは1960年代に
入り日本での普及活動を始めた時からでした。

その“尖兵”が、共産主義に打ち勝つ「勝共」を団体名にした「国際勝共連合」
です。1964年、統一教会が日本で宗教法人として認証され、68年には政治団
体国際勝共連合が創設されました。

「反共」を全面に押し出しているため、右翼界の大物・笹川良一氏が名誉会
長となり、60年安保闘争を通じて左翼から総攻撃を受けた岸信介元首相が支
援しました。

その「反共」の姿勢が、自民党および保守政治家に統一教会を受け入れさせ
るきっかけとなりました。

「反社会的カルト集団」として統一教会が批判されても、自民党や日本維新
の会などの保守派に食い込むことができたのは、「反共」を柱に「憲法改正」
「防衛力強化」「正しい結婚観・家庭観の追求」など、保守派と合致する姿
勢を示すと同時に、政治家をカネと選挙で手厚く支援したからでした(注2)。

自民党は、一般に保守党と表現されますが、そのかなでもとりわけ「保守の
コア」と言われる「右派勢力」が安倍派なのです。

統一教会の創始者の文鮮明氏が、どのような経緯で反共産主義思想を抱くよ
うになったのかは分かりません。

いずれにしても、文氏は日本に拠点を築くに際して、反共勢力を取り込むこ
とが最も容易だと判断したのでしょう。

日本の右翼勢力は一般に「親米右翼」と「民族派右翼」に分けられます。岸
・安倍ラインは、「親米右翼」でアメリカの庇護と協調関係を日本統治の軸
に置こうとするを勢力です。

これに対して、同じ「反共産主義」でも、日本固有の文化(特に天皇制)や
伝統を核とする社会を作ろうとする勢力は「民族派右翼」と呼ばれます。

その代表的組織の一つが「一水会」で、私は、その木村三浩代表が統一教会
の活動をどのように見ているかに興味がありました。

というのも、文氏は日本および日本人をかなり露骨な言葉で侮蔑しているか
らです。たとえば、文鮮明『お言葉集』(韓国語版)には以下のような言葉
があります。

    私が日本をエバ国家に定めてあげなかったならば 日本はすでにぺ
    しゃんこになっていたのです。
    雑多な神様を信じる民族、いわしの頭も信じる日本ではないですか。
    日本の経済を投入して南北を統一しなければ日本は滅びるのです。
    エバ国家の使命を果たすことができなければ跡形もなく消えるとい
    うのです。(それゆえに(中略)一家を捨ててでも一族が滅びても
    南北統一のために奮発しなければならなりません。

また、1992年に金丸信自民党副総裁(当時)の超法規的措置で日本へ入
国したことについて文氏は信者に対して次のように語ったという。
   金丸さんはメシアの私(文鮮明氏)を受け入れてくれたのだ。本当は
   日本に入れなかったら日本はエバ国をはく奪されるところだったんだ。
   
さらに『お言葉集』(韓国語版)では、
   日本は今 私を入国させないようにしていますね。いいでしょう。
   天皇がやってきて ひざまずいてひれ伏して慟哭するのを見るまでは 
   私は(日本に)行ってなんかあげませんよ(注4)。

これらの「お言葉」に見られるように、文氏の思想の根っこには、「侮日」
とも言えるには反日感情、朝鮮民族主義があります。

これにはさらに、日本による朝鮮の植民地支配に対する怨念があります。文
氏は信者に対して「日本は罪深い国家」と語っていますが、そこにはこうし
た歴史的経験も大きな影響を与えているのかも知れません。(『東京新聞』
2022年)。
8月10日)

統一教会を貫く文氏の反日的、侮蔑的な言動に対して「民族派右翼」の木村
さんは、旧統一教会の教理解説書に目を通したが、「日本はサタン側の国な
どと記されていました。これは民族派として受け入れられるものではなかっ
た」と振り返る。

その頃から、一水会は「勝共連合は民族主義運動の敵だ」などと雑誌などで
批判していくようになり。その後は、統一教会からも勝共連合からも引いて
いったそうです。

現在、統一教会とのつながりを維持している自民党の政治家は、こうした側
面には目をつぶって、「反共」という一点を共有し、さらに選挙に際しては
無償の運動をやってくれるメリットを得ています。

しかし「政治家の側から選挙への協力をお願いするようになってしまったら、
それこそ政治の『堕落』です。岸元首相の代から関係が続いてきて、孫の安
倍氏が関連団体にメッセージを送ってしまうというのが、その最たる例では
ないでしょうか」と、問題点を指摘しています(注5)。これについては、
次回に検討します。


               注
(注1)『毎日新聞』デジタル版 2022/7/27 東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20220727/ddm/002/070/135000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220727
(注2)Yahoo News (2022年8月11日:6:02配信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/00a01b98cd8bbc84c19bc9011d880421c9698a79;
『毎日新聞』(2022年8月9日 05:00、最終更新 /905:00);
https://mainichi.jp/articles/20220806/k00/00m/010/163000c;
DIAMOND ONLINE (2022.7.28 4:30)  https://diamond.jp/articles/-/307025
(注3)『毎日新聞』(デジタル版 2022/8/4 05:15、最終更新 8/4 13:16)
https://mainichi.jp/articles/20220803/k00/00m/040/196000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20220804
(注4)BS-TBS『報道1730』(2022年8月11日)より引用。
(注5)『毎日新聞』(電子版 2022/8/4 05:15、最終更新 8/4 13:16)
https://mainichi.jp/articles/20220803/k00/00m/040/196000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20220804

追記 今回の記事とは関係ありませんが、8月5日、日本を代表するファッション・
デザイナー、三宅一生(本名かずなる)さんが亡くなりました。ご冥福を祈ります。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
夏を代表する花のひとつ サルスベリ(百日紅)庭木として人気があります                  まるで紙で作った花のようなフヨウ(芙蓉)
   


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パンドラの箱を開けた安倍氏銃撃(1)―初期報道の異様さと違和感(その2)―

2022-08-04 09:02:44 | 政治
パンドラの箱を開けた安倍氏銃撃(1)―初期報道の異様さと違和感(その2)―

前回の記事では、安倍元首相銃撃に関する報道が、同じ映像とコメントの繰り返しと、
安倍氏の礼賛という内容になっていった、という点までを書きました。

これは、ある意味で当然であったかもしれません。容疑者は白昼、衆人環視の中で、
抵抗もせず逮捕され、同期もはっきり語っているわけですから、謎もないわけです。

そこで時間を埋めるためには繰り返し色々な人のインタビューを流さざるを得なく
なる。そうすると当然のこととして「安倍元首相を賞賛し、死を悼む声」ばかりが
集まることとなる。

なぜならいくら日頃対立関係にあろうと、安倍元首相のことが本音では嫌いであろ
うと、凶弾に倒れた直後にカメラに向かって彼を批判するコメントを語る人はいな
いからです。

すると意図しなくても、結果的に「安倍元首相を褒め称える」側面ばかりを強調す
ることになってしまいます。

このタイミングを考えると、参院選投票日の直前の選挙期間中であるから、こうし
た特性の政党の首相の死に関して「偏った意見ばかりを放送する」ことに、テレビ
局は一番気をつけなければならない時期のはずです。

さらに、「これまでの安倍元首相の足跡をまとめたVTR」にしても、編集に時間は
かけられず、慌てて編集したものだからどうしても内容は表面的な浅いものになっ
てしまいます。

この際、有識者などに分析してもらうようなインタビューをとることも十分にはで
きませんでした。

しかも、自身が元ニュースデスクであった鎮目氏によれば、こういう特番で振り返
りVTRを長時間放送することには「ライブ感がない」ということで、プロデューサ
ーなどにも抵抗感があるから、どうしてもVTRは短めになってしまうという。

その結果、「安倍元首相を誉めている内容」ばかりが目立つ数時間となってしまう。
これであれば、いっそ夕方のニュースや夜のニュースなどで、きちんと更新情報を
伝え、その間は通常編成の番組を放送したほうが良かったのではないかと鎮目氏は
思ったそうです。

安倍元首相の死は大ニュースだから、改めてきちんと後日特番を放送すれば良かっ
たのではないかという鎮目氏のコメントに筆者も同感です。

(4)各局揃って「喪服」はやり過ぎでは

そして最後に気になったポイントは、各局揃ってキャスターたちが「喪服」を着て
いたことです。

といういのも、安倍昭恵夫人ですらまだ喪服を着ていない8日の時点で、「各局横
並びでキャスターが喪服」だったことに、鎮目氏は若干の違和感をもったそうです。

鎮目氏の経験では、ニュース番組のスタイリストはどの番組でもほぼ必ず「色目が
地味なコーディネイト」と「喪服」を必ず用意している。

いつどんなニュースが発生するか分からないから、「派手な色味を避けるべきニュ
ース」が発生したら地味な衣装を、そして「喪服を着るべきニュース」が発生した
ら喪服をいつでも着られるように準備しているのです。

では、8日のニュースの場合はどう考えるべきか。果たして安倍元首相が殺害され
たというニュースが「派手な色味を避けるべきニュース」だったのか「喪服を着る
ニュース」だったのかという判断の問題になる。

一般論で言うと、通常、有名人が亡くなったからと言って「喪服」を着ることはニ
ュース番組ではまずない。では、多数の人が亡くなった場合などはどうか?例えば
最近で言えば「知床の遊覧船事故」の際にキャスターは喪服を着ていただろうか?
私の記憶では、多分着ていなかったと思う。

ニュース番組のプロデューサー経験者として鎮目氏は、喪服を着るのは例えば「追
悼番組」のような場合に限られるのではないか、あまり通常「ニュース番組でキャ
スターに喪服を着させる」という判断はしにくいのではないかと思う、と感想を述
べています。

8日のニュース番組の場合、どのような判断があって各局ほぼ「喪服」ということ
になったのか。なぜ「知床の事故では喪服ではなかったのに、安倍元首相は喪服だ
ったのか」を放送局関係者はどう説明するのだろうか。

そこで鎮目氏は、「みなさんの目には「横並びの喪服」はどのように映っただろう」
かと、問いかけます。

さて、テレビニュースの関係者として鎮目氏は「、「安倍元首相殺害事件報道」に関
する「気になったポイント」を提示しましたが、これらの4点に関して私たちはどの
ように受け止めたでしょうか?

田部康喜氏(コラムニスト)は、事件当日から3日経った7月11日のNHK番組「
クローズアップ現代」(7月11日)は、冷静かつ、安易な断定に踏み込まずに、事
件の背景に迫った、その後の報道の方向性の先駆となった優れた報道だと言える、と
高く評価している。

この段階になると、警察からの発表だけでなく、NHK独自の調査結果も加えて事件
の背景がさらに詳しくなる。

山上容疑者は「特定の宗教団体」に恨みがあり、安倍元首相がこの団体と近しい関係
にあると思い狙った、というところまでは直後の報道でも伝えられましたが、それ以
上のくわしい背景は分かりませんでした。

ところがNHKは、「特定の宗教団体」が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)であ
ること、母親が統一教会にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃ
くちゃになったことを報じました。

そして取材班は、山上容疑者の父親は建設会社を経営していた。そのあとを継いだ、
母親が世界平和統一家庭連合に入信、2002年に破産したことから、母親の教団に対す
る巨額の寄付が破綻の原因ではないかと推察しています。

メディアの事件報道は、短時間の取材の瞬発力と、日ごろからの準備ともいえる取材
活動にあります。

取材班は、教団の元信者と、山上容疑者の母親が通う「奈良教会」の信者の証言を得
ました。そこで「侍義生活ハンドブック」という、教団の信者向けの文書を入手し、
収入の10分の1を献金するようにうながす記述をまず明らかにします。

そして、取材班は「山上容疑者の母親の名前はときどき出てくる」という、同じ教会
に通う男性信者からつぎのような言葉を引き出しました。

「わたしも両親も多額の献金といえば、家を1軒売るぐらいの献金をしてきた。田ん
ぼとか家、屋敷、みんな抵当に入ったりして。二束三文になるわけですよ。それでも
やっぱり教会のことだから、2000万、3000万は出していたんじゃないですか」。

また、元信者の女性は、両親が信者であるという。彼女自身が、6年間で献金と印鑑
の購入などで約500万円を教団のために費やしたという。

「わたしたちの家庭は平和になれるからと親が本気で信じていて、自分の生活費とか
学費とか、そういうところも全部献金につぎ込んでしまう」

「親と信じるものが違うって、こんなにつらいんだって、自分じゃどうしようもない
ことと思う」
 
さらに、この元信者は、山上容疑者の母親が信者であることと、自分の境遇が似かよ
ったものであることから、いわれなき誹謗、中傷にこれからさらされるのではないか、
とおびえています。
 
「犯人(山上容疑者)の供述がまるで、自分の周囲で起きていたこと、周りの人たち
が経験してきたこととまるで同じことを言っていて。それがとんでもなく苦痛です」、
 「山上(容疑者)がやった暴力は絶対断固として認めない。

どんな立場であろうが。非難という言葉じゃ、表せないほどの強い憤りを犯人に感じ
ています。これはわたしだけではなくて、こうやって苦しんでいるわたしたちのよう
な境遇の人たちにも共通する意見です」と、元信者の苦悩をも伝えています)。

興味深いのは、山上容疑者が凶行に及んだひとつのきっかとなった、「安倍元首相の
ビデオメッセージ」と報道している。やはり、実物を見せることも映像報道の神髄で
です(注3)。

作家の平野啓一郎氏は、メディアには事件直後から安倍氏を礼賛する報道があふれる。
本来ならさまざまなことを切り分けて考えていくべきなのに、全てがないまぜになっ
ている、と懸念しています。

「容疑者がなぜ事件を起こしたのかを冷静に見ることが大事です。その過程で、なぜ
この団体が日本で拡大したのか、そこに政治の関わりがあるなら検証することを避け
て通ってはいけない。しかし、徹底した真相究明が必要という声はとりわけ与党の政
治家からは上がっておらず、論点のすり替えが起きているのが実情です」、と今回の
事件の政治的背景があいまいにされそうなことに、危惧を提出しました(注4)。

平野氏が抱いた危惧こそが、安倍元首襲撃が開けてしまったパンドラの箱の中身、つ
まり政治と宗教との関係で、これがこの事件の第二幕となります。

                      注
(注1)NHKWeb ニュース 2022年7月9日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220709/k10013709001000.html
(注2)『現代ビジネス 電子版』(2022.07.09 )
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97303?imp=0
(注3)『MAG2 ニュース』(2022.07.29)https://www.mag2.com/p/news/546917
    新恭のコメント
(注3)WEDGE ONLINE 2022年7月21日 https://wedge.ismedia.jp/articles/-/27337
(注4) 『毎日新聞』デジタル( 2022/7/24 16:00 最終更新 7/24 16:00)https://mainichi.jp/articles/20220724/k00/00m/040/027000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20220725





