大木昌の雑記帳

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安保法案は憲法違反(4)―「非立憲」という根源的な視点―

2015-06-28 09:08:06 | 政治
安保法案は憲法違反(4)―「非立憲」という根源的な視点―

安保法案の議論が始まったころ,国会内外では,集団的自衛権が適用される具体的な事例は,その要件などについての議論が中心でした。

政府は,どれほど批判されようと,具体的な事例が,いかに非現実的であろうと,同じ説明を繰り返して,70時間という国会審議時間をやり
過ごせば,あとは絶対多数の力で強引に法制化できると,考えていました。

しかし6月4日に開催された衆議院憲法審査会に,3人の憲法学者を参考人として招いた,衆議院憲法審査会以後,文字通り議論の「潮目」
が変わりました。

つまり,安保法案の個別的な問題より,さらに包括的・本質的な,「そもそも」安保法案は全体として憲法違反である,という視点がはっきりと
浮上したのです。

この審査会の2日後,法学や政治学の専門家などでつくる「立憲デモクラシーの会」が東大でシンポジウム「立憲主義の危機」を開き,佐藤
幸治京大名誉教授が基調講演をしました。

この時の佐藤氏の発言要旨は,このブログの「安保法案は憲法違反(1)」(6月10日)でも紹介しましたが,そこでは,安保法案は違憲であ
るという観点から佐藤氏の発言を引用しました。

ただし,このシンポジウムのテーマは「立憲主義の危機」で,佐藤氏の講演の趣旨は,日本の立憲主義の歴史をたどりつつ,現在,その立憲
主義が「非立憲」政治によって危機に陥っていることに警鐘をならすことでした。

「非立憲」という視点は,安保法案が合憲か違憲か,という問題とは別の角度から,見方によってさらに根源的な問題に踏み込んでいます。

現代の立憲主義には,ニュアンスの違いを含めてさまざまな定義があります。ただ,今回の安保法案に関していうと,最も広義には,国家権力
は憲法に基づいて統治を行わなければならない,この意味で権力は憲法によって監視・拘束されるべきである,という考え方です。

したがって,政府・権力が恣意的な解釈で憲法を歪めたりして、憲法の権威を軽んじることは立憲主義に反すること,つまり「非立憲」と言えます。
佐藤氏の基調講演は,世界と日本の立憲主義の歴史をたどる内容でした。

「戦争が立憲主義の最大の敵」であり,立憲主義を考える時に重要なのは「人類が恣意的支配を避けようと自覚し,試行錯誤を重ねてきた歴史
から何をくみ取るか」だ,と述べました。

言い換えると,人類は権力者の勝手な支配をさせないために,試行錯誤を重ね,その最終的な成果が,権力を縛る憲法という制度であり,この
ことを心に留めておくことが大切だ,と言っているのです。

この基調講演では,直接に安保法案には触れていませんでしたが,講演後の討論で,石川健治東大教授は,現在の安倍政権がやっていること
は,「非立憲的な政権運営が行われていないか,とおっしゃりたかったと思う」,と述べています。

また,同じ討論で,樋口洋一東大名誉教授は,「(関連法案の国会への)出され方そのものが(憲法を軽んじる)非立憲の典型だ」と安保法案を,
非立憲であると指摘しました(以上,『朝日新聞』2015年6月16日)。

安倍政権は,憲法は国民が,政府に勝手なことをさせないための制度である,という考え方を真正面から否定しています。

5月20日の党首討論で,安保法案の合法性について岡田民主党党首に説明が全く分からないと言われた安倍首相は,
    我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。
    私は総理大臣ですから。
と答えています。

集団的自衛権の違憲性が問題視されている状況で,なお,自分は総理大臣であるから正しい,との主張を繰り返すだけで,安倍首相は,岡田氏
の質問を「はぐらかす」だけでまともに答えていません。

それにしても,総理大臣である自分が国会に提出しているのだから,「まったく正しい」と言い張る首相の頭の中では,憲法の解釈も,時の首相の
権限のもとで変更できるのだ,と考えているのでしょうか。

もし,そうだとすると,それは自分を憲法をも超越した高みに置く,恐ろしい思い上がりであり立憲主義の否定です。

恐らく,選挙に勝ち続けてきたこと,国会では絶対多数を占めているという背景が,安倍首相にこのような暴言を吐かせたのだと思います。

私はこの言葉を聞いたとき,「朕は国家なり」という17世紀フランス・ブルボン王朝のルイ14世の言葉を思いだしました。

本来なら,政府は最上位の法規範・根本原理である憲法に基づいて統治を行わなければならないのに,その時々の政府が憲法の解釈を変える
ことができるとしたら,そもそも法律の頂点に立つ憲法は,憲法としての意味を成しませんし,国家の根幹が失われてしまいます。

それでは,日本の憲法は,どのような理念に基づいているのでしょうか?

「前文」で,日本国憲法は,国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三大基本原理を掲げ,これらは,「人類普遍の類普遍の原理であり、この
憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と規定しています。

平和主義にかんしては,「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」,と謳っています。

「前文」の平和主義の理念・原理・原則は,憲法9条でさらに具体的に以下のように示されています。
    1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
      国際紛争を解決    する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

以上から明らかなように,政府の行政も法律も,全て,憲法に基づいていなければならず,もし,それを超える行為をしようとすれば,憲法その
ものを変えなければなりません。

それを,正面から憲法改正をせず,あたかも裏口からこっそり侵入するように,解釈によって憲法を無効化してしまうことは,立憲主義の理念
と真っ向から対立します。

行政が憲法違反しないかどうかを最終的に判断するのは最高裁判所ですが,各省庁が作成した法案の原案について,条文に問題がないか
をチェックするのが,内閣府に置かれた部署が内閣法制局です。

憲法違反と判断された法律は無効となるため,内閣法制局は「法の番人」でもあります。

『東京新聞』は,過去5人の元法制局長官から安保法案に対する見解を取材しています(『東京新聞』2015年6月2015年6月20日)

任期の古い順に,大森政輔氏(1996-99年),津野修氏(1999-2002年),秋山収氏(02-04年),阪田雅裕氏(04-06年),宮崎礼壹氏(06-10年)
の,1996年から続けて5人の歴代法制局長官です。

