白菜の定植

2015-08-31 21:10:14 | 書簡集

 白菜の定植である。定植は本葉が6枚になった時などと言うが、ポットのなかで毎日のようにナメクジにやられ、かなり葉っぱがやられたりしたんだ。それで一気に定植することに。白菜も大根とおなじく冬にはなくてはならぬものである。連れ合いがキムチ、塩漬け、そしてサラダにもするから、と、毎年100本も植えている。もうひとつ言えば、大根にしても白菜ももう市販のものは食べられないのだ。白菜などサラダで食べるときのシャリシャリ感、特有の甘さ、これがほとんど味わえないことにびっくりである。やはり米ぬかで作ったボカシ(肥料)の成果なんだ。どうぞ、冬を食べに来られたし。

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古典

2015-08-30 20:59:46 | 日記

 古文の会なるものがある。やはり古典を知らにゃなるまいてという会だ。先きごろようやく古事記を読み終えて万葉集を読もうとしている。基本的な素養がないから、歴史的な背景からいろんなこと学ばないとよく見えない。唐木順三という方の「無常」という本を読んでいる。学生時代に読んだのだろうが、中身はさっぱりおぼえていない。こんな下りがある。

 

 『「もののあはれ」はすぐれて日本的な言葉である。今日の我々も、この言葉の中にいる。政治や経済が、もののあはれから脱出することを計り、イデオロギイや口説や理論や組織に頼って、一時それで成功しているように外見では見えながら、なほ奥のほうでは、「あはれ」の感情から自由ではない。まして文芸においておやである。私はこれをマイナスとは思はない。『無常」は「あはれ」にもまして、今日の我々の体内になほ生きている。これもすぐれて日本的な心理、感情に違いないが、「あはれ」と違って、『無常」は今日では世界的な意味をもつ、またもちうる内容があると、私は思う。』

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高砂百合

2015-08-29 22:10:16 | 日記

 ここの境内に高砂百合が咲くようになってもう何年になるのだろうか。初めのうちは2、3本だったのだ。ところがどうだ、今では境内の芝生だけではなく、あちこちに飛び火するようにして増え続けている。7月の初め頃には芽を出す。それから2回は草刈りをするんだ。だからとうぜんのことながら、その芽を切ってしまえば花は咲かない。草刈りは毎年要注意しながらの作業なのだ。その甲斐があるのだろう。見事な増え方である。これを、ちょっと調べてみた。すると、百合の球根は毎年太って大きくなる。それと同時に花もたくさんの蕾を付け、花を咲かす。なれど、ある程度大きくなったら連作障害でその球根にウイルスが入って消えてしまうとある。これは生命体の自然なすがたなのかも。とおもうと人の姿、社会のありようを見る時、人もそうあるのかと思ってしまう。

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発光する虫

2015-08-28 20:23:51 | 日記

 以前から気になっていることがある。夕食後の歯磨きを外でする。星空を眺めたり、虫の声を聞いたりが日課になっている。もうずいぶんまえになるが、そうやって歯を磨いているとき3男も出てきて、一緒に星空を眺めていた。その時、草むらに発光するものがあり、蛍のような光なれど蛍ほど強くはないし、飛ばないし、草むらにじっとしているようすなのだ。それを見つけて彼があの光るものはなにかとこちらに問うた。問われて初めて、そうだよオレもこいつのことが気にはなってはいたけれど。そのまま、アタマの中でだけ?マークだけだったんだ。それで、「お前ちょっとその光るものつかんで玄関の明るいところまで持ってこい。」親の権限を最大に発揮して、自分がつかむのが怖いのだ。射されでもしたらかなわん。でもお前なら大丈夫とえらい勝手なオヤジである。で、その正体は黒い2㌢ほどの芋虫系の幼虫だった。ふーんなんだ、こんなやつかと、その時はそれで打ち切りになったのだ。その後この時期に発光していても、そうそう、あいつだよねとそこで思考は停止していた。

 ほんと人の考えること(ぼくのことだ)というのは、ほんと遅れているよね。今晩ようやくこれなんだっけと。疑問符がでてきた。それですこし調べてみた。日本には蛍の種類が51種類もあるということに、まずは驚く。そのなかにこれで間違い無しと確信して特定することはできていないが、草むら、湿気などの条件からヒメホタル(成虫は7月頃)の幼虫でなかろうかと、思った次第。ここまでくるのに15年ほどかかったことを思うと、われながら傑作なことである。

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ナメクジ

2015-08-27 21:22:25 | 日記

 白菜の苗がポットのなかで大きくなっている。人が作るものは野生のものと比べたらそりゃだんぜん過保護である。だからそのまま放置していたら、とんでもないことになる。つまり彼ら虫たちにすればとほうもなくやはらかくおいしいものなのだ。この白菜の苗も特別こしらえの台の上で育てている。お日様の力は必要だし、さりとて虫が入ったらたいへんだから、ネットできっちり保護している。それでも葉っぱを食べるものがいる。ナメクジである。昼間はむろんポットの下の方にひそんでいて、夜になると活動するのだろう。この被害ぞんがい大きいのである。それで毎日のようにネットをまくって調べるのだ。すると、必ずと言っていいほどナメクジが1、2匹はおるのだ。なんともね。

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