大木昌の雑記帳

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ラクビー・ワールドカップ―新たなスポーツ文化に感動―

2019-10-23 08:07:54 | スポーツ
ラクビー・ワールドカップ―もう一つのスポーツ文化に感動―


ラクビー・ワールドカップ2019(東京大会)は、まだ準決勝と決勝が残っていますが、日本
に関していえば、10月20日の南アフリカ戦をもって、終了しました。

日本の前回のワールドカップでは、あと一歩で決勝トーナメント入りできなかったので、今回は
ベスト8に残り決勝トーナメント入りすることが悲願でした。

この1か月、言葉では言い表せないほどの感動を与えてくれた日本チームに心から感謝し、ベス
ト8入りできたことを誇りに思います。

日本の初戦は9月20日のロシア戦(30-10)で、これに勝利して9月28日のアイルラン
ド戦(19―12)、10月5日のサモア戦(38―19)、10月13日のスコットランド戦
(28―21)と、順調に勝ち進み、そして運命の10月20を迎えました。

この間、日本人の間にみるみる、にわかラクビー・ファンが増え、居酒屋でも話題はもっぱらラ
クビーだったようです。実は、私も「にわかラクビー・ファン」の一人です。

ラクビー熱は日ごとに、文字通り「熱狂」「フィーバー」といっていいほど、急速に高まってゆ
きました。

これは、試合ごとの視聴率の変化をみれば明らかです。つまり、最初のロシア戦は18.3%だ
った視聴率が、二試合目のアイルランド戦では22.5%に上昇しました。

しかし、この時点ではまだ、それほどの視聴率の上昇には至っていません。ところが、初戦で、
今大会開始時点では世界ランキング1位だったアイルランドを破ったことで、それまであまり関
心がなかった日本人の関心が、一気に高まった感があります。

それを裏付けるように、第三戦のサモア戦の視聴率は32.8%へ10%以上も上がり、スコッ
トランド戦では39.2%に跳ね上がり、決勝トーナメントの南アフリカ戦では、平均視聴率で
41.1%、瞬間最高視聴率は49.1%に達しました。日本人のほぼ二人に一人がテレビ観戦
したといっても過言ではありません。

大会開始前の日本では、ラクビーは野球やサッカーに比べて一般の認知度は低く、どちらかとい
えば、特殊なマニアだけが愛好する「マイナー・スポーツ」でした。

それが、なぜ、これほど急激に、しかも国をあげての熱狂を呼び起こしたのでしょうか?

サッカーの専門家が幾つもの要因を挙げていますが、素人の私は以下のように考えます。

一つは、一試合ごとに、あれよあれよと言う間に勝ち進んで行ったことに対する驚きと感動だっ
たと思います。台風による激甚災害で気分が暗くなっていた日本の状況のなかで、国際試合で勝
ち進んで行った日本チームは、その陰鬱な空気を吹き飛ばしてくれました。

二つは、日本人の多くは、ラクビーに対する親しみも薄く、ルールも知りませんでしたが、しか
し、テレビや現場で観戦しているうちに、ルールも次第にわかってきて、ラクビーの面白さと迫
力に目覚めてしまったことです。

私は、ほとんどのスポーツ、とりわけ球技に興味がありますが、ラクビーはそれほどでもありま
せんでした。しかし、今大会は、私が抱いていた球技の概念を吹き飛ばしてしまいました。

たとえば野球を考えてみましょう。野球ではピッチャーとキャッチャーとバッターの三者の間で
交わされる駆け引きの緊張状態にありますが、他の選手にはあまり動きはありません。