この5人の中で,津野氏は,「一般論とし集団的自衛権の行使は違憲だが,政府の論理は非常に抽象的。具体的条文が違憲か否かは,説明
を聞かないとよくわからない」として,「判断できず」と答えています。しかし,「合憲」とは言っていないし,「一般的には違憲」と述べています。

後の4人は明確に「違憲」である,と断定しています。

大森政輔氏は,そもそも集団的自衛権が認められないことは自民党内閣が言い続けてきたことだ,と自民党自身の自己矛盾を指摘しています。

第一次安倍内閣(2006-07年)などで長官だった宮崎礼壹氏は,「憲法をどう読んでも,武力行使が許されるのは日本に攻撃があった時のみ。
集団的自衛権が許されないのは理論の帰結。一部認められとの弁明はこじつけ」,とはっきり政府見解を「こじつけ」であるとしています。

こうしてみてくると,「憲法の番人」である法制局の見解は一貫して,集団的自衛権を「違憲」としてきたことが分かります。

ところが,現法制局長官の横畠裕介氏は,国会で「合憲論」を述べています。

つまり,宮崎氏は,横畠氏の憲法解釈について,「非常に問題のある解説をしている」と,横畠氏が72年見解を意図的に歪曲していることを
批判しています。

横畠氏は集団的自衛権をフグにたとえ、「全部食べるとあたるが、肝を外せば食べられる」など,厳密な法解釈を担う法制局のトップとして,
見識が疑われる発言をしています。

安倍首相は当初,外務省出身の小松一郎氏を法制局長官に抜擢しましたが,小松氏の体調不良で実現せず,代わりに横畠氏が長官に就任
しました。横畠氏は,安倍首相に対する「恩義」を感じているのだろうか?

この横畠氏の国会での発言について『京都新聞』社説 20151年6月25日,社説)は、「憲法よりも政権の意向を読み取るようになったのだろうか。
『法の番人』でなく、政府の番犬のようだ」と厳しく批判しています((注2)。

「私が総理大臣なんですから」という安倍首相の言葉の裏には,法制局は内閣の一部であり,その頂点には総理大臣であるから,法制局の見解
の適否は自分で判断できる,という意味も含まれています。

もう一度言いますが,これは,自分は,間接的にではあれ,憲法の上に立っているということを意味します。

つまり,安倍首相は,憲法に従うのではなく,憲法を自分の思い通りに従わせるという,立憲の思想とは全く逆の「非立憲」を強行しているのです。


(注1)この時の国会でのやり取りは,https://www.youtube.com/watch?v=EAfbJZi6K1E
    で動画で見ることができます(2015年月21日アクセス)
(注2)http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20150625_5.html


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安保法案は憲法違反(3)―「無理も通れば道理引っ込む」のか?―

2015-06-23 07:23:43 | 政治
安保法案は憲法違反(3)―「無理も通れば道理引っ込む」のか?―

前回は,衆議院憲法審査会で,参考人として呼ばれた三人の憲法学者が,安保法制は憲法違反である,との見解を述べました。

これに対して菅官房長官は,1959年の砂川裁判に対する最高裁の判決を根拠に安保法案は合憲である,と主張しました。

しかし,「砂川判決」は集団的自衛権を合法化する根拠になりえないことは前回詳しく説明したとおりです。

今回は,菅官房長官の釈明(安倍首相の釈明も同じ)以外の,政府側の見解をみてみましょう。

まずは,今回安保法案の取りまとめ役の高村正彦衆議院議員は,6月11日に行われた衆議院憲法審査会で,安保法案は合憲で
あるとの釈明しています。その要旨は以下の通りです。

少し長くなりますが,これが自民党の公式な見解なので引用しておきます

    1959年の砂川事件最高裁判決は国の存立を全うするための「必要な自衛の措置」を認め,しかも必要な措置のうち個別的
    自衛権,集団的自衛権の区分をしていない。これが大きなポイントだ。何が必要かは時代によって変化し,実際の政策は
    内閣と国会に委ねられている。(中略)
    閣議決定で認めたのは集団的自衛権の行使に該当するもののうち,あくまでお我が国を防衛するためのやむを得ない自衛
    の措置に限られる。憲法解釈の限界を超えるような意図的な解釈変更ではなく,憲法違反との批判は全く当たらない。4日
    の憲法審査会で参考人の憲法学者が違憲だと主張したが,憲法の番人は最高裁だ。憲法学者ではない。
    (『東京新聞』2015年6月12日)。

この見解には,いくつもの問題があります。

まず,冒頭に「砂川裁判」の法的な根拠を示していますが,これについての問題点は前回述べた通りです。

一つだけ補足しておくと,前回の記事で,砂川判決に関するアメリカの介入について,マスメディアはほとんど触れていない,と書き
ましたが,『東京新聞』(2015年6月10)は,「砂川判決 公平性にも疑問」というタイトルで,この問題に触れています。

それは,「半世紀が過ぎ,新事実が明るみに出た。二〇〇八年以降,機密指定が解かれた米公文書で,判決を指揮した当時の田中
耕太郎最裁判長が駐日米大使に,無罪の一審を破棄する見通しを事前に伝えていたことが分かった」というものです。

この判決は,アメリカの意向にそって下されたことがはっきりと記録されています。

高村氏は国会の質疑で,「砂川判決本体にはっきり,国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国にあたえていると書いてある」
との発言をしています。

しかし,当時最高裁で弁護人を務めた新井章弁護士は,「確かに判決にそういう記述はあるが,それは当たり前のことをいっている
だけ」と指摘しています。

ただし,「国際社会が認めている集団的自衛権を行使するかどうかについて,日本は憲法の前文や九条で自衛のためにも武力行使を
しない定めている。 集団的自衛権を行使できるかどうか,どのように行使すべきかという議論が取り上げられたことは全くない」と強調
しています(『東京新聞』2015年6月10日)。

