歎異抄 15

2017-02-28 09:47:52 | 仏教

 第9章原文ですが、ここも長いので半分にします。

 念仏まふしさふらへども踊躍歓喜のこころのおろそかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまひりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにてさふらふやらんとまふしいれてさふらひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円 房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふべきなり。よろこぶべきこころをおさへてよろこばせざるは煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおほせられたることなれば、他力の悲願はかくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。

 

 この章おもしろいところです。唯円がこれまで誰にもいえなかった心のうちのことを、親鸞さんにお尋ねしている。それほどに大事な念仏であるのに、じっさいに念仏しても、躍り上がるようなうれしさも歓びも、ちっとも湧いてこないのはどうしてなのでしょう。それに、この悩み多い娑婆なぞで暮らすより、浄土へ早く行けばよいものと思いますけれど、そんな気持ちが出て来ないのはどうしてなのでしょう。それに応えて親鸞さんは、おう、唯円もそうなのかじつはおれも前からそう思っていたんだ。これはあらためて、考えるに、天に踊り地に踊るほどのよろこびが湧いてこないのは、かえって往生はまちがいないと思っているんだ。よろこびが湧いてこないのは、煩悩のせいなんだ。このことを仏さまは知っておいでで、だからこそこの煩悩だらけのわたしを、そのままで救ってくだされている、絶対他力がはたらいているということの、明かしであり有り難いことですよね。と。

 これはこちらのことでいえば、毎朝冬の間なら暗いうちに起きて、暗がりのなかで夜明けを待つようにして坐っている。だれかほめてくれるようなことでもあったり、また自分でもなかなかいいかんじだわいなどと思っているのなら、そうはおもわないだろう。ところがだれもほめてくれないし、何十年と坐り込んでいても相変わらずボンクラはボンクラのままで、なにか坐ることが上手になったということもなく、加齢とともに膝やら腰がなどというしまつで、まったくしまらない。それまでしてなんで坐るのかと、自分にたずねてみてもなんだかね、わけわからない。しいていえば老師がともあれ坐りなさいと言われたことが、大きな機縁になっている。もうひとついえば、ここに意味も理由もことばさえも通じないこれは、どこまでいっても愚図りたい(意味や言葉を探している)これをこのままに、はいと言わしめている。そこはいいとか、いやなどと言えないところだとおもっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歎異抄 14

2017-02-27 11:06:28 | 仏教

 第8章原文です。

 念仏は行者のために非行非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆへに、行者のためには非行非善なりと云々。

 

 念仏はいわゆる修行ということを超えている。このことがそのとうじ比叡山や高雄の明恵上人から異議をとなえられることになる。が、ここでも何回かいうごとく念仏はわたしの思いを超えている。わがはからいにあらず、とはどう言えばいいのだろうか。如来よりたまわりたるということなれど、このことも理屈と言うか、道理を語ろうとしている。そうではなく、ありていにいえばわからないである。

 坐禅をする。朝の暗いうちから寒さにふるえながらである。これが、なにか修行をやっているような錯覚というか、向上していると言うか、立派になるとか、またはすがすがしくなるとか。なにか理由や意味がないとでき難いものが、あるように思ってしまう、が。妙なものでなんだかよくはわからない。ただそのまま、このなにもないまま、ただそこにあるというこれに、はいというだけである。

 先の第5章の父母の孝養のためとて、一遍にても念仏もうしたることはないと言っているところ。おれは最近そうは思っていない。先祖供養は大事だぜなどと言っている。(歎異抄 11)これははなはだ悪い例として、大切なその一点を混同してしまっている実例としてそのままおいておく。ぼくの言いたき先祖供養も大事なんだという言い草は、念仏にいたるまでの動機のもんだいとしてそんな親鸞さんのように、そこからそこにいけるものではない。親や婆さまのことを親しむおもいがつのって、はじめてすなおに念仏をもうすことができるのが、ふつうのことではないか、と言いたかったのだ。しかしながらそれは違う。念仏にいたるまでの動機、ご縁はそれぞれの入り方でしかない。そして多くは家のなかの雰囲気。あたりまえのように仏壇の前で、念仏をとなえている親などの後ろ姿に触れていることでこちらにも、伝わっているのである。それはそれでとてもたいせつなことではある。が、いまここのもんだいでそこを、一緒にしてしまうとだめだろう。そういうわたしの思い入れや情を超えて、ひとすじにつらぬいてそのままここにある、それが念仏ということである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歎異抄 13

2017-02-26 11:37:25 | 仏教

 第7章の原文です。

 念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆへなりと云々。

 

 暁烏敏は、念仏者の者は「は」と呼ぶ。ここでは記録者が「は」を重複して書いたのだろう。と、したがってここは、念仏はと読まれるもの。無碍とはさはりないこと、じゃま、妨害がないこと。

念仏は、なにものにもじゃまされないもの。ぜったいにここに開かれている道である。と。これはここまで1章から言われてきたことを、まとめて、総じて言われている。天神地祇とは天の神、地の神のこと。梵天、帝釈天、四天王。地祇は竜王などのことを。それらも敬伏し、悪魔のものたちや外道(仏教以外の宗教者や思想家)でさえも、障害を起こさないだろう。罪悪もその人の持ちたる業も善なるものも、いっさい通用しない。そういう人の思いを超えたところに、念仏があるからである。

 野間宏「歎異抄」講談社は、二河白道のはなしを親鸞さんの教行信証から引いて、説明している。ようは誰にでも開かれている、易行の(かんたんな)道であり、絶対の王道であるが、じっさいのわたしのもんだいとして考えると、その念仏の道は狭い一本の道。それは、道の右側は水が逆巻くところ、それは人の貪りや執着のこころをさし、左側は火が燃え盛る。それは怒りや憎しみをあらわす。

