大木昌の雑記帳

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『21世紀の資本論』の衝撃(2)―日本の現実を直視すると―

2014-09-26 05:44:52 | 経済
『21世紀の資本論』の衝撃(2)―日本の現実を直視すると―

前回に続いて,ピケティの『21世紀の資本論』を手掛かりに,資本主義経済の行方を考えてみます。彼の結論は,
資産を持てる者は,その収益を再投資することによって,ますます豊かになっていくが,資産を持たない大部分の人の賃金所得
はますます貧困化し,中産階級を緩やかな消滅に向かう,とうものでした。

今回は,このピケティの図式が日本にどの程度当てはまるかを検証してみます。

ピケティは「私の主張を裏付ける端的な例は日本社会だ」と述べていますが,その理由の一つは少子化という人口動態です。
急速に人口が減る少子化社会では,子どもの数が少ないので,一人の子どもが受け取る相続財産,つまり過去に蓄積された
富の割合が大きくなります。

逆に子供の父親にも母親にも富がなければ,どちらからも財産を継承できません。こうして,世襲によって受け継がれる不平等が
とても大きくなってしまうのです。

少子化の問題とは別に,日本では,一人当たり平均賃金は1997年をピークに現在まで2013年までに13.5%も下がっています。

こうした長期の賃金の減少をもたらした重要な要因はとして,次のような背景があります。

近年,日本は多くの分野で開発途上国から安い製品を輸入品するようになっています。国内のメーカーはこれに対抗するにも生産
コストを下げる必要があり,そのためにまず,労働者の賃金を安く抑える傾向にあります。

こうした企業の姿勢によって,非正規雇用の増加,残業代のカット(成果主義の導入),企業規模の大小を問わず労働者を襲う
解雇リスクの増大など,労働者の所得は現状維持どころから,ますます減少傾向の危険性にさらされています。

日本における所得格差の拡大は,そのまま資産格差の拡大につながっています。1988年に,金融資産をもたない世帯(2人以上)
は3.3%でしたが2013年には31%に上昇しています。(注1)

つまり,かつてはほとんどの世帯である程度まとまった金融資産(預貯金や株など)を持つ余裕があったのに,現在では3分の1は
その余裕がないのです。

以上の状況を考える,ピケティが指摘している中産階級が没落してゆく二つの危険,「就業のリスク」と「金融の規制緩和」は
日本においてもあてはまります。この状態をさらに具体的にみてみましょう。

1970年代,日本人の多くはマイホイーム,車,家電,旅行などの消費を謳歌し,自分は中流階級に属していると感じていました。
当時,「1億総中流社会」という言葉がよく使われました。

しかし,1990年代初頭にバブルが崩壊すると,一気に景気の悪化,失業,賃金の減少が日本人を襲い,これ以後は「格差社会」
という言葉が頻繁に語られるようになりました。

「1億総中流社会」といい「格差社会」といい,現状にたいする感覚的な言葉です。それでは,実態はどうだったのでしょうか?

すでに上に示した,金融資産をもたない世帯の増加も「中流」世帯の減少を示しています。これ以外にも,「中流」
の減少と全体的な貧困化を示す指標はいくつかあります。

まず,図1を見てみましょう。ここには,生活保護受給者数の変化が示されています。この図から明らかなように,
バブル期の1980年代後半に受給者数は減りますが,その後急速に増えます。


                             

実数で言うと,1970年代の70万世帯,人数で130万人から,最も少なかったバブル期の,60万世帯,80万人から,
2014年の4月には世帯数で約162万世帯,人数は210万人へと,史上最多,最悪の水準になっています。

次に,「相対的貧困率」(図2)をみてみよう。「相対的貧困率」とは,その国の標準的な世帯が年間に得る手取り収入(中央値)
の半分―これを貧困線という―に満たない国民の割合,を意味します(注2)。

                            

厚生労働省によれば,1985年の中央値の半分は108万円,で貧困率は12%でしたが,2012年の中央値は122万円で,
貧困率は16.1%と着実に上昇しています。

ここで,もう一つ注目すべき数字は,貧困家庭で暮らす18歳未満の子どもの貧困率も上昇していることです。

すなわち,厚生労働省が公表している最も古い1985年の子ども貧困率は10.9%であったものが,2012年には16.3%と,
過去最悪の高率になってしまいました。(注3)

子どもの貧困率が上昇したのは,母子家庭の労働環境が非正規雇用の場合が多く,収入が少ないことが大きな理由
となっています。

いずれにしても,現在の日本では大人も子供の,日本人の6人に1人が貧困層ということになります。

さて,以上のような状況が日本の現状と将来にどのような問題や影響をもたらすのでしょうか。

上に述べた子どもの貧困の問題を引き続いて考えてみると,これら貧困世帯の子どもたちが将来,経済的に自立する
ためには十分な教育を受ける必要があります。

しかし,貧困家庭の子どもは,高等教育を受けたり,高度の職業資格を確保することは困難です。こうして
「貧困の連鎖」が生じてしまう可能性があります。

反対に富裕層の子どもたちは,家庭教師や塾などへ十分な教育投資を受けることができ,恵まれた教育環境のなかで,
ますます有利な職や経済的立場を築いて行くことが来ます。

こうした教育や訓練における不平等を解消するためには,国家的な援助が必要です。政府はようやく2014年8月29日に
「子供の貧困対策大綱」を決定しますが,これによりどれだけ事態が改善されるかはこれからの課題です。

現状に対する不満と将来に対する不安は,前回の記事で書いたように,ヨーロッパでは極右政党の進出やナショナリズム,
人種差別的なポピュリズムが広がっています。

日本では,尖閣列島や竹島をめぐる隣国との対立が,排他的なナショナリズムに火をつける恰好の材料を与えました。

また,国連の人種差別撤廃委員会で,日本におけるヘイトスピーチや人種差別的言動が批判されました。

こうした動きは,やはり国民の貧困化と密接に関連していると思います。

ヨーロッパで起こっている,政治の右傾化,国民の人種差別的感情の高まりという傾向が,日本でも同じ文脈で
起こっているといえまず。

最後に,ピケティが資本主義と民主主義に関する非常に重要な指摘をしているので,それを示しておきます。

彼は次のような例を出してそれを指摘しています。

   たとえばある人の庭で世界中の人が使える石油が発見されたとする。この人が石油を100%独占して,
   世界中の他の人は死ぬまで   彼のために働き続ける。
   資本主義の考え方に基づけば,こうした方法も否定されない。しかし,民主主義の考え方に基づけば,
   これは受け入れ難い。