つまり,国連憲章は一般論として,個別的自衛権も集団的自衛権も認めているが,集団的自衛権を認めるかどうかは,それぞれの国が
決めることである,としているのです。

日本は,その部分を憲法で禁じていますから,当然,集団的自衛権は認められません。

そこで,高村氏は,「砂川判決」の「必要な自衛の措置」は,特に個別,集団の区別を明示していないから,集団的自衛権も含まれる,と
非常に無理なこじつけをします。

当時も今も,「必要な自衛の措置」は全体の「文脈」から,当然,個別的自衛権と解釈されていますが,「文脈」を意図的に曲解しています。

「何が必要かは時代によって変化し」とは,具体的には中国の脅威が増したから,安全保障の環境が変わったから,それに合わせて憲法
解釈を変えることができる,という趣旨につなげられます。

しかし,憲法とは法律の最上位に位置する法律の中の法律です。その憲法の根幹部分を一内閣が勝手に解釈し直すことは許されません。

もし憲法が,時の政権によって解釈で根幹を変えてしまうことができるなら,もはや「憲法」ではなくなってしまいます。

高村氏は,過去に言ったことを意識的に無視しているのか,すっかり忘れているようです。

高村氏が外相を務めていた1999年4月1日の「日米防衛協力のための指針に関する特別委員会」で,「集団的自衛権の概念は,その成立の
経緯から見て実力の行使を中核とした概念であることは疑いない。我が国の憲法上,禁止されていることは政府が一貫して説明してきた」と,
集団的自衛権を自ら否定しているのです(『日刊ゲンダイ』2015年6月18日)。

高村氏は弁護士出身であり,いわば法律のプロですから,今回の安保法案が憲法違反であることは十分分かっているはずです。そこを強引
に突破しようとする背景には,最終的には国会での絶対多数で採決すれば法案を通すことができる,と考えているとしか思えません。

まさに,数の「力」で押し通せば論拠や正当性の問題も吹き飛ばしてしまう,「無理も通れば道理引っ込む」の諺そのものです。

次に,自衛隊を所管する防衛省の中谷元防衛相は15日の特別委員会で,民主党の寺田学氏に,砂川判決を集団的自衛権行使が合憲である
ことの根拠にするのかとの質問に対して,「新三要件の合憲の根拠は,72年の政府見解だ。砂川判決を直接の根拠にしていない」と,答えてい
ます。

安倍首相や菅官房長官は,15日の時点でも,砂川判決を根拠にしていますが,中谷防衛相は,集団的自衛権の根拠に関して,やや異なった
発言をしています。

中谷氏が言及している「72年の政府見解」とは,1972年,砂川判決を踏まえて,田中角栄首相(当時)が,日本の個別的自衛権を認める一方,
集団的自衛権は認められないとする政府見解を指します。

したがって,72年の政府見解は,集団的自衛権を否定し個別的自衛権しか認めていないことを確認した政府見解なのです。

ここから明らかなように,中谷氏が,砂川判決を根拠にせず,72年政府見解を根拠とする,という発言は,集団的自衛権を否定した政府見解
を根拠に集団的自衛権を合憲とする,という自己矛盾に落ちいっています。

10日の衆院特別委員会で中谷氏は,他国を武力で守る集団的自衛権の行使を容認した憲法解釈について,将来的に日本を取り巻く安全保障
環境がさらに変化すれば,再び変更する可能性がある」との認識を示しました(『東京新聞』2015年6月11日)。

これは,なし崩し的に憲法を有名無実化する,もっとも危険な発想です。

中川防衛相は,首相と菅官房長官と見解が異なる点について,自ら判断したのか党内で指摘されたのか,19日の衆院平和安全法制特別委員会
で前言を翻します。

つまり,1959年の最高裁砂川事件判決について「限定容認する集団的自衛権の行使が合憲である根拠たり得る」と述べ、「直接の根拠としてい
るわけではない」という15日の答弁を事実上修正したのです(『毎日新聞』2015年6月19日 夕刊))。

次に,菅官房長官が,安保法案を合憲とする憲法学者として名前を挙げ,かつ『東京新聞』にコメントを寄せている三人の言い分をみてみましょ
う(『東京新聞』2015年6月11日)。に

まず,百地章日本大学教授
今回の政府見解は,従来の憲法解釈の基本的な論理を維持しており妥当だが,集団駅自衛権の行使が認められるかどうかは憲法に照らして
判断されるべきで,過去の見解との整合性を気にし過ぎているのではないか。集団的自衛権は主権国家に認められた固有の権利で,保持や
行使は当然だ。

百地氏は,上に述べたと同じ誤りを犯しています。集団的自衛権が一般的に認められていることと,それぞれの国がどう規定するかは別問題で,
日本は,まさに憲法で禁じているのです。

次に西修駒澤大学名誉教授
日本国憲法の成立過程や国際法上の固有の権利を考えれば,集団的自衛権も含めて自衛権の行使は否定されていない。憲法解釈の問題で
はなく政府判断だ。合憲あるいは明確な違憲はではないという学者は少なからずいる。多数か少数かが問題の本質ではなく,説得力があるか
どうかだ。(西氏は6月22日の衆院特別委員会でも同様の発言をしています)

西氏も百地氏と同じく,一般論と日本の憲法との違いを混同しています。

しかも,合憲・違憲の判断は時の政府判断だ,と憲法を曲解しています。いう基本的残念ながら,西氏の論は説得力がありません。

最後に長尾一紘中央大学名誉教授
どの独立国も個別的自衛権を集団的自衛権の療法をもつ。国連憲章にも明記されている。日本国憲法は他国との対等な立場を宣言している
以上,自衛権を半分放棄するという解釈は出る余地はない。法案を違憲という学者の意識は日本の安全保障に危機感を持つ国民の意識とず
れている。

長尾氏も他の二人の憲法学者と同じく,一般論と日本国憲法との違いを無視しています。

さらに驚くべきことに,19日の特別委員会で民主党の辻本氏の指摘で,長尾教授は「徴兵の制度と奴隷制、強制労働を同一視する国は存在
しない。徴兵制の導入を違憲とする理由はない」と,徴兵制さえも合憲だと発言していることがしていることがわかりました。同様の発言は,
百地,西氏もしています(『日刊ゲンダイ』2015年6月20,21日)。

