不安ということ 7

2015-02-27 15:29:47 | 書簡集

 京都の内山興正老師のところには、そんな胸に穴の空いた、虚無を抱えたものたちが内外をとわず集まっていた。1970年代のことである。内山老師は、坐禅は思いの手放しの姿勢であると言われた。だからご提唱の折も、かたはらのハンカチを手に取って掴んで持ち上げた手を放すとハンカチは落ちる。握りしめて自分だ!自分だとやっているけれど、放てばこの通りなんにもなく落ちます。皆さん、思い手放しが大事です。と、繰り返し申された。

 ところが少しでも坐禅されたものなら解ることですが、足を組み、手を組んで壁に向かってただ坐っていると、アタマののぼせは下がるどころかはじめのうちは、まるでアタマの中が沸騰するかのように手持ち無沙汰が高じてか、思いはこれでもかと次から次とでてくる。やはり血の気が盛んなあるアメリカの青年が、ついに我慢できず老師のところに悩みを打ち明けに。日本の雲水たちは、ある時間になると居眠りするものが多いけれど、わたしなどは気持ちよく居眠りもできず、坐っているあいだだじゅう妄想がひどく襲いかかってくる。特に女性のことを考え出したら、今まさにそこに裸体の彼女が出現するくらいで、これは日本人のように淡白でないせいなのでしょうか。わたしなどは坐禅に向いていないのでしょうか。と。

 その頃の僧堂の日程は、毎日1日9時間の坐禅。それに摂心というて毎月5日間は無言で、1日14時間の坐禅を集中してやっていた。彼のアメリカ青年はけっして人ごとではない。老師はそのことをみんなに紹介しながらおもむろにいわれた。わたしもそうです。いまでこそ年の加減でそんなことにふり回されないのですが、基本は同じです。その都度思い手放しがたいせつなどといわれるのだ。

 そんなことをしながらも悶々と日々を重ねていたある日、アタマのなかにかかっていた霧や雲が一挙に晴れ上がって、なんとも言われぬさわやかなかんじ、すべての人やものと一体になって今ここにあらゆるものとひとつになっているような感覚を味わうことになる。こんな思いも自分を邪魔する。老師は、それはたまたま温度と湿気の加減でそうなっただけのはなしで、そんなものを掴んでサトリなどとふり回さないようにと、諭されるのである。

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不安ということ 6

2015-02-24 10:53:20 | 日記

 胸にぽっかりと空いた穴はもちろん本人が体験したこと。そして本人のその騒いでいる渦中にあるときは、自分だけのだれにも言えないことがらだったんだ。だけど、劣等生であったことの経験があるなしにかかわらず、時代感覚として共有するものはある。これが200年前のこの列島に住んでいたものならばこの感覚は共有されないだろうと思う。

 これはどういうことだろうか。本人にとっては自分だけのことなれど、それはその当時の社会や時代によって形成されたことでもあるからだ。ちょっとそのあたりのことを書いてみようと思う。

 日本で最初にサラリーマン世代と言われたのは、明治の終わりから昭和初期生まれ、1905年~1930年生まれの人たちだと言われている。専業主婦などという言葉ができたのも。彼ら世代である。彼ら以前の人たちは封建制度のなかにいた。封建制度というのは、個人よりもともかく家を中心に動いていた。侍の家のものはおのずと侍に。商人のところに生まれば、商人に。百姓の家、職人の家とそのどこで生まれたかによって、職業も身分も家の構えなども、とうぜん教養の程度もしつけ、礼儀作法など。話し方からあいさつの仕方まで違っていたということである。江戸時代の人口3000万の内、武士の家のものは1割、百姓、漁師、職人などがおよそ8割らしい。この8割の者たちは、6、7歳の頃から働き、あるものは丁稚奉公に行き、そこで一人前として仕事ができるようになると、親や親方などの決めたものと所帯をもつ、つまり結婚をする。この事情は武士の家もおおむね変わらない。司馬遼太郎に言わせると、この国の特徴は行政をあずかる武士の家計はほとんど窮乏しており、上級武士以外はふつうに家の近くで菜園をしたりまたは内職などをして暮らしの足しにしていたらしい。それでいて倫理的に自制心強く、公のためにこの身はあると思うものが、社会の上層に位置していたから、明治に切り替わろうとするときも、切り替わってからも、ある意味困難に打ち向かって切り開いて行くことができた、などという。社会そのものに時代を変えて行く力があったということである。

