大木昌の雑記帳

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戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』から学ぶ(1)

2020-12-24 11:21:38 | 歴史
戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』から学ぶ(1)

新型ウイルスの拡散が東京を筆頭に全国に勢いを増して広がりを見せている中で、戸部良一ほか著
『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』(注1)が注目を集めています。

この本は初版の出版(ダイヤモンド社版 1984年)から35年も経っているのに、手元の中公文庫
版は2008年35刷になっていることからも分かるようにロングセラーの名著です。いかに多くの
人に読み継がれてきた名著であるかを示しています。

私自身ずっと気になっていて、読もう読もうと思いつつ、なかなか読む機会がありませんでした。

ところが、今年の春に、新型コロナウイルスが国内でもまん延し始め、政府の対応のまずさが問
題視されるようになると、再び「失敗の本質」に注目が集まるようになりました。

コロナの第一波が猛威を振るった4月には 、エッセンシャル・マネジメント・スクール代表の西
條剛央氏が「コロナ危機の日本に見る『前例主義』の病理 旧日本軍の失敗を繰り返すか」とい
う文書を発表しました(注2)

さらに、第三波がこれまで以上に大きな波となった12月4日には、岩田健太郎神戸大学教授が
「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」という記事(注3)を書いています。

直近では、『毎日新聞』デジタル版(2020年12月18日)が社内記者の論考として「まるで旧
日本軍?『GoTo』撤退に失敗した政権の『病理』」というタイトルの記事を書いています(注4)。

これら3つの論考はいずれも、今回のコロナ禍のまん延は政府の対応が失敗した背景に、かつて
の日本軍が抱えていた問題が繰り返されていることを指摘しており、その際、ここで取り上げる
戸部氏らの著作を引用しています。

また、書評という形で、初版の出版後36年経つのにいまだに版を重ねており、その理由として、
政府のコロナ対策での混乱は旧日本軍の過ちの反復であることを指摘していいます(注5)

これらの内容については次回以降に回すとして、今回は、本書の紹介として、この本がどんな問
題意識で、どのような視点から旧日本軍が抱えていた問題を見出したのか、という点に焦点を当
てたいと思います。

まず、本書の構成を示しておきます。
はしがき
序章 日本軍の失敗から何を学ぶか
一章 失敗の事例研究 (1 ノモンハン事件「失敗の序章」、2 ミッドウェー作戦「海戦の
   ターニング・ポイント」、3 ガダルカナル作戦「陸戦のターニング・ポイント」、4 
   インパール作戦「賭けの失敗」、5 レイテ海戦「自己認識の失敗」、6 沖縄戦「終局
   段階での失敗」
二章 失敗の本質―戦略・組織における日本軍の失敗の分析
三章 失敗の教訓―日本軍の失敗の本質と今日的課題
 
本書は、それぞれ専門も関心も異なる6人の研究者の共同作業の成果として出版されたものです。

6人の研究者が旧日本軍の研究を行う動機と、その際の方法論については「はしがき」で次のよ
うに述べています。
    われわれがこの研究会をはじめたそもそもの動機は、戦史への社会科学的分析の導入も
    あったのではないか。それならばもう一度原点に立ち戻って、もっと身近な戦史をみな
    おすべきではないか。たとえば日本の大東亜戦争史を社会科学的に見直してその敗北の
    実態を明らかにすれば、それは敗戦という悲惨な経験の上に築かれた平和と繁栄を享受
    してきたわれわれの世代にとって、きわめて大きな意味をもつのではないか。

こうした共通認識のもとで、敗戦の原因を日本軍の組織的特性に焦点を当てるというアプローチ
を採用することにしています(12ページ)。

しかも、研究書としての質的水準を確保すると同時に、できるだけ多くの人々に読んでもらうた
めに平易さも心がけたという。それは
    大東亜戦争の経験はあまりにも多くの教訓に満ちている。戦争遂行の過程に露呈された
    日本軍の失敗を問い直すことは、その教訓のかなり重要な一部を構成するであろう。
    日本軍の失敗の実態を明らかにしてその教訓を十分かつ的確に学びとることこそ・・・
    将来も平和と繁栄を保持していくための糧ともなるであろう(14ページ)

