もんだい

2012-01-31 21:17:18 | 日記
 新聞を読んでいると、問題はつねに山積みで流れている。そのな
かで明らかにこれはこの国の構造的問題、欠陥ではないのかという
ものもある。この問題とはなにか、原理的にいってしまえば、この

ものをわたしと言い始めた時から、そのことが問題になっている。
つまりわたしが気にしていることそのものがすでに問題になってい
る。だから問題はつねに自らがつくっていくものでもある。

 目下のぼくの問題は、この文章である。いつも思っていることを
そのまま書けばよいと思っている。しかしながら実際に書き出すと
なにかおもねいたかんじがいつもつきまとっており、そのまま書い

ているという感触を味わったことがない。これって構造的に欠陥な
んやろうか、と思い出したらまことに急にもんだいになってきた。
 雪ともかく降るな、そして寒い。まだしばらくつづきそうである。



時は金なり

2012-01-30 22:03:46 | 日記
 このブログを読み返してみた。あまり読みたくないが正直なとこ
ろなれど、客観的に見たいと思って。どうもこんなもの書いていて
なんというか、生産性がないというのんか。ある一群からみればま

ことにのんきで優雅な暮らしだと写るだろうとおもった。本人とす
ればこれはこれで、せわしいというか、いそがしいのだ。今日も半
日雪作務だしね。けんど経済効率の悪さは、イヤハヤ状態である。

 時は金なりを最初に言った人物は、ウィリアム、ペティ(英国、
経済学者)1600年代、アイルランド社会を調査、分析して提言。
彼らはとても貧しいのにもかかわらず、向上心がない。だからお金

もうけの楽しみを知らないとダメということで、時は金なリを教え
たとか、アイルランドは今でも基本的にそうらしいが、土地が痩せ
ていて、ジャガイモしかできないとか、だけど着るもの、食べ物は

もちろんのこと、家も道具も手作りで一日4、5時間の仕事で後は
信仰心篤く村人との演奏や歌会を素朴で質素だけれど、その自給自
足の暮らしに満ち足りている。村人の誰もが貧しいから貧しさを知

らないということらしい。そう言う暮らしがいいよなとおもう。
だいたい今の時間感覚は、近代が作り上げた直線感覚だものね、何
年とか、地球にとっちゃまったく無意味だもの。ちょっと前の人間

たちは、直線ではなく円環としてあったから、ものの見方などそれ
こそいっぱいあるのだとおもうよな。

しゃぁーおなか

2012-01-29 20:23:36 | 日記
 一昨日からなんやらお腹の調子悪く、だいたいが消化器系が弱い。
昨夜などは夜中に起き出して個室にこもっていた。ほとんど水でし
ゃぁーとでる。いっぺんにすーっとでてくればすっきりなれど、寒

い中30分もうーっとやっていると、くたびれもするし反省もする。
何食べたかなと、人一倍卑しいのだろう。そのくせ弱いからすぐ反
応するのだ。今回は思い当たる節がない。次男は冷たい水なんかの

んだらすぐ特急状態になるからダメと言うが、ぼくは目覚めのいっ
ぱいがたのしみだし、何かと水を飲む。さすがに今朝は呑むきには
なれず熱い番茶をのむ。

 「ニーチェは考えた。現実世界とは、この自分が認識するありよ
うそのものだ。自分の認識においてのみ、その世界がそのような顔
でそこにある。つまり、世界とは自分のことなのだ。世界とは、と

りもなおさず人間自身のことなのだ。」(ニーチェ超入門)
しゃぁお腹をかかえたものの見る目というものがある。今日は雪を
見ようという元気もなく、ひたすらふとんのなかにもぐりこんで小

説よんでいた。これもまたひさしぶりでよかった。



百不当

2012-01-28 22:52:26 | 日記
 「今の一当は過去の百不当の力なり。百不当一老なり」(正法眼蔵)
弓矢に例えて示されている。今あたった矢は、過去の百、千、万、の
精進があったらばこそといわれる。そうだとおもう。いまというのは

いまぎりのいまでしかないが、このいまはたしかに昨日からつづいて
のものである。不連続の連続といわれる。そのありようはもうすでに
このオレをなんとかしようというよりも、生きる、人として生きると

いうありようそのものが、よりよく生きたいと湧いているもの。それ
はアスリートたちやアーティストたちならそれなりに評価もされ、注
目もされるだろう。けれどそんなことのひとつもないこのぼくだって

やっぱり、よりよく生きたいはとうぜんあるわけで。たとえば今日も
雪かきでえっさほっさやっていて、なんていうか筋肉が躍動するかん
じや昨日とはたしかに違う風景の入り方、うん、なんていうのんかも

っともっと出会いたいと身体の芯のほうで探しているものね。そんな
声にすなおにこたえることができたらいいなぁ。
 百不当一老なりということばがすてきだよね。あの野球のイチロー
も百不当一老だよな。


老いについて

2012-01-27 21:55:41 | 日記
 「頭(こうべ)白しとて このことによりてのみ 彼は長老たらず
彼の齢 よし熟したりとも これむなしく 老いたる人とのみ よば
れん」法句経。老ということはたいへんに尊ばれた。家老、老練、老

師のように人としての品とでもいうのか、この人なら安心という人格
者がいぜんなら居たのだと思う。尊敬ということばも遠くなってしま
ったけれど、そういう人がやはりいまでもまれにおる。そういう老に

憧れというものが自分の中にない。つまりばくぜんとではあれ、年を
重ねていることの実感がほとんどない。ガキであるということか。
 先日思わぬところでひさしぶりに会った人から、あなたいい顔にな

ったねといわれた。内心うれしくてニャットしていたのに違いない。
今朝、掃除の最中、鏡の前を通りかかりひょっと写った顔が老けた
おっさんの顔がありぎょっとした。あっ、あのときのいい顔になった

ね。というのはただあんたも老けたね、といったんだとはじめて了解
した。いやはやなんとも自分のつごういいようにしか解釈しないこの
輩、これむなしく老いたる人とのみよばれん、である。

 今日も昼から雪下ろしこれからこの作業つづきそうである。