般若心経のこと、3

2012-06-30 21:35:27 | 仏教
 その当時は、このお経というものに意味があるということさえ思
わなかった、といっていい。ともあれあげるものだったのだ。この
般若心経は、空観でインドの竜樹尊者が書いたものとされている。

仏陀滅後600年後、大乗仏教復興運動のなかででてきたものであ
るらしい。つまりこの空観を理解しなければ、仏教ということ大乗
仏教ということが解らないということになる。とりわけこの竜樹尊

者は現在も残っている、各宗派の共通の大先生なのである。学生の
ころ、その空観の基本的な予備知識を知る為に、般若心経を岩波文
庫で翻訳、校閲している中村元の東洋人の思惟方法なる論文集を読

み始めだした。この東洋人の思惟方法なる本は全10巻ほどあり、
300~400ぺーじはある。こんな論文集いまなら興味津々なれ
どその当時はただ、そうかこんなかんじかと来るところ、ただ読ん

でいた。京大型カードと言って(その当時流行ったのだ)15×20㌢
ぐらいの紙に本からの抜き書きなどや自身の感想などを書いた。その
カードが多く集まると、本を読んだという実感がわいてきたものだっ

た。今ならこんな本を読んでもなにがなにやらということもあれど、
一冊を読むのに1ヶ月も3ヶ月もかかりそうな気がするけれど、当
時一日一冊とおもって読んでいた。
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般若心経のこと、2

2012-06-29 22:11:11 | 仏教
 金沢のお盆は7月である。それも、お墓の前で一家が揃って、線
香、ろうそく、お花、それに切り子といって紙と薄板でつくられた
灯籠を供える。その切り子には、戒名、先祖精霊、南無阿弥陀仏、

お参りした本人の名もそこに書かれてあり、従って兄弟、親類縁者
の人たちの誰それがもうお参りにきたとかわかる。そうやって供え
られたところに、お坊さんは呼ばれてお経を読む。そのためにまず

お経の読む練習を父に教わった。お経にはひらがながふってあり、
観自在菩薩行深に、くぁんじざいぼーさつぎょうじんとある。お経
の出だし、挙経という。般若心経をきちんというと、摩訶般若波羅

蜜多心経、これを(まかーはんにゃーはらみったーしんぎょうー)
と最初に挙げる。それから、かんじーざいぼーとする。そのとき
父ちゃんは、指でとんとんとテーブルを打ってリズムをつけながら

読む。それに合わせるようにぼくも唱和する。その時と言うか、こ
とあるごとに父から言われたことは、これは音楽のひとつだから、
聞いているものが、気持ちよく聞かれるものでないといけないと。

だから無理に声を張り上げたり気張った声でなく、普通の声でやり
なさいと。ちなみに、父のお経はなんというのだろうかじつにこころ
に直接響くような声で、年配の人たちにはすこぶる評判でありがたが
った。
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お米の保冷庫はいりました。

2012-06-28 21:18:32 | 日記
 月末には籾すりをしている。今日はその日。お米の保冷庫をつい
に買いました。これから、9月頃までお米にどうしてもコクゾウム
シがわいて、困っていたのだ。コクゾウムシは気温が高くなると出

てくる。ここの女の人たちは驚かないが、街の人たちはやっぱり大
騒動で、そのせいもあってか梅雨から9月頃までの注文が、定期的
に買ってくださる方は除いて急に減っていた。やはり見た目が大事

ですよね。なんぼおいしく安心のお米だというても、虫が入ってい
てはね。でも皆さんこれからは大丈夫です。どうぞ安心して買われ
てください。ご注文お願いします。
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腰が

2012-06-27 21:10:27 | 日記
 連れ合いは、母親とその実家甲府に車で出かけた。義母さんがや
はり甲府のこと恋しいらしいのだ。そんなで台所や、畑や庭の水や
りなどと、がぜんせわしい。田んぼから上がってそれらをやってい

ると、夕食は8時になってしまった。始めの日はまだ段取りが悪く
スムーズに動けないのだ。
 九州などは大雨が降っている。こちらはすっかり空梅雨もようで

畑なども水やりが毎日必要なくらい、からから。梅雨のときはちゃん
と梅雨にならないと、夏場の水のこともありいささか不安なかんじだ。
田んぼの草取り夢中でやっていたら、今になってまた腰がイテテなのだ。

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般若心経のこと

2012-06-26 21:32:45 | 仏教
 般若心経をはじめて唱えたのは、小学3年生だった。どうしてそ
うなったか、今となればそのときの記憶は定かではなく跡づけした
ことが、その後定着しているようだ。金沢にある禅寺で生まれた。

 父が住職だった。父は、ぼくなどが住んでいた龍昌寺というお寺
と、父の師匠のお寺、当時は師匠の奥さんと娘さんがいた。ぼくか
らすれば、お婆ちゃんとおばさんが住んでいた広誓寺の2軒があっ

た。ぼくはこのお婆ちゃんにずいぶん可愛がられた。ぼくの下に弟
がいて、学年で4歳違う彼は小児ぜんそくを患っていた。母は弟に
かかり切りだったのだろうか、ぼくは1人で5キロ程離れた広誓寺

によく行った。学校が休みになると、泊まりに行った。5年生ぐら
いになっても、ふとんに地図を描いておばさんによく怒られた。
それでもめげずに通ったんだ。そんなもんだから、お婆ちゃんには

たいそう可愛がられたんだと思う。房さんは、お茶が大好き、それ
も貧乏寺だったから、まともなお茶でなく、粉茶であった。どろっ
とした濃いお茶であった。その当時のお寺は、ちょっとした社交場

で朝から近所の年寄りたちがくる。その中には境内の掃除を自発的
にするものもいた。ともあれだれかが来られると、お茶を出す。そ
のときに、そばにつくねんとおるぼくにもお茶と茶菓子を忘れずに

だしてくれた。そのせいでぼくはすっかりお茶党で、大学で上京す
る時、お茶セットをお婆ちゃん、房さんが用意してくれたから、3
畳一間の下宿でもお茶だけは毎日飲んでいた。茶菓子は檀家の家に

お参りに行く父が頂いて来たものである。ぼくはその9歳のとき、
お坊さんになると宣言したんだ。どうしてと聞かれたのだろう、そ
れにたいして、お饅頭が貰えるからと応えて皆を笑わせたそうであ

る。般若心経の話である。前ふりばかりが長いがこんな調子で書こ
うとおもう。
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