以上の問題意識は、本の構成にもはっきり示されています。本書が扱っている6つの作戦・戦闘
は、いずれも日本軍が大敗した事例です。一章でその本質を具体的事例に即して洗い出し、それ
らを二章で分析し、三章で、そこから導き出された失敗の本質を究明し、それが今日的にどのよ
うな意味をもっているかを検討しています。この意味で、本書はたんに歴史を過去のものとして
描き直すのではなく、今日的意義を提示するところまで踏み込んでいます。

内外におびただしい数の死者と破壊をもたらした戦争(日清戦争から第二次大戦前まで)の一つ
一つについて、関係者や研究者による徹底的な検証は行われてきませんでした。

しかし著者たちの心には、一方で「日本はなぜ負けたのか」という潜在的関心と、他方で、大東
亜戦争の貴重な戦史上の遺産を国民全体の共有財産にしよう、という強い意志があったという。

本書は、直接的には日本軍の組織的特性から敗戦の要因を探ることを目的としていますが、それ
が組織論というある意味で理論的(原理的)に検討することで、現代の日本の政治や経済の領域
においても適用可能なのではないか、むしろ過去の反省から現在と将来の日本にとって大切な研
究になるのではないか、という問題意識に基づいています。

日本の政府をはじめ組織は、物事の進行途中での中間評価・検討、そして終わってからの最終的
な評価・検討を行うことがほとんどありません。

今回のコロナ禍についても政府は、これが全て終了した後で検証を行う、としていますが、これ
までの第一波、二波の波が一段落した時に徹底的な検証を行うべきだったのです。

それをしなかったのは、結局、どこに問題があり、誰に責任があるかを明らかにしたくない、と
いう「逃げ」の姿勢が強いからなのでしょう。

戦争の検討に関して、ベトナム戦争が終結した後で、アメリカ側とベトナム側の当事者(軍人)
が膝を突き合わせて、長い時間をかけて作戦について詳細で具体的、かつ客観的に検証作業を行
いました。

過去の経験を客観的に再検討し、失敗の本質を探るこのような作業は決して無駄ではありません。
そこには学ぶべき多くの教訓があるからです。だからこそ、上にみたように、現在のコロナ禍に
たいする政府の混乱ぶりにたいして『失敗の本質』を引用しての批判が少なからず発表されてい
ることは、本書の現在的な意味をあらわしています。

本書があつかっている6つの作戦・戦闘はいずれも日本が敗北した事例です。それら一つ一つは
非常に興味深い内容を含んでいますが、ここで一つ一つの事例を紹介する余裕はありませんので、
個々の作戦・戦闘について関心がある人は本書を読んでいただくとして、ここでは著者たちが整
理した6つの作戦・戦闘に共通する「失敗の本質」、失敗の要因分析を挙げておくにとどめます。

本書では、日本軍の「失敗の本質」を大きく二つの側面に分けて検証しています。
一、 戦略的失敗要因
これには、①あいまいな戦略目的(軍隊という大規模組織の方向性を欠いたまま指揮し行動させ
たこと)、②短期決戦の戦略的志向(長期的展望がないので、たとえ短期的に勝利しても、長期
的展望がなく負けた場合にどのように戦うかが分からない)、③主観的な戦略感(情緒や「空気」、
必勝の信念 が支配的で科学的思考が欠如)、④狭くて進化のない戦略的オプション(奇襲戦法
だけが突出)、⑤アンバランスな戦闘技術体系(一方で巨大戦艦や戦闘機においては世界でも有
数の近代兵器をもちながら、他方で「風船爆弾」を開発したり、太平洋戦争では極めて重要なレ
ーダーやその他の通信機器、暗号解読技術などは非常に遅れていた)

二 組織上の失敗要因
ここには①人的ネットワーク偏重の組織構造(特に防衛大エリートの人的ネットワーク、情緒的
配慮が混在)、②属人的な組織結合(近代的な軍隊組織は、陸・海・空を統合し一貫性と整合性
を重視。しかし日本軍は、統合的研究はなく、それぞれの軍のトップの個人的考えが突出)、③
学習を軽視した組織(失敗の経験を蓄積し伝播を組織的に行うリーダーシップやシステムがなか
った)、④プロセスや動機を重視した評価(作戦の成功や失敗よりも、その動機(意図と「やる
気」)が指揮官の評価に。積極論者の失敗は大目に見るが、消極論者の失敗は厳罰に処された。