なお,百地氏は10日,『毎日新聞』の電話取材に答えて,「日本の安全保障環境が大きく変化し、米国と手を組んでおかないと日本の安全が
守れないというのが、集団的自衛権行使容認の大きな理由だ。憲法の枠内の政府見解変更であり憲法違反ではない」と主張しました。

同じく『毎日新聞』の取材に長尾氏は,「霞が関の官僚から『国会で名前を出してもよろしいですか』と9日に連絡を受けた。以前からやり取り
があり、了承した」と語りました。菅氏の答弁は毎日新聞の電話取材で知ったという。

菅氏は,安保法制懇にいる,たった一人の憲法学者の名前を問われても,明かしませんでしたが(『東京新聞』2015年6月6日),その憲法
学者の,少なくとも一人は長尾氏であったかもしれません。


長尾氏は、安保法制を合憲とする根拠として、国連憲章が個別的自衛権も集団的自衛権も認めていることなどを挙げ、「戦後70年、まだ米国
の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」と熱弁をふ
るったそうです。

安保法案を違憲だとする憲法学者を「まだ,米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々」と断ずる感覚こそ,驚くべき時代錯誤と現状認識の欠如
ではないでしょうか?

あるいは同様の認識をもった憲法学者であったとしても,このような認識をもつ憲法学者の見解を頼って,安保法案を構想したとしたら,恐ろ
しいことです。

時事通信社の調査によれば,6月の安保法案に対する「反対」の意見は8割を超えていました(注2)

最後に,野党の安保法案と憲法との関係に関する見解を見ておこう。

野党は総じて安保法案は憲法違反であるとの立場をとっています。ただし,維新の党がどうなるは微妙です。

いずれにしても,憲法学会を代表する憲法学者三人がそろって憲法違反だと述べたことは重大であり,安保法案は,一旦引き上げるべきでしょう。

(注1)『毎日新聞』(電子版)2015年6月11日
http://mainichi.jp/select/news/20150611k0000m010129000c.html?fm=mnm
(注2)時事通信社調査 2015年6月15日アクセスhttp://www.jiji.com/jc/zc?k=201506/2015061200570&g=pol

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安保法案は憲法違反―墓穴を掘る自民の砂川判決の引用―

2015-06-17 05:55:16 | 政治
安保法案は憲法違反(2)―墓穴を掘る自民の砂川判決の引用―

6月4日の憲法審査会において,参考人として呼ばれた三人の憲法学者が,全員,安保法案は憲法違反であることを明言したことにショックを受け,
自民と公明は,その釈明と火消しにあたふたとしています。

現在審議中の安保法案は,集団的自衛権を前提としており,その集団的自衛権そのものが憲法違反である,ということになれば,安保法案の審議
そのものが無意味になってしまうからです。

前回の記事でみたように,3人の憲法学者の見解は理路整然として,誰もが納得できる,安保法安が憲法違反であることの説明になっていました。

自民党執行部は翌5日に続き9日にも,安保法案の合憲性を訴える文書を所属議員に配布しました。

この文書も含めて,執行部はさまざまな場所で弁明におわれていますが,その弁明はほとんど支離滅裂といった感があります。

文書は,「日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化する中,抑止力を高めて戦争を未然に防ぐ必要」を訴えています。

この種の主張の根本的な間違いは,では,安全保障環境が大きく変化した,と政府が判断すれば,憲法を逸脱して軍事行動を拡大することができ
るか,という点にあります。

日本は法治国家ですから,もし憲法を超えた軍事行動が必要なら,憲法そのものを変えなければなりません。

憲法を変えるのは大変だから,実質的に改憲と同じ効果を持つ,解釈の変更で突破してしまおう,というのが今の自民党の方針で,それを側面で
支えているのが,公明党という図式です。

今回は,安倍首相の代理を務める菅官房長官の言動を中心に見てみましょう。

4日の憲法審査会が行われた後の記者会見で,菅官房長官は,「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べました。

翌5日。それでは合憲を主張する学者名が誰かを問われて,「憲法学者全員が今回のことに見解を発表することはない」と答えています。

当たり前です。誰も全員が見解を発表すべき,などと言ってはいません。

これほど稚拙な釈明をしなければならないほど,普段はクールな菅氏が動揺していることを示しています。

ところが,菅氏と政府にとって,事態はさらに悪化してゆきます。

10日の安保法案に関する衆議院の特別委員会で,200人を超える憲法研究者が安保法案は違憲だと表明している,との指摘を受けて,
「数(の問題)ではない」と述べた後,「私自身が知っているのは10人程度」と,合憲論者も「たくさん」から「10人程度」と言い直しました。

ようやく実名を挙げた憲法学者が,百地章日本大学教授,長尾一紘中央大学名誉教授,西修駒澤大学名誉教授の,三人でした。
(この三人の見解については次回に紹介します)

同日の記者会見では,「憲法学者のどの方が多数派で,どの方が少数派ということは重要じゃない(違憲という憲法学者は)一方の見解だ」。

ここでも,菅氏の言葉には,自分でも気が付いていないかもしれない,矛盾があります。

当初は,合憲派の憲法学者も「たくさんいる」と数を強調していたのに,後になると,200人の憲法学者が違憲であると言われると,数は問題
ではない,という風に変わってゆきます。

数の問題では不利とみて,菅氏は衆議院特別委員会では「憲法の番人は最高裁だ」とし,最高裁の砂川事件判決(1959年)を念頭に,「われ
われは最高裁の判決を含め合憲だと思っている」と弁明しています。

政府は,砂川事件判決を,集団的自衛権が合法であることの,ほとんど唯一の法的根拠としています。

しかし,ここには大きな問題があり,自ら墓穴を掘る可能性があります。

砂川判決についてはマスメディアで詳しく解説されていますが,ここではごく簡単に示しておきます。

1957年7月,東京都砂川町(現立川市)の在日米軍の基地拡張に反対する住民が,米軍基地に入り込んだとして,7人が日米安保条約に基づく
刑事犯として起訴されました。

この事件を審査した一審の東京地裁は,1959年3月,在日米軍の存在は,「戦力の不保持」と規定した憲法9条2項に違反しており,7人は無罪
としました(伊達判決)。

しかしこの事件の審査は,通常の裁判手続とは異なり,なぜか東京高裁を飛ばして,いきなり最高裁に持ち込まれ,歳の瀬も押し詰まった12月
16日,最高裁の田中耕太郎裁判長は一審の判決を破棄し,東京高裁に差し戻す判決を下しました。

最終的に,起訴された7人は1961年に有罪となります。

最高裁の判決の要点は以下の4つです。

①憲法は固有の自衛権を否定していない ②国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを憲法は禁じていない
③したがって,駐留米軍は違憲ではない ④安保条約のような高度な政治性をもつ案件は裁判所の判断になじまない

現在の政府は,①と②をもって,集団的自衛権は合憲であることの法的根拠にしていますが,これは,あまりにも暴論です。

国が自衛権をもつことは当たり前で,そのために必要な措置をとることも認められています。

ただ,この場合,の自衛権は個別的自衛権で,日本と同盟にある他の国の戦争に参加できる集団的自衛権を認めたものではありません。

この判決後,岸信介首相は,集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合,自国が侵害されたと同じような立場
から他国に出かけて防衛することは憲法においてできないことは当然(1960年2月10日 参院本会議で)と,集団的自衛権を,はっきり否定していま
す(『東京新聞』2015年6月11日)。

この根本的な点を,政府は意図的に無視しています。さらに深刻なのは,「砂川判決」自体がアメリカの圧力で作り上げられたものであることがほぼ
明らかになりました。

これまで,当時の事実関係について正確な事情は分かりませんでしたが,最近,当時のアメリカの公文書が許可され,そこで砂川事件裁判の背景
を明らかにされています。

これを考える前提として,1959年12月という年月が持つ意味を確認しておく必要があります。

すなわち,翌年の1960年には安保条約の改定が予定されていたのです。

そのような背景の下で,アメリカの公文書によると,伊達判決が出るや否や,駐日アメリカ公使と最高裁の田中裁判長が非公式に会談し,田中氏は
「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ,世論を不安定にする少数意見を回避する」と伝えました(注1)。

また,この文書を読んだ中島岳志北海道大学準教授によると,一審の伊達判決がでるとすぐに,駐日アメリカ大使は外務省に出向き,高等裁判所を
飛び越えて,審理を直ちに最高裁に移し,駐留米軍に関して合憲判断をするよう圧力をかけことが記されています。

この経過を知れば,なぜ,一審から二審の高等裁判所を飛び越えて一気に最高裁に移したのかが理解できます。

つまり,安保条約の改定に間に合わせるために,直ちにアメリカの望む判決を出すよう圧力をかけたのです。

そして,最高裁の判決前日に田中裁判長はアメリカ当局に,駐留米軍は合憲とすることを伝えていたことも分かりました。(注2)

つまり,当時の日本では司法権の独立しておらず,1959年の最高裁判決は,アメリカの脚本と振り付けと圧力で,日本の最高裁判所の田中裁判長
(実際には日本政府)が脚本どおりに演ずる,という日米合作だったのです。

しかし,マスメディアも憲法学者も(私が知る限り中島氏を除いて)はこうした経緯には触れません。アメリカまで行って公文書を読でない
のかも知れません。

アメリカの圧力と介入という側面の他にも問題はあります。最高裁判決は,米軍の存在が合憲か違憲かだけを判定し,集団的自衛権には一切触れ
てはいません。

したがって,59年の最高裁判決集団的自衛権の法的根拠にはなりません。

そして,このように政治性を帯びた案件は裁判にはなじまない,と裁判長が判決で述べており,中島准教授がいうように,この判決はいかなる意味
でも日本政府に,何らかの「お墨付き」を与えたものではありません。

以上に述べたように,59年の最高裁判決は,どこから見ても集団的自衛権の法的根拠にはなりえません。

それどころか,アメリカの圧力で作り上げられた判決であることが明らかになってしまいました。

菅官房長官は,それでも,「最高裁判決」をもって,集団的自衛権を前提とした今回の安保法案は合憲であると言い張っています。

これにたいして,自民党内部からも木村義雄参院議員は,砂川事件の最高裁判決を集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈について「短絡的だ。
後で傷口を広げるので言わないほうがいい」と求めました(『東京新聞』2015年6月10日)。

木村議員が言うように,砂川事件の最高裁判決の正当性,公平性に疑義がでて否定されれば,自民党の主張は一気に崩れてしまいます。

その時,この最高裁判決を持ち出すことは,「傷口を広げ」自ら墓穴を掘ることになります。

『朝日新聞』6月11日の社説は,「また砂川とは驚きだ」と題して,「3人の憲法学者の指摘に、安倍政権が50年以上前の最高裁判決を持ち出して
反論しているが、その主張は牽強付会(けんきょうふかい)(注4)というしかない」と書いています。

安倍首相はG7サミット後の記者会見で、「今回の法整備にあたって憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件
に関する最高裁判決の考え方と軌を一にする」と語りました。

自民党は泥沼に足を突っ込んでいっています。しかし,無理にでも,砂川判決を持ち出さなければならないほど,政府の安保法案は根拠がないこと
をはっきりと物語っています。

先の憲法審査会で自民・公明推薦の憲法学者,長谷部氏は15日にの会見で,政府が砂川判決を手段的自衛権の根拠としていることに対して「わら
にもすがる思いで砂川判決を持ち出してたが,国民を愚弄している」と痛烈に批判しました(『朝日新聞』2015年6月17日)。

これが,国民の正常な感覚というものでしょう。

(注1)Yahoo News 2015年4月8日(2015年6月11日アクセス)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20130408-00024312/
このニュースで引用されている NHKニュースは現在アクセスできない。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/k10013746941000.html
(注2)2015年6月10日,テレビ朝日「報道ステーション」での中島氏の説明。
(注3)『朝日新聞』デジタル版(社説) 2015年6月11日
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S11801925.html
(注4)「牽強付会」とは,道理に合わないことを無理にこじつけ、理屈づけること。

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フランボオアーズの収穫は今が最盛期です。家の片隅に生えている木から毎日,これほどの実が採れます。


今年の収穫から最初に作ったフランボアーズ・ジャムです。今回は4ビンできました。今年中には,あとどれくらいの
ジャムができるか楽しみです。



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安保法制は憲法違反―各論から違憲判断へ「潮目変わる」

2015-06-10 05:15:52 | 政治
安保法制は憲法違反(1)―各論から違憲判断へ「潮目変わる」―

衆院憲法審査会は6月4日、与野党が推薦した憲法学者三人を招いて参考人質疑を行いました。

三人とは,自民党、公明党、次世代の党推薦の長谷部恭男氏(早稲田大大学院法務研究科教授,東京大卒。著書に「憲法と平和を問いなおす」など),
民主党推薦の小林節氏(慶応大名誉教授。慶応大卒。著書に「白熱講義! 集団的自衛権」「憲法改正の覚悟はあるか」など),維新の党推薦の笹田
栄司氏(早稲田大政治経済学術院教授。九州大卒。著書に「司法の変容と憲法」「実効的基本権保障論」など)です。

この日の審査会の本来の趣旨は,立憲主義などをテーマに議論する予定でしたが,民主党の中川正春元文部科学相が、「先生方が裁判官なら安保
法制をどう判断するか」と各氏の見解を聞きました。

結論を言えば,立場も主義主張も違う三人ですが,全員が「違憲だ」と答えました。三人の答えは以下の通りです(注1) 

長谷部恭男氏
    集団的自衛権の行使が許されるとした点は憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない。法的な安定性を大きく揺る
    がす。どこまで武力行使が許されるのか不明確だ。他国軍への後方支援活動は戦闘地域と非戦闘地域の区別をなくし,現座の指揮官に判断が委
    ねられる。その結果(憲法が禁じる)外国の武力行使と一体化する恐れが極めて強い。

小林節氏
   違憲だ。憲法九条(2項)は,海外で軍事活動する法的資格を与えていない。集団的自衛権は,仲間の国を助けるために海外へ戦争に行くことだ。
   後方支援は日本の特殊概念で,戦場に後ろから参戦するだけの話だ。兵站なしに戦闘はできない。米国の部隊が最前線でドンパチやり,武器は日本
   が引き受ける,露骨な「戦争参加法案」だ。国会が多数決で法案を承認したら,国会が憲法を軽視し,立憲主義に反することになる。

笹田英司氏
   内閣法制局は自民党(の歴代)政権と共に安保法制をずっとつくってきて,「ガラズ細工」とはいわないが,ぎりぎりのところで(合憲性を)保っ
   ていると考えていた。今回は踏み越えてしまっており,違憲だ。政府が昨年に閣議決定した文章は,読めば読むほど,どうなるのだろうかとすっき
   り理解できなかった。国民の理解が高まるとは思えない。後方支援については小林名誉教授と同じく,大きな疑問を感じている。

以上の三人の趣旨は非常に明快で,今回の安保法案は明らかに,憲法違反以外には考えられません。

ここで重要な点は,まず,自民・公明・次世代の党が推薦した長谷部氏さえも,安保法案は憲法違反であると,明言していることです。

佐藤勉国対委員長は,審査会後,参考人の人選をした船田元憲法改正推進本部長から事情を聴取し,参考人は推薦政党の主張に沿った発言をする
のが当然のため,「自民党が呼んだ参考人だから問題なんだ」と注意しました。

しかも,長谷部氏は,憲法解釈を変更して集団的自衛権行使を認めるのに批判的な学者として知られていたのです(『東京新聞』2015年6月5日)。

実は,当初自民党は長谷部氏ではなく,司法制度改革を通じて同党とつながりのあった佐藤幸治京都大名誉教授に要請しましたが拒否され、代わりに
長谷部恭男早稲田大教授を選んだ,という経緯があります。

審査会の自民党メンバーは「長谷部氏は立憲主義の権威でもあり、この日の議題に合うと思ったが、野党にうまく利用されてしまった」と悔やみました
(注2)。

しかし,もし,佐藤氏が出席していたら,もっと厳しいコメントをしたと思われます。

日本国憲法に関するシンポジウム「立憲主義の危機」が6日、東京都文京区の東京大学で開かれ,部屋に入り切れないほどの大盛況でした。

基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、「(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がどう
なるか分からないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない」と政府を批判しました。

さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で「いつまで日本はそんなことをぐだぐだ言い続けるんですか」と強い調子で、
日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判したのです(『毎日新聞』2015年6月7日)。

さらに,戦後作られた日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)の押し付けとも言われる。しかし、佐藤氏は「日本の政府・国民がなぜ、軍国主義にかくも
簡単にからめとられたかを考えれば、自分たちの手で、日本国憲法に近いものを作っていたはずだ」と述べ,憲法はアメリカの押しつけだ,という自民党の
主張をも批判しました(注3)。

次に,政府が常に強調している「後方支援」という言葉は日本だけで通用する概念で,まやかしであること,後ろから参戦するか前から参戦するかの違いで,
どちらも戦争行為である,だから,安保法案は憲法9条違反である,と小林節氏の批判もまことに的を射ており,説得力があります。

政府が,日本の軍事活動は「後方支援」であり,直接に戦闘に加わるわけではない,と主張していますが,前線に武器弾薬を運ぶ行為は,国際常識的には,
明らかに戦争に参加していることになります。

小林氏はさらに,政府が集団的自衛権の行使例として想定するホルムズ海峡での機雷掃海や、朝鮮半島争乱の場合に日本人を輸送する米艦船への援護も
「個別的自衛権で説明がつく」との見解もしめしました。

最後に,笹田栄氏は,これまでの安保法案は,憲法を超えない,ギリギリのところで合憲性をたもってきたが,今回の安保法制は,それを踏み超えているので,
憲法違反である,と憲法との整合性を否定しました。

以上,みてみたように,三人の参考人全員が安保法案を違憲であると断定しています。

表面的には平成を装ってはいましたが,自民党執行部に動揺が広がりました。

3人の参考人がそろって安保法制を批判したことに、自民党国対幹部は「自分たちが呼んだ参考人が違憲と言ったのだから、今後の審議に影響はある」と認
めました。

審議会の主催者である船田氏は記者団に「(安保法案に)多少は話が及ぶと思ったが,ちょっと予想を超えた。参考人の発言一理あるが,現実政治はそれだけ
では済まない」と釈明しました。