私の感覚では、野球は全体としては「動」よりも「静」の場面の方が多い「間」のスポーツです。

バッターが打てば一気に動きがでますが、それもまた事態が一段落すると、また「間」の状態に
戻ります。

もちろん、この「間」がもたらす緊張感こそが野球の面白さでもあります。

ラクビーと同様に広いフィールドで駆け回る「動」のスポーツ、サッカーはどうでしょうか。

今回、ラクビーの試合を見るまで私はサッカー・ファンで、特に国際試合は結構観てきました。

サッカーにはサッカーの面白さがあり、それはスピード、戦略、パスやドリブル、シュート・テ

ニックなどの組み合わせです。

サッカーは遠くからでもボールを蹴ってゴールに入れることで得点できますが、ラクビーは、ペ
ナルティ・キックやドロップ・キック、コンセッション・キックによる得点もありますが、なん
といっても醍醐味は、選手が自分でボールをゴールに運ぶ、トライです。

トライを目指して何回も、あるいは何十回も肉体と肉体の激突を繰り返します。もちろんサッカ
ーにも肉体と肉体との接触や激しさはありますが、ラクビーのタックルや正面や背後からの激突
はありません。

ラクビーは、人間が自分の肉体を武器に思い切り相手とぶつかり合い、タックルで倒すなど、肉
弾戦がもたらす野性的な魅力に満ちたスポーツです。

この激突を観て、「やわ」になった現代人の心が揺さぶられるのです。

それに比べるとサッカーは、オシャレで、お行儀の良い繊細なスポーツという感じがします。

第三は、ラクビーというスポーツがもつ、人種や国籍を超えて選手がチームを構成し、一つにな
るこれまでのスポーツで日本代表を構成するのは、ほぼ“日本人”だけでしたが、ラクビーは、
日本で3年間以上プレーしていれば、日本代表チームのメンバーになれます。

実際、今回の日本代表チームでいえば、31人中10人が「外国人」選手でした。こうした多様
な選手が”ONE TEAM" の理想を掲げて一つのチームとして戦うことに、多くの日本人は感動しま
した。

これまでは、国際試合といえば、「ニッポン」が強調され愛国主義(ナショナリズム)を高揚さ
せるイベントでしたが、ラクビーには、本当の意味で国際主義(インターナショナリズム)がそ
の精神に流れています。日本人は、今回の大会を通して、この精神を体験したのではないでしょ
うか。

第四は、ラクビーの根底に流れる「ノーサイド精神」で、試合が終われば敵味方なく相手を尊敬
し称える精神です。これは従来の日本のスポーツ界では、あまりなかったことでしたが、これを
目の当たりに見て多くの日本人は、感じるところがあったと思います。

私は、今回の試合を観ていて、ラクビーは、見かけの荒々しさとはちがって、フェア精神に満ち
たスポーツだと感じました。ラクビーにはたくさんの反則ルールがありますが、それは、徹底し
てズルをしない、相手を傷つけないという配慮から設けられています。

最後に、南アフリカ戦に触れないわけにはゆきません。

予選リーグでは四戦四勝という快挙で決勝トーナメントに進んだので、そこでも南アフリカを破
ってベスト4まではゆけるのではないか、との期待を持ちました。

反面、前回、日本に「歴史的勝利」を許した南アフリカ・チームは、二度と同じ過ちは犯さない
と、リベンジに燃えていました。

試合の前半の40分、負けてはいましたが得点は3対5で、まあ互角の戦いのように見えました。

しかし、私はこの時点で、かすかに不安を抱いていました。それは、日本のボール保持率が80
パーセントに達していたからです。(この点を高く評価する専門家もいました)

というのも、試合の前日、五郎丸氏はあるテレビ番組で、日本に勝つチャンスがあるとしたら、
前半は南アフリカにボールを持たせ、攻撃させることだと言っていたからです。

五郎丸氏は、ラクビーでは守るより攻撃する方がずっと体力を使うので、前半に南アフリカに攻
撃させれば、体は大きいけれど走るのは苦手な彼らは後半には疲れてしまい、日本にチャンスが
やってくる、と言っていたからです。