以上の他にも、個々の作戦や戦争における興味深い「失敗の要因」はたくさんありますが、それ
らについては別の機会にゆずりたいと思います。

                 注

(注1)著者は戸部良一、鎌田伸一、村井友秀、寺本義也、杉之尾孝生、野中都次郎の6人。うち、
寺本氏を除き、5人は防衛大の教員。(初版ダイヤモンド版 1984年、中央公論社版 第35刷
 1991年)、413ぺージ
(注2) 『DIAMOND online』2020.4.22 4:45
     https://diamond.jp/articles/-/235369?page=4
(注3)『AERA dot.』(2020年12月4日 08:02)
     https://dot.asahi.com/wa/2020120300010.html?page=1
(注4)『毎日新聞 デジタル』(2020年12月18日 12時05分(最終更新 12月18日    
    https://mainichi.jp/articles/20201217/k00/00m/010/255000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=article&cx_mdate=20201218
(注5) Sankei Biz 2020年9月18日
     https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/200919/ecf2009190855001-n1.htm


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「死者の権利」を奪う新型コロナの残酷さ

2020-12-15 09:14:04 | 健康・医療
「死者の権利」を奪う新型コロナの残酷さ

2020年は世界にとっても日本にとっても、「歴史的事件」が起こった年として後世に言
い伝えらえるでしょう。

いうまでも、年明けに中国の武漢で新型コロナウイルス(以下、「コロナ」と略す)が
発見され、それは瞬く間に日本を含む世界中に拡散し、多くの人命が失われました。

しかし、失われたのは人の命だけではありません。私たちは実に多くのものを失いまし
た。

まず、巨視的にみれば、経済活動は大きく落ち込み、多くの人が失業や収入の減少とい
う厳しい状況に追い込まれました。

また、個人レベルでいえば、自由に動き回ること、親しい人と会っておしゃべりをする
こと、テーブルを囲んで食事をすること、などなど。これらの、何でもない日常が極度
に制限されてしまいました。

これらの背後には、コロナに感染する不安と恐怖が心から離れない心理状態があります。

コロナは確実に、人と人との関係を強く引き離してしまいました。見知らぬ人同士では
互いに疑心暗鬼になっています。

大学ではリモート授業が増えて、学生は先生の顔を見ることさえなく、あらかじめ録画
してある映像をオンデマンドで、勝手に観る形式の場合も珍しくありません。

この場合、学生は質問する機会も与えられず、授業において非常に重要な、先生と学生
とが作り出し共有する「場」が成立しません。

これでは、こんなことなら、いっそ、講義をDVD化して学生に買わせるようにした方が
明快です。

最近では、コンピュータを経由したリモートの授業だけで教育を行う大学も現れている
と、聞きます。もちろん、私は大反対です。

人と人との距離を永久に引き離してしまうことの究極の形が「死」です。いうまでもな
く、あらゆる死は、その近親者にとって、場合よっては社会にとって悲しいことですが、
コロナによる死は、特別な様相をともないます。

それを直截に言でいえば、近親者と死者本人にとっての「残酷」さです。

私が非常に大きなショックを受けたのは志村けんさんがコロナ肺炎で亡くなった(3月
29日)時でした。連絡を受けたあと、兄の知之さんが病院の霊安室にかけつけたのに
面会ができず、火葬場に向かう霊柩車を見送るだけだった、と語っていました。

しかも火葬場でもその場に立ち会うことや許されず、自宅近くで葬儀関係者から遺骨が
納められた箱を受け取ったのです。その時、箱は、“熱い”と感じるほど暖かく、重かっ
たと感想を述べています。ここの部分が妙に生なましく響きました。

コロナによる死は、大切な人を看取ることはおろか、最後のお別れの言葉をかけること
も許されないのです。

志村けんさんの死のショックが冷めやらない4月24日、テレビでは元気印の象徴のよ
うにいつも明るく元気な姿を見せていた岡江久美子さんが4月24日、やはりコロナ肺
炎でなくなりました。

