大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

防犯カメラか監視カメラか-渋谷殺傷事件にみる監視社会に実態-

2012-05-31 04:29:18 | 社会
防犯カメラか監視カメラか-渋谷殺傷事件にみる監視社会の実態-

 2012年5月21日,地下鉄渋谷駅構内のエスカレータで,殺傷事件が発生し,男性が一人重傷を負いました。その直後から,地下鉄構内に設置された
カメラでとらえられた容疑者の姿がテレビで繰り返し流され,この数日後,容疑者は逮捕され,犯行を認めました。

 こうして,事件としては一件落着なのですが,どうにも釈然としない,複雑な感情が残りました。

 犯人逮捕には,地下鉄構内に設置されているカメラの映像が大きな役割を果たしたようです。駅にはおびただしい数のカメラが設置されています。

 最初に地下鉄や電車に乗った時刻が分かると,あとは時間ごとに映像を見てゆくと,逐一人物の行動が追跡できます。たとえば,渋谷から地下鉄
に乗れば,降りた駅まで確認することができ,あとは聞き込みで犯人を特定することができる,というわけです。犯罪の捜査と犯人逮捕には,カメラ
の威力は絶大です。

 カメラの存在は,犯人を特定し,逮捕を効率的にするという役割の他に,犯罪の発生そのものを防止する,防犯防止の役に立つことも強調されています。

 確かに,カメラが作動していることを意識させることで,犯罪防止の効果があることは事実です。
 
 もっとも,実際問題として,カメラがどの程度,犯罪行為を思い止まらせることに効果があるのかは分かりません。

 これにたいして,起こってしまった犯罪の捜査,犯人の特定・追跡・逮捕には,カメラの果たす役割が大きいことは疑いようがありません。

 一方,カメラが何も特別に犯罪と結びついた人物だけをとらえているのではなく,私たちも一緒に映されているはずです。私が「複雑な感情」と言ったのは,
カメラには防犯機能と同時に,この監視機能があるからです。

 もちろん,何も悪いことをしていなければ,恐れることはないというのは理屈です。しかし,私たちの行動が常に監視されている,ということを思った
だけで,あまり気分のよいものではありません。

 それと,監視機能については,まだまだ気を許せない事情があります。現在は,傷害,窃盗,痴漢など,誰が見ても犯罪と思われる行為の監視が,監視
カメラの主な目的かもしれません。

 しかし,このような犯罪者の取り締まりだけでなく,為政者の側が,”好ましくない人物”を監視しようと思えばそのために利用される可能性はあります。

 時代や状況によって,時の権力者が考える“好ましくない人物”の対象は変わってきます。したがって,今は,問題なくてもある時には“好ましくない人物”
と見なされ,監視の対象にされる可能性もあります。

 たとえば,日本が戦争に向かっているとき,戦争反対の活動をしている人が監視の対象となることもあり得ます。

 カメラのコンピュータ解析の技術が進んでいて,特定の人物の顔を認識させておくと,映像の中から,その人物を特定することができるようです。

したがって,「要注意人物」の顔をリストに登録しておけば,いつでもそこに登録された人の行動を監視できるのです。

 このような心配をしなくても良い社会であることを望んでいますが,そもそも監視カメラ自体,私たち個人個人の承諾なく,映像に取り込んでいるため,
プライバシーを大きく損ねる危険性をはらんでいます。

 極端な言い方をすれば,監視カメラで映像化することは,「盗撮」とも言えるのです。ただ,一応,プライバシーの侵害というマイナス面を考慮したとしても,
犯罪防止と犯人の逮捕という社会的なプラス面の方が大きいという建前にはなっています。

 監視カメラは鉄道の関連施設だけでなく,新宿のような街や,道路などにも設置されています。私たちは,監視カメラに囲まれているといっても過言では
ありません。

 しかも,監視という面では,カメラによる映像だけでなく,携帯電話を使用したときの電波もキャッチされるので,携帯電話を掛けたとき,どこにいたかも
追跡可能です。

 かつて酒井法子氏が麻薬の使用容疑で追われていたとき,警察は携帯電話の発信記録から,彼女がどこから掛けたかを割り出し,いつ,どこにいたかを特定
しました。

 以上は,日本国内の問題ですが,これを地球規模でおこなっているのが,「エシェロン」という電子傍受システムで,アンテナが大きな丸い円を描くように
並んでいる形状から「像の檻」と呼ばれる監視施設が置かれています。

 これはアメリカの国家安全保障局(NSA)が主体になって運営されている電子傍受システムで,電子メール,軍事通信,電話,ファックス,データ通信など,
あらゆる電子情報を傍受しています。日本には青森県の三沢の近くに「像の檻」があります。

 このように考えると,私たちは知らない間に,監視社会の中に生きているといえます。監視社会では,監視する側(たとえば国家,警察)が,どのような人物
を監視するかを,まったく私たちに知られることなく,一方的に決めることができます。

また私たちは,プライバシーが常に侵害されているという心理的な圧迫感の下に暮らすことになります。
 
 科学技術の発達は,私たちの生活を便利にしてくれますが,他方で,一般市民が監視のもとに置かれるというマイナス面もかかえていることを忘れてはなりません。

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江戸はおもしろい-杉浦日向子著『大江戸観光』

2012-05-24 19:50:21 | 本の紹介・書評
江戸はおもしろい-杉浦日向子著『大江戸観光』(ちくま文庫,初版1994年)


杉浦日向子(1958-2005,本名 鈴木順子)は東京,日本橋の呉服屋に生まれた,いわゆる江戸っ子です。杉浦さんは,漫画家として出発しましたが,
途中で時代考証に興味をもち,それを勉強しているうちに,江戸の世界にのめり込み,そうこうしているうちに,ごく自然に,江戸風俗研究家にな
ってゆきました。
 
 ここで紹介する本は,彼女がいろんなところで書いたエッセイをまとめたものです。ひとつのエッセイは,新書版で2~3ページ,長くても5
ページくらいの短いものばかりです。初版が1994年で,最新版が2012年の4月,実に22刷,と版を重ねている,驚異的な人気本です。
 
 私が彼女について知るようになったのは,NHKのコメディー番組「お江戸でござる」(1995~2004年)で偶然,杉浦さんを見たことでした。

 番組の最後に,主演の伊東四郎が「今日の劇の中で,何かまちがいはありましたか」,と問いかけ,それに答えていたのが杉浦日向子さんでした。
 
 ぽっちゃりとした顔立ちの杉浦さんが,いつも笑顔で江戸の風俗について解説をしてくれるのが,この番組を見る楽しみの一つでした。

 伊東四朗の味のある演技も大好きでしたが,それに劣らず杉浦さんのお話は楽しいだけでなく,その中にいつも新たな発見がありました。

 私が,最初にハッとさせられたのは,江戸時代の若者の歯磨きについての話でした。杉浦さんによれば,江戸時代の若者(男性)は,とにかく
一生懸命に歯を磨いたそうです。

 あまりに磨きすぎて,表面のエナメル質がなくなり,熱いものや冷たい物を食べたり飲んだりすると,歯にしみてしかたがなかったようです。

 江戸っ子は熱いものにも冷たいものにも弱かったのです。

 では,なぜ,そこまで必死になって歯磨きをしたのでしょうか。理由はただ一つ,女性にモテたい,好かれたい,その一念でした。

 では,女性にモテることと,歯磨きはどう関係するのでしょうか。それより,なぜ当時の男性は,そこまでして女性に気に入られようとしたの
でしょうか。江戸イコール男尊女卑,男中心の社会,と思っていた私にとって,とっても意外でした。