皮肉にも、長時間ボールを保持した日本チームは後半になると疲れが目立ち、故障者が続出しま
した。

逆に、南アフリカは後半には猛然と実力を発揮し、パワフルなモールとスクラムで日本を徹底的
に攻め、押しまくった状態から得点を重ねてゆきました。走ることも苦手ではなさそうでした。

今から思えば、南アフリカは前半は守備を重視し意図的に体力を温存して、逆に日本選手を疲れ
させる作戦を採っていたのかも知れません。

試合を総括して、今回大活躍した堀江は正直に「用意したことを全部出して相手を苦しめるとこ
ろまでいったけど、やっぱりレベルの違いが見えた」とコメントしました。そして、

    南アフリカは日本チームの戦略を十分に研究しつくしていました。日本が快足の両翼に
    回そうとすると、外の選手がダッシュし、パスコースに蓋をする。内側の選手が迷う場
    面が多発。姫野やマフィらの突進力もこれでは半減する。タックルされながらのオフロ
    ード・パスも警戒。日本選手の腕を抱えるなどしてボールの制御を奪う。これまではつ
    ながっていたあと1本が届かなかった(注)

と振り返っています。

残念ですが、これが日本の実力であり現状なのです。

予選の4試合で、疲労と体へのダメージも蓄積していました。ジャージの下にはテーピングで補
強した選手も多く、痛み止めの注射でなんとか試合を続けた選手もいました。

250日間の合宿で、技術だけでなく、死ぬほど体を鍛えてもなお、パワーと持久力が足りなか
ったということです。

日本チームがさらなる上を目指すなら、瞬発力だけでなく、持続する体力を今以上強化する必要
があります。

最後に、私が一番印象に残った選手は、プレイヤー・オブ・ザ・マッチ(POM)に選ばれた南アフ
リカのスクラム・ハーフ、ファフ・デクラークでした。彼は身長170センチと小柄ながら、ボ
ールのの行く先には必ずいたし、タックルもうまく、後半にはトライも決めています。これから
の日本チームには、デクラークのような、本当の意味でオールラウンドの選手が是非、必要です。

こうした問題はありますが、今回の大会で、日本のラクビーは世界に通用することを実証した意
味は大きいし、次世代を担う若い選手に大きな自信を与え、貴重な遺産を残したと思います。

そして、私たちに、ラクビーという、もう一つのすばらしいスポーツ文化を与えてくれたことに心
から感謝します。


"ONE TEAM" を象徴する日本チームの円陣




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危機に瀕した環境(2)―小泉新環境相に託せるのか?-

2019-10-12 18:26:37 | 自然・環境
危機に瀕した環境(2)―小泉新環境相に託せるのか?-

2019年9月11日、安倍首相は日本の環境行政のかじ取り役として、若手の小泉進次郎氏(38)
を任命しました。

小泉氏の政治スタイルは、あれこれ説明しないで短い言葉で言い切る語り口調が特徴です。

私も、若い力で、この閉塞状況に新生日本の息吹を吹き込んでほしいと期待していました。

しかし、就任間もなく行われた、記者団とのやり取りを新聞で読んで、ちょっと不安になってしま
いました。

それは、9月17日、福島県いわき市で記者団に、東電福島第一発原発事故による汚染土の最終処
分場について記者に問われたときでした。

政府と地元との約束で、放射能に汚染された汚染度は、30年以内に県外に移すことになっている
のですが、その最終処分場はどうするのか問われて小泉氏は以下のように答えました。

    三十年後の自分は何歳か、発災直後から考えていた。健康でいられたら(県民との)三十
    年後の約束を守れるかどうかの節目を見届けることができる政治家だと思う。

もう一度、確認しますが、小泉氏が問われたのは、汚染土の最終処分場をどうするのかという問題
で、それに対する答えが上記のものです。

この返答の意味が分かる人はいるでしょうか? 私は、これは彼が言いたいことの前置きなのかと
思い、それに続いてどんな方針を語るのかを注視していましたが、何もありませんでした。