夫の大和田莫さんは、妻のすぐに病院に駆けつけ、感染症防止策をとったうえで、遺体
の顔を見ることはできましたが、志村さんの時と同様、火葬には立ち会えませんでした。

大和田さんは、感染防止のため葬儀社の関係者が玄関先に置いていった遺骨を引き取っ
たのです。

玄関先で報道陣に、「久美子は今帰ってまいりました。こんな形の帰宅は本当に残念で
悔しく悲しいです」との言葉を残して家の中に入ってゆきました。

この時も、私はコロナによる死が内包する残酷さを感じました。

國分功一郎東大準教授(哲学者)は、イタリアのジョルジョ・アガンベン(哲学者)が
政府のコロナ対策(ロックダウン)を批判した論考を引用しつつ、コロナによる死の意
味と感染予防策との関連について哲学の観点から問題提起しています。アガンベンは次
のように疑問を提起します。
    ウイルスに感染しても集中治療を受けなければならなのかわずか4%と(国立
    感染症研究所が)言っているのに、なぜ、非常事態の措置(ロックダウン)が
    実施されなければならないのか(2月26日)

この論考が現れるとインターネット上でアガンベン批判の“炎上”が起こりました。

批判を受けてアガンベンは「補足説明」と題する文章を発表しました(3月17日)。
そこでは、
    病のもたらす倫理的・政治的帰結を問うことが必要。
    今回のパニックは、我々の社会がもはや剝き出しの生以外の何ものも信じてい
    ないことをあきらかに(した。筆者注)・・・

と、アガンベンは、現代人が「死」を最悪のもの、「生」だけが価値があるとする風潮
を批判します。

アガンベンの主張を引き取って國分氏は、アガンベンの主張は非常に明快で、彼が言い
たかったことは2点に要約できるとしています。

1 死者の権利について。
親族も亡くなった方に会えないことに対する憤り。これは死者の権利の蹂躙ではないか
という疑問。アガンベンは、人が亡くなった方を大事にしない、お見舞いさえできない、
死者に十分敬意を払わなくなったとき社会はどうなってしまうのか。生存以外のいかな
る価値も認めない社会というのは一体なんなんだろうか?人間関係はどうなってしまう
のだろうか、という根本的な問いを発している。

感染の危険性があるからという理由で死者が葬儀を受ける権利をもたない、そういう社
会に入ってしまっていて、そのことに少しの疑問ももたないとしたら、その時人間の関
係はどうなってしまうのだろうか。

死者に対して敬意をはらうことは、社会が大事にしてきた過去のことをきちんと守って
ゆかなければならないと考えることである。私たちが過去のこと(歴史)を考えたとき、
死んだ人たちの重みが私たちにかかってくる。それが原理や原則に対する敬意やそれを
守ろうという気持ちを持たせる。もし、死んだ人たちに対する敬意がなければ,現在だ
けの薄っぺらな社会になってしまう。

2 人間にとって根本的な移動の自由という権利について(4月15日発表)
アガンベンによれば当時実施されたロックダウンは、戦争中にも行われなかったほどの
移動制限である。移動の自由こそが最も大切な自由だ。近代の法体系における刑罰は最
高刑が死刑で、一番軽い刑が罰金。そして、両者の間にある刑罰はすべて移動の制限。
つまり監獄に閉じ込めること。近代社会は、移動の制限が人間にとって非常に大きな意
味をもっていることを認識していたので、これを刑罰として採用している。

東欧の革命の底流に移動の自由を認めてくれ、という強い欲求があった。その象徴がド
イツで起こった「ベルリンの壁」を取り払う行動であった、と國分氏は評価します。

これにかんして私たちの記憶に新しい、ドイツのメルケル首相のスピーチです。彼女は
東ドイツ出身で、移動の自由がいかに大切かを語った上で、それでも制限せざるを得な
いことを受け入れてくれるよう国民に訴えます。

日常生活における制約は渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという
経験をしてきた私のような人間にとり絶対的は必要性がなければ正当化しえないもので
す。民主主義においては 決して安易に決めてはならず きめるのであればあくまでも
一時的なものにとどめるべきです。しかし今は命を救うためには避けられないことなの
です。(新型コレラウイルス感染症に関するテレビ演説2020.3.18)