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パンドラの箱を開けた安倍氏銃撃(1)―初期報道の異様さと違和感(その1)―

2022-07-30 10:57:11 | 政治
パンドラの箱を開けた安倍氏銃撃(1)―初期報道の異様さと違和感(その1)―

2022年7月8日午前11時半ごろ、奈良市内の近鉄大和西大寺駅前で参院選候補者
の応援演説をしていた安倍晋三元首相が銃によって殺害されました。

このニュースを耳にした時、このような事件がこの現代日本で実際に起こったと
ということに、衝撃を受けました。

そして、一体誰が(どんな人物が)、どんな目的でこの事件を実行したのか、と
いう疑問が直ぐに浮かびました。

普通に考えれば、安倍氏に個人的な何らかの恨みなり、政治的に強烈な反安倍感
情を抱いている人物の仕業、ということになります。

しかし事実が明らかになるにしたがい事件は思わぬ方向に広がってゆきました。

警察はその場で銃撃の実行犯として山上徹也容疑者(41)を逮捕しました。

銃撃、そして山上容疑者の逮捕、安倍氏の死までが、今回の事件の第一幕だとす
ると、それから、警察と政府とメディアの報道の内容が第二幕です。

警察当局によると、容疑者の山上哲也(41)は奈良市に住む職業不詳の人物で、手
製の銃で襲撃したようです。

警察によれば、これまでの調べに対し「元総理の政治信条への恨みではない」、そ
して「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思いねら
った」という趣旨の供述もしていた。

また、捜査関係者によると、この団体について「母親が団体にのめり込み、多額の
寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった」という趣旨の話をしている
ということです(注1)。

この事件に関して、さまざまなコメントや解説が政府サイドやメディアから発信さ
れました。しかし、それらの中に筆者が違和感をもった点がいくつもありました。

事件が起こった翌日の7月9日、元テレビ朝日ニュースデスクの鎮目博道氏は、イ
ンターネット上で報道(特にテレビの)に関する違和感を4点挙げています。筆者
も鎮目氏と問題意識を共有しているので、以下にそれらを引用しつつ検討しよう(注2)。

なお以下の4点は、その後、日本の政界、特に自民党、警察、宗教団体との隠され
た問題を明らかにしたという意味で、パンドラの箱を開けてしまったと言えます。

(1) なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのか

一つは、すでに本稿の最初に書いたように、事件直後にテレビ各局のニュースは警
察情報として、安倍元首相を銃撃した元自衛官・山上徹也容疑者は、その犯行動機
として「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある安倍元総理を狙
った」と供述していると発表しています。

しかし、なぜか警察はこの「宗教団体」の名前をなぜ明らかにしませんでした。こ
の点について鎮目氏は、テレビニュースの制作者として類推すると、考えられる可
能性はふたつあるという。

ひとつは「警察が団体名を発表しておらず、取材でも明らかになっていない」つま
り「テレビ局側も知らない」可能性だ。

供述は警察署の中でされているのだから、原則的に警察側からの情報がなければ宗
教団体が明らかになることはない。あとは容疑者の周辺を取材して、聞き込みから
関連のある宗教団体を割り出していくしかない。

もうひとつの可能性としては、テレビ局は宗教団体の名前をすでに知っているが、
なにがしかの配慮で報道していない場合。この場合、どういう配慮が働いている可
能性があるのか。

考えうるとすれば、局として「宗教団体側には何も責任がないから」ということに配
慮して、もう少し供述内容が明らかとなって宗教団体と犯行動機との関連性が深まる
まで様子をうかがっている可能性だろうか。

あるいは、「安倍元首相とその宗教団体との関係がはっきりしない」ということに配
慮している可能性だ。変にその宗教団体の名前を出すことによって「安倍元首相はあ
の宗教と関係があったのか」と思われてしまう可能性を恐れているのかもしれない。

しかし今回の場合、事件の犯行動機は「宗教団体への恨み」と報道されているから、
この団体の名前を明らかにし、またその宗教団体に取材をしなければ事件の真相解決
にはつながらない。そこにもし「配慮や忖度」が働いているとすれば、それは少しお
かしいのではないかということになる。

やはり本来であれば宗教団体の名前を明らかにし、宗教団体側の取材もきちんと行っ
てその内容も併せて報道し、もし安倍元首相とその宗教団体との関係が明らかでなけ
れば、その旨もきちんと報道すれば良いだけのことである。

大メディアが警察発表そのままに統一教会の名を伏せて容疑者の供述を報じていたこ
とは、その顕著な実例です。警察の政権に対する忖度をメディアまでが見倣う必要は
ない(コラムニストの田部康喜氏)(注3)。

ちなみに、インターネット上では、かなり早い段階から「特定の宗教団体」が「統一
協会」であることは暴露されていました。

(2)今回の事件は「言論の自由や民主主義への挑戦」(?)という問題

二つは、事件当日のテレビの特番では、「この事件は言論の自由を奪おうとするもの
だ」とか「民主主義への挑戦だ」というフレーズが多用されていたことです。

この事件への受け止めをインタビュー取材された政治家のみなさんがそう答えるのは至
極当然です。一般的に外形的に見れば、「選挙期間中に、選挙の応援演説をしていた元
首相が殺害された」わけで、まさに言論の自由の封殺であり、民主主義への挑戦である
と言うことはできる。

しかし、鎮目氏は、スタジオにいるコメンテーターや解説委員など「伝える側」まで、
このフレーズを繰り返し述べていたのは、本当にそれで良いのだろうか、と疑問を呈し
ています。

もしこの事件の犯行動機が「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある
安倍元総理を狙った」ということならば、本当にそれは「言論の自由を奪おうとするこ
と」であり「民主主義への挑戦」なのか?というところがひとつ疑問として浮かぶ。

しかし、「宗教団体へ個人的な恨み」が犯行動機であれば、それは個人的な怨恨による
犯行だと言ったほうが適切かもしれない。だとすれば、安倍元首相を殺害するのはほぼ
「逆恨み」であると言って良いだろう。

ましてや、安倍元首相とその宗教団体にそれほど関係がなかったとすれば「安倍元首相は
は何の落ち度もなかったのに逆恨みで殺害された」ということになり、これはこれで断じ
て許されないが、果たして「言論の自由の封殺」や「民主主義への挑戦」だったのかとい
うと、それは、言い過ぎというものです。

この時点では「選挙期間真っ只中」であり、そういう意味では報道機関には冷静で公正な
政治に関する報道姿勢が望まれました。

動機がはっきり分からないこの段階で、局サイドまで「言論の自由と民主主義に対する許
し難い犯行だ」と断定してしまっているかのような報道姿勢は、冷静さを欠いていると言
わざるを得ません。

(3) 事件の報道時間が長すぎるのでは?

さらに、気になるのは昨日、事件の放送時間が長すぎはしなかっただろうか、ということ
です。テレビ東京を除く各局とも、ほぼ事件発生時から夕方のニュースそして深夜のニュ
ースが終わるくらいまで、すべて特番編成をしてこの事件について放送しましたが、それ
は適切だっただろうか。

確かに元首相の殺害事件であるから、ことの重大さから言えば当然特番を編成するのに十分
値するのは間違いない。しかし、報道特番を編成するにはその「重大性」とともに「更新さ
れる情報量」も考慮されなければならない。

ニュースには「更新される情報量の多いもの」と「少ないもの」があります。

例えば、台風や地震などの自然災害は「更新される情報量の多いニュース」ということがで
きる。刻々と降水量などの情報は変化し、被害状況も変わっていくからだ。

あとは例えば被害者が多い事件・事故なども「情報量の多いニュース」だろう。刻々と死傷
者が見つかったり、その容体が変化したり、救助や原因解明などが進む場合には、特番を編
成して伝える事項がたくさんある。

しかし、昨日はどうだっただろう。安倍元首相は17時頃にはお亡くなりになっていた。

事件の発生状況も、衆人環視のもと行われた犯行だから謎は少なかった。犯人は既に逮捕さ
れていた。となれば、実は夕方のニュースが終了した19時頃にはすでにニュースとしては
「動きは比較的落ち着いていた」ということができる。

「事件本筋」で更新されるとすれば捜査当局の取り調べ状況くらいだが、逮捕直後で夜間で
もあるので、さほどの更新頻度は明らかに望めない。夫人も既に病院に駆けつけていたから、
それほど親族の動きもなさそうだ。となると、せいぜい放送できるのは、「事件発生状況の
まとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだろう。

しかし、テレビでは撃たれるシーンがこれでもか、というほど繰り返し流された。これだけ
で、ゴールデン・プライムタイムの時間を全て埋めなければならない。いくら、警察署や事
件現場、そして安倍元首相の自宅前などから生中継をしても更新される情報は乏しい。

となると、繰り返し事件発生当時の視聴者提供映像や写真などを流すしかない。そうすると、
繰り返し安倍元首相が銃器で撃たれる前後の映像が流されることになる。これは結果的に、
視聴者に恐怖の感情や不安感を植え付ける。中には衝撃的な映像を繰り返し見てショックを
受け、トラウマのようになってしまう人も出てくることになりかねない。
ニュースには「更新される情報量の多いもの」と「少ないもの」があります。

例えば、台風や地震などの自然災害は「更新される情報量の多いニュース」ということがで
きる。刻々と降水量などの情報は変化し、被害状況も変わっていくからだ。

あとは例えば被害者が多い事件・事故なども「情報量の多いニュース」だろう。刻々と死傷
者が見つかったり、その容体が変化したり、救助や原因解明などが進む場合には、特番を編
成して伝える事項がたくさんある。

しかし、8日はどうだっただろう。安倍元首相は17時頃にはお亡くなりになっていた。

事件の発生状況も、衆人環視のもと行われた犯行だから謎は少なかった。犯人は既に逮捕さ
れていた。となれば、実は夕方のニュースが終了した19時頃にはすでにニュースとしては、
「動きは比較的落ち着いていた」ということができる。

「事件本筋」で更新されるとすれば捜査当局の取り調べ状況くらいだが、逮捕直後で夜間で
もあるので、さほどの更新頻度は明らかに望めない。夫人も既に病院に駆けつけていたから、
それほど親族の動きもなさそうだ。となると、せいぜい放送できるのは、「事件発生状況の
まとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだろう。
しかし、実際には同じ映像とコメントの繰り返しと、安倍氏の礼賛という内容になっていきま
した(以下、次回)。


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岸田首相の実像が見えてきた―「聞く力」はあるが、「答える力」は?―

2022-02-24 11:26:33 | 政治
岸田首相の実像が見えてきた―「聞く力」はあるが、「答える力」は?ー

岸田文雄首相は、自ら「聞く力」が強みだ、と折に触れて言ってきました。その、根拠として、
総裁選以来、カメラに向かって、聞いたことを書き留める手帳のようなものを見せています。

つまり「私は、国民の皆様の声をしっかりと書き留めていますよ」というパフォーマンスです。

確かに、首相に就任したばかりのころには、物腰が柔らかで、人の言葉に真摯に耳を傾けるよ
うな印象を与えていましたし、私もきたいしていました。

というのも、安倍元首相は、批判を受けると激高化し、相手を逆に攻撃したり、あるいは在任
当時、虚偽発言を120回以上も行ったり、話をそらしてまともに答えないことが多かったか
らです。

また菅元首相に至っては、批判に対しては冷たく無視し、最初からまともに答える姿勢があり
ませんでした。もっと言えば、語るべき「言葉」を持っていませんでした。

さすがに、これでは自民党内での支持さえ得られず、菅氏では選挙に勝てないという危機感を
もつ自民党議員が多く、総裁選への出馬を断念せざると得なかったのです。

これに対して岸田首相は、一応、人の話を聞く、というポーズをとっていましたので、多くの
日本人は、これで日本の政治も少しは変わるのかな、との期待をもちました。

しかし、その後の国会答弁やその他の場面で発言を注意して聞いていると、失望ばかりです。

たとえば、18歳以下の子育て世帯への一人当たり10万円の特別給付金問題の際、岸田首相
は当初、5万円を現金で、5万円をクーポンでという方針でした。

これは、おそらく公明党からの強い要請があったのかも知れません。

しかし、各自治体からは、現金なら1回の銀行振り込みで済むが、半分がクーポンとなると、
クーポン券の発行、郵送に莫大な費用がかかるし、受け取る人たちからは、断然、現金の方が
良い、との声が圧倒てきでした。

こうした自治体や国民の声に押されて、岸田首相は、県や市などの自治体が決めればよい、と
いうことに方針を変えました。

これにたいして、テレビの情報番組にコメンテータとして出場していたある芸能人が、“やはり
岸田首相は聞く耳を持っている”と持ち上げていました、これは少々、見当違いです。

巨額の税金を使うのですから、事前に自治体の意向、受給対象者の意向を調査し、ゆるぎない
方針を立てて実行すべきなのです。

というのも、5万円+5万円のクーポンという方法にたいしては、反対意見が出ることは分か
っていたからです。

だから、この方針転換は岸田首相の一貫性のなさ、確固たる政治思想のなさをいかんなく発揮
してしまった1件でした。

この後、ある自民党の議員は、“要するに見せ方だよ”と言ったそうです。つまり、政策がブレ
ることを、「聞く力」を発揮して柔軟に対応した、という風に見せればいいんだ、という意味
です。

岸田首相も自民党も、こんな方便で国民をだませると思っているとしたら、ずいぶん国民をな
めているな、と思いました。

岸田首相の発言を聞いていると、時には美辞麗句を連ねますが、その中身を冷静に分析すると
「空疎」な内容ばかりです。

元文部事務次官だった前川喜平氏は、岸田首相の発言をいくつか取り上げています。たとえば、
「政治の根幹である国民の信頼が崩れている。わが国の民主主義が危機に瀕している」(総裁
選中の発言)、と耳ざわりの良い言葉を発しました。

私も、“その通り よくぞ言ってくれた”、と思いましたが、その後、“その原因は何で”、“だか
ら私はどうする”、という政治家にとって根幹となる考えをついぞ聞いたことがありません。
これは、聞いているふりをして、実は、耳に痛いことは聞き流していることなのです。

また、本格的な論戦が国会で始まると、「丁寧な説明をしてゆく」「しっかりと検討してまい
りたい」との言葉の連発で、実は何もしていません。

これらの言葉にたいして前川氏は、「特に何もする気はありません」としか聞こえない、と皮
肉っています(『東京新聞』2022年2月22日)。同感です。


現在開会されている国会の発言に対して『東京新聞』(2022年2月22日)は、「首相、あい
まい答弁終始」というタイトルで、岸田首相の答弁に具体性がなく、「しっかり」と「検討」
などのあいまいな姿勢を批判しています。

私が岸田氏の政治思想や根幹となる理念にたいして深い疑念を抱いたのは、立憲民主党の玄葉
光一氏が、敵基地攻撃能力に関して「本質は何か」と尋ねたのにたいして、「国民の命や暮ら
しを守るための選択肢の一つとして、敵基地攻撃能力の議論がある」との答弁です。

この答弁は、何かを言っているようで、中身は何もありません。「答える力がないのです」。

同様に、岸田首相の看板理念である「新しい資本主義」とは何かを問われても、デジタルや気
候変動、経済安全保障など、「浮かび上がってきた課題を解決しながら成長と分配の好循環を
回していく」と、一般論、抽象論の説明に終始していました。

これを聞いて、何を言っているのか分かりますか?

