ジャガイモ

2015-03-31 20:07:46 | 日記

 お天気がいい。少し動いただけで暑くかんじる。日中は半袖で動いていた。そんなんだからジャガイモも一気に植えてしまうのだ。例年ならばもう少し遅れていたとおもう。ここのところのお天気で、畑がずいぶんと乾いたのだ。やはり、植えるには耕耘しなければあとあとの草取りなどの手間を考えると、耕耘する。耕耘するには畑が乾いていないとできない。ほぼ一週間前まではそこらへんはまだ雪が残っていたのだ。だから驚いている。

 いつもの散歩道、林道をハナと歩いていると、昨日まではその姿を見せなかった一輪草が、道路脇に咲いている。これからこの周辺はもっと群生する場所である。それの最初のものが咲いたのだ。ほんとこういう野の花というのは、いじらしくも行儀のいい奴で毎年きちんと咲いてくれるから、有り難いものである。昨日まではただの道が、今日から一気に一輪草道路に変身するわけだから、いやはやたいしたものであること。

 

夕方に写真を撮ったから、花はもう閉じていた。

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塩水選

2015-03-30 20:17:21 | 日記

 いよいよ稲の種籾の塩水選である。毎度いうているような気もするけれど、同じように思うもの、だから言うだ。種籾を塩水で選り分ける作業である。もちろん自家米だから、この種籾はもうよろみ米に、ブランドになってしまっている。90キロの種籾を選ぶのに120キロほどの中からやっているとおもう。皆してにぎやかに、うるさいほどの陽気さで作業ははじまったのだ。

 そうやって比重の重いものを選ぶことで、いい苗をつくる第一条件になっている。今日選んだ半分の45キロは早速芽出し器に入れて、これから6日かけてゆっくりと少しだけ芽を出す。

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緑と空と 4

2015-03-29 21:09:25 | 日記

 この緑と空との稿で書きたかったことは、この緑と空があることそのものが奇跡的なことであること。そしてあたりまえのことながらこの緑と空がわたしたち生命体を守り育んでいるところだと言うことをあらためて確認したかったのだ。それにともなって思うことは、人が進化し発展、発達しているということというのは、一体何のことだったのか。とくりかえし思う。

 車に運転手が居なくても確実に運転する技術ができたとか、医療手術でロボット手術が活躍しているとか。その科学技術の進展は日進月歩するのだろう。医療のことだけをみても、たしかに薬は開発され、技術は発展しているらしい。しかしながら未熟児で生まれた子どもが最新医療で助けられ、長じて次の世代のこどもを成したときに色んな障害や精神的にも変質なものをつくりだしている症例があることなどを、聞いたりするまでもなく、技術は発展するのだろうが、それについて人そのものが進化、成長しているとはとうてい思えず、原発をはじめ車社会やコンピュータ社会になったことでたしかに、便利、合理的にはなった。しかしそのことでわたしたちの人生、生きることそのものが、豊かになったと思えないのはどうしてか。

 かえって人はどこに向かって、なんのために生きるのか。人であることはなんなのか。生きるとはなんなのかがあらためて、正面から問われているのが今の私たちの社会のありようなのではないか。そんなことどもをほんとうはするどく問われているのが現代なのだと。

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梅開く

2015-03-28 21:41:55 | 日記

 本堂前の老梅が開いた。梅の木だけでも15,6本ある、けれど開いたのはこの梅だけである。3日雪降りが続いたとは思えないような、晴天の3日だった。

 ここの住人が炭竃の付近で片付けをしていて、製材から出たゴミなどを整理しながら燃やしていたものが、萱の枯れ葉に燃え移り、風もあおいでまたたくまに燃え広がった。この春のフェーン現象はやばいのだ。大事にいたらずだったけれど、ほんと火事は恐いのだ。

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ガンジー

2015-03-27 21:33:15 | 日記

  先日お天気の悪い日、映画「ガンジー」を観た。3時間の大作だから夜に観るにはちょっときついものがあり、それで昼間にゆっくりと観た。ここの住人が録画してくれたものである。

ぼくは前にも書いたかもしれないが、高校を出てから子どもがTVを見るようになった小学校位までの間の15,6年ほどはテレビ的話題や歌謡曲の類いはほとんど知らない。関心がなかったのだ。だけど、その間も映画だけは観ていた。子どもが小さかった頃なども、映画を観るためにだけここの皆して金沢までツアーを組んで観に出向いたのだ。子どもがそばに居ると映画に集中できないからと、夫君が観ている間は妻が子どもを守りして、たがいに子守りしながら観たのだった。それだからこの「ガンジー」も観た。1982年、強烈に覚えている。

 古い映画はよほどのことがないと、あまり観ようという気はないのだけれど、このガンジーは気になることがあってみた。監督は俳優でもあるリチャード、アッテンボロー「大脱走」に出ていた。うん、あらためてインドってすごいなぁと。最近なにやら涙腺がゆるくなったせいか、ちょっとしたことでながれる。観終ってからしばらく立つことができなかった。いい映画はいいね。

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