ラクビー・ワールドカップ―もう一つのスポーツ文化に感動―
ラクビー・ワールドカップ2019(東京大会)は、まだ準決勝と決勝が残っていますが、日本
に関していえば、10月20日の南アフリカ戦をもって、終了しました。
日本の前回のワールドカップでは、あと一歩で決勝トーナメント入りできなかったので、今回は
ベスト8に残り決勝トーナメント入りすることが悲願でした。
この1か月、言葉では言い表せないほどの感動を与えてくれた日本チームに心から感謝し、ベス
ト8入りできたことを誇りに思います。
日本の初戦は9月20日のロシア戦(30-10)で、これに勝利して9月28日のアイルラン
ド戦(19―12)、10月5日のサモア戦(38―19)、10月13日のスコットランド戦
(28―21)と、順調に勝ち進み、そして運命の10月20を迎えました。
この間、日本人の間にみるみる、にわかラクビー・ファンが増え、居酒屋でも話題はもっぱらラ
クビーだったようです。実は、私も「にわかラクビー・ファン」の一人です。
ラクビー熱は日ごとに、文字通り「熱狂」「フィーバー」といっていいほど、急速に高まってゆ
きました。
これは、試合ごとの視聴率の変化をみれば明らかです。つまり、最初のロシア戦は18.3%だ
った視聴率が、二試合目のアイルランド戦では22.5%に上昇しました。
しかし、この時点ではまだ、それほどの視聴率の上昇には至っていません。ところが、初戦で、
今大会開始時点では世界ランキング1位だったアイルランドを破ったことで、それまであまり関
心がなかった日本人の関心が、一気に高まった感があります。
それを裏付けるように、第三戦のサモア戦の視聴率は32.8%へ10%以上も上がり、スコッ
トランド戦では39.2%に跳ね上がり、決勝トーナメントの南アフリカ戦では、平均視聴率で
41.1%、瞬間最高視聴率は49.1%に達しました。日本人のほぼ二人に一人がテレビ観戦
したといっても過言ではありません。
大会開始前の日本では、ラクビーは野球やサッカーに比べて一般の認知度は低く、どちらかとい
えば、特殊なマニアだけが愛好する「マイナー・スポーツ」でした。
それが、なぜ、これほど急激に、しかも国をあげての熱狂を呼び起こしたのでしょうか?
サッカーの専門家が幾つもの要因を挙げていますが、素人の私は以下のように考えます。
一つは、一試合ごとに、あれよあれよと言う間に勝ち進んで行ったことに対する驚きと感動だっ
たと思います。台風による激甚災害で気分が暗くなっていた日本の状況のなかで、国際試合で勝
ち進んで行った日本チームは、その陰鬱な空気を吹き飛ばしてくれました。
二つは、日本人の多くは、ラクビーに対する親しみも薄く、ルールも知りませんでしたが、しか
し、テレビや現場で観戦しているうちに、ルールも次第にわかってきて、ラクビーの面白さと迫
力に目覚めてしまったことです。
私は、ほとんどのスポーツ、とりわけ球技に興味がありますが、ラクビーはそれほどでもありま
せんでした。しかし、今大会は、私が抱いていた球技の概念を吹き飛ばしてしまいました。
たとえば野球を考えてみましょう。野球ではピッチャーとキャッチャーとバッターの三者の間で
交わされる駆け引きの緊張状態にありますが、他の選手にはあまり動きはありません。
私の感覚では、野球は全体としては「動」よりも「静」の場面の方が多い「間」のスポーツです。
バッターが打てば一気に動きがでますが、それもまた事態が一段落すると、また「間」の状態に
戻ります。
もちろん、この「間」がもたらす緊張感こそが野球の面白さでもあります。
ラクビーと同様に広いフィールドで駆け回る「動」のスポーツ、サッカーはどうでしょうか。
今回、ラクビーの試合を見るまで私はサッカー・ファンで、特に国際試合は結構観てきました。
サッカーにはサッカーの面白さがあり、それはスピード、戦略、パスやドリブル、シュート・テ
ク
ニックなどの組み合わせです。
