『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ著、森北出版)から得るものは膨大だ。病気に関することも多いがきょうはその中で音に関することについて書いてみる。ぼくは小さなハープをもって治療の補助にしているのだけれども音の力をまだまだ過小評価しているようだ。また人の声の力についての認識もはなはだお粗末だったようだ。倍音声明の力の意味も理解されてくる。
「大自然は神のコトバである宇宙原音オームの具象化したものであるため、人間は特定のマントラまたは聖歌を唱えることによって、あらゆる自然現象を支配することができる」
「インド音楽は主観的、霊的、個人本位の芸術であってその目標とするところは(中略)、個人を霊的に神に同調させることである」
「人間は元来、自分自身が神の創造のコトバの現れであるので、音によって直接力強い影響を受けるのである」
→いつも聴いている音楽、いつも発している言葉、聞いている言葉・・・。それらの音、コトバ(バイブレーション)の力を私たちは過小評価しているのかもしれない。BGMの選択にはよりいっそうの注意が必要のようだ。
「初めにコトバがあった。コトバは神とともにあった。コトバは神であった」(ヨハネによる福音書1章1節)とあるようにすべての存在は偏在する創造神がバイブレーション(振動)(コトバ)によって作ったものだと解釈すれば、バイブレーションの力の恐ろしさが分かってくる。
「“ありがとうございます”で運勢が良くなるなんてそんなわけがない」と思っていても、“ありがとうございます”と言っていればバイブレーションの海の中に浸っている我々の周りのバイブレーションが変わってくるのだろう。
この本には注釈がたくさんついているのだがそれがまた理解を格段に深めてくれる。その注釈の一つにヨガナンダが実の妹がガリガリに痩せていて嫁に行っても夫が近寄ってくれないので兄のヨガナンダみたいにがっしりした体にして欲しいと懇願された時、ヨガナンダが心から哀れんで「お前のからだは神の祝福によってきょうからめきめき変わってゆく。そして一ヵ月後にはわたしと同じ目方になる!」と心の底から言った時、それは事実となり一ヶ月すると妹は肉付きが良くなり見違えるように女性としての魅力を増したので彼女の夫が深く彼女を愛するようになったという。
注釈には「ヒンズーの聖典は常に真理のみを語る者には自分の言葉を物質化する能力が備わってくる、と説いている。そのような人が心の底から発する命令は現実となって現われるのである」(ヨガ・スートラ2章36節)とあった。
言葉、ことば、コトバ・・・。深く考えてから口にするように自分を戒めたい。
「大自然は神のコトバである宇宙原音オームの具象化したものであるため、人間は特定のマントラまたは聖歌を唱えることによって、あらゆる自然現象を支配することができる」
「インド音楽は主観的、霊的、個人本位の芸術であってその目標とするところは(中略)、個人を霊的に神に同調させることである」
「人間は元来、自分自身が神の創造のコトバの現れであるので、音によって直接力強い影響を受けるのである」
→いつも聴いている音楽、いつも発している言葉、聞いている言葉・・・。それらの音、コトバ(バイブレーション)の力を私たちは過小評価しているのかもしれない。BGMの選択にはよりいっそうの注意が必要のようだ。
「初めにコトバがあった。コトバは神とともにあった。コトバは神であった」(ヨハネによる福音書1章1節)とあるようにすべての存在は偏在する創造神がバイブレーション(振動)(コトバ)によって作ったものだと解釈すれば、バイブレーションの力の恐ろしさが分かってくる。
「“ありがとうございます”で運勢が良くなるなんてそんなわけがない」と思っていても、“ありがとうございます”と言っていればバイブレーションの海の中に浸っている我々の周りのバイブレーションが変わってくるのだろう。
この本には注釈がたくさんついているのだがそれがまた理解を格段に深めてくれる。その注釈の一つにヨガナンダが実の妹がガリガリに痩せていて嫁に行っても夫が近寄ってくれないので兄のヨガナンダみたいにがっしりした体にして欲しいと懇願された時、ヨガナンダが心から哀れんで「お前のからだは神の祝福によってきょうからめきめき変わってゆく。そして一ヵ月後にはわたしと同じ目方になる!」と心の底から言った時、それは事実となり一ヶ月すると妹は肉付きが良くなり見違えるように女性としての魅力を増したので彼女の夫が深く彼女を愛するようになったという。
注釈には「ヒンズーの聖典は常に真理のみを語る者には自分の言葉を物質化する能力が備わってくる、と説いている。そのような人が心の底から発する命令は現実となって現われるのである」(ヨガ・スートラ2章36節)とあった。
言葉、ことば、コトバ・・・。深く考えてから口にするように自分を戒めたい。
きょうは『人間の永遠の探求』も買って来ました。何度も読み返して自分の地と肉にしていきたいと思っています。
ハープの音がいまだ残っていますか・・・それは有り難いことですね。
自分が本当に信じていること、願っていることだけを口にするって、実はものすごく難しいし、責任の重いことですよね。私たちが発する音って、一瞬にして消えてしまうようでいて、一度この世の空気を動かしたら、永遠に振動し続けるものではないでしょうか。
聡哲さんのハープの響きは、今でも時々私の心の中で、静かにこだましています・・・