スイカ

2017-07-31 21:26:30 | 日記

 先日スイカをもらったんだ。それですっかり冷たくなったスイカを、薪造りしているおやつに。今日もえらい暑い一日で、汗がそこらじゅうから吹き出ている。そこをスイカだものね。いやぁむしゃぶりついて、うめかったのだ。

 高校生のとき、大きなスイカを家のものが誰もいないあいだに、弟と二人してスイカを半分にして、スプーンでペロリと食べたことを急に思い出した。いつもは家族が多いから、十分に食べれなかったのだろう。この時とばかり食べたことと、食べ終わってからの罪悪感が押し寄せてきた感覚が、いまだに引っかかっているのです。


2017-07-30 22:12:21 | 日記

 この時節やっぱり海が恋しくなる。子どもたちが高校生ぐらいまでは一夏に何回も入りにいった。それはもう狩猟で、サザエから岩牡蠣、アワビと彼らの成長とともに採る量も、潜っている時間もながくなっていったんだ。で、いまでは年に一度か二度入ればこちらは気がすむ。一昨日に東京に行っている息子が帰ってきて、それで門前の彼らと一緒に海へ。うん、やっぱりね、海に波にまかせてたゆたっているだけで、きぶんはいいのである。


2017-07-29 18:44:37 | 日記

 いよいよ蜩が、朝夕はもちろん今日のような曇り日だと、一日鳴いている。でも圧巻は、早朝夜明けごろ、4時前後の大合唱は圧巻である。この合唱を知らない人は、是非聞きにこられたし。それほど、いいのだ。


周五郎

2017-07-28 21:24:09 | 日記

 大学に入るまで一冊の本も読まなかった。それが、大学に入って夢中で本を読み漁った。折しも、学園紛争のさなかであり、それの影響が大きかったのだろう。ともあれ知恵や知識に飢えていたのだ。講義のいくつかは面白いのもあったのだろうが。それよりも梅原猛がちょうど仏教を学び始めた頃で、その連続講義が、新宿の本屋でありそれはずいぶん強烈な印象だった。だから、仏教学はもちろんだけど、哲学、思想、文学などと時間が足りなくて、はぁはぁいうかんじで学校にはろくに行かずに、本読みに精を出していたんだ。小説は漱石やドストエフスキィやヘッセが好きで、ほとんどのものは読んだと思う。けれど、個人全集をしっかり読んだのは、山本周五郎ただ一人である。

 哲学の本に集中して読んだら、なんというかアタマが鉄アタマのようにかんじて、その疲れを取るのに周五郎の本を開くのだ。たいがいは数頁読むとそれだけで、なにやら安心して眠れたのだ。それが時には、哲学などは放ったらかしにして、朝から朝まで周五郎漬けになったこともある。

 唐突になんでこんなことを書くのかって。最近友が、周五郎を読んだ。ずいぶん興奮したなどと、はやしたてるもので、どれどれという感じで読み出したのだ。読まなくては、などと思っている本が机の横に積まれているのだ。それらをよけて、周五郎にはまってしまったのだ。昼は薪造りで夜はしばらくで眠ってしまうのが、このところ寝不足気味で、いやはやなのである。


あすなろ通信

2017-07-27 21:34:00 | 日記

 あすなろ通信がおもしろい。文章がさっぱりとしながら、適確にそこをうたいあげている。抜き書きである。

 

 雑なもの、雑巾、雑音、雑誌等々という言葉があります。それほど価値のおけないものの言い様です。雑におおわれて、大切な事柄が分からなくなり、見えなくなってしまうことがあります。しかし同時に雑なものがあり、その中でこそ、見つけられるものがあります。嫌なこと、面倒なこと、不幸なこと、汚いものがある故に、美しいもの、真や善なることを分からせてもらえます。

 直そこに 見えない 聞こえない 触れられない ものがある

 ぼくらはみな 到底分かりっこないものによって 刻々と 生かされている

 大丈夫 そのままで