サッカーは遠くからでもボールを蹴ってゴールに入れることで得点できますが、ラクビーは、ペ
ナルティ・キックやドロップ・キック、コンセッション・キックによる得点もありますが、なん
といっても醍醐味は、選手が自分でボールをゴールに運ぶ、トライです。
トライを目指して何回も、あるいは何十回も肉体と肉体の激突を繰り返します。もちろんサッカ
ーにも肉体と肉体との接触や激しさはありますが、ラクビーのタックルや正面や背後からの激突
はありません。
ラクビーは、人間が自分の肉体を武器に思い切り相手とぶつかり合い、タックルで倒すなど、肉
弾戦がもたらす野性的な魅力に満ちたスポーツです。
この激突を観て、「やわ」になった現代人の心が揺さぶられるのです。
それに比べるとサッカーは、オシャレで、お行儀の良い繊細なスポーツという感じがします。
第三は、ラクビーというスポーツがもつ、人種や国籍を超えて選手がチームを構成し、一つにな
るこれまでのスポーツで日本代表を構成するのは、ほぼ“日本人”だけでしたが、ラクビーは、
日本で3年間以上プレーしていれば、日本代表チームのメンバーになれます。
実際、今回の日本代表チームでいえば、31人中10人が「外国人」選手でした。こうした多様
な選手が”ONE TEAM" の理想を掲げて一つのチームとして戦うことに、多くの日本人は感動しま
した。
これまでは、国際試合といえば、「ニッポン」が強調され愛国主義(ナショナリズム)を高揚さ
せるイベントでしたが、ラクビーには、本当の意味で国際主義(インターナショナリズム)がそ
の精神に流れています。日本人は、今回の大会を通して、この精神を体験したのではないでしょ
うか。
第四は、ラクビーの根底に流れる「ノーサイド精神」で、試合が終われば敵味方なく相手を尊敬
し称える精神です。これは従来の日本のスポーツ界では、あまりなかったことでしたが、これを
目の当たりに見て多くの日本人は、感じるところがあったと思います。
私は、今回の試合を観ていて、ラクビーは、見かけの荒々しさとはちがって、フェア精神に満ち
たスポーツだと感じました。ラクビーにはたくさんの反則ルールがありますが、それは、徹底し
てズルをしない、相手を傷つけないという配慮から設けられています。
最後に、南アフリカ戦に触れないわけにはゆきません。
予選リーグでは四戦四勝という快挙で決勝トーナメントに進んだので、そこでも南アフリカを破
ってベスト4まではゆけるのではないか、との期待を持ちました。
反面、前回、日本に「歴史的勝利」を許した南アフリカ・チームは、二度と同じ過ちは犯さない
と、リベンジに燃えていました。
試合の前半の40分、負けてはいましたが得点は3対5で、まあ互角の戦いのように見えました。
しかし、私はこの時点で、かすかに不安を抱いていました。それは、日本のボール保持率が80
パーセントに達していたからです。(この点を高く評価する専門家もいました)
というのも、試合の前日、五郎丸氏はあるテレビ番組で、日本に勝つチャンスがあるとしたら、
前半は南アフリカにボールを持たせ、攻撃させることだと言っていたからです。
五郎丸氏は、ラクビーでは守るより攻撃する方がずっと体力を使うので、前半に南アフリカに攻
撃させれば、体は大きいけれど走るのは苦手な彼らは後半には疲れてしまい、日本にチャンスが
やってくる、と言っていたからです。
皮肉にも、長時間ボールを保持した日本チームは後半になると疲れが目立ち、故障者が続出しま
した。
逆に、南アフリカは後半には猛然と実力を発揮し、パワフルなモールとスクラムで日本を徹底的
に攻め、押しまくった状態から得点を重ねてゆきました。走ることも苦手ではなさそうでした。
今から思えば、南アフリカは前半は守備を重視し意図的に体力を温存して、逆に日本選手を疲れ
させる作戦を採っていたのかも知れません。
試合を総括して、今回大活躍した堀江は正直に「用意したことを全部出して相手を苦しめるとこ
ろまでいったけど、やっぱりレベルの違いが見えた」とコメントしました。そして、
