稲刈りの最中は、アキアカネが稲の上をつがい飛行をして田んぼに、産卵をしにやってきていた。来年また田んぼに水が張られる頃には、水生昆虫のヤゴになっていて、たくましく泳いでいることだろう。その用事がすんだものが廊下の隅によこたわっていた。そして先日のカメムシと言い、このアキアカネもじつに精巧に作られていて、裸眼ではちょっと見るのがむずかしいが、じつにきれいなのだ。
田んぼはぜんぶ村の方から借りている。最初は一反(300坪)につき2万円だった。それが時とともに、ご縁さん(住職のこと)もう時代は変ったんやはね、もう作ってくれればそれだけでいいがやわいね。と言われるが、やはりこれまでのこともあり、お米を、現物でお上げしている。もちろんそれさえも、断るお家もあれば、公然とお金とお米をいまだに持ってこい、という方もおいでる。こんな小さな村でもこれほど違うのだ。お家に挨拶にいってもじつにそれぞれが違うことに、そうだよねともおもう。
先日、迷犬のハナが夜中にひどいけいれんを起こし、連れ合いとこれがお別れかね、などと、見守っていたのでしたが、翌日は普段とさほど変わりなく、やれやれだったのです。ところがその3日ほど前から野良猫のニャンくん強い相手にやられたらしく、3日ほど行方不明に。3日経って現れた時には、もう水も飲めない調子で、病院へ。翌日から入院して点滴を。一日だけ入院してそれから1週間ほど経ったけれど。いまだ、もうすこし元気がない。こういう、子どもとか彼らに対しては、なんなんだろうめっちゃ世話を焼いてしまうなぁ。
古文の会で万葉集を読んでいる。柿本人麻呂の名前ぐらいは、知ってはいる。なれど、じっさいは何も知らない。今すこしの本を読んだくらいで、知ったなどとは到底言えないが。ともあれ何も知らなかったときとは、比べることができないなにかがこちらに入っているように思う。その人麻呂の有名なものに、
ひさかたの天の香具山。この夕べ、霞(かすみ)たなびく。春立つらしも
大意、天の香具山よ。この夕べに眺めると、霞が棚引いている。もう春がやって来たらしい。
山本健吉さんは、おおらかな調べの美しさを持った歌。という。なんども口ずさんでいると、また、違う人の情景歌を読んでいると、この人麻呂のおおらかさを、ようやくかんずることができるのであった。
夕方、我が迷犬ハナと散歩していると。野の花々に目がいく。冬を除いてじつにいろんなものが次から次と咲いてくれるのだ。カメラを持って歩くということを、なかなかしないものだから、その証拠写真を撮れてないのが残念ではあるが。こちとら人の名前さえ、一度聞いても覚えることができないものゆえ、野草の名前、その時は覚えたつもりになってはいても、すぐ忘れる輩。まことにぬけさくなものやからね。