つまり,資本主義と民主主義とはまったく同じというわけでないのです。


(注1)水野和夫「ブローバル資本主義の中で中間層は解体されてしまう」『週刊東洋経済』,2014年7月26日号:42ページ。
(注2)図1と2は上記『週刊東洋経済』,47ページ。
(注3)厚生労働省 「国民生活基礎調査」平成25年版
    http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa13/dl/03.pdf

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『『21世紀の資本論』の衝撃(1)―資本主義社会では中間層が緩やかに消滅する―

2014-09-21 14:14:09 | 経済
『21世紀の資本論』の衝撃(1)―資本主義社会では中間層が緩やかに消滅する―

フランスの経済学者,トマ・ピケティが昨年2013に出版した『21世紀の資本論』は母国のフランスよりも,翌年に出版された英訳版は,
700ページもある大著にもかかわらずアメリカで大反響を呼びました。

この本の日本語版は今年の年末には出版される予定ですが,幸い,『週刊東洋経済』(7月26日号)は,ピケティとの独占インタビューと,
数人のエコノミストのコメントを掲載しています。

この本の大きな特徴は,資本主義が世界経済の主流になった18世紀後半から今日までの300年間に所得や資産の分配状況がどのように変化してきたかの歴史的,
数量データを集め,それを分析したことです。

もちろん,これだけの期間の,そして日本を含めて世界の主要国の経済データを一人で集めることは不可能で,世界の経済学者30人以上がかかわり15年
という歳月をかけています。

タイトルにある『21世紀の資本論』とは,言うまでもなくカール・マルクスの『資本論』(第一巻 1867年,第二巻 1885年, 第三巻 1894年)
を意識しています。マルクスの主張の中でも,

ピケティが強調したいのは,資本主義経済の下では,資本家は収益の多くを取り蓄積してゆくが,労働者の取り分は少なく,労働者は相対的に
ますます貧困化するとう点です。

以下に,インタビューの内容を中心に,彼がどんな結論を引き出し,それがこれからの世界や日本にとってどんな意味を持つかを考えてみたいと思います。
ただし,日本についての詳しい検討は,次回に回し,今回はピケティの全体的な議論についてみてみます。

15年間に集めた膨大なデータを分析した結果,ピケティは結論として3つの重要な点を指摘しています。

①経済成長率よりも資本収益率が高くなり,資本を持つ者にさらに資本が蓄積していく傾向がある。

②この不平等は世襲を通じて拡大する。

③この不平等を是正するには,世界規模で資産への課税強化が必要である。

結論だけをみると,このために15年もかけてきたのか,と思うかもしれませんが,この著作が欧米の知識人に与えた衝撃は,とりわけアメリカで強烈でした。

英訳版が出た今年の4月からわずか3か月で英語版は40万部を売り上げるベストセラーとなりました。うち,75%はアメリカでの販売でしたが,その背景には,
アメリカでは貧富の格差が極端に進んでしまっているという事情があるからです。

19世紀末から第一次世界大戦の勃発(1914年)までの,もっとも繁栄した「ベル・エポック」(文字通りの意味は「美しい時代」)は欧米の消費社会が頂点に
達した時期です。

この時期,アメリカでは,上位10%の富裕層が国全体の富の80%を占めていました。

しかしピケティの分析では,この現象はアメリカだけではなく,現代の先進資本主義国では「ベル・エポック」の時代に近づきつつあり,中産階級は緩やかに消滅
しつつあると指摘しています。

今年,ニューヨークで,「99%」(写真参照)と書かれたプラカードをも持ち,「ウォール街を占拠せよ」という激しい抗議デモがニューヨークで起こりました。

あるいはつまり,ごく少数(つまりわずか1%)の富裕層が株などで巨額の利益を得ているのに,99%の国民は貧困にあえいでいることに対する反乱です。


                           
           
              「我々99%の国民は貧しい」というプラカードをもつ,ウォール街でのデモ参加者 (画像をクリックすると拡大できます)


ところで,ピケティの膨大な論考の中で特に重要なのは,資本を持つ者はさらに資本が蓄積していくのはなぜか,という問題です。これは逆にいうと,
普通の労働者は資本の蓄積はできないか,できたとしても極めて緩慢で,富裕層との所得と富の不平等がますます拡大してゆくことを意味しています。

上記のメカニズムは次のような事情によってもたらされている,と説明されています。これをピケティは r>g という単純な式で表現されます。
この式は,資本収益率(r)が経済成長率(g)をつねに上回るという意味です。

この式をもう少し具体的にいうと次のようになります。資本収益率(r)というのは,株や不動産,債権などへの投資によって得られる利益の収益率です。

例えば1000万円投資して100万円の収益があれば,資本収益率は10%ということになります。

現代では,資産のなかでも,とりわけ金融資産の収益率が高く,それを運用する余裕のある人たちに,さらに利益を得るチャンスと大きくしています。
というのも,金融のグローバル化が爆発的に進み,世界中の動向をいち早く察知し瞬時に資産を移動させて利益を得ることが可能なったからです。

資本収益率に対比される経済成長率(g)とは,一般的には,たとえばGDPの伸びが昨年比で2%というような場合に使う意味での経済成長率のことですが,
ここでは少し違った側面を含んでいます。

つまり,経済成長で得た利益は,労働者の賃金,株主への配当,法人として企業の収益(企業利益,内部留保金など)に分配されます。

ここで,株や債券などの資本(資産)ほとんどもたない一般の労働者は賃金所得という形で経済成長の利益を受け取ることになります。

ピケティはフランス,イギリス,アメリカ,日本など20か国以上の税務統計を,統計が得られる過去200年さかのぼって収集し,富と所得分配の変遷を検討しました。

その結果,資本収益率は平均すると5%であったという。これにたいして,資本主義先進国における経済成長は平均して1~2%(平均して1.5%ほど)
の範囲で収まっていました。

したがって,仮に資本収益率が5%で経済成長率が1%だとすると,多くの富(資本)をもっていれば,その利益の5分の1を再投資するだけで,
あとは消費することができます。