 江戸の町というのは,圧倒的に男性の数のほうが女性よりも多かったので,江戸庶民の若者にとって,結婚することは大変なことたったからです。

 口が臭いというのは女性にもっとも嫌われる理由の一つでした。そこで,男性は女性に嫌われないために,必死で歯を磨いたのです。

 この説明を聞いたとき,一応,歴史家の端くれでもある私は本当に,虚をつかれる思いでした。

 考えてみれば,江戸以前の,この地は利根川や荒川の氾濫原で,現在私たちが想像するような快適な居住地域ではなく,まして人口密集地地帯
ではありませんでした。

 そこに都を築くために,城や屋敷と建造するほか,掘り割りを作って水捌けを良くし,洪水防止のため河川沿いに土手を築くなど,大土工事が必要に
なったのです。

 このため,日本各地から,とりわけ北関東,東北地方から,まずは労働力として男性が集まってきたのです。
 
 こうした歴史的な事情もあって,江戸の人口構成は男性の方が女性よりずっと多くなってしまったのです。

 言い換えれば,女性は貴重な存在で,結婚の売り手市場だったのです。結婚の相手を選ぶ選択権はむしろ女性にありました。

 こうなると,未婚の男性にとって結婚できるかどうかは深刻な問題でした。とにかく女性に嫌われたくない,好かれたい,モテたいと必死になったのです。

 当時の男性が,一生懸命に歯磨きをしている姿を想像すると,なんだか,いじらしくなってきますね。

 風俗というのは,実に面白いし,思わぬ所から歴史を知る糸口を与えてくれます。杉浦さんが,江戸にのめり込んでしまったのもうなずけます。

 さて,本文256ページに57編ものエッセイが盛り込まれており,それらを全て紹介することは到底不可能です。ここでは,2,3編の内容を簡単に紹介します。

 江戸といえば“いき”(粋)の文化ですから,まずは「粋とは何か」から。

粋と書いて,関西ではスイと読み,関東ではイキと読みます。スイは艶(ツヤ),イキは色(イロ)です。イキは「粋」の他に
 
 「意気」「好風」と言う字も当てます。
 
 「意気」は意気地,いさぎよさ,物事に頓着せず,きっぱりとわだかまりのない状態。対する語は尊大,傲慢など。
 
 
 「好風」とは,よいふう,このもしいふうのこと。嫌みのない,人好きのする状態。対するはキザ(気障)となります。

 そして「粋」とは,きわだった有様,俗にあって俗に流されぬ超然とした状態です。

 これら三つに色気のエッセンスを加えると,本当の江戸の粋ができあがるのです。このような<江戸の美学>は,化政期(18世紀)に完成したようです。

 大切なのは次の点です。粋という美学は,「日常倫理をも支配する概念であり,一点のクモリもない正確無比のモノサシです」という指摘です。

 つまり,人や物事の善し悪しはすべて,「粋かどうか」という正確無比のモノサシで計られるのです。これは,

 西欧の判断基準となる真・善・美とはまったくちがう,江戸的な(必ずしも「日本」的ではない)価値基準です。

 粋な人は,それぞれの分野に通じていなくてはならないのですが,そのような人は通人と呼ばれました。

 通人は,とりわけ吉原の遊郭へ通う時などは,そのファッションに命をかけていたようですから,粋で通でいることは実に難しいことでした。

 次に,江戸と歌舞伎についてのエッセイです。江戸の文化を代表するものに歌舞伎があります。歌舞伎は,もとものは「カブク(傾く)」という言葉に由来し,
これは,ふざける,放縦なことをする,好色である,という意味だそうです。

 このような人を「カブキモノ」といい,それは,異様な風体をして大道を横行する者,軽佻浮薄な遊侠者,伊達者を指しました。

 歌舞伎は今でこそ様式ですが,新作封切りの江戸時代には,衣装やメークもすごく,太刀を三本もブチこんだ原色キンキラキンの荒事の武士なんか,ほとんど
狂気だったそうです。

 ストーリーも,時代ものの舞台に世話ものが飛び込んだり,脈絡のない一幕があったりしました。

 滑稽で卑猥で残酷で,むせかえる熱気と恍惚感。かつて,歌舞伎は吉原とともに,為政者に「悪所」と呼ばれましたが,それは熱狂的なパワーが手に
負えなかったからでした。

 江戸の人びとがどれほど歌舞伎に魅せられ,吉原に熱くなったかは,現代の私たちには想像できないくらいに物凄いものだったに違いありません。

 浮世絵などに役者絵がたくさん残っているのも,こうした歌舞伎の人気があったからでしょう。

 これにたいして私たちが知っている今の歌舞伎は,どうやらお上のお気に召すモノであるようです。

 歌舞伎が「悪所」でなくなったと同時に,民衆の熱く狂おしい支持と信頼を失い,かわりに,もったいぶった「国立」の,つまり”お上”の匂いのする,
セイフティーマーク付きの優良玩具となってしまった,と杉浦氏は述べています。もちろん,彼女も,様式と伝統を重んじる現代歌舞伎には,それなりの良さが
あることを認めてはいます。

 確かに,現代の歌舞伎の公演に行っても,観客にカブキモノなどいるはずもなく,皆さんお行儀良く鑑賞刷るという雰囲気で,むせかえる熱気とパワーなど
感じません。

 ところで,もと漫画家だった杉浦さんは,本書の随所に江戸風俗の挿絵を載せています。これがまた,めっぽううまいのです。ひとつだけ,紹介しておきましょう。
 
 本の最初に載せられている4枚の絵のうち,「花魁(アイドル)」と題された絵で,「文政期の英泉描く,遊女立ち姿より」と説明があります。
 
この絵には,「なんとも驚くべきバランスである。五頭身で手足が細く短い。首などはカメのように陥没している。直立歩行ができるのか不安になる。
現在の美女の観念からほど遠い」という杉浦さんの添え書きがあります。
 
 短文ながら実に,ユーモアに富み,当時の花魁の姿を,まるで目の前に見るように活写しています。杉浦さんは,大変な文才をお持ちのようです。
 
最後に,杉浦さんの江戸に対する思いの一端をしめす言葉を引用しておきます。
 
 近代の日本は強くなるために「脱亜入欧」を決意して,前世代<江戸>を全面否定する事から出発しました。そうして突っ走った結果が今現在の日本ですが,
オカゲで,わたし等は明治以降の移植民のように,<身近な先祖の文化>であるはずの江戸が,スクリーン上の西部劇と同様の距離に感じられるのです。(109ページ)

 杉浦さんらしい表現で,現で現代日本の文化状況を批判しています。とにかく,一度,手にとって読んで,江戸の文化を見直してみることをお薦めします。
色んな発見があると思います。

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近年の就職事情

2012-05-21 10:50:29 | 社会
  近年の就職事情


就職氷河期と言われて,もう何年たつでしょうか。客観的には,バブルがはじけた1991年を境に日本の景気は傾き初め,途中で多少の景気の持ち直し
があったものの,全般的には今日まで下降線をたどっています。一般に「失われた10年」と言われています。実態としては,「失われた20年」と言う人も
います。