このスピーチは日本人の私にとっても、胸に刺さる、説得力のある格調高い内容でした。

アガンベンは、緊急事態だからということで、ロックダウンのような措置を議会の審議
も経ないで行政機関がさまざまなルールをどんどん作ってしまう、つまり立法府がない
がしろにされる事態を民主主義の危機だと主張しています。

ひるがえって、日本の実情はどうでしょうか。日本では逆に、GoToキャンペーンで、で
きるだけ自由に出歩いて、経済を回してゆくことを首相自らが旗を振ってきました。

しかし、その結果、経済は回りましたが、感染者も死者も増え、医療の現場は逼迫し、
医療関係者は悲鳴を上げています。

日本で実施されてきた、移動を奨励するGoToキャンペーンと、イタリアやドイツで実施
された移動の自由に対する強い制限とを単純に比較して、日本の方が民主主義的である、
とは言えません。

なぜなら、感染症の専門家と国民の8割が、感染を食い止めるためにGoTo キャンペーン
は中止すべきと考えているのに、政府は昨日(12月14日)まで、このような声と感
染症の専門家の声に耳を貸さず、かたくなにこの事業を継続する方針を宣言していたから
です。

日本政府のコロナ対策の問題から離れて、もう一度、コロナがもたらす意味を考えてみ
るとき、改めてアガンベンの主張する「死者の権利」という視点の大切さを再確認しま
した。

また、死というところまでゆかなくても、コロナがもたらした文化的・社会的問題とし
て、最後にイタリアの高校のドメニコ・スキラーチェ校長がSNSを通じて生徒たちに送
ったメッセージを引用しておきます。

    社会生活や人間関係を汚染するものこそが、新型コロナウイルスがもたらす
    最大の脅威だ(注2)。

この内容がどれほど高校生に伝わったかは分かりませんが、日本の高校でも、このよう
なメッセージを学校から生徒に発して欲しいものです。これは文化の違いでしょうか。

(注1)『コロナ時代への提言―変容する人間・社会・倫理』
 (2020年5月23日)BS1スベシャル
(注2)『日経ビジネス』オンライン 2020年3月10日
  https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00065/?P=5210 58%



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コロナ拡散は止まらない(3)―政府への不信と医療崩壊―

2020-12-08 10:09:31 | 健康・医療
コロナ拡散は止まらない(3)―政府への不信と医療崩壊―

現在のコロナ禍には大きく二つの深刻な問題が横たわっています。

一つは、国民の菅内閣(具体的に菅首相)に対する不信です。菅首相は、9月の首相就任以来、
ずっと記者会見を開いておらず12月4日にようやく開きました。

この間、国民に対する、リーダーとしての強いメッセージも、感染を止める有効で具体的な手
を打っていません。

それだけに、4日に記者会見ではどのようなメッセージが発せられるのか、私も期待を込めて
いました。なにしろ、日々、感染者の数が更新されている現在、2か月半ぶりの記者会見で、
この間に相当の熟慮を重ね、方策を考えてきたはずですから。

ところが、菅首相の口から感染抑制に関して発せられた言葉は、マスク着用、手洗い、3蜜を
避けることの「お願い」だけでした。

これが、いかに的外れであったかは、感染症対策分科会の尾身茂会長が、11月20日の分科
会で「提言」をみれば明らかです。「提言」は、個人の努力に頼るだけでなく、GoToトラベル
とイートを見直すことの必要をはっきり述べています。

この「提言」は尾身氏をはじめごく少数のメンバーが「極秘会談」を行って決めたもので、事
前に首相によって圧力がかけられるのを防ぐために、会議の直前まで伏せられていて、他のメ
ンバーには会議の際に初めて議案として示されたようです。

これまで、まるで政府の代弁者のように発言してきた尾身会長もさすがに「公衆衛生の専門家
としての矜持があった」(厚労省関係者)ということでしょう。

これにたいして菅首相は激怒して、「なんでそんなこと言うんだ。専門家なのにエビデンス
(科学的根拠)がない。だいたい(スーパーコンピューターの)富岳の計算でもマスクをつけ
れば大丈夫だ」と側近にいらだちをあらわにしたという(注2)。