もし富裕層が継続して再投資すれば,さらい富を増やすことができます。

これに対して労働者の賃金は,仮に経済成長に合わせて上昇したとしても,資本収益率よりはるかに低いので,賃金所得者との格差はますます拡大してゆきます。

しかも歴史上,賃金は常に経済成長に遅れて,しかもそれより小さい範囲でしか上昇してきませんでした。

こうして歴史的にみると,先進国では,資本を多く持つ富裕層は再投資によって富を雪だるま式に膨らませ,労働賃金によって生活している人の富は増えず,
結果的に格差は広がってきました。

ただ格差が広がるだけでなく,中間層やそれより下の階級では失業や病気などをきっかけに,簡単に貧困に陥ってしまいます。ピケティは,そこには主に二つの危険
(彼は「リスク」と呼ぶ)があるといいます。

一つは,「就業のリスク」です。良い仕事に就くためには良い高等教育を受けたり,高度の職業資格(例えば弁護士資格や医師免許など)を持っていたほうが
圧倒的に有利です。

しかし,そのためには,そもそも経済的にある程度恵まれていなければなりません。この点で,中間層は不利な立場に置かれます。アメリカの教育は信じがたいほど
不平等なシステムになっているようです。

もう一つは,金融の規制緩和がもたらす中間層没落のリスクです。さまざまな資産の中でも金融資産は高い収益を見込めます。多額の富を持つ人はリスクを
おかすことの許容度が高いし,個人の資産を管理してくれる優秀な財務管理人を雇えるなどの理由で,平均的により高い収益率を得られます。

これにたいして中間層にとって,利益を得るのは現在の状況では非常に難しい。というのは,中途半端な資産はほとんど利益を生まないことが多いからです。

ピケティは富の不平等を是正するためには,世界的規模で資産に対する累進的な課税をすべきだと提案しています。そうしないと,世界の先進国では中間層は
緩やかに消滅してゆくだろう,との展望を示しています。

ピケティの主張は,さらに根本的な問題へと及んでゆきます。世界的な規模で進行する不平等や格差が拡大すると,社会に危険な緊張を生み,第一次大戦までの
ヨーロッパにおけるように,外国人や移民労働は,他人種のせいだ,といったスケープゴード(身代わりの犠牲者,犯人)を求めようとする危険性があります。

ピケティは,今年5月の欧州議会議員選挙で極右やポピュリズム政党の得票が増えているのは,グローバリゼーションの恩恵を受けていないと感じている人たちが
いることを示している,と語っています。

彼はまた,こうした状況が,過去において第一次世界大戦に結びついてしまったという歴史的事実に強い危惧を表明しています。

彼によれば,資本主義の力は,イノベーション,経済成長,生活水準の向上を可能にするものであるが,当然ながら道徳的(倫理的)な規律がありません。

これをピケティは,次のような例で示しています。たとえば,ある人の庭で世界中の人が使えるほどの石油が発見されたとする。それを独占してしまい,
世界中の他の人間は彼のために働き続けなければならないとしても,資本主義ではそのような独占は許されるのです。

つまり,資本主義と民主主義とは必ずしも同じではないのです。

次回は,日本の事情を見てみましょう。




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国立大学から文科系消える?―文化を軽視する安倍政権と文科省―

2014-09-16 05:35:11 | 思想・文化
国立大学から文科系消える?―文化を軽視する安倍政権と文科省―

「国立大学から文科系消える?」という新聞の見出しを見たとき,あまりにあり得ない内容に,何かの間違いではないかと
思いました。(『東京新聞』2014年9月2日)

しかし記事を読んでみると,間違いではないことがわかりました。記事によると文部科学省(文科省)は先月(8月)4日,同省の審議会
「国立大学法人評価委員会」(以下「評価委員会」と略す)の議論を受け,国立大学の組織改革案として「教員養成系,人文社会科学系の
廃止や転換」と各大学に通達した,とあります。

文科省はあくまで「覚悟」レベルの話で,即時の廃止などは考えていないとことわっています。しかし,「覚悟」のレベルとは具体的に
何を意味するのか,文科省の対応はますます疑惑を抱かせます。

安倍政権はこれまで重要な政治課題を推進するために,まず審議会を設置し,その諮問を根拠に法案を国会に上程するという手法を
多用してきました。

たとえば,集団的自衛権の閣議決定の際には,安倍氏の私的諮問機関である,いわゆる「安保法制懇」の提言に基づいて,
閣議決定の原案が作成されたことは記憶に新しい事例です。

安倍首相の場合,(というより自民党政権下では),私的であれ公的であれ,審議会での議論は政府の意向にそった方向で集約され,
その意向に墨付きを与えることがほとんどです。

というのも,審議会のメンバーを任命する際,政府の方針に賛成する人を中心に選ぶから,当然と言えば当然です。(反対者も数人
入れることもあります)

今回,国立大学の組織改革案を出した「評価委員会」は,2003年,国立大学の法人化に合わせて設置された審議会です。

しかし,これまで10年以上にわたって,政府は大学教育に関して,このように乱暴な方針は打ち出してきませんでした。

「評価委員会」の答申文書には,問題の部分は次のように書かれています。

  「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革が必要ではないか。○ 大学院の博士(後期)課程においては、法人のミッション
  に照らした役割や 特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、国立大学の機能別分化の促進の観点、
  又は学生収容定員の未充足状況の観点等 人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割を総合的に勘案しつつ、
  大学院教育の質の維持・確保の観点から、入学定員や 18歳人口の減少や人材需要等を踏まえた組織見直し計画を策定し、
  組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか。(注1)

上記の「ミッションの最定義」とは,国立大学法人が果たすべき役割・使命を再度確認しなおすことを意味します。

この答申全体の方向は,18歳人口の減少を背景として,大学の役割を再構築し組織改革をすべきである,という点にあると思います。

ここで,人文系学部とは,具体的には芸術,文学,人類学,歴史学など,文化的な分野を指し,社会科学系とは経済学,社会学,
政治学などを指します。つまり,受験カテゴリーでいえば「文系」ということになります。

答申では,これら「文科系学部」は廃止ないし社会的要請の高い分野へ転換をすべきだとしています。

しかし,なぜ,こうした廃止や転換が必要なのか,その必然性や合理的な理由がはっきりしません。

それでは,「社会的要請の高い分野」とは何か,が問題となります。「文系」を廃止するという文脈から考えれば,「理系」分野という
ことになります。

つまり,政府は大学と大学院の教育を,直接お金にならない文科系をつぶして,産業振興に貢献する技術者を育成する方向に転換したい
と考えているのです。

この背景には,技術立国日本の発展,産業振興のためには,文科系などは無駄な投資だとの考えがあるのでしょう。

文科省の担当者は,「今回の通達は文科系学部の廃止や理系への転換を提案しているのではないない。先に示された役割に基づいて,
改革してほしいだけだ」と説明しています。