南アフリカは日本チームの戦略を十分に研究しつくしていました。日本が快足の両翼に
回そうとすると、外の選手がダッシュし、パスコースに蓋をする。内側の選手が迷う場
面が多発。姫野やマフィらの突進力もこれでは半減する。タックルされながらのオフロ
ード・パスも警戒。日本選手の腕を抱えるなどしてボールの制御を奪う。これまではつ
ながっていたあと1本が届かなかった(注)
と振り返っています。
残念ですが、これが日本の実力であり現状なのです。
予選の4試合で、疲労と体へのダメージも蓄積していました。ジャージの下にはテーピングで補
強した選手も多く、痛み止めの注射でなんとか試合を続けた選手もいました。
250日間の合宿で、技術だけでなく、死ぬほど体を鍛えてもなお、パワーと持久力が足りなか
ったということです。
日本チームがさらなる上を目指すなら、瞬発力だけでなく、持続する体力を今以上強化する必要
があります。
最後に、私が一番印象に残った選手は、プレイヤー・オブ・ザ・マッチ(POM)に選ばれた南アフ
リカのスクラム・ハーフ、ファフ・デクラークでした。彼は身長170センチと小柄ながら、ボ
ールのの行く先には必ずいたし、タックルもうまく、後半にはトライも決めています。これから
の日本チームには、デクラークのような、本当の意味でオールラウンドの選手が是非、必要です。
こうした問題はありますが、今回の大会で、日本のラクビーは世界に通用することを実証した意
味は大きいし、次世代を担う若い選手に大きな自信を与え、貴重な遺産を残したと思います。
そして、私たちに、ラクビーという、もう一つのすばらしいスポーツ文化を与えてくれたことに心
から感謝します。
"ONE TEAM" を象徴する日本チームの円陣
ラクビー・ワールドカップ2019(東京大会)は、まだ準決勝と決勝が残っていますが、日本
に関していえば、10月20日の南アフリカ戦をもって、終了しました。
日本の前回のワールドカップでは、あと一歩で決勝トーナメント入りできなかったので、今回は
ベスト8に残り決勝トーナメント入りすることが悲願でした。
この1か月、言葉では言い表せないほどの感動を与えてくれた日本チームに心から感謝し、ベス
ト8入りできたことを誇りに思います。
日本の初戦は9月20日のロシア戦(30-10)で、これに勝利して9月28日のアイルラン
ド戦(19―12)、10月5日のサモア戦(38―19)、10月13日のスコットランド戦
(28―21)と、順調に勝ち進み、そして運命の10月20を迎えました。
この間、日本人の間にみるみる、にわかラクビー・ファンが増え、居酒屋でも話題はもっぱらラ
クビーだったようです。実は、私も「にわかラクビー・ファン」の一人です。
ラクビー熱は日ごとに、文字通り「熱狂」「フィーバー」といっていいほど、急速に高まってゆ
きました。
これは、試合ごとの視聴率の変化をみれば明らかです。つまり、最初のロシア戦は18.3%だ
った視聴率が、二試合目のアイルランド戦では22.5%に上昇しました。
しかし、この時点ではまだ、それほどの視聴率の上昇には至っていません。ところが、初戦で、
今大会開始時点では世界ランキング1位だったアイルランドを破ったことで、それまであまり関
心がなかった日本人の関心が、一気に高まった感があります。
それを裏付けるように、第三戦のサモア戦の視聴率は32.8%へ10%以上も上がり、スコッ
トランド戦では39.2%に跳ね上がり、決勝トーナメントの南アフリカ戦では、平均視聴率で
41.1%、瞬間最高視聴率は49.1%に達しました。日本人のほぼ二人に一人がテレビ観戦
したといっても過言ではありません。
大会開始前の日本では、ラクビーは野球やサッカーに比べて一般の認知度は低く、どちらかとい
えば、特殊なマニアだけが愛好する「マイナー・スポーツ」でした。
それが、なぜ、これほど急激に、しかも国をあげての熱狂を呼び起こしたのでしょうか?