 家制度ということは個人よりもお家が大事であるから、どんな家にも仏壇がありまた近くの宮さんの氏子でもある。それは先祖や地の神さまたちがおられてはじめて自分ということがあるということ。この制度が壊れてサラリーマン世代が人口の8割を占めるようになると、とうぜんそれは農本社会から産業社会に、共生社会から競争社会に変わって行くことになる。

 初めてのサラリーマン世代のこどもたちが戦後世代、1947から1950年生まれの団塊世代が私の世代。最初のサラリーマン世代はまだその親たちの苦労や倫理観を肌でかんじているから、身の振り方や社会とのかねあいをとることができていた。しかしながら戦後世代になるとそのありようは薄れるし、競争社会のなかでは個、自我が強くないと打ち勝つことができない。この個という概念はかんたんにいうと、ヨーロッパ精神で培われて来たものである。神がこの世を創造し、個も家の子どもというより神の子どもとして育てられてくることになるから、一人一人の個が大切になる。この個は自我によって動く。自我が強いととうぜん暴走、つまり頭や能力のいいものだけが優先する社会になる。だからそこでは教会によって自我を押さえて公共精神が、倫理観を植え付けられて来たのだと思う。

 しかしこの国の産業社会が変わり出したときから(1960年頃)個を伸ばす教育を顕著に推進してきた。個性や能力を伸ばすための教育である。それが産業社会の中で働き手を養成することになる。個はとうぜんのことながら、一神教圏内においては神という支えがあってはじめて個の存在は認められる。この列島の先人たちにはそれが、先祖やアニミズム的な神々が支えとなって、個が成り立っていた。

 ところが今の多くのこの国に住む人たちにとっては、先祖をかんじる仏壇もなく、地域との交流もなく、まして神々も無くしてしまったものたちには、支えるものがなにもない。家族などの人間関係、仕事、お金、能力、役職などが個を支えるものと勘違いをしてきたのだ。その支えるものが色あせてしまうと、虚無しか残らなくなるのはニーチェの指摘する通りである。

 

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不安ということ 5

2015-02-22 22:04:03 | 日記

 万引き少年やった。劣等生、どもり、小心者。こんなものやから、自分で自分をつまはじきにするようなところがあったんだろう。高校の頃、気がついたら胸にぽっかりと穴が空いていた。最初はこれが何の穴か解らなかった。しかしやけに、胸あたりがすずしい。というか、虚しさということの意味がよく解らない。解らないままなにをどうやっても、胸あたりが寒い。それで、けんか、酒飲み、バイク、睡眠薬遊び、などと騒いだ。騒いだらその穴がもっと広がり、大きくなって。どうしたらいいのかわからなくなった。そんな時だバイクで転んで怪我をしたのは。その怪我が契機になってある先輩に引きずられるようにして、大学進学の勉強をはじめたのは。高校3年の秋だった。

 それからももちろん色んなことに出会ったし、やってきたんだ。だけど、胸のなかのぽっかりと空いた穴は今も空いたままである。この山に入る前、金沢のお寺にいる時、夕映えがきれいな時はバイクを走らせて、海まで夕日を見に通ったことがある。それがなかなかちょうどいいタイミングというか、海に入るお日様には出会えない。半年ほども通っただろうか。ようやく、見事な夕日に出会った。思わず手を合わせた。涙があふれでてきた。あの涙はなんだったのかいまだによくわからない。それまでお坊さんの修行を自分なりに懸命にやっていたんだ。やっていたけれど、自分の中ではなにか老師の受け売りの言葉だけが、アタマの中を巡っていて、本心でうなずくものがない。いや、何回かあったんだ、これだっ、と確信するものが。しかしそんなものはすぐ海のもずくと化すようなかんじで、握りしめているつもりがなにを掴んでいたのか、わからなくなる。わかりたい。自分のものにと掴むことばかりにけんめいだった。だからそのときの手の会わせ方、合掌はかたちだけだったろう。それがあの夕日である。おもわず手を合わせているそれが、自分でもうれしいというか。いまはじめて手を合わせている、だった。そんな時は胸の穴のことなんか忘れてしまっている。けれどそれからはその胸の穴のことは強く意識することがほとんどなくなっていったとおもう。だけど、穴は空いたままである。不安というのはこの穴が正体なんだ。

