夕方わが迷犬ハナと散歩をしていたら、イカリ草が花が開いていた。昨日もここを通っているはずで、気がつかないで歩いていたのか。いやぁそんなことはありません、というのとオレのことだから、そんなこともあるわいなぁというの、両方なのである。しかしここそこにいっぺんに咲いているようで、今日などもずいぶんぬくいからそれで開いたんだと思う。ともあれこのイカリ草という花もそうか、怒っているのかお前はというのと、花火のようにはじけているようすで、うーむ怒っているのかとじーっと見つめるのであった。今度カメラを持って来よう。
昨日は古事記の勉強会だった。以下のこういう記述はめずらしいことなのであえて書く。
仁徳天皇の下りで、この天皇がある時、高い山に登って四方の国を眺望して言うには、「見渡すかぎり、国の中に竃の煙の立つのが見えない。これは国に住む者がすべて貧しいからであろう。これから3年の間は、人民の租税や賦役をすべて免除することにしよう。」と言って自身が住むところに雨漏りがしたけれど、3年の間待って、また山に登って人々の家から煙の出ているのを確認してから、租税をかけたから人民は苦しむことはなかったとあった。
こう言うところ、古事記はえらい素直というか、御代の時代が悪いときははっきり悪いし、こんな風に変だという場合もそのままというか、率直なのである。その意味ではこの仁徳天皇の場合もそのままそうだろうと、認めざるをえないのである。
この辺が今とは大いに違うと言うか、」今の政権はともかくアメリカさんにどこまでも付いて行きます。というメッセージなんだ。そんなこととはつゆ知らず、なのである。
いいお天気が続いている。今日は苗箱を苗床に持って行った。3回目である。順調に進んでいる。昼から畑を耕耘。紫木蓮や黄木蓮そして桜が散り始めて風にその花びらが舞っている。花が開いて美しいときはほんのしばらくのことである。すぐ茶色に変化し花びらが落ち、新しい葉が出て新しくまたはじめるのであろうそう木は言うているようである。
こんな春爛漫などという言葉を使うとは思わなかったな。なんだかねそれほどに、一挙に花たちが一斉に開いている感がある。それと新緑も始まっているのだ。ほんとに毎年毎年違うのだ。とはそうなのであるけれど、ちょっと今年のこれはへんである。いい風にあればそれに越したことはないが、天候が不順だということはすべてに影響してくることだから。こちらもせめてこころの準備だけはしておかなくては、と神妙に思うのです。