夏の暑い間は庫裡の長い廊下が、我輩の書斎に早替りする。先日なにやら廊下の隅で柔らかな音で、ぱたぱたとする。見れば最近道路の水たまりなどで出会う黒アゲハ蝶だ。これはやった!とばかりカメラを取りに、台所にいた人もよんで。にわか鑑賞会。その大きさ優美さ。カメラでは逆光でちょっと見えづらいが、その細かい模様が実に見事である。遼雲いわく、こういう自然の持っている美しさはすごいよね。と、なんというのだろう有無を言わせぬ迫力がある。しばし暑さを忘れるひと時でした。
「祈る」
コロナウイルスの勢いが止まりません。アメリカでまだ感染者が増え続け、南米やインド、アフリカなどでこれからどれだけ増え続けるのかと、心配されています。
自粛を強いられたことで世界経済も停滞。人そのものが商品であり、労働力であり、消費するものであったということをあらためて示してくれました。そんななかで、会社が倒産した、解雇されたという方がいる一方で久しぶりに家族とゆっくり過ごすことができた。ゆったり落ち着いて自身と向き合うことができたという方も少なからずいたようです。
それでもやはりコロナは怖いと、この能登からは感染者が一人も出ていないのにもかかわらず、今も厳重に手洗いをして自粛生活をしている方の言葉が印象的でした。「夫を見送って一人暮らしのせいでしょうか、これまではなんの気にも留めていなかった日常、スーパーに買い物に行くのも厳重で、帰ってからも消毒を徹底。車で一時間余りのところの街に住んでいる息子夫婦が心配して来るというのも断って、閉じこもるようにして三カ月家に籠っていました。今日は久しぶりにこの集いに出て、皆さんにお目にかかってほっとしていますが、心はまだパニック状態でドキドキしているようです」と。
古来、人は疫病とともに暮らしてきました。その疫病は古今東西を問わず、たんなる禍いではなく悪霊の祟りとして恐れられ、この島国でも奈良時代に聖武天皇が発願して東大寺に大仏を建立したのは有名なはなしです。この時は天然痘が蔓延して多くの人が亡くなりパニック状態に陥ったことは、今回のことでも十分想像ができます。その金色に輝く大仏ができた時、多くの人々は手を合わせてひたすら祈り、そこに救いと癒しを求めたことでしょう。
今のわれらは、この疫病を禍いとは思っていますが、悪霊の祟りであるとは思っていません。それは知識としてコロナウイルスであると知っているからです。この知識は科学の力で、近代以後この科学の力で医療体制から教育制度もすっかり変わってしまいました。それは社会のあり方そのものが、産業社会の変遷とともに政治体制も大きく変わりました。それはこれまで差別されてきた知能や身体に障害がある人や人種、性別や階級などで光が十分に当たらなかった人たちにも、わずかながらでも改善されつつあることは、この現代社会を享受しているものにとって喜びです。
しかしながら、今のわれらが置き忘れてきてしまったものがあります。宮沢賢治が「今や宗教は科学によって置換され」と言ってから九十年ほどが経ってしまいました。ここで賢治が言いたい「宗教」とは、今のわれらが抱いてしまっている宗派的宗教のことではない。このもののことをわたしと呼んでいる、これは自然そのもの、いのちそのものです。この自然というところから眺めると、この人族もウイルスもともに共存共栄してきた仲間に違いありません。
われらの多くが持ち合わせている知見ではコロナウイルスに抗体するワクチンが開発されてようやくコロナ禍から解放されるのではないか、と。けれど、生物学者の福岡伸一は、昨年のインフルエンザで感染した人が、この国でも一千万人、その関連で亡くなった人が一万人だと。そのうえでこのウイルスがいつか新型ウイルスでなくなり、常在的な風邪ウイルスと化すだろう、だから無駄な抵抗はやめよと。
わたしが山の生活をするようになってそれまでの街中の生活では見えなかったことが、この山暮らしで具体的なこととして感じたことがあります。それは山で田畑を耕し山の木を伐るという暮らしが、この山にとっては破壊者であるということです。
こういうふうに思ったきっかけは、友から乗馬用の馬を一頭譲りうけたことです。その馬一頭を飼うのに、一年間分の食料と小屋、放牧する場所を確保するのにどれくらいの手間と負担がかかるかを、実感した時そういうことを言うわたしはと、わたし自身のありようがかえって問われたのです。わたし自身は躍動感に溢れて充実した思いでいるものの、それはこの山自身にすれば破壊者の最たるものなのではないかと、思ったのでした。
紀元0年の世界人口は三億人だそうです。産業革命以前の千八百年では十億人、千九百年で十六億人、現在二千二十年は七十四億人らしいですから、わずか百二十年で六十億人もこの地球は人を養っていることになります。それが山も川も海もプラスチックなどのゴミで溢れ、この地球上の他の生物にとっては凶悪な破壊者であるのが、われら人族らしいのです。スウェーデンの高校生グレタさんが「私たちの未来を奪うな」とはまことにそうですが、耳が痛いばかりでこのわたしの生活を変えることまでできないでいるのがわれらです。
