本の紹介:大木昌(編著)『河川舟運と流域生活圏の形成』
今回は、ちょっと気恥ずかしいのですが、私自身の著書の宣伝をさせていただきます。正確なタイトルは、
大木昌(編著)・齋藤百合子(著)『江戸期における河川舟運と流域文化圏の形成』(論創社 2024年、508頁
8000円+税)です。
画面をクリックすると表紙が拡大できます
このブログでも何回か「本の紹介」を書いてきました。その際私は、それぞれの本の要点を整理し、私自身の
コメントや評価を加える、というスタイルをとってきました。
しかし今回は、私自身が著者なので、いわば研究の動機やきっかけなど出版の背景となるエピソードのような
「舞台裏」にいて書いてみたいと思います。
本書のテーマは、「日本において、地域社会や地方文化はいつごろ、どのようにして形成されたのか?」です。
これに対する私の仮説は、“個性ある社会や文化をもつ地域社会の形成には、河川舟運が大きく関与していたの
ではないか”というものです(本の帯文)。
つまり、河川の舟運によるヒト・モノ・カネ・情報の交流が、流域生活圏として個性のある地域社会を形成に
大きくかかわっていたのではないか、と考えたのです。
おそらく、このような問いかけは、日本史の専門家の間であまり議論されてこなかったのではないかと思われ
ます。というのも、それを資料で確認して時代や契機を明らかにすることは非常に難しいからです。
ここにたどり着くまでには、いくつかの背景があります。主なものは以下の三つです。
一つは、日本の国土は狭いにもかかわらず、詳しくみると、そこには独特の文化をもった地域社会(地方文化)
が無数に存在するのはなぜだろうか、という疑問です。
この地域社会は、独特の方言や風俗習慣を共有する社会です。日本では、極端な場合、村(現在は市や町にな
っている場合が多い)ごとに異なる方言と風俗習慣をもっていることも珍しくありません。
私はこれまで、多くの国に住んだことも訪ねたこともありますが、日本ほど地域による多様性に富んだ国をみ
たことがありません。
その多様性を生んだのは、日本の地理的な特殊性と気候の特色にあります。
つまり、日本は全体に山がちで、年間を通じて降雨があるため、日本国中に、あたかも人の体の血管のように
に、大小無数の河川が網目のように形成されています。
しかもそのほとんどの河川で、かつては舟運が利用されていたからです。実際、調べてみると、こんな小さな
な河川でも、と驚くほど、かつては舟が利用されていました。
河川ごとに人びとの交流があり、流域ごとに多様な地域社会が形成されたと思われます。
もちろん、これは、一つの仮説ですべての地域社会が河川の舟運を中心として形成されたわけではありません
が、舟運が重要な軸となって地域社会が形成されて事例が多いことは確かです。
二つは、私の川に対する強い関心です。
私はもともと川が好きで、イワナやヤマメなどの源流部の渓流釣りにあちこちの川を訪れててきました。この
ため、ある地域や場所の生を聞くと、私の頭の中では、その場所は「何川水系にあるのか」と、ほぼ自動的に
最寄りの川筋を思い浮かべます。私は川の地図を中心に日本をみるようになっていました。
ところが、ただ釣りを楽しむだけでなく、次第にそれぞれの地域に住む人々の暮らしと川とのかかわり合いに
も興味をもつようになりました。
一見、孤立した山の集落も実は川を経由して外部世界とつながっている(あるいは過去において繋がっていた)
ことが分かってきました。
その時、重要な役割を果たしてきたのが、河川の舟運でした。この事実を出発点として、日本の主要な河川の
中から、本書で取り扱った河川を選び、現地のフィールド調査と文献調査を開始しました。
三つは、私の本来の研究分野である東南アジアとりわけインドネシアの歴史研究の一環として行った、スマト
ラにおける河川舟運の歴史研究です(注1)。
そこで発見したしたことは、自動車などが現れる以前のスマトラでは、河川舟運によるヒト・モノ・カネ・情
報の交流が軸となって地域社会が形成されたということです。
もう一つ興味深い発見は、現地語で「パンカラン」と呼ばれる川港は、日本では「河岸」と呼ばれ同じ機能を
果たしていたという事実です。たとえば、江戸期の利根川水系には、180以上の河岸がありました。