かつて父親の純一郎氏は、イラクに派遣した自衛隊が戦闘地域にいっているのではないか、と問わ
れて、「自衛隊がいっていいるところが非戦闘地域」と答えたことを思い出します。息子の進次郎
氏の、「迷言」と「言語明瞭 意味不明」は父親ゆずりかもしれません。

小泉進次郎氏は、これまで福島に寄り添ってきたことをずっと強調してきましたから、汚染度につ
いては少なくとも方向性くらいは示すと思われましたが、それには全く言葉がありませんでした。

政治アナリストの伊藤淳夫氏は、「話術はすぐれているが中身は空疎だ。原発事故の汚染水につい
ても謝罪はしたが、国や環境相として今後どう対応するかが発言からは分からない」と指摘してい
ます(『東京新聞』2019年9月23日)。

伊藤氏は、「話術はすぐれている」と評価していますが、このような発言を聞くと、とうてい「す
ぐれている」とは思いません。ただたんなる「はぐらかし」か、訴えるべき中身がないから、とし
か思えません。

『小泉進次郎の話す力』の著作がある佐藤綾子教授は、「用意して臨む会見では明瞭に話すが、突
然の質問の場合、真意を明らかにしない姿勢は大臣になっても変わらないだろう」と述べています
(『東京新聞』同上)。

伊藤氏によれば、小泉氏が取り組んできた農協や国会の改革については、中途半端で終わったり、
細かな内容が変わったりしただけの感もある。京都議定書後の変わるべき中身の話も、小泉氏から
聞いたことはないという。

    小泉さんは、『こども保険』などそのときのキャッチーな話題に飛び込むのが得意ですね。
    私は、天才子役みたいだと言っています。サーファーみたいに演技が上手でが、船を進め
    るようなタイプではないということです。

また伊藤氏は、次のようにも述べています。

    小泉さんは、討論を生でやったことはないと思います。これまでインタビューで一方的な
    発言がほとんどでしたね。その証拠に、記者が鋭い質問をすると、答えに詰まってしまい
    ます。

しかし、これからは大臣として野党だけでなく国民の厳しい質問にも正面から答え、さらに一方的
な発言ではなく、具体的な説明と施策を示さなければなりません(注1)。
 
さて、環境問題に戻りましょう。

9月22日の国連の会議で、演説に立った小泉氏は、“日本は1997年に京都議定書を採択したが、
リーダーシップを十分に発揮してこなかった。今日から我々は変わります”、と高らかに宣言しま
した。しかし、いつもことですが、ではどう変わるのかについては何も語りませんでした。

私が違和感をもったのは、「アジア地域の環境に関するイベント後の会見での小泉氏の発言でした。

小泉氏は、気候変動について、若い世代が解決のカギだとしたうえで、笑顔で「楽しくクールに、
そしてセクシーに」、との言葉を付け加えました。

これは、隣にいた女性の国連関係者の発言を引用したものです。私は、環境問題に関して「セクシ
ー」という言葉を使うことは必ずしも不適切だとは思いません。

環境問題にたいして「セクシー」という言葉を使ったのは、フィゲレス氏、元国連気候変動枠組条
約の事務局長で、パリ協を合意に導いた実績をもつ人です。

早稲田大学教授の中林美恵子氏は、フィゲレス氏は、こうした実績の上に、しかも、彼女の一貫し
た定義があるから、それはそれでインパクトがある、問題は中身です、とコメントしています。

しかし、小泉氏の場合、実績も彼自身の定義もないまま、ただキャッチコピーとして借用しただだ
けなので、特に中身はありません。この時の映像を見直してみると、小泉氏は得意満面で、「セク
シー」発言は受けるに違いない、との思惑があったような印象を受けます。

青山学院大学の米山明日香教授は、小泉氏の「セクシー」発言には主語がないので誤解を受ける恐
れがある、口語的な表現は国際的会見で使うのは避けたほうがよい、とコメントしています(以上
TBS 9月25日「ひるおび」での発言)。同感です。