とにかく菅首相の頭の中には、自ら旗を振ったGoTo 事業を継続して経済を回すことしかない
ようです。

また27日の衆議院厚生労働委員会で尾身会長は、感染防止対策について「人々の個人の努
力に頼るステージは過ぎた」、と医者としての判断を示しいます。

こうした経緯をみても、12月4日の菅首相の発言がいかにピントはずれかがわかります。
医療関係者はいうまでもなく、私も含めて多くの国民は、深い失望を感じたのではないでし
ょうか。

菅首相のGoTo 事業継続への執念は、若年層を中心に、“政府が推奨しているのだから”、と
いう間違ったメッセージとして受け取られ、宿泊施設、とくに「お得感」が大きい高級ホテ
ルや旅館への予約はいっぱいだという。

そして、オンラインで集客できる大手の旅行業者は潤っていますが、企業・法人の団体旅行
を中心とする中小の旅行事業者は、ほとんど恩恵に浴していないのです。

一方で、「お得」を楽しんでいる人々がいる反面、日々名実ともに「命を張って」患者の治
療にあたっている医療関係者は、GoTo トラベルで旅行したりGoTo イートで食事を楽しむ余
裕はありません。

しかも、厳しい労働環境に加えて、給料やボーナスが減額される医療関係者は、「もう、や
ってられない」という不平等感をいだいています。

実際、大阪の「十三市民病院」では医師10人、看護師22人が離職してしまいました。

こうした実態をみて、菅内閣に対する不信感が高まっています。共同通信社が12月5日6
日に行った全国電話世論調査によると、菅内閣の支持率は、前回11月と比べて12・7%
も急落して50・3%に落ち込んでいます。

内閣支持率がわずか1か月で10%を超える下落は例はほとんどありません。不支持の理由
としては「首相に指導力がない」がトップで25.3%で、11月の8・8%より18%も
増えています。

中身を見てみると、菅内閣の新型コロナ対応を「評価する」は37・1%、「評価しない」
が55・5%と、過半数を超えています。

そして、GoTo トラベルにたいしても48・1%が全国一律に停止すべきだと答えています。

さらに、菅首相は感染防止をしつつ経済を回す、と繰り返していますが、「感染防止と経済
活動のどちらを優先すべきか」との問いにたいして、「どちらかといえば」を含めて「感染
防止」を挙げたのは計76・2%にのぼっています。

これには、コロナ禍だけでなく、安倍前首相時代の「桜を見る会」疑惑にたいしても、官房
長官として一貫して擁護してきた菅首相は、再調査を拒否しています。この問題にたいして
も国民の多くは菅首相に対する不信感を募らせています(『東京新聞』2020年12月7日)。

今回のように未知の感染症に立ち向かうには、政治に対する信用と信頼が最も重要ですが、
現在のところ菅政権にたいする信用は薄くなっていると言わざるを得ません。

12月7日、GoToトラベルに関して菅首相のこれまでの主張を覆す重要なデータが東大の
研究チームから発表されました。

菅首相は、ことあるごとに、4000万人がこのキャンペーンを使って旅行をしたが、感
染者はわずか、200人、最近は300人であり、このキャンペーンが感染の拡大の主要
因となっているエビデンスはない、と言ってきました。

このブログでも再三指摘しているように、政府がいう「GoToトラベルによる感染者の数」
というのは、実態のほんの一部にすぎません。(注3)

反対に、菅首相は、このキャンペーンが感染の拡大に寄与していない、ということの「エ
ビデンス」も示していません。ただ、都合の良い数字をつまみ食いしているだけです。

東大のチームは15~79歳の男女2万8000人を対象として8月末から9月末にイン
ターネット上で調査を行いました。

その結果、過去1か月以内に新型コロナの特徴である嗅覚・味覚の異常を訴えた人の割合
は利用者で2.6%なのに対し、利用しなかった人は1.7%でした。年齢や健康状態の
影響を取り除く統計処理を施すと、有症率の差は二倍に上った、というものです(『東京
新聞』2020年12月8日)。

それでも、菅首相は、GoTo キャンペーンはウイルスの拡大と関係ない、と強弁していま
すし、現在、政府はこの事業を来年の6月末まで延長さえしようとしています。

東大チームの調査がGoToトラベルと新型ウイルスの拡散との直接的な因果関係を証明する
ものではありませんが、両者には少なくとも非常に密接な関係があることは確かです。