この二河白道はもともと中国浄土経をつくられた善導大姉(613〜681年)の経文のはなし。これをその後(平安時代)絵に描いて、その狭い一本の道がここにあることをさとしている。ちなみにこの白道、幅四、五寸と言われるからせいぜい15㌢ほど。距離は百歩と言われているから、5、60mぐらいだろうか。ふつうに歩くにもふらついてしまうが、片や水が荒れており、反対側は火が燃え盛っているとなれば、まっすぐ歩くことを、ためらわざるをえない。が、後ろからは盗賊や悪魔たちが来ており、白道のまえのほうから阿弥陀仏が「来れ」と。それほどに、このわたしのはなしになると、すなおにそのまま念仏することしか手がないゆえ、かえってそこに困難さをおもう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歎異抄 12

2017-02-25 09:35:54 | 仏教

 第6章の原文です。

  専修念仏のともがらの、わが弟子ひとの弟子といふ 相論のさふらふらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずさふらふ。そのゆへは、わがはからひにてひとに念仏をもふさせさふらはばこそ弟子にてもさふらはめ。弥陀の御もよほしにあづかって念仏のまふしさふらふひとを、わが弟子とまふすこと、きはめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきてひとにつれて念仏すれば往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信心を、わがものがほにとりかへさんとまふすにや。かへすがへすもあるべからざることなり。自然のことはりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。

 

 一心に念仏するしかなきわれら、それをわが弟子人の弟子などと言い合うことが、あるとか、もってのほかのことだぜ。念仏をわたしが教えた、弘めたというさまで申せるものではない。弥陀のちから、大いなるもののご縁をたまわりて申すことができるものを、わが弟子などということ、とりとめもないこと。如来よりたまわりたる信心。だいたいこれを自分の信心などといわれることやまして、わたしが信心をあたえたなどということ、なんというかんちがいであろうか。

 いまから800年ほど前に書かれたものなれど、ふつうに読める。ゆっくりと読んでいると、その息づかいまでも聞こえてくるようだ。この時期すでに道場を構えて、門人が増えていった。それくらい流行ったんだと思う。こういう事件が起こるのも、ある意味もっともなことだとも思う。この時代になるまで、ふつうの人々に仏法というものが届いてなかったんだと思う。時代の不安定さとともにある意味急激に広まったらしい。そののち一遍さんの踊り念仏がでてくる。これもこれで爆発的にヒットしたらしい。この時期よりもう200年ほど経って蓮如さんが登場する。そのときは、本願寺以外の派、道場の門流のところでは、仏陀から祖師方、そして親鸞さまの姿絵を図案化しわれの絵姿もそこに連ねて、正当のというのか、こちらこそが本家(元祖)だというのか、そういうものまでも流行って、信者の奪い合いがあったそうである。どこまでもわれら人の浅ましさを、知ることができる事例だと思う。もう一つの問題は、こういうことは本で読んだからとか、今流行っているから自分でも言ってみた。などでは、称名することはできない。かならず人から人へと口伝えのようにしてでないと、念仏もうす機縁が生まれない。そのことが、つい先生づらに、弟子づらに思い違いしやすい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歎異抄 11

2017-02-24 10:02:41 | 仏教

 第5章の原文です。

 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏まふしたることいまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世 々生々の父母兄妹なり。いづれもいづれもこの順次生にほとけになりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念仏を回向して父母をたすけさふらはめ。ただ自力をすてて、いそぎさとりをひらきなば、六道四生のあひたいづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもてまづ有縁を度すべきなりと云々。

 

 親鸞さんは言われる。わたしはいままで先祖供養のためとかで念仏を申したことがない。それはいまこのわれというものが、ここに在せりと言うことそのものがすべてのすべてのもののお陰、またはともにおかれているということであればこそのもの、ゆえ、しいて先祖供養などと言わなくともよい。六道とは六つの迷いの世界、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上。地獄にいるものも、天女さんも迷いのものだというのが、いいこというよなぁ。四生とは迷いつつ生きるものの四つのかたで、胎生・卵生・湿生・化生。 衆生ということ、生きとし生けるもの、すべてのものをいう。人だけがえらいなどと言わない。この六道は輪廻するものと考えられていた。が、この島国ではあまりはやらなかったそうな。ベトナムなどではこの輪廻思想が強く、戦争の時、死を恐れずに戦ったのは、みなのために戦うことで成仏し人間に帰ることができるということだったとか。地獄・餓鬼・畜生は宮崎駿の映画「千と千尋の物語」のなかで、父母が急に餓鬼・畜生に落ちていくシーンがあり、そうだと。われの暮しのなかでこの六道をめぐることはすくなからず経験することである。ちなみに天上とは、有頂天になることであろうか。

 この先祖供養のこと。ぼくはそこまでいまは思っていない。父母や爺様婆さまに手を合わせる心情はとても素朴で自然なことだと思うからである。それに先祖とはけっきょくぐるりと巡って、この自分自身のことになる。両親祖父母などと10代さかのぼると1014人いるそうな。それが20代で100万人、30代で10億人とか。それでもせいぜい700年ぐらいしかさかのぼれないのだ。この島国にかぎっても4万年前からと計算すると、もう無量ということになるらしい。だからして先祖供養というても、すべてのすべてのものにおもいをささげていることになる。ちなみに、守護霊などといってあなたの先祖のだれかが祟って成仏できないでいるから、いまあなたは病気であるとか、不幸である。などと、脅迫するものが今も昔もいる。人はこの見えないなにかを恐れていることも、たしかに片方ではとてもだいせつなこととおもう。が守護霊で騒ぐとなれば、ちょっとね、あまりにも幼稚なんじゃないかと、思うけんど。これまた人というのは、すこぶる幼稚なものでもあるよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする