雨降り

2012-03-31 21:10:59 | 日記
 朝から雨が降っているから、今日は久しぶりにゆっくり本読みを
と思っていたのだ。けれど、そうそうにKちゃんがやってきて、し
かも友達も連れて。Kちゃんは躁鬱症で電話魔でもあり、ぼくより

も今のここの住人の動向に詳しい。ここのことが大好きというより
も自分のことをかまってくれる人をいつも探しているかんじ。身長
185センチほどはあろうか、そして100キロは超えている。k君

も同じ病気とのこと。彼も180センチはあり、体重も80キロは
とうに超えているかんじなり。この二人が茶の間に座ってでんとい
る図は迫力がある。話しは特になにか話題があったり、相談がある

わけではない。ともあれ自分の話しを聞いてほしい。それに対して
適当ではなくちゃんとまともに相手をしてほしい、というかんじな
ればよそ見も出来ず、なにかにと相手をする。連れ合いの啓子さん

は、来月12日から東京本郷の愚怜で個展。今はいよいよ追い上げ
にかかっていて、ぴりぴりしている。連日のお客さんが来る中でよ
くがんばっている。Kちゃんはさすがにもうそんなに食べなくなっ

たけれど、K君は34歳じつに食べる。いつも昼前に来て昼食を食
べて帰る。今日はぼくが作る。O君は昼前に2週間の研修が終わっ
て(彼は身体は華奢なれど大食感の方である)昼前に帰ったから6

人分のうどん、約1キロだった。食べたらさっさと帰った。さて食
器などを洗おうとしたら、水が出ないではないか。ウヒョー。
 水源地へ。雪解け水が流れ出して普段の5、6倍の水量なり。

枯れ木などが詰まっていた。順番に空気抜きをしてタンクのところ
で、出ないのだ。パイプレンチを持ってくるなどして、タンク周り
のパイプをはずすとパイプの中が水垢でつまっていた。やれやれだ
った。
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南風

2012-03-30 21:14:17 | 日記
 朝、家のなかの空気よりも外気の方がぬくかった。いよいよ春で
ある。朝O師とゆっくりお茶を、午前の便で帰られた。3泊4日の
旅。この何にも無い所が気に入られたのか、5月の勉強会にも来た

いと。なにやらうれしい。風呂の煙突がこの冬倒れた。そのとき煙
突をのせてあるレンガが外れてしまい、臨時にソォとのっけて、粘
土で穴をふさいでいたけれど、雨などでそのレンガがはずれてしま

っており、補修した。
 在所の村のばあちゃんから、屋根の瓦が割れたから治してもらえ
んやろうかいね。と言われていて、治してきた。村の平均年齢は7
0を随分と超えており、ほとんど二人か独りで暮らしている家が多

いから、こちらまでお呼びがかかるようになったのだ。先行きはこ
ちらも同じではある。けれどこればかりはどうなるものでもない。
とおもう、困ったときに考えよう。
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塩水選

2012-03-29 22:36:32 | 日記
 春仕事の一番最初の仕事は塩水選である。稲の種を塩水の比重で
決めるのである。上に浮く軽いものは捨て重いものだけを選んで種
籾とする。100キロは超える量だから、時間もかかるし大勢でか

からないとたいへんなのだ。それから浸水、芽だしにかかる。浸水
もここでは6日かけてする。ともあれ今年も無事に田んぼ仕事の一
歩を踏み出したことになる。

 今晩のお客様は、能シテのO師。それで世阿弥の話しから、謡、
身体の所作など色々語って頂いた。居候のO君も建築設計が専門な
れど谷崎潤一郎や西行を読む博学なれば、彼もそのO師に質問を重

ねており、その問いかけや応え方で話しは思わぬ方に展開してなか
なかおもしろかった。 
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末法

2012-03-28 20:32:22 | 仏教
 仏教では、現在を末法という。釈迦滅後500年を正法。それか
ら1000年を像法(教えと修行はあるが証、さとりがない)それ
から一万年を末法と言う。教えのみはあるが、修行もさとりもない。

仏法が滅して救いがたい世の中になると言う。これはおもに浄土教
が唱える。でこの末法の世の中だから、浄土教だけが救いをもたら
すと喧伝したのだ。これは宗教独特の脅迫の仕方で、事実1052

年から末法に変わるとかで大混乱、貴族が大挙して浄土教にくら替
えしたのだ。いまならオームとかノストラダム予言などとそれに付
随するような話しはこれからも沢山でるだろうと思う。

 この末法という言い方で、そうだとおもったことは、世の人々は
自分だけしか信じない。自分が納得しないことには承知しないのだ。
それは自我を立てて暮らしているからで、いつもわれらは意味や意

義ばかりにとらわれて大切なことを見失っている。頑強に自我を立
てているけれど、その自分には結局よりどころを見いだすことがな
にもなく、ウロウロするしか手が無いと言われるそれはまことにそ
うだとおもった。
 写真は蓮田とアカガエルの卵、今日はぬくかったからカエルの大
合唱だった。

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瓦屋さん

2012-03-27 21:40:51 | 日記
 今朝も真っ白世界だった。これで3日連続だ。さすがにしばらく
で消えていくけれど。昨日の買い物で瓦を6枚。雪下ろしの時に割
ったのだ。乱暴者がおるのだ。でまだ屋根雪がたっぷりとあって、

雪の上から瓦を直せるうちにとおもい、交換する。それがおもった
より大変で、というのも最近のものは釘をうっているからで、ご存
じない方のためにいえば。雪国では銅線で瓦を止めてある。雪の降

らない所では、瓦ではなくスレートだったりもしますがともあれ乗
せてあるだけの所が多いのです。その銅線は瓦の中で桟にしばるの
ですが、上の瓦も釘で打ち付けてあるから手が上の瓦の中に入らず、

さんざんすりきずをつけてようやくなのでした。
 こういうブログもそうですが、言葉を綴るということはわたしと
いうものをつくっていく行為で、喋るということも気がつかない間

に、わたしというものをそのつど綴り上げているのだとおもったら
うんやっぱり人としてここにおるということは、たいへんな作業な
のだとあらためておもったなぁ。

 性懲りも無くまた雪景色を撮っている。

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