病という厄介者―あなたはどう付き合いますか?―
2019年『日刊ゲンダイ』1月1日号は、作家の五木寛之氏と、天皇陛下の心臓の手術をした
心臓血管外科医の天野薫氏との、病気に関するなかなか面白い対談記事を掲載しています。
五木氏は、昨年、戦後72年振りに初めて一般の病院(歯医者を除いて)に行って驚いたのだ
そうです。それは、病院の入り口の広いホールに集まっている患者の数の多さでした。
「医学が進歩したら病人は減るはずなのに、なぜこれほど増えているんですかね」という問い
に、天野氏は次のように応えています。
一つは日本人は薬が好きだということでしょうか。・・・・日本の薬はよく効きます。で、
全体が高齢化していることもあって、体の不調に対して薬に頼る人が増えているんです。
まずは自分自身で健康管理からというところから入る人はあまりいませんね。どこか悪く
なったら病院にかかればいいやという文化が作られています。
五木氏は、「朝起きて調子いいから病院に行く」という、とても面白いシルバー川柳を紹介し
ています。つまり、今朝は体調もいいから、病院でも行くか、という一種のブラック・ユーモ
アです。
これにたいして天野氏は、病院に行っていつものメンバーが来ていないと「あいつ具合悪いん
じゃないか」みたいな・・・、と応じています。
この会話は、なかなか真実を突いている面があります。つまりい、いかに多くの人が薬と病院
(医師)に頼っているかを、他人事としてジョークで表現しています。
しかし、いざ、自分の問題になったとき、私たちは病と医者や病院とどのように付き合ってい
ったらいいのでしょうか?
もちろん、体の不調や不具合と一口に言っても、命にかかわる症状なのか、腰痛や風邪や頭痛
のような日常的な問題なのかによって対応は異なります。
難ししのは、命にかかわるのか、あるいは少し様子を見ていればいいのか、なかなか判断でき
ない場合もあるからです。最近の私の体験を書いてみたいと思います。
最近、まったく偶然の機会に、ある体の異変が確認されたので、何年かぶりで近くのクリニッ
クに行きました。何種類かの検査をした結果の数値は確かにひどいもので、さらに精密な検査
を大きな病院で受けるように、と指示され、紹介状を渡されました。
最初のクリニックで複数の検査を受けるまでに何日かかかり、その結果を知るためにほぼ1か
月近く待ちました。
それから、大病院(ある大学病院)の専門医に予約を取ることになるのですが、それが早くて
1か月先です。
そして、いよいよ診察・検査ということになりますが、その検査の結果に基づいての診断を聞
けるのは、さらに1か月後です。
数えてみると、最初のクリニックの診察から、大学病院での検査結果を聞くまでに要した日数
は2か月半です。
そこから、何らかの治療が始まることになります。
これだけの時間を要して、ようやく治療が始まるのですが、その治療の予約は、おそらく1か月
後になることが予想されました。ちなみに、私の知人のケースなど2か月後でした。
冷静に考えてみると、これだけの日数がかかるとなると、もし深刻な病気なら進行して、取り返
しができなくなってしまう事だって、十分考えられます。
問題はそれだけではありませんでした。私の場合、病院が指定した検査は三種類で、そのうちの
一つは体への侵襲が大きく、極めて確率は低いとはいえ、ショック死することもあり得えるもの
でした。
この検査を受ける場合には事前に、これには死んでも文句は言わない、という誓約書にサインす
ることからも、その危険性は分かります。
私は、一旦は承諾してサインしましたが、検査当日の、それも直前に、やはりこの検査は受けま
せん、と拒否しました。今思うと、この時、私の体が本当的に拒絶していたのかも知れません。
その理由の一つは、まずは体への侵襲がない二つの検査を受け、そこで異常が発見され、もし別
の検査がどうしても必要だ、という医師の判断があれば、その時考えようと思ったからです。し
かし、こうした二段階のプロセスは踏んでくれませんでした。
しかも、検査までの1か月の間に、体の状態は急速に良い方向に変化しつつあり、その変化をつ
ぶさにに観察して総合的に判断すると、当初の問題は解決しつつある、と考えられました。
もう一つは、たまたま検査の前日に偶然、知り合いの母親が退院間近にこの検査を受けて亡くな
った、という話を聞いたことも心理的に影響していたのかも知れません。
担当の医師は、私が第三の検査を受けなかったことが非常に不満で、この検査を受けないで万が
