ほだ木

2014-10-31 20:55:02 | 日記

 椎茸の食菌をしていることは、春頃にでも書いたと思う。ここでは楢の木を使う。その菌を入れたものをほだ木という。それを積み重ねて菌が木全体にまわるようにしばらく伏せておく。そのほだ木を起こして雑木の幾分陰になっている斜面に、立て並ばせる。そうして春に椎茸を出るのを待つ。今日はその立て並びの作業をした。4,5年前のほだ木もあるから腐ってしまったものは除けたり、支柱が腐っているものを変えたりしながら、古いものも並び替えをして冬に備える。そんなことをしていたら、椎茸の立派なものを見つけた。それとムラサキシメジである。シメジも椎茸もわずか2本だけだったが。なんだかおもわぬ収穫で妙にうれしかった。


知恵と智慧

2014-10-30 21:37:52 | 日記

 鈴木大拙が智慧のことを書いていて、そのところで知恵と智慧の違いを明確に簡単に書いている。

知恵の方は人間のちえです。もうひとつの智慧は仏のちえです。いかに生きるべきかという問いに対して知恵は、お金を稼ぐ必要がある。そのお金はどう稼ぐか、と筋道を立て物事を判断していく力だと。智慧の方は、自分は何をするためにこの世に生まれたのか、人々とどのように関わっていけばいいのかと考えることだと。つまりどう生きたら真に生きたということになるのか、世のために何をすべきであるかを考える力です。


古事記のこと

2014-10-29 20:36:29 | 書簡集

 古事記のことを山本健吉が色々書いているが、「古事記が古代の日本民族の想像力の発現を、もっとも広いひろがりにおいて見せているということである。そこに展開される心象は、あるいは超自然的なものであり、あるいは社会的なものであるが、それらはある象徴的な表現によって普遍的な意味を担いながら、彼らの思想や喜怒哀楽の生活感情を生き生きと再現しているのである。」物語としては神話であるから、退屈するかと思っていたところがあった。これは見事にはずされた。1300年前に書かれたということは、個人の一生という時間のサイクルから見れば、途方も無く遠い昔のことになる。しかし氷河時代の4万年前にこの列島に今の人種が入って来たハンターたちからみると、古事記に書かれていることははなはだ私たちの感覚そのものである。とても人間くさいのである。ともあれ読み方次第で如何様にでも読めると言うか。こちらが深く読めば読むほどに手応えも、充実感も増すということは言える。そんな読み物なのである。


ご飯

2014-10-27 20:42:57 | 日記

 宮大工をやっている息子が、2週間ぶりに帰って来た。金沢での仕事が8月から続いていたのが、ようやく終わって帰って来たのだ。もりもりとご飯を大盛り2杯も食べて、やっぱりご飯がおいしいとみんなおいしくなるねと、にっこり。この彼は幼いときから人一倍玄米ご飯が好きで、外食がほとんど食べられなかったのだ。今はさすがにそうは言うておれなくて、金沢の会社の寮では3食とも弁当や麺類らしい。もとより味にうるさい方で、文句を言う訳ではないけれど、おいしくないと食べる量が半減するのだ。そんな彼だから、弁当のことやお店のことも詳しく、だからこそ家で食べるこのふつうのものが一番おいしいという。いやぁ、そりゃここの食材最高やからなぁと、しみじみというのであった。


日日是好日

2014-10-26 19:41:04 | 日記

 禅語というものは身近にあるのですが、なかなかその意味を知らないまま使っていることがしばしばあります。挨拶、玄関などというのもそうなのです。日日是好日ということばは有名で、意味もそんな難しいものではなく、ごくあたりまえのことそのことをそのまま言うています。しかしながら毎日のことというのは、いい日もあればイヤな日、悪い日もあるものです。そんなわたしにとってのイイワルイではなく、ぜったいに今日この日は好日としてあることと受け取ってわたしをわたしする、ということでありましょう。白隠禅師の書に日々とだけ書かれたものがあります。白隠さんの書はどれも豪快な字なのですが、この日々は素直に書かれてあり、それ故かえって日々の強さを表現されているように受け止めました。