以前、私の指導教官に、論文を読んでも分からないのは、書いている本人が本当には分かって
いないからだ、と常に忠告されました。

同じことは、スピーチについても言えます。聞いていて、何を言っているのか分からないのは、
実は話している本人が分かっていない可能性が高いのです。

しかも、岸田首相がひどいのは、相変わらず官僚が作成した作文を読み上げることです。

国際パフォーマンス研究所の代表、佐藤綾子氏は、「岸田さん『朗読家』を卒業なさい」と、
首相の演説力のなさを指摘しています(注1)。

佐藤氏によれば、話すときは、目はしっかりと前を向き、自分の言葉で語らなければ、聞い
ている方の心に響かないのです。

私が、岸田首相にリーダーとしての資質というか姿勢に大きな疑問を感じているのは、現在、
なかなか収束しない新型コロナウイルス問題にたいして、何の力強いメッセージを発してい
ないことです。

一国のリーダーは、国民に対して、今はこのような危機的状況にあるが、政府としてはこの
ように対応して行き、国民の健康と命を守ります、というメッセージを繰り返し発するべき
なのです。

これこそが首相に大きな役割なのです。しかし、岸田首相の姿も見えず、声も聞こえません。
実際、多くの国のリーダーは重要なポイントで国民に向かって、この危機に対する考えを発
しています。

ワクチンの目標もなかなか口にしなかった岸田首相が突然、2月7日に国会で「1日100
万回」と答弁しました。

正直、私は菅元首相がかつてワクチンを1日100万回打て、と盛んに叫んでしましたが、
岸田首相もそれを真似たかのか、と思いました。

ところが、どうやらこれには世論を意識した〝ウラ〟があったというのです。厚労省OBが
明かしました(注2)。

    首相がリーダーシップをとって目標として掲げたように見えますが、(厚労省の)
    後輩に聞いたところ、実はこの時期になって確実に1日100万回打てそうだと
    いう状態になったのです。それで、首相官邸と相談し、先にまず首相が100万回
    と言い、数日して『達成できた』というように、いかにも首相主導で実現したよう
    に見せようという戦略だったようです。

今や岸田首相は、たんに「聞く力」もなくし、大切な問題に対して「答える力」もなく、挙
句の果ては、上に見たように、トリック的な手法でその場その場を凌いでいます。

コロナ対策についていえば、ワクチンの手配と接種の準備が2か月も遅れてしまい、現在の
ような、蔓延と死者を含む犠牲者を増やしてしまったのです。

後手後手に回ったコロナ対策に対して謝罪もなく、自らの失政を認めず、もう「ピークアウ
ト」したかのような発言に失望します。

岸田首相の支持率が下がり続けていますが、国民もようやく岸田首相の実像に気が付き始め
たのではないでしょうか。

とはいっても、犠牲になるのはわれわれ国民です。今からでも政府ができることはたくさん
あります。

それについては、別の機会に書きたいと思います。


(注1)『毎日新聞』(経済プレミアム デジタル版 2022年2月16日) https://mainichi.jp/premier/business/articles/20220214/biz/00m/020/006000c?cx_fm=mailbiz&cx_ml=article&cx_mdate=20220222

(注2)『毎日新聞』デジタル版(2022年2月16日)
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20220214/biz/00m/020/006000c?cx_fm=mailbiz&cx_ml=article&cx_mdate=20220222



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岸田首相の施政方針演説―言葉だけで実現の具体策を欠いている―

2022-01-20 16:27:04 | 政治
岸田首相の施政方針演説―言葉だけで実現の具体策を欠いている―

2022年度の通常国会が1月17日に召集され、そこで、岸田首相は施政方針演説
を行いました。

これに対して「施政方針演説」は、6日に行った「所信表明」とは異なり、この1年、
内政・外交に関して政府はどのように取り組んでゆくか、という具体的な見取図を国民
に示す、実質的・具体的で重要な演説です。

この演説に関して、新聞各社は翌18日の「社説」や「論説」という形で、評価を掲げ
ます。それらをみると、中央紙・地方紙とも低い評価が目立ちます。

いくつかの新聞の評価をまとめたサイトで各社の「見出し」をみると、以下のような状
況です(注1)。

『北海道新聞』社説 首相の施政方針 変革の具体像が見えぬ
『東京新聞』社説 首相施政方針 政策実現の具体策欠く
『毎日新聞』社説 首相の施政方針演説 検討課題並べるだけでは・・
『朝日新聞』社説 通常国会開幕 政治の責任果たせるか
『福井新聞』論説 初の施政方針演説 首相の「覚悟」が見えない
『愛媛新聞』社説 首相の姿勢方針 コロナ克服と経済再生へ
『西日本新聞』社説 通常国会開会 首相が逃げては物足りぬ
『佐賀新聞』論説(共同)「命と暮らし」守ってこそ

これらの「見出し」は、私の印象とほぼ同じです。『北海道新聞』、『東京新聞』、
『毎日新聞』、『佐賀新聞』の社説・論説は、岸田首相の演説は、課題を列挙しただけ
で、それらに対して政府がどのように取り組むかという具体策が示されていない、とい
う基本的な問題点を指摘しています。

そして、『福井新聞』と『西日本新聞』、『朝日新聞』は、首相の「覚悟」が見られず、
重要な問題から「首相が逃げては物足りぬ」と、深刻な課題から逃げている、政府の責
任に対するあいまいな姿勢を批判しています。

逃げている問題としては、「日米地位協定」の見直し、辺野古の軟弱地盤への新基地の
建設、核禁止条約への不加問題などです。

とりわけ、今回のオミクロン株のまん延に関して、「日米地位協定」を楯に米軍が事前
の検査も義務付けず、日本到着以後も兵士に外出禁止を出さなかったことなど、米軍側
の責任が非常に大きいのに、岸田首相はこれについて触れませんでした。

核禁止条約について、広島県選出の首相は、自身のこだわりとして核軍縮を掲げてきま
した。しかし、唯一の戦争被爆国として、首相は、核兵器禁止条約を議論する第一回締
約国会議(今年三月開催)へのオブザーバー参加も、アメリカへの忖度から拒んでいま
すが、これに関する説明はありませんでした。

代わりに、岸田首相は、各国の政治リーダー経験者らを集めた「国際賢人会議」を創設
し、年内に広島で初会合を開催することを表明しています。

しかし、「国際賢人会議」は有識者会議の域を出ず、この会議が核軍縮にどれほど具体
的な成果を上げることができるかは未知数です(『東京新聞』2022年1月18日)。

さらに『北海道新聞』は、首相が「森・加計」「桜を見る会」など前政権の「負の遺産」
についても逃げていることを批判しています。

そして、多くの国民が関心をもっている「分配」の具体策についても、繰り返し成長と分
配の好循環を生み出す、と発言していますが、「分配」の具体策については実現可能で有
効な具体的施策は提示しませんでした。

とりわけ、総裁選立候補時には語っていた、金融所得課税や、富裕層や企業に対する優遇
税制の見直しなど「分配」の原資として重要な問題からも逃げています。

また、演説のスタイルは、菅前首相と同様、岸田首相の演説も、官僚が作成したと思われ
る文書を棒読みし、国民に訴えるという熱意に欠けていたと感じました。

さて、私の個人的には、いくつかの論点に関心がありましたが、その一つは「新しい資本
主義」でした。

首相が語った「新しい資本主義」とは、一言でいえば「新自由主義」ではない、資本主義
のことのようです。この部分を抜き書きすると、以下のような文章になります。
    市場に依存しすぎたことで幸平な分配が行われず生じた、格差や貧困の拡大。市
    場や競争の効率性を重視し過ぎたことによる、中長期的投資の不足、そして持続
    可能性の喪失。行き過ぎた集中によって生じた、都市と地方の格差。
    自然に負荷をかけ過ぎたことによって深刻化した、気候変動問題、分厚い中間層
    の衰退がもたらした、健全な民主主義の危機。・・・・
    私は、成長と分配の好循環による「新しい資本主義」によって、この世界の動き
    を主導していきます。

首相は演説で、資本主義の変革に向けて「世界の動きを主導する」と宣言しました。しか
し、その内容をみると、はなはだ心もとない感じです。

成長戦略としてデジタル化や脱炭素の実現に向けた展望を語ったものの、肝心の分配策は、
柱に据える賃上げを優遇税制などで企業に促すしかないのが現状です。

しかし、首相の演説のどころ探しても、それでは「新しい資本主義」とは何か、という根
本的な概念の説明や定義はありません。

『北海道新聞』の社説が指摘しているように、「そもそも資本主義の見直しは世界の潮流
になっている。グランドデザインさえ描けていないのでは、周回遅れの感は否めない」。

岸田首相の施政方針演説には、成長と分配の好循環という言葉は繰り返し出てきますが、
ではそれをどのようにして達成するのかは、最後まで明らかにしていません。

つまり、新しい資本主義は、新自由主義ではなく、成長と分配の好循環による「新しい
資本主義」としています。

しかし、よく読むと、「新しい資本主義」の中身を説明するために、成長と分配の好循
環によってもたらされる、としていますが、それではその好循環はどのようにしもたら
されるのかの具体的方策は示されていません。

「成長と分配の好循環」という文言は、成長する産業や企業の利益が、やがて中小企業
は労働者にも「したたり落ちる」、トリクルダウンする、というアベノミクスの謳い文
句でしたが、9年間で、トリクルダウンは起きませんでした。

もし、新味があるとすれば、
    過度の効率性重視による市場の失敗、持続可能性の欠如、富める国と富まざる
    国の経済格差など、資本主義の負の側面が凝縮しているのが気候変動であり、
    新しい資本主義によって克服すべき最大の課題でもあります。

ここでも、資本主義の負の側面が凝縮しているのが気候変動で、それを克服するのが
「新しい資本主義」だ、と同じフレーズが繰り返されます。

しかし、そもそも「新しい資本主義」とは何か、が定義も例示も示されていないので、
どうしたらそれが可能なのか具体策は立てようがありません。

もう一つ、“過度の効率性重視による「市場の失敗」”という表現です。「市場の失敗」
という言葉は経済学ではおなじみの概念で、それは市場メカニズムが働いていても、
経済的な効率的配分(パレート最適)が達成されない状況、と定義されます。

現代の日本経済の「市場の失敗」は、過度の効率性重視の結果なのでしょうか?首相
は、この概念と現代日本経済との関係を十分理解した上で、このような表現を使った
のでしょうか?

誤解を恐れずに言えば、「新しい資本主義」も「市場の失敗」も、取り巻きのエコノ
ミストや官僚、あるいは電通のような広告代理店が首相に進言したキャッチコピーに
すぎないのではないか、というのが私の率直な印象です。

最後に、私自身が深くかかわっている農業問題について触れておきたいと思います。

首相は農林水産業に関する方針に対してはごく簡単に触れているだけです。その方針
は、輸出の促進と、スマート化(IT化)による生産性向上により成長産業化を進め
る一方、家族農業や中山間地域農業を含め、多様な農林漁業者が安心して生産できる
豊かな産業を構築できるよう取り組む、というものです。

前半の部分はその通りで、現在ではITを組み込んだ農業が脚光を浴びていますが、
短期的にはどうあれ、長期的に果たして経営が成り立つかどうかは分かりません。

そして、家族農業についていえば、すでに2014年から実施された国連のテーマで、後
に2019~2128まで「家族農業の10年」として、日本を含む104ヵ国が賛同して、
現在進行中です。つまり、かなり以前から政策として採用されてきているのです。

これは、これまで非効率、時代遅れ、儲からないとされてきた、小規模の家族農業の
重要性を再評価すべき、という考えが世界的に認知されたという事情があります。

国連の方針の背後には、家族農業はITとも輸出とも関係なく、それでも世界の食料
生産の8割を占めている、という現実があります。

日本における中山間地地域の農業の促進は、言うは易しく実行は困難簡単ではありま
せん。何より中山間地の土地の多くは傾斜地で、農地の土地の集積と機械化やIT化
による生産性の向上が困難です(注1)。

岸田首相は、日本農業の実態についてどれほど深く理解しているのでしょうか。

私の印象では、言及しているのはごくわずかであることから推察すると、「一応、触
れておいたからね」という、選挙向けに農家へのリップサービス程度の認識にしか見
えません。

農林水産物の輸出促進はいいとして、私が気になるのは、現在カロリーベースで60
%以上の食料を輸入に依存している現状を首相はどのように考え、これからどうして
ゆくのかについて何の言及もなかったことです。

気候変動などで食料が世界的に不足した場合、日本の国民の食料は大丈夫なのでしょ
うか。敵基地攻撃能力の保持を強調するだけでなく、日本国民の食料を確保する食料
安全保障も重要な課題だと思います。

               (注)
(注1)各社のサイトは以下のとおり。(いずれも2021年18日朝刊)
『北海道新聞』https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/634497?rct=c_editorial
『福井新聞』https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1475963
『愛媛新聞』https://www.ehime-np.co.jp/online/editorial/
『西日本新聞』https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/862908/
『佐賀新聞』https://www.saga-s.co.jp/articles/-/798074
『朝日新聞』https://www.asahi.com/articles/DA3S15070670.html
 『東京新聞』https://www.tokyo-np.co.jp/article/147298

(注2)FFPJ https://www.ffpj.org/decade-of-family-farming

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岸田新内閣―「新しい資本主義」か「新しいアベノミクス」か―

