クマともりとひと

2020-02-28 09:54:10 | 日記

 この山に住んでもうかなりの時を過ごしている。けれど、山のこと暮らしのこと、知っているのはほんのわずかなことだ。それは政治や経済から歴史、そうこの自分ということや人間ということも。知っているのは、自分にとって知っているところだけは知っているというだけで、何をどこまでなどと言われると急に困るようなそんな知り方だ。

 「クマともりとひと」という薄い冊子をここに出入りされる方から頂いた。日本熊森協会というところが出している。そこにはこの協会がどうしてできたかということが書かれてある。中学の理科の教師だった方が生徒を通して教えられ、活動を起こすことを解りやすくしかも丁寧に、そして実直に書かれてある。これは是非多くの方に読んで頂いきたい。そして広がり、みなしてこの国土を森を守っていきましょう。と思ったのだ。

 こちら偏屈ものなのか、反原発運動や反戦運動というものにどうしても馴染めない。それはなんだろう一言でいえば、運動家になってしまう事がつまらないと思っているようだ。もちろんそういう具体的な活動をされる方がいないと、広がり啓蒙されないわけで。それを承知のつもりでも反原発、反戦ではあっても運動家であることを断ってきた。この山での暮らしそのものが、ぼくにとってのそれで、運動される方は他に多勢いると、逃げてきたんだ。

 でもこの日本熊森協会の活動、これはこの山に入ってぼく自身が、それなりに気がついていたんだ、でもある意味こんな世の中だから仕方がないのだろうと半ば諦めていたのだ。それは田んぼのことにしてもそうだ。(ここで詳しく書いている余裕がないが)「クマともりとひと」ネットでも読めます。是非読んで見てください。自分の思いで読んでください。これはたんにクマを守る。森を守るというだけのお話でないことは十分にわかることと思います。そしてこの熊森協会に、入会、またはカンパまたは広がりの応援を、支援をしましょうよ。

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現成公案講義

2020-02-24 20:41:51 | 日記

 この土曜日、日曜日と櫛谷宗則さんの講義でした。ここでも気安く宗則さんとよんでしまいますが、もうかれこれ50年ほどのおつきあいをいただいている。宗則さんは内山興正老師の高弟で京都安泰寺では大先輩でした。2年に一度新潟から来られて講義をしてくださります。毎回のように参っているのですが、今回も率直に参りました、でした。なんていうのだろう、宗則さんをご存知の方はうんうんと頷いてくださるとおもうが。やさしくて、どこまでも丁寧、人に対しても分け隔てがない。およそ武張るというところからとても遠い方である。それが講義となると、速射砲にて一気に核心へと突入し、しかもそうでありながら淡々と語られる。その語られるそこここになんとも言えない気概というか、迫力が。これは本人のあずかり知らぬところ。日頃の姿勢そのものがこちらに響いて、講義終わった後、ともあれこちらは、「はい」としか言いようがありませんでした。

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コロナウィルスのこと

2020-02-19 20:23:15 | 日記

 新型肺炎または新型コロナウィルスが蔓延。先日東京に所用あって出向いてきた。マウス姿の人だらけだった。友人宅ではテレビがつけぱなっしで、音声は消されているものの画像は流されており、その中で例のプリンセス、エリザベス号の船内の様子が。次から次へと感染して行ったのは、船自体が閉鎖されていることと、船内は手すりだらけで、この手すりによって感染したとか。都内の移動は電車でどこの駅もエレベータで、そこも手すり。電車内もつり革、手すりでこれじゃあっという間に感染するよ。と思った次第。このこと自体が、もう思いの方から感染してしまっているのだ。

 仏教がこの島国に入った6世紀折しも天然痘が猛威をふるっていた。それで大陸からそんな得体のしれないものを持ち込んでくるから、怖い病気が入り込んだ。と噂された。それでもその当時の人々にとって、初めての体験、仏像である。聖なるもの、具体的に神々しいものを見せつけられた大きな事件であったろう。これに手を合わせ、すがるようにして拝めば我らの苦しみが救われるのではないか。と大きな幻想を抱かせた。事実、懸命に祈る、拝む自身の姿そのものに救われるというか、一つの安堵感が与えられたのだろう。ということは確かだ。そこから飛鳥大仏や東大寺の大仏に流れて行ったのはさもありなん。である。  もう一つヨーロッパ中世のペストである。肺ペストにかかると数日で発症してわずか2日で血反吐を吐いて死ぬ。死んだものは手足の先が黒く変色するから、黒死病と言われたとか。その当時のヨーロッパ総人口5千万から7千万人の3分の1にあたる2千万人がなくなったというから、脅威そのもの。この時もユダヤ人狩りが行われたらしい。「井戸に毒を入れた」とかで。そして近くは第1次世界大戦のとき、スペイン風邪が蔓延。6億人だかがかかり、5千万人がなくなったとか。