このことから、日本においても河川舟運と河岸を中心とした地域社会と地域文化という生活圏が形成されたの
ではないかという見通しを持つようになしました。
このようにして形成された「地域社会」を本書では「流域生活圏」と呼びます。
問題は、こうした社会は日本において「いつごろ」形成されたのかという点です。これは資料的に比較的はっ
きりとしていて、河川舟運が発達した江戸期であると考えられました。
以上のような背景と見通しての下に、「江戸期における河川舟運と流域生活圏の形成」というテーマで本格的に
調査・研究を始めました。
その過程で、このブログでも2013年11月18日から3回に分けて報告しています(注2)。
こうして、私の本来の専門分野である東南アジアの歴史研究とは全く異なる、日本史の研究に足を突っ込むこ
とになってしまいました。
もちろん、これには大きな不安がありました。というのも、私はこれまで日本史の研究に手を染めたことがな
く、その基礎知識すらない、いわば素人だからです。
そして、日本史研究者は他領域の研究者が日本史に首を突っ込んでくることに警戒的で否定的な反応を示すこ
とが多い、と聞いていたからです。それでも、思い切って江戸時代の日本史の研究に踏み込んだのは、速水氏
の次の言葉に勇気づけられたからでした。
こういった状況に対して、江戸時代の専攻者は肯定・否定を問わず応えるべき義務がある、と筆者は
思う。ところが、今までのところこれらに対するまともな回答はほとんど出ていない。極端な言い方
をするならば、あるのはひややかな無視か、ひどくイデオロギッシュな罵倒である。
(中略)しかし長期的にみて、異なった分野の専門家間の知的交流は、それぞれの研究者にこの上な
い刺激と広い視野を与えることになるのではないか(注3)。
実際、本書がどのように江戸時代の専門家から評価されるかは分かりませんが、私としては、ひょっとしたら
日本史の研究に幾分かは貢献できるのではないか、というかすかな期待を込めて出版して世に問うことに踏み
切った次第です。
本書は全10章(ページ数 508ページ)から成り、うち第八章の20ページほどが、共同研究のメンバーの
一人齋藤百合子氏の論考となっており、あとは全て私が書いています。
10章のうち第一部の第一章~第四章は、いわば理論的枠組みと河川舟運の前史で、第二部の第五章~第10
章が舟運の具体的姿を7河川についての記述となっています。
ただし、本書では上記7河川のほかに、第二章で古代の舟運事例、第4章の「塩の道」との関連で10河川以
上、合わせて20河川ほどに触れていることになります。
以下に本書の構成を章のタイトルだけ示しておきます。
プロローグ
本書の構成とねらい
第一部 河川舟運の歴史と基本問題
第一章 舟運研究の背景と意義
第二章 日本における河川舟運前史―古代から近世まで―
第三章 舟運の基本構造
第四章 舟運と「塩の道」―「塩経済圏」と「塩生活圏」の形成―
第二部 河川別舟運の実態と流域生活圏
第五章 北上川の舟運と流域生活圏の形成
第六章 最上川の舟運と流域生活圏の形成
第七章 利根川水系―関東広域生活圏を支えた川―
第八章 越後から上州へ渡った飯盛女と八木節―越後と上州を結んだ利根川―
齋藤百合子
第九章 天竜川ルートの舟運と「南信三遠」文化圏の形成:鹿嶋(二俣)地区を中心として
第一〇章 中国地方東部の舟運―吉井川・旭川・高梁川―
エピローグ
フィールド調査記録
起源的にみると、河川舟運は沿岸で生産された塩を内陸に運ぶことから始まったと考えられます。というの
も塩は内陸に住む人が生きてゆくうえで欠くことができない必需品だからです。
つまり、河川舟運のルートは「塩の道」だったのです。私は、塩という必需品の取引に付随してさまざまな
物資が交換されたのではないかと考えています(第四章)。
江戸期において、河川舟運と地域社会の形成で重要な役割を果たしたのは「河岸」(かし)と呼ばれる川の
港です。ここは、川を行き来する舟の港である同時に、荷物の積み下ろし場所、荷物が取引される市場でも
あります。
河岸では近隣の農民が持ち込んだ生産物や外部から舟で運ばれた商品の売買がおこなわれました。