2021-12-16 08:15:55 | 政治
岸田新内閣―「新しい資本主義」か「新しいアベノミクス」か―

岸田内閣が発足して所信表明演説が、12月6日に行われました。

所信表明演説は、新内閣が発足した時に、首相が自分の政治理念や、この国のリーダーとして
日本をどんな国にしたいのか、あるいはどんな社会を目指すのか、を国民に説明する場です。

首相就任前の総裁選のころは、分配を重視し、新自由主義ではなく「新しい資本主義」を目指
す、と強調していたので、この所信表明でどんなことを言うのか、かなり期待していました。

しかし、9000字にも及ぶ、歴代の首相の所信表明演説よりはるかに長い演説でしたが、中
身をみると、日本が直面する問題を延々と挙げただけでした。

率直な感想を言えば、新型コロナウイス対策、景気回復、社会保障、外交、安全保障などの分
野で現在の日本が抱えている問題を網羅的に羅列しているだけで、そこには、岸田氏の芯とな
る理念や熱意が感じられませんでした。

翌日の『東京新聞』の社説で、「理念・熱意が見えない」というタイトルでこの演説を総括し
ているのもうなずけます。その社説は、次のように書いています。

    新味も熱意も感じられなかったのは、首相がそうした政策で社会をどう変え、どん
    な未来を目指しているのか、具体像を示すにいたっていないからではないか。

私も全く同感です。付け加えるなら、首相の言葉に本気度を感じませんでした。

率直に言ってしまうと、キャッチコピーは、自民党御用達の電通が考え、各分野の問題にたい
しては官僚が手分けして書いた作文を合わせただけ、という印象です。

私が特に注目したのは、「新しい資本主義」の理念と中身、そして外交・安全保障の方針でし
たが、この二つの問題については、残念ながら失望しました。

「新しい資本主義」についていえば、世界の経済学者、歴史家、哲学者、企業家など、ありと
あらゆる人たちが、ここ5年間くらい、現在の資本主義の問題と将来について議論を重ねてき
ています。それだけ、これは現代世界が抱えた大問題なのです。

現代の資本主義の将来というのはそれだけ重く、本質的な問題なのです。

その一部は、NHKBSで「欲望の資本主義」というタイトルのシリーズで放送してきました。

私も、これらの議論は2017年からずっとフォローしてきたので、特別な思い入れがあります。

そこで議論されている内容を考えると、岸田首相が口にする「新しい資本主義」という言葉が
ただただ空疎に響きました。

今や「新しい資本主義」は岸田内閣の看板政策になっていますが、その中身を見ると、これま
での新自由主義的資本主義では格差と貧困が拡大してきたので、「成長と分配の好循環」を作
り出すとしか言っていません。

しかも、この「成長と分配の好循環」というフレーズは安倍内閣のキャッチコピーで、それを
そのまま使い回しています。

しかし安倍政権時代も、賃上げを企業に要請してきましたが、それに応じた企業はほとんどな
く、この9年間ほど実質賃金は長期下落傾向にあり、格差と貧困とデフレ状態も続いています。

そこには、根本的な問題があるからです。安倍政権の時も、岸田首相も、「成長と分配」とい
うとき、何よりもまず「成長」があって初めて「分配」ができる、という思考の罠から抜け出
せないからです。

安倍前首相は、その「成長」をもたらすのがアベノミクスだといってきたし、それなりの具体
的な政策を実施してきました。たとえば「異次元の金融緩和」「機動的な財政政策」などです。
一言でいえば、新自由主義的な発想です。

アベノミクスにより、株価が上がり、ごく一握りの人は、株や金融取引で巨額の利益を得まし
たが、大部分の日本人にとっては何の関係もありませんでした。

その結果が「格差と貧困」であることは、岸田首相も分かっているからこそ、従来の資本主義
とは違う「新しい資本主義」という言葉を使って、なんどか「新しさ」を演出しようとしてい
ますが、中身をみると、アベノミクスとどこが違うのか分かりません。

自民党の議員ですら、「新しい資本主義」とは何か、分からない、と正直に言っています。

私は、「新しい資本主義」というのはたんなるキャッチコピーで、内容は「新しいアベノミク
ス」と言ったほうが事実に合っているのではないか、と思います。

岸田首相は、総裁選のころは、安倍内閣のアベノミクスで拡大した格差と貧困を解消するため
に、「分配」を重視すると言ってきました。その財源として金融所得課税についても言及して
きましたが、いまはすっかり影をひそめてしまいました。

そして、国民に希望をもたせるためか、「令和版所得倍増計画」という仰々しいキャッチコピ
ーも登場しましたが、所信表明演説では、このことに全く触れていません。

もし、本気で分配の財源を見出そうとするなら、金融所得課税、今まで一貫して下げてきた法
人税を元に戻す、富裕層への課税にたいする累進性を以前のように高める、そして大きいのは
450兆円以上に積み上がっている内部留保への課税です。

企業は利益が出ても、それを内部留保金として貯め込んでしまい、働いている社員に分配する
のではなく、他方で新たな技術開発などへの投資も行っていません。

このため、労働者の賃金は上がらず、当然のことながら消費も伸びず、「成長と分配の好循環」
は生まれません。実は、日本の実質賃金はもう韓国よりも低いのです。

そして、企業は投資も行わないので、新しい成長産業も生まれず、したがって新たな雇用も生
まれません。

こうしたことが、日本経済の「好循環」とは逆のマイナスの「悪循環」となって日本経済を長
期低迷と、国際的に見ると長期低落へ追い込んでいるのです。

首相の本気度がどれほどかは分かりませんが、首相は10月15日で「新しい資本主義実現会
議」を設置することを閣議決定し、10月26日、11月8日、11月26日に全3回の会議
が行われました。

その内容は内閣官房ホームページで見ることができます(注1)が、この3回の会議の個別的
な報告は分かりますが、全体としてどのような方向性が打ち出されたのかは分かりません。今
のところ、言いっ放しの状態にあります。

現在は、引き続いて岸田首相が議長を務める同名の会議が開催されることになっており、全体
像と実行計画を来春にまとめることになっています。

どんな人がこの会議のメンバーになるのか分かりませんが、いわゆる”御用学者“を集めた形式
的な会議にすることなく、議長である首相が熱意と本気度をもって、国民に説得力のある「新
しい資本主義」の姿を見せて欲しいと思います。

現在、世界の潮流として、格差の是正、気候変動(温暖化)対策、そして気候変動対策と資本
主義経済との整合性をどうするのか、が大きな問題として議論されています。

もし、岸田内閣が、こうした問題で世界に向かって訴えることができる素晴らしい方向性を打
ち出すことができれば、それは、国際社会への大きな貢献となります。

岸田首相は、たとえキャッチコピーにせよ、「新しい資本主義」という言葉をくちにしたので
すから、それが「新しいアベノミクス」にならないよう切に希望します。

(注1)https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/index.html
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
イチョウのような落葉樹は、冬に向かって一斉に葉を落とし地面を黄色に         そして、すっかり葉を落とした木は、葉という衣を脱ぎ捨てて、その本体を現す 
 


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検証「岸田首相」(2)―アベノミクスを継承する「成長と分配」―

2021-10-22 15:17:43 | 政治
検証「岸田首相」(2)―アベノミクスを継承する「成長と分配」論―

岸田首相は、総裁選に立候補した時から、安倍・菅政権との違い、そして場合によっては
これを否定して岸田色を出そうとしてきました。

たとえば、当初、モリ・カケ・桜の問題に関して、多くの国民がまだ十分に説明されてい
ないと考えているとしたら再度調べる、とまで踏み込んでいました。

しかし、これは、あっという間に引っ込められてしまいました。もちろん、安倍元首相へ
の忖度と、安倍氏からのしっぺ返しを恐れたからです。

そのほかにも、前回見たように、総裁選で主張していた看板政策、1.令和所得倍増、
2.金融所得課税の強化、3.子育て世帯への住居・教育費支援 4.健康危機管理庁の
創設 5.党改革(役員任期 連続3期まで)などは、高市政調会長が主導して作成され
た選挙公約では全て削除されています。

ここまで変節してしまうと、岸田首相は安倍・菅政権との違いが消えてしまいます。

そこで岸田首相は、成長と分配の好循環を通じて経済を活性化する「新しい資本主義」
という「言葉」を繰り返し発するようになっています。

ここで「言葉」と言ったのは、岸田氏が、「新しい資本主義」という言葉にどれほど深
い意味内容を込めているのか疑問だからです。「言葉」だけの問題かもしれません。

これは、新自由主義(市場原理主義)が、全世界的に貧富の格差を拡大し、社会に分断
を生じさえていることを考えると、岸田首相が分配に注目した「新しい資本主義」とい
う方向性は間違いではありません。

そもそも、日本においては、第一次小泉純一郎内閣の時代に、竹中平蔵氏の下で、民営
化(代表的な事案は郵政民営化)、市場原理主義、個人責任などの新自由主義政策が大
々的に推進されました。

新自由主義の信奉者である竹中氏は、2002年(平成14年)に経済財政政策担当大臣と
して、金融担当大臣も兼任して以来、安倍・菅政権の終わりまで、日本における新自由
主義政策を主導してきました。

その結果、日本社会に貧富の格差が拡大し、本来なら社会の中枢を担う中産階層が没落
し、貧困層、とりわけ非正規労働者と一人親世帯の貧困化が顕著になってきました。

今回の総選挙で自民党も、野党の立憲民主党も、“分厚い”中産階層の復活を謳っている
のは理由がないわけではありません。

「成長と分配」に関して岸田首相は当初、どちらが優先するとも明言していませんでし
たが、選挙戦に突入するこころには、はっきりと「成長なくして分配なし」、つまり成
長こそがカギになると言うようになりました。

安倍前首相は2016年の施政方針演説で「成長と分配の好循環を作り上げてまいります」
と謳っていました(『東京新聞』2021.10.9)。今回、岸田首相は安倍首相とまったく
同じフレーズを繰り返し語っています。

安倍首相の場合の戦略は、周知の「アベノミクス」で、「三本の矢」つまり、①「金融
緩和」②「機動的な財政出動」③「成長戦略」を通して、経済成長を作り出し、その果
実は大企業や富裕層から徐々に下に「滴り落ちる」(トリクルダウン)ことになってい
ました。

しかし、実際には、政府が最大の購入者となって株価を押し上げた以外、国としての経
済成長は達成できず、成長の果実が個人に「滴り落ちる」ことはありませんでした。

つまり、アベノミクスは失敗したのです。

このことを意識して、岸田首相は、昨年9月『岸田ビジョン』(講談社)という本を出版
しました。そこで、「未来永劫『アベノミクス』でいいのか」と疑問を提起しています。

そして、「利益を上げることはもちろん大切ですが、それをどう公平に分配し、持続可能
な発展につなげてゆくかがより大切」「中間層を産み支える政策、社会全体の富の再分配
を促す政策が必要」と説いています(注1)

では今回、岸田首相は、まず分けるべき経済のパイを「成長」させるために、どのような
戦略を立てているのでしょうか?

今回の岸田政権の選挙公約の大項目の2に、「金融緩和」「機動的な財政出動」「成長戦
略」を総動員し、経済を立て直し、「成長」軌道に乗せる、とあります。

これは、紛れもなくアベノミクスの「三本の矢」と全く同じ、まるで「コピペ」です。

おそらく、岸田氏としても、何か安倍元首相との違いを見せたかったのですが、その具体
的なアイディアが出てこなかったのでしょう。

安倍政権以降、経済成長は止まったままで、昨年からのコロナ禍で、非正規の労働者や
子どもを抱えた一人親世帯の母親は、十分な社会的補償や救済もないまま休職させられた
り解雇されたりしています。

岸田首相は、なぜ、「アベノミクス」によって成長も分配もうまくゆかなかったのか、な
ぜ「好循環」が起こらなかったかを真剣に検証しないまま、標語のように「三本の矢」を
並べています。

もし、岸田朱書すが、アベノミクスを踏襲して「成長」を達成できなければ「分配」も起
こらないことになります。岸田首相には、同じ「3本の矢」でも、自分がやれば成長を達成
できる、という自信があるのでしょうか?

分配の方法に関して、自民党の公約は次のように書いています。

「労働分配率の向上」に向けて、賃上げに積極的な企業への税制支援を行う▽下請け取引
に対する監督体制を強化
    
「全世代の安心感」を創出する
 「待機機児童の減少」「病児保育の拡充」「児童手当の強化」を目指す▽ベビーシッター
 や家政士を利用しやすい経済支援を行う▽看護師、介護職員、幼稚園教諭、保育士をはじ
 め、賃金の原資が公的に決まる方々の所得向上に向け、公的価格のあり方を抜本的に見直
 す

前段の、労働分配率の向上に関しては、安倍政権時代にも、首相が自ら企業に賃上げを要請
するなど、「官製春闘」と揶揄されたパフォーマンスが行われましたが、現実にはほとんど
効果はありませんでした。

しかも、賃上げができるのは、大企業だけで、その税制の特典を受けられるのも大企業だけ
です。

全企業数の99.7%を占める中小企業の大部分は、存立さえもが危ぶまれる状態ですから、賃
上げの余裕はありませんし、税制面
の特典は受けられません。

後段の「全世代の安心感」に関して、これらの人たちの賃上げや待遇改善は当然ですが、彼
らにどれほどの経済支援が国から与えられるのか疑問です。

もっと深刻で大切な問題は、安倍政権下で積極的に推進された非正規雇用の採用のため、今
では全労働者の40%(2200万人ほど)が非正規雇用となっています。

非正規の人びとは、定期昇給も、失業保険も、厚生年金も、退職金もなく、企業は解雇自由、
という不安定でかつ低賃金の状態に置かれています。

もし、岸田首相が本気で“分厚い中間層”の創出を言うなら、これらの非正規労働者を、まず
は正規労働者と同等の待遇する法整備をすべきでしょう。それなくして、「分厚い中間層」
は決して生まれません。

さらに、もし分配の問題をいうなら、富裕層の金融利益に対する課税強化、所得税の累進性
強化などを真剣に考えるべきでしょう。これらこそが分配の財源なのです。

そして、巨額の利益産んでいる大企業が、法人税を払っていない、という現実も是正する必
要があります。

たとえばソフトバンクは2018年度に1兆390億円の純利益を上げていますが、法人税は、
なんと「ゼロ円」です(注2)

同様に、2015年の3月期に2兆円の利益を上げたトヨタは2009年から13年の5年間、一度
も法人税を払っていません(注3)

これらの企業は合法的に会計処理を行っており、違法ではありません。これらの2社だけで
なく、大企業は多くの法律家や会計士を雇って、合法的な租税回避を行っているのです。

