慈雨

2014-04-29 20:41:26 | 日記

 雨とは言えないような降りだけれど、ともあれ地面が濡れたということだけでも、ほっとする。それくらい降っていない。

 さすがに梅や桜がおおかた散った。変わりに枝垂れ桜や桃、雪柳、木瓜、石楠花などが野山ではムシカリと次から次と楽しませてくれる。そして新緑、葉たちも開いてきた。なんて言うんだ。彼らたちはなにも私たち人間をよろこばすために開いているわけじゃ決してないはず。なれど、楽しい、うれしい、顔がゆるむというのは、もう自分というありようを超えたなにかだとおもうよ。ひとつながりのなかにおかれているということを、示してくれているようだ。


こころ

2014-04-28 21:29:58 | 日記

 新聞紙上に今月から漱石のこころを連載している。

 大学に入るまで本など開いた事もなかったものが、最初に真剣にページをめくったのが、漱石だった。それ以来ぼくのなかでは今でも、漱石とドストエフスキィとヘッセは時折り開いてきた。けれどここ数年は読む機会がなかった。

 日常の暮らしの中で、小説を読む時が少なくなったのがさみしい限りである。そんなこともあって久し振りにこころを読んでいる。

折しも、宮部みゆきが書いておりこれも冬の頃から読み出して、展開のすばらしさ、文体の読み易さに引かれて読んでいる。

それで、こころである。これが大正の初め頃に書かれたものとはとうてい思えない。文体があたらしいんだという事を、再確認しながらたのしんでいる。


閻魔大王

2014-04-27 21:09:26 | 日記

 苗箱を苗田に運ぶの3回目である。お天気がよくて、苗の成長も上々である。今日などはほとんど半袖で、暑いくらいだった。

 鎌倉時代の高僧明恵上人のことばに、「人は常に淨頗離の鏡(閻魔さまの横にある鏡のこと、その人の行状のすべてが映し出されるというもの)に、日夜の振る舞いのうつる事を思うべし。これは、かくれたる処なれば、これは心中ひそかに思うことなれば、人知らじと思うべからず。曇りかくれなく、かの鏡にうつる、恥がましきことなり。」

 何だか、こんなものを読むとこちらなんぞ窮屈でたまらない。明恵さんという方はいたく真面目な方。こちらなんぞは、いつか桂枝雀の落語で、お釈迦さんの作ったカレーをイエス、孔子そして閻魔さんと食べる描写の閻魔さんが気に言っているのですが。


花道

2014-04-26 20:09:04 | 日記

 このお寺に入るための参道が桜の花吹雪で待っている。そして道路も花道となっている。花道という言葉は、本来はどうなんかと調べてみた。

歌舞伎などの客席にせり出している通路のことをいう。名前の由来は、役者に祝儀(花)を渡すための道だったんだ。

けれど、どうみたって今日見たあの桜の花びら、道路がピンクに染まったことをいうのではないのか、と思うが。

 こんなところで暮らしていると、あまりふつうでは出会わないような人も来る。昨日唐突に来られた。お坊さんである。ここはお寺なれど、ふつうの会社員とお坊さんという種族はほとんど来られない。

 76歳だという。10年ほど前に1人になったから、出家したとか。托鉢で暮らしているらしい。最近住みところが見つかり富山に住んでいるらしいが、ほとんどは、車が住居になっているとか。托鉢だから、毎日のように移動しながら旅をしているらしい。

 けれど、いま身寄りのない1人暮らしのものが多いとか、その人たちと修道院のような暮らしをしたいとのこと。それもあって資金もためているとか。

 こういう市位の人たちが社会の底辺に居る人たちを支えているよね。どうぞよろしくお願いします。応援してます。と。


お陽様

2014-04-25 21:17:44 | 日記

 このところのお天気すばらしく、うんすばらしすぎて、このまま雨が降らないんではないかと思うほど。異常なことになりゃせんかいのなどと、おもわずバッドなことを想像してしまう。

 恒例の布団干しである。これをすると、まるで宇宙全体がはるっていう春なんだ。

 桃が咲いた。これで例年通り梅、桜と競演しており、その他にモクレン系だのボケ、水仙系、それにこのふとんの花だから、なんだかうれしくなってしまうのである。