「覚悟」レベルの話といい,「改革してほしいだけだ」という弁明は,当の国立大学にとっては,半ば脅迫に近い通達であると
受け取られます。

というのも,もし要望に沿った改革をしなければ,その大学の評価に影響し,予算その他で不利になる可能性があるからです。

この通達には,当然,現場からは強い反発の声が上がっています。愛知教育大学講師の今村氏(哲学)は,「つまりは,国立大学は
職業専門学校に特化しろということだ」と批判しています。

また文化学園大学の白井聡助教は「(大学改革を推進する)安倍首相は直接金もうけできる方法以外の学術は,役に立たないという認識。
彼の人生ではそうだったんでしょう。

言い換えれば,学術は彼の知性を形成しなかったといことでは」と皮肉っています。

私も,白井助教とまったく同じ印象をもちました。しかし,この「改革」は確実に大学という,本当の意味で教養や知性をはぐくむ
場を荒廃させます。

文化とは,何が真で何が偽であるか,何が善で何が悪か,何が美で何が醜であるか,という,私たちの価値判断の根底に横たわる
究極の基準です。

文化の具体的な内容は国や地域によって異なりますが,これらの基準なしに物事を判断することはできません。また,文化や教養は,
人間としての倫理観,豊かな情操を養うための不可欠な要素です。

自然科学は人文・社会科学と異なり,原理的に,価値の問題から離れているので,暴走すると危険な結果を生むこともかなえられます。
たとえば,物理学者にとって原爆の発明や開発は野心を掻き立てるに違いありません。しかし,それが人間として許されるかどうかは
別問題です。

また,生物医学者にとってクローン人間を作ることは,ある意味で大きな功績になるかもれませんが,それはその社会の倫理や文化
にとって許されるかどうかは問題です。

他方,社会科学は,たとえば経済,政治,地域社会など,私たちを取り巻く社会事象がどのような原理や構造で動いているかを客観的に
解明する学問分野です。

社会科学において価値の問題をどう扱うかはさまざまな見解があります。資本主義と社会主義という政治経済学は,立場は異なりますが,
それぞれの価値観をもっていて,どちらかが絶対的に正しいとは言えません。

いずれにしても,価値の問題を避けて通ることはできないでしょう。

経済の分野でいうと,たとえば,法律には違反しないけれど,他人の弱みに付け込んで経済的利益を得る行為があったとすると,
その行為は文化的・倫理的には批判されるでしょう。

同様に,政治の世界でも,今の安倍政権のように,議会で絶対多数をもっていれば,どんな法律でも通してしまうとすれば,
それは合法的かもしれませんが,少数意見の尊重という民主主義という,一つの政治文化としては問題視されるでしょう。

私自身は,学部も大学院も経済学を専攻しましたが,その後,研究としては東南アジアの歴史を対象とし,講義では文化諸側面
(絵画,音楽,ファッション,スポーツなど)を話しています。

確かに,文化でお腹がいっぱいになるわけではありませんが,私たちの周囲から,たとえば音楽が消え,スポーツがなかったとしたら,
どれほど物やお金があっても,豊かな人生を味わうことはできないでしょう。

ヨーロッパが数百年も世界をリードしてきたのは,必ずしも科学技術や戦争で世界を征服してきたからではありません。
その大きな原動力は,文化の力なのです。

もっといえば,科学技術そのものも,ヨーロッパ文化の一部なのです。物事を数百年という長期の視点で見ると,歴史を根底で
動かしているのは文化であることがわかります。

最後に,一つだけ日本人の文化意識に関するエピソードを紹介しておきましょう。あるイギリス通の知人から聞いた話です。

ずいぶん前の話ですが,日本から財界の代表団が貿易交渉のためロンドンを訪問しました。昼の話し合いが終わり,イギリス側
の代表が,「夜の会合まで時間があるから,ロンドン市内にある美術館でもご覧になったらどうですか」とアドバイスしました。

ところが,日本の代表団の人物は,私たちは経済交渉にきたのであり絵には関心がありません,と答えました。

この反応に,イギリス側のメンバーはとても驚き,親しい人に,「たとえどれだけ経済的な利益があっても,文化を評価しない
連中とは取引なんてしたくない」,と語ったそうです。

経済産業省,文科省の大臣および官僚は,文化についてどれほどの理解と敬意をはらっているのでしょうか?

金だけを追いかける文化は,国際社会から軽蔑されることはあっても尊敬されることは絶対にないでしょう。

この意味で,私は今回の文科省の通達は,日本の大学教育に非常に深刻な危機をもたらすものとして反対です。


(注1)文科省 国立大学法人評価委員会の答申
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/08/13/1350876_02.pdf

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第2次安倍改造内閣に思う(2)―総合評価と問題点―

2014-09-11 09:03:51 | 政治
第2次安倍改造内閣に思う(2)―総合評価と問題点―

前回は,9月3日に行われた内閣改造による安倍内閣に対する支持率を中心にみてきました。

今回は,内閣改造に対するもう少し一般的な反応や,閣僚の顔ぶれから見えてくる安倍内閣の方針などを総合的に見てみようと思います。

経済界からは, 日本経済団体連合会(経団連)榊原定征会長が9月3日,第2次安倍内閣の改造人事について、記者団に対し,
「主要閣僚が留任するとともに、政策通の閣僚が多数加わった。

党人事も含め、重厚かつ強力な布陣で、政策の迅速な実行が期待できる」と述べ、歓迎の意向を表明しました。た。

そして新内閣が取り組むべき課題として,東日本大震災からの復興の加速,法人実効税率の引き下げ、エネルギーの安定供給と経済性の確保、
消費税率の着実な引き上げと財政の健全化、地域経済の活性化などを挙げています。(注1)

日本商工会議所の三村明夫会頭は「成長戦略の重要な柱である『女性の活躍』を促進すべく、女性閣僚を増やしたことも時宜を得た」と,
女性の活躍・活用に閣僚を新たに置いたことを評価しています。(『産経新聞』2014年9月4日)

