大木昌の雑記帳

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本の紹介:大木昌(編著)『河川舟運と流域生活圏の形成』

2024-09-16 10:26:48 | 本の紹介・書評
本の紹介:大木昌(編著)『河川舟運と流域生活圏の形成』

今回は、ちょっと気恥ずかしいのですが、私自身の著書の宣伝をさせていただきます。正確なタイトルは、

大木昌(編著)・齋藤百合子(著)『江戸期における河川舟運と流域文化圏の形成』(論創社 2024年、508頁
8000円+税)です。


画面をクリックすると表紙が拡大できます

このブログでも何回か「本の紹介」を書いてきました。その際私は、それぞれの本の要点を整理し、私自身の
コメントや評価を加える、というスタイルをとってきました。

しかし今回は、私自身が著者なので、いわば研究の動機やきっかけなど出版の背景となるエピソードのような
「舞台裏」にいて書いてみたいと思います。

本書のテーマは、「日本において、地域社会や地方文化はいつごろ、どのようにして形成されたのか?」です。

これに対する私の仮説は、“個性ある社会や文化をもつ地域社会の形成には、河川舟運が大きく関与していたの
ではないか”というものです(本の帯文)。

つまり、河川の舟運によるヒト・モノ・カネ・情報の交流が、流域生活圏として個性のある地域社会を形成に
大きくかかわっていたのではないか、と考えたのです。

おそらく、このような問いかけは、日本史の専門家の間であまり議論されてこなかったのではないかと思われ
ます。というのも、それを資料で確認して時代や契機を明らかにすることは非常に難しいからです。

ここにたどり着くまでには、いくつかの背景があります。主なものは以下の三つです。

一つは、日本の国土は狭いにもかかわらず、詳しくみると、そこには独特の文化をもった地域社会(地方文化)
が無数に存在するのはなぜだろうか、という疑問です。

この地域社会は、独特の方言や風俗習慣を共有する社会です。日本では、極端な場合、村(現在は市や町にな
っている場合が多い)ごとに異なる方言と風俗習慣をもっていることも珍しくありません。

私はこれまで、多くの国に住んだことも訪ねたこともありますが、日本ほど地域による多様性に富んだ国をみ
たことがありません。

その多様性を生んだのは、日本の地理的な特殊性と気候の特色にあります。

つまり、日本は全体に山がちで、年間を通じて降雨があるため、日本国中に、あたかも人の体の血管のように
に、大小無数の河川が網目のように形成されています。

しかもそのほとんどの河川で、かつては舟運が利用されていたからです。実際、調べてみると、こんな小さな
な河川でも、と驚くほど、かつては舟が利用されていました。

河川ごとに人びとの交流があり、流域ごとに多様な地域社会が形成されたと思われます。

もちろん、これは、一つの仮説ですべての地域社会が河川の舟運を中心として形成されたわけではありません
が、舟運が重要な軸となって地域社会が形成されて事例が多いことは確かです。

二つは、私の川に対する強い関心です。

私はもともと川が好きで、イワナやヤマメなどの源流部の渓流釣りにあちこちの川を訪れててきました。この
ため、ある地域や場所の生を聞くと、私の頭の中では、その場所は「何川水系にあるのか」と、ほぼ自動的に
最寄りの川筋を思い浮かべます。私は川の地図を中心に日本をみるようになっていました。

ところが、ただ釣りを楽しむだけでなく、次第にそれぞれの地域に住む人々の暮らしと川とのかかわり合いに
も興味をもつようになりました。

一見、孤立した山の集落も実は川を経由して外部世界とつながっている(あるいは過去において繋がっていた)
ことが分かってきました。

その時、重要な役割を果たしてきたのが、河川の舟運でした。この事実を出発点として、日本の主要な河川の
中から、本書で取り扱った河川を選び、現地のフィールド調査と文献調査を開始しました。

三つは、私の本来の研究分野である東南アジアとりわけインドネシアの歴史研究の一環として行った、スマト
ラにおける河川舟運の歴史研究です(注1)。

そこで発見したしたことは、自動車などが現れる以前のスマトラでは、河川舟運によるヒト・モノ・カネ・情
報の交流が軸となって地域社会が形成されたということです。

もう一つ興味深い発見は、現地語で「パンカラン」と呼ばれる川港は、日本では「河岸」と呼ばれ同じ機能を
果たしていたという事実です。たとえば、江戸期の利根川水系には、180以上の河岸がありました。

このことから、日本においても河川舟運と河岸を中心とした地域社会と地域文化という生活圏が形成されたの
ではないかという見通しを持つようになしました。

このようにして形成された「地域社会」を本書では「流域生活圏」と呼びます。

問題は、こうした社会は日本において「いつごろ」形成されたのかという点です。これは資料的に比較的はっ
きりとしていて、河川舟運が発達した江戸期であると考えられました。

以上のような背景と見通しての下に、「江戸期における河川舟運と流域生活圏の形成」というテーマで本格的に
調査・研究を始めました。

その過程で、このブログでも2013年11月18日から3回に分けて報告しています(注2)。

こうして、私の本来の専門分野である東南アジアの歴史研究とは全く異なる、日本史の研究に足を突っ込むこ
とになってしまいました。

もちろん、これには大きな不安がありました。というのも、私はこれまで日本史の研究に手を染めたことがな
く、その基礎知識すらない、いわば素人だからです。

そして、日本史研究者は他領域の研究者が日本史に首を突っ込んでくることに警戒的で否定的な反応を示すこ
とが多い、と聞いていたからです。それでも、思い切って江戸時代の日本史の研究に踏み込んだのは、速水氏
の次の言葉に勇気づけられたからでした。

    こういった状況に対して、江戸時代の専攻者は肯定・否定を問わず応えるべき義務がある、と筆者は
    思う。ところが、今までのところこれらに対するまともな回答はほとんど出ていない。極端な言い方
    をするならば、あるのはひややかな無視か、ひどくイデオロギッシュな罵倒である。
    (中略)しかし長期的にみて、異なった分野の専門家間の知的交流は、それぞれの研究者にこの上な
    い刺激と広い視野を与えることになるのではないか(注3)。

実際、本書がどのように江戸時代の専門家から評価されるかは分かりませんが、私としては、ひょっとしたら
日本史の研究に幾分かは貢献できるのではないか、というかすかな期待を込めて出版して世に問うことに踏み
切った次第です。

本書は全10章(ページ数 508ページ)から成り、うち第八章の20ページほどが、共同研究のメンバーの
一人齋藤百合子氏の論考となっており、あとは全て私が書いています。

10章のうち第一部の第一章~第四章は、いわば理論的枠組みと河川舟運の前史で、第二部の第五章~第10
章が舟運の具体的姿を7河川についての記述となっています。

ただし、本書では上記7河川のほかに、第二章で古代の舟運事例、第4章の「塩の道」との関連で10河川以
上、合わせて20河川ほどに触れていることになります。

以下に本書の構成を章のタイトルだけ示しておきます。

プロローグ
本書の構成とねらい
第一部 河川舟運の歴史と基本問題
第一章 舟運研究の背景と意義
第二章 日本における河川舟運前史―古代から近世まで―
第三章 舟運の基本構造
第四章 舟運と「塩の道」―「塩経済圏」と「塩生活圏」の形成―
第二部 河川別舟運の実態と流域生活圏
第五章 北上川の舟運と流域生活圏の形成
第六章 最上川の舟運と流域生活圏の形成
第七章 利根川水系―関東広域生活圏を支えた川―
第八章 越後から上州へ渡った飯盛女と八木節―越後と上州を結んだ利根川―
                            齋藤百合子
第九章 天竜川ルートの舟運と「南信三遠」文化圏の形成:鹿嶋(二俣)地区を中心として    
第一〇章 中国地方東部の舟運―吉井川・旭川・高梁川―
  エピローグ
  フィールド調査記録

起源的にみると、河川舟運は沿岸で生産された塩を内陸に運ぶことから始まったと考えられます。というの
も塩は内陸に住む人が生きてゆくうえで欠くことができない必需品だからです。

つまり、河川舟運のルートは「塩の道」だったのです。私は、塩という必需品の取引に付随してさまざまな
物資が交換されたのではないかと考えています(第四章)。

江戸期において、河川舟運と地域社会の形成で重要な役割を果たしたのは「河岸」(かし)と呼ばれる川の
港です。ここは、川を行き来する舟の港である同時に、荷物の積み下ろし場所、荷物が取引される市場でも
あります。

河岸では近隣の農民が持ち込んだ生産物や外部から舟で運ばれた商品の売買がおこなわれました。

また地元の商人だけでなく、他の地域からも多くの商人がやってきました。

このため、河岸には港としての桟橋や船溜まりはいうまでもなく、商業活動に必要な倉庫、商人が泊まる宿屋
(旅籠)、取引所(市場)などの諸施設が常設され、問屋、地元の商人だけでなく外部の商人、運送業者、船
乗り、旅人などでにぎわっていました。

こうして河岸を拠点として周辺の農村地域を含む「経済圏」=「生活圏」が形成されました。今日私たちが見
る、河川沿いの内陸都市や町の多くはかつての河岸を中心に発展したものです。

本書では、各河川の主要な河岸についての詳細な記述と共に、それぞれの河川を経由して外部に運ばれた流域
の産物や外部から運ばれた商品が説明されます。

こうした物質の流れと並行して、河川舟運は文化・情報、人と人との交流をももたらしました。例えば、紅花
の産地である最上川流域には、京都や近江の商人がやってきて、その一部は現地に定着した。そのため、現在
でも最上川流域では京言葉が残っています。