 内閣府が発表した,2010年の就職内定率は,大卒91.8%,専門学校卒87.4%,高卒93.9%でした。この数字だけをみると,決して悪くはないような印象を受けます。

 しかし,学生をもつ教師からすると,大卒でも10人に1人は就職できなかったわけで,1学年1000人の学部で考えると,100人が就職できなかったことになります。

 これは,大学としては,かなり深刻な状況といえるでしょう。

 ただ,こうした表面上の就職内定率は,若者の就職状況をみるとき,見かけの数字にしかすぎませんし,実態の一部しか明らかにしてくれません。

 というのも,内閣府が追跡調査した推計によれば,2010年春に卒業した人のうち,就職できなかったり,就職から3年以内に退職する人の割合が,大学・専門学校生で
 52%(つまり半分),高卒では68%(三分の二),進学しなかった中卒の場合,この数字は驚異的な89%にも達しているのです。実は,ここが問題なのです。
 
この理由について内閣府は,学生が自らの適性や就きたい就職を十分に検討しないまま就職していること,若者の大企業志向が強いため,採用意欲が旺盛な中小企業との
「ミスマッチ」が生じていることが原因だと分析しています。

実際,30年以上も若者と接してきた私の実感からすると,内閣府のこうした分析は,机に向かって頭で考えた作文,あまりにも通り一辺の説明にすぎないとの印象を
ぬぐえません。

まず,適性や就きたい就職を十分に検討しないまま就職している点について。学生(以下,特に断らない限り,学生とは大学生を指します)は,3年生の秋から就職
について考え始め,3年の終わり(1月くらいから)実質的に就職活動に入ります。
 テレビや新聞・雑誌などで,就職難を煽り立てているので,学生はかなり浮き足だってしまいます。50社以上の会社に挑戦したけれど,全部だめだった,などの
先輩の話(噂も含めて)を耳にすれば,浮足立つのも当然です。

この時期になると,多くの学生には,どんな会社でも職場でも,とにかく就職できればという意識が強く,とても自分の適性など考えている余裕がないのが実態です。
そもそも自分の適性なんてそんな簡単に分かるものでしょうか。現在働いている大人だって,今の仕事が本当に自分の適性に合っていると自信をもって言えるでしょうか。

次に,自分の就きたい仕事を十分に検討しない点ですが,就きたい仕事と現実の就職可能性との間には,非常に大きな溝があります。たとえばアナウンサーになりたいと
しても,実際になれるのは,限りなくゼロに近い確率です。

めでたく理想通りに就職できる「勝ち組」は全体のごくごく一握りで,そのような成功例は普通の学生には説得力をもちません。さらに「勝ち組」の大人の自慢話なんて,
反感を買うだけです。

その前に,自分はどんな仕事をしたいのか,がはっきりしないのです。これは,意外と見落とされがちですが,とても重要な点です。というのも,自分がどんな仕事を
したいのかとい言う問題は,自分はどんな人生を送りたいのか,という根本的な問題と深くかかわっているからです。

 私自身も大学を卒業した時には教育・研究職に就くとは想像さえしていませんでした。私の場合,今の仕事はまさに偶然の成り行きと,たんに幸運の結果で,想定外でした。
 
 就職に対して多くの学生が臆病になっていることは事実です。その裏には,自分に対する自信が弱くなってきているという事情もありそうです。

 就職活動の第一歩は,エントリーシートを書くことですが,その際,多くの学生が悩むのは自分の長所短所を書く欄で,短所はいくらでも書けるのに,長所が書けない
ことです。つまり,自己評価が概して低いのです。これには多くの要因が関係していますが,それは別の機会に書くことにします。

 高度経済成長期に就職活動をした世代は,根拠がなくても自信過剰,高い自己評価をもっていました。それは,当時,学生は売り手市場だったからです。

かつて大学には会社の人事部の人がやってきて,学生食堂などで一本釣りをしていました。それを学生は,「また人買いがやってきた」と表現していました。今となっては
夢のまた夢の話です。

 就職に関しては,せっかく就職したのにすぐに辞めてしまうことも大いに問題があります。私がみたところ,これにもさまざまな事情があります。

まず,よく引き合いに出される,「近頃の若者はこらえ性がない」という事情もある程度は関係しているでしょう。少子化の影響で,目いっぱい甘やかされて育ってきた
若者が社会の厳しさに直面して,すぐに精神的にもたなくなってしまう,という説がよく聞かれます。

 これは,理屈としては分かりやすいかもしれませんが,実際には,一般に考えられるほど重要な原因ではありません。

 もう少し具体的で実際的な原因を考えてみましょう。比較的よく聞くのは,入社してみると,以前想像していた仕事の内容と大きくちがっていた,という声です。

 それは事前に十分調べなかったからだ,という人もいますが,それは無理です。同じ会社でも,どこの部所に回されるかによって,仕事の内容はちがう,それは事前に
調べようがないからです。

 さらに,自分は向いているとおもって就職したけれど,いざ働いてみると,あまり向いていないことが分かるという場合もあります。この中には,職場の人間関係や
「いじめ」(結構あります)に耐えられなくなって辞める,というケースも含まれます。
 
 まったく逆に,最初は合わないと思っていた仕事が,やってみると案外自分に合っていることが分かる場合もあります。仕事はやってみなければ分からないことです
から,この点で若者を責めることはできません。
 
 しかし,もっと深刻な問題があります。『若者はなぜ3年で辞めるのか』という本の著者城繁幸氏は,年配の社員に厚く若者にはとても薄くなっているという賃金体系
が,若者の労働意欲を削ぎ,やる気を失くして辞めてしまう大きな原因である,と言っています。
 実際,私のゼミの卒業生でも,仕事は満足しているけれど,給料が安くてアパートなど住居費や最低限の公共料金と食費を除くと,貯金はできないし,うっかりすると
生活費も足りなくなるので辞めた,というケースは決し珍しくありません。

 賃銀の問題は過重な労働の問題とも関係しています。現在では,一定の限度を超えると残業手当が全く支給されない,サービス残業が非常に増えています。しかも,
終電がなくなる深夜まで残業が及ぶこともあるようです。
 
 これらを総合すると,今の企業は,コストを切り詰め目先の利益を確保ようとして,結局は人件費を削ることに走っています。その犠牲になっているのが若者です。
このため体を壊したり,精神を病んでしまう場合さえあります。私には,日本の企業は人を大事にしていないと思われます。
 
 ただ,まったく悲観的な話ばかりではありません。就職してしばらくすると,新卒の時には情報さえ得られなかった,いろんな仕事があることが分かり,転職する
ケースがあります。3年前後で辞めた卒業生の事例をよく見ると,こうしたケースが結構あります。しかも,こうして辞めても,驚くほど順調に再就職しています。

 次に,就職して何年かお金を貯めて,専門学校に行って資格や技術を身につける場合もあります。また,専門学校ではなく国際機関で働くために外国の大学院に進学
するケースおあります。これはやや特殊なケースかもしれませんが,私が知っている卒業生の中には何人かいます。そして,実際海外で働いている卒業生もいます。