経済同友会の長谷川閑史代表幹事は,「農業・医療・エネルギー分野の抜本的な改革断行による新たな市場創出や、成長産業への失業なき
労働移動を実現する雇用制度改革などは日本経済の自立的成長に不可欠」,「政府の構造改革の加速と、民間企業の変革への挑戦により、
デフレ脱却と経済成長の実現を確かなものに」との要望を強調しました。『日本経済新聞』2014年9月8日)

経団連の要望のうち,エネルギーの安定供給は実質的には原発の稼働を維持することを意味しています。そして消費税を値上して政府が使える
予算を増やし,他方で法人実効税率を下げることで,生活の負担は重くなり,企業の税負担を軽くし,企業にとってのみ都合の良い要望です。

これら経済界の要望をみていると,安倍政権がこれから実行しようとしている政策そのものであることが分かります。安倍政権の実態は,
企業の要望に沿って政策を実行していることがはからずも露呈しています。

今回内閣改造では「女性の活躍相」と「地方再生相」が新設されました。これらのうち,「女性の活躍相」は所管の省庁をもたない無任所大臣で,
具体的な方向性もプランもないので,このポストの有効性は未定です。

しかも,任命された有村治子大臣が,男女共同参画条例を「男らしさや女らしさ否定する」と批判する政治団体「国民会議」のメンバーであるのは
皮肉としか言いようがありません。

女性閣僚で言えば,原発再稼働など厳しい問題が山積みの経産省の大臣として,これまで原発問題に関わってこなかった小渕氏を大臣に任命した
意図が不明です。

鳴り物入りで新設された「地方再生相」ですが,これは,自民・公明党が来年春の統一地方選挙を有利に戦うために新設されたポストで,
地方へのバラマキが行われる口実となることは確実です。

実際,地方再生を口実に各省庁が2兆5000億円以上もの予算を請求しています(うち1兆8000億円が国交省)。(注2)

今回の改造内閣をおおざっぱに総括すると,極めてタカ派的な色彩の濃い,「お友達」を集めた内閣で,女性閣僚5人したことは,実際に仕事の
適正よりも,とにかく人数をそろえただけの感じがします。

安倍首相からすると,首相の地位のライバルとなりうる石破氏と,党内の不満分子を抑える谷垣氏を取り込み,来年の総裁選挙での再選を盤石に
する内閣改造であった,ということになります。

ところで,今回の内閣改造に関して,海外メディアの反応はあまり報じられていないので,以下に二つの新聞だけを取り上げてやや詳しく紹介します。
まず,イギリスの日刊経済紙『フィナンシャルタイムス』を見てみましょう。(注3)

同紙は9月4日付の記事で,新内閣の布陣を,「安倍氏の内閣改造は女性を活用するも保守主義を維持」との見出しで,「安倍氏は女性閣僚の数を
増やしつつ、文化的保守主義が多数を占める内閣の性質は維持した」ともコメントしています。

ここで「文化的保守派」とは安倍首相の価値観と一致するナショナリズム色の強い人を指すものと思われます。

女性閣僚を増やした理由として「安倍政権はこれまで女性有権者の支持獲得に苦労してきただけに(男性の支持率に比べ女性の支持率は10~
15ポイント低い)、女性5人の起用は女性票獲得のための動きと見られている」と分析しています。

同紙はさらに,重要閣僚6人を留任させたが,年金基金を管理する厚労相に,積極運営派の塩崎恭久氏を起用したこと,自民党の新しい幹事長
(安倍総裁に次ぐナンバー2のポストだ)には、元財務相で前自民党総裁の谷垣禎一氏が選ばれたことを重視しています。

谷垣氏は消費税を来年10%に上げることを主張している中心人物なので,これは来年の消費税値上げの布石と見なされています。

ただし,今年4月の増税第1弾は、政府予測を上回る打撃を経済に与えたので,第2弾の増税は延期あるいは中止すべきという声も上がって
いること,また「基本は法律に書かれた通りに進めていくということだが、同時に景気情勢もよく見ていかなければならない」という
谷垣氏の言葉を引用しています。

以上は,日本の大手新聞やメディアがコメントしてきた内容ですが,新内閣の性格について,『ファイナンシャルタイムズ』さらに突っ込んだ
コメントを載せています。

まず,女性閣僚が5人に増えたとはいっても,「欧米流のフェミニストだと勘違いされるような人は女性閣僚5人の中にほとんどいない。
あるいは全くいない。

女性活躍担当相に新しく選ばれた有村治子氏は、・・・・皇位継承資格を男系男子に限る日本の皇室のルール変更には反対している。
また、選択的別姓などの進歩的な動きに反対する保守的政治ロビー団体『日本会議』に所属している」ことを指摘していきしています。

また,「男女を問わず新閣僚のほとんどは『日本会議』をはじめ、伝統主義的あるいはナショナリスト的な主義主張を推進する団体に所属
している。

特に目立つのが、政治家に靖国神社参拝を促す諸団体だ。東京の靖国神社は一般兵士と一緒に戦犯を合祀しており、20世紀初頭の日本の軍国主義
を象徴する場所だと、韓国や中国で多くの人に嫌悪されている」ともコメントしています。

露骨な批判ではありませんが,安倍内閣の右翼的性格にたいしる警戒感がうかがえます。
 
補足しておくと,現閣僚のうち,「日本会議」か「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のいずれにも属していない閣僚は,
公明党の太田国交相,小渕経産相,松島法相だけです。
 
なかでも高市総務大臣は安倍氏と同じナショナリズム的発言をすることで知られており,最近では従軍慰安婦に関する「河野談話」の見直し
(実質的な否定)や,ヘイトスピーチ禁止を法制化する「ついでに」国会周辺のデモも取り締まる必要があると発言した人物です。

次にアメリカの日刊経済紙『ウォールストリートジャ-ナル』(2014年9月4日)(注4)を見てみましょう。この新聞は内閣改造による
経済的な影響に集中してコメントしています。

安倍晋三首相が3日発表した内閣改造は、一般国民や市場から前向きの反応を受けたが,今回の変更は、約束された「第3の矢」、つまり
構造改革が,近く果敢に実施されると示唆するには十分ではない,と経済効果には疑問符をつけている。

アメリカにとっての朗報として、塩崎恭久氏が厚生労働相になったことを挙げています。それは,塩崎氏は,年金積立金管理運用独立行政法人
(GPIF)がその基金の投資先として,従来よりも多くの割合を株式投資に振り向けることを積極的に進めてきたからです。