一重篤な事態に至っても(実際には、死に至っても、というニュアンスで)いいんですか、と迫
りました。
私は、検査を受けなかったことから生ずるかもしれない事態は「自己責任」として受け入れます、
と言って診察室をでました。
私は、病院での検査と治療を一旦、離れる決断をし、鍼灸に通い、いろいろ調べて、問題を自分
で解決する方法を試しています。幸い、もっとも気にしていた症状は、今は消えています。
私は、病院の検査を受けるかどうかを、勝手に自分で判断することを推奨しているわけではあり
ません。
たとえ、ある程度の危険性や副作用があったとしても、検査によって病状の原因が明らかとなり、
それによって有効な治療が可能となるメリットの方が大きいと思えば、やはり検査を受けるべき
だと考えています。
その判断は、まず一義的には医師がおこないますが、それだけでなく私たちも自分なりの判断力
を持つ必要があります。
それには、自分の体が発している声を聞く、ということが大切です。具体的には、天野氏も言っ
ているように、睡眠、食事、排泄などの状態を常日頃確認しておくことです。
五木氏は、毎日朝起きた時と寝る前に体重を計って帳面につけているそうです。また、彼はエッ
セイ集で、彼は自分の足の指に名前を付けて、1日の終わりに1本1本話しかけながら丹念に洗
うとも書いています。
そのことが、どれほど健康に役立っているかは別として、こうして自分の体と常に向き合い、体
の声を聞く姿勢が大切だと思います。
私は、できるだけ1日5000~8000歩ちょっと速足の散歩をして、その時々の体の状態を
それとなく観察するよう心掛けています。
おおざっぱに言えば、食事がおいしく食べられて、よく眠れて、排泄が順調で、気分よく散歩が
できていれば、まあまあの健康状態だと考えます。
そのような状態の中でも、時には胃腸の調子が悪くなったり、体の一部に痛みを発することはあ
ります。そんな時、慌てて病院に駆け込むことはせず、しばらく「様子をみる」(大体2週間を
目途としています)という姿勢で体の不調を付き合ってきました。
さて、ここまで読んで、皆さんはどんな感想をもったでしょうか?私が抱いた疑問は大きく二つ
です。
まず第一に、病院の予約には、なぜ、こんなに日数がかかるのでしょうか?
理由は簡単です。それはあまりにも患者が多いからです。何年か振りで大病院に行って驚いたの
は、五木氏と同様、なんと患者さんが多いのかということでした。
もちろん、病院側も精一杯対応していると思います。多くの患者が押し寄せる診療科では、一人の
医師が1日に何十人、あるいはそれ以上の患者を診ても追いつかないくらい診察を望む患者が多い
のです。この点は同情します。
第二に、上記の状況には、私たち潜在的な患者の方にも問題がありそうです。とにかく、体の不調
があれば条件反射的に、医者と薬に頼る、という行動パターンが沁みついてはいないだろうか、と
いう点です。
たとえガンのように自分で治療することができないような重篤な病気で、医師による治療を受ける
際にも、ただ医師に任せるのではなく、自分でできることはできる限りやるという覚悟が大切だと
思います。
最後に、健康診断について書いておきたいと思います。多くの医者は、病気に対処するには「早期発
見、早期治療」が最善の方法と言います。確かに、それも一理あります。
しかし、近藤誠氏(近藤誠がん研究所研究所長・元慶応大学医学部講師)は、漫画家の東海林さだお
氏との対談で、がんについて、
健康でご飯を美味しいと思っていて、症状がなく普通に生活できている人は、たとえ人間ドックでが
んが見つかっても、診断されたことを忘れて、二度と検査に近寄らないほうがいいんです(東海林さ
だお『猫だいすき』文春文庫。238-9ぺージ)、と語っています。
これは近藤氏独特の見解で、多くの医師からは反論があるでしょう。それでも、ご飯を美味しいと思
っていて、日常生活が普通に送れていれば、健康診断を敢えてする必要はない、という意見には共感
するところがあります。
現役で勤めていた時は健康診断は義務化されていますが、職場を離れて以後、私は一度も健康診断を
受けていません。
これが正しいかどうかは言えませんが、私たちは自分の健康に関しては、医師の診断や治療方針を重
視しつつ、最終的には自分の命と体のケアは「自己責任」で、という覚悟を持つ必要があるのではな
いでしょうか。
さて、あなたは、どんな風に病と付き合いますか?