 こうして見てくると,就職難の問題も,早期に辞めてしまう中途退職(転職)の問題も中身をよく調べてみると,とても複雑な事情があることが分かります。

 一旦就職して,広い世間を見渡し,分自身を見つめ直した後に,職場を移ることはむしろ好ましい傾向かもしれません。

 それにしても,企業は見かけの黒字を出すために,若者の人件費を削ることだけは考えなおして欲しいと思います。今は,若者でも,すぐに会社の中枢を担う世代
になります。

 やる気のある若者の意欲を削ぎ,早期辞職者を増やすことは,長い目でみて企業にとってもマイナスです。そのためにも,人件費全体はあまり変わらなくても,
世代間配分を見直して,若者への配分を少し多くすることで,事態は大きく改善すると思います。

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沖縄と原発-ノドに刺さった二つの大きなトゲ-

2012-05-16 22:29:06 | 政治
沖縄と原発事故-ノドに刺さった二つの大きなトゲ- 


 本年5月15日で、沖縄返還40年を迎え、式典が開催されました。40年と一口にいっても、沖縄以外の地域に住む日本人にとっては、
それほどの実感はないかも知れません。

しかし、一度でも沖縄を訪れたことのある人なら、航空機が離発着時に発する爆音と、建物すれすれに飛ぶ航空機から受ける脅威に
1日中さらされていることの苦痛は実感できるはずです。
 
 しかし実際には、必ずしもこうした苦痛は日本人に等しく共有されてはいないようです。式典で仲井沖縄県知事は、東日本大地震や
福島第一原発事故と同様に沖縄の米軍基地の問題について沖縄県民とともに受け止めていただきたい、と述べました。

 沖縄は日本の敗戦直後からアメリカの施政権下に置かれました。当時は政治も行政もアメリカ政府の手にあり、経済の根幹である
貨幣も米ドルでした。

この状況は、実質的に沖縄が植民地支配下に置かれていたといえます。
 
 そして40年前、自民党の佐藤栄作首相の時、沖縄は名目的には「核抜き本土並み」の条件で日本に返還されました。

このとき、アメリカ政府との間で交わされた「沖縄返還協定」に密約があったこと、そしてこの事実は歴代の首相が報告を受けていながら、
伏せられてきたことが、国会の場でも明らかにされてきました。核兵器の問題も含めて、私たちに知らされない内容はまだまだ数多くあるか
もしれません。
 
 ところで、仲井知事が東日本大震災・福島の原発事故とを関連させて、沖縄の基地問題を国全体で考えてほしいと訴えたのは、本人が意図
していたか否かは分かりませんが、はからずも、現代の日本が抱える深刻な問題を端的に指摘しています。
 
 復帰40年というけれど、それ以前と本質的に何も変わっていないではないかという切実な声が沖縄県民から発せられました。

沖縄は戦後65年にもわたって、面積の20パーセントの土地を米軍基地にとられ、現在でも日本にある米軍専用施設の74パーセントを担し、
上に述べたさまざまな脅威、米兵による少女暴行事件に見られる犯罪や交通事故などに悩まされてきたのです。
 
 アメリカ政府は沖縄の核兵器の存在を公式には認めていませんが、客観的にはあると考えるべきでしょう。米軍基地があることによって、
むしろ日本が攻撃の対象になる危険性さえあるのです。

 問題は、こうした状態がこれから何年続くのかもまったく不透明であることです。

 仲井知事の発言は、日本政府も全国民が、沖縄のことを自分たちの問題として真剣には考えていない、「無関心」でいることにたいする痛烈
な批判でもあります。

 式典の日にインタビューに答えた沖縄の女性が、本土から来た観光客は、青い海と南国の雰囲気を味わって帰ってしまい、沖縄がこれまで
経験してきた苦痛を本当に理解はしてくれない、といった内容を訴えていました。やはり、現地の人と外部の人との間には、問題の受け止め
方に大きな「温度差」があるようです。
 
 沖縄が受けてきた苦痛について多くの日本人は新聞やテレビで繰り返し報道されているので、知識としてはよく知ってはいますが、苦痛を
分かち合うという意味での「絆」という言葉も「つながろう日本」という言葉もこれまでまったく聞かれません。

 一方、震災と津波の被害は、想像を絶する被害で、多くの人命、家屋、田畑が流されました。しかし、原発事故がもたらした放射能汚染は、
これらの人的・物的被害とは別の次元の問題を引き起こし続けています。放射能汚染のために避難させられた地域では、家も畑も見た目には
まったく以前と変わらないのに、そこに住むことができません。現在、故郷を離れて不自由な暮らしをしている人たちは大勢います。

 震災直後から、「絆」や「つながろう日本」といったかけ声が、マスメディアをつうじて盛んに流されました。そして、寄付やボランティア、
チャリティー・コンサートなどが盛んに行われました。

 しかしその当時でさえ、被災地とそれ以外の地域、東日本地域と西日本地域では、震災・原発事故にたいしてかなりの「温度差」がありました。
 
 問題の性質はことなりますが、将来の見通しがたたない状況で苦痛が続く点、そしてその苦痛にたいする日本人の間に「温度差」がある
という点で、沖縄問題と震災、とりわけ原発事故とには共通点があります。
 
 ところで、沖縄の基地問題と原発事故とは直接の関係はありませんが、歴史的にみると、この二つは相互に関連し合いながら、戦後の日本が
歩んできた道筋を象徴的に表しています。

 すなわち、日本政府は戦後一貫して、アメリカの軍事的な庇護のもとに経済発展に邁進する、という政策をとりつづけてきました。

その軍事的な庇護の象徴が沖縄の米軍基地で、経済発展主義の結末の象徴が原発です。

 沖縄問題からもう少しくわしくみてみましょう。沖縄の人たちは、返還後40年経っても状況は本質的にはまったく変わっていないと感じ
ています。それは、日本とアメリカの関係が変わっていないからです。
 
 日本政府はこれまで、アメリカに守ってもらうのだから、基地を提供し、「思いやり予算」という米軍へ経済的支援をするのは当然である
という説明の仕方をしてきました。
 
 アメリカの軍事基地を置いている国で、日本ほどあらゆる面でアメリカへの奉仕を熱心に行っている国はありません。

 しかし、その割には、日本ほどアメリカの言いなりになっている国もないでしょう。
 
 アメリカの軍事的な庇護のもとに進んで入ってきた日本は、当然のことながら、外交面でもアメリカに追随せざるを得ません。
 
 歴代の政府が「日米関係は日本外交の基軸である」と、一つ覚えに繰り返してきました。軍事・政治ばかりでなく、経済の面でも日本は
アメリカからの圧力を受け続けています。その反面、沖縄を本気で苦痛から解放しようとする努力を怠ってきたのです。

 それでは、経済発展の方はどうなったのでしょうか。日本は戦後めざましい経済復興と発展を経験してきました。それを支えてきた大きな
原動力は日本人の努力と、急速に増大するエネルギー需要をまかなうための火力発電と原子力発電でした。
 