これはアメリカの金融業者にとっては歓迎すべきことなのです。

その一方で塩崎氏は,社会保障面で一層広範な改革を支持し、給付削減や拠出金引き上げを提唱している。また,同氏は,労働市場の柔軟化
のための規制撤廃を強く支持するかもしれない。

言い換えると,アメリカは社会保障費を削減し,労働市場で規制緩和(具体的には解雇や残業代のカットをしやすくする)という,
塩崎氏の新自由主義的考え方を歓迎しているのです。

西川公也氏の農林水産相就任も、環太平洋連携協定(TPP)の自由貿易交渉にとって「良いニュース」だとしています。西川氏はTPPの党対策委員長
として活躍してきたから,農水相就任によって、TPP交渉の最終段階を指揮できるかもしれない,と米側は期待しています。

これに対してアメリカにとって「悪い兆候」として,4-6月のGDPは年率で6.8%下落し,可処分所得が6%減少している現状にもかかわらず,
消費税を10%に上げることに熱心な谷垣氏が幹事長になったことを挙げています。

要約すると,イギリスの『ファイナンシャルタイムズ』は改造内閣にみる安倍首相のナショナリズム的性格に警戒色を示しているのに対して,
アメリカの『ウォ-ルストリートジャーナル』は,アメリカの経済にとってどんな影響があるかを重要視していることが分かります。

(注1)『産経ニュース』(電子版 9月3日18時2分) http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140903/biz14090318010016-n1.htm
(注2)『朝日新聞』(電子版 2014年9月10日)
    http://www.asahi.com/articles/DA3S11342512.html?ref=nmail_20140910mo&ref=pcviewpage


(注3)注)『フィナンシャルタイムス』(2014年9月4日)日本語版は
    http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20140210-01.html.

(注4)『ウォールストリートジャーナル』(9月4日12:03分)
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052970203736504580132792815766962 


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第二次安倍改造内閣に思う(1)―支持率47%と64%の不思議―

2014-09-06 21:31:28 | 政治
第二次安倍改造内閣に思う(1)―支持率47%と64%の不思議―

9月3日,安倍首相は内閣改造人事と自民党役員人事を発表し,第2次安倍内閣が発足しました。

今回の内閣改造が,何のために,なぜ,このタイミングで,といった通常の疑問に対してさまざまな解釈がマスメディアで報じ
られています。

たとえば,安倍内閣発足以来,大臣が一人も変わっていないので,有資格者で大臣熱望議員の不満がたまっているので,内閣改造
によってその不満をある程度解消し,合わせて安倍首相の求心力を高めるという内向きの理由のほか,今後想定される難題を乗り
切るために,安倍政権に対する国民的な支持率を上げておくといった狙いなどです。

狙いやタイミングとは別に,今回の改造が国民にどのように評価されたのでしょうか。

新内閣の布陣全体,あるいは個々の閣僚や自民党役員に対する評価は重要ですが,
これらについては別の機会に譲るとして,今回は,内閣改造によって安倍内閣と,問題となっている人事への支持率がどのように
なったかに焦点をあてて考えてみたいと思います。

新内閣の組閣や内閣改造が行われると,新聞各社は内閣の支持率の世論調査を行います。

現在まで新聞社としては『毎日新聞』と『読売新聞』とが内閣改造直後に行った世論調査の結果を,新聞紙面で発表しています。

しかし,いつものことながら,「世論調査」の結果を見ると,その数字に大きな違いがあることに驚かされます。

まず,『毎日新聞』の結果をみてみましょう。毎日新聞社が3日と4日に行った緊急の世論調査によれば,安倍政権を支持するは47%で,
前回調査(8月23,24日実施)と同じです。

(『毎日新聞』2014年09月05日 東京朝刊;毎日新聞電子版)(注1),安倍政権で前回調査(8月23、24日実施)と同じです。

そして,「支持しない」が32%(8月の調査は34%),「関心がない」が18%(同17%)でした。

毎日新聞社の調査では,安倍内閣に対する支持率は2013年9月には60%あったのに,その後,特定秘密保護法案や集団的自衛権の問題
などで一貫して低下し続け,8月の調査ではついに47%にまで落ち込んでしまっていました。

この理由について『毎日新聞』は,「新内閣には歴代最多と並ぶ女性閣僚5人が就任し、地方創生担当相などの新設で新鮮さをアピール。

一方で菅義偉官房長官ら主要閣僚を留任させ、政策の継続性も重視したため、内閣改造が支持率に与える影響が小さかった可能性がある」
と述べています。

内閣を「支持する」と答えた人に理由を尋ねたところ「指導力に期待できるから」が30%で最多。「政策に期待できるから」と
「政治のあり方が変わりそうだから」がともに24%で続いています。

今回の内閣改造と自民党の役員人事で事前に注目されていたのは,幹事長ポストと,幹事長の留任希望を公言していていた石破前幹事長
の処遇でした。

結果は,幹事長には自民党総裁経験者の谷垣禎一氏が,石破前幹事長は「地方創生担当相」に任命されました。

谷垣氏を幹事長に起用した人事について「評価する」と答えた人が47%、「評価しない」の35%を上回わりました。

これにたいして,石破茂前幹事長を地方創生担当相に充てた人事について,「評価する」は全体で35%にとどまり、「評価しない」が43%でした。

自民党支持層だけをみると石破氏の新ポストを「評価する」が55%に対し「評価しない」は28%でしたが,「支持政党なし」と答えた層では,
石破氏の人事を「評価する」は25%、「評価しない」は51%でした。

『毎日新聞』の調査結果から見る限り,谷垣氏の幹事長に対する支持は,まあまあですが,石破氏の新ポストへ評価は,自民党支持層以外では
かなり低いことが分かります。

この背景には,石破氏が当初,自分は幹事長を望む,と公言していたことが影響していたことは確かです。

次に,読売新聞社による世論調査の結果をみてみましょう(『読売新聞』2014年9月5日朝刊;読売電子版,2014年9月4日22時時15分)(注2)。
読売新聞社も3日から4日にかけて緊急全国世論調査を実施し,

その果によれば,安倍内閣の支持率は64%で、改造前の前回調査の51%(8月1~3日実施)から13ポイント上昇しています。

その理由として,『読売新聞』は「女性の閣僚への積極登用や主要閣僚、党役員人事で重厚な布陣としたことへの評価が支持率を大きく
押し上げたとみられる。支持率回復は、経済再生や安全保障法制の整備、「地方創生」など重要課題に取り組む安倍首相にとって追い風
となりそうだ」と指摘しています。