 ゆめゆめ侮ってはならない、人類にとっては病原菌との戦いの歴史でもあるからだ。しかしながら適切に怖がるということ。きちんと自衛するということ。日頃から自制して感染しにくいからだ、気を養っておくことが肝要なこととおもうた。身体が感染する前に、思いや気で感染しないようにしたいもの。

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お陽さま

2020-02-12 20:56:52 | 日記

 朝から晴れ上がる。気温は低いが、お陽さまに体操しながら当たっていると、身体全身でその恵み、暖かさ、気力、パワーがみなぎってくるようでうれしい。3日前➖10度以上に前触れなく冷え込んだ。やはりポンプや上のタンクまでの送水管までも凍りつき、水が2日も断水。積雪がない分凍るのだ。朝から暗くなるまで遼雲と二人あたふたとやっていた。1日目は近くの風呂屋に入ることもできず、ダウンだったが2日目は風呂屋に入って来て、少しは緩んだ。けれど朝いつもの時間に起きても、身体が重く、やっぱり応えているよなぁ、だったんだ。それが朝日の力でみるみる間に、身体が甦ってくるよう。瞼を閉じながら、お陽さまを見ると瞼そのものを通して見える。眩いくらいのお陽さま色、いのちの色だ。なんだかなぁ、このお陽さまにすべては任せられてここにいるということを、改めて実感したのだった。

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正法眼蔵随聞記

2020-02-06 20:30:54 | 日記

 今朝も冷え込みました。1日にうっすらと積もった雪が、まだらになって消え入りそうな頃、ちょっと降りましたよ。除雪車もこの冬初めて来た。15センチほどだから来なくとも問題にならないのだが、試運転のつもりだったろうか。

 ある程度の積雪がないと、急に冷え込むと水道管やポンプが凍りつくことになる。雪がある程度積もっていた方が、風除けになっていいのだ。それで、昨晩は台所の水は出し放っしだったよね。そういう心配事は雪国ならではのことだろう。でもやはり朝起きて外を見たときの美しさは、毎度のことながらうれしいよね。

 先日の続きで、正法眼蔵随聞記から。

 三の9 学道の人、世間の人に知者もの知りとしられては無用なり

 真実求道の人の一人も有らん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我を殺さんとしたる人なりとも、真実の道を聞かんと、まことの心を以って問はんには、怨心を忘れて為に是れを説くべきなり。その外は、教家の顕密及び内外の典籍等の事、知ったる気色して全く無用なり。人来たって是のごとき事を問うに、知らずと答へたらんに一切苦しかるべからざるなり。それを、物知らぬはわろしと人も思ひ、愚人と自らも覚ゆる事を傷(いたま)れて、もの知らんとて博(ひろ)く内外典を学し、あまつさえ世間世俗のことをも知らんと思うて、諸事を好み学し、あるいは人にも知ったる由をもてなす、極めたる僻事なり。学道のために真実に無用なり。知ったりを知らざる気色するもむつかし、やうがましければ(もったいぶる)かへりてたうと(ありがたそうで)気色にてあしきなり。もとより知らざらん、一の事なり。ー省略ー

おおよその現代語訳

 ほんとうに仏道を求める人が一人でもある時は、自分の知っている仏祖の法を説かないことがあってはならない。そしてたとえどんなことがあろうとも、真実の道を尋ねることがあれば、説くべきだろう。しかしその他のことなれば、みっともなかろうが、愚か者と言われようが、云々。

 なんかね、こういう風にズバリと言われてしまうと、まことに顔もあげられない。基本的に劣等感のかたまりのようなものであれば、少しでも知ったようなことがあれば、平気で知ったかぶりをするし、やうがましいし、たうと気色が得意なものからすれば、なんともなのだ。

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