深夜2時過ぎか、雷がいきなり連発して鳴ったかと思うたら、雨が勢いよく降り出して、そうバケツをひっくり返したような降り。間断しながら午前中いっぱい降り。境内は一時は湖のよう。このまま降り続くと、ひょっこりひょうたん島でぷくぷく浮いてしまうのじゃないか。そんなことを想像させるくらいの降りでした。ほしたら、七尾では避難勧告となっておりました。昼からだいぶ勢いが収まって、やれやれですが。今10時過ぎ、まだ雨降ってますよ。明日晴れると言う予報で、安心しておりやすが。
昨日はお天気の合間をみて、白菜を定植しました。9日の日に種蒔きをして、お盆後の18日にポットのなかで一本立ちに。それから10日後には定植でした。畑が乾いて困る!雨よ降れぇと騒いでいたら、雨が降り出したとたん今度は降り止まず。苗はポットのなかで窮屈そうにしているしで、困っていたのでした。昨日の天気予報も大雨警報が出ていて、午前中は降ったり止んだりしていたがですっちゃ。だけんど、それからの週間天気も雨マークばかりなので。えーいままよと、はじめたのでした。はじめ出したら青空も見え出して、これさいわいとばかり、蒸し暑いなか、遼雲さんと汗びっしょりになりながら、3畝100本植えたのでした。植え終わった畝は、遼雲さん云く、プロっぽい。と。それは、もう最近では苗を育てているときから、ネットのなかに入れたままです。もちろん畑で定植した後も、ネットのなかにしっかりと入っています。そのネット風景がプロっぽいと言わせるのでしょうか。ここにきて10年ほどでしょうか。白菜も大根とおなじく、露地にそのまま蒔いて間引きしてと、やっていたのでした。それが、暑い時だったのでしょうね。露地に蒔いても次々と虫に喰われ出して、ほとんどだめだったのです。その年はたしか苗を買ってきて急遽植えたのでしたが、その買った苗も弱く虫害にやられ出して、ネットでぜんぶおうようになったのでした。ここにも温暖化の影響があるのではないか、と思っています。
昨日は古文の会でした。今月から、古今和歌集(905年)に入りました。古事記、万葉集、日本霊異記、ときて古今集です。そのはじめにれいの有名な紀貫之(866〜945年)の序文がついている。本(日本古典文学全集7、小学館)にはその始めの文章の一部を写真で載せてある。それが藤原定家(1162〜1241年)の写本なのですが。その書の方もなんとなくでも読めるのです。もちろん詳しく話せと言われれば、難しいのです。けれど、ともあれ読めることに、びっくりするがです。この前の日本霊異記でさえも、原文は全文、漢字です。表意文字と表音文字を使って、です。とうぜんその前の万葉集も古事記もそうで、これらを解読するのに、何百年も要したというのですから、さもありなんとおもうのです。で、この読めるようになったことの、理由はひらがなの発明によるそうです。遣隋使船、遣唐使船をやめたことで、大和調べがでてきたというのです。歴史としてはなんとなく、知ってはいたのです。しかしです。じっさいに開いて、なんかね、驚いたのです。万葉集(759年)ができてから、わずか100年ほどでこんなに変るのです。そこにももうひとつ、秘密があるそうです。それは女性たちがとても表立って活躍したことによるそうです。源氏物語(1008年)は、世界最古の小説といわれている。かな文字は今でも女文字と言うらしいのですが。このかな文字の発明、使用はそれからのこの島国の思考や行動さえも大きく変えたものなのでしょうね。
これから一雨ごとに涼しくなっていくのでしょう。昨夜半まとまった雨が降り、こちら一気に涼しくなったよ。昼間、庫裡の廊下に机を置いて、臨時書斎に夏場はするんだ。今日など風が通り過ぎて、うすい格好ではちょっと寒いくらいでした。夜、雲間からまんまるのお月さんが、見えています。火星もまだ出ております。こういう情景に、なにやらいつもつい、うっとりするのんは、もう何万年もそうやって見上げてきた人たちが居るのだろう。と、思うのです。それはこんなボンクラオヤジでも、感応することができるのんは、そういう血が騒ぐからなんや、と。
冬野菜は夏のこの時期にするというのんは、ひと族のこれまでの知恵だよね。この暑いときに冬のことまで、思いめぐらせないものね。ところが、これまでの知恵がそうさせるのだ。いまやらなくっちゃ、食べられないぜよ、と。てなわけで。大根、蕪、そして玉葱の種蒔きしました。玉葱の袋には一袋に380粒入ってます。と書いてある。4袋蒔いたから、1500粒を蒔いた。1㌢弱間に1粒ずつ蒔くわけで、これがジリジリと暑い中、なかなかの苦行でありますっちゃ。このあと、覆土してからもみ殻を撒いて、水やり。この作業だけで、半日かかるから、ワカルデショ。いやはやでした。