防犯カメラか監視カメラか-渋谷殺傷事件にみる監視社会の実態-
2012年5月21日,地下鉄渋谷駅構内のエスカレータで,殺傷事件が発生し,男性が一人重傷を負いました。その直後から,地下鉄構内に設置された
カメラでとらえられた容疑者の姿がテレビで繰り返し流され,この数日後,容疑者は逮捕され,犯行を認めました。
こうして,事件としては一件落着なのですが,どうにも釈然としない,複雑な感情が残りました。
犯人逮捕には,地下鉄構内に設置されているカメラの映像が大きな役割を果たしたようです。駅にはおびただしい数のカメラが設置されています。
最初に地下鉄や電車に乗った時刻が分かると,あとは時間ごとに映像を見てゆくと,逐一人物の行動が追跡できます。たとえば,渋谷から地下鉄
に乗れば,降りた駅まで確認することができ,あとは聞き込みで犯人を特定することができる,というわけです。犯罪の捜査と犯人逮捕には,カメラ
の威力は絶大です。
カメラの存在は,犯人を特定し,逮捕を効率的にするという役割の他に,犯罪の発生そのものを防止する,防犯防止の役に立つことも強調されています。
確かに,カメラが作動していることを意識させることで,犯罪防止の効果があることは事実です。
もっとも,実際問題として,カメラがどの程度,犯罪行為を思い止まらせることに効果があるのかは分かりません。
これにたいして,起こってしまった犯罪の捜査,犯人の特定・追跡・逮捕には,カメラの果たす役割が大きいことは疑いようがありません。
一方,カメラが何も特別に犯罪と結びついた人物だけをとらえているのではなく,私たちも一緒に映されているはずです。私が「複雑な感情」と言ったのは,
カメラには防犯機能と同時に,この監視機能があるからです。
もちろん,何も悪いことをしていなければ,恐れることはないというのは理屈です。しかし,私たちの行動が常に監視されている,ということを思った
だけで,あまり気分のよいものではありません。
それと,監視機能については,まだまだ気を許せない事情があります。現在は,傷害,窃盗,痴漢など,誰が見ても犯罪と思われる行為の監視が,監視
カメラの主な目的かもしれません。
しかし,このような犯罪者の取り締まりだけでなく,為政者の側が,”好ましくない人物”を監視しようと思えばそのために利用される可能性はあります。
時代や状況によって,時の権力者が考える“好ましくない人物”の対象は変わってきます。したがって,今は,問題なくてもある時には“好ましくない人物”
と見なされ,監視の対象にされる可能性もあります。
たとえば,日本が戦争に向かっているとき,戦争反対の活動をしている人が監視の対象となることもあり得ます。
カメラのコンピュータ解析の技術が進んでいて,特定の人物の顔を認識させておくと,映像の中から,その人物を特定することができるようです。
したがって,「要注意人物」の顔をリストに登録しておけば,いつでもそこに登録された人の行動を監視できるのです。
このような心配をしなくても良い社会であることを望んでいますが,そもそも監視カメラ自体,私たち個人個人の承諾なく,映像に取り込んでいるため,
プライバシーを大きく損ねる危険性をはらんでいます。
極端な言い方をすれば,監視カメラで映像化することは,「盗撮」とも言えるのです。ただ,一応,プライバシーの侵害というマイナス面を考慮したとしても,
犯罪防止と犯人の逮捕という社会的なプラス面の方が大きいという建前にはなっています。
監視カメラは鉄道の関連施設だけでなく,新宿のような街や,道路などにも設置されています。私たちは,監視カメラに囲まれているといっても過言では
ありません。
しかも,監視という面では,カメラによる映像だけでなく,携帯電話を使用したときの電波もキャッチされるので,携帯電話を掛けたとき,どこにいたかも
追跡可能です。
かつて酒井法子氏が麻薬の使用容疑で追われていたとき,警察は携帯電話の発信記録から,彼女がどこから掛けたかを割り出し,いつ,どこにいたかを特定
しました。
以上は,日本国内の問題ですが,これを地球規模でおこなっているのが,「エシェロン」という電子傍受システムで,アンテナが大きな丸い円を描くように
並んでいる形状から「像の檻」と呼ばれる監視施設が置かれています。
これはアメリカの国家安全保障局(NSA)が主体になって運営されている電子傍受システムで,電子メール,軍事通信,電話,ファックス,データ通信など,
あらゆる電子情報を傍受しています。日本には青森県の三沢の近くに「像の檻」があります。
このように考えると,私たちは知らない間に,監視社会の中に生きているといえます。監視社会では,監視する側(たとえば国家,警察)が,どのような人物
を監視するかを,まったく私たちに知られることなく,一方的に決めることができます。
また私たちは,プライバシーが常に侵害されているという心理的な圧迫感の下に暮らすことになります。
科学技術の発達は,私たちの生活を便利にしてくれますが,他方で,一般市民が監視のもとに置かれるというマイナス面もかかえていることを忘れてはなりません。