サッカーの専門家が幾つもの要因を挙げていますが、素人の私は以下のように考えます。
一つは、一試合ごとに、あれよあれよと言う間に勝ち進んで行ったことに対する驚きと感動だっ
たと思います。台風による激甚災害で気分が暗くなっていた日本の状況のなかで、国際試合で勝
ち進んで行った日本チームは、その陰鬱な空気を吹き飛ばしてくれました。
二つは、日本人の多くは、ラクビーに対する親しみも薄く、ルールも知りませんでしたが、しか
し、テレビや現場で観戦しているうちに、ルールも次第にわかってきて、ラクビーの面白さと迫
力に目覚めてしまったことです。
私は、ほとんどのスポーツ、とりわけ球技に興味がありますが、ラクビーはそれほどでもありま
せんでした。しかし、今大会は、私が抱いていた球技の概念を吹き飛ばしてしまいました。
たとえば野球を考えてみましょう。野球ではピッチャーとキャッチャーとバッターの三者の間で
交わされる駆け引きの緊張状態にありますが、他の選手にはあまり動きはありません。
私の感覚では、野球は全体としては「動」よりも「静」の場面の方が多い「間」のスポーツです。
バッターが打てば一気に動きがでますが、それもまた事態が一段落すると、また「間」の状態に
戻ります。
もちろん、この「間」がもたらす緊張感こそが野球の面白さでもあります。
ラクビーと同様に広いフィールドで駆け回る「動」のスポーツ、サッカーはどうでしょうか。
今回、ラクビーの試合を見るまで私はサッカー・ファンで、特に国際試合は結構観てきました。
サッカーにはサッカーの面白さがあり、それはスピード、戦略、パスやドリブル、シュート・テ
ク
ニックなどの組み合わせです。
サッカーは遠くからでもボールを蹴ってゴールに入れることで得点できますが、ラクビーは、ペ
ナルティ・キックやドロップ・キック、コンセッション・キックによる得点もありますが、なん
といっても醍醐味は、選手が自分でボールをゴールに運ぶ、トライです。
トライを目指して何回も、あるいは何十回も肉体と肉体の激突を繰り返します。もちろんサッカ
ーにも肉体と肉体との接触や激しさはありますが、ラクビーのタックルや正面や背後からの激突
はありません。
ラクビーは、人間が自分の肉体を武器に思い切り相手とぶつかり合い、タックルで倒すなど、肉
弾戦がもたらす野性的な魅力に満ちたスポーツです。
この激突を観て、「やわ」になった現代人の心が揺さぶられるのです。
それに比べるとサッカーは、オシャレで、お行儀の良い繊細なスポーツという感じがします。
第三は、ラクビーというスポーツがもつ、人種や国籍を超えて選手がチームを構成し、一つにな
るこれまでのスポーツで日本代表を構成するのは、ほぼ“日本人”だけでしたが、ラクビーは、
日本で3年間以上プレーしていれば、日本代表チームのメンバーになれます。
実際、今回の日本代表チームでいえば、31人中10人が「外国人」選手でした。こうした多様
な選手が”ONE TEAM" の理想を掲げて一つのチームとして戦うことに、多くの日本人は感動しま
した。
これまでは、国際試合といえば、「ニッポン」が強調され愛国主義(ナショナリズム)を高揚さ
せるイベントでしたが、ラクビーには、本当の意味で国際主義(インターナショナリズム)がそ
の精神に流れています。日本人は、今回の大会を通して、この精神を体験したのではないでしょ
うか。
第四は、ラクビーの根底に流れる「ノーサイド精神」で、試合が終われば敵味方なく相手を尊敬
し称える精神です。これは従来の日本のスポーツ界では、あまりなかったことでしたが、これを
目の当たりに見て多くの日本人は、感じるところがあったと思います。
私は、今回の試合を観ていて、ラクビーは、見かけの荒々しさとはちがって、フェア精神に満ち
