般若心経、25。

2012-07-31 21:03:14 | 仏教
 七、受・以上の(前の)ことによって自我中心に感受する働きが
ある。八、愛・自我中心に感受すれば愛欲が生ずる。九、取・愛欲
が生ずればこだわりがでてくる。こだわりのこと。十、有・こだわ

りから自我の自覚が成り立つ。十一、生・自我の自覚が迷いの
生きがいを見いだす。十二、老死・それゆえ老や死の苦労もある。
 本文のなかではこの十二因縁は、無明と老死しか書いてないの

ですが、省略されているだけで書かれている訳です。十二因縁
とはわたしというもののありようの構造と解放を書いているんです
よね。はじめに学びましたが、わたしはことばを生きていますから

いつでもことばから離れては考えにくいのですが、ニーチェのいう
生成もそうだとぼくは受け取っているのですが、いつでもナマの
実物しか生きてはいないのです。このことは実感できないまま

なのですが事実としてそうですものね。そのナマのこれそのものは
無明とか生とか老死なんて名ずけられないそのまんまです。けれど
これのことをわたしと呼ぶ時、そこには無明も生も老死もあるわけ

です。わたしという場でははずしようがない。けれどいつでも
はずれっぱなしのものとしてある。
 矛盾するよね、でも矛盾するんだ。頭というものは納得、合点

する方向に向いているものだからね。頭ではどこまでも、納得でき
ないよね。でもぼくたちがやっていることの多くはがんじがらめに
なっていつでも、これかあれかとやってはいるけれど。なんにも

決まったものがひとつもないのだと心の片隅にでももっていると、
生きるということがラクになるよね。
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般若心経、24。

2012-07-29 21:26:27 | 仏教
 次にいきます。本文、無明も無く、また無明の尽きることも無し。
ないし老も死も無く、また老と死の尽きることも無し。
 直訳、真実に対する根源的な愚かさがあると言うが、それも

固定性は無く。またそれゆえ固定性が無い以上生きている限りその
愚かさが起きなくなることも無い。ないし生きている限りそれ相応
の老や死の苦労があるが、それもこだわりようが無く、また固定性

が無い以上老や死の生きる苦労も無くなることは無い。
 仏教でははじめに言いましたが、はなはだ分析的、かつ論理的で
す。でここでは基本的な概念である、12因縁の理りを言う。それ

は一口で言えば、我ということの仕組みと解放です。ちなみに昨日
学んだことは、18界のこと。ここから学ぼうと思います。
 六根・眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根。(根とは、諸条件
をとりまとめて成立させる能力の事)

 六境・色境、声境、香境、味境、触境、法境。(環境の刺激。
法境は外界の全体的意味世界のこと)
 六識・眼界、耳界、鼻界、舌界、身界、意識界。(心の世界。)

これらが縁起して心が働いていると、六根と六境を12処といい、
それに六識を加えて18界という。
 今日のところは12縁起。一、無明・真実に対する根源的な愚か

さのことをいうが、要はわたしたちの迷いの根っこのことをいう。
二、行・無明に因って染まり習慣つけられた心の癖のこと。
三、識・無明と行の色眼鏡で働く自意識のこと。四、色・環境や

肉体からの束縛のこと。五、六入・眼、耳などの六根の感覚が入る
窓のこと。六、触・無明、行、識によって外界と六根が接触する縁
のこと。以下はまた明日。
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般若心経、23。

2012-07-28 22:05:18 | 仏教
 本文、この故に、空の中には色も無く受、想、行、識も無く、
眼も、耳も、鼻も、舌も、身も、意も無く、色も、声も、香も
味も触も法も無く、眼界も無く、ないし意識界も無し。

 直訳、それゆえ縁起にしてこだわりようがない真理の中では
存在や肉体も固定性は無く、感受能力も記憶の能力も欲求と
判断の能力も自我と自己主張も固定性はなく、眼の能力も

耳の能力も鼻の能力も舌の能力も身体能力も意識能力も固定性
は無く、色境も声境も香境も味境も触境も意味世界も固定性は
無く、眼に依って作られた世界もまた意識に依って作られた

世界も固定性はないのです。
 ゆっくりと読めばさほど難しいことはない。いままでに
説明はしてあるつもり。ひとつひとつについて丁寧にいわれる。
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般若心経、22。

2012-07-27 22:24:09 | 仏教
 色即是空、わたしというものは縁起空するものとしてある。
わたしとは、思い込み、言葉を生きているから、うぬぼれ、
自尊心、思い上がりや、ねたみ、憎しみ、自虐などに惑わされ

ている。そのとらわれそのものがわたしという姿であると認める。
言葉ではっきりと自身に示すことで、半ばそのことは解き放たれ
るものとしてある。消えてはまた新しいものがついて回るから

安心して悩み、うぬぼれるより手が無い。
 色即是空、このわたしは無常するものとしておかれていた。
もう一ついえば、生きることそのものに意味や意義はない。

それは虚しさを囲うことではないが、ひとつのあきらめにつなが
る向きとしてもある。
 空即是色、いつでもどこでもだれでもが、今今今のこの

まったなしのこれそのものを生きている。その底抜けの風光を
いきることができればと願っている。そんなことで、想いだす
のは、山形の国和兄である。5年程前に、奥さんと用事で出かけ

た銀行のカウンターでたおれて、そのまま帰らぬ人となった。
奥さんのまき子さんとは年に1回電話で喋っている。いまでも
兄のことを慕っているまき子さんは生粋の山形人。

山形弁まるだしの彼女のあたたかき声をきいているだけで、
ぼくは兄のことを想いだし安堵しているようだ。
山に入ってしばらくの頃、国和さんが山形におると想うだけで

ぼくはずいぶん慰められ、励みになったのだ。兄は老若男女
誰からも愛されて、なんともの人だったけれど。国和さんの
側に居るだけでなにやらほっこりとしてしまうのだが、ぼくは

そんな思いを断ち切るようにして、いつも難題をふっかけてい
たんだ。その時は甚だ困った顔をするのだが、もうその話題が
終わる頃には、いつものほっこりなんだ。ぼくにとって

しきそくぜくうしているといえば、いまでもこの国和さんの
ことを想いだす。
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乾燥機

2012-07-26 21:44:13 | 日記
 今日は朝から気温が上がって、しかも湿度も高い。朝のうち
宮武さんが久しぶりに來山。ぎっくり腰で具合が悪そうとかの
噂を聞いていたものだから。お元気そうなお顔でちょっと安心。

百姓をやっいるけれど、それだけでは食べて行けないから、バ
イトなどをしながらがんばっている。いつもなにかにとお世話
になっていて、こちら何も出来ないけれど気持ちだけは精一杯

応援しているつもりなれど。ぼく何ぞでは、役立たずだ。まぁ
お茶を一服。
 籾すりをする。倉庫で仕事をやっているだけで、
全身びしょぬれである。昼から、古い乾燥機、お米の保管庫と

してだけ使っている。そこからあたらしい乾燥機に移し替える
仕事。西川さんやあーちゃんとともに、こんなことも結構手間
がかかるのだ。その空になった乾燥機を持ち上げて、ブロック

をかまして下に隙間をつくる。掃除をしやすくするためだが。
この持ち上げがたいへんだった。チェーンブロックを使うん
だけれど、これでまた大汗かいたぜ。
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