また国連での別の会見でも、日本は火力発電を行っているが、これをどうするのか、と外国メディ
アに聞かれて一言、「減らす(reduce)」と言って黙ってしまいました。
すかさず「どのように」(How)と聞かれると小泉氏は黙ってしまい、しばらくして「私は、大臣に
先週なったばかりです」などと言うだけでした(注2)。

『文春オンライン』でプチ鹿島氏は、今回の一連の小泉発言について、「何か言っていそうで何も
言ってない話法」「小泉節 よく聞くと意味不明…」「ああ、小泉進次郎先生の面白さが遂にバレ始
めた」と見事に、小泉氏の話法を総括しています(注3)

小泉氏について、『NEWSポストセブン』でネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「演説の中身の
なさを検証する」と題して、次のように書いています。

    声の良さと通りの良さ、そしてそのイケメンっぷりから多くの人が勝手に『いいことを言
    っている』と思っていたところがあったのでは。今までの一議員ではそれでも良かったか
    もしれないが、国を代表して国連の環境関連の会議に出席したり、原発事故や放射能関連
    の発言をする場合はこれまでの『なんか立派そうだな』的な話法は通用しないのでは」

と語っています(注4)。

私は、小泉氏が笑顔で「楽しく、クールでデクシー」と語った映像と、世界のリーダーたちをもた
じろがせるほどの真柏力をもった演説をした、16才の少女グレタさんの鬼気迫る表情とを重ねて
しまいました。真剣さが雲泥の差です。

この二人が、同じ国連の「気候行動サミット」の場で、これほど対照的な表情を見せたのは、皮肉
を通り越してショッキングでさえありました。

小泉氏は就任したばかりで、いろいろ言動に問題があったにしても、これからは、環境相として、
具体的、現実的な問題解決策を提示し、実行してゆかなければなりません。

私は、小泉環境相に大いに期待していたことがあります。それは父親の純一郎氏は原発廃止論を強く
展開しており、その姿勢を進次郎氏にも共有してくれるのではないかと期待していたからです。

しかし、10月11日の国会審議で答弁に立った小泉氏の発言を聞いて、この期待は見事に打ち砕か
れてしまいました。

立憲民主党の辻元議員が、小泉氏がかつて、森友学園問題に関連して、「平成の政治史に残る大きな
事件」「何が真実か知りたい」と述べたことを引き合いに、「さすが小泉進次郎と思った。今もそう
思っているか」とただしたところ、小泉氏は「当たり前のことだが、書き換えはあってはならない。
私もいま、大臣として役所を率いる責任ある立場として、そういうことはあってはならないし、当時
の思いは今も変わらない」とした上で「今は、安倍内閣の一員として内閣の方針の中で責務をまっと
うするのは当たり前のことだ」と述べ、大臣としての心構えでかわしました(注5)。

つまり小泉氏は、一議員の時の自分の発言や考えを封印し、閣僚に選ばれたからには、安倍政権の方
針に従うことを明言しました。

こうした彼の姿勢の変化をみると、本当に日本の環境行政を、安倍首相の意に逆らっても自身の主張
を貫く覚悟があるとは思えなくなりました。

辻元議員が言うように小泉氏は安倍首相に、清涼剤として利用されるだけの存在になってしまうので
しょうか。

かつては原発反対論者だった河野太郎氏(現防衛相)が、外務大臣に任命されるや、従来の姿勢は全く
影を潜め、ひたすら安倍首相の意に沿うように率先して行動するようになりました。若い小泉氏は、
河野氏のようになってほしくはありません。

環境問題として最近注目されているテーマの一つはプラスチックごみの問題です。世界でプラスチッ
クの使用とゴミの排出を減らす機運が高まっています。このような状況に対して10月6日、安倍首相は
京都市で開かれた科学技術に関する国際会議で、「必要なのはごみの適切な管理だ。プラスチックの敵
視や利用者の排斥はすべきでない」と訴えました(注6)。