 しかし、1973年の第一次石油危機いらい、日本はエネルギー源として脱石油の方向に舵を切り、その分、エネルギー源は原発に向
かったのです。

 こうして、高度経済成長のエネルギー需要をまかない、経済成長を謳歌してきました。

 しかし、その影で、放射性廃棄物の処理の問題も解決のめどはたっていないし、原発のもつ危険性には日増しに増大しているのに、
それらに目をつぶってきたのです。

 沖縄の基地問題と福島の原発事故(潜在的には原発がかかえる潜在的な危険性)は、問題の出方はちがいますが、現代日本のノドに
刺さった二つの大きなトゲです。

 しかも、大切な点は、軍事的なアメリカへの依存と飽くなき経済発展への欲望追求という構造は、日本社会の根っこに横たわる構造的
な問題である、という事実です。
 
 これらの問題を同時に解くことは非常に難しいとは思いますが、方向としては、まず本当の意味で日本が独立国としての主権を確立する
(アメリカへの従属から抜けだし)ことです。

 日本には日本の利害があり、これはアメリカや他の国とはちがって当然です。
 
 したがって、いかに日米同盟が基軸だといっても、日本の利害を損ねるようなことには抵抗し、日本の安全と利益を守るための自主
外交を追求すべきだと思います。しかし、戦後の日本の為政者も国民全体も、まるでマインド・コントロールされているかのように、
アメリカなしには日本は存続できないという脅迫観念にとらわれています。そから抜け出すことが第一歩です。
 次に、もうそろそろ、やみくもに経済的豊かさを追求することを見直すことだと思います。エネルギーを使いたい放題使い、物質的・
金銭的な欲望から自らを解放し、別の幸福の形を見つける努力が必要です。


沖縄返還にまつわる密約にかんしては、さしあたり以下のサイトを参照してください。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-141824-storytopic-11.html (琉球新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0207/TKY201202070462.html(朝日新聞)
http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/okinawa/(北海道新聞)

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小沢一郎裁判ー何が裁かれているのかー

2012-05-11 15:04:30 | 政治
  小沢一郎裁判-何が裁かれているのか- 


 2012年4月26日、小沢一郎元民主党代表にたいする一審で無罪判決が出ました。これに対して、5月9日、検事役の3人の指定弁護士は
控訴しました。
 この控訴に対して、小沢氏およびその弁護人が、とても理解に苦しむ、違和感を感じる、という声明を出しました。実をいうと、私もこの控訴に
は少なからず違和感をもちました。ただし、それは裁判という場での法律論議とは別な観点からの違和感です。
 
 まず最初にはっきりとさせておかなければならないのは、小沢氏に関する容疑が何であるか、というもっとも基本的な点です。新聞などでは、
土地の購入に関するお金の出入りが政治資金報告書には、取引のあったその年ではなく、翌年に記載されていたこと、つまり不実記載、さらに
4億円の出所などについて繰り返し書いていますが、これらは正確ではありません。
 
 これらのうち、秘書が不実記載を行ったことは既に立証されています。これは、法律の世界で言えば、形式犯で、通常は世間を騒がせるよう
な重大犯罪ではありません。

 小沢氏への容疑は、これとは別に、小沢氏が、犯罪性を知りつつ、秘書と共謀して不実記載を行ったか否かという点です。

 それにたいして1審では、指定弁護士の出した証拠と論理では共謀とまでは言えないという結論を出した、というのが今回までの事実経過です。
 
 さて、私が今回の一連の経緯と報道を見ていて違和感を感じたのは、いくつかあります。断っておきますが、私は小沢氏の支持者でもないし、
弁護人でもありません。

 また、4億円の出所とか、どの会社の誰それから、賄賂をいくらもらったとか(西松建設その他の企業との黒い噂を新聞は書き立ててい
ましたが、今は誰も問題にしていません。あれはいったい何だったのでしょうか)、といったことにも関心はありません。

 私が不思議に思うのは、東京地検の特捜部が徹底的に調べ、時には嘘の供述調書まで作り上げて、(これこそ正真正銘の不実記載なのですが)
証拠固めをしたにも関わらず、二度とも起訴できなかった事実です。

 地検の特捜部といえば警察官僚の中でもエリート中のエリートであり、徹底的な捜査を行うことでよく知られています。その特捜部が何とし
ても起訴して有罪にしようとして二度までも試みたにもかかわらず、二度とも起訴さえできなかったのです。
 
 ほとんど有罪まちがいないかのようなマスコミの論調の中で、なぜ、検察にとってこういう惨めな結果に終わってしまったのでしょうか、
とても不思議です。

 言い換えるとこれは、検察当局の捜査能力がここまで低下していたからなのか、最初から「筋の悪い」案件を、無理やり起訴しようとした
からなのかは分かりません。

どちらにしても我々一般市民にとっては不可解なことです。

 なお、起訴に持ち込めなかった問題を不起訴のまま放棄することは、検察権威の失墜を意味します。

 そこで登場したのが「無作為抽出」で選ばれた20才から69才までの「一般市民」から成る、検察審査会という制度です。

これは、検察が不起訴にしても、市民から要請があればもう一度審理のやり直しへの道を開く制度です。
 
 小沢氏の事件では、検察審査会は二回行われ、二回とも「起訴相当」の結論が出されました。問題は、すでに随所で報道されたように、
その審査会のメンバー11人の年齢構成に関する謎です。
 
 最初、構成員の平均年齢は30.90才と発表されまたが、低すぎるとの指摘にたいして二転三転したあげく、34.55才に落ち着き
ました。

 この数字だけでも首をかしげたくなります。というのは、本当に無作為に抽出して平均年齢が34.55才になる確率はきわめて低い
からです。

 さらに大きな謎は、第一回目と二回目の審査会メンバーの平均年齢が、小数点以下2位までまったく同じ、34.55才だったことです。
このように一致する確率は天文学的に低いのです。本当に,審査会の構成員は別の人だったのでしょうか? 

 そして,わずか11人の平均年齢を計算して最終的に数字を出すまでに10日もかかっているのはどういうわけでしょうか?

 検察当局の説明では、偶然にこのように一致したということですが、これを信じている日本人はどれほどいるでしょうか? 

こんな弁明は小学生にもつうじないでしょう。これは選出から審査結果までのプロセスが,全て密室で行われているからです。
 
 検察審査会のメンバーとなった人たちの間には、一体感が生まれるらしく、後で同窓会的な集まりがもたれるようです。

 最近、テレビで、以前、審査会メンバーであった人たちの同窓会パティーの様子が映しだれましたが、その映像を見る限り、
どうみても平均年齢34.55才よりは、ずっと上で40代から50代にしか見えませんでした。

 構成メンバーとは別の問題も後に発覚しました。検察当局は検察審査会にそれまでの捜査資料なるものが提出しましたが、
小沢氏有罪をにおわす部分には下線が引かれていたこと、さらに深刻な問題は、その資料(具体的には供述調書など)には検察当局による
虚偽記載があることが分かったのです。

これは、現在の検察による捜査方法、とりわけ利益誘導や脅しによる供述調書の作成という点で大きな問題を抱えており、検察への信頼性
を根底からくつがえす事態です。

 こうした不透明な問題をはらんだ裁判でしたが、4月26日には無罪判決が出たのです。この裁判の審理過程で、裁判長は検察の役割を
果たす3人の指定弁護士が提出した証拠のほとんどを不採用としました。