自分の出身地域や関心のある地域が、江戸期にはどんな状態だったのか、どんな特産物があり、どんな文化状
況にあったのかを知ることができるかもしれません。

なお、本書は高価な本なので、気軽に購入してほしいとはお願いできませんが、是非、近くの図書館に入れて
いただき、手に取って見ていただけたら幸いです。ただし、本書はまだ刊行されたばかりなので、もう少し日
にちが経ってからの方がいいかもしれません。

本書で扱われている河川のほとんどを実際に訪れており、その際に撮影した写真と、多くの河川地図を掲載し
ています。

本を眺めるだけでも、きっと、新しい日本の地域社会のイメージが湧いてくると思います。



(注1)大木昌 「19 世紀スマトラ中・南部における河川交易—東南アジアの貿易構造に関する一視角―」『東南
    アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)18 卷4 号(1981): 612-642
(注2)本ブログの 2013-11-18, 2013-11-23, 2013-11-29の記事。
(注3)速水 融『歴史の中の江戸時時代』東洋経済、1983:26-27

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本の紹介 鈴木宣弘『農業消滅―農政の失敗がまねく国家存亡の危機―』(3)―安全保障としての農業―

2022-10-17 15:37:36 | 本の紹介・書評
本の紹介 鈴木宣弘『農業消滅―農政の失敗がまねく国家存亡の危機―』(3)
―安全保障としての農業―

本書第五章は「安全保障としての国家戦略の欠如」です。

通常、「安全保障」といえば、軍事的な安全保障を指します。しかし鈴木氏は、農業・食料も軍事
とエネルギーに劣らず安全保障の一角を占めている、と主張しています。

たしかに、政府は「食糧安保」という言葉をたびたび口にしますが、それは掛け声だけで、本音は、
工業製品(とりわけ自動車)の輸出を優先し、食料は輸入すればよい、という考えです。

食料安保の実態も含めて、鈴木氏は日本の農業に関する虚構(「ウソ」とも表現しています)を三
つ挙げています。

ウソその①は、「日本の農業は過保護だ」という虚構です。過保護なら農家の所得はもっと増えて
いるはずです。逆に、アメリカは競争力があるから輸出国になっているのではありません。多い年
には穀物輸出の補助に1兆円も使っているからです。

アメリカやヨーロッパ諸国は、たとえコストは高くても自給は当然で、いかに増産をして世界をコ
ントロールするか、という徹底した食糧戦略で輸出国になっているのです。

日本は、コロナ禍をきっかけとして関税を撤廃したり、下げてきました。このため、農産物の自給
率は下がる一方です。

おまけに、日本は、コメについては、義務ではないのに毎年77万トンの輸入枠を消化しており、
アメリカとの密約で必ず枠を満たし、しかも「その約半分はアメリカから買うこと」を命令され
ています。

ウソその②は「政府が価格を決めて農産物を買い取る制度」というものです。これは、いわゆる農
産物の価格支持政策と呼ばれるもので、日本はこれを続けているといわれますが、欧米諸国は必要
な農産物に対する価格支持を維持するうえ、直接の補助金を支払い、したたかに自国の農業を死守
しています。

WTO(世界貿易機関)加盟国で、実際に価格支持政策を完全に放棄したのは日本だけです。この
意味で日本は加盟国一の「哀れな優等生」となっています。

ウソその③は、「農業所得は補助金漬けか」です。確かに、日本の農家は補助金を受け取っていま
すが、農業所得に占める割合は30%程度で、先進国でもっとも低いのです。

欧米はこの割合がはるかに高く、たとえばイギリス・フランスでは90%、スイスにいたってはほ
ぼ100%です。これは、どれだけ高くついても、命の元となる食料は自給すべきである、という
当たり前の考えに基づいています。

食料の自給率が38%(カロリーベース)という日本の場合、潜在的な農地も含めれば食料自給は
十分に可能なのに、現行制度では農業所得への補助金が少なく、所得も低いので担い手がいないこ
とが障害となっています。

鈴木氏は
    欧米では、命と環境と地域を守る産業を、国民全体で支えるのが当たり前 なのである。
    農業政策は農家保護政策ではない。国民の安全保障政策なのだという認識をいまこそ確立
    し、「戸別所得補償」型の政策を、例えば「食糧安保確立助成」のように、国民にわかり
    やすい名称で再構築すべきだろう。
と提案しています。ここで「戸別所得補償」とは、販売価格が生産コストより安かった場合、その
差を国が補償する制度です。

残念ながら、これまでの自公政権は、農業保護と食料確保が安全保障政策である、との認識はなく、
その方向で政策を進める意図はないようです。

これと並んで、鈴木氏が強く主張していることがあります。それは、食料の安全保障と関連して、
ここでは紹介しきれないくらい多くの問題で日本はアメリカに屈辱的に服従させられてきたこと
に対する憤りです。

農水省の幹部官僚として、アメリカと日本との交渉や国内の施策に直接間接にかかわってきた鈴
木氏は、日本がアメリカに煮え湯を飲まされてきた実態をつぶさに見てきた実感でしょう。

日本は何か独自にやろうとすると、「安保でアメリカに守ってもらっているから、アメリカには
逆らえない」と思考停止になってしまう、と鈴木氏は嘆きます。

これに対して鈴木氏は「アメリカが沖縄をはじめ日本に基地を置いているのは、日本を守るため
ではなくて有事には日本を戦場にして、そこで押しとどめて、アメリカ本土を守るためにあると
私は考えている」と、鋭い見解を述べています。私もまったく同感です。

アメリカに対しては弱腰なのに、アジア諸国にたいしては上から目線の態度で臨む日本の姿勢を、
アジアをリードする先進国としての自覚がない、と批判されるのを、鈴木氏は情けなく見てきた、
と語っています。

日本は、アメリカの言いなりになってしまった鬱憤と喪失の回復を、アジア諸国にぶつける「加
害者」になってしまっているのだという。

これでは日本は、アジア諸国やほかの途上国だけでなく、先進国といわれる国々からも尊敬され
ることはないでしょう。

鈴木氏はアジア諸国との共生が必要不可欠であり、そのためには互恵的なアジア共通の農業政策
を構築し、アジア全体での食料安全保障を確立しようと述べています。

終章は、第5章までの分析を踏まえて、それでは今後日本の農業と命と健康をどのように守って
ゆくべきかについて提言を挙げています。

政府は、規模を拡大してコストダウンすれば強い農業になるという方針を進めてきました。

しかし、規模を拡大するといっても、オーストラリアやアメリカの大規模農業には太刀打ちでき
ないことは明らかです。

そうではなくて、少々高いけれど品質が良い、安全・安心な食料を供給することこそが強い農業
につながってゆくカギになります。

消費者が海外から安い物が入ればいいという考えでは日本の農業は縮小するだけです。

輸入農産物が「安い、安い」といっているうちに、エストロゲンなどの成長ホルモン、乳牛への
成長促進のラクトマミン、遺伝子組み換え、除草剤の残留、イマザリルなどの防カビ剤と、リス
ク満載のものが日本に入ってきます。

これらを食べ続けて病気になる確率が高まれば、結局は高いものにつくのです。たとえば、安い
からと牛丼。豚丼、チーズが安くなったと食べ続けているうちに、気がついたら乳がん、前立腺
がんのリスクが何倍にも増えていた、ということになりかねないのです。

安全な食料を国内で確保するために鈴木氏が提案しているのは、生産者と消費者との強固なネッ
トワークをつくることです。

農家は、協同組合や共助組織に結集し、市民運動と連携して、自分たちこそが国民の命を守って
きたし、これからも守るという自覚と覚悟をもつことが大切になる。

鈴木氏はこの過程で農協と生協の協業化や合併も選択肢として考え、農協は生・準組合員の区別
を超えて、実態的に地域を支える人々の共同組合に近づいていくことを一つの方向として示唆し
ています。

私自身は、現在、完全無農薬・無施肥の自然農をおこなっている農家の生産物を消費者に宅配で
届ける手伝いをしています。これは鈴木氏も触れている、CSA(コミュニティー=消費者が支
える農業=消産提携)の考えに基づいています。

大がかりなシステム作りは一度にできませんが、まずは身の回りでできることを実行してゆくこ
とが大事だと思います。

政府は、イノベーション、AI、スマート技術を導入し、高齢化で人手不足だからAIで解決す
る、などの方向性を打ち出していますが、これは中小経営者や半農半Xなど多様な経営体の存在
を否定してしまいます。

最後に、鈴木氏が「付録」で、建前→本音の政治・行政用語の変換表の一部を紹介しておきます。

これらをみると、日本はアメリカの植民地のようななさけない印象を受けますが、誇張でも虚偽
でもなく、農水省官僚として長年実務を行ってきた鈴木氏の、実体験に基づく記述です。

国益を守る 自身の政治生命を守ること。アメリカの要求に忠実に従い、政権と結びつく企業の
              利益を守ること。国民の命や暮らしを犠牲にする。
自由貿易  アメリカや一部の企業が自由に儲けられる貿易。
自主的に  アメリカ(発のグローバル企業)の言うとおりに。
戦略的外交 アメリカに差し出す、食の安全基準の(ママ)緩和する順序を考えること。「対日年
      次改革要望書」やアメリカ在日商工会議所の意見などに着々と応じてていく(その窓口が規制改革推
      進会議)ことは決まっているので、その差し出していく順番を考えるのが外交戦略。
規制緩和  地域の既存事業者のビジネスとおカネを、一部企業が奪えるようにすること。地域
      の均衡ある発展のために長年かけて築いてきた公的・相互扶助的ルールや組織を壊す、ないしは改革
      すること。

鈴木氏が今後の日本の農業と日本人の健康にとりわけ危機感をかんじているのは、日本政府がグローバル種子・農
薬企業(鈴木氏はM社と記していますが、米モンサント社のこと)へ日本国民の命を差し出す便宜供与をしようと
していることです。