そうである以上、菅首相は、政府の目的は「国民の生活と命を守ること」だと強調してい
ますが、一旦は止めて、感染が収まったら再開する方法をとるべきでしょう。

次に、医療に関して、札幌、旭川、大阪府(特に大阪市)、東京は、政府も自治体も「医
療現場が逼迫している」と言い続けています。

この「逼迫している」という表現に対して、大阪府病院協会会長の佐々木洋氏は、テレビ
の質問に答えて、この表現は、医療現場は大変な状況ではあるが何とか食い止めている、
というニュアンスを伝えているが、実態はすでに「医療崩壊」の状態であると認識すべき
だと言っています。

それは、大阪の場合、名目的には重症者が占めるベッド数は65・6%ですが、実際に使
用可能はベッド数をみると、90%に達しているのが実情だからです。

大阪府と旭川市は、ついに7日には自衛隊の看護師の派遣を要請しました。

また軽症や無症状の人は、本来なら自治体が用意したホテルなど宿泊施設での療養を原則
としていますが、それも確保が追いついてゆけないため、仕方なく自宅で療養する人が増
えています。

これ軽症・無症状者、そして本来なら入院すべき65歳以上の感染者も含めて入院できな
いでいるケースを「入院調整中」(自宅療養中)としていますが、そのような患者が今月
2日の時点で、全国で一か月前の1916人から5.7倍の6200人に達しています。

地域的にみると、最多は大阪の1700人、次いで東京1050人、愛知954人、神奈
川704人の順です。

自宅療養は家庭内感染につながり、感染者急増の一因となっています。しかも、埼玉県で
起こったように、自宅療養中に二人が相次いで亡くなりました。

高齢者の場合、病状が突然急変し、死に至る危険性がありますから、少なくとも65歳以
上の高齢者と基礎疾患をもった人は即刻入院できる体制が必要です。

しかし、現実は、入院はおろかホテルなどの宿泊施設さへ追いつかない状態です。これの
状況も、実態としては医療崩壊が起きているとみなすべきでしょう。

とりわけ、医療環境が脆弱な地方では、少し患者が増えただけでも、医療の現場はたちま
ち崩壊の危機に直面します。

全国にウイルスを拡散させた源泉ともいうべき東京は、医療施設が充実しているといわれ
ています。それでも上にみたように、どこも受け入れ先がなく1000人以上が自宅療養
を余儀なくされているのです。

東京都の場合、重症者の病床使用率は36%(54人 12月6日)ですが、「重症者」
の中には、ICU(集中治療室)への患者250人は含まれていません。

ICUはコロナ患者のためだけに使用するわけではなく、急性の心臓や脳疾患者、手術後の医
療ケア、さらには重度の事故などの受け皿として極めて重要です。これがコロナ患者によっ
て占められている状況は、それ以外の患者さんを犠牲にしていることになります。

また、大阪市立病院で、コロナ対応で看護師が不足したため、若年がん病棟が一時閉鎖さ
れています。これは明らかな医療崩壊の例です。

病棟の閉鎖まではゆかなくても、現在、多くの都道府県の病院ではコロナ対応のために手
術をストップしている状況がありますし、通常の医療業務ができないでいます。

こういう事態は、まぎれもなく医療崩壊がすでに起きている証拠だと思いますが、政府は
たんに医療現場「逼迫している」との姿勢を崩していません。

国民の命にかかわることですから、政治的な思惑ではなく、真実を国民に明らかにし、そ
のうえで、国として、自治体として、個人としてどのように対処すべきかを、政府は明確
な指針を示す必要があります。そうでなければ国民は安心できません。


(注1)分科会資料(2020年11月20日)https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000697918.pdf
(注2)JCAST 2020年12月7日 
https://www.j-cast.com/kaisha/2020/11/30399981.html?p=all
(注3)GoTo トラベルによるウイルス感染者数の集計の具体的な方法については『東京新聞』デジタル版(2020年11月30日)、https://www.tokyo-np.co.jp/article/71349 を参照。政府の数字がいかんひ非現実的かが分かります。


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