たスポーツだと感じました。ラクビーにはたくさんの反則ルールがありますが、それは、徹底し
てズルをしない、相手を傷つけないという配慮から設けられています。
最後に、南アフリカ戦に触れないわけにはゆきません。
予選リーグでは四戦四勝という快挙で決勝トーナメントに進んだので、そこでも南アフリカを破
ってベスト4まではゆけるのではないか、との期待を持ちました。
反面、前回、日本に「歴史的勝利」を許した南アフリカ・チームは、二度と同じ過ちは犯さない
と、リベンジに燃えていました。
試合の前半の40分、負けてはいましたが得点は3対5で、まあ互角の戦いのように見えました。
しかし、私はこの時点で、かすかに不安を抱いていました。それは、日本のボール保持率が80
パーセントに達していたからです。(この点を高く評価する専門家もいました)
というのも、試合の前日、五郎丸氏はあるテレビ番組で、日本に勝つチャンスがあるとしたら、
前半は南アフリカにボールを持たせ、攻撃させることだと言っていたからです。
五郎丸氏は、ラクビーでは守るより攻撃する方がずっと体力を使うので、前半に南アフリカに攻
撃させれば、体は大きいけれど走るのは苦手な彼らは後半には疲れてしまい、日本にチャンスが
やってくる、と言っていたからです。
皮肉にも、長時間ボールを保持した日本チームは後半になると疲れが目立ち、故障者が続出しま
した。
逆に、南アフリカは後半には猛然と実力を発揮し、パワフルなモールとスクラムで日本を徹底的
に攻め、押しまくった状態から得点を重ねてゆきました。走ることも苦手ではなさそうでした。
今から思えば、南アフリカは前半は守備を重視し意図的に体力を温存して、逆に日本選手を疲れ
させる作戦を採っていたのかも知れません。
試合を総括して、今回大活躍した堀江は正直に「用意したことを全部出して相手を苦しめるとこ
ろまでいったけど、やっぱりレベルの違いが見えた」とコメントしました。そして、
南アフリカは日本チームの戦略を十分に研究しつくしていました。日本が快足の両翼に
回そうとすると、外の選手がダッシュし、パスコースに蓋をする。内側の選手が迷う場
面が多発。姫野やマフィらの突進力もこれでは半減する。タックルされながらのオフロ
ード・パスも警戒。日本選手の腕を抱えるなどしてボールの制御を奪う。これまではつ
ながっていたあと1本が届かなかった(注)
と振り返っています。
残念ですが、これが日本の実力であり現状なのです。
予選の4試合で、疲労と体へのダメージも蓄積していました。ジャージの下にはテーピングで補
強した選手も多く、痛み止めの注射でなんとか試合を続けた選手もいました。
250日間の合宿で、技術だけでなく、死ぬほど体を鍛えてもなお、パワーと持久力が足りなか
ったということです。
日本チームがさらなる上を目指すなら、瞬発力だけでなく、持続する体力を今以上強化する必要
があります。
最後に、私が一番印象に残った選手は、プレイヤー・オブ・ザ・マッチ(POM)に選ばれた南アフ
リカのスクラム・ハーフ、ファフ・デクラークでした。彼は身長170センチと小柄ながら、ボ
ールのの行く先には必ずいたし、タックルもうまく、後半にはトライも決めています。これから
の日本チームには、デクラークのような、本当の意味でオールラウンドの選手が是非、必要です。
こうした問題はありますが、今回の大会で、日本のラクビーは世界に通用することを実証した意
味は大きいし、次世代を担う若い選手に大きな自信を与え、貴重な遺産を残したと思います。
そして、私たちに、ラクビーという、もう一つのすばらしいスポーツ文化を与えてくれたことに心
から感謝します。
"ONE TEAM" を象徴する日本チームの円陣