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お彼岸には、忘れず花を咲かせる「彼岸花」赤だけでなく黄色や白っぽい花もあります。 季節は確実に秋に向かっています。木の陰でそっと穂を開いたススキ
2019年『日刊ゲンダイ』1月1日号は、作家の五木寛之氏と、天皇陛下の心臓の手術をした
心臓血管外科医の天野薫氏との、病気に関するなかなか面白い対談記事を掲載しています。
五木氏は、昨年、戦後72年振りに初めて一般の病院(歯医者を除いて)に行って驚いたのだ
そうです。それは、病院の入り口の広いホールに集まっている患者の数の多さでした。
「医学が進歩したら病人は減るはずなのに、なぜこれほど増えているんですかね」という問い
に、天野氏は次のように応えています。
一つは日本人は薬が好きだということでしょうか。・・・・日本の薬はよく効きます。で、
全体が高齢化していることもあって、体の不調に対して薬に頼る人が増えているんです。
まずは自分自身で健康管理からというところから入る人はあまりいませんね。どこか悪く
なったら病院にかかればいいやという文化が作られています。
五木氏は、「朝起きて調子いいから病院に行く」という、とても面白いシルバー川柳を紹介し
ています。つまり、今朝は体調もいいから、病院でも行くか、という一種のブラック・ユーモ
アです。
これにたいして天野氏は、病院に行っていつものメンバーが来ていないと「あいつ具合悪いん
じゃないか」みたいな・・・、と応じています。
この会話は、なかなか真実を突いている面があります。つまりい、いかに多くの人が薬と病院
(医師)に頼っているかを、他人事としてジョークで表現しています。
しかし、いざ、自分の問題になったとき、私たちは病と医者や病院とどのように付き合ってい
ったらいいのでしょうか?
もちろん、体の不調や不具合と一口に言っても、命にかかわる症状なのか、腰痛や風邪や頭痛
のような日常的な問題なのかによって対応は異なります。
難ししのは、命にかかわるのか、あるいは少し様子を見ていればいいのか、なかなか判断でき
ない場合もあるからです。最近の私の体験を書いてみたいと思います。
最近、まったく偶然の機会に、ある体の異変が確認されたので、何年かぶりで近くのクリニッ
クに行きました。何種類かの検査をした結果の数値は確かにひどいもので、さらに精密な検査
を大きな病院で受けるように、と指示され、紹介状を渡されました。
最初のクリニックで複数の検査を受けるまでに何日かかかり、その結果を知るためにほぼ1か
月近く待ちました。
それから、大病院(ある大学病院)の専門医に予約を取ることになるのですが、それが早くて
1か月先です。
そして、いよいよ診察・検査ということになりますが、その検査の結果に基づいての診断を聞
けるのは、さらに1か月後です。
数えてみると、最初のクリニックの診察から、大学病院での検査結果を聞くまでに要した日数
は2か月半です。
そこから、何らかの治療が始まることになります。
これだけの時間を要して、ようやく治療が始まるのですが、その治療の予約は、おそらく1か月
後になることが予想されました。ちなみに、私の知人のケースなど2か月後でした。
冷静に考えてみると、これだけの日数がかかるとなると、もし深刻な病気なら進行して、取り返
しができなくなってしまう事だって、十分考えられます。
問題はそれだけではありませんでした。私の場合、病院が指定した検査は三種類で、そのうちの
一つは体への侵襲が大きく、極めて確率は低いとはいえ、ショック死することもあり得えるもの
でした。
この検査を受ける場合には事前に、これには死んでも文句は言わない、という誓約書にサインす
ることからも、その危険性は分かります。
私は、一旦は承諾してサインしましたが、検査当日の、それも直前に、やはりこの検査は受けま
せん、と拒否しました。今思うと、この時、私の体が本当的に拒絶していたのかも知れません。
その理由の一つは、まずは体への侵襲がない二つの検査を受け、そこで異常が発見され、もし別
の検査がどうしても必要だ、という医師の判断があれば、その時考えようと思ったからです。し
かし、こうした二段階のプロセスは踏んでくれませんでした。
しかも、検査までの1か月の間に、体の状態は急速に良い方向に変化しつつあり、その変化をつ
ぶさにに観察して総合的に判断すると、当初の問題は解決しつつある、と考えられました。
もう一つは、たまたま検査の前日に偶然、知り合いの母親が退院間近にこの検査を受けて亡くな
った、という話を聞いたことも心理的に影響していたのかも知れません。
担当の医師は、私が第三の検査を受けなかったことが非常に不満で、この検査を受けないで万が