利益を労働者に分配せずに、課税対象外の社内留保金として貯めておく方法もその一つです。
今では、その額日本全体で480兆円をはるかに超える額に達しています。

終わりに、岸田氏が今年6月に結成した「新たな資本主義を創る議員連盟」には、安倍、麻
生両氏が最高顧問に就任し、安倍氏の盟友である甘利幹事長も名を連ねていることを見ても、
これが安倍政権の継承連盟であるこが分かります。

以上を考えると、岸田政権は、やはり「第三次安倍・菅政権」の感が強くあります。

(注1)私は、この本を直接読んでいません。ここでの記述は『東京新聞』(2021年10月9日からの引用です。
(注2)Gendai・ismedia (2019年9月30日) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67498
(注3)MAG2NEWS (2015.16) https://www.mag2.com/p/news/21051


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総裁選にみる自民党の経済戦略―成長が先か分配が先か―

2021-09-21 09:42:35 | 政治
総裁選にみる自民党の経済戦略―成長が先か分配が先か―

自民党の総裁選挙がたけなわで、毎日、テレビでは立候補者4人の合同記者会見や討論会
の様子が報道されています。まるで、自民党にテレビジャックされたようです。

記者会見の内容は、党改革、外交、経済政策、エネルギー政策(特に原発問題)、女系天
皇の是非、夫婦別姓、同性婚、少子化問題、そして「モリカケ、桜」問題への対応などな
ど、多方面にわたっています。

これらは、いずれも重要な問題ではありますが、その背後にある大きな問題は、自民党は
「安倍・菅体制」を継承するのか決別するのか、の選択です。

「安倍・菅体制」と言った場合、二つの側面があります。一つは、「モリカケ・桜」問題
で、実はこれが今回の総裁選の影の主要テーマです。

安倍首相の在任期間中に発生した「モリカケ・桜」問題とは、近親者優遇と公文書改ざん
がまかり通るような政治は許されるのか、許されないのか、という現実的な問題です。

安倍元首相は、この問題が再燃して最調査されることを何よりも恐れています。というの
は、これまで行ってきたことを説明できないことはご本人が一番よく知っているからです。

安倍氏は、自民党内で最大派閥である細田派の実質的な領袖です。これは、大きな議員票
をもっていることを意味し、総裁選の立候補者に暗黙の圧力となっています。

このため、モリカケ・桜問題を再調査するか否か、という質問にたいして野田候補を除い
て、他の3人は再調査の必要なし、と答えています。

岸田氏にいたっては、当初は最調査の必要も口にしていましたが、明らかに安倍氏への配
慮から急速に“必要なし”に変更しています。

ここでも、今回の総裁選では、安倍氏への「忖度」と妥協が目に余ります。

「安倍・菅体制」のもう一つの側面は、基本戦略です。安倍・菅政権の基本姿勢は、国内
政策では経済成長重視、外交はアメリカへの過剰な追従、イデオロギー的には日本ナショ
ナリズムへの傾斜などです。

その中で今回は経済戦略に注目したいと思います。

私たちが日々実感しているのは、日本経済は元気がない、停滞、じり貧など、決して明る
い姿ではありません。

かつて、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”とはやし立てられたのは、過去に一瞬味わった
夢物語だったのでしょうか。

実際、現在の日本経済はG7の先進七か国の中では、ダントツに低い経済成長率です。

たとえば、日本の実質所得も一貫して下がり続けており、その水準もG7中最低で、現在
は韓国よりも低くなっています。もはや、先進国というより、開発途上国と言った方が正
確に言い表しています。

これについてはこのブログで7月5日と12日の2回にわたって“日本は「安い国」?”と
いうタイトルで書きました。

こうした現実に、日本のかじ取りを担うであろう自民党の総裁は、どのような展望をもっ
ているかを注視していました。

自民党の経済政策の基本は、小泉政権以来、新自由主義で、これは企業の自由競争を最大
限重視し、国はできる限り介入しない考え方で、強い者が生き残る、「弱肉強食」の考え
方です。一連の民営化がその端的な例です。

ここでは競争に負けた企業は、敗者として社会から排除されたり、個人でいえば貧困に陥
る。どちらにしても格差を生み出しますが、それを当然のこととします。

小泉元首相は国会で、こうした政策で格差が生ずるのは仕方がない、と明言しています。

新自由主義のもう一つの特徴は、経済成長重視です。今回の4人の候補者による記者会見
で明らかになったことは、自民党は今までと変わらず、成長重視を金科玉条のごとく信じ
ている、という点です。

4人の中では唯一、岸田候補が新自由主義の否定と分配の問題に触れていました。これを
聞いた時、自民党内から初めて新自由主義の否定、分配の重視という方針を聞き、ちょっ
と驚きました。

しかし、その中身を聞いて、がっかりしました。というのも、彼の考えは、成長を果たし
たうえではじめて、その果実の一部を分配に回わす、というものです。

ここでは、まずは成長が大事で、成長こそが分配を増やす元になる、経済が成長すれば、
国民の低所得層にも順次その果実が「したたり落ちてくる」、という、今では死語に近い、
「トリクルダウン」という昔の考えであったことが明らかになりました。

しかし、世界の潮流は、岸田氏の主張や自民党の考えかたは逆です。

自民党は常に、成長戦略を口にし、野党には成長戦略がない、と攻撃してきました。しか
し、その成長をもたらすアプローチが的外れというか逆です。

新自由主義政策とグローバリズムの進行によって、国際的には富裕国と貧困国、国内では
一部の超富裕層と大多数の貧困層(貧困層に転落した中間層も含む)との格差がますます
拡大しています。

現代の世界的な経済の停滞は、貧困者の所得が上がらないから購買力が伸びず、その結果、
経済が回らないために生じている、という考え方です。

したがって、北欧の一部の国で実験が行われているように、生活に最低限必要なお金を国
が与えてしまいましょう、というベーシック・インカムという考え方台頭しつつあります。

この背後には、多くの人が一定の所得を持てば、その人たちは物やサービスを買うから、
そこで需要が生まれ、経済の好循環が始まる、という考え方があります。

経済成長があって、はじめて富の分配を行う、考えの全く逆です。

翻って、日本はどうでしょうか? トリクルダウンという言葉だけは浸透しましたが、い
つまでたっても大部分の国民にとって、富が上から「したたり落ちる」ように所得は増え
えてきません。

それどころか、国民の大部分の実質賃金は、ここ20年間、減り続けているのです。それ
は、購買力の低下となって、景気の停滞の悪循環を固定化してしまっています。

それでは、国民が一生懸命働いて生み出した富はどこへいってしまったのでしょうか?

実は、利益を上げている企業は内部留保という形で、労働者に賃金という形で分配しない
で、貯金のようにため込んでしまっているのです。

その額は、2019年度では、475兆円を超えており、これはGDP500兆円に匹敵
する額です。

これでは働く人の賃金は上がらないし、消費も伸びず、経済は回ってゆきません。

現在の自民党の成長戦略は、安倍政権時代の武器輸出、原発輸出、金融緩和、機動的な財
政出動などしかありません。

しかも、これらの成長戦略は、これまでのところ何ひとつ、実際に成長をもたらしたもの
はありませんし、まして、国民に経済成長の成果が「したたり落ちる」ことはありません
でした。

その一方で、今回のパンデミックでは、マスクも自給できず、台湾や韓国がいち早く自国
のワクチンを開発して使っているのに、日本は輸入に頼っています。

今回のパンデミックで、ファイザー、モデルナ、アストラゼネカなどの欧米のワクチン供
給会社は莫大な利益を上げ、治療薬ではクラクソスミソクラインやロッシュなどの薬品メ
ーカーも同様に大きな利益を上げるでしょう。

本来なら、このような分野にこそ国を挙げて投資することが、真の成長戦略のはずなので
すが、国も企業もその基になる基礎研究にはあまり投資してきませんでした。

こうして日本は、ワクチン獲得競争に敗れ、「ワクチン敗戦」を経験して、次は治療薬で
も後れをとっています。

いずれにしても、安倍・菅体制の経済政策は、10年も20年も昔のままで、残念ながら、
自民党はそのことにさえ気づいていません。

少子化を前にして、政府は年金の受給開始年代を引き上げ、給付金を減らし、消費税を上
げるなど、国民の購買力ますます奪うことしか考えていないようです。

繰り返しますが、経済成長の原動力は、まず国民への分配を増やし、有効需要を増やすこ
とです。

これと全く同じことを9月21日のBS・TBS『報道1930』に出演した立憲民主党
党首の枝野氏が言っていたのを聞いて、すこしだけ光を感じました。

自民党に、誰か日本の将来を見据えた。しっかりとした見識をもった知恵者がいないのだ
ろうか?今回の総裁選の立候補者の見解を聞いて、このまままでは、次期内閣も、安倍・
菅継承内閣になってしまうのではないか、と暗澹たる気持ちになりました。



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菅首相 突然の退陣―”みたこともない無残な退陣劇”―

2021-09-14 06:32:27 | 政治
菅首相 突然の退陣―”みたこともない無残な退陣劇”―

菅首相は9月3日、突如、次期自民党総裁選に立候補しないことを宣言しました。事実上
の退陣宣言です。

退陣の理由は、選挙とコロナ対策は両立できない、コロナ対策に「専任」するため、とい
うことでした(テレビ画面では、忖度したのか、「専念」と表示していましたが)。

しかしこれは誰が聞いても嘘だと分かる表向きの理由にすぎません。実体は、権力維持の
試みが全て失敗し、進退極まっての退陣、将棋でいえば「雪隠詰め」という状態での不本
意な退陣であることは明らかです。

普段は政権寄りの『日本経済新聞』でさえ、今回の退陣を、首相の権力を封じられたため
の、“見たことのない無残な菅義偉首相の退陣劇である”と表現しています。

ここで「首相の権力」とは衆議院の解散権と、閣僚・党役員の人事権の二つを指します。

このうち解散権は「伝家の宝刀」と言われますが、これを自分の権力延命、つまり自民党
総裁でいるための「私」「個」のために抜くのは、一線を越えた禁じ手だったのです(注1)。

他方菅首相は、閣僚と党の役職の人事を刷新して衆議院議院を解散して総選挙を行ない、
その後で総裁選を行う、というプランを構想していました。

このプランが明るみにでると、自民党の若手も長老も驚愕しました。菅首相を自民党の「顔」
として総選挙を行えば、自民党は惨敗し、政権交代もあり得る、と感じたからです。

直近の世論調査では、菅内閣の支持率は危険水位に達し、最も低い『毎日新聞』が26%、
その他の『読売』『産経』『日経新聞』は30数パーセントでしたから、他の自民党議員が
危機感をもったのは当然です。

とりわけ当選回数が3回以下の若手の自民党議員は、目前に迫った総選挙で菅首相を自民党
の「顔」として戦うことに強い不安を抱いていました。

そこで、あわてた、安倍氏や麻生氏などの自民党の領袖や若手は総出で解散を止めにかかり
ました。言わば自民党総出で後ろから菅首相を羽交い絞めにしたのです。

一方、政権の新しい党の役員と閣僚人事に関して、二階氏を幹事長から外すことは何とかで
きましたが、閣僚に関してはだれも受け手がなく、これもあえなく挫折していまいました。

こうして、首相の専権事項とされる解散権と人事権を封殺された菅首相は、まさに進退極ま
った状況に追い込まれてしまいました。

ついに、菅首相は麻生太郎副総理と官邸で面会した際、「正直、しんどい」と、気力がなく
なったことを漏らしていたという。これが“見たことのない無残な菅義偉首相の退陣劇”の中
身なのです。

以上は自民党という限られた世界からみた菅首相の退陣劇ですが、菅首相を退陣に追い込ん
だ本当の原因は、低い支持率に現れている国民が菅首相に対する強い不信だったと思います。
その経緯をざっと振り返ってみましょう。

まず、国民は官房長官時代、安倍首相の「モリカケ」問題と、「桜を見る会」に関連した疑
惑にたいする国会での追求にたいしてまともに答えない不誠実な光景をずっと見てきました。

続いて、就任間もない昨年の10月、学術会議の会員候補6人の任命を、最後まで理由を説
明しないまま、「俯瞰的にみて」という言葉を繰り返すだけ拒否し続けました。

コロナ禍への対応が後手に回わり、多くの国民は菅首相のリーダーとしての資質に疑問と不
信感を感じたと思います。

昨年の秋以降、いわゆる「Go To トラベル」と「Go To イート」がコロナの感染を拡散する
可能性を専門家から指摘されながらも、そのエビデンスはない、との一点張りで、耳を貸そ
うともしませんでした。

これらの景気刺激策は、年末まで続けられ、首都圏から全国にウイルスを拡散させてしまい
ました。そして、年末から1月には全国的に感染爆破が起きました。

感染爆発に直面してようやく1月8日に二回目の緊急実体宣言を発出しますが、その時はす
でに、手が付けられないほど感染の火の手は広がっていたのです。明らかに後手に回ってい
るのです。

その後も、少し落ち着くと規制を緩め、感染者が増えるとまた緊急事態宣言、あるいは「ま
ん延防止等重点措置」を発出しての繰り返しで、多くの国民は政府のメッセージを真剣に受
け取る雰囲気はなくなってゆきます。

菅首相は、緊急事態宣言下の東京オリンピックの開催に国民の7割近くが反対していたのに、
開催に執念を燃やし、実施しました。専門家や国民の不安を無視して、「安心安全」という
言葉を繰り返すだけでした。

一方で不要不急の外出を国民に要請しているのに、オリ・パラという一大祝祭を強行する、
という矛盾したメッセージを出し続けました。

今は反対でも、一旦始まってしまえば、日本人はオリ・パラに熱中し、政府の支持率も上昇
するものと、高をくくっていました。

確かにオリ・パラで国民は盛り上がりましたが、そのことが菅首相の支持を高めたかと言え
ば、期待に反して一貫して下降し続けました。

そして、事前に危惧されたとおり感染者も激増し、7月23日に東京オリンピックが開幕して
から 9月8日の閉幕式まで、日本の新型コロナウイルスによる一日の新規感染者数は3.4倍に
増加してしまいました。

ここでも菅首相の思惑はすっかり外れてしまいました。

菅首相が最後に頼りにしたのはワクチンでした。とにかくワクチン接種さえ進めば、やがて
コロナも収まり、政権批判も弱まって国民的支持が広がるだろうと期待していました。

このため、1日100万回の接種を各自治体にあらゆるルートや方法を駆使して圧力をかけ
て接種を進めてきました。そのかいあって、確かに、接種率は急速に上がってきています。