これにより、日本はゲノム編集食品の実験台にされようとしています。また種を握ったM社が種と農薬をセットで
買わせ、できた産物を全部買い取り販売するという形で農家を囲い込もうとしています。

こうした危機を跳ね返すには、消費者としてもただ、安いものだけを追い求めるのではなく、生産農家と互助的な
提携を進め安全な食料を確保することだと思います。


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本の紹介 吉野源三『君たちはどう生きるか』―なぜこれほど読まれるのか―

2018-03-11 11:33:50 | 本の紹介・書評
本の紹介 吉野源三『君たちはどう生きるか』―なぜこれほど読まれるのか―

この本には、同じタイトルで二種類あります。一つは、原作に近い文字だけの版で、これは2017年8月に、
二つは漫画版(絵 羽賀翔一)で、マガジンハウス社から同時出版されました。

出版された昨年、大いに話題になりましたが、原作は、今から81年前の昭和12年(1937年)です。

この本の時代背景や出版の経緯については、池上彰氏が文字版の解説「“私たちはどう生きるか”」に詳しく
書かれているので、それに基づいて、やや詳しく紹介します。

原作者の吉野源三氏は明治32年(1899年)に生まれ昭和56年(1981年)、82才で亡くなってい
ます。

吉野氏はいったん東京帝国大学経済学部に入学したが、哲学への思いが強く後に文学部哲学科に移りました。

彼は社会主義系の団体と関係をもっていたため、昭和6年(1931年)に治安維持法違反で逮捕されました。

戦後は、戦後民主主義の立場から反戦の立場から反戦運動にも取り組みました。

岩波書店の雑誌『世界』の初代編集長を務め、岩波少年文庫の創設にも尽力しました。

今回紹介するこの本は昭和12年(1937年)7月に初版が出版された「日本少年国民文庫」(全16巻)
最後の刊行本です。

この時期が重要です。当時日本は中国大陸に軍事進出し、盧溝橋事件などを起こし、それ以後日中戦争の泥
沼に入っていった時期です。

国内では軍国主義化が進み、社会主義的な思想だけでなくリベラル(自由主義)的な思想の持ち主まで弾圧
を受けていました。

そして世界ではドイツとイタリアに独裁主義的政権が誕生し、第二次世界大戦が迫っていました。

池上氏は「そんな時代だからこそ、偏狭な国粋主義でなく、ヒューマニズムに根差し、自分の頭で考える子
どもたちに育てたい。そんな思いから、吉野氏は、この本に着手したのです」と、著者の気持ちを代弁して
います。

池上氏は本書を「これは、子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書なのです」と位置付けています。

私は、少し違った評価をしていますが、それは後で述べるとして、本書が時代を超えて訴える力をもってい
ることは、戦前の本にもかかわらず、現代まで、何回も改訂版が出版され、むしろ戦前より戦後の今日のほ
うが売れている事実に現れています。

1962年には新漢字かなづかい基準が定まった後の昭和37年(1962年)、著者の修正による改定版
が昭和42年(1967年)に、そして、ここに紹介する昨年の出版となっています。

ちなみに、漫画版の本の帯には「170万部突破」とを書かれています。多少の誇張はあるにしても、本書
は、このような堅い本がこれほど売れているのは、まさに驚異的です。

今回は、読みやすい漫画版を基に、本の概要を紹介し、合わせて私の感想を書いてみたいと思います。

本書は、二つの部分(表現)から成っています。一つは、漫画によるストーリーの表現であり、あと一つは、
文字による表現です。

このような構成になっているのは、本書の展開の仕方そのものとかかわっています。

主人公の本田潤一君は15才の中学二年生です。潤一君には叔父さん(父親の弟)がいて、いろんな問題に
ぶつかると叔父さんに相談します。

この叔父さんは、潤一君に「コペル君」というあだ名付けます。地動説を唱えたコペルニクスからとったあ
だ名です。

本は、コペル君が学校で経験したことを(これは大体、漫画で描かれます)叔父さんに話すと、一部は会話
で叔父さんが直接に答え、一部は、叔父さんがコペル君のために作ったノートに書き込んで、教え、諭し、
自ら考えるように導いてゆきます(この部分は完全に活字で)。

漫画と活字の割合は、ざっとみたところ、漫画3対文字1くらいの感じです。

さて、中身は読んでいただくしかありませんが、全体を通じて著者が言いたいことは次の1点に尽きると思
います。

つまり、物事の底にある最も大切なことは、自分が感じたこと、疑問に思ったこと、悩んだことを徹底的に
掘り下げて考えること、そして、自分なりの考えをもつことです。

たとえば、ニュートンのエピソードでは、リンゴが木から落ちるの見て引力の発見につながった故事です。

ニュートンは、木の高さをどんどん高くしていったことを想像してゆくと、やはり落ちてこなければならな
いのに、なぜ、月は地球に落ちてこないのか、というところに発想を展開します。

こうして分かり切ったことを突き詰めてゆくと、ものごとの大事な「根っこの」の部分にぶつかることがあ
るんだ、と叔父さんは教えます。

この著者の姿勢は一貫していています。たとえばコペル君は、友達が上級生にいじめられていたのに、他の
仲間は一緒に上級生のところに行くのに、自分だけこっそりと逃げてしまいます。

友だちを裏切ってしまったことの罪悪感にさいなまされて学校にも行けなくなります。

叔父さんにその胸のうちの苦しさを訴え、自分の代わりに誤りに行ってほしいと頼みますが、叔父さんは断
ります。

その代わり、後悔ばかりしていないで、同じ間違いを二度繰り返さないために、自分が何をすべきかをもう
一度考えなさい、と諭します。

コペル君は、友人たちに宛てて謝罪の気持ちをありのまま書いた手紙を書きます。

このエピソードでは、自分の弱さと卑怯さをしっかりと見つめ、友達に心からの謝罪のきもちを素直に相手
に伝えることの大切さが語られます。

結果的に、友達もその手紙を読んで、コペル君を許して元のように友だち関係は復活します。

現実には、これほどうまく事が運ぶとは思いませんが、大事なことは、自分の内面を真摯に見つめること、
何が本質かを徹底的に考えることだ、と著者は言いたいのです。

ところで、この本の『君たちは どう生きるか』というタイトルに、ちょっと気恥ずかしさ、というか、な
んとなく「青臭い」、今風に言えば「ださい」感じがないわけではありません。

あまりにもストレードすぎるのです。

しかし、80年も前に書かれたこの本が、なぜ今、170万部も売れ、一種のブームといっていいほど読ま
れているのでしょうか?

池上氏はこの本を、「子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書」、と位置づけています。最初の出版の
出版時には、確かに「子どもたちに向けた」かもしれませんが、その内容は子どもだけでなく大人へのメッ
セージが多分に含まれていると思います。

実際、今日この本を買って読んでいるのは(私自身も含めて)、中学生よりはむしろ大人の方が圧倒的に多
いのではないでしょうか。

正直言えば、私はこのタイトルを見た時、心の奥にドキリとした何かを感じました。

それは恐らく、自分自身と物事の本質を徹底的に考える(これこそ、著者が考える哲学なのでしょう)こと
から逃げていることがたくさんあることを、ひそかに感じているからです。

ひとつだけ引用します。それは、小学校を終えただけで知識もなく、ただからだを働かせて生きてきた貧し
い人たちにたいして、叔父さんがノートでコペル君に語りかける部分です。
    こういう点だけから見てゆけば、君は、自分の方があの人々より上等な人間だと考えるのも無理は
    ない。しかし、見方を変えてみると、あの人々こそ、この世の中全体を、がっしりとその肩にかつ
    いでいる人たちなんだ。君なんかとは比べものにならない立派な人たちなんだ。(人間であるから
    には―貧乏ということについて―のノートの最後尾)

吉野氏の経歴を考えると、実に重みのある言葉です。このような文章をみても分かるように、吉野氏は子ど
もに語りかける形で、「人間であるからには」という普遍的な哲学・倫理観を述べています。

現代は、あまり社会のこと自分のことを突き詰めて考えない雰囲気があります。

そんなことをすれば、やっかいを背負い込むことになるだけだ、という雰囲気があります。

しかし一方で、心のどこかに、それは「人間であるからには」、本当は逃げてはいけないことなんだ、とい
う後ろめたさが、私も含めて多くの日本人にあるように思います。

一読をお勧めします。



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本の紹介:青木理『日本会議の正体』―何を目指すのか―

2017-03-12 07:18:58 | 本の紹介・書評
本の紹介:青木理『日本会議の正体』―何を目指すのか―

「日本会議」の名前が世間に知れ渡るようになった一つのきっかけは、大阪の森友学園の土地取得に関する疑惑に関連して籠池理事長
が「日本会議」の関西地域の幹部である、ということが報道されたことでした。

「日本会議」とはどんな組織なのかを知ると、なぜ、幼稚園で「教育勅語」を暗唱させたり、中国・韓国を敵視し、「安倍首相がんば
ってください」と言わせた理由が分かります。

安倍首相が、2016年の参院選で大勝し、参院でも自民・公明、そして改憲派を明らかにしている会派や個々の議員を加えると、総議
席の3分の2以上を確保したことになります。

これにより、憲法改正に向けて国会での発議が可能となり、安倍首相としては、いよいよ「戦後レジーム」の打破に向かって、総仕上
げの段階に入ったことになります。

私は、今から3年以上も前の2013年5月3,12,17,22,27日に、このブログで、自民党の『日本国憲法改正草案』(以下、
『草案』と略記する)を5回にわたって批判的に検討しました。