つまり、証拠の主要部分を成す、秘書の供述調書が虚偽記載だったのです。

 小沢氏の裁判の出発点が、政治資金規制法にかかわる虚偽記載であったことを考えると、検察による調書そのものが虚偽記載であった、
というのはぞっとするようなブラックジョークです。
 
 さすがに裁判所も、このような事態を放置すると、裁判制度そのものの信頼性が揺らぐことを危惧して、裁判の過程で検察の捜査方法を
批判したうえで、この問題を検討する法務委員会を発足させることを決めました。

 さて、今回の裁判で何が裁かれているのかをもう一度考えてみたいと思います。というのも、これは小沢一郎という一人の政治家の問題
だけではないからです。

 まだ記憶に新しい、大阪地検特捜部の前田惇彦検事による、フロッピー改ざん事件があり、それによって2009年、厚生労働省の村木
厚子局長が逮捕、拘留されました。

しかし翌年、この改ざんが発覚して村上氏は無罪となりました。このようなことは絶対に繰り返してはなりません。

 今回の事件で裁かれているのは、第一に政治家の金銭問題です。この際、国会議員全員の政治資金報告書を精査すべきだと思います。

なぜなら、国会議員には多額の税金が与えられているからです。
 
 次に、今回の裁判過程で明らかになったように、検察当局の捜査方法です。検察審査会の構成員の選出がまったくの秘密に行われ、
その議論の過程もいっさい記録に残さない、という秘密性は、裁判制度そのものに対する信頼性を大きく失わせます。

 このような状況を考えると、裁判制度への信頼性を回復するには、捜査の透明性、とりわけ尋問の過程をビデオなどの映像で残す、
可視可することが、私たち国民の安全を確保するために何よりも大事だと思います。

 しかし、検察当局が、何としても阻止したいのがこの可視化です。そういえば、先の衆議院選挙の際、小沢氏はこの可視化を強く主張
していたように記憶しています。

 戦前の、拷問や脅迫による尋問のような捜査方法は絶対に繰り返してはならないし、証拠の大部分が不採用となる根拠で起訴することも
慎重でなければなりません。

この意味で、今回の一連の裁判手続きでは、検察そのものも社会的に裁かれている、ということを検察当局は深刻に受け止めて欲しいと思います。
 そして,検察審査会の審議に影響を与えた文書が,たとえ捏造資料や不実記載であっても,「起訴相当」という検察審査会の判断は形式的には
有効であると判断した司法当局にも大いに問題はあります。この点では司法当局もやはり裁かれているといえるのではないでしょうか。

検察審査会の問題点については,以下のサイトを参照されたい。
http://wpb.shueisha.co.jp/2010/11/01/919/
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/10/post_677.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/7310.html

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原発が全て止まった日-原発再稼働の奇妙な裏事情-

2012-05-06 10:49:25 | 原発・エネルギー問題
原発が全て止まった日-原発再稼働の奇妙な裏事情 


 2012年5月5日(子供の日)の深夜から6日の未明にかけて北海道の泊原発が停止し,これで50基あった日本の全ての原発が
42年ぶりに止まりました。予想通り,6日の新聞各社は原発稼働ゼロの記事を掲げています。

そして,今回の全面停止を契機に,日本の原発政策やエネルギー政策を根本的に見直す出発点にすべきだという議論も盛んです。

これは重要な問題で,私には個人的な意見もありますが,それは別の機会院にゆずり,今回は,それを考える上でも是非,知って
おくべき,原発再稼働への動きの背後にある,奇妙な裏事情について考えてみたいと思います。

今回の原発全停止は1年前から予定されていたことで,これに関連して以前からさまざまな問題が議論されてきました。

ここでは,これらの議論のうち,関西電力の大飯原発の再稼働に関する関西電力へのヒアリングから,図らずも明らかになって
しまった再稼働の圧力への奇妙な裏事情を考えてみようとおもいます。

関西電力はその43%を原発に頼ってきたため,このまま全停止ということになれば,電力不足への懸念がたかまるのは当然です。

そこで,関電の大消費者でもある大阪市の特別顧問である古賀茂明らが,関電にたいして,電力は本当に足りないのか,大飯原発の
再稼働にたいする安全性は確保されているのか,といった問題に関して4月にヒアリングを行いました。

そのヒアリングの全容は分かりませんが,後日,その一部を古賀氏がテレビ番組で語ってくれました。関電側は,たとえ電力が足り
ても原発は動かしたいと強く主張したそうです。

つまり,稼働することは電力需要をまかなえるかどうか,という問題とは直接関係ない,というものでした。

その理由は,私たちの懸念とか疑問とはまったく別の次元のものでした。

関電が再稼働にこだわるのは,なにも今年1年の問題ではありません。もし,今後関電の原子炉が廃炉の方向に進んでゆくとすると,
原子炉は資産価値を失います。関電が恐れているのはこの点です。

電力料金が悪名高い「総括原価方式」を算定基準としていることは,よく知られています。これは電気料金を,全ての発電・送電
コストを合算し,それに一定の利益率を掛けて決める方式です。

そのコストには発電施設の建設・維持費用,資産、燃料費,運転費,営業費が含まれます。

したがって,コストが高くなればなるほど,その分は電気料金に転化され,自動的に利益が増加する仕組みです。コストのうち,
発電施設の建設費とその資産価値,施設の維持・運転費が大きな部分を占めています。

驚くべきことに,使用済み核燃料も資産に組み込まれますので,当然,電気料金に反映されます。

こうした背景の中で,電力会社は積極的に高額な原発を建設してきました。これは同時に利益が自動的に増えるからです。

ちなみに,テレビやマスコミでの宣伝広告費も当然,原価として計上されます。地域独占が法律で保証されている企業が,なぜ高額
の宣伝広告費を使う必要があるのか不思議です。

これは,電気という重要なエネルギーを安定的に供給するため,という大儀名分のもとに法制化されています。

4月1日からの電力料金の値上げを巡って,東京電力の社長が,「値上げは権利でもあり義務でもあります」と言い切った裏には
このような事情がありました。

関電の場合,総資産は約1兆9000億円ほどで,原発関連施設がそのうち約半分です。

つまり, 関電の資産の中で,原発関連設備が非常に大きな部分を占めているのです。それは原発の建設コストが巨額にのぼるからです。

たとえば,平成9年に完成した九州電力の玄海4号機の場合,建設費用は3244億円でした。

もし原発が廃炉となり,つまり資産価値を失ったとしましょう。単純に計算すると関電の利益は半減してしまいます。

さらに,それを運転・維持するコストも巨額ににのぼります。原発は建設にも,維持にもとても高額な費用がかかるのです。

もし,原発関連の施設と運転・維持のコストがコストから消えてしまえば,関電の利益はさらに減少し,企業(形式的には私企業です)
としては赤字経営となり,事実上の倒産状態になります。

これこそが,関電(もちろん日本の電力会社全て同じですが)がもっとも恐れている事態です。

これを別な面からみると,関電の態度の背後には,原発を止め,やがて廃炉にするなら,電力会社としては倒産しますが,それによって
社会に混乱が起きてもいいんですか,という脅しにもとれる発想がうかがえます。

このニュースはその後あまり話題になりませんが,私は,原発あるいはエネルギー問題を考える際の,根本的な問題がここに潜んでいる
と思います。

本末転倒とはこのことです。しかし,資本主義という経済体制は,利潤追求を動機とする私企業の経済活動を基盤にしており,それぞれの
企業はまずは経営体として生き残ること,できれば規模を拡大することを自己目的としています。

これが資本主義経済の本質でもあり,私たちはその体制を選択してきました。

もちろん,私企業とはいえ,たとえ法律的には違法ではなくても,明らかに人々に不利益を与える企業活動は許されない,むしろ公共の
福祉に貢献すべきである,という企業倫理は存在します。通常の経営状態なら,この倫理観が企業活動をある程度制限していることは
事実です。

しかし,企業の存続が危うくなったとき,果たして,このような企業倫理が正常にはたらくでしょうか?

