小説を読む会を、(名作の旅)今日から始めた。
小説がなかなか読めないでいる。それでこれも
みんなして読もうと、会を立ち上げたのだ。
今日は若い方も集まり、よかった。
ヘルマン・ヘッセのデミアンをおよそ50年ぶり
ぐらいで読んだ。ヘッセは1877−1962ドイツ生まれの
スイス在と。内容は、少年の心の葛藤を描いている。
ヘッセが第1次大戦に出会って大変大きな衝撃を
もらい、(それはある意味、ヨーロッパにとっては
とても重い事件だった)その前からも戦争は
あるのだけど、第1次大戦はそれまでのものとは
比べることができないほどのことだと、それは戦争の道具
が格段に性能が良くなり、そのことで死者数は両軍で
1000万人戦傷者が2000万人だったらしく、ヨーロッパの
そこらじゅうに、手足のなくなった人たちの姿、それは同時に
仕事がなくなって気力もそして貧しさを抱えた人たちの群れが
街の至る所で見かける景色となり、これまでの様相とは
全く違う姿を見せつけられたことが、ヘッセをはじめ
多くの人たちにとって暗い影を与えたという。
ヘッセの作品、最初は牧歌的なものだったものが、
このデミアンから作風が変わり内面的なそして現代を批判する
ものに変わるものになったと、解説に書いてあった。
ついでながら、このひどい目にあった戦争から
(1914−1918)わずか20年後の1939−1945に第2次大戦に入り
戦死者数は両軍で6200万人、この時ももちろんヘッセは生きており、
最後長編のガラス玉演技を描くことになる。
思うにこちらなども、彼らの影響で戦争やまたは今で言えばコロナ
やエイズなどの伝染病(当時でいえば天然痘やペスト)などが人類
という種を消滅させる原因になるのではないかと、なんとなく
思ってきたが、今日このデミアンを読んでその内容とはおよそ
関係がないのだが、人類が消滅するのは、そういうものじゃなく
進化、とか向上というものなのだろうと思ったのだ。
それは、資本主義の構造と同じく、技術文明のあり方そのものが
もう人の在り方を超えでて、これから恒常的に進化発展を遂げることが、
つまり豊かに便利になればなるほど、人そのものが住めなくなる社会を
構築している。安心安全を探せば探すほど人そのものが壊れていく。
これは思索的な事柄の結果ではなく、およそ今の時代を生きている
ものならば、身体のどこかで直感しているヤバさである。
このままでは人類の未来はないよな。である。
さてこのことは、掲示板の方でも少し書いたが。
なにかある種はっきりとしたものを、このデミアンを
読んでかんじたのだ。それは前にも言ったごとく、虚しいとか
退廃的になることなのではなく、かえってわたしという人生
生きるということの意義を問われることになるのだと思う。
さらにいえば、宗教や哲学なるものの役割がもう終わった、と
思う。もちろん教会活動や寺院のあり方などが急に無くなる
ということではなく、そこに対する求め方が様変わりしてしまった
のだと思う。その分、統一教会などのような人の弱みにつけ込む
ものが増えるのではないか。それほどに今の世の中の
ありようそのものが、とても明るく平和な分壊れている人たちが
増えていくように思うからだ。
それだからこそ、もう一度イエスやブッダのそして思索者たちの
言葉を掘り起こしながら、自分という人生を見直していければと
願っている。