草画帖

2021-11-18 20:33:32 | 日記

 草画帖ー草筆木筆で描く不思議のらかんたち  

 ここでも随分以前に泉井小太郎さんのことを紹介したことがある。

ぼくにはいろんな友人がいるが、文人とこちらの中で思っているのは彼一人だけである。

彼、今は故郷の兵庫、加西市に住んでいるが、以前は金沢に住んでいた。

その頃からの付き合いだからかれこれ30年ほどになるのではないか。

若い頃からロングヘアーで仙人ひげ、小柄でひょうひょうとしているようで

存外すばしこっく、草野球をここでやった時もフットワークといいなんかやりそうなのだ。

彼は詩人、俳人、拝画を描く。彼が語り出すと映画の話であれ野球の話であれ

またまた政治の話であれ、人をそこに引き込んで離さない。

何かこちらに言わせると天性の語り部なのだが、本人はそんなことに重きはなく

俳句を俳画を飄々と描いている。

最近、奥様も絵描きなのだがご両人ともがんになり、それでも二人で

相変わらずの暮らしを続けている。金沢にいた若い頃は古本屋の雇われ店主なるものを、

していた時期があるらしいが、こちらと出会った時期にはもうそんなことどももやめて、

さやかに清なるくらしをしていたんだ。だからこちらが金沢に用事ができて急に

訪ねてもいつもと変わらず応対してくれたのだ。ほとんどの人は忙しくやっているからね。

まして互いに3、40代だから。

昼にお邪魔して気がつくと夕暮れになって慌てて帰ることにいつもなったように思う。

 さてこの草画帖のことである。

これのことは以前からここで取り上げて書きたいと、思っていた。

しかしながら書けないでいた。というかこちらに基本的な素養というのか、

その俳句やその文を評するほどのものが、こちらにないということだけが

はっきりとあって書けないでいる。今もそうである。

そのまま、その感想を言えば内容的に何もないのである。

なにもない。が、読んだ後、いろんなことがこちらの中で静かに醗酵している。

または魂が喜んでいる。このところ毎月1冊づつ刊行(ネットで売られている、こんなものがとてつもなく安い)

されていて現在42号である。1冊が14ページだから、読むということもない。眺めているに近い、

机のそばに置いてあり、思い出したようにして開いている。そんなものである。

何か役に立つとか、いい情報とか、知恵が詰まっているとかの類ではないのだ。

だから、なんにもない。このえも言われぬこれのことを共感を持って語れる人が

これまたそういないのだ。なんとも不思議な彼そのものがらかんなのである。

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ヤママユガ

2021-11-17 20:34:23 | 日記

 山繭をご存知だろうか。昨日遼雲が見つけて、

ここの昆虫少年である江崎や啓子さんもカメラに収めたからこちらのものはまぁいいかと

(ほんとうはこちらもその写真を載せたいがあいにく上手くすぐ載せられないのだ)

えっなんの話だろうかって、ごめんヤママユガ科のウスタビガのつがいがその繭を挟んで

交尾している写真なのだ。

ヤママユは羽根を広げると13から15㎝ぐらいとか、このウスタビガは10から12㎝ほどとか。

ともあれネットでも図鑑を持っている方は、それで調べて欲しい。

このウスタビガの羽根の模様といい、その大きさといいそれが蛹から出てきてすぐ

オスがそのメスのフェルモンをとらえて交尾しているのだ。

昆虫少年の江崎の詳しい説明を聴きながらうむうむと頷いている。

なんかねすごいのよ。感動ものなんだ。この交尾は半日ほども続いていた。

それからメスが卵を産み付けて死ぬ。なんなんだ。こりゃ。

いのちそのものの持っている厳かさとでもいうのか。

 

 それでおいらもなんやら、詩らしきものが湧いたんだ。

人のいのちも ひとりで燃えている

この燃えるは あたかも焔の如くである 見えないが

刻々とときを刻むように燃えている

そう こうしている今もだ

それはいのち自身がすでに 人のもつ意味や理由を超えて

なすべきこととしてほむらをあげているのだ

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6夜の月

2021-11-11 20:10:06 | 日記

 三日月とは少し言い難いお月さんが、雲間からのぞいている。

山の間伐作業も大詰めのところまできた。前半は好天気に恵まれて、

なんとも幸せな気分だった。こんな仕事は年々きつくなるようだ。

チェンソーを使う作業や山での仕事は要注意である。ちょっとの油断が思わぬことになるからだ。

ここは山水を生活用水としている。そのため毎月一度は水源地の掃除や空気抜きなどが必要だ。

山から引いた水を、ここの下のところまでパイプで引っ張り、(1キロ以上ある)タンクに貯めている。

そのタンクに貯めたものを、今度は境内の最も高い山の上のタンクまでポンプで送水している。

それで、そのポンプやパイプはここにとっての生命線で気を使うことになる。

 そんなポンプ小屋の横に根元周り50センチほどになった栗の木が、

横に長く伸びてタンクの上まで覆うようにして伸びている。

その周辺も雑木が乱雑に伸びている。

この夏ポンプ小屋を弾たちが新しく建て直したこともあって、

ここをきれいにしないとね、などと話していたのだ。

さてこんな大物を切るとなれば、準備も大変でワイヤーを使って

チルホールというワイヤーを引っ張る道具を使って、

ゆっくりと牽引しながら切り倒すのだ。遼雲はもちろんのことながら

弾にも手伝ってもらいながらであった。

こんな大きなものを切り出すと、とうぜんのことながらすごい量の材になる訳で

もちろんそれらは来冬のストーブ薪である。切り出したものを肩に担いで山道を

100メートルほどあろうか、それを遼雲がロングの2トントラック2杯分を運んだ。

生の木だから、輪切りにしても一つが5、60キロもあるものを担いで黙々とやっている。

それだけで大したものだが、誰も褒めてくれるものなどいるはずもなく、だ。

ここまでは天気が良かった。この後、ちがう現場、

道路脇の斜面のきついところの雑木を切る作業のところから雨降りの中

カッパを着ての作業だ。もうこの時期天気が良くなることを待つことはできない。

みぞれや霰、が降り出すのである。昨夜などは冬おこしの雷がすごかったもの。

そんなわけで、あとしばらく雨の中の作業が続く。

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