能登あすなろ通信

2020-11-30 20:14:04 | 日記

 いよいよ本格的に寒くなってきた。そんな中あすなろ通信最新号が届いたのでそこから転載。

 (中略)何十年もの間、何秒、何分、何時間と小刻みに生活していた都会から、能登に住み始めて、数ヶ月経った頃、時間がゆっくりと進んでいることに驚いた。あれから五年経って、さらにもっとゆっくりと進んでいる日々を意識する。テレビがない、ラジオは電波の関係で夕方以降は聞こえない。自然と床に就くのが早くなり、朝の目覚めも早くなっていく。 

 毎日、様々な社会の状況、情報が溢れる。が、何よりも大切なのは、こころの内に潜んでいる、その微かな、真の声。その声が、状況や情報を、易しく、力強さとなって創り変えていくように思う。

 

いちまいの

落ち葉

今日という日の

空模様

その下での

ぼくが 会った

黒島(地名) 

三者怪談

 


三内丸山遺跡

2020-11-27 20:14:03 | 日記

 先日仲間たちと青森の三内丸山遺跡(縄文時代中期今から5900〜4200年前)などを中心に見学に行ってきた。こちらにとってはほぼ20年ぶりに思いがかなったのだ。東京から新幹線で出向いたので、前日上野の国立博物館で予習をして出向いた。そのせいでもあろうか、やはり現場の力というものを強く感じたことでした。約2300年ほど集落として続いたらしく500人規模ぐらいかとのこと。周知のように2300年とは弥生時代から現代までを計算しても長い時間である。とはいうものの、時間の観念が全く現在とは比べることができないので、この数字は詮無いことなれど、だがひとくちに2000年とはいうもののすごい時間なのである。国立博物館で土器群の流れを見た。その土器のかたち、火焔土器であろうが小さな器であろうが、何かとても美しいのだ。もっと言えばいい形に思えるのだ。それは土器そのものが生活用具であれ祭儀道具であれ、人が実際に作り使ってきたということなのだろう。美しさやいい形として感じるということそのものが、彼らと如実につながっていることをじっかんした瞬間だった。そのありようがこちらにひらめいた時、今の我ら自我だけを肥大させてしまったものは、いつも自分中心にしか思い巡らすことができないが、彼ら縄文人はきっと相手、他者をいつも感じて暮らしていたであろうことも想像して改めて文明社会とはなんなのか、自分というあり方はなんなのかということをかんじた。


絨毯

2020-11-16 20:29:08 | 日記

 ここらの雑木の王者、楢の木が黄色くなってピークに近づいている。そのせいだろう山道の方に行く道路の上は、絨毯化している。そのがさこその上を歩くとどこぞのレッドカーペットなんぞより素敵だ。迷犬と散歩するにはちょっと勿体無いくらい。なんだかね上品になったような感じがするね、うれしいのだ。

 さてなにやら連日忙しくやっている。参道道路脇の崖に蔓性の藤やらアケビなどがはびこっていたり、潅木が大きくなりすぎで、そこを整理。今日午前中は来春薫炭用の籾殻を近くの農家まで貰い受けに。昼からこちら免許の高齢者講習制度の受講に、目の検査、講習や実技なのですが。係りの方が40代の女性の方が、実技から講習まで一人で3人を受け持ってしている。目の検査に不安を抱えていたのですが、なんとかクリアライン。終わってなんとも気落ちするのは、その講師の方がわれわれを年寄り扱いで、大丈夫ですかを連発。口調も病院などの年寄り対策モードなどと同じで丁寧なのか馬鹿にしているのか、判別しにくい。なるほどこうやって世の習いとして、年寄りとして飼い慣らしていくその態度が気に触るのだ。もちろん彼女自身の問題というよりも、社会のありようが個人を大切にしているようで、ちっともそうではないわけで。なんて言うのだろうか、誤解されたら困るからもう少し言いますが、こちら年寄り扱いされたことに怒っているわけではない。相応に70であることをわきまえているつもりなのだ。あの優しさが妙に腹立たしいのだが、これって年寄り扱いされたことに抵抗しているだけのことなのか ?


日々

2020-11-10 20:06:51 | 日記

 日々好日とは言うものの、毎日を暮らすと言うことは、本人が思っている以上に力がいる。それは3度の食事、片付けや掃除、そして生業のことお金のことなど何気なく暮らしてはいるものの、日々のことだからおろそかにしていいはずがない。このひと時が自分というものを作っているからだ。さらに突っ込んでいえば、信頼できる人、先生と心のうちで思っている方を持っているものは、幸せ者である。その当の先生の人格云々のもんだいではなく、そう思っていることそのことが大きな救いとなっている。それと同じようなことながら、自分にとって帰る場所、それは聖地であれ、故郷であれそんな場を持ち得ていることも、嘆くことや悲しさに唐突に襲われようと、このわたしじしんに立ち返らせてくれるだろうとおもわれる。


正しさについて

2020-11-08 21:21:18 | 日記

 アメリカ大統領選挙のニュースで持ちきりである。トランプさんのような人が出てきたということがさすがアメリカ的というか。そのトランプファンの人たちの声を聞いていると、トランプはわれらの本音、これまで言えなかったことを言うてくれたと言うものがたくさんあった。それを聞いて妙にハイと思ったのである。しかしながらトランプ本人が相手を攻撃することのいやらしさ、ひどさもそうならそのファンの人たちも、自分たちの正しさを言い募り相手を許せないほどに罵倒する。それはある意味バイデン陣営の方も同じで自らの正しさを主張するのみである。これが民主主義の国の大統領選挙かと思うと。随分寒いお話だ。正しいことを言うときは、例え相手がどれほど違っていても、自分の聡さをひけらかす事ではなく、逆にそう言うことが言えるものであることかと、考えるものでありたいものと。今回の選挙で教えてもらった感じだ。