この環境問題に関しても、小泉氏は安倍首相の意向に沿って行動するのではないでしょうか。。

小泉氏は今後、原発と石炭火力発電の維持、プラスチック問題など、環境問題に関しては安倍首相の意向
に沿って行動してゆくのではないか危惧します。



(注1)J―Cast (2019.9.24 19:51) https://www.j-cast.com/2019/09/24368358.html
(注2)『日経ビジネス ONLINE』(2019年9月27日)
    https://toyokeizai.net/articles/-/305046
(注3)『文春オンライン』(2019年9月27日)https://bunshun.jp/articles/-/14267 
(注4)『NEWSポストセブン』(2019年10月1日)
    https://www.news-postseven.com/archives/20191001_1461441.html 
(注5)『日刊スポーツ』(2019年10月11日)
     https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201910110000279.html
(注6)『毎日新聞』デジタル(聞2019年10月6日 20時07分(最終更新 10月6日 21時10分)
     https://mainichi.jp/articles/20191006/k00/00m/040/137000c




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危機に瀕した環境(1)―グレタさんの鬼気迫る真迫の訴え―

2019-10-02 22:07:12 | 自然・環境
危機に瀕した環境(1)―グレタさんの鬼気迫る真迫の訴え―

2019年9月23日、ニューヨークで行われた国連の「気候行動サミット」で、スウェーデン
の16才の少女、グレタ・トゥンベリさんが演説をしました。

グレタさんは、昨年8月、たった一人で毎週金曜日に学校を休み、国会議事堂の前で環境破壊
(温暖化)阻止のための抗議運動を始めました。彼女委はこれを「学校ストライキ」と呼んで
います。

そして、昨年12月にポーランドで開かれた国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)
や、今年1月の世界経済フォーラム年次総会(WEF、ダボス会議)で演説を行なうなど精力的に
活動してきました。

そこで、グレタさんは「パニックになってほしい。私が毎日感じるような恐怖を感じてほしい」
と訴えました。

気候変動の危機を警告する「メッセンジャー」として、独特の表現で大人たちの不作為を糾弾し
てきた。温室効果ガスを減らすため、遠距離移動でも飛行機には乗らず、電気自動車や電車を利
用することでも知られています(注1)

続いてイギリスで今年の1月15日から一週間の予定で始まった、「絶滅への反逆(Extinction
Rebellion)」と名付けられた抗議運動は、21日に7日目を迎え、ロンドン中心部のマーブルアー
チで行なわれた「集会には何千もの人が集り、グレタさんがステージに登壇すると、群集からは
「あなたが大好き」とのコールが上がったという。

気候変動を食い止めるための国際的な活動を啓発してきたことで高く評価されているグレタさん
は、群集に対し「人類は分かれ道に立っています」と訴えました。

そして、自分は「地球のために戦い続けます」と戦いを宣言し、「政治家や権力者は長い間、気候
や生物学的な危機に立ち向かうようなことを何ひとつせず逃げてきました。しかし私たちが、これ
以上彼らが逃げ続けないようにしていくのです」と強い言葉で気候変動を食い止めるための戦いを
宣言しました。

この日に7日目を迎えた抗議運動では、活動家たちが道路を占拠して交通が麻痺するなど、公共の場
で秩序を乱したなどとして21日19時の時点で963人の逮捕者まで出ています(注2)。

そして3月15日の行動では、グレタさんの呼びかけに応じて、フランス、イタリア、ドイツ、カナ
ダ、オーストラリア、アメリカ、チリなどで400万人がデモに参加しました[注1と同じ] 。

この流れその後も途絶えることなく、9月23日にニューヨークで行われた国連のサミットに合わせ
て、「グローバル気候ストライキ」と称するデモが20日から27日の8日間で実施され、185カ
国で760万人以上が参加したと、主催した国際環境NGO「350.org」が発表しました。

