私の場合、遍路の初めのころは札所のお寺に着くと本堂、大師堂で本尊、大師にお灯明、線香、納め札、お賽銭を上げ、亡くなった父母、義母、子などの顔を思い出しながら数珠を出して般若心経、御宝号をとなえるということをしていたが、動作に慣れず、どれかを抜かしてしまうという連続だった。
1回目の区切り打ちの時はある札所で納経長に御朱印を戴くのを忘れ、次の札所まで行って指摘され、御朱印貰いに戻ったこともあった。
回る札所も回を重ねるうち、お参りの手順にも慣れたが、その分機械的になり、一々故人の顔も思い出さなくなっていた。
札所に着くと、ホッとすると同時に次の札所のことを考えてしまう。
確かに、日常の雑念を考えている余裕は無いので、次の札所に行くことだけを目的に無心に歩いているという感じではある。
ハイビスカスがいたるところで咲いていた
ハイビスカスの並木
紫御殿
ガウラ
花生姜
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