また地元の商人だけでなく、他の地域からも多くの商人がやってきました。
このため、河岸には港としての桟橋や船溜まりはいうまでもなく、商業活動に必要な倉庫、商人が泊まる宿屋
(旅籠)、取引所(市場)などの諸施設が常設され、問屋、地元の商人だけでなく外部の商人、運送業者、船
乗り、旅人などでにぎわっていました。
こうして河岸を拠点として周辺の農村地域を含む「経済圏」=「生活圏」が形成されました。今日私たちが見
る、河川沿いの内陸都市や町の多くはかつての河岸を中心に発展したものです。
本書では、各河川の主要な河岸についての詳細な記述と共に、それぞれの河川を経由して外部に運ばれた流域
の産物や外部から運ばれた商品が説明されます。
こうした物質の流れと並行して、河川舟運は文化・情報、人と人との交流をももたらしました。例えば、紅花
の産地である最上川流域には、京都や近江の商人がやってきて、その一部は現地に定着した。そのため、現在
でも最上川流域では京言葉が残っています。
自分の出身地域や関心のある地域が、江戸期にはどんな状態だったのか、どんな特産物があり、どんな文化状
況にあったのかを知ることができるかもしれません。
なお、本書は高価な本なので、気軽に購入してほしいとはお願いできませんが、是非、近くの図書館に入れて
いただき、手に取って見ていただけたら幸いです。ただし、本書はまだ刊行されたばかりなので、もう少し日
にちが経ってからの方がいいかもしれません。
本書で扱われている河川のほとんどを実際に訪れており、その際に撮影した写真と、多くの河川地図を掲載し
ています。
本を眺めるだけでも、きっと、新しい日本の地域社会のイメージが湧いてくると思います。
注
(注1)大木昌 「19 世紀スマトラ中・南部における河川交易—東南アジアの貿易構造に関する一視角―」『東南
アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)18 卷4 号(1981): 612-642
(注2)本ブログの 2013-11-18, 2013-11-23, 2013-11-29の記事。
(注3)速水 融『歴史の中の江戸時時代』東洋経済、1983:26-27
今回は、ちょっと気恥ずかしいのですが、私自身の著書の宣伝をさせていただきます。正確なタイトルは、
大木昌(編著)・齋藤百合子(著)『江戸期における河川舟運と流域文化圏の形成』(論創社 2024年、508頁
8000円+税)です。
画面をクリックすると表紙が拡大できます
このブログでも何回か「本の紹介」を書いてきました。その際私は、それぞれの本の要点を整理し、私自身の
コメントや評価を加える、というスタイルをとってきました。
しかし今回は、私自身が著者なので、いわば研究の動機やきっかけなど出版の背景となるエピソードのような
「舞台裏」にいて書いてみたいと思います。
本書のテーマは、「日本において、地域社会や地方文化はいつごろ、どのようにして形成されたのか?」です。
これに対する私の仮説は、“個性ある社会や文化をもつ地域社会の形成には、河川舟運が大きく関与していたの
ではないか”というものです(本の帯文)。
つまり、河川の舟運によるヒト・モノ・カネ・情報の交流が、流域生活圏として個性のある地域社会を形成に
大きくかかわっていたのではないか、と考えたのです。
おそらく、このような問いかけは、日本史の専門家の間であまり議論されてこなかったのではないかと思われ
ます。というのも、それを資料で確認して時代や契機を明らかにすることは非常に難しいからです。
ここにたどり着くまでには、いくつかの背景があります。主なものは以下の三つです。
一つは、日本の国土は狭いにもかかわらず、詳しくみると、そこには独特の文化をもった地域社会(地方文化)
が無数に存在するのはなぜだろうか、という疑問です。
この地域社会は、独特の方言や風俗習慣を共有する社会です。日本では、極端な場合、村(現在は市や町にな
っている場合が多い)ごとに異なる方言と風俗習慣をもっていることも珍しくありません。
私はこれまで、多くの国に住んだことも訪ねたこともありますが、日本ほど地域による多様性に富んだ国をみ
たことがありません。
その多様性を生んだのは、日本の地理的な特殊性と気候の特色にあります。