これを、あたかも菅首相の功績のように言う人もいますが、私はそうは思いません。

今年の春、河野ワクチン担当大臣は、国民すべてが摂取できる量のワクチンを確保した、と
大見栄を切りました。

しかし、この「確保」というのは、実際に現物が日本に到着することではなかったことが間
もなく明らかになりました。

そこで、ごくわずかに到着したワクチンを少数の高齢者に接種し、その映像をテレビで流し
たのですが、実際に少しずつ定期的にワクチンが入るようになったのは連休後しばらく経っ
た後でした。

欧米では昨年末よりワクチン争奪競争が始まり、1月からワクチン接種が始まっていたのに、
日本は数か月遅れてワクチン争奪戦に参戦したため後回しにされてしまったのです。いわゆ
る「ワクチン敗戦」です。

このため、欧米諸国のワクチンの獲得が一段落した後で、ようやく日本にも少しずつ回って
きたというのが実態です。イスラエルは、4回目の接種に備えてワクチン確保の準備を始め
たと報道されています(日経デジタル 2021.9.14)

日本では、二回接種した割合が50%を超えたところですが、欧米ではもうすでに60~80
%に達し、今は三回目の接種に着手しており、そのためのワクチンの争奪戦が行われています。

ワクチン獲得が出遅れたため、今日まで164万人の感染者と1万6800人の死者を出して
しまったことは、菅政権の失政の結果です。

コロナ感染症対策の王道は、まず初動で徹底的な検査(PCR)検査によって感染者を見つけ
出して医療の監視の下で隔離して治療することと、ワクチン接種を進めることです。

しかし、政府のコロナ対策では、これらが有機的組み合わされて有効に働いていません。

オリ・パラもワクチンも菅政権の政権浮揚には全く貢献しませんでした。

私は、菅首相の国会で野党の質問に対して誠実に答えない点、官僚が書いた答弁文書を棒読みす
るだけで自分の言葉で正々堂々と説明しない点、など一国のリーダーとしての資質を欠いている
と感じていました。

こうした背景があるからなのか、菅首相が国会など公の場で話す時、正面を見ないで右下に視線
をむけたぼそぼそと話します。

私には、菅首相の目に生気がなくうつろな印象を受けてしまいます。今年の3月、俳優の中尾彬
氏は、首相の「目が死んでいる」と痛烈に批判し、その後もインターネト上でどうようのコメン
トが寄せられています(注2)。

法政大学の上西充子教授が指摘していうように、話す内容も論理的でない受け答えで、大変失礼
ながら「首相の器ではない」と言わざるを得ません(注3)。

総じて、菅首相は、日本をどんな国にしたいのか、といった哲学や思想はなく、ただ権力を持
ち、行使する執念だけが強い政治家だったような気がします。

                 
                    注
(注1)『日経新聞』電子版(2021年9月11日 4:00) 
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD085N80Y1A900C2000000/?n_cid=NMAIL007_20210911_A&unlock=1
(注2)『ガジェット通信』(2021/03/03 03:00)https://getnews.jp/archives/2954666
(注3)『毎日新聞』デジタル 毎日新聞2020年11月29日 05時00分(最終更新 11月29日 05時07分)
 https://mainichi.jp/articles/20201128/k00/00m/010/222000c

(注2)『東スポ WEB』(8/12(木) 11:45配信)
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3516823/ 


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日本学術会議問題にみる菅首相の本性(3)―全能感と「民主主義の壊し方」―

2020-10-27 20:18:22 | 政治
日本学術会議問題にみる菅首相の本性(3)
―全能感と「民主主義の壊し方」―

前2回に引き続き、今回も日本学術会議が推薦した105人のうち菅首相が6人の任
命を拒否した問題について検討します。

拒否に対する批判は、すでに多くのメディアで報じられていますし、私自身の見解も
示してきましたので繰り返しませんが、次の3点だけは指摘しておきます。

一つは、政府側には会議の会員資格についてそれぞれの学問領域に関する専門知識が
ないので、その知識と業績を根拠に推薦された人物の適否を判断することはできない、
という原理的・根本的な事情があります。だから、これまでは、会議が推薦してきた
科学者・学者をそのまま受け容れてきたのです。

もし、政府が学術的な条件以外で推薦された人物の任命を拒否するなら、その理由を
示す必要があります。前回引用したように、拒否の理由は誰が見てもこれまでの政権
批判しかないので、菅首相は「除外理由 言えるわけない」ということになるのです。

二つは、任命を拒否された一人、早大法学院学術院の岡田正則教授が指摘しているよ
うに、「学術会議」は学者の独立した機関なのに、(菅首相は)官僚組織の延長のよ
うに捉えているのかもしれない」という点です(『東京新聞』2020年10月2日)。

どうやら菅首相は、すべての権力を掌握して、自分に逆らう者は排除して、何でもで
きるという危険な全能感をもっているようです。

三つは、同じく拒否された一人、東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)は、杉田和
博官房副長官があらかじめ名簿から6人を外し、菅首相に説明して6人の除外が決ま
ったことに関して、国民からの負託がない(つまり選挙で選ばれたわけではない 筆
者注)官僚による科学への統制と支配は国民の幸福を増進する道ではない。私は、学
問の自律的な成長と発展こそが、日本の文化と科学の発展をもたらすと信じている。

というメッセージを発表しています(『東京新聞』2020年10月24日)。実際、学
術というのは自由が保障されてはじめて発展するもので、政府が支配したり統制した
りすれば窒息してしまいます。菅首相は、この点がまるっきり分かっていません。

政府は、一方で政府に批判的な学者の排除を行い、他方で、政府の意に沿った研究者
には特別研究助成と行っています。

権力を持った者が科学者を軍事研究に協力させた戦前の日本やヒトラー支配下のドイ
ツをみれば分かるように、両国も膨大な数の犠牲者を出したうえ、最後は惨めな敗北
に終わっています。

また、敗者にはならなかったものの、アメリカにおいて政府の要請に応じて協力した
科学者たちが開発した原爆により日本人は多大な犠牲者を被りました。

日本学術会議の設立趣旨にもあるように、軍事研究、戦争につながる研究は行わない
というのが、学術会議のそして科学者の基本的立場なのです。

しかし、防衛省は2015年より「安全保障技術研究推進制度」を設け、軍事関連の研究
に研究予算をつけ始めました。当初は3億円だった助成金が、2017年には110億円、
その後は101億円で推移しています。

つまり、政府は軍事研究に協力する大学・研究者には多くの助成金を出すというので
す。これは、お金で研究者の選別をし、政府が望む軍事研究をさせようとする恐ろし
い企みです。

任命拒否問題も含めて、安倍政権時代から菅内閣に至る間に、表現の自由に対する規
制や、民主的とは言えない政権運営が行われてきました。

学術会議問題にみられるように、安倍政権下(一次、二次合わせて)の8年半、菅氏
はその大部分の期間に官房長官、つまり黒子として、影の実行部隊長として実質的に
政権を取り仕切ってきました。つまり、安倍政権とは、安倍・菅政権だったのです。

この期間を専修大学教授の山田健太氏は、「巧妙に異論封じた8年半」と表現し、表
現の自由を規制する方策として具体的に4点あげています(『東京新聞』2020年9月
15日)。

一つは、相次ぐ表現規制立法で、特に取材を制約する特定秘密保護法、安保関連法、
「盗聴法」改正、「共謀罪」法、憲法改正手続き法、さらに新型インフルエンザ特措
法、教育基本法なども表現を規制する仕組みを内包している法的措置です。

二つは、忖度社会の完成です。博物館・美術館における展示の中止や差し替え、市民
集会の中止や自治体の講演取り消しが頻発しましたが、これは政府その他の組織から
の圧力を忖度した結果です。また、政権発足当初から一貫して、安倍・菅コンビが放
送局に対してかけ続けてきた圧力は現場にまで浸透し、「政治的公平」という言葉に
よる呪縛にかかってしまっています。

三つは、情報公開の空洞化であり、知る権利の大幅な後退です。森友・加計問題や桜
を見る会、スーダンPKOの日報隠蔽に関する公文書の隠蔽、改竄、破棄は底なし沼の
状況にあります。法やガイドラインを意図的に曲解し、必要な記録を残さないことが
常態化しています。しかも、重要会議ほど正確な記録を残さないという悪習が完成さ
れてしまいました。

四つは、(私はこれがかなり深刻だと思いますが)メディアコントロールの徹底です。
政府によるさまざまな問題を、本来はチェックすべきジャーナリズ活動も、安倍・菅
内閣による巧妙な異論封じ、メディアの峻別の結果大きく後退してしまったことです。
言論の自由が弱いところから浸食され、今や、メディアの最も重要な使命である権力
監視のための批判の自由を奪いかねない段階まできてしまいました。

以上は安倍・菅政権が過去8年半にわたって異論を封じ込め、表現の自由を奪ってき
た過程とその要点です。こうした地ならしを経たうえで、今回、日本学術会議の会員
の任命問題が発生したのです。

これにたいして、『東京新聞』の論説副主幹の豊田洋一氏は、「菅政権と学術会議 
民主主義の『壊し方』」という署名記事を書いています。これは、『東京新聞』の、
この問題に対するスタンスであると考えてさしつかえないでしょう。

豊田氏は、今回の任命拒否に関連する政府側の説明を聞いて『「民主主義の破壊者」
は「民主主義の顔」をしてやってくる』という思いが頭をよぎったという。

どいうことなのでしょうか?豊田氏に倣って、この問題を原点に立ち返ってもう一
度検証してみましょう。

日本学術会議法は、会員は同会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」
と定めており、政府はこれまで国会答弁で、会員任命が「形式的」であると繰り返
し説明してきました。

つまり、首相に裁量の余地があることを認めないのが立法の趣旨であり、国会審議
を通じて確立した法解釈 なのです。
しかし菅首相は、「推薦された方々がそのまま任命されてきた前例を踏襲していい
のか考えてきた」と強弁しましたが、形式的任命は前例ではなく、法律の規定なの
です。

豊田氏は「自らが法を犯している自覚があまりにも乏しい」と断じています。

首相の論拠は、憲法第15条の「公務員を選定し及びこれを罷免することは、国民
固有の権利である」との規定を持ち出して任命拒否を正当化しようとしました。

この考え方は、内閣府に置かれた学術会議事務局が2018年にまとめた内部文書
に基づく、という。

しかし、この内部文書が過去に国会(立法府)で説明され、審議された形跡はあり
ません。ということは、国会の審議を経ないで、政府の内部文書だけで立法趣旨や
法解釈を変更できないのは当然で、首相の任命拒否は法的根拠を欠いています。

これは、「あと出しジャンケン」のようなものです。もし、これが正当だというの
なら、法律の解釈をこっそり変えておきなながら国民にも知らせず国会での審議も
せず、いきなり、「実は2年前に内閣府で、解釈が変わっているから、お前を法律
違反で逮捕する」ということと同じです。

これら全てが、まさに民主主義のもっとも基本的な土台を壊していることになります。
しかも、その徹底ぶりは、安倍政権よりもさらに強くなっている印象を受けます。

三権分立制度の下で、国権の最高機関は、国民によって選ばれた国会議員によって構
成される国会(立法府)です。しかし、菅首相は、国会の審議よりは行政府の、説明
も審議もされない、陰でこっそり行われた法律解釈の変更が優先する、と開き直って
いるのです。

これは、豊田氏の表現をかりると、「表面的には憲法や法律に従う姿勢をみせる一方
で、唯一の立法府である国家の決定を事実上、無効化する狡猾な政治手法だ」という
ことになります。

豊田氏が最後に述べている部分がとても重要です。
    歴史を振り返れば、民主主義の破壊者は民主主義をいきなり破壊せず、形式
    的には民主主義の手続きを経て目的を達成しようとする。
    民主的とされたワイマール憲法を全権委任法によって骨抜きにしたナチスの
    ドイツしかり、帝国議会を翼賛議員によって埋め尽くそうとした日本の軍国
    主義しかりである。

私は、この8年半に日本の政治が限りなく劣化し、国民が置き去りにされ、民主主義
非常に壊されていると感じています。

この背景の一つは、2014に内閣官房に「内閣人事局」が新設され、人事を内閣官房
(官邸)が省庁の審議官・部長級以上の幹部600人の幹部人事を一元管理するよう
になったことです。

これにより官僚は官邸に対する忖度を強め、森友・加計、桜を見る会の問題で文書の
隠蔽や改竄まで手を付けるようになったのです。

つまり官邸は、官僚組織を思い通りに動かせるようになったのです。他方、国会にお
いては政権与党が絶対多数を占めているので、こちらも数の論理で押し通すことがで
きます。菅首相には、もう、怖いものはない、というでも菅首相は全能感があるよう
に見えます。

こうした中で政治家、官僚、特定の企業一部の人物や組織が既得権益を得る構造が出
来上がってしまったのです。

今回の事態を海外ではどのようにみているのでしょうか?一つだけ紹介しておきます。
英科学誌『ネイチャー』(電子版)は6日付の「ネイチャー誌が政治を今まで以上に扱
う必要がある理由」と題した社説で言及しています。少し長くなりますが、貴重な指
摘なので、要点を引用しておきます。

まず、トランプ米大統領による科学軽視などに触れたうえで、「脅威に直面する学術的
自律」との小見出しが付いた一節の中で、学問の自由を保護するという原則を「政治家
が押し返そうとしているとの兆候がある」と強い懸念を示しています。この原則は「近
代の科学の核を成すもので、数世紀にわたり存在してきた」ものだと強調しています。

そして、その維持には「研究者と政治家がお互いを尊重する信頼」が必要だが、この信
頼が世界各地で「相当な圧力にさらされている」と続け、具体的な最新事例として紹介
したのが菅首相による任命拒否なのです。

対象となった6人については「政府の学術政策に批判的だった」などと説明。日本学術
会議の独立性や、任命拒否が現行制度になった2004年以降初めであることにも触れ、
今回の措置の異例さを示唆しています(注1)。

これが、少なくとも世界の先進国における常識です。イギリスの科学誌がわざわざ日本
の菅首相の任命拒否問題を取り上げたのは、やはり日本の独裁化に対する警告と警戒が
あったものと思われます。

学術会議は政府と異なる意見を提出するかもしれませんが、異なる意見が存在すること
が、民主主義にとって死活的に重要なことで、もし、今の日本に政府と異なる意見を、
科学的・倫理的根拠をもって言える組織がなければ、日本は独裁国家になってしまいま
す。学術会議を事実上、無力化しようとする菅政権は、民主主義を壊そうとしていると
しか思えません。


(注1)https://mainichi.jp/articles/20201008/k00/00m/040/141000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=article&cx_mdate=20201009



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学術会議問題に見る菅首相の本性(2)―「除外理由 言えるわけない」―

2020-10-20 12:17:08 | 政治
学術会議問題に見る菅首相の本性(2)
―「除外理由 言えるわけない」―

10月16日、日本学術会議の梶田隆章会長と菅首相とが会談しました。この会談は梶田
会長の方から申し入れたということです。

多くの人は、学会の意志として、新会員6人の任命拒否に反対し、改めて任命するよう決
議書を採択していたので、会長はさぞ、そうした学会の意志を代弁して、菅首相に、任命
拒否の理由を糺し、その上で6人を任命するよう要請するものと考えていたのではないで
しょうか。

しかし、会談はわずか15分ほど、拒否問題に触れることさえなかったという。

会談後梶田氏は記者に、「(6人の拒否理由を)聞かなかったのか、という質問には会長
就任のあいさつをし、六人が任命されていないことについて、学術会議総会の決議書を渡
した。その後、学術会議の今後のあり方について意見交換をした。(決議書)は渡したが、
それよりも未来志向で、学術会議が学術に基づいて社会や国にどう貢献していくかについ
て話した。

さらに梶田会長は「今日は回答を求めるという趣旨ではなかった」、6人を改めて任命す
ることに関して「踏み込んだお願いをしていない」と述べています。

梶田会長の言動からは、学術会議の総会で採択された決議書の重み、そして、拒否された
6人の名誉と精神的な苦痛にたいする配慮がまったく感じられません。

もし会長就任のあいさつという位置付けだとしていたら、「決議書」を持ってゆく必要は
ないでしょう。

未来志向も必要ではありますが、今、現在発生している問題に目をつぶって、未来の学術
の発展などあり得ません。これで本当に学術会議を代表しているといえるのでしょうか?

