ヤマカガシ

2014-09-29 20:32:51 | 日記

  散歩の途中で蛇と出あうことは先日も書いた。あれから半月ほどは経ったのだろうか。この前のものが幼蛇だとするとそれよりかもう少し大きめのヤマカガシである。ヤマカガシを知らない人はこれの鮮やかな色合いに驚くだろうと思う。「かが」と言う言葉は古語であるらしく、赤を意味するらしい。こちらのうろ覚えの知識だからあまり信用はできないが。年賀、賀正、加賀などは「めでたく」赤の色使いが多いとか。ヤマカガシはマムシほど強烈な毒ではないらしいが、毒を有するらしい。それでも、マムシとは違い素早く動くから、滅多にかまれることはないようである。犬のゴロウ君がやたら吠えたて、鎌首を上げて飛びかかるとゴロウ君も飛び跳ねてなかなかの格闘であった。

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明眼の人

2014-09-28 22:00:41 | 日記

 正法眼蔵随聞記(これは師匠の道元さまのおそばで使えた懐奘さまが道元さまの言葉を残したもの)に「はずくんば明眼の人をはずべし」他の人に何か言われて、気にするならば、明らかな眼を持った人の言うことを、気にしなさい。と。褒められると知らぬまに調子にのっているし、悪口やけなされるといつまでもぐずぐずとしている。こういうことはある意味日常茶飯事でもある。けれど、言われてある意味もっとも影響が大きいのは、やはり年来の友である。その大事な友を相次いで亡くしてしまったが、彼らならどういうてくれるかと訪ねているところがある。それと、どうしてもやはり道元さまや親鸞さまを手本としてきたものにとっては、その彼らのことばで左右されているところがある。というか、そこに光を見いだして歩んでいるのである。

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金木犀

2014-09-27 21:35:57 | 日記

 今日昼から久しぶりにみんなが揃ったので、床土用にビニールハウスのなかで乾かしてあった土のふるいかけを。一袋20キロで100個ぐらいだろうか造ったのだ。土煙がもうもうと立つ。そんなときでも不意にその香りは来る。金木犀である。甲府から帰ったらもう香っていたのだ。

 香りとか匂いというものは不思議なもので、急にというか唐突にある昔の風景も思い出す。金沢にまだこのお寺があった時、やはり境内に大きな金木犀の木があった。この木はふだんは常緑樹なれど、ほとんど目立つことがない。ところがこの時期唐突にここにわたしは居るよとばかりそんざいを思い切り主張するのだ。中学3年だった。高校受験で追われているはずだった。いやそれだからこそというべきか、お寺のすぐ側にアパートがありそこに一つ年上だけれど、美人の彼女がいて毎晩9時に彼女と境内の暗がりで、つまり金木犀のそばで待ち合わせをしていた。