中でも、イタリアの150万人が最も多く、ドイツの140万人、カナダの80万人と続きました。
グレタさんは27日、50万人が参加したカナダのモントリオールのデモに参加しました(注3)。
日本からも各都道府県で合計5000人が参加したと報道されています。

さて、国連でのスピーチですが冒頭でグレタさんは、「私たちはあなたたちを注意深く見ている。そ
れが、私のメッセージだ」(原文は、"My message is that we'll be watching you.)という言葉か
スピーチを始めました。この場合の「注意深く見ている」は、むしろ「監視している」という気持ち
なのでしょう(注4)。

以下に、グレタさんのスピーチから、いくつかの言葉を取り上げてみます。
    
    人々は苦しみ、死にかけ、生態系全体が崩壊しかけている。私たちは崩壊しかかっているの
    に、あなたたちが話すのは金のこと、永遠の経済成長というおとぎ話だけ。なんということ
    だ(よく言えたものだ)。

私は、個人的にこの部分に、ハッとさせられました。「永遠のおとぎ話」というのは、ひょっとした
ら、私も含めて環境保護に関心があることを自称している人たちが発する耳障りがいい常套句、「環境
に優しい、持続可能な成長」という言葉ではないのか、と思えたからです。

つまり、いかに「環境に優しい」とはいっても、「成長」という目的があるとしたら、それは確実に環
境破壊をもたらすのに、の「嘘っぽさ」と欺瞞性が、根本的に批判されているように感じました。

グレタさんが本当に言いたかったことを、私なりに拡大解釈すると、「環境に優しい、持続可能な成長」
という言葉こそ、大人たちが、環境破壊に目をつぶって、こっそりと豊かさを追求するための便利な口実、
フィクションでではないか、と言いたかったのではないだろうか?

グレタさんは、決して感情にまかせて、激しい言葉で大人を攻撃しているのでは会いません。彼女は常に、
「科学が示すことを直視して」といいつづけてきました。

    過去30年以上、科学は極めて明瞭であり続けた。必要な政策も解決策もまだ見当たらないのに、
    目を背け、ここに来て「十分やっている」なんてよくも言えたものだ。

その「科学」とは、気象学者たちが厳密に調査・研究した結果なのです。
    十年間で(温室効果ガスの)排出量を半減するというよくある考え方では、(気温上昇を)1.5度
    に抑える可能性は50%しかなく、人類が制御できない不可逆的な連鎖反応を引き起こす恐れが
    ある。

つまり、科学は、たとえ現在の目標である、1.5度以内に抑えられたとしても、それでは、温暖による悪影
響が連鎖的に引き起こされてしまい、そうなると、もう後戻りできない変化が起こる転換点に達してしまう
ことを示しているのです。

たとえば、この程度では永久凍土が溶けてしまい、それまで氷に閉じ込められていた温室効果ガス(メタン
や二酸化炭素=炭酸ガス)が空中に放出され、これがさらに温暖化を進めるという悪循環が始まってしまい
ます。とりわけメタンは二酸化炭素の25倍もの温室効果があります。

また、近年、北極圏の氷が溶け始めていますが、これがさらに進行すると、気象を狂わせ海水温を上昇させ
てしまい、生態系の破壊や海水面の上昇をもたらす悪循環が始まります。

    だから、50%の危険性は私たちには全く受け入れられない。私たちはその結果と共に生きてゆか
    なければならない。
    地球の気温上昇を1.5度に抑える確率を67%にするには、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)
    の最善の見立てでは、2018年時点で世界に残された炭酸ガス排出許容量は4200億トンだっ
    た。現在では3500億トンを下回った。・・現状の排出レベルでは、残された炭酸ガス排出許容
    量に8年半ももたずに達してしまう。

この数字は科学的に計算されたもので、ここにグレタさんの危機感の根拠があります。ところが、これらの
数字に沿って作られた解決策や計画は全くない、という現実にグレタさんは怒っているのです。なぜなら、
これらの数字は都合が悪すぎるからです。