梶田会長は会談の前日、15日の夜、会員にメールを送っていますが、そこには任命拒否
問題に「責任をもって対応する」と言及し、同時に「会議の役割や活動について社会に伝
えていくことが必要だ」とつづられていました(『東京新聞』2020年10月17日)。

しかし、現段階では、菅首相にご機嫌伺いに出向いた「御用聞き」のような印象しか持て
ないのが悲しいです。

梶田氏は現在東京大学宇宙線研究所の所長で、ニュートリノの研究で2015年にノーベル物
理学賞を受賞しており、一人の科学者としては、立派な業績を残しています。

しかし今回は、学術会議という組織の長でもあるわけですから、引き受けた以上は総会の
決議をもっと尊重すべきだし、日本学術会議の会長の背後には87万人の科学者、そして
日本人全ての存在があることを忘れて欲しくないです。

私としては、次回以降、この任命拒否問題に「責任をもって対応」してくれることを期待
しています。

今回の会談で菅首相は、学術会議なんてたいしたことない、と自信を持ったことでしょう。
“会議組織のあり方を検討する”、と脅しの姿勢を見せれば、対立を避けて融和姿勢でやっ
てくる、との心証をもったのではないでしょうか?

では、誰がいつ、どのように6人の任命拒否を決めたのでしょう?いうまでもなく、拒否
を決定したのは菅首相です。ただし、105人のなかから6人を排除することを“助言”し
たのは、杉田和博官房副長官であることは、ほぼ間違いなさそうです。

杉田官房副長官は、警察官僚出身。2012年の第二次安倍内閣発足とともに官房副長官に就
任した。2017年からは中央省庁の人事を一元的に管理する内閣人事局の局長も兼務してい
ます。

しかし、これは菅首相が6人の排除に無関係ということではありません。菅首相は、決定
するまで名簿を見ていないと言っていますが、もしそうだとしたら、それ自体が問題です。

しかし、加藤官房長官は、99人の名簿に、105人の名簿を参考資料として付けた、と
公式に言っています。おそらく、菅首相が見ていない、とうっかり口が滑ってしまったこ
とのつじつまを合わせるために、慌てて、参考資料のことを話したのでしょう。

しかし、もしそうなら、菅首相は、添付されていた“参考資料”を敢えて見ないで、99人
の名簿だけをみたのでしょうか?あまりにも不自然です。

どこかに、不自然や都合が悪いことがあり、それを隠そうとすると、次々とつじつまの合
わないことが出てきて、さらに不自然な説明が付け加えられます。

いずれにしても、この推薦名簿は首相宛てに出された「公文書」なのですから、もし、誰
かがその「公文書」を勝手に書き換えたとしたら、それは「公文書」の改ざんになります。

杉田氏は菅首相に、なぜ6人を削除したことを説明したということですが、その時、杉田
氏はどんな言葉で説明したのでしょうか。いずれにしても、国民から選ばれたのではない
官僚が、政治に大きな影響を与えているとしたら深刻な問題です。

菅首相は、拒否の理由については今もって明らかにしていませんが、「6人除外の個別の
理由は言えるわけがない」と周囲に漏らしています(『朝日新聞』202010月17日)。

もし、本当の理由(実は自民党や国民の誰もが知っていることなのですが)を口にしたら、
その時点で菅首相の命運は尽きてしまいます。だから、口が裂けても「政府の方針に反対
したから」などとは言えません。

10月5日のインタビューで、記者に6人が(安全保障関連法等)政府提出法案に反対だ
ったこととの関連を問われ、「学問の自由とは全く関係ない」と、官房長官時代の常套句
的な言葉に続いて「六人についていろんなことがあったが、そういうことは一切関係ない。
総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断した。これに尽きる」、と答えています。

ルポライターの鎌田慧氏は、“語るに落ちる”、と一刀両断。「六人についていろんなこと
があった」と知っていたのです(『東京新聞』2020年10月13日。「本音のコラム」)。

なお、「総合的・俯瞰的」という言葉をここで持ち出したのは、官僚の入れ知恵なのかも
しれませんが、その後、ほとんどの政治家が質問されると、「壊れたテーブレコーダ」の
ようにこの言葉を口にします。

しかし、菅首相は自分では気が付いていないのかも知れませんが、この言葉がブーメラン
となって自分に向かってきます。ある意味で、これはヤブヘビとも言えます。

1997年から2003年まで会長を務めた吉川弘之・東京大学名誉教授は、菅首相のこの言葉
に、実に見事に反論しています。長くなりますが、重要なことなので引用します。

    自分の学説にしがみついたり、所属学問分野の利益をかたくなに主張する人では、
    俯瞰的な視点を持っているとは言えない。それは、その人の論文を読めば判断で
    きる。学術会議が本当に苦労して「いま日本にいる研究者で、このメンバーなら
    俯瞰的な視点を出せる最良の人なんだ」と会員に選んだのが105人。一部の人
    だけが任命されずに削られてしまうと、科学者が出した「俯瞰的視点」が変わっ
    てしまう。政府は行革の時、存続の条件に俯瞰的を挙げたのに、俯瞰的でなくし
    ている。

実に明瞭で見事な菅首相への批判です。つまり、菅首相は、「総合的・俯瞰的」観点から
人事を決めた、といっているのですが、学術会議はまさに、「総合的・俯瞰的」観点から、
苦労して1年もかけて人選をしているのです。

したがって、6人を除外したことによって、総合的・俯瞰的な構成を菅首相が壊している
ことになります。菅首相はこの矛盾にしっかりと答えられるのでしょうか。

菅首相は5日のインタビューで、6人の任命拒否を正当化する論拠して、「現在の会員が
自分の後任を指名することも可能。推薦された方をそのままに任命してきた前例を踏襲し
てよいのか考えてきた」と話しました。

しかし、日本学術会議の事務局によれば、現会員が自身の後任を指名することはできない。
というのも、選考では、現会員らの推薦を基に先行委員会で議論。幹事会や総会の承認を
経て、会長が首相に推薦した上で任命される、というプロセスを経るからです(『東京新
聞』2020年10月10日)。

したがって、菅首相の正当化は正当性を持たない、ということになります。

また、菅首相は、会議の性格と政府との関係について、「会議は政府の機関で年間約10
億円を使って活動し、任命される会員は公務の立場になる」と発言し、その管理や運営に
関しては他の公務員と同様、政府が権利をもつ、という立場をとっています。

しかし、学術会議は、他の諮問会議やさまざまな政府機関とは全く異なる独立機関です。
しかも、10億円といいますが、うち、5.5億円は職員人権費や事務経費です。

総会や分科会に出席すると支給される手当は、会長で日額2万8800円、会員は1万
9800円で、交通・宿泊費は実費清算となります。したがって、自腹出張もしばしば
だという(『東京新聞』2020年10月10日)。

いずれにしても、公務員とはいえ月の給与がでるわけではなく、とても「甘い汁を吸え
る」状況にはありません。

菅首相は6人の任命拒否について誰もが納得できる説明をしていません。科学者やメデ
ィアの批判があっても、高支持率を背景に、異論を排除し、「押し切るつもり」のよう
です(『東京新聞』2020年10月9日)。

しかし、官邸内には、「学術会議の問題は「ボディーブローのように効いていくる」
(幹部)との不安が広がっているようです(『朝日新聞』2020年10月17日)。

その不安はすでに、支持率の低下となって現実のものとなりつつあります。時事通信が
9日~12日に実施した菅内閣発足後初めての10月の世論調査によると、内閣支持率
は51.2%でした。発足時には、高い調査結果では74%もあったのに、一挙にご祝儀相
場がなくなって、本体が現れた感じです(『東京新聞』2020年10月17日)


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日本学術会議問題に見る菅首相の本性(1)―「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」―

2020-10-11 06:34:13 | 政治
日本学術会議問題に見る菅首相の本性(1)
―「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」―

日本学術会議(以下、「会議」と略す)が推薦した105人の新規会員のうち、6人が菅首相
によって拒否されたことが、今月初めに明らかになりました。

これにたいして、当事者である「会議」はいうまでもなく、多くの識者から抗議の声が上がり
ました。抗議の理由は後で述べるとして、まず、日本学術会議とは、どのようにして生まれ、
どんな法的な根拠をもち、何を目的とするのか、という基本を押さえておく必要があります。

上記の点を理解すると、今回6人の任命を拒否した菅首相は、「会議」設立の趣旨と経緯を無
視し、科学や学問にたいする敬意も理解がいかに希薄であるかが明になります。

まず、設立の経緯ですが、日本学術会議は昭和24年(1949)に設立された日本の科学者
を代表する機関で、その趣旨は発足時の「決意表明」に述べられています(注1)。

くわしくは、「決意表明」をみていただくとして、その中でも特に重要な部分は、「これまで
わが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し」という個所で、この具体的内容はは
発足の翌年1950と1967の声明に、より明確に示されています。

1950年に「会議」が出した宣言には、次のように書かれています。

    われわれは、文化国家の建設者として、はたまた世界平和の使として、再び戦争の惨
    禍が到来せざるよう切望するとともに、さきの声明を実現し、科学者としての節操を
    守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわ
    れの固い決意を表明する。(注2)

すなわち、決意表明の「反省」とは、戦前、科学者が戦争へ協力してきたことへの反省を指し、
二度出された声明は今後、軍事目的の研究を行わないことを宣言したものです。

この姿勢は、「会議」の法的根拠となる現行の「日本学術会議法」にもはっきり表れています。

まず、「日本学術会議法」の条文の前に、「前文」(元の法律には「前文」の文字はありませ
んが)に相当する文章があり、そこで、「会議」の理念が述べられています。

「日本学術会議法」は、一種の個別法ではありますが、その理念から説き起こしている点が、
「家族法」や「道路交通法」のような他の個別法と異なり、むしろ憲法に近い構成になってい
ます。

何よりこの法律は、「会議」が独立した特別な組織であることを示しています。以下に、「前
文」に相当する部分を示しておきます。

    日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の
    下に、 わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の
    進歩に寄与する ことを使命とし、ここに設立される。

この部分からもうかがえるように、科学が文化国家の基礎であることの確信に立って、わが国
の平和的復興だけでなく、人類社会や世界の学会と提携の福祉に貢献する、という崇高な理念
がこの会議を支えているのです。次に、「会議」の設立及び目的につては

第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
3 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。 (平一一法一〇二・平一六法二九・一部
改正)

第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を 図
り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。

そして、重要な第二章の「職務および権限」では

第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

と定めている。つまり、「会議」の最も重要な性格は、その「独立性」あるいは「自律性」であ
ることを、謳っています。この「独立して」という部分は、単に個人が己の心情にしたがって、
という意味に留まらず、「日本学術会議」として、政治権力や軍部や企業などの干渉を受けずに、
という強い主張が込められているのです。

この学術の独立性こそが、仮にも日本が文化国家を名乗るならば、尊重されるべき最も重要な点
なのです。

それでは「会議」の具体的な組織の構成その他をみてみましょう。

第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、こ れを
    組織する。
第二項 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

その第十七条は、「推薦」に関して、「 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研
究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内
閣総理大臣に推薦する ものとする」と規定しています。(平成一六法二九・全改)(注3)

なお、補足しておくと、「会議」は210人の「会員」の他に2000人ほどの「連携会員」が
おり、かれらは「会員」から選ばれて、会議の会長により任命されます。任期はいずれも6年で
3年毎に半数が入れ替わります

一般会員も連携会員(非常勤ではありますが)特別国家公務員という地位が与えられ、一般会員
と同様、日当と経費が支払われます。

以上を念頭において、改めて菅内閣が、6人の任命を拒否した問題を考えてみましょう。

まず、「会議」が、菅首相による任命拒否に対して強く反発していますが、それはなぜなのでし
ょうか。

学会側の反発の根拠は幾つかあります。第一は、1983年11月、中曽根首相(当時)が、国
会で、「政府が行うのは形式的任命」「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない」
といった政府答弁があり、政府は「会議」が推薦した新会員を拒否することはない、と明言し、
それは公文書として残っていることです。

第二は、もし、「会議」が推薦した人の任命を拒否するなら、その理由をはっきり説明すべきだ、
という点です。これまで、政府側は誰一人、理由を明らかにしていません。

第三は、安倍政権の時から、一般の研究助成予算は徐々に減っているのに、軍事研究へはますま
す多額の予算をつける政策をとっていることに対する「会議」としての危機感があります。

