参道

2014-08-31 21:11:10 | 日記

 この寺に入るための参道、木のトンネルのようになればいいと思い、木を植え伸ばしてきたんだ。それがいよいよ車が通るには邪魔になってきたのだ。それで、ちょっと手入れをはじめた。紫陽花はここの土地によく馴染むのだろう(この参道はとくに日当りが悪く、山陰だから湿地)雪に少々やられても、横に広がりそれで道路の方にもだいぶはみだしているものもいる。これらを切っていると、なんともさもさだったことかと思うのだった。

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介護のこと

2014-08-30 21:29:12 | 日記

 連れ合いの母さんがいよいよ本人では、トイレも食べることも難しくなってきた。尿からタンパクがでるから、それを押さえるためにステロイド剤を使い始めてから、すっかり変わってしまったのだ。ステロイド剤を使わなければとうぜんのことながら命を縮めることになる。ステロイド剤を使うことでアタマはぼやける。薬で身体は保たれているのだということを間近に経験させていただいている。で、連れ合いは腰が悪くなり、いままでのように母さんを思うように介護できなくなったのだ。本人はすでにおむつをしているが、どうしてもおむつのなかでしたがらない。それで夜中だろうがなんだろうが、起こす。ベッドのそばにあるポータブルトイレに向きを変えて、坐らせ脱がせてという一連のなかで本人が立っていられなくなってきているのだ。夜中に起こされて、一連のことをすませてふとんのなかに戻ってもすぐ眠れるものではない。そんなことを遅まきながら経験した。これは、これからどうなるのだろうかと、ある暗澹たる思いを抱かせるに十分である。こんなことが、何年も続きそれに加えて、グチや悪言をばらまかれたりしようものなら、知らぬまに手をかけて大きな事件を起こしてしまうことも、容易に想像できるような気がした。

 これは、このことは母さんたちの問題だけではなく、やがてくるであろうこの身のことである。ほんにこれからは死ぬということを、自らの死に方、具体的なありようとして各自が思い描き、そうはならない対策を思案しなければならない時代に入ったんだと、あらためて強く感じた。

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白菜の定植

2014-08-29 20:06:24 | 日記

 100個の白菜を、と思って110本を畝に植えた。こんなものかんたんと思いきや、毎年のことなれどこちとらすぐ忘れてしまっているようで、結局1日かかってしまった。植え穴を掘って苗を植えるだけなのにこれがどっこい手間がかかる。肥料のボカシを入れて、最後は畝全体をネットで覆う。幸い曇り空だから、仕事はやりやすいかったなぁ。

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白菜

2014-08-28 21:43:29 | 日記

 お盆に行く前に種まきをした白菜、もう定植である。今日は草を刈って耕耘して畝を立てるところまで。昨日まで雨が降っていたから、少し粘土気味になっているが耕耘して畝を立ててやらないと、あとあと困ることになる。

 このところ写真が撮れてないが、境内は高砂百合が今花盛りで、遠くからでもよく目立つ。夜にはすっかり虫の声が、半袖一枚では涼しくなってきた。秋を迎えています。うん、そういえば萩も満開だなぁ。

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古事記のこと

2014-08-27 20:56:43 | 日記

 仲間と古事記を読んでいる。神話とはなにかとか、国家形成とか。または古事記そのものの背景とか、そんなようなことばかりが気になって読んでいたらしいのだ。相変わらずもちろんその意味や背景は読み込んでいるつもりなれど、あまりそのことよりも何かその訳解らないなりの何か、強いて言えば古事記本文からただよってくる力強さがなんともいいのだ。

 それと、自分でも思いもしなかったが、先日の長崎での盆行体験150軒ものお宅に訪問してつくづくおもうことは、こちらの好き嫌い、イイワルイを飛び越えて、みなさんそれぞれ自分というものを懸命に生きておられるということだけは、毛穴からしみ込むようにしてわからせていただいているようである。そのなかで3世代同居のみなしてお参りされているお家の風景がじつにいい。そこでおもうことは現在の我が夫婦でさえも、安泰に暮らすことができるのはそう簡単なことではない。まして3世代もそれを続けることができるということは、すごいことではないかと。そこから類推するには少し無理が生じるけれど、このへんのところからしか実際のありようを思い描くことはできないでいるんだ。つまり国というものを作り上げるということのすさまじさは、やはり並大抵のことではないなぁと。

 すると、とたんにこの古事記なるものの何とも言えぬスケールの大きさを感じたように思ったのだ。

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