『草案』の骨子は、前文と9条で謳っている、国際紛争の解決手段としての戦争放棄、平和主義、基本的人権、個人の尊重などを大き
く制限しないし変更しようとしています。

つまり、実質的に戦争も不可能ではないとし、個人より公共の利益を優先させる、全体として個人よりも国家が優先する国家主義的な
内容とっています。

当時は、この『草案』がどのような背景でどんな経緯で作成されたのか、あまり関心がありませんでした。

しかし最近になって、この『草案』は、「日本会議」という組織の考え方を大きく反映していること、そして現在安倍政権の閣僚や議
員の多くが「日本会議」に参加していること、などの報道を何度か目にしたため、この組織について知りたいと思っていました。

そんな折、昨年の7月、表題に挙げた青木氏の『日本会議の正体』(平凡社新書 2016))がタイムリーに出版されたので、さっそく
読んでみました。

青木氏は「日本会議」とは何か、を端的に「日本の政治をつくりかえようとしている極右ロビー団体である。安倍首相以下、閣僚の8
割および国会議員の半数が所属」と、要約しています。

国会議員についていえば、超党派の「日本会議国会議員懇談会」が結成され、ここに所属している、という形をとっています。

政府内にも国会にも、これだけの人数が「日本会議」に所属していることを考えれば、「日本会議」が日本の政治に大きな影響力をも
つのは当然です。

しかし、究極のロビー団体(圧力団体といっても良い)として、ほとんど表に立たない形で活動し、3万8000人の会員を使って支
持を集め、国策を練り上げています(14ページ)。

そして、超国家主義的で歴史修正主義的な一連の目標、「天皇の権威の復活」、「女性の家庭への従属」、「再軍備」を掲げています。

ここで、「歴史修正主義的な」とは、戦前の日本、もっと言えば明治天皇が実権をもっていた時代に戻ること、日本の戦争は間違ってい
なかったこと、軍事力を強めること、そして社会的には女性の使命を家庭(実態としては、夫)へ従属すすべきこと、を指します。

こうして見てみると、安倍首相の方針と非常に重なる部分が多いことに気が付きます。

ところで、この「日本会議」とはどんな経緯で結成され、国会議員の他にどんな人物や団体が関係しているのでしょうか。

「日本会議」は1997年5月30日、「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」という二つの有力な右派団体が合流する形で結成され
ました。

このうち「日本を守る会」は、1974年に右派の宗教団体が中心になって作られた、“宗教右派組織”(青木氏の言葉。20ページ)です。

この結成には、明治神宮の宮司、富岡八幡宮の宮司、など神社の宮司のほかに、後で述べる、「成長の家」の創始者、谷口雅春氏が加
わっている。

とりわけ、谷口氏の思想は、「日本を守る会」だけでなく、後の「日本会議」や日本の右派団体や活動家に絶大な影響を与えることに
なります。

一方、「日本を守る国民会議」は、「元号法制化運動」などに取り組んだ団体などを発展改組する形で1981年に形成されました。

ここには、右派の財界、政界、学会、文化人、宗教界などが中心となっていました。

こうしてでき上がった「日本会議」の主要な構成グループは、①宗教界からは「成長の家」、有力な神社・神宮(明治神宮、富岡八幡
宮など)、仏教からは(曹洞宗総持寺、臨済宗円覚寺、浅草寺など)、「佛所護念会教団」、「真光文明教団」など、いわゆる新興宗
教団体などが名を連ねています。

また、多数の文化人や学者も個人として加わっています。「日本会議」はメンバーの名簿を公表していませんが、青木氏は、内部の人
物から入手したリストを示しています(45ページ)

何人か挙げると、顧問として財界からは石井公一(ブリジストンサイクル元社長)、文化人として安西愛子(声楽家 副会長)、佐伯
彰一(文芸評論家)らが、学界からは、会長の田久保忠衛(杏林大学名誉教授)を始め、百地章(日本大学教授)、大原康男(国学院
大学名誉教授)、高橋史朗(明星大学教授)など、いわば「日本会議」の“理論的頭脳”が参加し、他に小堀桂一郎(東大名誉教授)、
大石泰彦(東大名誉教授)、などなどが代表委員その他の役員として参加しています。

とりわけ、百地と高橋両氏は、もともともとは「成長の家」の学生部の活動家であり、谷口雅治氏の思想の影響を強く受けた人物です。

さらに、「日本会議」を実質的に切り盛りしている事務総長の椛島有三(日本協議会会長)は、学生時代に「成長の家」系のサークル
「精神科学研究会」のメンバーであり、両親や本人が「成長の家」の熱心な信者でした。

青木氏の言葉を借りると、「成長の家の影が日本会議の中枢に、ぺったりと張り付いていることをうかがわせる」状況にありあす。

それでは、「成長の家」の原点となり、その影響を強く受けている谷口氏雅治氏(1893-1985)とはどんな人物なのか、その思想と行
動を、青木氏に従って、ごくかいつまんで示しておこう。

谷口氏は、一時、大本教の信者でしたが、そこを離れてさまざまな活動をした後、1930年に「成長の家」を創始しました。

ただし、当初は宗教団体とは位置づけず、人生苦の解決などを説く「教化団体」と称しており、戦前の法律で宗教団体となったのは、
1940年のことでした。

この宗教の教義は「万教帰一」、すなわち、全ての正しい宗教は元来、唯一の神から発したものであり、時代や地域によってさまざまな
宗教として心理が唱えられてきたが、根本においては一つである、という考え方です。

この考えのもとで、仏教、神道、儒教、キリスト教から心理学、心霊学、精神分析などをごちゃまぜに取り込んでいて、かつて大宅壮一
氏は「成長の家」を「カクテル宗教」と呼びました。

宗教的内容については、青木氏はもう少し詳しく説明していますが、ここでは、現在の日本の政治に大きな影響を与えている、政治思想
について整理しておこう。

大本教時代に書いた処女作『皇道霊学講話』(1920年)では、神から先天的に定められた日本皇室が世界を統一しなければならない。それ
は全世界の人類の永遠の幸福のために必要である、と書いています。

また、先天的に日本国が世界の首脳国であり、世界の支配者として神から選ばれた聖民である、とも言っています。(青木:82ページ)

これは、自民族中心(エスノセントリズム)、日本人だけが神に選ばれた「聖民」、選民思想で、侵略をも正当化しかねない思想です。

日米開戦が迫った1940年、機関誌『成長の家』で、「<天皇への帰一の道すなわち忠なり。忠は、天皇より流れ出て天皇に帰るなり>と
書いています。

このころから谷口氏は軍部の戦争遂行を積極的に支持し、「成長の家」は1942年に陸軍と海軍に戦闘機を、そして44年には東京・赤坂の
本部道場まで献納します。(以上、青木:82-83ページ)

こうした谷口氏の思想と行動を、宗教学者の寺田喜朗(大正大学教授)は「新宗教とエスのセントリズム―成長の家の日本中心主義の変遷
をめぐって」(2008年3月 『東洋学研究』45号)で、次のように総括しています。

    谷口雅治は、反共愛国主義を貫き、天皇に集約される日本文化の優位性、そして大東亜戦争の意義を称揚する発言を繰り返してき
    た。また、『家』観念をはじめとした日本の伝統秩序、『大和の精神』として定式化される『日本的なもの』を称揚し、日本人と
    しても誇りを鼓舞する主張を行っていた。(青木:83ページ)

以上、書いたような思想が、現在の「日本会議」に脈々と受け継がれています。

現在の自民党、とりわけ安倍首相やその支持者たちの思考や言動には、「日本会議」を一つ挟んで、谷口氏の影響が色濃くみられます。

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大木昌のTwitter https://twitter.com/oki50093319



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本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(3)―「世界報道の自由度ランキング」72位への低下―

2016-05-14 05:38:34 | 本の紹介・書評
本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(3)―「世界報道の自由度ランキング」72位への急速な低下は何を意味するのか―

世界のジャーナリストで構成される「国境なき記者団」は、定期的に「報道の自由に対する侵害について、法的支配やインターネット検閲、
ジャーナリストへの暴力などの項目で、世界180の国と地域を調査・採点しています。

2008年までは、40位台、悪いときは60年度60位台でしたが、2009年には一挙に11位に浮上しました。

ファクラー氏によると、この原因は、2009年に民主党政権が成立すると鳩山内閣が、「記者クラブを開放しよう」という動きを始めたことの
ようです。

この時、首相や大臣の者会見は、記者クラブ加盟者の専有物ではなく、ネットメディアを含めたフリーランスの記者にも開放されていました。

ところがその後、安倍政権に移ると、13年には53位に転落しました。13年12月、第二次安倍内閣は特定秘密保護法を成立させ(14年12
月施行)、これが大きく影響して、14年には59位、15年には61位、そして16年には72に転落しました。

この順位は、香港、韓国よりも下です。

ファルーク氏は、「特定秘密保護法」が報道の自由を脅かすのは、ジャーナリストを萎縮させるからではなく、取材を受ける情報源を萎縮さ
せることだ、と指摘します。

というのも、情報源(例えば官僚)が「特定秘密」を握っている場合、当局がその人の電話やメールを盗聴する可能性があるからだ。

そうなると、内部告発者はなかなか現れず、外部のジャーナリストが重要な手がかりをつかめなくなってしまう。

しかも、ジャーナリストを助けてくれた内部告発者は、最大で10年の刑務所に入る可能性がある。

それだけのリスクがあれば、内部告発者はジャーナリストに協力したくてもためらいを感じてしまう。

特定秘密保護法では、「何が機密であるか」、ということ自体が秘密で、その判断は各省庁の裁量に委ねられることになっている。

こうして、特定秘密保護法は、官僚の裁量を大幅に増やしてしまったことになります。

反面、その分、国民は国家が何をしているかを知ることはできにくくなり、報道の自由と国民の知る権利は大きく奪われてしまいます。

これは、もう一つ、重大な危険性をはらんでいます。というのも、「何が秘密か」が分からないまま、特定秘密法に違反したとして逮捕された
としても、裁判で何に違反したかも明らかにされないで有罪とされ投獄されてしまうことさえあり得るのです。