われらは、このコロナにしても地球環境のことも大切な大きな禍いと知りつつも、同時にどこかよそ事、誰かがなんとかやってくれるだろう。科学の力でワクチンが開発され、環境問題も誰かが新しい方法を見出してくれるだろうと、済ましているのではないか。事実として専門の方達の奮闘をねがうばかりなれど、そこで大切なことを忘れているのではないか。わたしがこのすべてのものとともにこの地球を生きている。そのわたしをないがしろにおのずとしているのではないか。
ではわれらはいったいどうすればいいのだろうか。それは祈ることである。もちろんそれは免罪符としてのそれではない。人は何万年も祈る暮らしを続けてきた。それは自然こそがわれらの絶対的なる親さまで、人の欲望のままに暴走することを、祈ることでその都度立ち止らせてきたのだ。いま七十四億の民が一斉に手を合わせて、祈りの姿勢を示せば、現在この世界を被っているあらゆる困難な問題が、一瞬にして解決に導きだされるだろう。
しかしながら、隣に共にいる愛しい人ですら、このわれの思い、意志では1ミリも動かすことはできない。動かすことができないものとしておかれてあるが、このもののことをわれと呼ぶものとしてこの世にすべてのものとともに、ここにつかわされているということは、すでに願いがこのわれにも課せられているということであり、わたしがそう思っても思わなくとも、このわたしはすべてとひとつらなりのものとしておかれていることが、祈りの姿である。
けれど、日々のこのわたしはこのわれの思いにだけ振り回されており、損か得か好きか嫌いか高いか安いかだけの思いに安住している。そしてまた古来より必死に求めてきた。食べ物、異性、道具、お金などといまその多くを手に入れて満たしてきた現代人である。思いの欲望に満たせてきたつもりが、かえって根源的にわたし自身を満たせてない疼きが、この身の底にあることも、感じている。
人は、そう思っても思わなくともひとつらなりのいのちを生きているものであったと、自覚する時、同時にそうではないどこまでも自分中心のことしか考えることができないものであるということも自覚することになる。この身が自然そのものでありながら、思いは我欲のままであることが、むかしから祈りへと向かわせてきたのだ。
そうやって人は古来より、けんめいに祈りを捧げてきた。何万年とこの身で呈してきたものが、わずかここ二百年の科学的知見などで祈りを、手放してしまったのだ。その原因は、いろいろ思い巡らすことができるが、いまそのことの詮索よりもともあれ手を合わす。
それはどこかの金色に手を合わすことではない。朝目覚めた布団の上で、静かにこの身で手を合わす。そのおごそかさをこの身で示すことで、われの暮らしの中心線が、心棒がおのずと整う。 2020年7月7日
今日は海日和でした。朝の間、3時間近く村総出の草刈りでした。もう朝早くからお陽様ギンギンに照りつけ、海に行くまでにのぼせそうなくらい。けんど、海に着いてすぐザッバンと飛び込んで、しばらく海中浮遊を、小さな魚がたくさん泳いでいて、その群れを追いかけるようにして、浮遊しているこのきぶん。身体が冷えていき、まったりと雑音のない世界にしばらくたたずんでいるだけで、しあわせ気分だった。息子たちや弟夫妻もそれに迷犬のアキくんも海初挑戦で、それぞれたのしんでおりました。息子たちは小さな頃からこの岩場でアワビや岩牡蠣を取りまくっていたので、少なくなったとはいえ、夕餉に食べるには大ご馳走で、ビールともどもそれら海のものたちひとの胃袋へと、流れていくのでした。
今日昼過ぎに門前で鍼灸院をやっている友が、自前の最新通信を持ってきた。そこから。
「能登の、冬のモノクロームの空が、一面まっ青なそれに変わり、陽がさんさんと注いでくれる度に、太陽のありがたさが身に沁みる。内に籠って寒く凍えるのに耐えてきた身は、一年の早春の温もり、晴れやかさが、嬉しいと声を上げていく。
能登の冬は、じっと耐えて待つことも必要であることを教えてくれる。天命を信じて、待っていれば、自ずから天地の理が、私たちの一人ひとりの素材に応じて生活させてくれるように思う。
人間以外の生き物は、そういう自然や天地の理を分かっているのに、何故か私たち人間だけが、それに抗って、もがき、苦しむようなことをしてしまう。老若男女どんな人も、他と比べ合いをしなければ、それなりに平安な人生が展開していく。私たちは、必ず老いて、病んで、死んでいく。そんな現実から逃れるように、健康や長生きだけを目標とする人生観は、却って健康的な生活から遠のくような気がする。」
今日は年末恒例の糀造り。朝から6斗のお米を蒸篭で蒸して、順次糀菌を混ぜて、3日ほどかけて発酵、糀を作るんだ。4連の竃に30もの蒸篭がのっかって、そう見事です。ここでも古代からの知恵、糀を見つけてお米にそれを移す技術を何千年もかけて培ってきたのでしょう。そう、ここでも最初はなかなか本通りにはなかなかいかず、いろいろと試行錯誤していまがある。で、今はもののみごとに手順をこなして無事、糀を作っているのだ。この糀ここでは味噌がもちろんメインだけれど、どぶろくや漬け物に使われるのだ。ところで昨夜半から雪降り続け、今朝昨日に続いて除雪車が。けっきょく5、60㌢ぐらいは積もったのかなぁと、思っていたら、夕方には雨に変っていた。これも温暖化現象の一コマですね。