2012年5月21日,地下鉄渋谷駅構内のエスカレータで,殺傷事件が発生し,男性が一人重傷を負いました。その直後から,地下鉄構内に設置された
カメラでとらえられた容疑者の姿がテレビで繰り返し流され,この数日後,容疑者は逮捕され,犯行を認めました。
こうして,事件としては一件落着なのですが,どうにも釈然としない,複雑な感情が残りました。
犯人逮捕には,地下鉄構内に設置されているカメラの映像が大きな役割を果たしたようです。駅にはおびただしい数のカメラが設置されています。
最初に地下鉄や電車に乗った時刻が分かると,あとは時間ごとに映像を見てゆくと,逐一人物の行動が追跡できます。たとえば,渋谷から地下鉄
に乗れば,降りた駅まで確認することができ,あとは聞き込みで犯人を特定することができる,というわけです。犯罪の捜査と犯人逮捕には,カメラ
の威力は絶大です。
カメラの存在は,犯人を特定し,逮捕を効率的にするという役割の他に,犯罪の発生そのものを防止する,防犯防止の役に立つことも強調されています。
確かに,カメラが作動していることを意識させることで,犯罪防止の効果があることは事実です。
もっとも,実際問題として,カメラがどの程度,犯罪行為を思い止まらせることに効果があるのかは分かりません。
これにたいして,起こってしまった犯罪の捜査,犯人の特定・追跡・逮捕には,カメラの果たす役割が大きいことは疑いようがありません。
一方,カメラが何も特別に犯罪と結びついた人物だけをとらえているのではなく,私たちも一緒に映されているはずです。私が「複雑な感情」と言ったのは,
カメラには防犯機能と同時に,この監視機能があるからです。
もちろん,何も悪いことをしていなければ,恐れることはないというのは理屈です。しかし,私たちの行動が常に監視されている,ということを思った
だけで,あまり気分のよいものではありません。
それと,監視機能については,まだまだ気を許せない事情があります。現在は,傷害,窃盗,痴漢など,誰が見ても犯罪と思われる行為の監視が,監視
カメラの主な目的かもしれません。
しかし,このような犯罪者の取り締まりだけでなく,為政者の側が,”好ましくない人物”を監視しようと思えばそのために利用される可能性はあります。
時代や状況によって,時の権力者が考える“好ましくない人物”の対象は変わってきます。したがって,今は,問題なくてもある時には“好ましくない人物”
と見なされ,監視の対象にされる可能性もあります。
たとえば,日本が戦争に向かっているとき,戦争反対の活動をしている人が監視の対象となることもあり得ます。
カメラのコンピュータ解析の技術が進んでいて,特定の人物の顔を認識させておくと,映像の中から,その人物を特定することができるようです。
したがって,「要注意人物」の顔をリストに登録しておけば,いつでもそこに登録された人の行動を監視できるのです。
このような心配をしなくても良い社会であることを望んでいますが,そもそも監視カメラ自体,私たち個人個人の承諾なく,映像に取り込んでいるため,
プライバシーを大きく損ねる危険性をはらんでいます。
極端な言い方をすれば,監視カメラで映像化することは,「盗撮」とも言えるのです。ただ,一応,プライバシーの侵害というマイナス面を考慮したとしても,
犯罪防止と犯人の逮捕という社会的なプラス面の方が大きいという建前にはなっています。
監視カメラは鉄道の関連施設だけでなく,新宿のような街や,道路などにも設置されています。私たちは,監視カメラに囲まれているといっても過言では
ありません。
しかも,監視という面では,カメラによる映像だけでなく,携帯電話を使用したときの電波もキャッチされるので,携帯電話を掛けたとき,どこにいたかも
追跡可能です。
かつて酒井法子氏が麻薬の使用容疑で追われていたとき,警察は携帯電話の発信記録から,彼女がどこから掛けたかを割り出し,いつ,どこにいたかを特定
しました。
以上は,日本国内の問題ですが,これを地球規模でおこなっているのが,「エシェロン」という電子傍受システムで,アンテナが大きな丸い円を描くように
並んでいる形状から「像の檻」と呼ばれる監視施設が置かれています。
これはアメリカの国家安全保障局(NSA)が主体になって運営されている電子傍受システムで,電子メール,軍事通信,電話,ファックス,データ通信など,
あらゆる電子情報を傍受しています。日本には青森県の三沢の近くに「像の檻」があります。
このように考えると,私たちは知らない間に,監視社会の中に生きているといえます。監視社会では,監視する側(たとえば国家,警察)が,どのような人物
を監視するかを,まったく私たちに知られることなく,一方的に決めることができます。
また私たちは,プライバシーが常に侵害されているという心理的な圧迫感の下に暮らすことになります。
科学技術の発達は,私たちの生活を便利にしてくれますが,他方で,一般市民が監視のもとに置かれるというマイナス面もかかえていることを忘れてはなりません。