比ゆ的に表現すれば、安倍政権が仕掛けた特定秘密保護法は、国民の目も耳も口も塞いでしまう危険な法律であると言えます。

それでも、何とか真実を報道しようとする努力は、一部のジャーナリズムで行われている。

例えば、『朝日新聞』では、東日本大震災の後、政府発表だけを報道するのではなく、自分たちで調べた事実に基づく調査報道を行うため、
2012年には「特別報道チーム」を立ち上げ、それはまもなく「特別報道部」へと格上げされました。

その初代部長に就任した依光隆明記者は、部内に「脱ポチ宣言」という張り紙を出したそうだ。そこには、
    我々は政府が喜ぶ記事を書くようなポチ(かわいいイヌ)にはならない。特別報道
    部は、権力を監視する番犬(ウォッチ・ドッグ)になるのだ。
と書かれていた。(73ページ)

依光記者は、朝日新聞の生え抜きの記者ではありませんが、会社の看板や地位などにとらわれず、社会に埋もれた問題を自分の手で掘り
起こそうとする本物のジャーナリストです。

しかし、政府の発表を記事にすることに安住していた記者クラブ・メディア(朝日新聞も含む)の記者からにらまれることになってしまいました。

その逆風の中で、今も続く原発事故の真実を地道に調査報道し続けている「プロメテウスの罠」(2011年10月に立ち上げられた)は、『朝日
新聞』のジャーナリズム魂の気概をみせる数少ない企画です。

ところが、上記の依光記者は突然、特別報道部から週末の別刷り「be」の担当に移動しています。

調査報道に明け暮れていた優秀なジャーナリストが、食べ物や暮らしなど軽いテーマを書く部署へ移されてしまったのです。ファクラー氏は、
「露骨な左遷人事と見られても仕方ないだろう」(75ページ)と述べています。

また、「プロメテウスの罠」の中心メンバーだった優秀な記者が、こぞって特別報道部からはずされて組織は骨抜きにされてしまった。

このほかにも、原発に関連した「吉田調書」を巡る問題で、2014年には朝日新聞の編成局長兼ゼネラルエディター、報道局長兼ゼネラルマネ
ージャー、が解任されました。

こうして、朝日新聞の調査報道は、部としては存続していますが、「組織ジャーナリズムには収まりきらない一匹狼のような記者ばかりで編成
されていた」特別報道部は事実上、解体されてしまった。

ファクラー氏は、「この朝日新聞の対応は、日本の民主主義とジャーナリズムにとって非常に悪い影響を及ぼした」とコメントしています。

私たちは、朝日新聞という会社が、どのような配慮や圧力の下で、特別報道部の解体を行ったのかについて詳しい内部事情は分かりませんし、
ファクラー氏もこの点については明言していません。

ただ、2012年の新聞協会賞まで受賞した「プロメテウスの罠」のトップと記者を外してしまう、という事実から推測すると、常識的には、経営の側
が政権の意向をおもんばかって、自分たちから調査報道を放棄してしまったのか、政権やスポンサー企業からの有形無形の圧力があったと考
える方が自然でしょう。

ファクラー氏は、自らの体験からも、日本のジャーナリズムが非常に歪んでいることを書いています。

それは2014年12月14日に行われた衆議院総選挙の直前にファクラー氏が、自民党王国にして安倍首相の地盤である山口県を訪れたときの
ことでした。

彼は4日間取材した成果をニューヨークタイムズに「日本の有権者は、仕方なく安倍政権に投票した」(Grudgingly, JapaneseVoters Appear set to
Stick With Abe)という記事を送りました。

安倍首相のお膝元の有権者が、選挙をどうみているのか、農協や地方銀行、郵便局の職員といった自民党の支援者約30人に取材を進めると
不思議な現象に行き着いたといいます。

積極的に自民党を支持する有権者は、ファクラー氏が会ったなかでは一人もいなかったそうです。

誰もが口を揃えて「アベノミクスの効果は全然ない」「地方には全然経済効果は出ていない」「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)には反対だ」
と安倍政権の経済政策に反対する、と答えました。

ただ彼らは、「でも自民党しか選択肢がない」とも言いました。つまり、自民党に代わる有力な勢力がないので、消去法で仕方なく投票しているだ
だ、というのです。

これが現実です。安倍政権の自民党は、到底、広く国民の積極的な支持を得ているとは言えません。あえて言えば、野党への評価が低いために、
なんとなく自民党が議席数で多数を占めているだけなのです。

問題は、この記事のあと起こった反応でした。彼は、事実を淡々と書いただけなのに、彼のフェイスブックには、「反日記者め」「事実をきちんと報
じろ」という攻撃的メッセージが押し寄せたそうです。

ファクラー氏はこのことから、「安倍首相をほめなければ、すぐさま反日だ」というレッテル貼りをされてしまう、と日本の状況を批判しています。

気の弱い日本の若いサラリーマン記者が「反日キャンペーン」にさらされれば、よほど信念が強い人でない限り心が折れてしまうことだろう、と彼は
述べています。

安倍政権は、こうした匿名の攻撃的支持者に支えられ、黙認することで、自分に対する批判を間接的に抑え込むメディア戦略をとっている、と言え
そうです。

最近、安倍首相が送り込んだNHKの籾井会長は、原発に関する報道は、公式見解(つまり政府発表)に限るべきだ、と発言しました。これは、明ら
かにジャーナリズムの本来の使命をゆがめ、政府の広報機関に変えようとする、とんでもない発言です。

アメトとムチを使い分け、巧みに結果として言論を抑え込むことに成功している安倍政権のメディア戦略をプロ野球の「メジャー・リーグ」にたとえ、
これにたして野党のメディア戦略は幼稚で、せいぜい高校野球並のレベルの低さだ、と断定しています。


(1)報道の自由度ランキング http://ecodb.net/ranking/pfi.html 
   

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本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(2)―安倍政権のメディア戦略とメディアの自壊―

2016-05-07 09:03:53 | 本の紹介・書評
本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(2)―安倍政権のメディア戦略とメディアの自壊―

この度の地震により被災した方、あるいは不安な日々を送っている熊本県・大分県の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

ムヒカ大統領の訪日合わせて、このテーマは一時中断しましたが、再び、日本のメディアの問題を考えたいと思います。

今回は、記者クラブ制も含めて、安倍政権が、アメとムチを使い分けながら、メディアをコントロールし、メディアの側が、安倍政権にひれ伏している現状を
見てみたいと思います。

まず、「アメ」の側面ですが、安倍首相は常日頃、大手メディアの社長、会長、編集主幹などのトップと夜の会食や懇親会をもつことで親交を深めています。

たとえば、朝日新聞の木村伊量社長、読売新聞の渡部恒雄会長、毎日新聞の朝比奈豊会長、産経新聞の清原武彦社長、熊坂光社長、日本経済新聞の
喜多恒雄社長、共同通信の石川聡社長、日本テレビの大久保義男社長、フジテレビの日枝久会長、朝日新聞の蘇我豪政治部長、読売新聞の小田尚論説
主幹、それにテレビにコメンテータとして頻繁に出演している時事通信の田崎史郎解説委員などが、この夜の食会や懇親会のメンバーです(28ぺージ)。

こうした状況を作って「一国の総理大臣と個人的にテーブルを囲むとなれば、つい舞い上がってしまう人物も中にはいることだろう。安倍政権は、武器=アメ
を実にうまく利用している」のです(28-29ぺー)。

メディアの幹部が安倍首相の「お友達」となってしまうと、自民党や安倍政権を批判しにくくなります。これこそが、安倍政権の狙いです。

他方で、安倍政権は、自分たちに批判的な報道に対してはきわめて高圧的な態度でメディアを脅します。たとえば、テレビ朝日の「報道ステーション」がアベ
ノミクスの効果について街頭インタビューを行った際の、安倍首相の反応は、常軌を逸した反応を示しました。

というのもインタビューを受けた人たちは、ほとんどがアベノミクスの効果は自分たちのところに及んできていない、と答えたからです。

安倍首相は、気色ばんで、「これはおかしい。偏った意見だけを映したんではないか」、という趣旨の発言をしました。たまたまこのシーンをテレビで見ていて、
私は唖然としました。

ところが、この問題は、この場に止まらず、後日、次のような文書がテレビ朝日に送られてきたのです。(ファクラー氏の著書から引用します)

    貴社の11月24日放送の「報道ステーション」において、アベノミクスの効果が大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいなかった
    かのごとく断定する内容の報道がなされました。
    できるだけ多くの角度から論点を明らかにしなければならないとされる放送法4条4号の規定に照らし、同番組の編集及びスタジオの解説は十分な
    意を尽くしているとは言えません。
    貴社におかれましては、公平中立な番組制作に取り組んでいただきますよう。特段の配慮をお願い申しあげます。(18ページ)

この文書は、表現は丁寧ですが、要は、放送法を盾にして「いざとなったら放送免許を取り上げることだってできるのだからな」とテレビ朝日を、暗に脅して
いるのです。

このように脅されればテレビ朝日としては当然、萎縮してしまいます。

しかし考えてみると、これはおかしな話です。第一に、何が公平中立なのか、まったく基準はないし、全く公平中立などということはメディアにおいてはあり
得ません。

メディアとは、権力に対するチェック機能(番犬)の役割をもつものです。

放送免許を取り上げる、あるいは取り上げることをにおわせて批判を抑え込むこと自体、民主主義社会ではあってはならないことです。こんなことが起こる
のは、先進国の中でも日本だけです。