菅義偉官房長官は4日の記者会見で「憲法解釈として法的安定性や論理的整合性が確保されている。違憲との指摘は全く当たらない。」としたうえで、「まったく
違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べました。(『東京新聞』2015年6月5日)

政府が合憲だと解釈すれば合憲になる,という子供だましの論法です。このレベルの主張をする官房長官にも絶望するしましが,もしこんな主張が通ると考えて
いるとしたら,国民はずいぶん馬鹿にされている,と憤りを感じます。

また,5日の記者会見で,「安保法制懇の中に法学者がいる,その報告を受け(集団的自衛権の行使容認を)決定した」と説明しました。

記者から,安保法制懇に憲法学者が1人しかいないことを指摘されると「憲法学者全員が今回のことに見解を発表することはない」と,的外れの返答をしています。
なお,菅氏は,安保法制懇にいる,たった一人の憲法学者の名前を問われても,明かしませんでした(『東京新聞』2015年6月6日)。

安保法制に関する与党協議会で公明党の責任者だった北側一雄副代表は「9条でどこまで自衛の措置が許されるか、(憲法解釈を変更した)昨年7月の閣議決定
に至るまで突き詰めて議論した」と反論。憲法上許される自衛の措置には集団的自衛権も一部含まれるという見解を示して、違憲ではないと強調しました。

公明党は,もはや「平和の党」の看板を降ろしてしまい,自民党の補完勢力,「自民党公明派」になった印象を受けます。

どうやら,公明党は自民党に与党から切られることに強い恐怖心をもっているようです。

いずれにしても,今回の審議会は,個別事案に関する解釈という各論から,そもそも政府が提出している安保法案全体が,憲法違反であるかどうか,という根幹の
問題に立ち返らせたという意味で,非常に意義のある審議会でした。

しかし,考えてみれば,本来なら,国の法制の根幹である憲法をベースにして安保法案の正否,合憲・違憲を検討すべきなのに,政府・与党の論理は,安保法案を
通すために,憲法の解釈を変える,という逆立ちした論になっています。

この意味で,参考人全員が安保法案を違憲であると明言したことは,ようやく議論を出発点に戻したといえます。

ところで,この審議会が行われた前日の6月3日,大学教授ら憲法の研究者グループは,安保法案を廃案にするよう求める声明を発表しました。
声明の骨子は,

1.法案策定までの手続きが立憲主義,国民主権,議会制民主主義に反する
2.歯止めのない集団的自衛権の行使につながりかねず,9条に違反する
3.地球のどこでも米軍等を支援し,一体的に戦争協力することなる,というものです。

声明への賛同者は,呼び掛けを始めて一週間後の5月末に130人,6月3日には171に達し,さらに増える見通しです。

今日本は,憲法九条を骨抜きにして,他国のためにも海外派兵ができる国にするか,憲法九条をまもるのかどうか,方向を大きく変える転換点に立っています。

一旦,海外派兵をすれば,引くに引けず,ずるずると戦争に引き込まれてしまいます。その結果,自国にもアジア諸国にも甚大な被害を与えた過去の過ちを絶対
に繰り返してはなりません。

(注1)以下は,『東京新聞』2015年6月5日の要約による。
(注2)『毎日新聞』2015年6月5日(電子版)http://mainichi.jp/select/news/20150605k0000m010125000c.html?fm=mnm
(注3)『毎日新聞』(電子版)2015年6月6日)  http://mainichi.jp/feature/news/20150606mog00m040002000c.html

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ブラックバイトの実態と背景―企業の横暴と家計の貧困化―

2015-06-04 08:00:36 | 社会
ブラックバイトの実態と背景―企業の横暴と家計の貧困化―

ここ数年,若者を「使い捨てる」ブラック企業が問題とされ,政府も調査に乗り出しました(注1)。

しかし,ブラック企業と同時にブラックバイトもにわかに注目を集めるようになりました。

ブラック企業の場合は,一応,正社員が対象になっているため,政府としても労働行政の観点から放置できず,調査と指導に乗り
出したのでしょう。

これにたいしてブラックバイトは,身分も不安定で実態もわからないので,いまのところ政府も直接には調査を実施していないし,
対策も講じていません。

大学教授やNPOなどでつくる「ブラック企業対策プロジェクト」は4月28日、厚労省記者クラブで会見を開き、過酷な長時間労働な
どを強いられる大学生の「ブラックバイト」に関するアンケート調査の結果を報告しました。(注2)

調査は2014年7月、全国27の国公私立大学で授業などの際に調査票を配布して行われ、約4700人から回収しました。

その結果、76.4%にあたる3593人が大学生になってからアルバイトを経験していたことが分かりました。

このうち、就業時間の記載のある学生2150人を分析したところ、「深夜時間帯(22時〜5時)に勤務がある」と答えた学生は、全体で
42.8%なのに対し、居酒屋バイトでは90.7%に達していました。

また、現在、居酒屋バイトをしていると回答した228人のうち、「休憩が取れていないことがある」と回答した人の割合が48.2%と、
全体平均24.5%の倍近くにのぼっています。

この記者会見では労働組合「ブラックバイトユニオン」に寄せられた相談事例が紹介されました(注 同上)。

事例1 個人経営の居酒屋で働く大学生の男性は、週5〜6日でシフトに入っている。店長にシフトを減らしたい、休みたいと告げると、
    「お前に休む権利はない」と怒鳴られるため、やむを得ず週5〜6日の勤務を続けている。

事例2 勤務時間は、午後7時から午前2時、休日は午前5時までで、休憩はない。しかも、営業終了後は他の店員を車で自宅まで送
    り届けなければならないため、仕事から解放されるのは朝7時ごろになることもあるという。男性はその後、朝10時すぎに大学
    へ向かうが、授業中はほとんど寝てしまっているそうだ。

事例3 男性は店長に叩かれることが頻繁にあり、さらに「お前の価値は1円だ」「お前の人生なんて塵と同じだ」などと罵倒されるた
     め、恐怖心で店長に反論できず、理不尽な扱いを受けながらも仕方なく働いているそうだ。

