友、遠方より来る。また楽しからずや。
きのうは長崎の友人が上京の途中で訪ねに来てくれたので、タイ料理を食べに自由が丘の街に出た。
彼はずっと食の研究をしてきたんだけど、昨日の会話で彼は「最近思うんだけど何を食べるか?よりも誰と食べるか?の方がもっと重要な気がしてきた」と言った。
理系の研究者としてカルシウムやら〇〇やらと食品に含まれるもや食材そのものを摂取したらヒトの体はどうなるか、といったことをずっと研究してきた彼が、物質として食材を見る視点から食べる時の思いに目を向けていると聞いたとき、なんだか我が意を得たりと嬉しくなったな。
最近思うのは玄米菜食、マクロビオティック、ゲルソン療法、済陽式食事療法などなどいわゆる「がんの食事療法」がたくさんありすぎて、患者さんは迷っちゃうなぁということなんだよね。それぞれに理論があって結果も出していると思うんだけど、それで治らない人もいるだろう。体質の問題もあるだろうしね。だからすべてのがん患者さんに効く唯一正しい食事療法がある、とは僕はいまは考えていない。
それよりも上述の彼が言った「誰と食べるか」といった「食べることをコミュニケーションをとること」と捉えて、その時の気持ちのほうが「何を食べるか、どんなものを食べるか、どんな方法で食べるか」よりも治療効果というか身体に影響を与えると思う。
エドガー・ケイシーも食事をとるときには「怒っているとき、悲しんでいるときは食べない」「楽しい気持ちで頂く」とリーディングで言っているように、食事をする時の気持ちがとても重要なのだろう。
上述の彼は「誰と」と言っていたけど、別にこれは必ず他の誰かと食べないといけない、というわけではないと思う。要は独りで食べてても「楽しく」「気分爽快に」食事ができればいいと思うんだ。ただどうしても一人で食べる孤食では寂しいし食事を単に栄養を取るやっつけ仕事のようにしがちなんだけどね(自分がそうだ(笑))。
食事は人との濃密なオーラの接触なんだね。だから男女が一緒にご飯を食べることは親しくなる大きなきっかけになる。実際、好きな人とのご飯は楽しいし嫌いな人とはご飯はもう勘弁、だよね。
だから食事の時の気分がとっても大事ってことかな。となると「これは食べたくないなぁ、まずいよなぁ…。」と思って無理して食べている玄米は本当に身体のためになっているんだろうか?と思ってしまう。
「辛い思いをして病気になったのだから、治すときは修行のように辛い思いをして食事制限して治すのは違う」というのが僕の考えで、患者さんに話していること。がんの患者学研究所の川竹さんは閾値という概念で「そうじゃない」と言っているけれども、これはどちらが正しいということではなくて考え方の違いということだと思っている。どちらを選択するか、だね。
脱線してしまった。
病気を治すには食事が大事。それも食事の内容よりもその時の気持ち。となると美味しく楽しく食事をするには一緒にいる人との良好な人間関係が必要。となると家族との関係をよりよくすることが病気治しに直結するんだね。