以上の事情を考えると,電力という国民生活の根幹をなす事業が,利潤追求を動機とする私企業に任せることが適切かどうかが問題とな
ります。

これから,原発の是非をめぐってさまざまな議論が出てくると思いますが,これまで書いたような根本的な問題もしっかりと考える必要が
あります。

しかも,この問題は電力だけでなく,いよいよ経済体制そのものを再検討することも要求しています。

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不耕起栽培(4)-その可能性と課題-

2012-05-05 15:10:26 | 食と農
  不耕起栽培(4)-その可能性と課題- 


これまで3回にわたって不耕起栽培について書いてきましたが,今回はそのまとめとして,この栽培の可能性と問題を考えてみたいと思います。

それに先だって確認しておくべきことがあります。このシリーズで書いてきた不耕起栽培とはたんに耕さない,という農法ではありません。

そもそも,このような農法を行う背景には,できる限り人間が人工的な手を下さないで,自然のもつ力を活用しようという価値観があります。

このため,不耕起栽培は,無肥料,無農薬をセットにしていることが普通です。したがって,ここでは不耕起栽培という言葉を,このセットを
念頭において使うことにします。

これまで,不耕起栽培を,水田の冬水田んぼと畑(野菜栽培)に分けて書いてきました。というのも,両者の間には基本的な考え方には共通性
もありますが,作物にとっての生態環境に違いがあるからです。
 
共通の問題としては,無肥料の場合,そもそも自然の土地がもっていた栄養素にどれほど頼れるのか,という問題です。植物の生育にとって
必要な栄養素のうち,有機物に関しては,糖類(澱粉質や炭水化物)は光合成によって,蛋白質や脂肪は地中の窒素から合成されます。

冬水田んぼの場合,水を張ったままなので,不耕起でも田植えには差し支え名ありません。また,必要な有機物を田んぼに繁殖する動植物が
これらを補ってくれます。

畑作の場合,土地がもっていた栄養素と,畑に残された根や作物の未利用部分,時には雑草などが鋤きこまれて栄養源になる可能性はあります。
 
それでは,無機質の微量金属やミネラルについてはどうでしょうか。冬水田んぼで稲作をする場合,灌漑用水に含まれている微量要素を利用し,
また前回の記事で紹介したように岩澤氏のグループでは田植えの時期にこれらを散布して補っています(したがって,厳密な意味では「完全
な無肥料」とは言えないかも知れません)。
 
畑作の不耕起栽培については,播種や植え付けの際,少しだけ(15センチほど)耕すことは必要なようですが,いわゆる天地返しはしません。
それでも,植物が根を張る層は堅くしまってしまうことはないようです。

畑作の場合も,金属やミネラルなどの作物に取り込まれた微量要素は再生産されません。畑を中心にしている石井氏によれば,耕土が深いので,
微量要素が欠乏することはないとのことです。

これも地球が永年蓄えた栄養素なので,今後どれほどの期間利用できるのかは分かりません。

微量要素の補充は,長い目で見て無肥料栽培の一つの課題になるかもしれません。 
 
水田の場合も畑の場合も,耕作する土壌には,自然の栄養素がすでに存在することを前提にしています。

しかし,鹿児島県のシラス台地,石や砂ばかりの極端に貧栄養の土地のように,すべての土地が自然の栄養素に富んでいるとは限りません。

したがって,不耕起栽培を行う場合には,無条件でこでもというわけにはゆかず,ある程度地味の豊かな土地が必要になります。

不耕起栽培の作物の味はどうでしょうか。現在,冬水田んぼの米も,野菜も味については消費者の評判が良く,野菜の場合にはアトピー性疾患
その他の疾患にも効果があることが実証されています。少なくとも味については問題なさそうです。

では,不耕起栽培は,労働の面でも,肥料・農薬・農機具などのコストの面でも良いことだらけなのに,なぜこれがもっと全国に普及しないの
でしょうか。それには幾つかの理由があるようです。

一つは,多くの農家は,不耕起・無肥料で良い作物が今まで通りの生産量だけできるわけがない,と強く信じていることです。長い間の慣習を
いっぺんに変えることは難しいのでしょう。とくに,肥料を与えれば,短期的には収穫量が増えることも確かなので,よけいに不耕起栽培に
転換するには勇気が要ります。
 
二つは,冬水田んぼの場合も畑の場合も,不耕起で通常の収穫を得るには,それまでに肥料と農薬で痛みつけられた土壌を正常な状態に戻す
(石川氏の表現を借りると「肥毒」を抜く)のに,かなりの年月(10年くらい)かかるそうです。

このため,思いついたらすぐに可能になるわけではありません。田んぼや畑の一部を少しずつ不耕起・無肥料・無農薬に適した状態に変えて行く
という方法をとらざるを得ません。

その間の収入をどうするか,というきわめて現実的で困難な問題があります。不耕起栽培の推進者は,土地の一部を少しずつ不耕起用に転換
してゆくことを推奨しています。

三つは,永年農業に携わってきた人たちは,不耕起栽培はいかにも手抜き農業のように映り,それにたいする気持ちの上での抵抗感もある
ようです。

最後に,果たして不耕起栽培は生産者にとって採算が合う農法なのかどうかを考えてみたいと思います。

趣味の家庭菜園や自家消費のために仲間と共同耕作の場合であれば,作物が売れようが売れまいが,あるいは不作で作物の収穫が減少しようが
深刻な問題にはなりません。

しかし,農業で生計を立てる農家にとっては,どれほど安心・安全・健康的な作物ができても,不耕起栽培によって家計が維持でき職業として
成立しなければ意味がありません。

岩澤氏が強調するのは,儲かる農業をしなければ跡継ぎはできないし,農業は衰退するばかりだ,という点です。それでは実態はどうでしょうか。

現在の米作りについて言えば,肥料,農薬,除草剤,農業機械のコストなどを含めると,1キログラム当たり平均で300円のコストがかかって
いると試算されています。

しかし,米をJAに売り渡す価格はキロ200円ほど(1俵当たり1万2千円)です。つまり,作れば作るほど生産者としては赤字になって
しまいます。この価格で売り渡した米は市場では2万円前後で売られることになります。

これにたいして不耕起・冬水田んぼの米は現在インターネット販売も行っていますが,一番売れるのは1俵5万円前後(1キロで830円ほど)
の米だそうです。

これは,消費者が味・安心・安全を評価していることを意味しています。

ナチュラルシードの石井氏のところには,彼の農法に賛同する全国の生産者から,固定種・在来種を無肥料・無農薬で栽培した野菜が送られて
きて,これらもインターネットで販売しています。