また,同様の調査は同じころ『朝日新聞』でも行われ,いくつかの事例が紹介されています(注3)。

事例4 飲食店で働いた愛知県のある女子大生の場合,求人広告より,また県が定める最低賃金よりさらに低い賃金で働かされていた。
    また,夜10時以降の深夜労働にたいしても何の割増賃金は支払われないなど不当な待遇に抗議すると,店長は「どれだけ給料
    を払っていると思っているんだ」と来店客の前で叱ることもあった。辞めたいと何度も思ったが,怖くて言いだせなかった。

事例5 首都圏のドラッグストアで働く女子大生(19)の場合,残業代が支払われていなかった。店長からは「未払い賃金はないよね」
    と確認され,言い返せなかった。「店ではそれが当たり前で,どうしても切り出せなかった」。

事例6 「何度も店長にお願いしたけど、きついシフトは変わりませんでした」。福岡県の女子大学生(20)は、働いている書店の勤務
    表を記者に見せてくれた。1日4時間ながら、5月の出勤予定日は店長とほぼ同じ23日。ここ1年ほど、毎月20日以上働いて
    いる。「人手が足りない」として勤務を詰め込まれてしまう。「体調不良でも休めず実家にも帰省しづらい」「就職活動への不安も
    あるけど、辞めるとほかの人の負担が増える」ので辞められない。

こうした状況で,生活の中心がアルバイトになってしまい,学業に多大な悪影響が出てきます。

東京都内のある男子学生は,大手アパレル店と,契約では週3日,18時間の勤務ということで契約書を交わしました。

しかし2か月目に入ると,週70時間にも及ぶ勤務が組まれてしまいました。

社員に「シフトを変えてほしい」と頼むと「代わりのバイトを探さなければ休めない」と言われてしまいました。

この男子学生は授業やゼミを欠席せざるを得ず,その学期,多くの単位を落としてしまいました。

バイトのために試験や課題の準備時間がとれなかったことのある学生は4割もいました。

また,家庭教師派遣会社では,「辞める」と言った学生に50万円の損害賠償を求めたり,コンビニなどの店舗販売で,おでんやケーキの
販売目標を書かされ,達成するため自腹で商品を購入させられた事例もあります。(『東京新聞』2015年5月23日:注2)

以上,見てきたように,企業側の違法性は明らかで,学生側が労働基準監督署などに訴えて,未払い賃金を受け取った事例もあります。

不当な扱いを経験した学生は7割弱いましたが,その半数以上は泣き寝入りしたと答えています。

それでは,なぜ,学生はやすやすと泣き寝入りしてしまうのでしょうか?

これまでの事例でもわかるように,一つの理由は,企業(店)側の強圧的な脅しに気押されて,恐怖のため反論できなかったことにあります。

これは特に女子学生の場合,顕著です。

次に,多くの学生が言っているように,自分が辞めると,他の人に迷惑がかかることを心配して,我慢してしまうことです。

そして,明らかな不当労働であっても,それにどのようい対抗したらいいのか,法律的な知識や制度的な救済制度に関する知識が欠けている
ことです。

しかし,もう少し広い視点からみると,学生側にも深刻な事情があります。

調査に関わった大内祐和中京大学教授は「学生の貧困化,労働市場で非正規雇用が『補助労働』から『基幹労働』に切り替わったことがある」
と指摘しています。

比較的授業料が安い国立大学でさえ,現在は年53万円と,40数年で40倍以上になっています。

一方,世帯所得の中央値は2012年で432万円と,14前より100万円下がっています。

こうした事情を反映して,奨学金を利用する学生(昼間)は1990年代には20%台でしたが,現在は50%を超えています。しかも,ほとんど
は貸与です。いずれ返却しなければならないお金ですから,実態は外国で言う「スチューデント・ローン」です。

このため,多くの学生は生活費と学費を賄うために働かざるを得ない状況にあります。

上に引用した調査でも,「学費と交通費以外は自分で稼ぐよう親に言われています」という学生は,大学までの通学時間が長いので,自宅近
くでバイトせざるを得ないため,今のバイトを辞めたくても辞められない,という事情にあります。

こうしたすべての学生の弱みに付け込んで,不当な労働を強いるブラックアルバイトが続いています(『東京新聞』2015年5月23日)。

私の身近にも,生活費と学費,全てを自分で賄うため,バイト優先の生活をしている学生がいました。

以前,バイトといえば,友人との付き合いや旅行の費用を稼ぐため,といった印象が強かったのですが,現在は生活費や学費と賄うため,
というもっと深刻な状況が学生に過酷なバイトを強いています。

保護者の学費・生活費の補助は,2000年には年平均156万円でしたが,2012年度には122万円に減少しています。

また,2012年に大学を中退した学生は全学生の2.7%,7万9000人で,2007年の2.4%より微増しており,その20.4%が経済的理由を挙げ最大
でした(注4)。

アベノミクスによる株価の上昇や一部企業の利益増大,といった景気の良いニュースの陰で,家計の貧困化がくらい影を落とし,それがブラ
ックバイトの横行という異常な状況を生んでいると言えます。

(注1)平成25年9月に「使い捨て」が疑われる5111の事業所を対象に調査が行われ,その結果の一部は『厚生労働省』のホームページで発表
    されています。
    http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11202000-Roudoukijunkyoku-Kantokuka/0000032426.pdf
    (2015年5月28日アクセス)を参照されたい。
(注2)「弁護士ドッドコムニュース」(2015年4月28日)
     http://www.bengo4.com/topics/3030/ (5月28日アクセス )
(注3)『朝日新聞 デジタル版』2015年5月25日(同日アクセス)
     http://www.asahi.com/articles/ASH5P00QMH5NULFA05D.html?ref=nmail
(注4)『日経新聞』電子版。2015年9月25日(同日アクセス)
     http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H0I_V20C14A9000000/

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北陸新幹線の開通で行きやすくなったので金沢経由で東尋坊に行きました。


東尋坊の海岸線は,鋭く切り立った岩場で,近づくと思わず足がすくみます。ここは刑事ドラマなどでもよく使われます。


東尋坊は自殺の名所でもあり,域内には公衆電話が幾つも設置されています。この公衆電話ボックスの中には,
自殺を思いとどまるよう,連絡先の電話番号を書いた紙が貼り付けられています。

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