さらに問題なのは、「放送法」ができた経緯と精神を考えると、上記のような政権からの圧力は、この精神に全く反しています。

「放送法」は1950年に制定され、その後何回か改定されて、現在に至っています。この法律ができた背景には、戦前にメディアが権力に利用され、「大本営
発表」ばかりをたれ流したために、国民を間違って方向に引っ張ってしまった、という痛切な反省がありました。

この反省の上に、報道にたずさわる者(テレビ・新聞・ラジオなどの事業者)は、権力に利用されない(この意味で中立の)報道をすべきである、というメディア
側が自らに課した倫理規定こそが放送法に基本的な精神なのです。

それを、安倍政権は、関係を逆転させて、政権がメディアを縛る道具として使い始めたのです。これが本当の本末転倒です。

同様な、意図的な意味の逆転は、権力と国民との関係について安倍首相は、実に勝手な解釈をしています。

つまり、立憲主義を国の基本とする日本において、憲法とは「国民が」権力を縛るものであり、権力が国民を縛るものではありません。

しかし安倍首相は、それは古い考え方である、と一蹴し、権力が憲法を制定したり、改変して、それを国民に従わせる、という逆立ちした姿勢を貫いています。(注1)

ところで、ファクラー氏は、「なぜ大手メディアはアメによる懐柔策を突っぱね、安倍政権を真っ向から批判しようとしないのだろう」と問いかけます。

そして、その理由を、政権に批判的な記事を書いた結果、官邸へのアクセス制限や取材拒否に遭うことを恐れているのだろう、としています。

しかし、そのときこそメディアにとって大チャンスのはずで、権力の不当な振る舞いを批判できる機会を与えてもらったようなものだ、と指摘しています。

「そもそもメディアの上層部が総理大臣雄と近すぎる距離にいること自体がおかしい。・・・ところが、東京新聞のような一部メディアを除いて、安倍政権のメディ
ア・コントロールについて誰も報道しようとしない」(30ページ)。

そして、その背後には、「長期政権を築きつつある官邸を敵に回したくない」という及び腰の姿勢をとることになってしまうのです。

第二次安倍政権になってから、官邸から特に厳しく圧力を受けているのは、NHK、テレビ朝日新聞です。

自民党は昨年の4月NHKの堂元光副会長とテレビ朝日の福田俊男副会長とを党本部に呼びつけました。

当時、NHKの場合、名目は「クローズアップ現代」の「やらせ」報道について、またテレビ朝日については、コメンテータの古賀茂明氏が生放送中にコメンテータ
から降ろされたのは、「官邸からの圧力があった」と暴露したことから、安倍政権の機嫌を損ねたようだ。(注2)

そして、朝日新聞については、従軍慰安婦に関する「吉田証言」と、」福島第一原発の事故対策で陣頭指揮をとった調査記録「吉田調書」の解釈の誤りにつけ
こんで、猛バッシングをしました。

こうしたアメとムチを使い分けた、安倍政権のメディア・コントロールにたいして、ほとんどのメディアは、組織(企業)防衛のため、という名目で、ジャーナリズム
の本来の使命を失い、官邸のなすがまま、ひれ伏しているのです。

その一方で、外国特派員協会が安倍首相を記者会見に招いても、第二次安倍政権発足後、今日まで、記者会見の機会は一度も実現していないという。

恐らく、外国特配員の記者会見に出れば、どんな質問が飛んでくるか分からないので、逃げ回っているのでしょう。

ファクラー氏が挙げている、日本のメディアがやすやすと、安倍政権にひれ伏している理由は、3つに要約できます。

一つは、日本の記者クラブメディアは、「首相は来月、外遊でどこそこに行く」といった、事前に伝えられる当局の動きが「飯の種」になっている実態です。このた
め、官邸からにらまれると情報へのアクセスが切られてしまうことを、メディア幹部は危惧しているのです。

二つは、これと関連しているのですが、海外メディアの記者のように、自分で考えたテーマに沿って取材する、取材報道が極めて弱く少ないことです。この場合、
自分のテーマに沿って取材するのですから、何も官邸への取材アクセスを気にすることはありません。

三つは、メディア間の協調体制が全くできていなことです。たとえば、あるメディアが政権側から攻撃されたら、他のメディアが、自分たちへの攻撃と受け止め、
連帯してメディア・スクラムを組み、政権と闘う姿勢が全く欠落していることです。

ファクラー氏の言葉を使うと、日本では「メジャーリーグ」化する官邸のメディア・コントロールに対して、メディアの側は「高校野球」に甘んじているのです。

ファクラー氏は、第2章のタイトルを「メディアの自壊」としましたが、まさしく現在の大手メディアは、「なすべき批判を放棄」してしまったかのようです。

テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎氏、TBS「News23」の岸井成格氏、そしてNHK「クローズアップ現代」の国谷裕子氏という、報道番組のキャス
ターがこの3月末で、そろって降板しました。

彼ら3人は、報道番組はメディアにいる人間として、言わなければならないことを、しっかり言い続けてきた人たちであるだけに、非常に残念です。

局側も本人も、降板は既定方針通りの人事であることを強調していますが、ファクラー氏は状況から、その背景に官邸からのさまざまな圧力があったにちがい
ないと述べています。

(マーティン・ファクラー『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』双葉社、2016)


(注1)http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1731.html
(注2)http://tanakaryusaku.jp/2015/04/00011010 (2016年4月7日参照)

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本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(1)―日本メディア自己崩壊の危機―

2016-04-09 10:35:31 | 本の紹介・書評
本の紹介:『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(1)―日本メディア自己崩壊の危機―

マーティン・ファクラー著『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(双葉社2016)が発売されたのは今年の2月でしたが、たちまち、メディア部門での売り上げ
部数のトップに上りました。

著者のファクラー氏は米国出身で、東京大学大学院に留学し、1996年にブルームバーグ東京支局を皮切りに、AP通信、ウォールストリート・ジャーナル、
ニューヨークタイムズの東京支局(2015年7月まで)に勤務し、約20年にわたって日本で仕事をしてきたジャーナリストです。

この経歴からも分かるように、本書は外国人が表面的に日本のメディアについて書いたものではありません。著者は、日本のメディア(特に大手のテレビ、
新聞)の慣例や制約にとらわれることなく、自由で公平な立場で、日本のメディアの実態について書いています。

彼の日本のメディアに対する批判は厳しすぎると感じるかも知れませんが、彼の批判は、「自由と民主主義」を自称する国では、常識的な見解といえます。

というのも、欧米世界の常識では、言論の自由こそが民主主義を保障する根幹である、という原則が政府、メディア、一般の国民に浸透しているからです。

著者は、日本のメディアは以前から問題が多くあったけれど、第二次安倍政権になってから、より問題は深刻になったと指摘しています。

その問題とは大きくわけると、日本の「記者クラブ」という独特のシステムと、安倍政権による、露骨な圧力にひれ伏しているメディアの現状の二つです。

記者クラブとは、官公庁に記者室を間借りして、政府や行政機関、あるいは経団連のような業界団体にたいして取材をするために、新聞、テレビ、通信社
など大手メディアで構成されている任意団体です。

この制度の問題の一つは排他性にあります。つまり、記者クラブの会員は、一種の特権意識を持ち、フリーのジャーナリストや会員以外のメディアが記者
会見に参加することを原則として排除します。

こうした、特権意識とセットになっているのが、取材対象とのなれ合いです。とりわけ、首相や官房長官などの記者会見では、記者の方から予め官邸に質
問事項を提出しておくことが慣例となっています。

これは官邸による一種の検閲です。この段階で、記者の側に、厳しい質問を避ける心理的な抑制が働く可能性があります。

つまり、受験者(首相や官房長官など)は予め「問題」を知らされ、その「模範解答」を官僚が作文し、受験者が読む、というシステムです。

いわば、首相や官房長官などは、模範解答というカンニング・ペーパーを与えられた試験、「出来レース」です。

しかし、想定外の質問がくると、カンニング・ペーパーがないので、どんでもないことになります。

ファクラー氏が冒頭で紹介している事例は、記者クラブの実態を赤裸々に示しています。

2015年9月15日、政府が参議院で安保関連法案を強行採決した後、安倍首相はニューヨークでの国連総会に出席しました。

帰国の途につく前の29日に行われた記者会見では、NHK、ロイター通信、共同通信、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)の4社が順に質問をしました。

一番手のNHKの記者は、予定通りの質問を棒読みし、安倍首相は準備してきたかのように、よどみなく回答しました(実際、準備してきたでしょう)。

次に、ロイター通信の記者が、事前に官邸に提出しておいた、「アベノミクス2・0」についての質問のあと、予定にはなかった質問項目を付け加えた時、
「事件」はおきました。

この記者は「シリア難民については、日本は新しいお金をイラクにも出すとのことだが、日本が難民を受け入れるという可能性についてはどう考えるか」
と質問しました。

予定されていなかった質問に、安倍首相はあわてたように、アドリブで次のように答えます。少し長くなりますが、首相の記者会見の悲喜劇的な実態を
知る絶好の事例なので引用します。

    今回の難民の問題であります。これはまさに国際社会で連帯して取り組まなければならない問題であろうと思います。人口問題として申し上げ
    れば、我々はいわば、移民を受け入れるよりも前にやるべきことがあり、それは女性の活躍であり、あるいは高齢者の活躍であり、そして出生
    率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるといことでもあります。同時にこの難民の問題については、日本は日本としての責任を果たして
    いきたいと考えておりまして、それはまさに難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本は貢献していきたいと考えております(首相
    官邸議事録より。赤字部分は筆者による強調)。

