京都の内山興正老師のところには、そんな胸に穴の空いた、虚無を抱えたものたちが内外をとわず集まっていた。1970年代のことである。内山老師は、坐禅は思いの手放しの姿勢であると言われた。だからご提唱の折も、かたはらのハンカチを手に取って掴んで持ち上げた手を放すとハンカチは落ちる。握りしめて自分だ!自分だとやっているけれど、放てばこの通りなんにもなく落ちます。皆さん、思い手放しが大事です。と、繰り返し申された。
ところが少しでも坐禅されたものなら解ることですが、足を組み、手を組んで壁に向かってただ坐っていると、アタマののぼせは下がるどころかはじめのうちは、まるでアタマの中が沸騰するかのように手持ち無沙汰が高じてか、思いはこれでもかと次から次とでてくる。やはり血の気が盛んなあるアメリカの青年が、ついに我慢できず老師のところに悩みを打ち明けに。日本の雲水たちは、ある時間になると居眠りするものが多いけれど、わたしなどは気持ちよく居眠りもできず、坐っているあいだだじゅう妄想がひどく襲いかかってくる。特に女性のことを考え出したら、今まさにそこに裸体の彼女が出現するくらいで、これは日本人のように淡白でないせいなのでしょうか。わたしなどは坐禅に向いていないのでしょうか。と。
その頃の僧堂の日程は、毎日1日9時間の坐禅。それに摂心というて毎月5日間は無言で、1日14時間の坐禅を集中してやっていた。彼のアメリカ青年はけっして人ごとではない。老師はそのことをみんなに紹介しながらおもむろにいわれた。わたしもそうです。いまでこそ年の加減でそんなことにふり回されないのですが、基本は同じです。その都度思い手放しがたいせつなどといわれるのだ。
そんなことをしながらも悶々と日々を重ねていたある日、アタマのなかにかかっていた霧や雲が一挙に晴れ上がって、なんとも言われぬさわやかなかんじ、すべての人やものと一体になって今ここにあらゆるものとひとつになっているような感覚を味わうことになる。こんな思いも自分を邪魔する。老師は、それはたまたま温度と湿気の加減でそうなっただけのはなしで、そんなものを掴んでサトリなどとふり回さないようにと、諭されるのである。