具体的には、2017年には、軍事応用できる基礎研究に費用を助成する防衛省の「安全保障技術研
究推進制度」の予算を大幅に増やしている、という実態があります。

この制度のもとで、2015年度の予算は3億円だったものが、16年度には六億円、そして17年
度には110億円と激増しました。

これにたいして「会議」は17年、50年ぶりに軍事研究に関する声明を発表し、その中で「政
府による介入が著しく、問題が多い」と批判しました。

つまり、政府に協力して軍事研究をすれば研究費をつけてやるという、お金を通じて研究に介入
することを全面的に推進してきています。

これは、「会議」の根底にある、「学問の自由と独立」、そして軍事研究を絶対に行わない、と
いう発足の理由となった理念と真正面からぶつかり、これらの点は絶対に譲れないでしょう。

以上の背景を考えると、6人の任命がなぜ拒否されたのかが、浮かび上がってきます。

任命を拒否された6人とは、①宇野重規教授(東京大学 政治思想史)、②芦名定道教授(京都
大学 キリスト教学)、③岡田正則教授(早稲田大学大学院 行政法)、④小沢隆一教授(東京
慈恵会医科大学 憲法学)、⑤加藤陽子教授(東京大学大学院 日本近現代史)、⑥松宮孝明教
授(立命館大学大学院 刑事法)です。

この6人は、上記の順に、①特定秘密法を批判、②安保関連法に反対する学者の会等の賛同者、
③安保関連法に反対、④国会で安保関連法案について反対、⑤憲法学者でつくる「立憲デモクラ
シー」の呼び掛け人で改憲や特定秘密保護法に反対、⑥国会で「共謀罪」を「戦後最悪の治安立
法」と批判した、という背景があります。

一言でいえば、政府が強硬に推進してきた、これらの法律は「戦争への準備」という性格をもっ
ています。

これら拒否された人物と彼らの過去の言動を対応させれば、外形的には誰が見ても、そして、菅
首相をはじめ他の政府幹部が、どんな「理屈」をつけようが、拒否の背景に政府の施策に反対し
た学者を排除する意図があったとしか思えません。

「理由の説明もなく、到底承服できない。学問の自由への侵害ではないか」、もしそうでないな
ら、はっきりとした根拠を示すべきだ、もし、示せないなら拒否した6人を任命すべきだ、とい
うのが「会議」側の主張です。

任命を拒否した菅首相は、5日行われた内閣記者会によるインタビューで、ほとんどは官僚が書
いたと思われる文章を棒読みするだけでした。

そして、拒否の理由については「総合的、俯瞰的な活動を求めることになった。総合的、俯瞰的
な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」「個別の人事に関するコメントは
控えたい」、とついに、本当の理由を一言も言っていません。

これ以後、政府側の答えには「総合的、俯瞰的」という言葉が、まるで「壊れたレコード」のよ
うに繰り返されました。

しかし、全体を通してみると、菅首相が、学問の自由とか独立、ということにほとんど関心がな
いことが分かります。

こうした首相の一連の言動をみて、静岡県の川勝平太知事は7日の定例会見で、「菅義偉という
人物の教養のレベルが露見した。『学問立国』である日本に泥を塗った行為。一刻も早く改めら
れたい」と強く反発しました。
 
川勝知事は早大の元教授(比較経済史)で、知事になる前は静岡文化芸術大の学長も務めた、い
わゆる「学者知事」です。川勝知事は6人が任命されなかったことを「極めておかしなこと」とし、
文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」と述べています
(注4)。

次回は、任命拒否の問題点を、さらにくわしく検討し、合わせて、この問題に対する内外の反応を
みてみます。

                (注)
(注1)設立の際の声明は http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/01/01-01-s.pdf を参照。
(注2 http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/gunjianzen/index.html
(注3)http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf
(注4)『朝日新聞』デジタル版(2020年10月7日18時24分)
    https://www.asahi.com/articles/ASNB761QMNB7UTPB00D.html?ref=mo r_mail_topix3_6


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菅内閣誕生(2)―理念なき政治と安倍政権の継承の中身は?―

2020-09-24 22:57:45 | 政治
菅内閣誕生(2)―理念なき政治と安倍政権の継承の中身は?―

一体、この国の国民はどうなっているのだろうか? 私には到底理解不能です。

安倍首相が辞任を発表する直前の8月22~23日に共同通信が行った世論調査では、
安倍内閣の支持率は36%まで落ちていました。

ところが辞任表明の直後の29日~30日の調査では56.9%に跳ね上がりました。

同じ29~30日の調査で、次期首相にふさわしい人のトップは石破茂氏で34.3
%、菅義偉氏は14.3%でした。

ところが、有力派閥がこぞって菅氏を推すようになり、菅氏の勝利が確実になった9
月8~9日の調査では、菅氏が50.2%でトップになりました。

まず、安倍首相の支持率からみると、わずか1週間で20%以上も跳ね上がったので
す。少なくとも、病気のため辞任という行為以外、安倍首相に何かプラスの要因があ
るとは思えません。

この1週間に国民の心に何が起こったのでしょうか?何を信じたらいいのでしょうか?

菅氏に対する評価にしても、自民党の有力派閥がこぞって支持したという点以外、一
気に36%も支持が上がる、という理由は見つかりません。

安倍氏に関しては、病気による辞任に、きっと本人には無念の思いがあるのではない
か、という同情が集まった可能性はありあす。

しかし、菅氏に関しては、国民の多くが突如として日本の顔としてふさわしい、と評
価が上げた理由は私には分かりません。

姜尚中氏は、菅政権は、自民党内にも国民の間にもただよっていた「長いものには巻
かれろ」という雰囲気と、安倍政権にたいするノスタルジー(郷愁)のなかで誕生し
た、と述べています(注1)。

前半部分は分かりますが、国民が安倍政権へのノスタルジーを感じたという点は、私
にはちょっと疑問です。

総裁選に際しての岸田文雄、石破茂、菅義偉の三氏による討論でも、「森・加計・さ
くら・問題」にかんして、岸田・石破両氏は、国民が疑問に思っている以上は再調査
すべき、という姿勢をみせていたのに、菅氏は、もう決着済みだから再調査の必要は
ない、と突っぱねていました。

安倍首相が政権末期にこれらの問題で追及され、国民の支持率がそのために低かった
のに、菅氏が、その再調査を拒否すれば評価はさがることはあっても上がるとは、不
思議というほかはありません。

また、三氏の立候補の所見発表演説でも、岸田氏は、所得格差が広がっており、社会
に分断が生じているとの認識から、キャッチフレーズは「分断から協調へ」という、
それなりに社会の大枠をとらえ、将来像を示しています。

また、石破氏は、「平成で民主主義が大きく変質を遂げた」と指摘したうえで、戦前
に軍部が国民に正確な情報を伝えないまま、第二次世界大戦に突き進んだ悲劇に触れ
「正しい情報が有権者に与えられなければ民主主義は機能しない」との認識から、キ
ャッチフレーズを「納得と共感の政治」を主張しました。これも、歴史認識を踏まえ
た政治に対するまっとうな姿勢です。

これにたいして菅氏は、優位に立っている自信なのか、首相としての価値観を含んだ
理念については語らず、安倍政権の継承のほかは、自民党の綱領に盛り込まれた「自
助・共助・公助」に「絆」を付け加えたフレーズを示しただけでした。

つまり、まず、自分の力で問題を解決すべく努力し、それが無理なら他の人の協力で
乗り越え、それでもだめなら、ようやく「公」(国や自治体)が助ける、という姿勢
を前面に出しました。

石破氏も岸田氏も、社会全体と歴史認識を含んだ理念を語っているのに対して、菅氏
はそうした他理念ではなく、国民に対して、「こうせよ」と上から命令している感じ
がします。

菅氏の「売り」は7年8カ月、安倍政権を支えてきた実績と、秋田の貧しい農村で生
まれ、高校卒業後、単身上京し、町工場で働き、自分の力で大学を出た、という生い
立ち話です。

菅氏が以前『週刊文春WOMAN』(2019年夏号)に、「私の田舎はものすごく貧しい
ところでした(略)。高校卒業後、たいていは農業を継ぐんですが、豪雪地帯ですか
ら、結局冬には出稼ぎに行くんです」と語っています。

貧しい田舎、出稼ぎ、といった言葉からは、かつての青少年の苦労が滲むようですが、
実際はかなり違っていました。

菅氏のある同級生によれば、「中学校は一学年に150人くらいいたのですが、高校
に進学したのは三十人ほど。当時、進学するにはある程度、家が裕福でなければなら
なかった」という状態でした。

さらに菅氏の二人の姉は大学に進学しています。女性が大学に進学するのは珍しかっ
た時代でしたが、「義偉の二人に姉はともに大学に進学し、高校の教師になっていま
す。母親も結婚前は尋常小学校の教員で、叔父や叔母も教員という家系。普通の農家
とは違いますね」(菅家を知る人物)

裕福な暮らしの背景には父親のイチゴの栽培事業がありました。70年代には父親が
開発した冬場にできるイチゴ事業が大当たりして菅家は一気に裕福になりました。現
代でいう「カリスマ農家」でした。

菅氏の父親は、義偉氏が高校一年生の時から四期にわたって雄勝町議を務めるなど、
地元の名士でした。

母校の湯沢高校のHPには、2013年7月8日に講演した時の発言が紹介されています
が、そこには「湯沢高校卒業後に東京の町工場に集団就職した」と記されています。
自分一人で出て行ったのに集団就職はまずいのではないか、という小学生からの同級
生に対して、それは敢て訂正しない、と答えたという(注2)。

つまり、実際には相応に裕福な家庭だったにもかかわらず集団就職などの言葉を使っ
て、苦労人を演じていましたが、あくまでも自分の意志で東京暮らしを選んだという
のが実際です。苦労人としての自分を印象づけたかったのかもしれません。

このようなイメージから、菅氏は地方の出身だから、地方の声を聞き地方に寄り添っ
てくれるのではないか、との期待する人もいます。

では、その地方の人たちはどう思っているのだろうか。福島の自民支持者でもある畜
産農家のご主人は、総裁選で菅氏の勝利をみて、「地方の声なんて届かない。政治な
んてそんなもんだ」と苦笑すると、彼の妻も「次の総選挙まで一年。そう思ってあき
らめているようなところもあるよね」と、つぶやいていた。

また、菅氏はこれまで官房長官時代から福島の問題で自ら踏み込んだ発言をしたこと
はほとんどなく、避難者の生活実態に目を向けず、これまで家賃補助や住宅の無償提
供といった支援の打ち切りを進めてきました。

福島から横浜市に避難した「原発事故被害者団体連絡会」幹事の村田弘氏は「安倍政
権を継承する菅さんが総裁に就いたところで、希望や期待は持てない」、「冷淡な印
象しかない」と語っています(『東京新聞』2020年9月15日)。

首相指名された後の記者会見で語った菅氏の発言は期待外れでした。

菅氏は、最優先課題は「新型コロナウイルス対策と、その上で社会経済活動(実態は
経済活動)をとの両立を目ざすと言い、経済については「Go To キャンペーン」や、
持続化給付金、雇用調整助成金、無利子無担保融資の経済対策、携帯電話料金の値下
げなど、具体的な方策を語っています。

しかしコロナ対策については、具体的な方策も、方向性さえも触れていません。私は、
菅氏の関心は、やはり経済優生で、コロナ対策は付け足しに過ぎないとの印象を持ち
ました。

菅氏は、理念を語ることを嫌うそうです。これまでは、安倍首相の広報官として首相
の考えを説明したり、ある場合には批判を抑え込んだり問題を隠蔽したり、と黒子役
でした。

しかし、首相になったからには、携帯電話料金の値下げなどチマチマしたことを言わ
ず、日本をどのような国にしたいのか、そして自分の国家観なり政治理念を明確に指
し示す必要がありますが、それには全く触れませんでした。これには大いに失望しま
した。

ところで菅首相のもう一つの看板は、安倍政権の継承ですが、よく言われるように、
何を継承し、何を継承しないのかを明らかにはしていません。

菅氏の行政改革の方向について「行政の縦割り、既得権益、悪しき前例主義を打ち破
って、規制改革を全力で進める」と述べています。

携帯電話料金の値下げも、大手三社による寡占状態を打破することも、規制緩和の一
環に位置付けられています。

規制緩和による自由競争の推進、という考え方は小泉首相時代の新自由主義への回帰
です。これは、経済は企業や個人の自由な活動に、価格も市場にまかせ、そのために
障害となる規制をできるだけ排除する、その代わり、そうした活動の結果は自己責任
である、という市場原理主義の思想です。

ところが、携帯電話の料金を下げろ、と国家が市場価格に介入するというのは、この
原理に反しています。

そもそも安倍政権時代から、いわゆるアベノミクスは、政府が日銀を使い、530兆
円の国債を買い、また日銀は、株式で構成される金融商品、株価指数連動型上場投資
信託(ETF)を毎年6兆円のペースで買い増すことにより間接的に株式を保有して
います。日銀が間接的に保有する株式(時価ベース)は、3月末時点、東証1部だけ
で28・4兆円に達して医います。

これではまだ足りないのか、「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が投入
した金額は、19年3月末の時点で東証1部上場企業の株式の形で総額で37・8兆
円にも上ります(注3)。

要約するとアベノミクスは、巨額の貨幣を市場に流して円安に導き、大量の株式を公
的資金で買い上げて株価を上げて、見かけの経済の好調を演出してきました。

安倍政権時代は、日本の経済は、新自由主義とは反対の、実態は「国家資本主義」に
なっていたのです。菅政権もこれを引き継ぐことを表明しています。

菅氏は、一方で新自由主義的な発想で規制緩和を叫びながら、大枠では「国家資本主
義」を維持するという、原理的に矛盾した経済運営を目指しています。

この原理的な矛盾を、菅政権はどのように考えているのでしょうか?あるいは、全く、
矛盾していること自体に気が付いていないのでしょうか?

いずれにしても、菅氏は7年8カ月におよぶ安倍政権の功罪を検証する必要がありま
す。それなくして、軽々しく「安倍政権の継承」などとは言うべきではないでしょう。



(注1)『朝日新聞』デジタル 2020年9月22日 16時30分
     https://www.asahi.com/articles/ASN9L4JH2N9JUPQJ00K.html?ref=mor_mail_topix2
(注2)以上は、『週刊文春』20209月17日号:「菅義偉『美談の裏側』集団就職はフェイクだった」22-25ページ);『東京新聞』2020年9月13日「本音のコラム」より。
(注3)『赤旗』電子版(2019年7月12日(金)  https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-07-12/2019071203_01_1.html;『日刊ゲンダイ』(2020年9月9日)「金子勝の天下の逆襲」
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お彼岸の頃になると、忘れずに一斉に咲くヒガンバナ                           木立の間に朝日が斜めに差し込む早朝の林
   

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