つまり、日本は全体に山がちで、年間を通じて降雨があるため、日本国中に、あたかも人の体の血管のように
に、大小無数の河川が網目のように形成されています。
しかもそのほとんどの河川で、かつては舟運が利用されていたからです。実際、調べてみると、こんな小さな
な河川でも、と驚くほど、かつては舟が利用されていました。
河川ごとに人びとの交流があり、流域ごとに多様な地域社会が形成されたと思われます。
もちろん、これは、一つの仮説ですべての地域社会が河川の舟運を中心として形成されたわけではありません
が、舟運が重要な軸となって地域社会が形成されて事例が多いことは確かです。
二つは、私の川に対する強い関心です。
私はもともと川が好きで、イワナやヤマメなどの源流部の渓流釣りにあちこちの川を訪れててきました。この
ため、ある地域や場所の生を聞くと、私の頭の中では、その場所は「何川水系にあるのか」と、ほぼ自動的に
最寄りの川筋を思い浮かべます。私は川の地図を中心に日本をみるようになっていました。
ところが、ただ釣りを楽しむだけでなく、次第にそれぞれの地域に住む人々の暮らしと川とのかかわり合いに
も興味をもつようになりました。
一見、孤立した山の集落も実は川を経由して外部世界とつながっている(あるいは過去において繋がっていた)
ことが分かってきました。
その時、重要な役割を果たしてきたのが、河川の舟運でした。この事実を出発点として、日本の主要な河川の
中から、本書で取り扱った河川を選び、現地のフィールド調査と文献調査を開始しました。
三つは、私の本来の研究分野である東南アジアとりわけインドネシアの歴史研究の一環として行った、スマト
ラにおける河川舟運の歴史研究です(注1)。
そこで発見したしたことは、自動車などが現れる以前のスマトラでは、河川舟運によるヒト・モノ・カネ・情
報の交流が軸となって地域社会が形成されたということです。
もう一つ興味深い発見は、現地語で「パンカラン」と呼ばれる川港は、日本では「河岸」と呼ばれ同じ機能を
果たしていたという事実です。たとえば、江戸期の利根川水系には、180以上の河岸がありました。
このことから、日本においても河川舟運と河岸を中心とした地域社会と地域文化という生活圏が形成されたの
ではないかという見通しを持つようになしました。
このようにして形成された「地域社会」を本書では「流域生活圏」と呼びます。
問題は、こうした社会は日本において「いつごろ」形成されたのかという点です。これは資料的に比較的はっ
きりとしていて、河川舟運が発達した江戸期であると考えられました。
以上のような背景と見通しての下に、「江戸期における河川舟運と流域生活圏の形成」というテーマで本格的に
調査・研究を始めました。
その過程で、このブログでも2013年11月18日から3回に分けて報告しています(注2)。
こうして、私の本来の専門分野である東南アジアの歴史研究とは全く異なる、日本史の研究に足を突っ込むこ
とになってしまいました。
もちろん、これには大きな不安がありました。というのも、私はこれまで日本史の研究に手を染めたことがな
く、その基礎知識すらない、いわば素人だからです。
そして、日本史研究者は他領域の研究者が日本史に首を突っ込んでくることに警戒的で否定的な反応を示すこ
とが多い、と聞いていたからです。それでも、思い切って江戸時代の日本史の研究に踏み込んだのは、速水氏
の次の言葉に勇気づけられたからでした。
こういった状況に対して、江戸時代の専攻者は肯定・否定を問わず応えるべき義務がある、と筆者は
思う。ところが、今までのところこれらに対するまともな回答はほとんど出ていない。極端な言い方
をするならば、あるのはひややかな無視か、ひどくイデオロギッシュな罵倒である。
(中略)しかし長期的にみて、異なった分野の専門家間の知的交流は、それぞれの研究者にこの上な
い刺激と広い視野を与えることになるのではないか(注3)。
実際、本書がどのように江戸時代の専門家から評価されるかは分かりませんが、私としては、ひょっとしたら
日本史の研究に幾分かは貢献できるのではないか、というかすかな期待を込めて出版して世に問うことに踏み
切った次第です。