一重篤な事態に至っても(実際には、死に至っても、というニュアンスで)いいんですか、と迫
りました。
私は、検査を受けなかったことから生ずるかもしれない事態は「自己責任」として受け入れます、
と言って診察室をでました。
私は、病院での検査と治療を一旦、離れる決断をし、鍼灸に通い、いろいろ調べて、問題を自分
で解決する方法を試しています。幸い、もっとも気にしていた症状は、今は消えています。
私は、病院の検査を受けるかどうかを、勝手に自分で判断することを推奨しているわけではあり
ません。
たとえ、ある程度の危険性や副作用があったとしても、検査によって病状の原因が明らかとなり、
それによって有効な治療が可能となるメリットの方が大きいと思えば、やはり検査を受けるべき
だと考えています。
その判断は、まず一義的には医師がおこないますが、それだけでなく私たちも自分なりの判断力
を持つ必要があります。
それには、自分の体が発している声を聞く、ということが大切です。具体的には、天野氏も言っ
ているように、睡眠、食事、排泄などの状態を常日頃確認しておくことです。
五木氏は、毎日朝起きた時と寝る前に体重を計って帳面につけているそうです。また、彼はエッ
セイ集で、彼は自分の足の指に名前を付けて、1日の終わりに1本1本話しかけながら丹念に洗
うとも書いています。
そのことが、どれほど健康に役立っているかは別として、こうして自分の体と常に向き合い、体
の声を聞く姿勢が大切だと思います。
私は、できるだけ1日5000~8000歩ちょっと速足の散歩をして、その時々の体の状態を
それとなく観察するよう心掛けています。
おおざっぱに言えば、食事がおいしく食べられて、よく眠れて、排泄が順調で、気分よく散歩が
できていれば、まあまあの健康状態だと考えます。
そのような状態の中でも、時には胃腸の調子が悪くなったり、体の一部に痛みを発することはあ
ります。そんな時、慌てて病院に駆け込むことはせず、しばらく「様子をみる」(大体2週間を
目途としています)という姿勢で体の不調を付き合ってきました。
さて、ここまで読んで、皆さんはどんな感想をもったでしょうか?私が抱いた疑問は大きく二つ
です。
まず第一に、病院の予約には、なぜ、こんなに日数がかかるのでしょうか?
理由は簡単です。それはあまりにも患者が多いからです。何年か振りで大病院に行って驚いたの
は、五木氏と同様、なんと患者さんが多いのかということでした。
もちろん、病院側も精一杯対応していると思います。多くの患者が押し寄せる診療科では、一人の
医師が1日に何十人、あるいはそれ以上の患者を診ても追いつかないくらい診察を望む患者が多い
のです。この点は同情します。
第二に、上記の状況には、私たち潜在的な患者の方にも問題がありそうです。とにかく、体の不調
があれば条件反射的に、医者と薬に頼る、という行動パターンが沁みついてはいないだろうか、と
いう点です。
たとえガンのように自分で治療することができないような重篤な病気で、医師による治療を受ける
際にも、ただ医師に任せるのではなく、自分でできることはできる限りやるという覚悟が大切だと
思います。
最後に、健康診断について書いておきたいと思います。多くの医者は、病気に対処するには「早期発
見、早期治療」が最善の方法と言います。確かに、それも一理あります。
しかし、近藤誠氏(近藤誠がん研究所研究所長・元慶応大学医学部講師)は、漫画家の東海林さだお
氏との対談で、がんについて、
健康でご飯を美味しいと思っていて、症状がなく普通に生活できている人は、たとえ人間ドックでが
んが見つかっても、診断されたことを忘れて、二度と検査に近寄らないほうがいいんです(東海林さ
だお『猫だいすき』文春文庫。238-9ぺージ)、と語っています。
これは近藤氏独特の見解で、多くの医師からは反論があるでしょう。それでも、ご飯を美味しいと思
っていて、日常生活が普通に送れていれば、健康診断を敢えてする必要はない、という意見には共感
するところがあります。
現役で勤めていた時は健康診断は義務化されていますが、職場を離れて以後、私は一度も健康診断を
受けていません。
これが正しいかどうかは言えませんが、私たちは自分の健康に関しては、医師の診断や治療方針を重
視しつつ、最終的には自分の命と体のケアは「自己責任」で、という覚悟を持つ必要があるのではな
いでしょうか。
さて、あなたは、どんな風に病と付き合いますか?
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お彼岸には、忘れず花を咲かせる「彼岸花」赤だけでなく黄色や白っぽい花もあります。 季節は確実に秋に向かっています。木の陰でそっと穂を開いたススキ