さらに,「支持率が60%台を記録するのは今年5月の60%以来で、13ポイントもの上昇幅は、本社が毎月の世論調査を始めた1978年3月
以降の内閣改造直後としては最大となった。

安倍内閣の支持率は、2012年12月の内閣発足直後の65%から緩やかに上昇し、13年4月には最高の74%に達した。
しかし、集団的自衛権の行使を限定容認した閣議決定直後の今年7月には48%となった」とこれまでの経緯を書いています。

石破地方創生相の起用を「評価する」は54%でした。また,自民党の役員人事では、谷垣幹事長の起用を評価する人は59%でした。

以上,今回の改造に関する評価の一部をおおざっぱに見てきましたが,どうしても気になるのは,新聞社によって,支持率(特に内閣支持率)
に関する世論調査の結果が突出して大きく異なっています。

日本の5大全国紙と言われる,読売,日経,産経,朝日,毎日各紙の一般的な傾向として,保守系新聞といわれる読売,日経,産経の
3新聞は自民党政権支持の傾向があり,
世論調査の結果も自民党への支持率が高い数字を発表しています。

これに対して朝日,毎日新聞は一応,中道・リベラル紙と見なされ,世論調査の結果も保守系3紙ほど自民党に高い数字を示していません。

それにしても,今回の調査に示されて安倍内閣支持率が47%対64%と,その差は17ポイントもあります。

上に書いたように,今年の4月の内閣支持率では47%対74%と,両者の差はさらに大きく27ポイントにも達しています。

これほどの差があると,そもそも世論調査の客観的数字としてどれを信じてよいか迷います。

『読売新聞』の購読者は,自民党政権は日本国民の絶対的支持を得ており,それは今回の改造内閣でも示されている,と感じるでしょう。

しかし,『毎日新聞』の購読者は,内閣改造をしても,結局,内閣支持率は変わらず,半数に満たなかった,という印象を受けるでしょう。

同じ調査をしているのに,なぜこれほどの差が出てしまうのでしょうか。私は,これには二つの可能性があると思います。

一つは,調査対象とした人たちが,どんな方法で何人選ばれ,たかの違いです。まず,『毎日新聞』の場合,調査結果一覧表の横に,
この調査が9月3,4日の二日間,コンピュータで無作為に数字を組み合わせて作った電話番号に調査員が電話をかける,という
無作為抽出法で対象が選ばれ,有権者のいる1754世帯から1037人の回答を得た(回答率59%)と注意書きがあります。

また,福島原発事故で帰還困難となった人と土砂災害を受けた広島の二地区の人の電話番号は除いた,という点も補足されています。

これにたいして『読売新聞』の場合,紙面に緊急世論調査を電話で行ったことの記載はあるが,結果一覧表には,どのような人を何人,
どのようにして選んだかが示されていません。

これが明記されていないと,統計的な数値の信ぴょう性が著しく低くなります。

世論調査で客観的な結果を得るためには,まずは最低でも無作為抽出で調査対象を選んだことを明記し,『毎日新聞』のように付帯的な
条件も示す必要があります。

そうでないと,調査対象者が特定の傾向をもつグループから選ばれたり,統計的に意味のある人数(母集団)ではなく,ごく少数の人を
対象にしているかもしれません。

私は,読売新聞社も,紙面に書いていないだけで,無作為抽出で調査対象者を選んだと思いますが,もしそうだとすると,毎日新聞社の
調査結果が,誤差の範囲をはるかに超えてこれほど大きく異なるのも不思議です。

もう一つの可能性は,毎日新聞社の貯砂では,「支持する」,「支持しない」の他に「関心がない」という項目を入れているのに,
読売新聞社の場合,「支持する」「支持しない」の二つしか選択肢がありません。

このような場合,特に不支持を強く持っていない人が,ムードで「支持する」を選択してしまう可能性があります。

安倍政権に好意的な調査結果であるにもかかわらず,読売新聞社の今回の調査結果でも,安倍内閣のもとで景気回復を「実感していない」
との回答は76%も占めていました。

景気の回復こそが,これまでの安倍内閣の支持率を高く保ってきた最大の理由ですが,それでも76%の人が実感していないというのは,
本音では安倍政権をそれほど評価していない可能性を示唆しています。
ちなみに,毎日新聞社の調査では,暮らし向きが「良くなった」と答えた人は5%,「変わらない」が62%,「悪くなった」が30%でした。

こうした調査の方法も含めて,今回の内閣支持率の数字を見る必要があります。次回は,もう少し細かく,今回の改造に対する評価と
今後の日本にとっての影響を考えてみたいと思います。

(注1) 『毎日新聞 電子版』(2014年9月5日) は    http://mainichi.jp/shimen/news/m20140905ddm001010156000c.html
(注2) 『読売新聞電子版』(2014年9月4日)は,   http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140904-OYT1T50106.html 


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安倍首相の式辞―「コピペ」と本音―

2014-09-01 05:28:54 | 社会
安倍首相の式辞―「コピペ」と本音―

8月は日本にとって過去を振り返り,将来に向けての決意を公にする3つの国民的式典と行事が行われる月です。

一つは,広島に原爆投下された8月6日の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」であり,二つは長崎に原爆投下された8月9日の「祈念式典」,
三つは,終戦記念日8月15日の「全国戦没者追悼式」です。

広島と長崎の式典に関しては,前回のブログ記事で,それぞれの市の市長による「平和宣言」と市民代表の「平和への誓い」を紹介
しましたが,安倍首相のスピーチや,市民との対話については触れませんでした。

今回は,広島と長崎における安倍首相の言動,そして8月15日のスピーチを手掛かりに,安倍首相の本音,何を考えているかを探って
みたいと思います。

まず,広島の原爆祈念式典でのスピーチでは,ほとんど昨年と同じ文言を使い回し,コピペ(「コピー・アンド・ペースト」の略。
文章を切って貼り付けること)であったことが,川上あや世田谷区議によってツイッターで暴露されてしまい,瞬く間に5000人以上
に転載されました。

最初の3段では,年が昨年の「68」が今年の「69」に変わったこと,昨年は晴れていたので「蝉(せみ)しぐれが今もしじまを破る」
となっていましたが,今年は雨でしたので,この部分がカットされた以外は全く同じです。(『東京新聞』2014年8月8日)