本書は全10章(ページ数 508ページ)から成り、うち第八章の20ページほどが、共同研究のメンバーの
一人齋藤百合子氏の論考となっており、あとは全て私が書いています。
10章のうち第一部の第一章~第四章は、いわば理論的枠組みと河川舟運の前史で、第二部の第五章~第10
章が舟運の具体的姿を7河川についての記述となっています。
ただし、本書では上記7河川のほかに、第二章で古代の舟運事例、第4章の「塩の道」との関連で10河川以
上、合わせて20河川ほどに触れていることになります。
以下に本書の構成を章のタイトルだけ示しておきます。
プロローグ
本書の構成とねらい
第一部 河川舟運の歴史と基本問題
第一章 舟運研究の背景と意義
第二章 日本における河川舟運前史―古代から近世まで―
第三章 舟運の基本構造
第四章 舟運と「塩の道」―「塩経済圏」と「塩生活圏」の形成―
第二部 河川別舟運の実態と流域生活圏
第五章 北上川の舟運と流域生活圏の形成
第六章 最上川の舟運と流域生活圏の形成
第七章 利根川水系―関東広域生活圏を支えた川―
第八章 越後から上州へ渡った飯盛女と八木節―越後と上州を結んだ利根川―
齋藤百合子
第九章 天竜川ルートの舟運と「南信三遠」文化圏の形成:鹿嶋(二俣)地区を中心として
第一〇章 中国地方東部の舟運―吉井川・旭川・高梁川―
エピローグ
フィールド調査記録
起源的にみると、河川舟運は沿岸で生産された塩を内陸に運ぶことから始まったと考えられます。というの
も塩は内陸に住む人が生きてゆくうえで欠くことができない必需品だからです。
つまり、河川舟運のルートは「塩の道」だったのです。私は、塩という必需品の取引に付随してさまざまな
物資が交換されたのではないかと考えています(第四章)。
江戸期において、河川舟運と地域社会の形成で重要な役割を果たしたのは「河岸」(かし)と呼ばれる川の
港です。ここは、川を行き来する舟の港である同時に、荷物の積み下ろし場所、荷物が取引される市場でも
あります。
河岸では近隣の農民が持ち込んだ生産物や外部から舟で運ばれた商品の売買がおこなわれました。
また地元の商人だけでなく、他の地域からも多くの商人がやってきました。
このため、河岸には港としての桟橋や船溜まりはいうまでもなく、商業活動に必要な倉庫、商人が泊まる宿屋
(旅籠)、取引所(市場)などの諸施設が常設され、問屋、地元の商人だけでなく外部の商人、運送業者、船
乗り、旅人などでにぎわっていました。
こうして河岸を拠点として周辺の農村地域を含む「経済圏」=「生活圏」が形成されました。今日私たちが見
る、河川沿いの内陸都市や町の多くはかつての河岸を中心に発展したものです。
本書では、各河川の主要な河岸についての詳細な記述と共に、それぞれの河川を経由して外部に運ばれた流域
の産物や外部から運ばれた商品が説明されます。
こうした物質の流れと並行して、河川舟運は文化・情報、人と人との交流をももたらしました。例えば、紅花
の産地である最上川流域には、京都や近江の商人がやってきて、その一部は現地に定着した。そのため、現在
でも最上川流域では京言葉が残っています。
自分の出身地域や関心のある地域が、江戸期にはどんな状態だったのか、どんな特産物があり、どんな文化状
況にあったのかを知ることができるかもしれません。
なお、本書は高価な本なので、気軽に購入してほしいとはお願いできませんが、是非、近くの図書館に入れて
いただき、手に取って見ていただけたら幸いです。ただし、本書はまだ刊行されたばかりなので、もう少し日
にちが経ってからの方がいいかもしれません。
本書で扱われている河川のほとんどを実際に訪れており、その際に撮影した写真と、多くの河川地図を掲載し
ています。
本を眺めるだけでも、きっと、新しい日本の地域社会のイメージが湧いてくると思います。
注
(注1)大木昌 「19 世紀スマトラ中・南部における河川交易—東南アジアの貿易構造に関する一視角―」『東南
アジア研究』(京都大学東南アジア研究センター)18 卷4 号(1981): 612-642
(注2)本ブログの 2013-11-18, 2013-11-23, 2013-11-29の記事。
(注3)速水 融『歴史の中の江戸時時代』東洋経済、1983:26-27