この安倍首相の答えは、シリア難民の問題から始まり、首相も「難民」と言っていましたが、すぐに「移民」の問題に変わってゆきます。

そして、話は、日本の人口問題、女性と高齢者の活躍、出生率を上げること、など純粋な国内問題に移り、そして、最後にまた難民問題に日本も貢献
してゆく、と結んでいます。

つまり、難民問題で始まり、本体は日本の人口問題で、最後がまた難民問題で終わっており、これら二つの問題がごちゃまぜになっているのです。

おそらく、予め「問題」が知らされていないため、パニックになってしまったのでしょう。

ファクラー氏は「安倍首相が難民問題について日ごろきちんと考えていないことが、ニューヨークを舞台とした記者会見で明るみになった」と論評して
います。

私も当時、この間の抜けた回答の記事を読んで笑ってしまいましたが、日本の主要なメディアは、このことを大きな問題として報道しませんでした。

ファクラー氏はこの事にも驚いています。

たとえば、アメリカの大統領やドイツの首相がこのような回答をしたことを想像してみましょう。それは、世界の笑い者になり、しかも国際的評価を下げ
たという意味で、国益を大きく損ねることになります。

しかし、幸か不幸か、寂しいことに安倍首相の的外れな答弁は、外国のメディアからは全く無視され、ニュースにも話題にもなりませんでした。

しかも、一国のリーダーが想定問答のような記者会見を開くなど、民主主義国家では考えられれません。アメリカの大統領が記者会見を開く時には、
質問項目など誰も事前に提出しないし、記者はあらゆる角度からさまざまな厳しい質問をぶつけ、政府に批判的な質問は当然のこととしています。

しかし、安倍政権下の日本では、官邸が記者クラブをがっちりコントロールしているため、「想定外の質問が飛んでくる」という緊張感はうまれません。

つまり、大手メディアは、政府から得られる情報でなければ報道する価値はないし、外務省が発表しないニュースは無修正・無批判で流してしまいます。

残念ながら、この状況に危機感をもっている日本のメディア関係者はほとんどいないようにみえます。

記者クラブという日本独特のメディアのあり方には、他にも幾つか問題があります。

たとえば、記者クラブでの記者会見において、誰が質問できるかは、官邸または首相や官房長官など、その時に答える人が指名します。

この時、政権にとって有利となるようなメディア、少なくとも厳しい質問をしそうもないメディアを指名する傾向があります。

あるいは、政府が宣伝し強調したい答えを引き出すような質問を、意図的にするメディアさえあります。

いずれにしても、こうした仕組みによって、記者会見では官邸側によって完全にコントロールされています。

このため、記者クラブでの記者会見が、実質的に政府・官邸に都合が良い、宣伝の場となってしまっているのです。

ファクラー氏の経験では、民主党政権時代には、記者会見をフリーのジャーナリストにも開放していたのに、安倍政権になって、情報のコントロール
が非常にきつくなってきたと書いています。

こうした大手メディアによる、政権側からのメッセージの垂れ流しが行われている反面、例外的な事例を除いて、メディアやジャーナリストによる独自
の調査取材がどんどん減っているのが現状です。

こうした状況をファクラー氏は「メディアが政府から完全にコントロールされている現在の日本のジャーナリズムは、およそ健全ではない」、そして、
本当に深刻な問題は、メディアの側が、この異常さに何ら危機感をもっていないことだ、と指摘しています。

次回は、政権の側が仕掛けているメディア戦略がどのように行われ、メディアが屈服しているかを、ファクラー氏の著書からみてみたいと思います。


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江戸はおもしろい-杉浦日向子著『大江戸観光』

2012-05-24 19:50:21 | 本の紹介・書評
江戸はおもしろい-杉浦日向子著『大江戸観光』(ちくま文庫,初版1994年)


杉浦日向子(1958-2005,本名 鈴木順子)は東京,日本橋の呉服屋に生まれた,いわゆる江戸っ子です。杉浦さんは,漫画家として出発しましたが,
途中で時代考証に興味をもち,それを勉強しているうちに,江戸の世界にのめり込み,そうこうしているうちに,ごく自然に,江戸風俗研究家にな
ってゆきました。
 
 ここで紹介する本は,彼女がいろんなところで書いたエッセイをまとめたものです。ひとつのエッセイは,新書版で2~3ページ,長くても5
ページくらいの短いものばかりです。初版が1994年で,最新版が2012年の4月,実に22刷,と版を重ねている,驚異的な人気本です。
 
 私が彼女について知るようになったのは,NHKのコメディー番組「お江戸でござる」(1995~2004年)で偶然,杉浦さんを見たことでした。

 番組の最後に,主演の伊東四郎が「今日の劇の中で,何かまちがいはありましたか」,と問いかけ,それに答えていたのが杉浦日向子さんでした。
 
 ぽっちゃりとした顔立ちの杉浦さんが,いつも笑顔で江戸の風俗について解説をしてくれるのが,この番組を見る楽しみの一つでした。

 伊東四朗の味のある演技も大好きでしたが,それに劣らず杉浦さんのお話は楽しいだけでなく,その中にいつも新たな発見がありました。

 私が,最初にハッとさせられたのは,江戸時代の若者の歯磨きについての話でした。杉浦さんによれば,江戸時代の若者(男性)は,とにかく
一生懸命に歯を磨いたそうです。

 あまりに磨きすぎて,表面のエナメル質がなくなり,熱いものや冷たい物を食べたり飲んだりすると,歯にしみてしかたがなかったようです。

 江戸っ子は熱いものにも冷たいものにも弱かったのです。

 では,なぜ,そこまで必死になって歯磨きをしたのでしょうか。理由はただ一つ,女性にモテたい,好かれたい,その一念でした。

 では,女性にモテることと,歯磨きはどう関係するのでしょうか。それより,なぜ当時の男性は,そこまでして女性に気に入られようとしたの
でしょうか。江戸イコール男尊女卑,男中心の社会,と思っていた私にとって,とっても意外でした。

 江戸の町というのは,圧倒的に男性の数のほうが女性よりも多かったので,江戸庶民の若者にとって,結婚することは大変なことたったからです。

 口が臭いというのは女性にもっとも嫌われる理由の一つでした。そこで,男性は女性に嫌われないために,必死で歯を磨いたのです。

 この説明を聞いたとき,一応,歴史家の端くれでもある私は本当に,虚をつかれる思いでした。

 考えてみれば,江戸以前の,この地は利根川や荒川の氾濫原で,現在私たちが想像するような快適な居住地域ではなく,まして人口密集地地帯
ではありませんでした。

 そこに都を築くために,城や屋敷と建造するほか,掘り割りを作って水捌けを良くし,洪水防止のため河川沿いに土手を築くなど,大土工事が必要に
なったのです。

 このため,日本各地から,とりわけ北関東,東北地方から,まずは労働力として男性が集まってきたのです。
 
 こうした歴史的な事情もあって,江戸の人口構成は男性の方が女性よりずっと多くなってしまったのです。

 言い換えれば,女性は貴重な存在で,結婚の売り手市場だったのです。結婚の相手を選ぶ選択権はむしろ女性にありました。

 こうなると,未婚の男性にとって結婚できるかどうかは深刻な問題でした。とにかく女性に嫌われたくない,好かれたい,モテたいと必死になったのです。

 当時の男性が,一生懸命に歯磨きをしている姿を想像すると,なんだか,いじらしくなってきますね。

 風俗というのは,実に面白いし,思わぬ所から歴史を知る糸口を与えてくれます。杉浦さんが,江戸にのめり込んでしまったのもうなずけます。

 さて,本文256ページに57編ものエッセイが盛り込まれており,それらを全て紹介することは到底不可能です。ここでは,2,3編の内容を簡単に紹介します。

 江戸といえば“いき”(粋)の文化ですから,まずは「粋とは何か」から。

粋と書いて,関西ではスイと読み,関東ではイキと読みます。スイは艶(ツヤ),イキは色(イロ)です。イキは「粋」の他に
 
 「意気」「好風」と言う字も当てます。
 
 「意気」は意気地,いさぎよさ,物事に頓着せず,きっぱりとわだかまりのない状態。対する語は尊大,傲慢など。
 
 
 「好風」とは,よいふう,このもしいふうのこと。嫌みのない,人好きのする状態。対するはキザ(気障)となります。

 そして「粋」とは,きわだった有様,俗にあって俗に流されぬ超然とした状態です。

 これら三つに色気のエッセンスを加えると,本当の江戸の粋ができあがるのです。このような<江戸の美学>は,化政期(18世紀)に完成したようです。

 大切なのは次の点です。粋という美学は,「日常倫理をも支配する概念であり,一点のクモリもない正確無比のモノサシです」という指摘です。

 つまり,人や物事の善し悪しはすべて,「粋かどうか」という正確無比のモノサシで計られるのです。これは,

 西欧の判断基準となる真・善・美とはまったくちがう,江戸的な(必ずしも「日本」的ではない)価値基準です。

 粋な人は,それぞれの分野に通じていなくてはならないのですが,そのような人は通人と呼ばれました。

 通人は,とりわけ吉原の遊郭へ通う時などは,そのファッションに命をかけていたようですから,粋で通でいることは実に難しいことでした。

 次に,江戸と歌舞伎についてのエッセイです。江戸の文化を代表するものに歌舞伎があります。歌舞伎は,もとものは「カブク(傾く)」という言葉に由来し,
これは,ふざける,放縦なことをする,好色である,という意味だそうです。