価格については正確には分かりませんが,特に健康面での良さが高く評価され売れてているようです。

現段階では,不耕起栽培の作物は消費者にとって,希少価値もあってやや割高になる可能性はありますが,その価値を認める消費者も確実にいます。

岩澤氏は農家の人たちに向かって「儲かる農業をやってください」と言い続けています。

それは,採算の合わない農業の現状では,産業としての農業が衰退し,耕作放棄した農地が拡大することに強い危機感を抱いているからです。

いずれにしても,私たちの命を支える食べ物に関しては安全・安心を第一に考えるべきであり,同時にそのような日本の農業を維持してゆくため

にも,消費者は安ければ良いというだけでなく,多少高くても,ある程度のコストを負担するつもりで健康的な食物を買うように,意識の転換が
必要な時代に来ていると思います。

安さだけで選んでいると,日本の農業は確実に衰退し,気がついてみると,日本は遺伝子組み換えと農薬付けの輸入農産物に依存する国になりか
ねません。

見栄えだけの野菜では,健全面を除いても,味覚も食文化も育ちません。食べ物は文化の源でもあることを忘れてはなりません。

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不耕起栽培(3)-畑作の場合-

2012-05-04 10:24:08 | 食と農
            不耕起栽培(3)-畑作の場合-


 前回紹介した「冬水たんぼ」の場合,冬の間水を張っておくので,土地は十分柔らかくなっており,しかも,肥料を与えないので植物は地中深く
根を伸ばし,それが結果的に土地を耕していることになります。このため,不耕起でも栽培が可能でした。

しかも水田稲作の場合,灌漑用水の中に含まれる有機物やミネラルで,栄養素は毎年,ある程度は補充されますし,前回の「冬水田んぼ」のよう
に,さまざまな生物が田んぼに繁殖し,それらもまた土壌に新たな養分を与えてくれます。だから,肥料を与えなくても植物は十分に育ちます。
 
しかし,水を張らない畑作でも不耕起で無肥料の栽培は可能なのでしょうか。自然農法を行っている人たちは,誰も耕さず,肥料も与えないのに,
森は育ち循環しているという,森のサイクルを引き合いに出します。

このたとえには少し注意が必要です。自然の森は,数千年,数万年,さらには場合によっては数億年もかけて豊かな土壌を作り上げてきました。
「不耕起栽培(1)でも書きましたが,自然の森は枯葉であれ,そこに住む昆虫であれ,小動物,あるいは地中の微生物にいたるまで,それらの
死骸も含めて森から外に持ち出されるものはありません。

うして蓄積された土壌の養分をもとに樹木が生い茂り,その根が地中深く伸びて,ここでも根が土地を耕してきたと言えます。繰り返しますが,
これには気が遠くなるほど長い年月がかかっているのです。いわば,森とはこうして作られた自然の巨大なストックです。

これにたいして畑作は,もともとあった森や原野の表面を取り払った,人工的な生態系です。そこでは,自然の森のように大きな樹木が地中深く
根を張って土地を耕してくれるわけはないし,長い年月をかけて蓄積した栄養分があるわけではないし,森ほど多様な土中生物がいるわけでは
ありません。

畑作では,一回作物を収穫すると,確実に地中の養分を消費します。しかも,多くの場合,その作物が一生懸命作り上げた,もっとも栄養価の高
い部分(「実」と呼ぶ部分)を人間が持ち去ってしまいます。ここが人工的な土壌である畑と自然の森が決定的にちがう点です。

このため,これまで畑は植え付けの前に地中に元肥を施し,生育の途中で再び肥料を与えることが常識とされてきました。

このような事情を考えると,不耕起でしかも無肥料で畑作(ここでは野菜栽培)を継続的に行うことは可能なのでしょうか。

私は,全く耕さない畑作を実践している人は知りませんが,それにかなり近い野菜作りをしている石井吉彦氏の畑を見たり勉強会や著作を通じて
知り得たこと,感じたことを紹介します。(石川氏についてはこのブログでもナチュラルシードの普及活動をしている人物として「青臭いトマト
はどこへ?」という記事で紹介しています。)

石井氏は耕地の表面を少しだけ耕しますが,いわゆる「天地返し」と呼ばれるような深く耕すことはしません。石井氏の畑で長さ1メートルほど
の園芸用の支柱を片手で地中に刺すと,その支柱が手元まで簡単に地中に刺さってゆきました。いわば半不耕起栽培といえます。

石井氏は,畑の土を掘って土壌の調査を継続的に行ってきていますが,石井氏の畑の土壌は,植物が生育する「作土または耕土」が1メートルを
優に超える深さになっています。

石井氏は耕耘機の使用に反対しています。耕耘機のような重い機械を畑に走らせると,表面の土は耕されて軟らかくなりますが,その下の土は
機械の重さで堅くなってしまうからです。

石井氏の場合は,半不耕起,無肥料とナチュラルシード(固定種,在来種)の組み合わせですが,これにより作物の根は深く伸び,ここでも
植物が土地を耕してくれています。

彼は,土はそもそも植物の生育に必要なものをすべてもっている,ということを強く信じています。そこに農薬はもちろん肥料を与えると,
土はそれによって汚される,と考え,それを「肥毒」と呼んでいます。

深く耕さないこと,肥料を与えないこと,そしてピュアな種を使うことが条件です。ピュアな種とは,種の採種に使った肥料,農薬,余分な情報
(遺伝子組み換え,放射線照射などのこと)がないこと,つまりナチュラルシードのことです。

さらに付け加えると,ナチュラルシードを用いて無肥料栽培をし,種を自家採種している人たちが,何年かに一度,種を交換し合って混ぜること
が重要です。これによって,その植物の良さが強化されます(栽培学では「雑種強勢」と呼びます)。

不耕起,無肥料とは別に,もう一つ,驚くべき事実があります。それは,連作が難しいと言われているショウガの栽培を同じ土地で30年以上も,
小松菜や伊勢菜は20年以上,シソ,オカヒジキ,水菜,長ネギなども何年も同じ土地で連作していることです。

通常,同じ作物を連作すると病虫害などの連作障害がでると言われてきましたが,石井氏は「連作が豊作のカギ」とさえ主張します。

これも従来の農業の常識を破る考え方です。しかし,事実としてこのような連作が行われているのです。

この理由を石井氏は次のように説飯しています。まず,植物はそこに養分があればそれを無条件で根から吸い上げるのではない。
養分を取り込む毛根の周囲に,その作物に対応した微生物群(石井氏は「ムニゲル」と呼んでいますが,おそらく,嫌気性の微生物群)が集まり,
吸収を助けている。

したがって,天地返しをしてしまうと,この土中の微生物群がつくった生態系を破壊してしまうことになります。さらに,この微生物は化学肥料
では増えないそうです。

これを科学的に証明することは困難です。というのも,これらの微生物にはおびただしい種類があることと,嫌気性の微生物は地上に出して酸素
に触れると死んでしまうので,培養して実験することができにくいからです。

いずれにしても土中の微生物に関しては,まだまだ分からないことが覆いようです。以上の説明は,現段階では仮説ということにしておきます。

 参考文献
石井吉彦 2010 『元気な種で育てる究極野菜の誕生』(株)ナチュラルシードネットワーク

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