しかし,安倍首相のコピペ・スピーチは,長崎の式典においてはコピペの範囲がさらに広がり,全体の約半分に及んでいます
(東京新聞』2014年8月10日より)。

               
         (図をクリックすると拡大できます)

これに対して長崎の被爆者からはさっそく。批判が相次ぎました。式典後の首相との面談では,長崎原爆遺族会の正林克記会長は「私もちょっとがっかり
したというか,被爆者みんながびっくりした状態だ」と目の前の首相に直接不満を伝えました。

言葉では「がっかりした」「びっくりした」と穏やかな表現になっていますが,本心は「馬鹿にするな!」という怒りだったと思います。

また,長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長は「秘書官が書いたのか首相が書いたのか知らないが,そっくりそのまま読ませる方も
読ませる方だし,読むほうも読むほうだ。ずさんすぎる」と憤懣をあらわにしました(『東京新聞』2014年8月10日)。

このような式典のスピーチは,秘書官や関係官庁の役人の振り付けで首相が演ずるのが通例ですが,今回の場合,振り付け側も首相本人も,
被爆者やその遺族に対する配慮もなく,真摯な態度はまったく見られませんでした。

もし,首相に心の底から被爆者に対する哀悼の意があったなら,コピペのスピーチなどありえないでしょう。

ここから垣間見えてくるのは,首相の傲慢さと無神経さです。もっとはっきり言えば,被爆者も国民をもバカにしています。

次に,8月15日の「全国戦没者追悼式」での安倍首相の「式辞」全文を見てみましょう。『東京新聞』2014年8月15日)

                                       


最初の三分の二は,首相が最近訪問したパプアニューギニアの件を除けば,歴代の首相の「式辞」と特に変わった点はありません。
しかし,この「式辞」には今までと異なる重要な変化があります。

今までには言及されてきたけれど,今回は言及されなかった二つの文言があります。一つは,「不戦の誓い」という文言です。

この言葉は小泉内閣の2002年ころから追悼式の式辞で定着してきた言葉で,安倍首相自身,2007年の第一次内閣の時には言及してきました。

しかし,昨年と今年の式辞では,言及しませんでした。

今回の「式辞」では「不戦の誓い」に代わって,「今日は,平和への誓いを新たにする日です」という表現が使われています。
この違いはとても重要です。

というのも,「不戦の誓い」というのは「戦わない」「戦争をしない」という意味です。これは「憲法9条」の理念そのものです。

しかし「平和への誓い」とは,戦うことを否定していないからです。

過去の歴史を見れば,「平和のために」という大義名分のために行われた戦争はいくらでもあります。

安倍首相は,昨年から集団的自衛権の行使容認に向けて走り続けています。集団的自衛権の行使とは,他国(実際にはアメリカ)
のために日本が戦争をする権利を行使することです。

だから,昨年も今年も,安倍首相は戦没者追悼式で「不戦の誓い」を言葉にすることができなかったのです。

今回の追悼式の「式辞」は,裏から見れば,日本は「不戦」を止めて,これからは他国のために戦争をすることもあるんですよ,
という宣言でもあるのです。

もう一つ,現在,中国と韓国・北朝鮮とは張状態にあり,とりわけ中国とは尖閣諸島の問題では直接武力衝突さえ起こりかねない
緊迫した状態にあります。

このような状況で,「不戦の誓い」を公にすることは日本の行動を縛ることになる,という意識があったのではないかと思われます。

次に,1994年の村山内閣以降,歴代の首相は「アジア諸国に損害と苦痛を与えたことへの深い反省」を表明してきました。

第一次安倍内閣の時にも,安倍首相はこれに言及してきました。

しかし,昨年も今年もアジア諸国への謝罪と反省に言及しなかったことには,「不戦の誓い」に言及しなかったこととは少し異なる
理由が考えられます。以下に私の推測を書いてみます。

安倍首相には,日本がアジア諸国へ侵入し多大な犠牲を与えたことは日本が犯した「誤ちだった」ということを,なんとしても認め
たくないという意識が心の奥底にあるように思われます。

これは,尊敬する祖父の岸信介元首相が,A級戦犯(つまり戦争犯罪を犯した者)に問われたことを受け入れることができないことと
二重写しになっていると考えられます。

現在,中国と韓国とは首脳会談が行われていませんが,そこには靖国参拝問題や,従軍慰安婦問題,植民地支配などの過去の日本が
行ってきたことを直視したうえで反省し謝罪すべきであるという,いわゆる加害者としての「歴史認識」の問題があるからです。

しかし,安倍首相は,もし首脳会談をするなら「なんの前提もない」(つまり歴史認識の問題を持ち出さない)条件で会談するなら,
いつでもドアは開かれている,という姿勢を崩していません。

中国や韓国・北朝鮮などとの近年の緊張状態を考えると,ここで,うっかり「アジア諸国に損害と苦痛を与えたことを深く反省する」
などと表明することは弱みを見せることになる,
との考えがあるのでしょう。

歴史認識に関しては最後の段落で,「私たちは,歴史に謙虚に向き合い,その教訓を深く胸に刻みながら・・・国の未来を切り開いて
まいります」と述べています。

この文章は,一見,第二次大戦までのアジアへの軍事的進出と植民地支配を謙虚に反省するかのような印象を与えますが,
どんな歴史にどんな教訓を胸に刻むのかは具体性がありません。

さらに,そこには必ずしも加害者としての「反省」というニュアンスは少しもありません。

中国や韓国から,「歴史認識」の問題をずっと突きつけられている安倍首相としては,これからの両国との関係を考えて,
自分なりに歴史認識はあるんだ,というポーズを見せたかったのかもしれません。

安倍首相は,村山談話の見直しには言及しませんでしたが,新たな談話で,植民地支配への「痛切な反省」「心からのおわび」という
村山談話の核心部分を避けています。

これは,村山談話を実質的に塗り替えて,次は「安倍談話」を提示することを示唆しているとも言えます(『東京新聞』2014年8月16日)。

以上見たように,安倍首相が広島と長崎で行ったスピーチには,なぜ日本が原爆を投下されるような戦争を始めたのかに関する意識も
希薄だし,被爆者に対する深い哀悼の気持ちは見られません。

そして戦没者追悼式のスピーチは,日本の軍事行動を縛りつけてきた憲法9条や,敗戦によって日本が国際社会から受けてきた非難など,
安倍首相の言葉で言えば「戦後レジームから脱却」を印象づけるものでした。

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