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不安ということ 4

2015-02-22 21:21:10 | 日記

 不安のなかにそおっと手を入れてみた。なにやら固い。はじめは、やさしく触れていたけれど、その固い感触からはなにがいったい固いのか、解らない。

 いろいろと触っているうちに、なにかの拍子にやはらかな部分に触れた。何に例えたらいいか思いつかない。思いつかないまま、さっき夕ご飯のあとにみなして食べた、ハッサクかな。ハッサクの皮は固い。けれど、ひとたび皮をむいてその果実がむき出しになれば、それは瑞々しく、甘酸っぱい、いや色んな味がしている。うん、これはつまり自我という皮だ。いっつもいつも自分のことしか思いめぐらしとらん。どうあっても、この自分というものを中心に動いている。その自分中心にしか見れん、思えんこの自我という殻が固い皮だったようだ。

 だれでもこの果実の中身の方は、みずみずしくて、ういういしいのだ。だからあんまりみずみずしくてういういしいものやから、傷つきやすく壊れるように思っているんかな。それともすっぽんぽんの裸になってしもうたら、恥ずかしいし、あまりにあられもないような姿や思うてからにそれで殻を固くしておるのだろうか。ハッサクの皮は一度むいてしもうたら、もうむかれたままなれど、人はこうはいかない。むいたつもりでもすぐしばらくでまた元の木阿弥のように固い殻がついているんだ。これがどうして一筋縄ではいかんらしい。

 ようは不安をなくしたいと思えば、この自我を追い払えばいいのだ。そうすればどんな苦しみも悩みも不安もいっぺんに解決する。そうこれはじつはごくごく、かんたんなことだったのだ。

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不安ということ 3

2015-02-21 21:56:49 | 日記

 先日ある本を読んでいてそうかぁと思ったのは。人の顔はゴリラやチンパンジーなどのほかの霊長類と決定的に違うところは、人の顔は垂直に立っていて、その真ん中に鼻が山のようにこんもりと飛び出ていることらしい。これはほかの霊長類をはじめ、ほ乳動物にはない。それは要するに大脳が巨大化して、骨を圧迫した結果鼻が飛び出したというのだ。つまり犬が犬の本分をいかんなく発揮することができるのは、彼のもっている本能のままに生きているということである。人の能力は生きていることそのものから外れるようにして、最初から設計されていたのだ。人も犬のように生きることにだけ、そのままをやれば不安を抱えることもなく、もちろん平和などということも言わず、あらゆるものたちとともにつながりあって、しずかな営みがあったはずである。けれど、西暦元年の時の人口が約1億人と想定されている。1000年には2億人、1500年には5億人、1900年15億人、そして現在70億人この数字はいかなる意味を持つか。どんな生物であろうともこの地球上で生きているということは、ぜったい的なる基盤があってのことである。この大地、空気、水、それから目に見えるあらゆる生物から見えない微生物のつながりのなかで、そのつながりの連環そのものが営みとしてある。しかしながら人は人だけは自らをそのつながりから切り離すようにして暮らしを立てて来たのだ。

 いま古事記を読んでいる。このたかだか1300年前の物語なれどあきらかに現在と違うことは、かれらにはそのつながり、ぜったい的な生命たちとのつらなりの中で、またみえないものたちにたいする畏れのなかで生きていることに、あらためて驚く。1300年前のかれらもどうしょうもない不安のなかでいただろうことは痛いほど伝わる。さりながら今のわれらはどうであろうか、われらの不安はなにを不安とし、なにを恐れているのであろうか。

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