 このような人を「カブキモノ」といい,それは,異様な風体をして大道を横行する者,軽佻浮薄な遊侠者,伊達者を指しました。

 歌舞伎は今でこそ様式ですが,新作封切りの江戸時代には,衣装やメークもすごく,太刀を三本もブチこんだ原色キンキラキンの荒事の武士なんか,ほとんど
狂気だったそうです。

 ストーリーも,時代ものの舞台に世話ものが飛び込んだり,脈絡のない一幕があったりしました。

 滑稽で卑猥で残酷で,むせかえる熱気と恍惚感。かつて,歌舞伎は吉原とともに,為政者に「悪所」と呼ばれましたが,それは熱狂的なパワーが手に
負えなかったからでした。

 江戸の人びとがどれほど歌舞伎に魅せられ,吉原に熱くなったかは,現代の私たちには想像できないくらいに物凄いものだったに違いありません。

 浮世絵などに役者絵がたくさん残っているのも,こうした歌舞伎の人気があったからでしょう。

 これにたいして私たちが知っている今の歌舞伎は,どうやらお上のお気に召すモノであるようです。

 歌舞伎が「悪所」でなくなったと同時に,民衆の熱く狂おしい支持と信頼を失い,かわりに,もったいぶった「国立」の,つまり”お上”の匂いのする,
セイフティーマーク付きの優良玩具となってしまった,と杉浦氏は述べています。もちろん,彼女も,様式と伝統を重んじる現代歌舞伎には,それなりの良さが
あることを認めてはいます。

 確かに,現代の歌舞伎の公演に行っても,観客にカブキモノなどいるはずもなく,皆さんお行儀良く鑑賞刷るという雰囲気で,むせかえる熱気とパワーなど
感じません。

 ところで,もと漫画家だった杉浦さんは,本書の随所に江戸風俗の挿絵を載せています。これがまた,めっぽううまいのです。ひとつだけ,紹介しておきましょう。
 
 本の最初に載せられている4枚の絵のうち,「花魁(アイドル)」と題された絵で,「文政期の英泉描く,遊女立ち姿より」と説明があります。
 
この絵には,「なんとも驚くべきバランスである。五頭身で手足が細く短い。首などはカメのように陥没している。直立歩行ができるのか不安になる。
現在の美女の観念からほど遠い」という杉浦さんの添え書きがあります。
 
 短文ながら実に,ユーモアに富み,当時の花魁の姿を,まるで目の前に見るように活写しています。杉浦さんは,大変な文才をお持ちのようです。
 
最後に,杉浦さんの江戸に対する思いの一端をしめす言葉を引用しておきます。
 
 近代の日本は強くなるために「脱亜入欧」を決意して,前世代<江戸>を全面否定する事から出発しました。そうして突っ走った結果が今現在の日本ですが,
オカゲで,わたし等は明治以降の移植民のように,<身近な先祖の文化>であるはずの江戸が,スクリーン上の西部劇と同様の距離に感じられるのです。(109ページ)

 杉浦さんらしい表現で,現で現代日本の文化状況を批判しています。とにかく,一度,手にとって読んで,江戸の文化を見直してみることをお薦めします。
色んな発見があると思います。

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老・病・死とどう付き合うか-死から生を考える-

2012-04-03 17:25:51 | 本の紹介・書評
     生・老・病・死とどう付き合うか-死から生を考える―

本の紹介 中村仁一著『大往生したけりゃ 医療とかかわるな-「自然死」のすすめ-』幻冬新書,2012年。 

 仏教用語に「四苦八苦」という言葉があります。うち,「生・老・病・死」の「四苦」は,すべての人が逃れることができない苦悩であるとされています。
とりわけ「死」は,最大の恐怖と苦悩の種といえるでしょう。
 
人は誰も,頭の中では,いつか自分が死ぬことを知っています。しかし私たちは,本音では,自分が死ぬことは考えていないのではないでしょうか。

あるいは,まともに考えるのはあまりに恐ろしいので,できる限り自分の死を考えないようにしているのではないでしょか。
 
私たちが心のどこかで,死は自分のことではなく誰か他の人のこと,と考えたくなるのも無理がありません。しかし,いくら死を頭から追い出し
,死から目をそむけても,死はすべての人に例外なく発症する病なのです。
 
死を恐れる理由は人によって異なりますが,共通しているのは,死に至るまでに味わうであろう病の苦しみや激しい痛みの恐怖ではないでしょうか。
 
だから「ピンピン コロリ」,つまり,死ぬ直前まで元気でピンピンしていて,死ぬときは苦しまずにあっという間にコロリと死ぬことが万人の
理想となるのです。しかし実際には,理想どうりにはゆきません。 

著者の中村氏は現在,京都の特別養護老人ホーム「同和園」付属診療所の所長を務める医師で,1996年(平成14年)から市民グループ「自分の死を
考える会」を主催しています。
  
本書全体の主題は,本のタイトルにはっきり示されています。大往生を遂げる,つまり,人の寿命をまっとうするには,命を支える力がなくなった
「死に時」いたったら,医療の介入を避け,身体が衰退に向かい死に至る自然の進行にまかせる「自然死」を選ぶべきだ,という主張です。

著者によれば,もはや自らの力で生きることができなくなった身体に医療を施すことは,本人に苦痛を与えるだけだからです。

中村氏は,たんに大往生の方法を説いているだけでなく,自分の「死」を直視することによって,「生」を見直し,生き方を変えることの大切さをも
訴えています。
 
著者のいいたいことの具体的な内容は,章や節のタイトルに現れていますので,その概略を下に示しておきましょう。
 
第一章のタイトルは「医者が「穏やかな死」を邪魔している」で,その中には「医療にたいする思い込み」「本人に治せないものを,他人である医者
に治せるはずがない」,「自然死」の年寄りはごくわずか」,「介護の「拷問」を受けないと,死なせてもらえない」などのトピックが取り上げられ
ています。

一言で言えば,不要な医療行為が,年寄りを苦しめ,本来なら穏やかな「自然死」を邪魔している,という内容です。

第二章のテーマ「「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」」第一章のテーマを引き継いでいます。すなわち「極限状態では痛みを感じ
ない」,「自然死のしくみとは」,「家族の事情で親を生かすな」,「長期の強制人工栄養は,悲惨な姿に変身させる」「食べないから死ぬのではない,
「死に時」が来たから食べないのだ」,「死に時をどう察知するか」」「「年のせい」と割り切った方が楽」,「「看取らせること」が年寄りの最後の
務め」「死ぬときのためのトレーニング」などです。

この章の結論は,「死に時」がくれば食物も水分も摂らなくなり,死の間際でも痛みも苦しみもなく枯れるように穏やかな「自然死」に向かうという
ものです。

第三章のテーマは「がんは完全放置すれば痛まない」です。内容は章のタイトルどおりで,中身を見ると「死ぬのはがんに限る」「がんはあの世からの
「お迎えの使者」」,「がんで死ぬんじゃないよ,「がんの治療」で死ぬんだよ」,「早期発見の不孝,手遅れの幸せ」,「手遅れのがんでも苦痛なし
に死ねる」「最期を医者にすがるのは考えもの」「がんにも「老衰死」コースあり」,「安易に「心のケア」をいいすぎないか」などのトピックがあり
ます。

「今や,がんは2人に一人がかかり,3人に一人は死ぬ病気」と言われているように,がんは今や国民病であり死因のトップになっています。
しかも多くの人は,がんは激しい痛みをともなう,恐ろしい病だと思っています。

しかし著者がかかわった8年間についてみると,「同和園」でのがんによる死者52名のうち,麻薬を使うほど痛んだケースは一例もなかったとのことです。
これが事実のもつ強みで,説得力があります。
 
著者は実際の経験から,がんは手術,放射線,抗がん剤などの攻撃を受けなければ,暴れて激しい痛みを伴うことがないと確信しています。

しかも,がんの場合,あっという間に死ぬことはほとんどなく,人生の締めくくりの整理をしたり,親しい人にお別れの挨拶をすることができます。
そこで著者は,「死ぬのはがんに限る」という結論に達するのです。
  
第四章のテーマは「自分の死について考えると,生き方が変わる」です。この章では著者自身の体験と,「「生前葬」を人生の節目の『生き直し』の儀式に」,
「延命の受け取り方は人によって違う」,「死を考えることは生き方のチェック」,「「自分の死を考える」ための具体的行動とは」などのトピックが
実例を交えて論じられています。
 
参考になるのは,「余命6ヶ月」を想定し,したいことの優先順を書き出す」という提案です。先に書いたように,私たちは自分が死ぬことを本気で信じて
いないので,日々の生活において何が大切なことなのかを考える手がかりがありません。

しかし,「余命6ヶ月」という年限を定めることによって,俄然,優先順位をつける必要に迫られます。

これは老人であろうと,若者であろうと同じことです。

第五章のテーマは「「健康」には振り回されず,「死」には妙にあらがわず,医療は限定利用を心がける」です。ここは,「生きものは繁殖を終えれば死ぬ」,
「医者にとって年寄りは大事な「飯の種」」,「健康のためならいのちもいらない」,「生活習慣病は治らない」,「年寄りはどこか具合の悪いのが正常」,
「病気が判明しても手だてがない場合もある」,「人は生きたように死ぬ」など,いわば本書の結論のような章となっています。

著者は人の一生を「繁殖期」と「繁殖を終えた」年代とに分け,その上で,繁殖を終えたら,病にあまり振り回されず,最終的には天寿をまっとうする「
自然死」にいたることを理想としています。

本書には,ここで紹介しきれない,たくさんの興味深い事実や,著者の考え方が示されていますが,それはまた別の機会に書きたいと思います。

興味のある人は,是非,一読をお勧めします。

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