七、受・以上の(前の)ことによって自我中心に感受する働きが
ある。八、愛・自我中心に感受すれば愛欲が生ずる。九、取・愛欲
が生ずればこだわりがでてくる。こだわりのこと。十、有・こだわ
りから自我の自覚が成り立つ。十一、生・自我の自覚が迷いの
生きがいを見いだす。十二、老死・それゆえ老や死の苦労もある。
本文のなかではこの十二因縁は、無明と老死しか書いてないの
ですが、省略されているだけで書かれている訳です。十二因縁
とはわたしというもののありようの構造と解放を書いているんです
よね。はじめに学びましたが、わたしはことばを生きていますから
いつでもことばから離れては考えにくいのですが、ニーチェのいう
生成もそうだとぼくは受け取っているのですが、いつでもナマの
実物しか生きてはいないのです。このことは実感できないまま
なのですが事実としてそうですものね。そのナマのこれそのものは
無明とか生とか老死なんて名ずけられないそのまんまです。けれど
これのことをわたしと呼ぶ時、そこには無明も生も老死もあるわけ
です。わたしという場でははずしようがない。けれどいつでも
はずれっぱなしのものとしてある。
矛盾するよね、でも矛盾するんだ。頭というものは納得、合点
する方向に向いているものだからね。頭ではどこまでも、納得でき
ないよね。でもぼくたちがやっていることの多くはがんじがらめに
なっていつでも、これかあれかとやってはいるけれど。なんにも
決まったものがひとつもないのだと心の片隅にでももっていると、
生きるということがラクになるよね。
ある。八、愛・自我中心に感受すれば愛欲が生ずる。九、取・愛欲
が生ずればこだわりがでてくる。こだわりのこと。十、有・こだわ
りから自我の自覚が成り立つ。十一、生・自我の自覚が迷いの
生きがいを見いだす。十二、老死・それゆえ老や死の苦労もある。
本文のなかではこの十二因縁は、無明と老死しか書いてないの
ですが、省略されているだけで書かれている訳です。十二因縁
とはわたしというもののありようの構造と解放を書いているんです
よね。はじめに学びましたが、わたしはことばを生きていますから
いつでもことばから離れては考えにくいのですが、ニーチェのいう
生成もそうだとぼくは受け取っているのですが、いつでもナマの
実物しか生きてはいないのです。このことは実感できないまま
なのですが事実としてそうですものね。そのナマのこれそのものは
無明とか生とか老死なんて名ずけられないそのまんまです。けれど
これのことをわたしと呼ぶ時、そこには無明も生も老死もあるわけ
です。わたしという場でははずしようがない。けれどいつでも
はずれっぱなしのものとしてある。
矛盾するよね、でも矛盾するんだ。頭というものは納得、合点
する方向に向いているものだからね。頭ではどこまでも、納得でき
ないよね。でもぼくたちがやっていることの多くはがんじがらめに
なっていつでも、これかあれかとやってはいるけれど。なんにも
決まったものがひとつもないのだと心の片隅にでももっていると、
生きるということがラクになるよね。