アカショウビン

2018-05-31 22:12:26 | 日記

 この時期アカショウビンの声で目覚めることが多い。この鳥は南の方からやってきて、このあたりで産卵して子育てをする。そうツバメと同じである。ツバメも今年は去年の失敗に懲りずに、庫裡屋の玄関で子育てちゅうである。カラスがツバメ用に空けてある窓から入り込んで、ツバメの卵を食べようとねらっているので、遼雲さんがカラス除けようの仕掛けを作ってから、入って来れなくなった。それは、ツバメが玄関内に入るとき、滑空しながら翼をななめにしながら入ってくるのに対して。カラスはその窓の桟の上で一旦止まらないと、入らないことに注目して、桟の上に釘をむき出しにした板を置いたのだ。アカショウビンの声は朝夕や曇り空の日中でも啼き、その万葉の調べをたんのうしている。なんとも優雅な気分に一時は浸ることができるのだ。

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山法師

2018-05-27 21:34:59 | 日記

 もう田んぼ漬けになって3週間が過ぎたでしょうか。すっかり顔も手も陽焼けして田んぼ色に染まっているようです。雑木山も青々としているなか、谷空木の赤、山法師の白が映えています。この山法師の白は、以前にも書いたでしょうがモンシロチョウが群生しているように見えるのは、白色に光沢があるからでそれで,遠くからでもよく光って見えるのだ。谷空木は花図鑑には日本海側に自生している。と書いてある通り、どこにでも勝手に生えてくる困りものの一つでもある。それがこの時期だけは、緑のなかでよく目立つのである。

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モリアオヤマガエル

2018-05-23 21:07:30 | 日記

 この蛙のことはもう何回か、この欄で書いている。しかし、前のおれがどう書いたか知らないのである。覚えていないと言うか。もうそんなこと知ったこっちゃないというか。昨日のおれのことなんか、だれよそれ!と言いたいと言うか。いま感じていることを、いま語るしかないものね。

 いやはや、ともあれこのモリアオヤマガエルの産卵シーズンなのだ。これのじつにおもしろいことは、田んぼなどの水面のはるか上の小枝の先っぽのところに、ちょうど卵の卵白だけを泡立たせてふわぁふわぁにしたような、夏みかん大ぐらいの大きさなんだ。それが蓮田の上あたりは彼らがねらうには絶好の場所らしく、もうそこたらじゅうにこのふわぁふわぁの白いものが、ぶらさがっている図はなかなかのものなんであるよ。そして驚くことは、その産みつける木は、基本なんでもいいらしく、ともあれオタマジャクシになって孵ったときに、水面に落ちることだけが、どうも条件らしいのだ。だから木はさまざまで、高さ2mほどの木から10mはゆうに超えるような木にも産みつけるのである。ということは、あの鮮やかな緑色の蛙が木の幹から登りはじめて、そうやって小枝の先っぽまでくるには、それこそ大冒険でこちらにすればここから、インドへ行くほど遠いのではないかと勝手な妄想をする始末。それほどの困難極める旅だろうと想像するのだ。カメラでお見せできないのが、残念のひとことです。

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そば打ち

2018-05-22 20:58:45 | 日記

 昨日のお昼は気前のいいお方がここで、江戸前そばを食べてもらうと張り切って持って来られた。ちょうど、田植え初日でもあり、お天気もよく、ほてった身体にしゃっきりした細身の切りそばを堪能しました。ほんもののおそばを何処かへ、食べにはいるという発想がこちらにはほとんどない。それは人の2倍も3倍も食べるほどの面食いなので、金銭的に先ずは無理なのである。けれど、ここで打ってくれるとなると、ぞんぶんに食べてもよけいな心配をしなくてもいいわけで・・・。夜は料理人の息子が腕を振るって、そのそばの人たちなどを歓迎しての、ご馳走でした。おちゃけを呑んで夜遅くまで騒いでいたようです。

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中国語

2018-05-19 22:54:08 | 日記

 昨日から台湾の方が見えている。女性、出版社を経営しているとか。もう一人は日本人学生で、台湾で語学留学をしている女の方も通訳としてきている。部屋の中に聞き慣れない言葉が飛び交うだけのことなのに、頭のなかは、つねに?が浮かぶ。解らない言葉が飛び交うことそのものが、さも違和感とばかりに、頭は反応するようである。でもじっさいはその彼女の方が、なんの会話で盛り上がっているのか。興味津々のはずである。じじつ相撲の話しでこちらは盛り上がっていたのだ。それを逐一通訳してもらっていたらしいけれど、なんでこんなに盛り上がるのか、わからないだろうなぁとおもいつつ。こちらのだれもそれについてコメントするものもなく、それだけでも彼女にすれば不安なことである。しかし夕食歓迎で男3人で握り寿司をはじめだしたら、彼女わたしも握るとばかりにそばからはなれない。異空間にいることの、しあわせを彼女は今味わっているのだろうなぁ。言葉がことばとして通じない分、目の動きや、からだの動作で互いに判断し合っているようである。人って言うのはじつに面白い生き物であることかと、こんなときはおもう。

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