アオサギ

2016-09-30 21:04:23 | 日記

 たぶんそいつがひんぱんに、姿を見せるようになったのは、田の水を引いた頃だったろう。だから夏に入ったころである。

身体がやや小振りだから今年生まれたやつなのだろう。田んぼの中ではライバルが多すぎて、ついに新天地をもとめてでも来たのだ。

近ごろではほとんど毎日いる。前の畑や境内でのんびりと蛙やみみずでもついばんでいるに違いない。なんだか、あの大きさの鳥が境内などで、じっと構えている風景も独特のものがある。


演奏会

2016-09-29 21:08:09 | 日記

 午前中客人と話していたら、隣の家にも来客が。その方、ピアニストとか。それで、雨降りだからと、急に演奏会をしょうということになったらしい。正直なところ、ちょっと面倒くさいなぁの思いが先に立ってしまっていた。ここでは色んな方が来られるから、今年になってからでも、ギターの弾き語りなどはいつもで。サックス吹きの青年。沖縄三線と歌。で、ピアノ。電子ピアノでした。とこれを見たときから、中途で抜け出せるかなぁとアタマよぎるオレ。そんなんだったんだ。けんど、ほんと自分の思い込みなんてけちくさいのだ。

 よかった。彼は京都北嵯峨在住。週に3日は清滝まで行って、滝行しているとか。こう書くとなにか、ごっついかんじを持たれるかもしれないなぁ。そんなかんじではまったくなく。すなおに謙虚なお人柄。演奏おわりて、お茶をともにしてお話を聞いたこともあって、なんだかね。こういう方がまだおられることに、妙に安堵。そしてこの演奏がいいなぁと率直にいえば、彼云く。自分のプレイをどうやと聞かせるよりも、聞く、聞かれるというかんけいじゃなくなにかそこで共有できたらいいなと。その姿勢がすごいなぁと思ったのでした。


金木犀

2016-09-28 22:07:31 | 日記

 毎朝、坐禅、読経、掃除後に本堂で扉を開けて、朝の空気を吸っている。で、昨日気がついたのだ。あれ、金木犀の香り、と思ったのだ。おそらく昨日も香っていたのだろうが、昨日は風向きがこちらに向いていなかったのだろう。いや、なんだかね香りって全身に響くもので、あー金木犀だぁ。と記憶のふたが唐突に開かれるかんじがうれしいのだ。

 そう、今日も夕餉を共にした客人が来ていた。その方は、東京在住の方、伯父さんが能都町にいるとかで来られている。4年前に横断歩行中に車に跳ねられて(8mも飛ばされたらし)、意識不明の重体に。結局脳挫傷で、医師からは治らないだろうと宣告されたのを、無理なリハビリをしてなんとか自力で暮せるほどに奇跡的に快復してる最中とか。なんとも色んなお話を語ってくれました。こちらがなんにも知らない世間知らずなものだから色んな方が来られて、生身で素晴らしいことを示してくださるようだ。


コンバイン

2016-09-26 20:43:45 | 日記

 なんだか連日来客があるようで、昨日は昼時に金沢からスクーターで。夕方には富山から唐突にマリオがきて泊まって行った。天気予報ではこの1週間も雨マークがついていた。なれど、雨降ったのは朝早くだけで、なにやら電源盤が風雪で朽ちたようになり、急遽取り替え工事を。今にも雨が降り出すかと思いながら、かなりあわててやったものの結局降らなかったのだ。それで、昼から雨降らない間にと、コンバインの点検整備をした。いよいよ稲刈りの準備である。


紫陽花

2016-09-25 21:31:18 | 日記

 ここはいつのまにか紫陽花寺になったようだ。紫陽花は梅雨の時に花が咲く。街中では、暑い盛りになるとその紫陽花の花の枯れた色が目立つから、剪定する。ここでも陽当たりのいいところのものはそうなのだが、だいたいは陽当たりの悪いところに紫陽花はある。それと、この地は雪深い。それで、梅などの木はすこし大きくなったかと思うと雪の重みで枝が折れる。だから梅の木が大きくなったものはない。ところが紫陽花は折れてもそこからまた枝を伸ばす。本堂の前の紫陽花など、屋根雪で毎年押しつぶれているのだ。それでだんだんと前へせり出すことになり、3mも前にせり出しているものもある。車の入る道路脇にも紫陽花は植えてあり、これらも毎年雪の重みで、道路にせり出す。ここはまた、お陽様が届かぬところ故、紫陽花が今も咲いていたり、ドライフラワー化している。そんなこともあって、つい剪定を見逃す。それゆえ車道が気がつくと狭くなっているのだ。とくに坂になっているところの100mがひどいのだ。上品にハサミでチョキチョキやっていることなどできなくて、もう鎌でいっきに刈り上げてしまっているのだ。