 そんなことどもを、何のつながりもなく急に思い出させるのだから、香りを判断するやつは脳のなかでも古い層のところにあるに違いない。

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通信

2014-09-26 20:10:06 | 書簡集

  「災害と祈りと」

 人が営む場には、必ずといって

いほど、災害は起きるものとしてある。

それはかんたんに言えば、この人とい
うものそのものが、大地にとっては災
いであるからであろう。
 地球という天体の皺にしがみつくよ
うにして生息しているわれら生物は、
太陽の黒点が増えた。どこかの火山が
噴火した。地下のプレートが少しずれ
た。というだけで、そのたびごとに何
やら大騒ぎである。災いを災害を恐れ
おののいて暮らしているのである。
 狩猟採集の民のころよりわれら人族
は、この荒ぶる大地に祈りを捧げるこ
とで、かろうじてこの皺にしがみつい
てきた。
 ところがこの人族が、この地球上を
いつのまにか我がもの顔で占拠し、道
具や技術の優れ物を使うようになって
から、なんでもこの道具や技術で、人
の力でできるものと錯覚してしまって
いる。
 その頃からわれら人族は、祈るとい
う行為を忘れてしまったかのようであ
る。グローバル化という経済主義は、
わたしというものを一個のものと化し、
そこの点と線を埋めるものだけに落と
しめている。それゆえ自力作用の強い
ものだけが、その点と線を拡げること
ができるかのように、一つのゲームと
して展開している。
 ほんらい、いのちというものは見え
ないものにつながれ、ありとあらゆる
ものに支えられ、あらそいながら共に
ここに生かされている。経済や国家が
あってわれらが生きているのではない
ことを、こんな時代ならばこそ、はっ
きりとさせねばならない。
 われらは新聞やテレビの窓から、茶
の間にいながら戦争や飢餓、また災害
を知っている。知っていながら、日々
の現象に追われ追われて、おのができ
ごとのなかだけで閉じている。いちば
ん願うべきは、この大地にひれ伏すこ
と、祈るという行為なれど、そんなこ
とどもはすっかり忘れて、まるで地球
外生物かのようにそれらを望遠してい
る。思へば、人がこの祈るという行為
を忘れた時から、それらの災害はもっ
とその荒ぶるさまを見せつけているよ
うにもおもわれる。
 この地球という星も、わたしといっ
ているこれも、なんのいみもりゆうも
なく、ただここにおかれている。
 それは奇跡などという知った言葉で
は表現できない。それこそ、仏典に示
されるように、大きな大きな岩を千年
に一度、天女が降りてきて、その羽衣
で岩をなでる。そうやってなでてこす
られることで、大きな岩が土になるよ
うな、そんな途方もない時なのだ。そ
れはおおよそ、人族ではとうていはか
り知ることができない時間、空間を経
て、そのわずかな縁によって、ここに
ただおかれている。そのものを地球と
いい、わたしといえるものとして、今
のこの生を与えられている。
 なれど、このわたしはわたしの力で、
わたしの思いでなんとかできると、ど
こまでもかたくなである。
 このわたしのなにを、どうできると
おもっているのか。食べること、出す
こと、人と出逢うこと、その一つ一つ
は支えられ、動かされるものとしてあ
るということを、このわたしはすこし
も思っていない。自分で、自分の力で
生きていると、どこまでもかんちがい
している。それゆえ、このわたしとい
う一人の上においても、祈りを日々暮
しのなかでおさめていくより、すべが
なき身の上なのであった。
 われらの先祖たちは、祈りを怠るこ
とは考えもできぬこと。祈り、そこに
はわれらの意味も理由もとどかない。
ただ五体投地することで、かろうじて
この地球上のすべてのものとつながっ
ている、安らかにという願いである。
それはまた同時に、どこまでも自分と
いう思いを中心にしてしか、ふり回す
ことができぬものの懺悔の姿でもある。
念仏や坐禅がそうである。家に内仏が
ある者はそこに手を合せる。近くに気
に入った宮さんやお寺があれば、そこ
にお参りする。自意識をなぶることし
かできぬこの身を、しばし大地にあず
けるそれが祈りであった。
            村田 和樹 

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彼岸花

2014-09-25 21:08:51 | 日記

 境内に彼岸花が咲く一角がある。そこからようやく花芽が出てきた。古墳墓のところにも数年かけて植えたものが少しずつ出てきたようだ。

甲府でお葬式をしたお寺の境内に、見事に咲き誇る彼岸花があった。そんな時期に訪れたことがないものだから、久しぶりにあの赤の群生たちを見た。

ここの境内に出てくる量はせいぜい10本ほど、古墳の前などもかなり大量に植えたのだ。けれどいまだその全部が咲き出すまで年月がかかるのだろう。

 とまれ、彼岸花と言うやつは一本をじっくりと見る分には、じつに優雅なと言おうかきれいなのである。しかしこれがあるまとまった数が一斉に咲いている姿は、独特の狂気を発する。それはやはりあの赤のせいだろうか。それも血の色を連想させるようなのだ。遠くからあの赤を望むとまことにあざやかな印象で、されど側にいくと決して派手さはなく、なにやらかえってこちらの思いを沈静化さすようなのだ。そうやって色んな花を思い浮かべてみると、それぞれにこちらの印象が違ってくるから、その花の個性とこちらとの相性も知らぬまに大きな関係になっていることをあらためておもったね。

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