こうして、現在の大人世代は、自分たちの豊かさを快適さだけを追求しているけれど、その結果として生ず
る生態系の破壊や温暖化の悪影響を受けるのは、今の若者やさらにはこれから生まれてくる子どもたちなの
です。

今までは、グレタさんの世代は、自分たちの未来を壊してしまう気候変動や環境破壊にたいして抗議する動
きはありませんでしたが、グレタさんの主張に、世界の若者が、そして多くの大人も共感しました。

これから生まれてくる子どもたちは、抗議する機会も手段ももたず、将来、悪化した、あるいは破壊された
環境の中に放り出されてしまうのです。

そして最後に、強い口調でつぎのように語ります。

    あなたたちには失望した。しかし若者はあなたたちの裏切り行為に気付き始めている。全ての未来
    世代の目はあなたたちに注がれている。私たちを失望させる選択をすれば、決して許さない。あな
    たたちを逃がさない。私たちは今ここに一線を引く。世界は目を覚ましつつある。変化が訪れよう
    としている。あなたたちが好むと好まざるとにかかわらず。

引用文中「私たちは、今ここに一線を引く」という部分の正確な意味が分かりにくい。おそらく、この気候
変動に真剣に取り組む人と、これを無視して自分たちの豊かさだけを追求しようとしている人(大人の世代)
との間に、というほどの意味であると考えられます。

今回のサミットで77カ国が「50年の排出ゼロ」を約束したのは大きな成果だった。半面、米中やインド
など主要排出国の反応は鈍く、温度差が鮮明になったのは気になります[『朝日新聞』2019年9月25日]。

とりわけ、アメリカは来年には、排出ガス規制を定めた「パリ協定」からの離脱を決めており、そもそもト
ランプ大統領も彼が所属する共和党の多くの議員は、温暖化そのものを認めていません。

それにしても、16才(当時は15才)の少女がたった一人で始めた気候変動を阻止する運動が全世界の人
々やリ-ダーを動かし、そのために各国が具体的に前進させる上で、少なからず影響を与えたことができた
のはなぜでしょうか? 

恐らく、彼女の言葉と行動が、本当に本質を突いていたからに他ならないからでしょう。

グレタさんの活動やスピーチに対して高級ブランド「ルイ・ヴィトン」を擁するLVMHグループのベルナール・
アルノー氏は「彼女はダイナミックな少女だが、天変地異説にすっかり傾倒してしまっている」と批判しま
した(注5)

日本でも、さまざまな批判が寄せられてきましたが、それらはおしなべて、根拠のないものです(注6)

今回のサミットでは、日本は具体的な行動指針(目標)を示していないので、発言の機会が与えられませんで
した。日本の環境政策については、次回、小泉進次郎新環境相に焦点を当てて考えてみたいと思います。


(注1)『毎日新聞』デジタル (2019年5月19日 20時51:20日02:02更新)https://mainichi.jp/articles/20190519/k00/00m/040/156000c
(注2)BBCNews(2019年04月22日) https://www.bbc.com/japanese/48008960
(注3)『朝日新聞』デジタル(2019年10月1日06時45分
    https://www.asahi.com/articles/ASM9Y51B9M9YUHBI00S.html?ref=hiru_mail_topix2_6。
(注4)このスピーチの全文邦訳は幾つかあるが、ここでは『東京新聞』(2019年9月25日)のものを参照した。なお、英文の全文は、
    https://www.npr.org/2019/09/23/763452863/transcript-greta-thunbergs-speech-at-the-u-n-climate-action-summit で見ることができる。
(注5)Huffington Post (2019年09月27日 13時09分 JST)https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d8d853be4b0019647a61d4f
(注6)これらについては、Yahoo News (2019年9月27日 6:44)に具体的に書かれている。
    https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20190927-00144349/




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